南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

2013年9月1日の大和村思勝

2019年09月01日 23時53分41秒 | 奄美のフツーの生き物たち
たまには趣向を変えて、昼間の写真でも並べてみましょうか。
たしかこのころ、望遠レンズを買ったもののどう使ったものか試行錯誤していたのだと思います。
とにかくバッグには入れて持ち歩くのですが、なかなか使う機会がない。
いまでは「そもそもそんなに使うものではないんだよ」ということが分かったのですが、当時はとにかく使う機会を求めていたのだろうと思います。
野鳥や昆虫の写真を撮ってみようと思ったのは、そんな理由からでしょうね。
家から30分以内で行けて、鳥も昆虫もいるところ、思いついたのは大和村思勝です。
夕焼け観賞もしたいと欲張ったので、あまり時間は取れなかったのが残念です。
下の写真も、クリック/タップすると大きな画像で見られます。

   

セイタカシギだと思います。
フツーに見られる鳥だろうと思っていたのですが、日本国内で見られるようになったのは40年ほど前からで、徐々に繁殖や定住が確認されているとのことです。

   

ナツアカネ。
まだ東京で生活していたころ、屋久島にバイクツーリングに行ったら赤トンボが異常発生していたのに遭遇して、バイクにもたくさんぶつかってきたんですね。
だから簡単に写真が撮れるんだろうと思っていたのですが、なかなか用心深いヤツらで、オレがピントを合わせるまでじっとしていてくれないんですよ。
この写真もビミョーにピントが合っていません。
近ごろは「トンボか、やめとこう」と最初からあきらめモードです。



撮影場所:大和村思勝(おんがち)
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フツーの生き物、再開します

2010年12月08日 00時25分33秒 | 奄美のフツーの生き物たち
ついに、寒さがやってまいりました奄美大島。
空はどんよりと曇り、強い北風が吹きまくり、時折り雨が叩きます。


リュウキュウヒメジャノメ 11月10日 奄美市名瀬おがみやま公園にて。

これから3月の声を聞くまで、暗く侘しい冬が続きます。


ネコ 11月12日 奄美市名瀬おがみやま公園にて。

だから、という気持ちを上手く論理づけることにいささかの困難を感じつつ、カテゴリー《奄美のフツーの生き物たち》を再開します。


毛虫カメムシ 11月17日 奄美市名瀬おがみやま公園にて。

ちょっとでも天気のいい日に、道端の草むらを覗いて見つけた生き物たち、という写真に関するコンセプトはそのまま。


リュウキュウミスジ 11月17日 奄美市名瀬おがみやま公園にて。

文章は、時事ネタになりますでしょうか?
例によって、誰も読みたがらないような内容を目指すことになるでしょう。


毛虫 11月17日 奄美市名瀬おがみやま公園にて。

とりあえず、ご挨拶まで。


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11月のフツーの生き物たち 12

2008年10月08日 00時33分49秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 11もご覧ください。
また、11月のフツーの生き物たち 11.5てのもあります。

「フツーの生き物たち」、今回も昨年の11月にフツーに見掛けた生き物たちです。



バン
2006年11月3日、大和村恩勝(おんがち)にて撮影。

誰も頼んでないけど勝手にアヤシイ国際情勢解説の第3弾。
前々回は、NATOの勢力拡大と、それに反発するロシア、NATOに頼る形で反ロシアに傾斜するグルジアという三者と、グルジア周辺の入り組んだ地政学について記しました。
続いて前回では、ロシアとヨーロッパの歴史の関わりを、1812年と、1942年から1945年に掛けて行われた2つの戦争から眺め、お互いの持つ恐怖感を考察してみました。
そして今回は、現在進行形のロシアを読み解いてみようと思います。



バン
2006年11月3日、大和村恩勝(おんがち)にて撮影。

1980年代の終わり頃、当時ソ連の最高指導者であったミハイル・ゴルバチョフは、共産主義体制のまま経済発展を成し遂げようと、政府直営の法人を《協同組合》として独立・自主的な経営へと向かわせた。
基本的な精神としてはまことに結構な話だが、この協同組合は、ゴルバチョフに替わって権力を握ったボリス・エリツィンと結んでまたたく間に急成長を遂げた。
ソ連史の専門家の中には、この急成長とソ連の裏の社会で暗躍していた《ロシアン・マフィア》との関連を説くものもいる。
やがてソ連は崩壊し、その大部分の領土と国民と生産基盤を受け継いだロシアの時代となり、協同組合はエリツィン政権との結束を強めてさらに発展し、その経営の実権を握る限られた人々は《オリガルヒ(新興財閥)》と呼ばれるようになった。

エリツィンとオリガルヒの関係は、『水戸黄門』での悪家老と悪徳商人の関係を想起されたい。
「絵吏沈衛門さま、次の選挙では、この居湾屋の配下の新聞社では、反対候補の記事はできるだけ小さく扱います。その代わりと申してはなんですが、輸出関税を自由化していただきたく…」
「居湾屋、おぬしもワルよのぉ。おうそうじゃ、おぬしにも閣僚のポストをやろう」
そんなやりとりがあったかどうか。
事実、オリガルヒの主要メンバーは政府のポストを与えられ、またオリガルヒの息のかかった人物が《大統領補佐官》等のポストに就任した。
またオリガルヒの率いる企業グループは巨額の税金を滞納し、物価は天井知らずに高騰(オリガルヒの支配下にある企業は、銀行とエネルギー産業が主だった)し、軍人の給与は凍結され、年金は据え置かれ、国債が乱発され、ロシアは深刻な経済危機に陥った。

やがて絵吏沈衛門じゃなかったボリス・エリツィンは心臓の持病のために引退し、ウラジーミル・プーチンが登場する。
プーチンは、エリツィンの後継者としてオリガルヒの後ろ盾を得て大統領に就任したが、就任後は矢継ぎ早にオリガルヒの特権を剥奪し、滞納された税金を納めさせ、石油企業を国有化した。



