音屋の竹ちゃんが、今度は「オレガノカフェ」というレストランを始めた。
音屋の竹ちゃんは本職は音楽プロデューサーで、SO-DOという長野で有名なバンドのライブなど全面的なプロデュースをしている。店舗音楽やファッションショーの音楽なども手がけている。オープン当時から小布施栗菓子の老舗である小布施堂の音響を取り仕切っていた。
もっと昔は「仏陀」というライブハウスを経営していた。私の妻は1970年代後半に、なんとフリクションの生ライブを仏陀で見た経験がある文学少女だった(?)。今、仏陀はネオンホールという、これまた有名なライブハウスになって、清水君がアマプロ問わず音楽やらパフォーマンスを連日行っている。
その竹ちゃんが仏陀から西へ1kmくらいの場所に酒が飲めて音楽が聴ける「音屋」というバーを出したのが1986年頃だった。私は独身最後の夏から、連続3ヶ月に亘り通って酒を飲み続けた。
その竹ちゃんが最近「オレガノバー」という店を出した。明るい間は自転車とスキーで鍛えまくっている竹ちゃんが夕刻から、すごく明るい女の子と二人で、音楽が聴けておっさんでも身体に優しいメニューで酒を飲めるレストランに改装したのだ。
この写真はご存知「栃尾の油揚げ」(半分食べ終わったところ)。もともとでかくて有名な油揚げを一枚そのまんま、出してくれる。
行くべし。
音屋の竹ちゃんは本職は音楽プロデューサーで、SO-DOという長野で有名なバンドのライブなど全面的なプロデュースをしている。店舗音楽やファッションショーの音楽なども手がけている。オープン当時から小布施栗菓子の老舗である小布施堂の音響を取り仕切っていた。
もっと昔は「仏陀」というライブハウスを経営していた。私の妻は1970年代後半に、なんとフリクションの生ライブを仏陀で見た経験がある文学少女だった(?)。今、仏陀はネオンホールという、これまた有名なライブハウスになって、清水君がアマプロ問わず音楽やらパフォーマンスを連日行っている。
その竹ちゃんが仏陀から西へ1kmくらいの場所に酒が飲めて音楽が聴ける「音屋」というバーを出したのが1986年頃だった。私は独身最後の夏から、連続3ヶ月に亘り通って酒を飲み続けた。
その竹ちゃんが最近「オレガノバー」という店を出した。明るい間は自転車とスキーで鍛えまくっている竹ちゃんが夕刻から、すごく明るい女の子と二人で、音楽が聴けておっさんでも身体に優しいメニューで酒を飲めるレストランに改装したのだ。
この写真はご存知「栃尾の油揚げ」(半分食べ終わったところ)。もともとでかくて有名な油揚げを一枚そのまんま、出してくれる。
行くべし。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます