リリオーの日記

気が付いたことを書きます。

お店をやめることで5

2006-12-11 14:38:05 | Weblog
「ママ、覚えているか」と金曜日、冗談を言いながら店に入って来られたOBさん。第1線を引かれて10年は来られなかったけれど長いお付き合い、やめると知って来て下さった。又、一生忘れることが出来ない事情もある。何って?聞きたい?
10何年以上前の1月4日午後(昔、お正月1月4日昼から営業していた)駐車場に止めておられた車を2台、外に出すため、当時のチーフが頼まれて(アルコール飲まないので)外に出しに行った。私は凄く酔っぱらっていたので酔い覚ましに歩こうと思い付いて行き、ボーと見ていると「ママも1台、出して下さい」と言い、ぽいっとキーを渡された。こんなに酔っぱらっているのに大丈夫かなと思いながらキーを差し込み動かし始めたと同時に、アクセルとブレーキを踏み間違えガシャーン。駐車場のブロックにぶち当たってしまった。車はメチャクチャ血の気が引いて真っ青。普段はベンツにBMWや見たことがない車ばかり止まっている新地の駐車場、お正月で空いていて他の車に当たらなくて良かった。道路に出てからで無くて良かった。そんな問題じゃない。どうするの。おおらかなOBさん。「良いよ、良いよ、ママに怪我が無くて良かった」と許して下さった。
金曜日もその話で持ちきり。ご迷惑を掛けましたと頭を下げっぱなし。長い新地生活で最もいけないことをしてしまった事件だ。
だからといって、飲酒運転をやめたわけではなかった。何度も家近くの交番前で検問に引っかかり押し問答の繰り返し。やっと遅ればせながら飲んだら乗らないを守り5年。その5年の間にその交番前で検問をしているのを見たのは1回だけ。あれだけ検問していたのに--。土曜日、タクシーを降りたところで、お巡りさんと出くわした。「お巡りさん、最近、検問してないのと違う?」「やってますよ」「私が、飲酒運転しているときは目の敵のようにやっていたのに、私が運転やめてからしなくなったんと違うの?もっと厳しくしいや」「やってますよ」最近見ない検問に腹立つ気持ちをぶちまけて余計なことを言ってしまった。酔っぱらいっていやね。絡んで--ヘリクツを言って--。恥ずかしい--。
飲酒運転の事故が今でも無くならないこと、許されることではない。飲酒運転撲滅だ!
2人のOBさん(叔父、甥の、お2人)、長い間のお付き合い有り難う!

店をやめることで4

2006-12-10 18:43:04 | Weblog

又、又、9日土曜日、花園ラグビー場へ行く。
第1試合 クボタ-ワールド どうしたワールドと又、又、書かなければいけない。
でも、来年は大丈夫そう、補強が出来ているようだ。14番内山さんが良いゾー
クボタも強くなっている。
第2試合 我らファンの東芝府中と福岡サニックス 前半、東芝府中のペースで楽々だったけれど後半、サニックスの粘りがあり苦戦だ。サニックスも来年は、やりそう。
東芝府中よ15日(金)は神戸製鋼だぞ、大丈夫か。19時開始、残念だが行けないけれど頑張れ!ご一緒した元神戸製鋼のIMさんは平尾、林、大八木(敬称略)達を良くご存じ、彼たちの現役時代の話を聞かせてもらったり、ルールや進行解説もして頂き、解りやすく見ることが出来た。昼から飲んでばかりで今日は頭が痛い。
店をやめてもラグビー観戦はやめない。みんなも行こうよ。

 


