南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

2013年8月24日の加計呂麻島

2019年08月25日 22時49分20秒 | 南方単車旅案内
最初にお詫び。
今日が8月25日だというのは、アタマでは判っていたはずですが、なぜか写真は24日のものを選んでしまいました。
すっかり準備が整ったところで「今日は8月25日じゃん!」ってなったわけです。
仕方がないんでこのまま行きます。
どうか、ご寛恕下さいますよう。
下の写真も、クリック/タップすると大きな画像で見られます。



前日から、加計呂麻キャンプツーリングに来ていました。
朝は早起きして釣りをした筈ですが、釣果の写真が残っていないところを見ると、あまり褒められた結果ではなかったようです。
前日の残りモノで朝食を済ませて、さぁて今日はナニをしようかと考えていたら、電線にとまったツバメを発見。
いそいで望遠レンズを取り出してぱちり。



この時のツーリングは、加計呂麻じゅうを行ったり来たりしてバイク動画を撮影していました。
いきおい、バイクを停めてじっくりカメラを構える暇もなく、キャンプ地であった実久を出たあとは、トップ写真の嘉入(かにゅう)《ウティリミズヌ滝》で、その次がこの徳浜《男はつらいよ・ロケ地案内板》の前です。



加計呂麻島西南端の徳浜集落にいたる道路脇、ちょっとした空き地が《クジラが見える丘》展望所。
毎年冬から春にかけて、冬を越すために南下するクジラがここから見えるそうです。
もちろん、8月はいくら頑張ってもクジラは見られませんが、しばし沖の方に目をやって「海は広いな大きいな」とか呟きます。
島内のダイビング業者の多くが、クジラの季節になると《ホエール・ウォッチング・ツアー》を行っていますので、興味のある方はぜひどうぞ。
帰り道に撮った写真なので、旅行案内としては順番がオカシイですね。


撮影場所:加計呂麻島
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加計呂麻 半日ツーリング

2019年07月22日 23時30分40秒 | 南方単車旅案内
7月13日に梅雨明けが発表されて10日目です。
台風5号などという余計者が闖入したりなどして、なかなか夏らしいことができなかったのですが、今日になってようやく加計呂麻へと半日ツーリングができました。
いやぁ、暑かった!
ツーリング記録のためにバイクに付けたアクションカメラのバッテリーが切れてしまったので、まだ陽が高いうちに切り上げたのですが、帰宅して一息ついたらざざっと雨が降ってきました。
ひと休みして久しぶりの夕焼け見物と目論んでいたのですが、雨の直撃を受けなかったことでじゅうぶんとすべきでしょう。
下の写真も、クリック/タップすると大きな画像で見られます。




実久ビーチ。
そういや夏の海って、眺めるもんじゃなくて泳いだりして楽しむもんだったよな、と反省しました。



瀬相の《たづき》でハヤシライスを食べ、食後のコーヒーでも、と思って西阿室に新しくできたカフェ《モッカ》に来たのですが、開店2日目ということで店の外から見ても満員御礼。
暑さにバテ気味のオッサンにはちと敷居が高く思えたので、白くまアイスを買ってしみじみと味わいました。



西阿室から花富(けどぅみ)へと抜ける林道(全舗装)には、タカテルポイントという人気の撮影ポイントがあるのですが、そこからちょっと離れた見晴らしのいい場所がオレのお気に入りです。
ちょっと見ると日本じゃないみたいですね。



撮影場所:加計呂麻島
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本茶峠散歩 最終回

2009年04月12日 00時57分31秒 | 南方単車旅案内
本茶峠散歩 八よりつづく。

本茶峠をゆっくりと通過する短い旅も、今回が最終回となる。
既に峠道は下り終え、龍郷町側の大勝集落に辿り着いている。
集落の中を通り抜け、大勝小学校の前を通過すると、国道58号線に出るのだが、途中の路傍にある物が通過者の目を惹いた。



