大分発のブログ

由布・鶴見やくじゅうをメインにした野鳥や山野草、県内四季折々の風景などアウトドア写真のブログです。 

ムハンマドの天界飛行

2020-12-09 19:33:00 | イスラム/スーフィズム
 以下の細密画は、16世紀のトルコの画家たちの手になる「マホメットの天界飛行」と題された作品である。マホメットの生涯を表したこの宗教画には、虚実とりまぜた天界飛行の様子が描かれている。厚き信仰の人マホメットは、七つの天を順に巡り、比類なきほどの至上の恩恵を得たのち、神の面前に立つのである。
(以下マホメットはムハンマドに表記)

  
 ある晩、ムハンマドのもとに天使があらわれた。天使ガブリエルはムハンマドを眠りからさますと、頸をちょうどよい大きさに裂き、中から心臓をとりだして洗った。再びムハンマドのからだのなかに心臓がもどされたとき、ムハンマドの魂は信仰と知恵に満たされていた。浄らかな心をもったムハンマドは空想上の動物、天馬(ブラーク)にまたがった。天馬は女の顔をしており、やっと目が捉えるほどの距離をただの一跳びでかけることができた。

 
 初めに二人が出会ったのは白いニワトリであった。ニワトリは頭でアッラーの王座をささえ、足を地につけていた。よってイスラムの土地には、人間の国に深く根を降ろさない宗教など存在しないのである。


 二人はゆっくりと進んだ。二人を待ち受けるのは永遠なる神に選ばれた者たちだった。そしてムハンマドと天使ガブリエルは、ダビデとソロモンに出会った。


 次に二人はモーセに礼を捧げた。彼らはすべての族長と預言者に礼をつくして、天上のモスクに来てもらったのである。


 次に二人は、エメラルドの玉座にすわるアブラハムにまみえた。カーバ神殿の礎をきずいたのが、このアブラハムである。アブラハムはイスマイルの父であり、アラブ人の祖である。


 最後に天馬は7番目の天に二人をつれていき、ムハンマドとガブリエルは天使たちに迎えられた。


 7番目の天で二人は大きな建物に入るようにいわれた。その建物は神の世界にありながらも、通路はどこか人間界の通路のようにも思われた。


 アラビアで二人はエメラルドと真珠の木を見つけた。その木の下にはナイル川とユーフラテス川が流れていた。


 600枚の羽をもつ大天使ガブリエルは、かくしてムハンマドにアッラーのことばを伝えるという、みずからの使命を果たしたのである。


 砂漠をわたる隊商の、名もないメッカのラクダひきムハンマドは、ついにアッラーの前にひれふした...。

 ムハンマドは雲と光につつまれ、神の前にぬかづいた。くり返し神の前にひれふすことは虚しいことではないと、ついにムハンマドは悟った。


 天国についたムハンマドは、ラクダにのった天女(フーリ)に迎えられた。


 これこそ神は唯一であると説きつづけたムハンマドの忍耐強さへの報いであった。

 
 ムハンマドのことばに耳を貸さず、なおざりにした人は地獄の業火に永遠に苦しむことになる。


 これが信心深いイスラム教徒が代々語りついてきたムハンマドの伝説である。


 しかし、アッラーの預言者の伝説とは、それ以上にごくふつうの男の生涯でもあった。


 だが、「ふつうの男」の生涯によって、歴史は大きく変わったのである。

  アンヌーマリ・デルカンブル著
  創元社「マホメット」より

アッラーの啓示

2020-12-09 19:32:00 | イスラム/スーフィズム
 メッカから数キロ離れたところに、ヒラーという小高い丘がある。611年、すでに40歳になっていたムハンマドは、ときおり、夜通しこの丘の洞穴にこもることを習慣としていた。乾燥して草木の生えないヒラー山は瞑想にはうってつけの場所だったからである。魂の邪魔をするものはなにもないこの丘で、彼は神の啓示を授かる・・・
  
啓示を受けた洞窟の岩盤にその旨が記載されている。wiki

ヒラー山はムスリム巡礼者がきそって訪れる場所であるが、山の入口には、「この山は本来は神聖視されるべきものではない」という断りが記されている。wiki

 私(ムハンマド)が眠っていると、彼(ガブリエル)は
文字の書かれた錦の布を持って私の前に現れ、「誦め、よめ」と言った。私が「何を誦むのか」と言うと、その布で私の首を締め上げたので、死ぬかと思った。このようなことが三度も続いた。