ヤドリバエの仲間?
2006年11月12日、龍郷町幾里(いくさと)にて撮影。

通常、軍隊の強さというのは戦車やミサイルや戦闘機、あるいは軍艦の数によって計られるものと考えがちだ。
しかし、オリガルヒに経済を支配され、金融危機に陥ったロシアの軍隊は、ソ連が築き上げた装備をそのまま継承しながら、その実態はほぼ機能不全であっていたという。
戦車も軍艦も燃料がなければ動かず、銃弾一発にしても地面に只で生えているわけではない。
極端な話、電気代が払えなければ海軍だって維持できないのだ。
また、どんな最新兵器も『極限の状態で使用できる』軍人なしではプラモデルとさして変わらない。
'00年前後のロシア陸軍の演習の回数は、TVのドキュメンタリー番組によれば「ソ連時代の1/3以下」だったそうである。
また、空軍パイロットの飛行時間も世界でもトップの水準という自衛隊の1/6程度だったという(2003年のデータ)。
この状況を一変させたのがプーチンであった。
オリガルヒから取り立てた税金をロシア軍の強化に使い、国有化した石油企業から上がる利益を対外債務の返済と福祉政策に使った。

《ソ連の崩壊》は、《ソ連国民》からも喝采を持って迎えられたが、その後のロシアとしての国際的地位の凋落は、多くのロシア市民を失望させた。
いくらかバイアスが掛かった見方かもしれないが、もともとモスクワ近辺に生活する『ちょっと有力な民族』でしかなかったロシア民族は、ロシア帝国の拡張によって、ユーラシア大陸の大半でもっとも有力な民族になった。
16世紀にはじまったシベリア征服、18世紀から19世紀にかけての北西アジア(グルジア、カザフスタン等)の併合、19世紀後半の清国領土への南進政策は《強いロシア》として、当時の産業構造の転換から新たに誕生した《ロシア市民》から大歓迎された。
プーチンの施策は、《ソ連の崩壊》から《二流国の国民》意識に落ち込んでいたロシア国民に対して強力な刺激となった。
《強いロシア》を求める軍と国民からの支持を得て、二期目の大統領職をかけた選挙では70%以上の得票率で勝った。
《グルジア侵攻》当時のロシア発のニュース映像では、ロシア軍の前線司令官が「プーチンの政策のおかげでロシア軍は昔の強さを取り戻した」という主旨の発言をしている。
これは、ロシア軍全体というより、大半のロシア国民の偽らざる心境であろう。



芋虫・毛虫
2006年11月8日、奄美市おがみやま公園にて撮影。

2008年、大統領としての二期目の満了に伴い、プーチンは退任した。
その際に行われた大統領選挙では、腹心のメドベージェフを支持して勝たせ、自らは実質的な政策決定機関を率いる首相としてメドベージェフに《任命》された。
2000年にはじまった《プーチン体制》は、今も継続中である。
そして、《プーチン体制》を支える経済的基盤『石油』は、2008年半ばの天井知らずの相場に翳りが見えてきたとはいえ、今も100ドルを越える価格水準を維持している。
これは、プーチンが石油企業を国有化し、ロシア経済の立て直しを図った2000年当時の20~30ドルと比較して、非常な高価格といえる。
一部の予想では、年内に80ドル台まで下落するとも予想されているが、それでも産油国にとってはドル紙幣を印刷する輪転機が回りつづけているようなものだろう。
面倒かもしれないが、ここをクリックしてもらいたい。
グーグルマップの縮尺を少し下げると、右下の、カスピ海に突き出た小さな半島の根本にバクー(Baky)が見えてくる。
ここには、20世紀初頭、世界の石油の90%を産出し、その石油を狙ったヒトラーにロシア侵攻を決意させたバクー油田がある。



ショウリョウバッタ
2006年11月16日、奄美市おがみやま公園にて撮影。

このバクー油田は、現在のところグルジアほどではないが脱ロシア志向を持つアゼルバイジャン共和国の領土であり、ここで採掘された原油は、バクー・トビリシ・ジェイハンパイプライン(以下、BTCパイプラインと略)によって主としてヨーロッパに輸出される。
パイプラインの名にお気づきだろうか。
バクーは、もちろん油田のあるバクー。アゼルバイジャン共和国の首都でもある。
トビリシは、グルジアの首都。
ジェイハン(トルコ語で Ceyhan と書きます)は地中海に面するトルコ共和国の街。細かく言うと、アナトリア半島(小アジア)の根本付近にある港湾都市である。
ジェイハンでタンカーに積まれた原油は、イタリア、フランスへと送られる。
カスピ海とその沿岸には、まだ本格的な採掘がはじまって間もない油田が多く、非常に有望視されているのだが、如何せん、運搬が難しい。
BTCパイプラインは2005年に運用がはじまった、新しいパイプラインである。日本の商社も建設工事に参入していたらしい。
これ以上細かく書くと煩雑すぎるんでざっくり説明すると、中東北部の非イスラム系&ロシア嫌い3ヶ国が手を組んで、イスラムは嫌いだがロシアはもっと嫌いな欧州に石油を売って儲けを分け合おう、というのがBTCパイプラインなのだ。
当然、ロシアは気に入らない。
『グルジアもアゼルバイジャンも、元を糺せばウチの子分じゃねぇか。勝手な真似をしくさるんじゃねぇ!』というワケだ。
もちろん、ロシアもアゼルバイジャンの石油に興味がなかったわけではない。
既にアゼルバイジャンからカスピ海の岸伝いにダゲスタン共和国を通るパイプラインが敷設され、東欧諸国へ輸出されている。
しかしこのパイプラインでは、高値で売れるヨーロッパへ石油を送るためには黒海でタンカーに載せ、トルコの領土であるボスポラス海峡を通過しなくてはならない。
そのボスポラス海峡は、トルコの《環境政策》と《安全航行基準》のため、タンカーの通行が制限されているのだ。
要するに、海峡通過では一銭の儲けにもにもならないトルコと、その分け前が欲しいグルジア、ロシアに買い叩かれるのは嫌なアゼルバイジャンの3ヶ国が共同で設計図を書いたのがBTCパイプラインなのだ。
ちなみに、バクーからトルコへはアルメニア経由の方が近いのだが、地形が険しいのと、歴史的にトルコはアルメニアを仮想敵国のNo.1として考え、アゼルバイジャンとアルメニアは事実上の戦争状態が続いている('94年に『停戦』、'98年に『平和的解決』で合意したが、どちらも不満を押さえている。また、この戦争ではロシアはアルメニアを援助した)。