額には端正な文字で《厳島神社》とある。
鳥居の脇に単車を停め、小さく一礼してから参道へと歩を進めてみた。



途中、道が二股に分かれる。
荒れた道の方を選んでみよう。



地面を掘り刻んだようにして造られた段は、むしろそのままの斜面よりも歩き辛く思えるのだが、神の住まう宮への道ならば、むしろそれは当然のことかもしれない。
木々の切れた所からは大勝集落が至近距離で見通せる。
飼い犬の鳴き声や集落内を通過する車の音もよく聞こえる。



すぐに参道は大きく曲がり、最後の登りに掛かる。
かなり急な登りで、夕方近い時刻ながら、かなりの汗をかくことになった。



色褪せて飾りもない二の鳥居だが、なんとなく孤独な老人の持つ一種独特な威厳を感じさせる。
鳥居の手前で軽く一礼し、拝殿の前で小さく拍手(かしわで)を打ってさらに一礼。
しかし、まだ先があるようだ。



美しい木陰の道を辿って奥へと歩む。



行き止まりの奥に見えてきたのは、簡易水道の上水施設。
集落の命を支える泉と、その水源である山が、この厳島神社の本当のご神体であったわけだ。



二の鳥居の外に出て、大勝集落を見下ろす。
中央奥にビックⅡと、その奥に名瀬自動車学校が見える。



こちらは、大勝集落を挟んで厳島神社の反対側にある山の中腹からの風景。
奄美大島では数少ない内陸の集落である大勝集落には、海神(わだつみ)を祀る厳島神社が勧請され、そこは山の恵みである湧き水を祭る神社であった。

この項 おわり


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本茶峠散歩 八

2009年04月06日 00時44分15秒 | 南方単車旅案内
本茶峠散歩 七よりつづく。

本茶峠の龍郷町側を下っている。





10月半ば(7枚目までの写真は'06年10月15日撮影)の路傍には秋の花が咲く。



緑の勢いはまだ旺盛だが、路面には落ち葉が積み重なる。



山肌の緑の中にも、水彩絵の具を落としたような暗紅色がコントラストを見せる。



リュウキュウマツの大木にシラタマカズラが絡み付く。
白い珠状のものは実。秋から冬にこの白い実が実る。



イイギリの実が赤く色付いている。
この赤い実は、真冬頃まで見ることができる。





山肌を流れ落ちる小さな滝とすこし大きめの滝。
夏場は、この流れを見て涼を取るのが、この峠道での楽しみのひとつ。



今は朽ちた旧道は、この滝の近くを通っていたことだろう。
奄美にて幾つもの傑作を残した田中一村も、この滝で涼を取ったのかもしれない。



この40mほど続くヒカンザクラの並木道、奄美の花見の最人気のポイントである。
しかし、花の季節を過ぎれば、もはや人影はない。





坂を下りきれば、大勝(おおがち)集落。
人気のある黒糖焼酎『長雲』は、この大勝集落で製造されている。
最後に余談だが、実際の長雲峠は、ここからすこし離れた所にあるのだが、長雲という固有名詞自体が島唄のひと節であることなど、龍郷町を象徴するキーワードである。
黒糖焼酎『長雲』という命名は、『龍郷を代表する酒』というプライドからのものであろう。

つづく


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本茶峠散歩 七

2008年11月30日 11時17分31秒 | 南方単車旅案内
本茶峠散歩 六よりつづく。

国道58号線の旧道である本茶峠を越える道は、最高点を過ぎ、龍郷町に入る。
ここから先は峠道の入口である龍郷町大勝まで、延々と下り坂が続く。
新民謡の歌碑を過ぎると、道の両脇の樹木が疎らになり、谷側の眺望が良くなる。



