南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

初夏の加計呂麻を行く 拾四

2006年05月31日 00時07分49秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 拾参よりつづく。

加計呂麻(かけろま)ツーリングは三日目である。
風が吹き、上空の雲は流れつづける。いつもの奄美、いつもの加計呂麻だ。
午前を釣りに費やし(釣果はきかないように)、午後から加計呂麻南部へ向かうことにした。
途中、本シリーズのから拾参までに触れた各集落については割愛し、武名(たけな)集落から報告をはじめよう。



武名の桟橋では、いつも誰かが釣りをしている。
近所の主婦だったり、仕事を早めに切り上げた電気工事のオジサンだったり、軽ワゴンの荷室をすべて釣り道具で埋め尽くした親子連れだったり。
釣れるんだろうか?

ある程度の面積をもつ土地で、どの部分に興味を惹かれるかは人それぞれなのだが、大島海峡に面した集落のうち、
これまで武名、三浦(みうら)、俵(ひょう)、瀬相(せそう)の集落をゆっくり見て回ったことはなかった。
今回こそは、と思う部分もあったのだが、午前中は釣りに勤しんだため、今回もあえなくアウトとなってしまった。



瀬相と俵の間に、《俵トンネル》が工事中である。
県道のトンネルなのに、鹿児島県土木部・企画部の奄美のトンネルランキングに掲載されていないのは、どうしてだろうか?
忘れられた?
ちなみに、シロート目で見る限り、雇用対策と酔っ払い運転による事故防止以外にはほとんど意味のないトンネルである。



加計呂麻島に二つあるフェリー港のうち、瀬相港から南東方面に行く道は二つある。
一つは県道を直進して山越えで呑之浦(のみのうら)へ至る道、もう一つは山に至る坂道の手前で消防署(大島郡消防組合加計呂麻分駐所)の方へ曲がり、加計呂麻トンネルを通って於斉(おさい)へと向かう道である。
この加計呂麻トンネルも、奄美のトンネルランキングに掲載されていない。
トンネル脇(左側、リュウキュウコノハズクの下)のプレートの記載によれば、竣工は平成9年1月、延長は410mだそうだ。
トンネル内部には緩いカーブがある。



トンネルを抜けると於斉集落の端に出るのだが、まずは右へ、伊子茂(いこも or いこむ)集落へと右折しよう。
その伊子茂集落も、ひとまず通過し、《レストラン・民宿 5マイル》の看板を目印にバイクを停め、浜に下りてみる。



ちょうど干潮の時刻で、マングローブの若木のそばまで行くことが出来た。
歩くたびに小さなカニが慌てて穴に逃げ込むのが見える。



遠回りに浜から上がってバイクに戻る途中に見つけた草の実は、帰ってから調べるとオオアブラガヤだった。

どちらに行こうか迷ったが、伊子茂の集落へ入ってみることにした。

つづく

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初夏の加計呂麻を行く 拾参

2006年05月30日 01時09分37秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 拾弐よりつづく。

加計呂麻(かけろま)島西北側の須子茂(すこも)集落で雨に降られ、いったんは実久(さねく)のテントに戻ろうとしたオレだったが、
どうやら雨は局地的なものだったらしく、阿多地(あだち)から瀬武(せたけ)林道を走っているうちに雨域から抜け出してしまった。
日没まで時間の余裕は少しある。
瀬武集落から木慈(きじ)集落へ向かうことにした。



木慈では、県道は集落の中央部を通り抜けている。
価値観は人により様々だが、オレは一度集落を抜けて、県道が堤防に沿いになる地点にバイクを停めた。
防波堤沿いを主として、やや急ぎ足で見て回ろうというのだ。

公民館の庭に、ガジュマルの古木が枝を広げている。
青いシートの下が土俵であることは言うまでもない。
左にはトネヤ
実際の順番は、おそらく逆である。
上陸が容易な浜に面した空き地を神聖な場所[みゃー]として集落の共有地とし、そこにトネヤを建て、土俵を造り、公民館を建設したのだろう。
ガジュマルは、[みゃー]に植えたのか、元からあったのを周囲を伐採して整地したか。
シロートの強みで強引な解釈をすれば、
この場所全体が神域であり、トネヤが社殿、ガジュマルが依代としての神木、ご神体は海なのである。