 彼は言った。《誦め、「創造主であるお前の主の名において、主は凝血から人間を創造した」。
誦め、「お前の主は寛大このうえなく、ペンで教えた。人間に未知なることを教えた」。(96章1−5節)

 私はそれを誦んだ。誦み終わると、彼は私から去った。私は眠りからさめたがそれは心に書きこまれたかのようだった。

 そこを出て、山の中を歩いていると、天からの声を聞いた。「ムハンマドよ、お前は神の使徒である。私はガブリエル」。天を見上げると、男の姿をしたガブリエルが、両足を地平線にそろえて立ち、「ムハンマドよ、お前は神の使徒である。私はガブリエル」と言っていた。私は、彼を見て立ちすくんだまま、進むことも戻ることもできなかった。顔をそむけようにも、ガブリエルの姿は地平線のあらゆる方向に、同じように見えた。前に進むことも、後ろにさがることもできないまま、その場に立ちつくしていた。
 
ムハンマドの前に現れたガブリエル(ジブリール)

 怖ろしくなったムハンマドは、ふるえながら、おぼつかない足どりで山をおりた。冷たい汗が額をながれた。顔はやつれ、両目は熱をおびて輝き、両肩はひきつったように小刻みにゆれ、あまりの狼狽の大きさに、山の崖っぷちから身を投げることまで考えた。胸苦しい、息のつまりそうな荒々しい感情がムハンマドをとらえた。

 ムハンマドは、なにを見、なにを聞いたのか。この時に彼はほぼ40歳。人生の試練にきたえられた、分別盛りの商人を、これほどまでに動揺させたものは、いったいなにか。サタンだろうか。だが、どうやらそれは、神の使い、天使ガブリエルが、ムハンマドにその前途を告げにやってきたようであった。そのことをムハンマドが確信するには、さらにくだされる啓示を待たねばならなかった。

 この夜、ムハンマドは、ヒラー山での一件を妻のハデージャにだけ打ち明けた。ハデージャはこの一件を知ってからも終生ムハンマドの支えとなる。

 つぎつぎに下される啓示は、ムハンマドにとってあいかわらず苦しい試練ではあったが、やがて慣れてきた。啓示のときには、何時間も酒に酔ったような放心状態が続き、からだは震え、たくさんの汗をかいた。そして鎖がすれるような、鳥の羽音のような音が聞こえてくるのだった。ムハンマドは、のちにこう述べている。「啓示が下されるときは、いつでも魂が抜けたような気になったものだ」。

 神が人間に直接語りかけることはあり得なかった。ムハンマド以前にも、アダム、アブラハム、モーセ、イエスのような預言者があらわれたが、公けにされた法は、すべて人間の手で書き写されたものだった。しかし、ムハンマドは、神の声が自分に伝えるように命じたことばを、ひたすら「誦む」ことにつとめた。聴衆を前にしての、この荘厳な読誦は、アラビア語でクルアーンとよばれ、ここからムスリムの聖典「コーラン」ということばが生まれた。

創元社「マホメット」
岩波書店「預言者ムハンマド伝」より



ルーミー/時の宇宙

2020-12-09 08:46:00 | イスラム/スーフィズム
 時の宇宙

ありとあらゆる瞬間に
あなたは死と再生を繰り返す。
預言者も言った通り、「この世はほんの一瞬に過ぎない」。
われらの思考は御方により、
御方の宙へ向かって放たれた矢。
どうして宙にとどまり続けていられようか?
どうして御方の許へと戻されずにいられようか?

ありとあらゆる瞬間に、世界は新たに創造される。
われらは、永久に繰り返されるこの変化を知らない。
生命の水が刻一刻、新たに注ぎ込まれれば、
肉体は河のように、連続する流れの痕跡を残す。

火花を素早く回転させれば、一筋につながる光の線に見える。

時も、時の経過も、絶え間なき神の御業のもたらす不思議の現われ。
巧みに回転させた松明の火が、ひとつの環に見えるかのように。
  『精神的マスナヴィー』1-1142.