ショウリョウバッタ
2006年11月16日、奄美市おがみやま公園にて撮影。

「なんだ、結局ここも石油ですか」と言いたくなる話ではある。
しかし、こと石油が絡めば右も左も中も赤も白も青も《賭け金》を出そうとすることは、この100年の人類の悪習のひとつだ。
今回のグルジア・ロシア紛争も、グルジアの後ろにはアメリカが付いている。
停戦調停でフランスのサルコジ大統領が頻繁に登場するのは、BTCパイプラインの存続が掛かっているためだ。
脱ロシア志向が強いアゼルバイジャンをけん制するために、ロシアはアルメニアに武器を援助した。
かつての《冷戦》時代と比べれば、《賭け金》の額は減ったのだろうとは思う。
しかし、グルジア・ロシア紛争の事後処理がこじれる時期の間、ロシアのメドベージェフ大統領は「新冷戦も辞さない」と発言し、《断固たる決意》を示した。
リーマン・ブラザース破綻によって《新冷戦》は棚上げになっているようだが、これだけ火種が燻っていれば、いつ、どこから火の手が上がるか、誰にも予想はできないだろう。

1979年、ソ連軍はアフガニスタン(当時、共産主義のアフガニスタン人民民主党が政権を握っていた)に侵攻した。
これは、1988年のソ連軍撤退まで足掛け10年にわたって続く戦争のはじまりである、というだけではない。
ソ連軍とアフガニスタン反政府勢力の戦闘は、アメリカがCIAによって20億ドル以上を秘密援助する他、ムジャヒディーンを名乗るイスラム義勇兵がイスラム各国から参戦した。
最終的に数百億ドルに値する兵器と物資がアフガニスタンへ流入したのみならず、ムジャヒディーンはタリバンへと変貌し、その後の内戦、そしてアメリカ軍のアフガン侵攻へと戦火は絶え間なく続いている。

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11月のフツーの生き物たち 11.5

2008年10月03日 20時52分44秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 11もご覧ください。

お待たせしております《11月のフツーの生き物たち 12》ですが、それなりに着々と……ちゃくちゃく…ち…遅々としてですが、進んでおりま……。
いーさ、どーせ誰も待っちゃいないさ。

とりあえず、今回は番外編です。
画像は、今までに載せたムシの写真で、いろんな理由からボツになったもの。
たとえば、これなんかは、ピンぼけだからボツです。



さて、番外としてご紹介するのは、チェチェンから日本に来た留学生、オズダミール・ティムール君が作ったアニメーション作品《春になったら》。
とても可愛くて美しくて哀しい映像です。



くどくど申し上げる必要はないでしょう。
作品は、こちらをクリックして、とりあえずご覧ください。
9分間ほどの映像作品です。



以下に紹介文の一部を引用します。

===以下引用===
2004年 企画・製作:スタジオ「ハン・アーナ・ナフ」


 この作品は、第2次チェチェン戦争のおぞましい体験と痛烈な平和への願いを描いた、チェチェン難民の子どもたちの絵をスキャナーで取り込み、その画像データをパソコンソフト「フラッシュ」により動画化したものである。

 チェチェンの首都、グローズヌイは北コーカサス随一の、美しい町だった。そこには、ささやかだけど幸せな人びとの暮らしがあった。しかし、戦争が始まり、爆弾が降り注ぎ、恐ろしい殺し合いが始まった。身内の死に、人びとは悲しみ、戦火に追われて人びとは逃げまどう。地下壕に逃げ込んだ子どもは母親に聞く。「いつ戦争は、終わるの?」と。母親の答えは、「春になったら」。そこで子どもは、春になったら来るであろう平和な日々を夢見た。

 チェチェンでは人口の実に1/4にあたる25万人が殺され、ほぼ同数が難民化した。子どもの犠牲者は4万人、加えて大量の子どもが孤児や身障者になった。作者は16歳の少年、ティムール・オズダミール。こんな作品が出来上がったのは、その背後に、母である「子どもの物語にあらず」を作った、女性ジャーナリスト、ザーラ・イマーエワがいるからだ。ティムールはこの作品完成に先立ち、母と共に人権団体アムネスティ・インターナショナルの招きで講演ため来日し、その縁で、新潟の有志の招きで再来日、2004年以来、新潟で暮らし、CG制作を学んでいる。

(一部、句読点を変更しました)
===引用終り===



あえて蛇足的な説明を加えれば、チェチェンは、11月のフツーの生き物たち 10でも軽く触れさせていただきましたが、カスピ海の西に位置し、ロシアの南部連邦管区を構成する国のひとつです。



1994年から1996年にかけてロシア連邦からの独立を目指した『第一次チェチェン紛争』、1999年に勃発して、今なお停戦合意に至っていない『第二次チェチェン紛争』の戦場です。



現在では、『チェチェン独立派』は《テロリスト》と見なされており、世界中のどの国からも支援を受けられません。
しかし、この作品で描かれている武力と暴力は、《テロリスト》でも《解放運動の戦士》でもない一般の人々に対する暴力なのです。

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11月のフツーの生き物たち 11

2008年09月20日 17時43分16秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 10もご覧ください。

「フツーの生き物たち」、今回も昨年の11月にフツーに見掛けた生き物たちです。



ネコとトリ
2006年11月28日、笠利町屋仁(やに)にて撮影。

さて今回も、誰も頼んでないけど勝手にアヤシイ国際情勢解説です。

ヨーロッパの歴史を紐解くと、そこには2,500年も昔から《民族対立》というのが渦を巻いている。
ギリシャ文明が華やかなりし時代、ギリシャ人は地中海を庭として、海岸沿いに幾つもの都市国家を建設した。
現代においても、その時代から続いている都市が幾つもある。
南フランスのマルセイユ、南イタリアのブリンディシはその代表格といっていい。
ギリシャ人たちは都市を建設し、奥地の土着民(現代ではフランス人とかイタリア人と呼ばれている)と交易していた。
その後、地中海の覇者はローマ人に取って代わり、ギリシャ人と比べれば内陸志向が強かった彼らは、ヨーロッパの中央部に住む蛮族たち(現代ではフランス人とかドイツ人とかスペイン人とかベルギー人とかオランダ人と呼ばれている)を征服して、《年貢》を取り立てるようになった。
ローマの衰退後は、元・蛮族のフランス人やドイツ人、あるいはフン族(中央アジアの遊牧民説があるが未確定)、チンギス汗の孫・バトゥ汗率いるモンゴル軍などがヨーロッパの支配権を争った。



