南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

「奄美大島地ビールについて」の記事を削除しました

2005年09月29日 23時22分52秒 | 我思フ
記事の本文中に何度も明記しましたが、これらの記事は、焼酎工場に勤めていた経験から「奄美大島で地ビールを製造することを想定した考察」であります。
それをどのように読まれた方かは判りませんが、ある場にて、大規模な小売店の経営に携わる方に対し、
「この人は島で地ビールを作ろうとしている」と紹介されるという事態が発生しました。
たんなる考察としか考えていなかった私は、この事態にどう対処していいかとっさに判断がつかず、その小売店の経営に携わる方に対してたいへん失礼な対応をしてしまいました。
今にして思えば、その日にでも記事を削除すべきでしたが、まだまだ考察を続けたかった私は、今日まで削除すべきか否かの判断をつけられませんでした。
最後に関連する記事をアップしてから三週間以上が経過し、続きについて関心がある方がいらっしゃるかどうかは判りませんが、私としては上に挙げたような事態は避けられるものならば避けたい事態であります。
よって、関連する記事を削除することをここに発表いたします。
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十四日目

2005年09月28日 01時35分10秒 | デキゴト
残り僅かとなってきましたホームヘルパー二級講習。
ティーンエイジャーから「アナタ、もうじき介護される側なんじゃない?」とからかわれる人まで、雑多な人々が集まるのもあと三日。
 基本的介護技術
昨日の車椅子に続き、本日は視覚障害者の介護研修。プラス半身麻痺の人の歩行介護。
アイマスクをつけて一般道(歩道)を歩く。
二人でペアになって介助したりされたり。
先に介助する側になったのだが、さすがのオレも車椅子と違って悪ふざけはできない。
「横断しますから、一度停まりましょうね」だの、「点字ブロックがありますからその上を歩きましょうね」だの、それなりに真剣である。
困ったのが、階段とスロープ。
階段の形状を伝えたくても、とっさに言葉が出て来ない。
スロープは、上り下りは言えても、角度が伝えられなきゃ意味無いような気がして。
選手交代でアイマスク装着。
さっき歩いたのと同じコースを歩くのに、どこを歩いてんだか、さっぱり判らない。
けっこうな近視(0.1弱)で、「これ(眼鏡)取っちゃえば、アイマスクなんて要らないよ」と威張ってたオレだが、やっぱ視覚障害ってのは大変なことなのだな、と。

屋内に戻って、半身麻痺の歩行介助。
まずは研修室をぐるりと一周。
さすが、42年半の生涯で、松葉杖を合計5ヶ月近く使ったことがあるだけあって、普通の杖でも多芸多才なオレである、って自慢するか、馬鹿たれ。
階段に移動して、登ったり降りたり。
階段を上がる際、介助者が上に着くか下に着くかでひと悶着あった。
どっちでもいいじゃん。その人なりにアレンジするしかないじゃん、と思うオレ。

 介護事例検討
テキストにある事例に対して少人数のグループを作って検討する訳だが、どうもね、困ったね。
「簡単に見つかる結論の、およそ50%は危険な結論である」というのがオレの持論。
テキストの事例を素直に検討すると、「ホームヘルパーがもっと頑張るべきである」てな結論になる。
そりゃまぁ、ホームヘルパー養成のためのテキストなんだから、そういう結論に持って行くべきなんだろうけど。
とはいえ、だが、しかし、あに図らんや、そんな簡単な結論に飛びつかせるなんて、どうも納得できないんだよなぁ。
ホントはもっと細かく記述したかったが、眠くて…。
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十三日目

2005年09月27日 00時57分59秒 | デキゴト
やれやれ、三連休の間に後回しにしていた部分をやっつけようと目論んでいたが、結局バイク三昧になってしまった。
 基本的介護技術
本日は、一日掛けて車椅子の介護。
講義の途中、車椅子にはこんな種類があります、ということで介護用品の販売会社のカタログが回覧される。
近年は、法律やら流通やらの整備が進み、車椅子もリーズナブルな価格で入手できるようになってきたらしい。