名瀬側と較べて、こころなしか舗装もスムーズなようだ。



眺望が良くなったものの、走りながら見える景色は名瀬側と較べていささか単調に感じる。
そこで、すこしスピードを緩めて、左の山肌に注意を向けることにした。





10月半ば(6枚目までの写真は'06年10月15日撮影)の奄美大島は、初秋というより晩夏である。





山肌を削って清水が流れ下り、涼しげな音を聞かせてくれる。



旧暦の初春を少し過ぎた頃から、この本茶峠の龍郷側は、花見の名所となる。



一年を通じて数少ない、この寂れた峠道が家族連れで賑わう季節である。





ヒカンザクラの花の蜜を求めてリュウキュウメジロが樹上を散策する。



旧正月の少し前から、奄美大島は本格的な冬に入り、強い北風と断続的な雨が人の気持ちを内向きにさせる。
そんな中に天気に恵まれた休日(ヒカンザクラ写真はすべて2007年2月12日に撮影)に眺める青空と刺激的な花の色は、春がそこまで来ていることを思い出させてくれる。



ところで、このヒカンザクラの葉が、秋には黄色に色付くことをご存知だろうか。



つい先日、この紅葉(黄葉というほうが正しいか?)を知って、この峠道を通過することがいっそう楽しくなった。

つづく


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本茶峠散歩 六

2008年06月17日 00時12分42秒 | 南方単車旅案内
本茶峠散歩 伍よりつづく。

国道58号線の旧道である、本茶峠の最高点に達した。
しかし、それを示すものは何もない。
ただ風と、葉擦れの音が聞こえるだけである。



峠道からは判り難いが、この峠には名瀬測候所のレーダー観測施設がある。
峠の最高点を過ぎたか過ぎないかというところに見える、急勾配のスロープとフェンスがその入口だ。



いつもは厳重に施錠されているそのフェンスが、いかなる偶然か、この日だけは開いている。
不法侵入を咎められるかもしれない。
窃盗者、テロリスト、方向音痴、あらぬ疑いを掛けられるかもしれない。
運を天に任せ、何も知らない旅行者を装い、
『今朝の船で名瀬の港に着きましてね、大浜のキャンプ場に荷物を置いて、ふらふら走り回っているうちに…』かねて用意の自己暗示をかけ、ゆっくりとアクセルを開けてスロープを登り、施設の構内に入って行った。



構内には2つのドームが天空と対峙している。
どちらにどんな眼が備わっているのか、通りすがりの素人に判るわけもない。

停まっている車の持ち主か、建物から出てきた人がこちらを一瞥する。
目があったような気がして、会釈のつもりで軽く頭を下げると、むこうも頷くように一礼してくれる。
それをしおに、闖入者はレーダー施設を後にする。



最高点を過ぎた峠道は、しぜん、下り坂となる。
下りはじめてすぐに、左の路肩に『茶屋』と赤く書かれた控え目な看板を見つける。



奥には民家と柿の木。
手前のこれが茶屋なのか?
しばらく休憩はできそうだが…。



『茶屋』の向こうから睨む者がいる。
会釈のつもりで軽く頭を下げるが、不審そうな顔は和らがない。
もう一度頭を下げて、峠を下りつづけることにする。

つづく


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本茶峠散歩 伍

2008年06月07日 17時52分14秒 | 南方単車旅案内
本茶峠散歩 四よりつづく。

ほぼ通行の途絶えた峠道を尺取虫のように進んでいる。
午後2時を少し廻った頃合か。
峠の最高点の少し手前、標高150mから200mのこの付近では、気温はおよそ25度といったところか。
10月半ばのこの島は、秋というより晩夏の気候である。



夏の日差しの中で猛烈に育った植物の陰に看板を見つける。



田中 一村について、ここでくだくだしく記す必要はあるまい。



路傍の斜面には野生化したハイビスカスが咲き、黒いアゲハチョウが飛び交っている。



あとアクセルの一ひねりで峠の最高点に達するところには三叉路があり、右に進めば、名瀬クリーンセンター付近を経由して崎原(さきばる)方面に至る。
本稿ではここは直進し、龍郷町方面へと進む。



峠の最高点にはふたたび三叉路。
左へ進めば、道は森の中を通り抜けて《奄美自然観察の森》に至る。



この付近にはコンクリート等、建設資材製造の事業所が数社あり、朝晩に大型車が出入りを繰り返す。
そのためか、路面には薄く砂が散乱している箇所があり、不用意なライディングは危険であることを申し添えておく必要があるだろう。