ネコとトリ
2006年11月28日、笠利町屋仁(やに)にて撮影。

よく誤解されるのだが、ヨーロッパではフランス革命まで《国民国家》あるいは《民族国家》という概念はほとんどなく、殊に中世から近世にかけては《国民》にとって《国王》とは、『収穫が終わると年貢を取って行く軍隊の親玉』程度の存在でしかない。
そもそも《国民》という言葉自体が、当の国民にとって理解の外にあったということは憶えておいて欲しい。
従って、ドイツの王がフランス人であっても《国民》は、せいぜいが「今度の王様はコトバが通じないのね」と思う程度であり、そもそも《国民》が《国王》と会話することなどありえない事態でもある。
《国王》にとっての《国民》も同様の存在で、その中間にいくらか土着的な《貴族》という存在があるが、いずれにしろ、奪う・奪われるの2極関係が《国》を形づくり、国同士の関係もその延長線上にあったと理解していい。
それでも民族としての言語と生活慣習の違い、そして2,000年間の戦争が徐々に《国》という領域を形成し、ヨーロッパにおける曖昧な《国境》が形成されていった。
そして、そのヨーロッパにもっとも遅れて参加したのがロシアである。



カエル
2006年11月16日、奄美市名瀬おがみ山公園にて撮影。

いみじくもアメリカのラムズフェルド国防長官に「古いヨーロッパ」と呼ばれたフランスとドイツは、このヨーロッパの陣取り合戦で常に中心的な役割を果たし続けていた。
今回のグルジア・ロシア紛争でも、もっとも精力的に動き回っているのがフランスのサルコジ大統領だ。
しかし、ここではさらに歴史のおさらいを続ける。
ロシアが本格的にヨーロッパの歴史に参加したのが、ナポレオンのモスクワ遠征である。
もちろん、それ以前にも隣国のポーランドやフィンランドとの領土紛争や、北ヨーロッパの覇権を確立したがったスウェーデンやデンマークとの絡みで登場したことはある。王族や貴族同士の通婚もあった。
しかしながら、《全ヨーロッパの覇権・支配》を争う戦争にロシアを巻き込んだのは、ナポレオンがはじめてであった。
1812年にナポレオンはロシア征服を目指して、支配下のポーランド、イタリア、ドイツからも兵力を集めて開始した戦争は、1812年の戦役と呼ばれる。
戦争の推移は、煩雑になるので割愛するが、フランスを盟主とした連合軍は約50万の死者を出し、ロシア軍は約45万が戦没したとされる。
それ以上に大きかったのが、戦闘に巻き込まれたり、あるいは内通を疑われて犠牲となったロシアの一般人である。
歴史家は、ナポレオンの侵攻から撤退までの6ヶ月間に『数百万が犠牲となった』と推断している。



ジョロウグモ
2006年11月5日、奄美市名瀬おがみ山公園にて撮影。

130年後、アドルフ・ヒトラーに率いられたドイツ第3帝国も、ナポレオンのフランス帝国と同じ運命を辿る。
こちらも詳細については割愛し、戦死者と犠牲者の数だけを統計的に列記するだけに留める。
ドイツ側戦死者・約400万、ソ連(ロシアとは呼べないので)軍戦死者および一般人の犠牲者・約1500万(2000万、あるいは2700万という説もある)。
この2つの戦争の経験(ならびに各戦争後のプロパガンダ)が、ロシア(ソ連)国民の《ヨーロッパ恐怖症》を生み出した。
* 対独戦時代のソ連の法により、ドイツ軍に食糧を強奪された農民に対して『敵への協力』の名目で銃殺などの刑罰が科されたとの説があり、相当数の犠牲者が出たとされている。
もちろんソ連の公式記録では、こうした非戦闘員の《犠牲者》は、全員が『ドイツ軍と勇敢に戦った末に殺された勇気ある農民たち』である。
また、ドイツ軍の侵攻当初からパルチザンと呼ばれた共産主義ゲリラ部隊の存在も忘れてはならない。
パルチザンの兵力は約6万と多くはなかったが、ドイツ軍はこの軍服を着ない部隊にかなり悩まされた様子で、ゲリラと疑われた一般市民が相当数、犠牲になったものとされている。
また、ドイツ軍侵攻地域に在住のユダヤ人50万人前後が犠牲になったともいう。
《ヨーロッパ恐怖症》の産物が、東西ドイツの分裂であり、東ヨーロッパのソ連衛星諸国(ポーランド、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー等の共産主義国家)であり、冷戦である。



マルハナバチの仲間
2006年11月5日、宇検村宇検(うけん)にて撮影。

その一方、第2次大戦の以前から、ヨーロッパの各国はソ連が主導する共産主義の浸透に脅えていた。
いささか極端な例だが、1930年代にドイツでのナチスの台頭に対して『共産主義よりはマシだろう』と容認する姿勢を見せていた政治指導者が各国にいたことは事実である。
これが冷戦の時代となり、お互いの情報が制限されるようになると、お互いの疑心暗鬼は加速度的に増大して行くことになる。
 1945年から1989年まで続いた冷戦の時代には、《鏡の論理》と呼ばれる独特な思考法が主要国の間で用いられた。
これは、「自分がやっていることは相手もやっているだろう」というものであり、それが一部タカ派により「相手はもっと大規模でやっているに違いない」と主張されることになる。
すなわち、《国外への出兵》を、たとえ仮定であっても計画すれば、「相手は先制攻撃を計画しているはずだ」、「明日にも攻めてくるかもしれない」ということになる。
この時代の米ソとヨーロッパを考える際、こうした《憶測による恐怖の増幅》を忘れてはならない。
1989年に始まる《社会主義圏の崩壊》は冷戦を終結させ、ヨーロッパはその長い歴史において稀な平和を手にしたかに見えた。
しかし、冷戦という重圧からの解放は《民族主義の台頭》という副産物を生み出した。
また、ロシアはソ連の負の遺産とも言うべき数千発の核弾頭を今も保有している。
これらの不安定要素を背景に、アメリカはNATOとしての《ミサイル防衛構想》を推進している。
この《ミサイル防衛》の一翼を新たに担う国としてポーランドがアメリカとの基本合意に達したのが8月14日。
時系列的にはロシアによるグルジア侵攻よりも後のことになるが、4月には政治的合意には達していたということである。
もちろん、この時点でロシアは強い嫌悪感を示している。