およそ四半世紀前、ガッコの、同じ演劇研究会の別グループが、別役実の「海ゆかば水漬く屍」(うみゆかばみずくかばね)という作品を上演する際、車椅子の入手でずいぶん困っていたのを思い出す。
結局、パイプ椅子に自転車の車輪を付け、キャスター付きの台に乗せてゴマ化していたな。


すでに何度か言及しているが、子供といっても良い頃に、四ヶ月ほど松葉杖のお世話になったことがある。
その時に車椅子の操縦方法もマスターした。
病院の廊下を、当時の人気漫画「サーキットの狼」みたいに走り回って怒られていたのだ。
介護側、すなわち押す側に回ると、そんなことはなんの役にも立たない。
健常者同士、おふざけ半分(は大袈裟、四分の一くらい)でごろごろ押したり押されたり半日を過ごしたが、午後の屋外実習では、歩道の点字ブロックがなんともいえない不快な振動元となって、なかなか難しいものだな、と思った。

車椅子にはサスペンションは付けられないのだろうか?
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忘れてた!

2005年09月26日 01時09分32秒 | Weblog
大熊夕遊市、25日までだった!
もう、あの”カツオのびんた料理”に会えないのね…。
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瀬戸内町林道散策

2005年09月25日 19時22分01秒 | 南方単車旅案内
昨日の北大島に続き、今日は南大島の瀬戸内町に行ってきた。
先日のわーきゃ祭りの画像データを届けにである。
本日も快晴の奄美大島、あちこちで運動会、豊年祭、敬老会などが催されている模様。
瀬戸内町の勝浦(かちうら)集落では豊年祭が行われ、まわし姿の壮漢が路地を闊歩していた。

ところでこの日、網野子峠の住用村側で、なかなか見られない&見ても嬉しくないモノを見てしまった。
なかなか見られない、というそれはアマミノクロウサギで、見ても嬉しくないというのは、交通事故に遭ってお亡くなりになっていたからだ。
いちおう写真は撮ったので、こちらにアップしておく(171kb)。見たい方だけどうぞ。
観光ガイドをしている友人に知らせると、彼のほうから瀬戸内町役場に連絡して回収するという。
なるほど、特別天然記念物というのは死んでからもヤッケな(厄介な:奄美大島方言)ものなのだなぁ。
さらに観光ガイドくんによれば、「屍骸を触っていたら文化財保護法違反になる」のだそうだ。オレはカラスを追っ払っただけだよ。

見たくないものを見たので、きれいな景色を見たくなり、旧道から古仁屋の手前の地蔵峠に上る。
油井岳公園、高知(たかち)山展望台を回り、ふたたび旧道に出ると、今まで気付かなかった細い林道がある。

埋め立てに使う土の採集用であろう工事現場がいくつも連なるが、さいわい日曜日でダンプは走っていない。
路面は舗装されているが、枯葉や枯枝が随所に重なり、ちょっと神経を使わされる。
さらに進むと工事現場はなくなり、タンカンかポンカンか、柑橘類の小さな果樹園が道の両脇に現れる。
そんな果樹園のひとつに突き当たったところで林道は終了。



戻りにコンクリート製の細い脇道と階段があったので、バイクを停めて上ってみる。
広葉樹のトンネルを抜けると、金網と鉄条網に囲まれた謎の構造物が建てられている。



国の建てたものであれば、「立入禁止 国土交通省」などと看板があるはずだが、どこにもない。なんなんだ、これは?
振り向けば眼下に大島海峡。



とりあえず峠を下り、永山写真館に画像データを届け、すこし時間があるので清水方面に向かう。
途中、大島石油・古仁屋営業所で給油。
256kmで8.3リットル。30.84km/lと立派なものだが、リットルあたり156円という価格にはげんなりする。
清水でいくつか写真を撮り、帰りは林道・清水阿木名線を通ることにする。
林道の入り口に新しい店(飲食店のようだ)が出来ていたが、グルメツーリングができる財政事情ではない。