店をやめることで3

2006-12-08 14:04:24 | Weblog

○昨日はT会社の方々から送別会を開いて頂いた。
中央区東雲町(しののめちょう)にある「ちゃんこ鍋」お客様方と女の子達全            
員、感激。
(T会社の皆様にはスタッフ全員、分け隔て無くお付き合いして頂いた。何時も いっぱいご馳走になった。有り難う)
○「クラブRのママは75才までやった。まだまだ、やれるやめるな」とKOさん。
(ホントKOさんには出勤前もアフターも良く飲み、食べ遊ばせてもらった有り難う)  
○「この店が頼りやったのに、何処へ行ったらええねん」SUさん。
私が店を開いた時、SUさんは独身だった。結婚したと奥様を連れてきて下さったのが26、7、8?年も前、子供さん達は社会人になって--。
(SUさんごめんなさい)
○長い間ご苦労様、僕も還暦を迎えたとFAX頂いたMIさん。
(一緒に飲んだり、ゴルフをしたり面白かった。お付き合い30年有り難うMIさん)
○「何だ、僕はこの店、知ったばかりなのに、やめるのか」WAさん
(ごめんなさい、知り合うのが遅かった分、まとめて年内来て!「そうやな、来るわ」 と嬉しい事を言って下さるWAさん)
○「やめるの、残念だね、丁度、写真集出版パーティーに行って来たので記念にあげる」 と写真集1冊下さったMIYさん。カメラがお好きで日本、海外問わず、バシバシと撮 りに行かれる。勿論、仕事もバリバリ。
(一瞬の輝きを撮るため何日も何時間も構えられる姿が浮かぶ。大事にさせて頂く)
○「何や、やめるのか、女の子の世話しなあかんな。知っている店に面接に行こう」と 早速、女の子達のこと心配して下さるSAさん。
(沖縄に行ったマリンちゃんの事も気に掛けて下さった、ずっとずっと店のことも気に掛けて下さったSAさん有り難う)
○「僕の行く店、みんな無くなってしまう。おでん屋の「剣菱」のお母さん、どうしているか」とMITさん。「ほんま、私も思い出して、12月1日のブログに書いたばかりよ」 と話が進む。
(あのおいしいおでん屋の話が出来て良かった。そう、MITさん、OKUさんと良く行ったんだ。ただ、お客さまには帰って頂戴とは言わなかった、お帰りやすと言われてたとMITさん、私の間違い)
 皆さん、皆様、本当に有り難う。年内、是非、来てね!


店をやめることで2

2006-12-07 15:12:19 | Weblog
「月曜日の朝早く、店をやめるメールがきた。僕はどうしても今月大阪に行けない、変わりに直ぐ行って下さい」と上司から電話があり来ました。嬉しいですね。その電話の主はAビール会社のOさん。Aビール会社?個人情報とかなんとかで固有名詞を出さず私はイニシャルで書いている。でも、Aってアサヒビールって解るやーん。決まっているやーん。でもAビールさんという事にする。Aビールさんにはお店オープン時からお世話になっている。特にOさんの先輩Sさんには、割烹をする時、色々相談に乗って頂いた。割烹を開いた当時の板前には、えらい目にあった。どうしたらよいか解らなく、アポも取らないで朝早くSさんを尋ねた。一番忙しい時間帯なのに、涙をぽろぽろ流し愚痴いっぱいの話を、いやがらず聞いて力強いアドバイスをして下さった。良くして頂いたことは忘れない。別に私だから、私の店だから特別に--ではない。Aビールの皆さんは、どのお店にも同じ扱いで気を遣って下さるのだ。今まで、私はAビールしか飲んでいないし、これからもずっとAビールしか飲まない。いえ、アサヒビールしか飲まない。本当に有り難う!
大阪を離れられたSiさんから花飾りの電報を頂いた。九州に行かれたTさんも気遣って下さった。本当に有り難う!アサヒビールバンザイ!

エクセル口座も卒業

2006-12-06 14:11:07 | Weblog


夏からパソコン教室に通い出した。口座はエクセル
システム会社でシステムを組んでもらい請求書をパソコンでやるようになったのは、もう20年も前になるし(当時、パソコンは高かった)お客さまにメールで案内を出すようになったのも、まだ、アドレスが書かれてある名刺を頂くのは珍しかった時からだから、うーん何年になるかな?初めは20名様くらいだったと思う。今では常に1000通くらいになる。エクセルは計算くらいは出来るけれど、もっと奥深くやってみたいと思い通った。エエーこんな事が出来るの?まあ、このくらいは知っているわねとか色々。実際どのくらい役に立つか解らない事もあったし戸惑うこともいっぱい。1週間1回50分コースだから前回、やったことを忘れて、先生、先生と聞くこともしばしば。子供のような年代の若い先生は「もう、何回言うたら解るねん」と怒らない。言葉も態度も丁寧、親切に教えてくれる。17回コース今日で完了。店をやめるから、使うことはないかな。もっと早く行けば良かったかと思うけれど。この年齢になって勉強すること楽しい。もっと色んな事を勉強しょう。ボケ防止?いえ、何時も新しいことに挑戦する意欲を失わないために?
店は、「やめるな」「ママ、ショックだよ」「まあ、良くやった卒業おめでとう」「やめてからご飯を食べに行こう」等々、嬉しい言葉を掛けて頂く。隣のビルの若いママも駆けつけて下さった。幸せ。女の子達の就職先も考えて、最後まで忙しく働く!来てね!