防波堤沿いのガジュマルの枝は浜にまで伸びている。
大人はすこし身を屈めないと通れない。



桟橋の向こうにデイゴの巨木が見える。
あまり葉をつけている様子がなかったので、いまごろ花を咲かせているかもしれない。



防波堤脇にはビロウ(リンクはpdfファイル)の若木。
触手のように伸びた新芽(?)が不気味だ。

そんなこんなで夕暮れが近づいた。本日はここまでとしよう。
そうして戻った実久の話である。
この日は、旧暦で四月の初午の日。
旧実久村の《浜下れ》の日だ。
通常、奄美大島では、旧暦の3月3日(三月中頃から四月中頃)に《浜下れ》という「海開き」的な行事が行われる。
家族単位(祖父母を頂点とする大家族や、さらに親戚で集まることもある)で近くの浜に行き、潮干狩り兼ピクニックのようなことを行うのだ。
古典の素養がある方は、平安時代に貴族の年中行事であった「春の野遊び」と同じモノだと理解されるといいだろう。
旧暦の3日といえば、潮汐は大潮またはその翌日に当たる。
南国の奄美では水も温み、磯の生物の活動も活発になる。
天然モズクの収穫がはじまるのもこの頃ではなかったか。
それが加計呂麻島の北東半分を占める旧実久村では、旧暦四月の初午の日に行われるのだ。
古代の日本では《初午》といえば、二月(旧暦)の最初の午(うま)の日のことであり、春が巡ってきたことを祝う行事が各地にある。
それが加計呂麻島では、夏の訪れを祝う行事として春の行事の替わりに祝われているのだろう。

つづく

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明日への一歩

2006年05月29日 21時15分53秒 | 本日の名セリフ
これはもしかしたら、人類にとってなんの価値もない出来事かもしれない。
しかし、私にとっては大きな一歩なのだ。

南方単車亭の主



大潮の昨日、いまいち信用できない天候に加計呂麻行きは諦め、まずは小湊の磯に行ってみた。
そして、海に片足を突っ込んだ瞬間に悟った。
「こりゃダメだ」
とにかくほじくり返せば何か出てくる砂地の潮干狩りとは違い、磯では知識と経験が必要なのだ。



そこで、釣竿を持って住用に行くことにした。
川内川の河口でオキアミを餌に、投げては巻き投げては巻きの二時間後、
フリーにしていたリールのラインが凄い勢いで持って行かれた。
「来た!」
ハンドル(って呼んでいいの?)を掴んで引こうとすると、
「あれ?」
まったくの無抵抗。手応えなし。
逃げられたのだ。
しかし、昨日まではそれすらなかったのだ。
「進歩、進歩」
気を取り直して、また投げては巻き投げては巻き。
雨が降り出すまで続けたのであった。



足元にいた、小さな蟹。
名前は、またそのうち調べますわ。
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初夏の加計呂麻を行く 拾弐

2006年05月29日 00時11分17秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 拾壱よりつづく。

阿多地(あだち)で島唄を堪能したオレは、海沿いに隣接する須子茂(すこも or すくむ)集落へ向かうことにした。
阿多地から須子茂へは、急な坂を上り、ふたたび下る。
奄美大島・加計呂麻(かけろま)島の他の集落同様、山に囲まれた入り江の集落なのだ。



大きなカーブを回り込むと、入り江に面した須子茂集落が見えてくる。
ここでバイクを停めたのには理由がある。
以前(日付は失念したが、ほぼ同じ季節)、加計呂麻を訪れた際、ここでルリカケスを見ているのだ。
とりあえず5分ほど佇んでみたが、今回はルリカケスとの邂逅はならなかった。
悪いことに空は徐々に暗くなっている(時刻は、午後3時を回ったところ)。
ルリカケスを待つのは諦め、坂を下って須子茂に向かうことにした。



坂を下る途中、山側の斜面が紫色に煙っている。



慌ててバイクを停め、しばし呆然と眺めてからカメラを取り出す。
マクロ撮影も試みてみたが、折悪しく風が吹きはじめて、完全にブレてしまった。
帰宅してから図鑑で調べるも、やはり判らない。
葉の周りが尖っていないから、アザミではないように見えるが…。



こちらも判らない。
ただ、淡い紫色に染めあげられた斜面に、ところどころ鮮烈な黄色が強い印象を残している。
これをもう一度見るためだけでも、早い時期に加計呂麻に行かねばと焦る近頃だ。

須子茂への坂を下りきったとき、ついに雨が降りだした。
今回は、家を出る時点から貧弱な雨具しか持ってきてはいない。
このまま前進は不可能と判断して、阿多地から瀬武(せたけ)林道を経由して実久(さねく)のテントに戻ることにした。

つづく

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初夏の加計呂麻を行く 拾壱

2006年05月28日 00時13分03秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 拾よりつづく。

加計呂麻(かけろま)島の北西端の集落、阿多地(あだち)を、チョウチョとデイゴを追い掛けて歩いている。
連休ということもあってか、なん軒かの家から子供の声が聞こえる。
その一軒から、島唄が聴こえてきた。



休み休み、おそらくは老境に達したであろう男性が三線(*1)を弾きながら唄う。
「朝花節(あさばなぶし)」だ。
低く無理のない音程で、奄美の島唄ではもっとも尊いものとされる《懐(なち)カシャ》(懐かしさ=郷愁、哀愁)に溢れている。
孫だろうか、鼓(ちぢん)を叩く音も聴こえてくる。
時おり唄声は途切れ、三線を弾く手も止まるが、しばらくするとまたはじまる。
お茶か焼酎かで喉を潤しているのだろう。
オレはデイゴの根元の囲いに腰を下ろし、カメラを弄るふりをしながら耳を傾けることにした。
延べにして15分近くも唄い続けた(*2)だろうか、いつしか路上に聞こえてくるのは退屈した子供が浜に行きたいとねだる声と、山でさえずるアカショウビンの鳴き声だけになった。
「これは、唄者(うたしゃ *3)の唄だ。まだまだ続く」
そう考えたオレは、その家からあまり遠ざからぬように注意しながら集落内をふたたび散策することにした。



一軒の家の庭にて。
ウメかな…。
一つ食べてみれば判ったと思うが、そういうのはドロボウだし…。



過疎化で無人となった家がなん軒もある。
放置して倒壊させては危険なため、土台以外は取り壊される。
写真は、そんな一軒の浴室部分。
丸く深い湯船と、壁で仕切られた焚き口。
そう、これは五右衛門風呂だ。

歩き回っているうちに、ふたたび三線が鳴り、唄声が聴こえてくる。
くるだんど節」、そして「よいすら節」だ。
デイゴの根元に戻ったオレは、そよ風とシマ唄(*4)の旋律にしばし陶酔した。
*1 本来、奄美大島では三線(さんしん)という呼称は使わず、三味線(しゃみせん or さむしん)と呼ぶ。ここでは、判りやすくするため、あえて三線という表記を用いた。
*2 「朝花節」に用いられる歌詞は、一部の地域でのみ唄われるもの、すでに失われて久しいもの、誰かが宴席などで座興半分に唄ったものを含めれば、1,000とも、それ以上ともいう。高名な唄者である森チエさん(86歳)に「どれだけ唄えますか?」と聞くと「相手にもよるけど、朝まででも唄えるよー」との答えであった。数ではなく、時間で計るしかないのだ。
*3 唄者(うたしゃ)とは、奄美では《シマ唄》の名人を指していう言葉。名人として認められるには、〔数多くの唄を知り〕、〔場の雰囲気に合わせて自在に歌詞を選び〕、かつ〔《懐(なち)カシャ》のある唄を唄う〕人だけが唄者と呼ばれた。前2項に当てはまる人を《年功者(ねんごしゃ)》、たんに唄が上手い人は《声者(くぃしゃ)》と呼ばれる。《声者》も本来は褒め言葉だったが、現代では侮蔑表現として用いられるため、あまり使うべきではない。ある唄い手をさして《唄者》と呼ぶか否かについては、明確な定義は存在しない。《唄者》の総数を200人ほど、とする人もいれば、「せいぜい30人ほど」とする意見もある。
*4 奄美の民謡は、「シマ」(集落を指す)単位で異なるため、正確には《シマ唄》と呼ぶのが正しい。ただし、最近では集落の伝統的な旋律や唱法を離れた唄い手が多くなったため、《シマ唄》という呼称が徐々に有名無実と化し始めている。オレの耳で判る限りでは、頑なに《シマ唄》に拘る若い唄い手は、奄美大島では中村瑞希吉原まりかRIKKIくらいか(無名の若者に数多くいる)。反対に中 孝介は、相手次第で様々な《シマ》の唄を唄い分けるという驚くべき才能の持ち主である。