林道の途中にてアカミズキらしき木を発見。これはずっと撮りたかったものだ。



なぁに、マリカミズキと並べて本宅でのネタにしようという魂胆だ。

清水阿木名線は、一部が未舗装。流水で抉られた部分が溝になっている以外は走りやすく、オフロードバイクなら初心者でも通行は可能。



濃緑の木々の間からコバルトブルーの海が見えるこの林道は、のんびり走るのがいちばんだ。
高めのギアで排気音を抑えて走れば、季節の野鳥の声も楽しめる。



帰路、網野子峠の住用村側から丸川林道に入ってみるが、海が見えないせいか景色が単調に感じられる。
ハブも怖かったので、途中で引き返す。

本日の走行距離、約145km。
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北大島を行ったり来たり

2005年09月24日 18時17分25秒 | 南方単車旅案内
昼頃から、大笠利にちょっとした用事を思い立って出かけた。
9月と10月の奄美大島は晴れた日が続き、3mから5mの乾いた季節風が吹き、一年中でいちばん気持ちのいい季節である。
たまに颱風が来るが。



東シナ海側の佐仁(さに)集落から、尾根筋を越えて太平洋側の用(よう)集落に出る。
距離にしておよそ3km、のんびり走っても5分弱の行程だが、濃緑のワインディングの向こうに海が見えると、思わず息をのむ。
用集落は、奄美大島の太平洋側ではもっとも北に位置する集落。



造礁珊瑚と波の浸食が長い時間を掛けて創りあげた光景は、人々を魅了する。



珊瑚の造った岩に硬い石が入り込み、波がその石を揺り動かして岩を削る。
その繰り返しが不思議な丸い穴を開けてゆく。



広い海岸にぽつんと鎮座する奇岩。
その向こうに波が珊瑚礁に砕けている。



調子に乗って堤防沿いを進んでいくと、いつしか深い砂にタイヤを取られる。
無理にエンジンを吹かすのはやめ、押して出る。



隣の大笠利(おおかさり)集落から川上(かわかみ)集落に抜ける道の途中で止まり、用集落方面を望む。

林道笠利線の走行を楽しみ(写真なし)、用事は果たせないが帰宅する。
本日の走行距離、約115km。
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本宅更新情報

2005年09月23日 18時20分22秒 | Weblog
本宅 亀甲音 Personal Page の「生活報告帳」を更新した。
内容は、奄美祭り、名瀬市商店街祭り、大熊夕遊市の三本立て。
写真は、今回ボツになったもの。
ダイエー横から見た奄美祭りの花火。
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十二日目

2005年09月22日 19時47分51秒 | デキゴト
今日は、いちにち実技。
講義開始直後に講師が「今日でなんにち目ですか?」
「十二日目」と即答できたのは、アホなタイトルをつけてるおかげか。
だからなんなんだ、と言われたら、これにも「さしたる意味なし」と即答できる。
 基本的介護技術
午前中は、おむつ交換。午後は、身体の清拭、洗髪。
これは辛いよなぁ。
子供の頃、脚を折って三週間、五年後にその後遺症の手術で四ヶ月間、松葉杖の生活を送ったことがあったが、
その後遺症の方で十日間ほど病院のベッドから起きられない日々があった。
風呂に入れないのはもちろんだが、トイレにも行けない。
六人部屋のベッドの周りをカーテンで覆い、尿瓶だの簡易便器だのを使った。
もちろん、我慢に我慢を重ねて、看護婦(当時の呼称)さんに
「浣腸しようか?」と言われても拒んで、その後の仕方なしの結果であった。
仰向けに横たわっての行為自体も辛かったが、強烈な臭気は、やはりかなりなダメージであった。
手術は夏休みに行われ、今にして思えばずいぶん涼しい八月だったような気がする(気象庁のデータによれば、やはり冷夏と呼べる年だったようだ)。
しかしながら、濡れタオルで身体を拭くしかない日々というのは、それをしてもらう母親にも申し訳なく思い出される。
年齢を重ね、病に倒れ、赤の他人に排便や身体の清潔を委ねるというのは、想像するだに悲しい現実といえる。
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十一日目

2005年09月22日 00時22分09秒 | デキゴト
午前中は、実技講習。
午後は、実技と座学の中間点というか、すこし実技よりというか。
 基本的介護技術
食事補助についてのあれこれ。
オレは、学生時代にアングラ劇の俳優として何度か舞台に立ったことがあるので、
「半身麻痺というのはこれこれで…」とか、きっちり説明してもらえば、
テキトーに想像してこなすことができる。
俳優としての才能が無かったおかげでアタマの使い方だけは優秀になったのだ。
しかしこれ、誰でも出来るというわけではない。
受講者が、お互いを実験台として「はぁい、お口をあけてくださぁい」
なんてやってても、実体験にはほど遠い気がするんだよなぁ。

