お寺ふぁん・続々

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雪景色 桜田門外ノ変(2) 顛末 

2020-12-25 | 日記

 いつ終わるかわからない疫病の蔓延、大雪、地震・・いろいろ相まって政情も安定しない。

 政情が安定しないからいろいろあるのか、いろいろあるから政情が安定しないのか?

 中国の古い言い伝えでは為政者が徳を失うと天の意を以て姓(=為政者)を易(かえ)るといい、これを易姓革命と呼ぶそうです。

 

 旧暦3月3日、この年のその日は現代暦でいえば3月24日、もう4月に近い日です。

 なぜ3月3日が選ばれたのか・・

 江戸詰め大名は毎日登城したわけではなさそうです。

 五節句ともう二日、必ず登城して将軍に祝辞を言上する日があるそうですが、その中の一日3月3日上巳の節句いわゆるひな祭りの日が決行の日に選ばれました。

 想定外としては南岸低気圧の接近により大雪となったこと、これは襲撃側に利することとなりました。

 

 わが家の雛さまです。お大名でないのでちっぽけですが、季節感は伝わるかと・・・(;^ω^)

 

 当時幕府は緊急的で大きな課題を二つ抱えていました。

 病弱で世子のいない第13代家定のもしもの前にだれかに継がせる必要がある。誰に?

 異国から修好通商条約の締結を迫られている。どう対処する?

 両者は別な案件ながら複雑に錯綜して幕府を圧迫します。

 

 そんなとき大老(老中の特別職、常設はされていない非常の職)に就任したのが彦根藩主井伊直弼、藩主の14男であり大老どころか藩主さえありえない立場です。

 存外にお鉢が回ってきたというところでしょうが、そこはそこ、人物を買われてということでしょう。

 

 期待どおりなのかやりすぎなのか強権発動を断行します。

 継嗣は水戸派(慶喜)と南紀派(慶福=後の家茂)の争いがある中、帝からの”この難局の折は経験ある方がよい” との声も無視して若い慶福を推戴、条約は勅許を得ずに独断で締結、これには反発を買います。

 戊午密勅事件を契機に頂点に達した尊王攘夷の争いをはらみます。

 

 開国に勅許が要るか?

 幕府独断で開始した鎖国ですから独断で鎖国をやめるという理屈もありそうです。

 鎖国の際はだれも幕府に反意を示せませんでした。むしろ薬の効きすぎというか鎖国は国是レベルになっています。

 この時点、幕府にはもう独断を押し通す権威が失われつつあります。

 それゆえの強権発動でもあったでしょう。幕府権威の回復です。

 

 反発した勢力に対しては徹底した弾圧を加えます。

 安政の大獄と呼ばれるもので多数の知識層が囚われ、処罰、牢死させられます。

 その中には水戸藩関係者が多数含まれます。というかむしろ水戸藩がターゲットといった感じです。

 ”もうたまらん!” という暴発がこの事件の原因と言われます。

 

 そしてもう一つの”モ~” 牛肉食べた~い!

 彦根藩は武具の材料として牛皮を得るため、唯一牛の屠殺(とさつ)が公認されていたようです。

 いわば”廃材” として肉が採れます。それを味噌漬けにして各有力大名にも”薬”として付け届けしていました。

 直弼に変わって藩政改革でこれをやめます。

 グルメの水戸藩主は”薬” が大のお気に入り。

 ”今年は来ないがどうした・・催促してみよ”

 ”まだ来ないのか”

 といったことが公式記録に載っているそうです。

 催促されても直弼は拒否、こういうところが ”この偏屈が~ ばかたれ~” と生理的な嫌悪感を生んだのかもという説があります。

 いやな奴には半端ない報復も何気にやりやすいですからね。

 襲撃は脱藩者であり、表向き水戸藩は関係ありません。ただ、ほんとに”白”だったか疑いは拭いきれない問題です。

 襲撃の合図ともなった短銃・・逸品でそんじょそこらで調達できるものではないとか・・・

 ・・大人げない話ですが、一番信憑性が高いかもしれませんね。あ~食い物のうらみ・・

 

 

 さて、事件の顛末

 襲撃側は覚悟の上ですから特筆ありません。厳しく当たられますが・・

 襲われた彦根藩側、藩の処断として、闘死した者咎なし・家名存続許す、重傷の者罪一等を減じ配流、傷の浅い者お役目怠慢切腹、無傷の者お役目逃避斬罪。

 武士には斬罪というのはありません。それを問われたということはその時点で武士の名誉面目を剥奪されたことを示します。

 当然とは言え、とんだとばっちりです。

 比較的新しい映画作品に変を再現した「桜田門外ノ変」と、変を生き残った両藩の二人(架空)の生き様を描いた「柘榴坂の決闘」があります。

 当時のサラリーマン武士と同じサラリーマンとして身につまされるところがあります。

 

 条約の強行締結、もし拒否すれば武力行使の公算大を背景としたものと言われます。

 本当に国を思う人だったのかもしれません。

 何も知らず感情だけで騒ぎまくる者が一番強い感じがします。

 

 この事件を契機に幕府はいよいよ権威を失墜します。

 水戸藩も藩内の論争が激化、有形力を以て血で血を洗う報復合戦に発展します。

 一部は藩を超えた武力蜂起におよびます。(天狗党の乱)

 この鎮圧後の処遇を巡り、幕府はますます信を失い倒幕の機運を高めます。

 水戸は決して漫遊するなど安穏なところではなかったんですね。

 

 もうすぐ新年、ひなまつりの3月には気が早いですが暖かくなる頃にはなんにつけても全面的にあったかくなってもらいたいものです。

 年賀に向け祈ります。長文失礼しました・・・