つづく


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本茶峠散歩 四

2008年05月30日 01時13分29秒 | 南方単車旅案内
本茶峠散歩 参よりつづく。

県道の分岐から3kmほど進んだだろうか。
もとより急ぐ用ではないが、すこし走らせては気になるものを見つけて停めての繰り返しで、一向に距離は進まない。
しかし、こうした進み方が似合う峠道ではあるのだ。



薄紫の小さな花が、水彩絵の具を散らしたように路肩を彩っている。



ツマムラサキマダラの羽根が宝石のように輝く。



茜(あかね)色は、ゲットウの花が実を結んだもの。



アサギマダラを見かけないのは夏の間だけである。



食糧になりそうなものもあるが…。



枝道を見つけて入ってみる。
コンクリートの簡易舗装は柑橘類の果樹園で行き止まり。
しかし、ガッカリすることはない。
見晴しのよさにしばらく佇んでみた。

つづく


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本茶峠散歩 参

2008年04月29日 23時57分41秒 | 南方単車旅案内
本茶峠散歩 弐よりつづく。

旧国道58号線/現県道81号線の分岐から本茶峠へと続く道を登りつつある。
樹木の葉が落ち、蔓草が枯れ果てる厳冬期を除けば、旧国道から歩いても数分とは思えない原生林の中を進んでいる。



山側の緑が割れ、か細い渓流と踏み分け道が覗いている。
路肩にバイクを停め、なんメートルか入ってみた。
細い枝にぶら下がるのはアフリカマイマイだ。



原生林の小さな割れ目では、他にもタランチュラのような蜘蛛を目撃した。(10月のフツーの生き物たち 8参照)



好きで覗き込んだとはいえ、軟体動物と節足動物を見た後は、路傍の野花を眺めて気持ちを落ち着けよう。



舗装の端が紅く染まっているのは、リュウキュウマツの落ち葉である。



道路の上に大きく張り出した樹が枝を切られ、ツタがそれを覆う。
支柱のように蔓が伸び、奇妙なオブジェのように見える。



ボクサーのように顔を振って、頭上から垂れ下がるツタを避けなければならない箇所もある。

つづく


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本茶峠散歩 弐

2008年03月23日 18時39分21秒 | 南方単車旅案内
本茶峠散歩 壱よりつづく。

旧国道58号線/現県道81号線の分岐から本茶峠へと続く道は、現在は柑橘類栽培農家専用といってもいい完全舗装林道である。
途中、人家はまばらであり、山ひだに張り付くようにして通る道の両脇は、亜熱帯の密林である。



分岐からすぐに、徐々にではあるが密林状態ははじまる。
多くの人が旧・名瀬市街のランドマークとして考える中央郵便局からここまで、およそ6kmである。



耳を澄ませば、国道58号線を通る大型トラックの排気音が聞こえてくる。
しかし、それ以上に辺りを支配するのは、風が起す葉擦れの音、鳥や虫たちの鳴き声である。



疎らとはいえ、車の通行はないわけではない。
健康法の一種であろうか、トレーニングウェアで歩く人もいる。



冬の強い季節風と亜熱帯の名を疑うような寒気、そして延々と続く雨は、ツタ類の多くを枯らし、樹木も大量に葉を落とすため、冬と夏では風景が一変してしまう。



春まだ浅き頃、3ヶ月前は見事な赤い実を付けていたイイギリも、実は枯れ果て、すっかり葉を落としている。



峠の散歩は、まだまだはじまったばかりである。

つづく


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本茶峠散歩 壱

2008年01月31日 01時30分33秒 | 南方単車旅案内


今回より、およそ10回の予定で、本茶峠と峠に至る道を紹介する。
距離は、おそらく20kmもないだろう。
景色を楽しみながら自動車で走っても、1時間と掛からぬ道程である。
じゅうぶんに天気のいい日に、あまり急がず、空と雲を眺めるためだけに行くのに適した道である。



