さくら… もう季節外れ…?

右からかかる枝はさくらです。
みなさんご覧のとおりさくらは葉っぱになりました。


平河門(現在表記は平川門)にかかる橋を遠望します。
さくらは残るには残ります。八重・・



(動画、写真とも4月22日撮影)


史蹟のさくらも青葉です。
預けとなった田村右京大夫の邸跡(近隣地)。
何故田村家・・?
事件直後
”お~ だれか当番おらんか?”
詰めていた者は事件対応に出ており、残っていたのが右京大夫。
”お~ おった、おった そこもと浅野を預かれ”
そんな感じだったらしい・・
預けた方も預かった方も”しばらく”のつもり・・
・・元々浅野家と田村家は仲がいいわけでもないと・・夕には切腹・・
こんなケース、辞世、遺言の類は直筆は認められていないそうです。
ただし、口伝の書き写しは可能と・・
そこが疑惑、辞世はだれが詠んだ? 遺言はなかったのか?
美しい辞世ですが、突然詠める文才があった? それを含めて計画的?
何らかの理由で田村家がNHKした(勝手に書き換えた)?
その辞世の解釈は”はらはらと花の散るさま・・”という背景が一般的な気がします。
しかし、もう今時季さくらは・・


花が変わりました。
この事件は謎だらけです。
だからこそ芝居のネタになるのでしょう。辞世も後付け・・?
ただ、事実としては単純刃傷事件として沙汰済、解決済未解決事件というところでしょうか。
葉室麟の遺作に「花や散るらん」があります。
この事件を題材にしたものではありませんが、背景として事件が動きます。
優美、みやび、そして訝しい時が流れます。
事件の実相を示唆するものでしょう。これを真に受けた方がしっくりするようです。
そこでさくら・・
もともと花の時季ではないし、八重だと”かぜさそう”風情は・・
・・いやいや、内匠頭は唐丸篭の中からか切腹の庭でさくらを見たのかも・・・

(動画、写真とも4月22日撮影)