前回の続きということで「ちょっと歴史のおさらい」と思ったら、予定以上に長くなりましたな。
次回も、このメンド臭い話が続く予定です。

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11月のフツーの生き物たち 10

2008年08月29日 01時45分41秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 9もご覧ください。

「フツーの生き物たち」、今回も昨年の11月にフツーに見掛けた生き物たちです。



リュウキュウズアカアオバト
2006年11月26日、奄美市名瀬おがみ山公園にて撮影。

いちおう、この『フツーの生き物たち』と『旅案内』を、「定番」と呼んでるんですが、昨秋からどうも滞りがちで、写真はセレクトして準備できてるんですが、文章のほうが追いつかない。
そこで前回は時事ネタを取り上げてみたんですが、別段どこからも苦情は無いようで、つーか、誰もそんなこと気にしちゃいないんだろうと。
それに味をしめて、今回も時事ネタです。
たぶん、大ネタになると思う。
1回で終わるかな?
お題は、『21世紀の火薬庫はロシア周縁部』。
読む気なくした? それならそれでよし。



リュウキュウズアカアオバト
2006年11月26日、奄美市名瀬おがみ山公園にて撮影。

2008年8月8日午後8時8分(中華人民共和国時間)に賑々しく開幕した北京オリンピックの影で、グルジア軍が同国の南オセチア自治州に軍事侵攻しロシア軍と衝突した、というニュースが埋め草みたいに報じられた。
グルジア、と言われて「ああ、あそこね」と頷ける人はそう多くはないだろう。
面倒かもしれないが、ここをクリックしてもらいたい。
右の青いのはカスピ海、左は黒海である。
北隣はロシア、南西はトルコ共和国、真南にアルメニア共和国、南東に接するのがアゼルバイジャンで、この2ヶ国の南はイランという位置関係である。
なお、北隣はロシアと簡単に紹介したが、実際は8つの共和国(事実上ロシアの属国)と5つの自治体が南部連邦管区という地域を構成している。
この8+5の自治体のうち、有名なチェチェン共和国ではロシアからの独立を求めて内戦状態が続いている他、ダゲスタン共和国でも独立派がテロ活動を行い、イングーシ共和国では独立派とロシア帰属派で内戦状態が発生(現在は燻っている)し、それに北オセチア共和国が巻き込まれて・・・という図に書いて説明してもなんだか判らない、判った気になるほど疑問が増えていきそうな地域である。



チャバネセセリ
2006年11月5日、宇検村宇検にて撮影。

20世紀の中頃から終わり近くまで、紛争とはイデオロギーの対立であった。
資本主義と社会主義の2大イデオロギーが対立し、そのどちらかに仲間に入れてもらわないと、誠治や経済の主張は何もできなかった。
現代の紛争は、民族対立と宗教対立である。
グルジアは紀元前にローマ帝国の支配下に入り、南隣のアルメニア共和国と共にキリスト教徒が絶対的多数を占める。
一方の南部連邦管区の13の自治体は、第2次大戦前後にスターリンによって生え抜きの住民たちが多くシベリアやカザフスタンに強制移住させられ、その後釜にロシア人が移り住んだ(時代はかなり前のことになるが、文豪トルストイもこの地方への移住を考えていたという)。
のちに移住させられた者やその子供らは故地への帰還を許されるが、土地は移住してきたロシア人のものとなり、帰還した者たちは山間地に住むことになった。
このため、この地方の民族別分布図を作ると、壮絶なまだら模様になる。
宗教は、ロシア系以外はイスラム教(古いスーフィズムが主だったが、近年はスンニ派が台頭)を信仰している者が多い。
民族は、国や自治体と同じ(13自治体とロシア)かそれよりも多い程度の数であり、生活基盤はあくまでも村の単位である。



マダラコオロギ
2006年11月2日、奄美市名瀬おがみ山公園にて撮影。

八百万(やおよろず)の神々と仏教が同居しているうえにクリスマスに浮かれ騒ぎ、なおかつ無宗教を標榜する多くの日本人にとっては、なんで宗教が違うくらいで戦争になるのかマッタク・チットモ・カンペキに理解できないのが標準なのだが、新旧の違いこそあれキリスト教に全身が浸かった状態の西欧とアメリカの一部の人にとっては、グルジアというのはイスラムの海に浮かんだキリスト教の孤島のようなものらしい。
東欧の崩壊とそれに続くソ連の瓦解を受けて、NATO(北大西洋条約機構)の拡大というのが欧州を巡る時事用語のトレンドになったことがある。
いちおう、2009年にアルバニアとクロアチアが加盟する決定が出て、永世中立国のスイスとオーストリア以外は中立宣言国のアイルランドと、旧ユーゴスラヴィアの大部分を除いてヨーロッパの全てが加盟しているが、どこから見ても『北大西洋』とは無縁そうな国も加盟を望んでいる。



ミノムシ
2006年11月2日、奄美市名瀬おがみ山公園にて撮影。

このグルジアが、その加盟立候補国のひとつである。
NATOの設立に当たって初代事務総長イスメイ(イギリスの元外相?)が言ったのが「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む」という公式発言。
グルジアが加盟すれば、ほぼ完全な《ロシア包囲網》が完成する。
当然、ロシアが黙っているはずもない。
グルジアにしてみれば、南にイラン・イラク、北にロシアというライオンと熊に挟まれた状況でもあり、《遠交近攻策》は孫子の兵法を読まなくても当然の選択と言うだろう。
このNATO加盟立候補も今回の軍事衝突の伏線になっている。

そのうちつづく


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11月のフツーの生き物たち 9

2008年06月22日 23時01分37秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 8もご覧ください。

「フツーの生き物たち」、今回も昨年の11月にフツーに見掛けた生き物たちです。



ルリシジミ
上 2006年11月16日、奄美市名瀬おがみ山公園にて撮影。

暑い日が続いております奄美大島です。
と、一昨年の11月に撮った写真にこんな文章を付けてよいものかどうか。
まぁいいさ。どうせ季節感なんてこのBLOGのどこにもないんだし。
と、半ば自暴自棄であります。