つづく

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今日、明日は大潮

2006年05月27日 16時32分01秒 | Weblog
気象庁の潮位表によれば、干潮時の潮位はマイナス2cm。
干潮時刻は午後1時ときた。
しかも天候は良くなる見通し。
うーむ、これは潮干狩りか加計呂麻か、どちらかにせよということだな。
まず、ガソリンを入れまいじゃ。
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奄美のフツーの生き物たち 14

2006年05月27日 00時15分37秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、奄美のフツーの生き物たち 13もご覧ください。



クロアゲハ
2006年5月4日、瀬戸内町スリ浜にて撮影。
黒いアゲハチョウはクロアゲハ、カラスアゲハオナガアゲハの三種類があるんですが、オナガアゲハは奄美群島には分布していないそうです。
また、クロアゲハ、カラスアゲハも奄美独特の亜種だということです。
植物はコンロンカです。



ケムンパス
2006年5月4日、瀬戸内町スリ浜にて撮影。
上の黒いアゲハチョウのご子息かな、と思って撮りましたが、どうやらタテハチョウの幼虫らしい。
ケムンパスならびにアオムシ(英語でワーム)は、3月頃から大量に出没しはじめるのですが、
ちょっとキモチワルイのでなるべく撮らないようにしています。



リュウキュウミスジ
2006年5月4日、瀬戸内町スリ浜にて撮影。
コミスジにそっくりなんで、ずっとそう信じ込んでたんですが、大きさが違うらしい。

次回は、加計呂麻の浜辺の生き物です。
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初夏の加計呂麻を行く 拾

2006年05月26日 00時11分16秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 九よりつづく。

加計呂麻(かけろま)島の集落は、すべて海岸沿いである。
昭和31年の《昭和の大合併》までは、瀬相(せそう)を境に南は鎮西(ちんぜい)村、北は実久(さねく)村と行政は別れていたそうだが、
旅行者にとっては、北東側の大島海峡に面した集落と南西側の外海に面した集落と考える方がなんとなく判りやすい。
阿多地(あだち)は、南西側の最西端の集落である。
国土地理院の5万分の1地形図で見る限り、これより先に人が生活しうる場所は見当たらない。



阿多地のメインストリートは、およそ50m。
瀬武(せたけ)林道から集落内に入り、そのまま抜けて須子茂へと向かう道である。
先を急いでしまえば、旅人の記憶に残るのはこのデイゴだけだろう。
集落の中心部(地理的に。おそらくは精神的にも)に位置する場所にあるこのデイゴは、昨年(2005年)の公共工事で根元の一部が切断されてしまったが、
その部分は厳重に囲いを施され、今年も若葉を繁らせている。
手前に青いシートを掛けられているのは土俵だ。



樹齢は200年とも300年とも言われている。
大きく枝分かれした中央にあるのは若葉だろうか?
それとも、複雑な凹凸を作る樹皮に着生した若木だろうか?



バイクで(その前は車で)、日本のあちこちを回りはじめて約20年が経つ。
どこに行っても《過疎化》あるいはその手前の《人口減少》がはじまった地域にあるのが〔ゲートボール場〕で、なかなか見られないのが「野球ができる原っぱ」だ。
阿多地も、その例に洩れない。
ゲートボール場の横、消防ポンプ格納庫の前にも一本のデイゴ。
立派な枝ぶりだが、阿多地の他のデイゴと較べれば中学生サイズである。



チョウを追い掛けてふらふらと歩いていたら、集落の奥に巨大なデイゴがあるのに気づいた。
わずかながら花も咲いている。
チョウのことなどすっかり忘れて、集落の奥へと入って行った。