まずは、ヨーグルトをお互いに食べさせてみて、
次は本格的な食事の介護だ。
普通の食事(視覚障害者を想定しての介護)、細かく切り刻んだ食事、
そしてミキサーに掛けた流動食と、三種類の食事介護を練習する。

この流動食というやつ、どう見ても色つきの糊である。
すこぶる気味が悪い。
オレは食べなかったが、食感も良くないようだ。
所謂宇宙食というのも、こんなんだろうか?
アメリカのデータベース製作会社ORACLEが、
ORACLE製品の開発者を対象にアンケートとクイズを行い、
宇宙旅行を景品にしたとかいうのをネットニュースで見たが、
正直、「こんなん喰わされるくらいだったら、オレはずっと地上に居たい」。
ま、オレがORACLEでナニか開発するなんて二度とないだろうから関係ないけど。
「芸能人は歯が命」ってのはずいぶんむかしのCMだったが、
自分で咀嚼して食べる、っちゅうのは、大事なことなんだなぁと。

リハビリテーション医療の基礎
理学療法士の先生が講師で、なんか、極真空手の人らしいんだけど、
声が小さくて、イカツい顔の割に覇気が感じられなくて…
と、居眠りしながら聞いてた言い訳。
脳血管障害によって惹き起こされる高次機能障害、
というのが講義の一部にあったんだけど、正直いって想像もつかない。
モノが見えてるのに認識できない認知障害だとか、
見えて、認識できているのに発語できない失語症だとか、
コワイだのスゴイだの言う前に、理解できない。

最後に、腰痛予防ストレッチの実験台に、立候補した。
ホントは女性を触りたかったのだろう、
妙に手早く片付けられちまった(笑)。
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十日目

2005年09月21日 00時39分11秒 | デキゴト
本日より実技講習である。
実技であるから、メモもノートもない。
七日目、八日目、九日目の講義メモが未整理であるが、
おいおいやっつけることにして、先にこちらから記録する。

とりあえず憶えておかなければいけないのは、
着患健脱という言葉らしい。
右半身麻痺、左半身麻痺などの方の着替えの場合、
麻痺(患)の側から着せ、健常側から脱がせるということだそうな。

初日の今日は、まずは単純なベッドメーキングから。
無人のベッドで練習し、次は人が寝ているベッドでシーツ交換を行う。
「人に見られてると思うと緊張する」と皆は言うが、
オレの場合、見物人が五十人くらいは居てくれないと緊張できんので、
むしろ実地でやれるかどうかのほうが心配だ。

続いては、左半身麻痺を想定しての着替え。
モデルさん、ということでベッドに寝て実験台になってみる。
試しに左側の力を抜いてみると、驚いたことにまったく体が動かせない。
「右腕で左腕を掴んで動かす、固定する」と口では言えるが、
腕一本がこんなに重いものだとは思わなかった。
「右脚で左脚を持ち上げます、はい」・・・ぜんぜん、動きゃしねえ。

子供の頃に事故で三週間、五年後にその後遺症の手術で四ヶ月間、
松葉杖の生活を送ったことがあったが、あの時ゃ片脚だった。
半身麻痺というのがこんなにたいへんな事だとは・・・。
資格だの勉強だのという以前に、人生のナニゴトかを学んだ一日であった。
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年月が経過するということ

2005年09月19日 23時40分20秒 | 我思フ
何ヶ月ぶりかに、学生時代の先輩のHPを見た。
脳内出血で入院していたという。
どうやら発見が早く、内服薬だけの治療で退院し、実家でリハビリ中の模様。
まだ軽度の麻痺があり、完治するかは判らないらしい。
彼は、素晴らしいギタリストなのに。
個人差や生活上の負荷、生活習慣など、いろいろあるのだろうが、
先輩は、オレの四歳年上に過ぎない。
島に来る前、十数年ぶりに会ったのだが、音楽の話をはじめたら、
そんな月日はどこにもなかった。
俺も歳喰ったよな、最近、ストラヴィンスキーが良くってさ・・・。
ストラヴィンスキー、ROCKじゃん。歳喰ってないじゃん。現役じゃん。
厳しい仕事をし、ギターを弾き、バンドとして定期的に演奏する、
オレの狭い交友範囲の中ではもっとも年月を感じさせない男。
彼が、一日も早く、再びギタリストとしてステージに立たんことを。