店をやめることで1

2006-12-05 11:36:55 | Weblog

突然の知らせに、どうして?なんで?どないするねん?等々、メールや電話を頂く。
メール、電話の中には、
お便りもらったけれど本人はこの前亡くなった、春に亡くなったと言う悲しい知らせや、涙が止まらないメール、やめて落ち着いたらゆっくりお話しを聞かせて頂きたいメール、人生を教えて頂くメール、予期せぬ方からの嬉しいメールや電話。
沢山の方々から気に掛けて頂く最後まで幸せな私---。
あと、4週間、頑張る。みんな来て!
そう、去年店をやめた女の子達からも連絡有り。

お客さまのKさんに大きな大きなポインセチアを頂いた。お店が閉店するまで
持つようにと。有り難う。


思えば遠くに来たもんだ

2006-12-03 10:38:22 | Weblog

思えば長く来たもんだ。
この度、29日(金)で店を閉じることにした。
始めるのはたやすいことだけれど、終わることは---。
沢山のお客さまに恵まれ、女の子に恵まれて何が文句あるんやと言われそう。
毎日、毎日髪をアップにセットし着物を着て新地を歩くこと36年近く。
もう、普通の生活に戻ってもいいんじゃないかと考えるようになった。やめたら、こんな事もしたい、あんな事もと考えるようになって---。そんな考えを持って仕事をするのは、お客さまに失礼と思うようになった。
1日、スタッフに話して解ってもらった。(どうかな?)
少し、肩の荷がおりて、昨日はぐっすり眠れた。
ご贔屓頂いたお客さまに深く感謝。有り難うございました。
最後までわがままな私に付いてきてくれたスタッフのみなさん、有り難う!
酒屋さん、珍味屋さん、氷屋さん、カラオケ屋さん、オシボリ屋さん、タクシー会社さん、みんな有り難う!
皆様本当に有り難うございました。



色んな事があったわね

2006-12-03 10:35:18 | Weblog
本当に色んな事があったわね。
恋?勿論何度かあったわ。お客さまと喧嘩して泣いたこともあった。抱き合って喜ぶこともあった。そう、本も2冊出したわ。下手な文章で--。記念パーティーも開かせてもらった。今思うと恥ずかしくなってくる。
音痴なのに長唄の会にも出た。下手なゴルフに麻雀に囲碁と何でもやらなければと、廣く浅く。参加することに意義ありと--。面白かった。
板前は難しいから、割烹は無理と言われながら開いた。本当に難しく泣かされた板前もいた。でも、悪い人ばかりでない。今でも付き合ってもらっている板前さん達がいる。振り返ると楽しかった10年と思っている。
本当に色んな事があった。色んな思い出を残して終わりにする。
あと、4週間でこのブログも閉じさせてもらう。身勝手にご容赦!


おでん物語5

2006-12-01 13:55:10 | Weblog

10月5日のおでん物語で書いた梅田食堂街にある有名なおでん屋さん。
お客さまが行かれた。まきママと一緒に。やっぱりおいしかった、さえずりは
1本にしたけどと大笑い。
おでんで思い出した話し。
お初天神から少し北に入ったところ、「八幸」の前にあった木造平屋建てのおでん屋さん。今はその店はない。そのあたり一体が立ち退きになりやめてしまった。現在はテナントビルになっている。
「お母さん、もう1本」
「お客さん、3本は出しまへん、2本で終わり、帰って頂戴」
壁に「酒は2本まで」と張ってある。
「なんや、酒は2本以上飲んだらアカンなんて偉そうに、こんな店2度と来るか」と怒って帰っていく一見客。お母さんは全然気にしないで「いらっしゃい」と次ぎに入ってくる客の対応に忙しい。その店に毎日のように行くお客さまがおられて、おいしいので私も店に出る前によく寄った。特長はお酒は2本まで、2本飲んだら帰る。ママは、酔っぱらってウダウダ言う客は嫌い。酒を飲み店ではない、うちは、おでんを食べる店とはっきり言っていた。
又、営業は9時まで。「時間になると追い出されるんや」とお客さまは言っていた。母と娘2人で切り盛りして、他人を使っているわけではないから気を遣わないので、旅行したくなると1週間でも2週間でも休んで海外旅行に行っていたし、早く終わって銭湯に行くのが楽しみと言っていた。「いいなあ、羨ましい、私なんか、朝から朝まで(当時、家に帰るのは何時も4時、5時だった)働いて、女の子達に気を遣ってしんどい、ママが羨ましい」と何時もぼやいていた。
「ママ、この親子もよく働いているんや、朝早くから、仕入れに行き、大根切ったり、すじ肉を掃除したり、2人の手を見てみ、仕事をしている手やで」
「他人の花は赤い」人のことを何時も羨ましく見ている私に一石放たれた。
そう、1度、朝、用事がありその店の前を通ったことがあった。2人は黙々と座り込んでジャガイモの皮をむいていた。「腰も痛いやろうな、準備に時間を掛けて、頑張っているんや」私は声も掛けずにじっと見ていた。
お母さんと娘さんのその後の消息はわからないが、おいしく頂いたおでんの味は忘れはしない。そう、「何が2本までや」と怒って帰った客が次の日に来ていた。そして2本飲んで帰って行った。怒られても来る店やなあ、ほのぼのとした店やと感心したもんだ。
どこかにないかな。そういう店、あったらいいのになあ。