 旋火輪


旋火輪(せんかりん)は仏教およびインド哲学の術語。サンスクリット語アラータチャクラaltacakraの訳で、火のついた木片を勢いよく回すときに見える火の輪をいう。

 刹那生滅

 この詩でルーミーの言っているのは仏教でいう「刹那生滅」のことです。

 すべての事柄は瞬間的に生起して消滅する。 そして次の瞬間に同じ構成要素によって新たな因果関係が結ばれて、また生起し消滅する、そしてそれが連続すると考える。私たちには持続して存在していると見えるものも、実はこのような瞬間、瞬間の存在が連続して積み重なったものなのである。ー このような考え方を、刹那生滅といいます。

 この刹那生滅に関して道元禅師は次のように言っています。

   

「おおよそ人が指を一度パチンと弾く間には65の刹那があって身体も意識もすべて常に生滅しているのだが、凡夫はかつてそれを自覚せず知らないままです。

 一日一夜のあいだには、

64億9万9千9百8十の刹那があって、身体や意識はすべてその刹那に生滅しています。しかしながら、凡夫はそれを知ることはないのです。知らないがゆえに菩提心を起こさないのです。

 仏法をしらず、仏法を信ぜざるものは、刹那の生滅がどのような道理なのか信じないのです。

 もし釈迦如来の仏法の正しい教えをあきらかにするには、

かならずこの刹那生滅の道理を信じなければならないのですす。」

         正法眼蔵「発菩提心」





ルーミー/心の絆/恋の在り処

2020-12-09 08:45:00 | イスラム/スーフィズム
  
 心の絆

幸せなひととき、
宮殿に共に座るあなたと私。

姿はふたつ、影もふたつ、
けれど魂はひとつだけ、
あなたと私。

あなたと私、庭を歩けば、
木立の色も鳥の声も永遠を奏でる。

天空の星がこっそりと見つめてくるから、
月を鏡に視線をかわす、
あなたと私。

あなたと私、陶酔に混ぜ合わされて、
切り離しようもなくひとつの、あなたと私。

あるのはただ喜びだけ、
あなたと私、
二度とふたつに離れない、邪魔をするものは何もない。

きらきらした羽で飾られた天の鳥たち、
嫉妬で彼らの胸は焼け焦げんばかり。

こんな場所で、こんな姿で、
笑い声の光をまき散らす
あなたと私。

そして何よりも驚くべき奇跡はこれ、あなたと私、
あなたと私が同じ世界の片隅に、共に座っていること。

この瞬間、共に座る
あなたと私、
あなたはイラクに、
私はホラーサーンに。
        『四行詩集』38.

   
リザー・アッバース『宮廷の恋人たち』(イラン1630年)


 恋の在り処 

私の胸に恋だけを
置き去りにして、
恋人はどこにいるのだろう、
私はここにいるのに。
一体いつまで待てば
「私」は「私達」になれるのだろう。

きっといつまで待っても
「私達」にはなれないのだろう。
私が「私」を捨てない限りは、
私があなたを「あなた」と呼ぶ限りは。

私はあなたに恋をした。
恋があなたそのものだった。
私はあなたと結ばれた、
その結び目があなただった。

これがあなたの仕掛けた罠、

「私」と「あなた」の境界は消え去り、いつか「私とあなた」も消え去って、
恋だけが夜の空に瞬き続ける。
   『精神的マスナヴィー』1-1776


 『私です』と答えた男

 ある男が、友の住まう館の扉を叩く。扉の中から友が尋ねる、「誰?」。
男は答える、「私です」。

「帰ってくれ」、友は言う。「まだ早い。私の食卓には、なまものを載せる皿はない」。

 -なまものを調理するにはどうすれば良いか。別離の炎で焙るより他に無い。それ以外に、偽善からの救いの手立ては無い。今来たばかりの道を、男は悲しげに帰ってゆく。

あれから丸一年、男は別離の炎に身を焦がし続けた。そして今、再び友の住まう館の前に立っている。男が扉を叩く、敬意と畏怖を抱きつつ、不遜な言葉が唇からこぼれはしまいかと、それだけを案じながら。

扉の中から友が呼ぶ、「誰?」。

男は答える、 
「あなたです。心の全てを占めるあなたです」。

「お入り」、友は言う、「この館に、『私』は二人も入れない。けれどあなたが私なら、さあ、お入り」
 『スーフィーの寓話』第42話

  

 あなたはだれ?

 恋をしている男が恋人の家のドアをノックしました。
 「だれ?」
内側から恋人が言いました。

「わたしです。」と男が答えました。

「帰ってください。この家にはあなたとわたしの二人は入らないのです。」

 拒絶された男は砂漠に行きました。そして恋人の言葉について思いめぐらしながら、何か月も続けて黙想しました。

 ・・ついに彼は戻ってきました。そして再びドアをノックしました。
  「だれ?」
「わたしはあなたですよ。」
 ドアは直ちに開きました。