村上龍主宰の「経済・金融」がテーマの2011年5月19日放送
チャレンジに年齢は関係ない! その気になれば何でもできる!
ゲスト:ケニア・ナッツ・カンパニー創業者
佐藤芳之(さとう・よしゆき)氏
豊富な天然資源を抱え、経済成長著しい「アフリカ大陸」。植民地支配から独立して半世紀が経ち、日本をはじめ世界中の企業が進出し始めている。一方、貧困問題も依然深刻で、『貧しい大陸』と同情され、援助を受け続けるのも「アフリカ大陸」の現実だ。
だが「援助で自立はできない。必要なのは収入を得る糧だ」と、"アフリカ人の自立"のため、ビジネスにこだわる日本人がいる。佐藤芳之(71歳)だ。佐藤は、50年近く前に単身、アフリカに渡り、一代で年商30億円、ケニア最大の食品加工メーカー『ケニア・ナッツ・カンパニー』を創業した。さらに佐藤は齢68にして、その成功をケニア人に譲り、新たなビジネスに挑戦している"すごい日本人"なのだ。
なぜ、佐藤は日本から遠く離れた「ケニア」に渡ったのか?どんな努力で成功を収めることができたのか?そして、人生の終盤を迎えてなお、挑み続けるのか?
番組では、一代でケニア最大の食品加工メーカーに育て上げたノウハウを解明するとともに、佐藤の新ビジネスに密着!日本から1万2000キロ離れた「アフリカ大陸」を舞台に活躍する日本人の姿を広大な自然とともに紹介する特別企画!
ケニア最大の食品加工会社を作った男
『ケニアナッツ』はマカダミアナッツを中心に紅茶、コーヒーにワインなどを生産・販売している会社。
日本では知られていないがその取引先は、「ゴディバ」や「ネスレ」など世界企業。工場で働くスタッフに、原材料のナッツ作る農民など、『ケニアナッツ』が生み出した雇用は10万人。その収入で支えられる家族は100万人。人口4000万人のケニアの40人に一人というからその規模は計り知れない!
しかしその道のりは平坦ではなかった。遅刻に無断欠勤は当たり前。食品加工に携わりながら衛生面に無頓着・・・佐藤の前に、文化や風俗の違いが幾度となく立ちはだかった。
そこで佐藤が持ち込んだのが"社員を大切にする"日本式の経営だった。
無料で社員が利用できる医務室。家族が病院にかかれば医療費の85%は会社持ちだ。10時のティータイム。社員のために独自の社内ローンも設立した。
佐藤の誠実さと日本式経営。この2つが相乗効果となりケニア人が自立できる会社が出来たのだ。
齢68にして、再スタート!
年商30億円にまで成長した『ケニアナッツ』を佐藤は2008年、68歳の時に手放してしまう。それもタダ同然で。「ケニアの自立は達成できた・・・だが、自分が本当にやりたいのはアフリカ人の貧困そのもののからの脱出だ」
佐藤が向かったのは、ルワンダ。1994年の民族大虐殺で100万人が殺されたという悲しい国で佐藤は新たなビジネスをスタートさせた。今度はバクテリアを利用した公衆衛生事業。ルワンダでは貧困のためにトイレが不衛生。ハエを媒体にコレラや赤痢など貧困に輪をかける病気が蔓延していた。その不衛生なトイレをきれいにしようビジネスだ。トイレがきれいになれば病気も減り、働く意欲も生まれると考えたのだ。
京都府立大学大学院の石井農学博士の協力を得、アフリカの原材料で安く作れる「消臭浄化剤」を現地で生産。ルワンダ政府を巻き込んだ一大公衆衛生事業に密着する!
「消臭浄化剤」で日本の・・・三陸の・・・ふるさとを救う!
アフリカで半世紀を過ごしてきた佐藤。
彼の生まれ故郷は東日本大震災で被災した宮城県南三陸町だ。
ルワンダで一報を聞いた佐藤は、日本行きを決意。
アフリカの大地で実践を始めた公衆衛生事業で故郷に貢献したいと思い立ったのだ。
壊滅的打撃を受けた故郷で佐藤が見たものとは・・・
「人生の可能性は無限大だ!」
佐藤芳之の生き方に共感する若者は後を絶たない。
佐藤の教えを学び、ケニアで働く男性・・・ルワンダでトイレビジネスを支える女性・・・そして、出身校である東京外語大では佐藤の下に飛び込もうとする学生たちがいた。
チャレンジすることに年齢は関係ない。その気になればなんだってできる。経営者としてだけでなく、人間としてどう生きたらいいのか。物や情報が溢れ、日本人が忘れてしまったチャレンジ精神を佐藤氏の挑戦を通して考える。
【ゲストプロフィール】
1939年 宮城県南三陸町(旧志津川)生まれ
1963年 東京外国語大学卒業
ガーナ留学
1966年 ケニア・東レ・ミルズ入社
1974年 ケニア・ナッツ・カンパニー設立
2008年 オーガニック・ソリューションズ・ルワンダ設立
【企業情報】
社 名:ケニア・ナッツ・カンパニー
所在地:ケニア・ナイロビ
設 立:1974年
売上高:約30億円
業 種:ナッツ・コーヒー・紅茶・ワインの生産販売
従業員数:4000人(契約農民10万人)
輸出先:日本、アメリカ、ドイツ、イギリス
:精魂込めアフリカで日本人が奇跡的に成功させた会社の株を
:⇒【1株】だけ残して⇒売却したとは⇒なんて人だろう!⇒「“リビングゴッド”」(生き神様!)
:濱口梧陵=「リビングゴッド 私財(4665両)を投じて防潮堤を築造!」 (:下記資料:合計3,590両⇒差額1,075両は現物換算!?)
ヤマサ醤油 中元に購入希求!
【ヤマサ鮮度の一滴 減塩しょうゆ】 500mL 310円 空気が入りづらく、しょうゆの酸化を防ぎ、新鮮なしょう...
私財をはたいて大堤防を築いた
梧陵は見識も財力もある見事なリーダーであった。早速、広村の救済に立ち上がった。避難民のために用意した米は五十石、その後二百五十七俵にも上った。
農家には農具・漁家には舟や漁具、商家には営業資金の無償の援助したさらに、津波、台風から村を守るには防波堤しかないと決断し私財を投じて防潮堤を造った。
まだ鉄もコンクリートもありませんでしたから、まず比較的丈夫な石で第一撃を受け止めて、そして防潮林で勢いを削いで、そして土の本堤で浸入を防いだ。
津波ごとに甚大なる被害を被る村を救うため、延べ【五万六千人】の人員を動員し【四年】がかりで、【延長六百七十メートル】の大防波堤を築き、松数百本とハゼ数百株を植えたのである。
私財での土木工事・広橋の架けなおし・広村大堤防築堤には築堤
当初、千五百七十二両余 安政二年には八百十八両安政三年に、七百両安政四年には五百両を投じたのである。。 (:3590両⇒差額1075両は現物換算!?)