初夏の加計呂麻を行く 弐でも紹介したが、奄美大島には「デイゴがたくさんの花をつける年は台風が多い」という伝承がある。
これは「夕焼けの翌日は晴れ」という以上に島民にとっては常識である。
ちなみに、奄美大島では「夕焼けの翌日は晴れ」は、あまりアテにならない。
観光業に従事する人たちにとっては痛し痒しだろう。
開花の当たり年なら「デイゴが満開ですよ、ぜひ奄美に!」と叫ぶ一方で「今年の夏はキャンセル続出かも…」と覚悟が必要だし、
咲かない年なら、常連さんの問い合わせに「今年はちょっと…」と応えざるを得ない。



デイゴの根元に回りこんでみた。
どうやら合体樹らしい。
調べていたら、こんな記事が見つかった。
大きさが判らない方のために申し添えておくと、いっしょにくぐろうと思ったら、かなりお互いに密着しても苦しいはずである。
ほかにこういう記事もあった。
さて、阿多地のデイゴも堪能したし先へ進もうか、とバイクに戻りかけたとき、一軒の家から三線の音色が聴こえてきた。

つづく

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初夏の加計呂麻を行く 九

2006年05月25日 01時13分31秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 八よりつづく。

木々に囲まれた瀬武(せたけ)林道の急な下り坂を降りてきて、どうやら視界が開けたな、と思うとそこが阿多地(あだち)である。



奄美大島と加計呂麻(かけろま)島は、フィリピン海プレートとユーラシアプレートによる造山運動で海底が隆起して出来た島である。
遥かな昔、琉球列島のいくつかの島と同様、大陸の一部であったと考えられている。
加計呂麻島のところどころに、それをものがたる地殻変動の跡がある。



阿多地へは、瀬相(せそう)港から加計呂麻バスが運行されている。



海難事故と戦没者に奉げられた慰霊碑の前を通って浜に出る。
東シナ海からゆっくりと波が打ち寄せる。



今年のデイゴは花を咲かせるのだろうか?
しばし、この阿多地集落を散策してみることにする。

つづく

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初夏の加計呂麻を行く 八

2006年05月24日 01時01分51秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 七よりつづく。

瀬武(せたけ)は、なんといっても県道脇のガジュマル並木だ。
日差しの強い季節は、たいてい誰かしら木陰でバスを待っていたり、あるいはただ涼んでいたりする。



加計呂麻(かけろま)で、一時間なにもしない時間を作れたら、この木陰に佇んで、ただ吹き過ぎる風を眺めるのも悪くないだろう。



ところで、大き目の画像(↑の写真をクリックすると表示されます)をご覧になっていただければ、
バス停の表記は瀬武、看板には実久(さねく)郵便局、後ろの板(?)には[旧実久村役場跡]とあるのが読み取れるかと思う。
昭和31年の《昭和の大合併》で、加計呂麻を南北二つに分けていた実久村と鎮西(ちんぜい)村がちょうど対岸にあたる西方(にしかた)村といっしょに瀬戸内町と合併した。
この合併を境に加計呂麻の過疎化が急速に進んだという。
将来かならず起こるであろう《知事権限による強制合併》では、どういう結果が待つのだろうか?
加計呂麻の住民は、「住民票ひとつ取るのに、バスで港まで行ってフェリーに乗って役場に行く。半日掛かりだ」と言う。
「合併で良くなったことは一個もない。人は減った、仕事はなくなった」
一昨年、一緒に働いていた女性は「加計呂麻の人はねぇ、知らん人でも見れば判るよ。古仁屋(こにや:瀬戸内町役場がある)に来るのに帽子かぶったり、ちょっとだけオシャレするっちょ」
高齢者ほど、その傾向は顕著だという。
彼らの意識の中では、未だに余所(よそ)なのだろう。
すでに吉永瀬戸内町長は、非公式な場では「将来、全島合併になるからこれこれの施設は造らない」と語っているとも聞く(あくまでも伝聞です。町長自身は、合併には反対の立場だという噂)。
政治に関しては《消極的不参加》がオレの基本的な姿勢だが、《国が取って地方に分ける》日本の税制を改革しない限り、地方自治体の《交付金頼み》財政は変わらないことは間違いない。
合併をどれほど繰り返しても地方自治体の《財政破綻》は先送りされるだけだろう。
しかしその一方で《わりと均質的な社会福祉》が、この税制によってもたらされてきたことも事実である。