奄美に住む人にとって、本茶峠とは桜(カンヒザクラ)の名所である。
今回、本茶峠を選んだのも、ちょうど奄美では桜の季節が過ぎ去ろうとしている(この冬は異常ともいえる暖冬に開花が早まった)ためである。
普段、ほとんど通行のない峠道だが、この季節ばかりは例外である。



もちろん、この『旅案内』でも、本茶峠を紹介するいじょう、桜の画像を入れないわけにはいかない。
しかし、桜の季節以外の、誰にも見向きもされない時期の本茶峠にも魅力がないわけではない。



いずれまた、別な角度から紹介する機会もあるかとは思うが、今回は夏の終わりと桜の季節に撮影した画像を中心に、国道58号線の旧道でもある本茶峠を紹介していこう。



奄美大島を貫く国道58号線は、2005年末の和光トンネルと和光バイパスの開通により、一部が県道81号線へと名称を変えた。
本茶峠の、名瀬方面からの入口は、この旧国道/現県道にある。
地図で見る限りでも、いくらか狭い脇道に見えるのだが、じっさいは案内が出ているわけでもなく、見落とす可能性がたいへん高い分岐である。
はじめて訪れる際は、朝日小学校を第1の目印とし、笠利・空港方面と和光園の方角を示した案内板を第2の目印にするとよい。



昭和後期に造成された新興の住宅街である鳩浜地区を抜け、県道から離れて本茶峠への上り坂に差し掛かると、森閑とした峠道へと急激な変貌である。

つづく


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焼内湾彷徨 おまけ

2007年08月27日 10時42分53秒 | 南方単車旅案内
おヒマな方は、焼内湾彷徨 最終回から遡って読んでいただければ、少しは時間つぶしになるかもしれません。

大島海峡東岸紀行》では、本編54回に対して6回のおまけがつきましたが、《焼内湾彷徨》では、これ一回だけです。
なんでそうなったかを考え出すときりがないので置いといて。



宇検村芦検(うけんそんあしけん)と生勝(いけがち)の間に、林道・大都線の入り口があります。
林道とはいえ、全線舗装済です。
舗装されてからそれほど経っていないのか、とくに荒れた個所もありません。
ただし、細い・狭い。



その大都林道を上って行くと、てっぺん辺りに『峰田山公園』があります。



峰田山公園は、尾根を挟んでふたつに分けられた形で、芦検・生勝側から大都林道を上って行った側は、焼内湾の奥部にある芦検(あしけん)集落や湯湾(ゆわん)集落を見下ろすことができます。
バンガローのような建物が数棟あり、お弁当を持ってピクニックするにはいいかもしれません。



尾根の反対側からは焼内湾の湾口と東シナ海の眺望が得られます。
尾根上には遊歩道があって、(たぶん)展望台が終点です(実は終点まで行ってません)。



写真の下の方に小さな三角屋根が見えますが、公園の大都林道に面していない側は、幾つか遊具が設置され、ちいさなお子様たちにとっては楽しく遊べる場所ではないでしょうか。
駐車場ときれいな花壇が整備され、私が行った時には、村役場から管理を委託された方でしょう、花壇に水遣りをされていました。
対岸に見えるのは、おそらく佐念(さねん)集落です。



峰田山公園へ至る道は、宇検(うけん)集落から大和村(やまとそん)へ向かう途中にもあります。
案内表示も設置されていますが、坂の途中に小さく建っているため、うっかり見落としてしまいがちです。


さてと。

ここで皆様にお願いです。
じつは、《焼内湾彷徨》に続く次の『南方単車旅案内』シリーズをどれにしようか、未だ決めかねています。
候補は以下の4つ。
「小湊→崎原→戸口」(仮題:未定)
「大熊から龍郷町の東シナ海沿岸部を巡って浦まで」(仮題:龍郷町半周)
「本茶峠」(仮題:未定)
「宇検村船越海岸から大和村を巡って名瀬まで」(仮題:大和村を還る)
いずれも画像の準備はほとんど出来ていますが、本文はこれからです。
『これをやれ』『あっちがいい』等、ご意見をお待ちしています。
かなり真剣に迷っています。
どうか、コメントをお寄せください。