トノサマバッタ
2006年11月3日、大和村津名久(つなぐ)にて撮影。

季節感がないかわりに時事ネタでも取り上げましょうか。
今年の5月30日にアイルランドのダブリンで開かれた《クラスター弾に関する外交会議》にて、『クラスター弾に関する条約』が採択され、日本政府も条約に同意しました。
正式な調印は、今年の12月になる予定だそうです。
もしオレが学校で習ったことを正しく記憶しているなら、この条約は次の通常国会で批准されることで日本国内でも効力を持つことになります。



アカホシカメムシ
2006年11月28日、奄美市名瀬おがみ山公園にて撮影。

クラスター弾というのは、通常の爆弾並みのサイズを持ったケース(外箱、という方が判りやすいかな?)に小型の(20kg未満)爆弾を(10個以上)収め、航空機から投下したり、大砲で発射するなどしてケースを空中で破裂させ、広い範囲に小型爆弾をバラ撒くものです。
使いみちとしては、まぁ、普通の爆弾と一緒です。
ただし、建物や防御を固めた陣地には使われません。
標的は、走行車輌(いわゆる戦車)と、なにより人。
軍事用語で言うソフト・ターゲットに対して使用されます。
そんなクラスター弾を、ナニユエ条約を作ってまで規制するのか。



軍鶏(しゃも)
2006年11月3日、龍郷町阿木名(あぎな)にて撮影。

それは、不発弾の問題です。
クラスター弾からバラ撒かれる子爆弾が不発弾になる率は5%から40%といわれます。
その子爆弾には、落下速度や落下の方向をを調節するために羽根やパラシュートが付けられています。
戦争の終了後、一般人(とくに子供)が不発弾となった子爆弾を触って爆発する事故が多発します。
『クラスター弾に関する条約』は、こうした不発弾による事故が起きにくい爆弾を使いましょう、という条約なのです。
海に囲まれ、防衛範囲が広くなる日本では、クラスター弾を必要な兵器として自衛隊は考えているようです。
今回の『クラスター弾に関する条約』では、日本の外務省は規制範囲を小さくしようと働きかけましたが、その努力はあまり報われなかった模様です。

海に囲まれた小さな島で暮らしていると、こんなニュースを真剣に考えてしまうのです。

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11月のフツーの生き物たち 8

2008年04月03日 20時01分30秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 7もご覧ください。

「フツーの生き物たち」、今回も一昨年の11月にフツーに見掛けた生き物たちです。




カニ
上 2006年11月5日、宇検村宇検にて撮影。
失職しました。
詳しい顛末は、まだお話できません。
時間が、全ての事実を『ネタ』にしてくれるまで、なにも書くことはできません。



アオタテハモドキ
2006年11月3日、奄美市名瀬有良(あった)にて撮影。
とりあえず生きていかなくてはなりません。
「霞を喰って生きてる」なんて評されることもあるオレですが、そりゃいくらなんでも無理ってモンです。
フツーに御飯たべて生きてます。
ただ、間の悪いことに風邪なんかひいてしまって、行動にかなり制限を感じてます。



バリケン
2006年11月3日、大和村津名久(つなぐ)にて撮影。
一昨日の38度をピークに、熱は下がったのですが、しつこい痰と軽い頭痛に悩まされてます。
とにかく、この状態を脱して、再生・再起のためにまた歩き出します。



オオジョロウグモ
2006年11月5日、大和村志戸勘(しどかん)にて撮影。
今は、とにかく『デキの悪い短編小説の最後らへん(遠州弁)』にいる気分ですが、デキは悪くても長編にしないと。
だいたい、元アマチュア舞台演出家としては、あまりデキの悪いのは願い下げです。
誰か知らねぇけど、あんまり下らねぇ台本書くと、オレのほうで勝手に演出するからな。
元アマチュアだっつって舐めんじゃねけぞ、そこらのプロよかウデは上なんだ、こちとら。
馬鹿野郎、このままじゃ終わらせねぇぞ。

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11月のフツーの生き物たち 7

2008年03月07日 19時36分56秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 6もご覧ください。

「フツーの生き物たち」、今回も昨年の11月にフツーに見掛けた生き物たちです。




アオサギ
上、下 2006年11月3日、大和村恩勝(おんがち)にて撮影。

なんだかずいぶんとお久しぶりになってしまいました。
イエね、何度か編集ページは開いてたんですが、いざキーボードに向かうとなんか愚痴しか出て来ない感じで。



リュウキュウミスジ
2006年11月3日、奄美市名瀬有良(あった)にて撮影。

まぁ、それも一段落です。
本日、転職しました。
一日目が終わって、帰宅して一時間ほど経過したところです。



ヤギ
2006年11月17日、龍郷町安木屋場(あんきゃば)にて撮影。

いちおう、まだ具体的な職場名は伏せさせていただきますが、
給与だの待遇だの以前に『オレ、それやりたい。やらして』と言える仕事に就く事ができたようです。



ニホンミツバチ
2006年11月3日、大和村今里(いまざと)にて撮影。

もちろん、華々しい部分なんかはほんの一時でしょうが、地道にやっていけば、
必ずイイコトに出会えるだろうと、今は希望だけはたっぷり持っています。
今さら隠すこともないんで正直にバラしちゃいますが、あと2週間で45歳です。
四捨五入すれば50です。
これがラストチャンスでしょう。
このチャンスに巡り会えたこと、
快く(コイツ才能ないな、という見極めもあったみたい)送り出してくれた前の職場の方々にも感謝の気持ちを忘れませんように。

気分良く仕事が出来れば、BLOGの更新頻度も上がる


かどうかは判りません

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11月のフツーの生き物たち 6

2008年01月16日 23時30分33秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 5もご覧ください。