オマエね、俺は最近、椅子に座って弾いてんだよん♪ と笑ってくれる日が来ることを。
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バイク退院

2005年09月19日 23時11分37秒 | 南方単車日乗
FブレーキパッドならびにFブレーキ系のオーバーホールということで、
いちまんごひゃくえん也、だった。

ヘッドライトをマウントしているネジがイカれてたそうで、
接着剤とガムテープで応急措置がしてあった。
マウントリムの交換が必要だそうな。
海辺といってもいい場所に雨ざらしで停め、
洗車もしない、カバーも掛けないのだから傷むのは当り前か。
手入れをしない割には愛着があるし、買い換える金もない。
早く定収のある仕事を見つけろっちゅうことか・・・。
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瀬戸内町遠征番外編 携帯電話紛失

2005年09月19日 01時15分09秒 | デキゴト
およそ二年ほど使っていたdokomoの携帯を、嘉鉄・古仁屋間のどこかで落としてしまった。
友人のアメリカンバイクを借りて、
「うわぁ、曲がんねぇ、こいつぅ!」と楽しんで(一度冷や汗)いたら、
どこかで落としてしまったらしい。
公衆電話などから自分の番号に何度か掛けたが、いずれも留守番電話が応答したので、
おそらく誰かの車のタイヤに粉砕されたのだろう。
名瀬に戻ってdocomoで新しい携帯を購入する。
判断基準は、価格の一点のみ。
しかし、さすがに売れ残りだけあって、ロクなのがない。
五千円でお釣りが来る三機種から、それでもマトモそうなP253てのを選ぶが、
持ち帰って眺めれば眺めるほどブルーな気分になる。
携帯電話の安易な買い替えには賛成できないオレだが、
できるだけ早く買い換えようと決意した。
やはり、生活の道具というのはそれなりに使い勝手が良くなくてはいけない。
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瀬戸内町遠征part3 油井豊年祭

2005年09月19日 00時44分01秒 | デキゴト
旧暦八月十五日、ということで奄美大島各地で豊年祭・十五夜祭と銘打った行事が行われる日である。
今年は、たまたま日曜日ということもあって、控え目に見積もっても20以上の集落で行事が行われた模様だ。
オレは、その中でももっとも長い伝統を持つといわれる油井集落の豊年祭を見に行った。
ちなみに、これと双璧を為すといわれる加計呂麻島・諸鈍の「諸鈍シバヤ」は、旧暦の九月九日に行われる。

他の集落行事と重なったため、例年に較べて観客は少ないというが、
素晴らしい天気に恵まれた豊年祭を堪能した。

と、手放しでは喜べない。
携帯紛失の後始末(新携帯の購入)のため、豊年祭の半ばにして名瀬に戻らねばならない。
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瀬戸内町遠征part2 ウェイクボード

2005年09月18日 22時58分10秒 | デキゴト
瀬戸内町大湊の永山写真館の伸ちゃんが、
「ウェイクボードのポスターの撮影に行く」と言うので、連れて行ってもらった。
わーきゃ祭りの後、ビートルで12時過ぎまで飲んで、翌朝7時起きのアタマは朦朧としていたが、
県病院の看護婦さんだという4人のお嬢さんたちと款爾丸に乗り込むと、一時的に目が覚めてきた。<後で反動が来たが。
主としてカメラマンを撮影するという馬鹿な行為を楽しみ、二時間ほどで撮影は終わった。
ウェイクボード、楽しそうだな。
オレはメガネがないと生活できない人種なので、自分でできるとは思えないが、好きな人の気持ちはなんとなくわかった。
これ以上は望めないほどの好天に恵まれたのも良かったのだろう。
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