この項 おわり


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焼内湾彷徨 最終回

2007年08月14日 01時06分13秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 弐拾七よりつづく。

昨年11月初旬にはじまった《焼内湾彷徨》も、ようやく最終回である。
最終回を前にした二ヶ月の中断をはさんだ他、長短の中断を何度も挟んでいるため予想外に長引くことになってしまったことは、その時々の理由があったとはいえ、いくらか残念ではある。

もちろん、言い訳を並べ立てても過ぎた時間は戻ることはない。
今回は少しボリュームアップで最終回を飾ることとしたい。



宇検(うけん)村の宇検集落を彷徨ううちに、その中心部といってもいいあたりに巨大なガジュマルが聳えていることに気付いて近寄ってみた。
盛夏のことともあり、木陰でしばらく涼を楽しんで、さらに集落内を徘徊しようかと思ったところで、ガジュマルに正対するように伸びる小道を見つけた。



数歩、入り込んだところで道の脇に奇妙なものを見つける。
ミニチュアのスイカみたいだ。
これは植物なのか、精巧に出来たプラスチックなのか?

細い道は、とばくちの部分がかろうじて軽自動車を入れられる程度の幅か。
緑色の部分は雑草だが、総じてよく手入れをされている。
よほど大切にされているナニかがあるのだろう、と道の奥を覗いてみると、鳥居が見える。
おや、宇検集落の鎮守社は、入口の厳島神社ではなかったのか。
ともかく、見えた以上は行かねばなるまい。



坂道に角張った石を(かなり無造作に)配した参道を、汗を拭き吹き200mほども進む。
3本の巨大なリュウキュウマツが守護するように聳える奥に、無額の鳥居と小さな社殿が、鬱蒼とした緑に囲まれている。



正直、疲労もあって無造作に撮ったのだが、帰って画像データを見てみるとシャッター・スピードは1/25秒。
曇天とはいえ真夏の午後2時に撮ってこの数値というのは、境内の薄暗さをよく表しているのではないか。
なお、その後に再訪して撮りなおしたが、こちらの方が雰囲気がいいので採用した。



手水鉢(?)の支柱には、明治二十六年一月と刻まれている。
横の『鎮坊*』は寄進者の名前だろう。
『シズボウ』とも読めるが、『しずめ ぼう*』とも読める。
奄美地区のタウンページには、宇検村と瀬戸内町に『鎮原』姓がそれぞれ1件、掲載されている。
おそらくは社殿の礎石が置かれてからそれほどの間もなく置かれたものだろうから、ここが《神社》となってから110年余の歳月が経過していることになる(明治26年は西暦1893年)。



鳥居の下に立って宇検集落を眺めてみる。
眺めているうちに、集落入口の厳島神社は薩摩藩が造営(を指示)した官社で、こちらは民間信仰のユタ・ノロの聖地ではなかったかと思えてきた。
勝手な想像はどんどん膨らみ、鎮坊某は集落の長者(網本か?大地主か?)で、ユタ・ノロの宣託により大きな利益をあげた(または被害を未然に防いだ)ことから、聖地に社殿他を寄進することになった・・・。
もちろん、素人の勝手な妄説である。

よろしければこちらをクリックしていただきたい。
《焼内湾彷徨 弐拾六》に載せた、集落入口の厳島神社から見た宇検集落である。
茶碗か何かで整形したような、きれいな丸い山容である。
古来、日本人はこのような丸い山が好きだった。
その典型が奈良盆地の大和三山である(大和三山についてはこちらをクリック)。
こうした山ならば暴風雨や地震の際の崩落被害が少ないこと、山全体への日照がよいことから自然の恵みが期待できること(当時、椎・(とち)・栗・ドングリは、よほど米作に余裕のある土地以外では常食だった)という条件が基底にあっただろう。
険しい山が信仰の対象になるのは(もちろん、すでに畏怖の対象ではあった)空海が四国の山地を修行の場としてからではないか。

