コロナ死
ちょっと真剣・・
”コロナ死” そんな言葉があるか知りません・・が、感覚的には理解頂けると思います。
大別して二つの状況。
一つはコロナに感染して重篤化、死亡するパターン。
もう一つはコロナに感染していないものの医療上の都合により死亡に至るもの。
後者はさらに一般診療によるものとワクチンによるものに分類されると思います。
これは報道を見ての感想みたいなものです。
グズグズとした天候、そんな中で急報が入ります。
身内家族からの訃報です。
自宅を訪ねて話を聴きます。
要旨
故人は77歳という高齢ながらこれという病気もなく、老人の小遣い稼ぎなどというレベルでないフルな仕事をしていた。
二回目の接種を終えてしばらく、にわかに体調を崩した。ワクチンはF。
自宅で静養していたが、ついにたまらず救急手配、すぐに来てもらえたという。その時間午前2時ころ。
救急車には乗ったものの収容先が見つけられない。
救急車の酸素が切れ、乗り換え。
7時にやっと病院が決まる。
そのやりとり。
”診るのは診る。しかし、入院が必要ということであってもここには入院できない。”
診察後、”帰すと大変なことになる。しかし、それでも入院させられない。”
やっと別な病院に搬送される。
生体の反応としては生存していたのだろうが、既に死亡しているという状況だったのだろう。
コロナ検査の結果は陰性だった。
せめてもの補償をと区に相談するも
”たまたま元々あった病気の発病かもしれない等、死亡と接種の因果関係は確認できない。文句があれば医者に言うように” と、・・・
なんだ、なんだ・・これってテレビで見る世界じゃないか・・(-_-;)
救急も医療も手を尽くしている、家族は納得できないが不満は言えない。
綾瀬はるかだったら助かるが、庶民が救命できる可能性は極めて小さいのが実感できる。
恐ろしさが身近なものとなってきたな~
それが今の想いです。
自身も血液(血管)系の治療を昨年暮れに始めました。
血管にプラークがあるということです。
もう何年もそうだし・・
それを踏み切ることとなった医師の言葉
”元々急ぐ病気になります。コロナの今、倒れたら命はありませんよ”
そんな医療状況になってるんですね。
野戦病院とか言葉遊びに過ぎるというのがありましたが、
病床確保というのは物理的にベッド数を確保するということじゃないですね。
そのうえで要員確保して初めて機能することは当然のことです。
すると単に医療の課題ではなく、全般的な社会構造、行政機能(=政治体制)の問題となることは明らかです。
お寺ふぁんが小さい頃は、”日本は国土が狭いから君たちが成人する頃は立って寝るようになるんだ”
そうまことしやかに教わってきたんですが、ほんとにそうなった所と人よりイノシシやシカなんかの方が多い所に二極分化されてしまいました。
お寺ふぁんの郷里は限りなく後者です。
社会の土壌として”地方の活性化”は必須だと思います。人口の再生産が可能な土壌です。
コロナは恩人、おかげで社会の脆弱な部分を逐一教えてくれ、改善に役立った。
そうならないといけないんでしょうが、現状途方もなく遠く見えます(;´д`)トホホ
…っと、一杯しよう~っと… 大雨だし・・