「フツーの生き物たち」、今回も11月にフツーに見掛けた生き物たちです。



ツマグロヒョウモンのオス?
2006年11月3日、大和村恩勝(おんがち)にて撮影。

お久しぶりでゴザイマス。
前回の投稿からちょうど2ヶ月。
9月が3回、10月が2回、11月は1回で、12月はゼロという見本のようなフェードアウトで、
年が明けてからは「さて、どのツラ下げて戻ろうか」と考えていたらさらに遅くなっての再登場です。
もちろん、あれこれ選べるようなツラじゃなし、知らん顔してレギュラー企画シリーズで戻ることにいたしました。
心配なのは、8月頃には「このままテキトーに『フツーの生き物』をやってくと、ちょうど12月ころに現実の世界とクロスするんだよ、オレってアタマいいだろ」なんて言ってたことを憶えている人がいたらイヤだな、と。



ウンカ・ヨコバイの仲間
2006年11月3日、奄美市名瀬芦花部(あしけぶ)にて撮影。

いちおう、近況を報告しておきますか。
10月の初め頃から、とある販売業の仕事に就きまして、
「さぁ、これで一安心。心機一転ガンバルゾ」
とかガラにもなく思ってたんですが、これがまぁ、人間関係のたいへんな職場で、軽いノイローゼ状態に陥り、
『ナニモカモやる気ナシ』←オレ→『いつか来る明日のために、とりあえず頑張ろう』
のシーソーが毎月毎週毎日毎時毎分毎秒続いています。



スジボソサンカククチバ
2006年11月5日、奄美市おがみ山公園にて撮影。

↑文章、ヘンでしょ?
毎回、たいしたことは書いてませんが、いつも文章だけは気を使ってるつもりなんです。
でも、今は推敲してちゃんとした文章にする気力も出ません。
しゃあないか、とりあえずアップしとけ、って感じです。



ウマ
2006年11月3日、龍郷町秋名(あぎな)にて撮影。

あいかわらず内職は続けてます。
今日は休みだったので、1,500円ほどの稼ぎです。
明日は仕事。
一日ずつ生き延びて。
しばらくはそれだけです。

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11月のフツーの生き物たち 5

2007年08月17日 23時33分53秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 4もご覧ください。

「フツーの生き物たち」、今回も11月にフツーに見掛けた生き物たちです。




ヒメアカタテハ
上 2006年11月5日、下 2006年11月5日、大和村今里(やまとそんいまざと)にて撮影。

まことにお久しぶりの《フツーの生き物たち》でゴザイマス。
今回はねぇ、ラストの一枚(まだ見るなよ、オレの話は最後まで読めよ。長い話じゃないんだから)のおかげで、難産でしたよ、ホント。
『5』を「永久欠番」扱いにして、いきなり『6』に跳んでやろうかと思ったくらいです。



オタマジャクシ
2006年11月3日、奄美市名瀬根瀬部(ねせぶ)にて撮影。

いつもの通りネットで昆虫の種類調べをしまして、すぐに判るのもいれば、なかなか判らないのもいて。
ついつい関係ないリンクまでクリックして、「へー」とか「ふーん」とか「ほほう…」とか「*な×ん■だ◎と◆!」とか。



キンモンノメイガ
2006年11月5日、奄美市名瀬知名瀬(ちなせ)にて撮影。

そんな最中に、なぜか、コーコー時代の後輩が「オールナイトニッポン」のDJ(え? パーソナリティーっちゅうの、近頃?)になってたのを発見したりして。
余談ですが、オレの高校の後輩で、たぶんいちばん有名なのは元日本代表のひとりなんですけど、歳が10近く違いますから、もちろん一面識もありません。
余談ついでに有名な先輩といえばこの人で、面識あるんだけど、憶えちゃいないよな、向こうは。
ところがこのラジオでしゃべる人(判り易いのがイチバンだよね)の方は、クラブ活動で一年後輩で、年間250日弱(×2だから、生涯でざっと500日か、スゲエな・・・)も顔を会わせていたんですね。
ついでだから写真がないかと探してみたら・・・、ありました。
こいつです。芸名は『バカボン鬼塚』。ルックスは、16ん時から変化なし。
『青春は小学生時代で終わった』とか言い放ってるそうですが。



サツマゴキブリ
2006年11月12日、龍郷町幾里(いくさと)にて撮影。

そういう話から↑の画像へ持ってくる、というのは、たぶん世界で5人くらいが「さすがに芸が細かい」と感心してくれる筈です。

えーと、すみません。ここでお詫びと訂正です。
最初、コイツをマルゴキブリだと思い込んで公開してたんですが、その後、調査を続行した結果、サツマゴキブリと判明しました。
お詫びして訂正します。

ちなみにマルゴキブリはけっこう希少な昆虫らしくて、ネット上では
¥5,000くらいで取引されてるみたいです。
勘違いしていたオレは、
「生け捕りにして、繁殖させて、ちょっとずつ小出しにネットオークションに出して・・・」と計算しながらその夜は寝たんですが・・・。

世の中そんなに甘くない。
サツマゴキブリは・・・価格なし。たんなる不快害虫。

一晩だけゴキブリ長者を夢見たオレでした。

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11月のフツーの生き物たち 4

2007年06月19日 11時18分23秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 3もご覧ください。

あいかわらずのビンボー暮らしですが、バイトも繁忙期ということになって、暫らくは不定期休み、ザンギョーあたりまえ、の日々が続きます。
今日は8連チャン後のヒサビサのお休みで、午後から加計呂麻に行ってきます。
現地で一泊になるか、日帰りになるか、とりあえず行ってからビックリしてみようってことで。
テント、持っていこうかどうしようか?
ホントは早めに出かけて一年ぶり(!)の加計呂麻をあちこち回りたいのですが、さすがに8連チャンの後ではあれこれ用事も溜まっているので、午後からの出発になりそうです。って、もう11時やん、朝めしもまだなのに。

そんな前フリとはまったく無関係に、「フツーの生き物たち」、今回も11月にフツーに見掛けた生き物たちです。




アマミシリケンイモリ
上 2006年11月12日、下 2006年11月12日、瀬戸内町嘉徳(かとく)にて撮影。
シリケンイモリってのは、グローバルに見れば希少種なんですけど、奄美大島ローカル的には、ポイントさえ知ってればすぐに見つかるヤツでゴザイマス。
だから「フツーの生き物」として、堂々とオレなんかが写真を載せられるんですわ。
とはいえ、さはさりながらぎっちょんちょん。<意味不明
「嘉徳にて撮影」ってのを鵜呑みにしても、そうカンタンには見つからないよーっ、と。
間違いなく「嘉徳にて撮影」してんだけどね。