遠くに霞むのは焼内湾の対岸であり、集落はさらに入江に囲まれている。
盛夏以外の季節には、ティルと呼ばれる籠を持った人が、集落前の浜を歩いているのをよく見かける。
焼内湾を巡って、最後に訪れた宇検集落は、太古の桃源郷の残像を今に残していた。

この項 おわり


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焼内湾彷徨 弐拾七

2007年06月10日 23時44分27秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 弐拾六よりつづく。

奄美大島の西北部、焼内湾を巡る旅を続けている。
前回までで、最後の集落である宇検村の宇検(うけん)集落の入口に到達した。
今回からその集落内を彷徨うことになる。



集落内の細い道を、できるだけ速度を落とし、排気音を押さえたつもりで進んで行く。
普通の民家に並んで公民館。庭の裸の樹は、ヒカンザクラか?



公民館と、小川に掛かる小さな橋を通り過ぎると、もはやお馴染みとなった屋根つきの土俵が現れる。
柱も綺麗に色分けされて塗られている。
手前の枝にぶら下がるのは鐘だ。



土俵の横の『居住性』を無視したかのような建物には、消防車が鎮座している。
緊急事態発生! となった場合、あの鐘の合図で地元消防団が集結・出動するのだろう。
住み心地が悪そうな建物は、宇検集落の消防本部・災害対策本部なのだ。



災害対策本部の前を通り過ぎ、すこし進むと右手に上り坂の路地を見つける。
頭上を仰ぎ見れば、なぜかこの付近だけ日が翳っている。
路地を上がると、四方に枝を広げた巨大なガジュマルが聳えている。
あまりの大きさに、その概容をカメラのファインダーに収めるために、ずいぶんと遠ざからねばならなかったほどだ。
そうして歩き回るうちに、予想もしていなかったものをオレは目にした。

つづく


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焼内湾彷徨 弐拾六

2007年05月08日 00時18分57秒 | 南方単車旅案内
焼内湾彷徨 弐拾伍よりつづく。

奄美大島の西北部、焼内湾を巡る旅は、久志(くし)集落を過ぎてついに最後の集落である宇検(うけん)に差し掛かった。



宇検集落の入口には、厳島神社が鎮座している。
バイクを停めて、境内に入ってみよう。
鳥居をくぐっておよそ10m、小さな祠が建てられた平坦な場所に出る。
祠のうしろから横を通って回り込む。



石塔に刻まれた年号は『天保四年』。1833年のことである。
この年の1月(旧暦)、薩摩藩の第8代藩主であった島津 重豪(しまづ しげひで)が没した。なお、藩主は第9代藩主の島津 斉宣をはさんで第10代藩主島津 斉興(しまづ なりおき)が継いでいる。同年、調所 広郷(ずしょ ひろさと)が家老に累進し、奄美大島と徳之島で生産される砂糖を薩摩藩の専売とした。
この専売から得られた利益が、後の明治維新における薩摩藩を動かす主要な資金のひとつとなっていくことになる。
天保年間は、所謂「幕末」が動き始めた時代といえよう。
また、日本史上に有名な《天保の大飢饉》は、前々年である天保二年にはじまったとされる。



石塔のひとつには、「辨才天(べんざいてん)」と刻まれている。
辨才天はインドでは川に住む(蓮の花に乗っている姿で描かれる)女神で、中国を経由して日本に渡り、民間で信仰されるうちに水の神様、そして海の神様へと変化していったようである。
ちなみに、本家の広島の厳島神社も弁才天を祀った(弁財天と合体した市杵島姫命を筆頭とする三柱の女神)神社である。



境内を出て、鳥居と祠の方へ軽く一礼する。
お邪魔しました、お騒がせしました、と。
県道を横切って海辺に立ち、宇検集落を眺める。
眺めながら、何かが頭の片隅をかすめたような気がしたが、それがなんなのかは判らなかった。
小さく息をつき、集落へとバイクを進めた。

つづく


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コメント (2)
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