東京の田舎から

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差別と区別

2018-04-07 16:21:22 | 時事問題
 大相撲の春巡業の挨拶に立った兵庫県舞鶴市長が突然に倒れた。観客の中にいた看護師(女性)が救命のために土俵上にあがったのを行事が館内放送で「土俵から降りるように」とのアナウンスがあったとのこと。加えて、土俵上の現場でも相撲協会関係者から「降りるように促された」との報道があった。結果として、その看護師の女性らは、その「促し」を無視して市長の救命に尽力して救命に成功した。見事である。
 このアナウンスについて、批判があったためであろうか、後になり、相撲協会の理事長は「不適切であった」と認めて謝罪した。
 このことは、大相撲の慣習と緊急時の対応ができないアホさ加減が現出した出来事であるが、取りあえずは、相撲協会理事長からの謝罪で幕引きである。
 問題はその後である、次の巡業地である兵庫県宝塚市の市長が女性であったため、相撲協会は土俵上での挨拶を認めなかった。このことに対して、宝塚市長は「女性という理由で(土俵上での挨拶が)できないのは悔しい」と、この挨拶の中で述べたとのこと。
しかし、報じられた写真を見ると、土俵の脇に、赤色の台を置き、土俵とそうは変わらない高さにして挨拶をさせているのである。これは伝統を配慮した上での相撲協会の好意である考えるべきである。
 この女性市長は、日本の伝統・文化を理解できない御仁である。男性と女性とは、区分である。大相撲が神事としての伝統を公称し、土俵に女性を上げないというのは、相撲協会の自由である。それを換えろというのは傲慢である。別段、土俵に上がれないからといって、女性に迷惑はかけていない。土俵脇の台の上が嫌なら、市長は挨拶をしなければ良いだけの話である。
 海外からもこのことについて、「日本は女性蔑視している」などの非難がされたとのことであるが、欧米式の考え方と日本の考え方の違いがあることは、日本の自由である。文化や伝統の異なる国の人にとやかく謂われる筋合いはない。この市長は、異なる文化に染まり、それが正しいと信じてしまっているアホである。
 そもそも、大相撲は、国家の機構の一部でもなく、税金で運営されているわけでもなく、営利的かつ職業的な相撲興行を全国規模で開催している「相撲興行を行う団体」である。公益財団法人でありながら、営利的かつ職業的な相撲興行を全国規模で開催している法人でもある。確かに、公益財団法人に移行する前は、文部科学省スポーツ・青少年局競技スポーツ課所管の特例財団法人であったが、それでも所管官庁であったというだけであり、国家との機構ではない。民間の興行団体である。市長は嫌なら挨拶をしなければ良いだけである。
  
 男性と女性の区別を言うなら、例えば女子大学に男性は入学できない。また、宝塚歌劇団は未婚の女性だけで構成されている。男性は歌劇団には入れない。逆に歌舞伎は男性だけである。これを差別というのであろうか? これらは、差別ではなく男女の区別である。
 差別と区別の差異も判らないで政治家をされては困る。その違いも判らない程度の政治屋(や)に、日本の文化の破壊活動をされることは甚だしく迷惑である。
 今回の兵庫県宝塚市の市長は、まさに宝塚歌劇団の所在している自治体の市長である。「宝塚歌劇団が未婚の女性しか入れないのは男性に対する差別である」との申し入れをしたのか?聞いてみたいところである。お笑いである。市長はもっと他にすることがあるのではないか?

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