ヒラタアブの仲間
2006年11月5日、宇検村宇検(うけん)にて撮影。
この黄色の花はなんていう花なんだろ?
季節を問わず道端に咲いています。真冬でも。
なので冬に「えー、なんか生き物を・・・」とバイクを停めて見てみるんですが、さすがにチョウやアブが見つかるのは11月までですね。




アサギマダラ
上 2006年11月3日、大和村津名久(つなぐ)にて撮影。
下 2006年11月12日、奄美市名瀬有良(あった)にて撮影。
この冬こそはアサギマダラの集団越冬現場を見つけようと思っていたのですが、やはり天気と寒さと怠け心と二日酔いとガソリン代の高さとそれらに続く二十七個の理由には勝てず、春を迎えました。

次回も11月の生き物たちです。

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11月のフツーの生き物たち 3

2007年06月04日 01時10分15秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 2もご覧ください。

久しぶりのレギュラー企画の更新です。
どれくらい久しぶりになるかは、考えぬ方が世のため身のため。
そんな久しぶりの更新でも、「フツーの生き物たち」は、今回も11月にフツーに見掛けた生き物たちです。


アマミキボシカミキリ
2005年11月24日、奄美市住用町市(いち)にて撮影。


ネット上に公開された図鑑では、アマミではじまるカミキリは32種類。
32種類ですよ、奥さん。
凄い数字だと思いませんか?
オレが目撃し、撮影したのはそのうちひとつだけです。つまりコイツだけ。
2種類目はいつになるのか?



モンキチョウ
2006年11月5日、宇検村宇検(うけん)にて撮影。
黄色いチョウチョは、5月から10月に掛けてしょっちゅう見るんですが、なかなか写真に撮れません。
今回は、別なチョウチョを追い掛けていたら、上手いこと撮れました。
そんなもんですな。


シロモンノメイガ
2006年11月5日、奄美市名瀬根瀬部(ねせぶ)にて撮影。

けっこう好きなガですね。
ちっちゃいヤツなんで見落としがちなんですけど。
水玉模様がキュートです。

水玉で思い出した。
ガッコー時代、一年上にみずたさんていう、とってもキレイな女性がいましてね。
オレの、ちょっとだけ美化された記憶では、えびちゃんとかもえちゃんとか、どっか行けってくらいにキレイな先輩だったんですけど。
お名前がまきさんだったんですが、トーゼンながらオレの周りの人格崩壊者たちはそんなふうには呼びません。

なんでガを見てそんなことを思い出すのか、先輩が知ったら、たぶん怒ると思うんですけど。

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11月のフツーの生き物たち 2

2007年04月03日 19時17分22秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、11月のフツーの生き物たち 1もご覧ください。

おや、もう四月ですか。甲音如矢(こういんやのごとし って、字が違ったっけ?)ですなぁ。
あまり気にせず、今回も11月に見かけたフツーの生き物です。

それぞれのイキモノについての知識が皆無だっちゅうのは、《奄美のフツーの生き物たち》をいくつか拾い読みしてもらえればジューブンお判りいただけることとおもいますが、今のところとくに苦情もないようなので、たぶんこれでいいんでしょう。


アフリカマイマイ
上、下 2006年11月3日、大和村恩勝(おんがち)にて撮影。

てか、そんなこと、誰も期待してないんでしょう、おそらく。
じゃ、ナニを期待されてるのか、オレ。


アオカナヘビ
2006年11月24日、奄美市笠利町佐仁(さに)にて撮影。

あまり考えると暗い方向へ行きそうなので、うやむやにしといた方がいいか。
そういえば、こないだ、BlogPeopleでどれくらいにランクされてるのか、「ご当地ブログ:鹿児島」というジャンルで見てみた。
91位(07/04/01現在)なんだそうだ。
別になん位でも構うこたないんだけど、同じ奄美市の名瀬あたりから参加してるブログがすんげー上位に入っているのでちょっと眺めてみた。


ツマムラサキマダラ
2006年11月3日、大和村津名久(つなぐ)にて撮影。

なんなんでしょうねぇ・・・。
エラいなぁとか、スゴいなぁ、とかいう以前に、カラダ大丈夫ですか? とか。
余計なお世話か。
というわけで、今後もテキトーにやろうと晩飯のサンマのアタマに誓うオレであったのだった。

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11月のフツーの生き物たち 1

2007年03月27日 22時33分47秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、10月のフツーの生き物たち 14もご覧ください。

およそ一ヶ月ぶりの「フツーの生き物たち」は、今回から11月にフツーに見掛けた生き物たちです。
フツーに見掛けるとはいっても、タショーは探します。
その探し方がビミョーに向上したのか、10月と11月はヒジョーに多くの生き物の撮影に成功しました(←あくまで当社比)。
そんなワケで、今回から2ヶ月弱、秋の南の島の生き物たちを12回くらいに分けてお届けします。<つまり、終わる頃には春が来るってぇ段取りさ。


キノボリトカゲ
上 2006年11月3日、中 2006年11月3日、下 2006年11月26日、奄美市おがみ山公園にて撮影。
やっぱ変温動物なんですね、11月ともなると、日当たりのいいところでよく見かけるようになります。
11月26日を最後に見掛けなくなりました。
飼育下にあるものでも冬場は2ヶ月くらい絶食するということなんで、どこか森の奥深くでじっと春が来るのを待っているんでしょう。



カバマダラ
2006年11月3日、大和村恩勝(おんがち)にて撮影。
ツマグロヒョウモンだと思って撮ってたら、なんと、カバマダラでした。

ところで、ここ恩勝にある《奄美野生生物保護センター》って一般人の見学もできるのかしら?
Iターン4年目で、未だにそーゆーことはよく判らないオレです。
笑いモンだよな。
調べたら、見学可能でした。ふうん。あんまり機会も無さそうだな。



マルバネフタオ
2006年11月3日、大和村津名久(つなぐ)にて撮影。
なんか、変な形の落ち葉にしか見えませんけど、れっきとした蛾です。
なんて言ってるオレも、すすーっと足元に下りてきた姿を見ていながら
「ホントにこいつ、生きてるんか?」と手近な枯れ枝で突いてしまいました。
もちろん生きていて、いずこへともなく飛んでいってしまいました。
先に写真を撮っておいてホントによかった。

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