お寺ふぁん・続々

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雪景色 桜田門外ノ変 死んでも生きる

2020-12-23 | 日記

 

 立往生を強いる大雪の状況を見て江戸末期の事件を思い浮かべます。

 ずばり桜田門外ノ変です。

 その瞬間であれば、まさにこの目前の場所で惨劇が展開していたのでしょう。

 右端に桜田門が見えています。井伊屋敷は左側ですが角度的に視界外でその方向は見えていません。

 襲撃側はこのポイントしかなかったと思います。

 桜田門はいわゆる見附門(門衛の詰所を設置した警戒厳重な門)であり、門をくぐられてしまえばもはや襲撃は不能、逆に井伊邸に近すぎると逃げ込まれたり、加勢が出て来て仕損じる・・ここしか・・・ 

 そのわずかな距離での襲撃事件です。

 

 襲撃側は愛宕神社に参集して成功を祈願のうえ出立、行列見物の物見遊山を装って桜田門の配置に就きます。

 行列見物はミッキーのパレードみたいなもので”ガイドブック”(=武鑑)まであったようです。

 だれも怪しみません。

 その武鑑を携行し、間違いのない体勢をとります。

 邸の門が開き、行列が目前を通過する刹那、第一撃であり襲撃の合図ともなる短銃が駕籠に向け発射されます。

 護衛側は雪から変わった雨に刀に雨覆いを着けて縛っており、対応が遅れます。

 付近は一瞬にして修羅場の現出です。

 流血痕とともに切り落とされた腕や耳などが多数散在していたそうですが、その模様を描いたのが冒頭の図絵です。

 

 その混乱の中、襲撃側刺客が直弼の駕籠に迫ります。

 外から何度も刀を刺し入れたあと、直弼を引きずり出し首をとります。

 直弼は居合の達人のようです。まだ老齢ということもありません。

 しかし、最初の短銃射撃で即死ないし行動不能となる重傷を受けていたようです。

 

 散々にというところかあっけなくというか、若き大老井伊直弼は落命します。

 打たれた首は襲撃側が持ち去ったようですが、追跡者に深手を負わされたため果たせず自刃、付近大名屋敷に収容されます。

 当事者直弼の首ということであれば返還などされることはないでしょうが、供の侍のものということで井伊家がもらい受けます。もちろん直弼の顔をよく知るはずの大名家でしたが・・

 

 藩邸に帰った直弼は首、胴を縫い合わされた後、病を得たようです。

 幕府の要人、まだ継嗣を定めていない藩主として死んでもらうわけにはいかなかったようです。

 お見舞いも多数届けられます。

 直弼は3月の末に病死したことになっています。

 延命はお見舞いなどが効いたんでしょうね(*´Д`)

 

 井伊直弼はなぜ討たれたのでしょう?

 浅野内匠頭松の廊下など暗殺(未遂)事件は、動機、詳細が不明なものが多いですが、この事件はかなりのところまでわかっています。

 おじさんの社会科復習ですが、また続きを書いてみましょう。

 

 heritager.comさんの地図をお借りしています。

 「西御丸」右手にかかる橋(土橋)にあるのが桜田門(外桜田門)、井伊家は紀尾井坂ではなくお堀端の邸。