瀬武集落のすぐ横に、瀬武林道への起点となる分岐がある。
ここから、加計呂麻島の反対側の集落である阿多地(あだち)集落を目指す。
道は狭く、九十九折れを繰り返して一気に登る。



振り返って大島海峡を眺める。
森の中、わずかに見える舗装道路は、薩川(さつかわ)へと続く県道。
いちばん奥に淡く見える陸地が奄美大島、その手前に細長く伸びた陸地の向こう側が芝(しば)集落。
加計呂麻島と奄美大島の間に横たわる大島海峡を、古仁屋を経由して徳之島に向かうフェリーが進む。



林道は、全線舗装済み。
舗装工事じたいもこの10年ほどに行われたもので、とくに荒れた個所はない。
阿多地まで、ほとんど濃い緑に覆われ、昼なお暗い道である。
地図などで、この先に集落があることを知っていても、
「道を間違えたのではないか?」と不安になる。

つづく

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初夏の加計呂麻を行く 七

2006年05月23日 00時50分11秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 六よりつづく。

《林道薩川・実久線》の起点に戻り、薩川(さつかわ)に向かって峠道を下る。
下りはじめた直後に、加計呂麻(かけろま)島の南西岸の集落、阿多地(あだち)に至る林道の分岐が見える。
この林道は、真冬以外は通行しない方がいいだろう。
未舗装区間は短いのだが、ほとんど通行する車両もなく、なんとか通れる真冬でさえ雑草が路面全体を覆い尽くしている。
かなり慎重に走っても、下草に覆われた路面にどのような危険が隠されているかは、神のみぞ知る、というところだ。
また、樹木の枝も大きく張り出し、よほどの廃道マニア以外には勧められないルートである。
実久(さねく)から薩川への下り坂は、濃厚な緑の中を抜けていく。
いつかこの道をゆっくりと歩いてみたいと思うのだが、ついつい他の興味に惹かれて、いまだに果たせないでいる。



薩川の県道沿いには、薩川中学校がよく目立つ。
薩川中学校の脇を曲がって芝(しば)へと向かおう。
なん軒かの住宅を通り過ぎた薩川小学校の校庭には、立派なガジュマルが並木を形づくっている。



通り過ぎてからガジュマルにカメラを向けるが、風景が大きすぎてファインダーに収まってくれない。
自分の拙さをカメラのせいにして舌打ちしながら振り向くと、じゅうぶんファインダーに収まる被写体があった。



アダンだ。
大きさは、ハンドボールほど。
これからゆっくりと色づき、八月には鮮やかな黄色に、九月を過ぎるとオレンジ色になる。



薩川からおよそ3kmの芝集落を通過し、《林道薩川・実久線》の芝側の起点に至る。
もちろん、こちらにも「工事中 行き止まり」の看板があるが、その行き止まりまでの道を愉しもうというのだ。
途中、40mほどにわたって酷く路面の荒れた個所がある。



オキナワテイカカズラだと思うが、どうなんだろう?
花びらの数がちがうような気がする。



大島海峡を眼下に見下ろしながら、急峻な坂を駆け上がる。
中国大陸から飛んできた黄砂の影響で、遠景は霞んで見える。



ここまでで行き止まり。
ふたたび坂を下り、瀬武(せたけ)を経由して阿多地(あだち)へと向かおう。

つづく

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初夏の加計呂麻を行く 六

2006年05月22日 00時12分43秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 伍よりつづく。

工事中(中断されている)の林道をなおも進む。
道はきれいに舗装されているが、狭く、カーブが多い。
路面には、崩落した赤土の塊や太い枯れ枝がいくつも落ちている。
急ぐ理由もないので、路肩にきれいな花でもないかと探しながらバイクを進ませる。



イジュの花は、花粉を好む昆虫たちにとっては巨大な食糧庫だろう。
ハナムグリがたくさんむらがって、せっせと食事中だ。



こちらはヤブツバキか?
それにしては遅い時期まで花をつけている。
ブーゲンビレアかもしれない。
いずれにせよ、これは宿題だ。



舗装が途切れたところで通行止めである。
ざっと見た限りオフロードバイクの通行にとって支障になるほどではないが、「どうしても通り抜けたい」と思うほどではない。
景色を楽しみつつ、来た道を戻ることにする。

つづく

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奄美のフツーの生き物たち 13

2006年05月21日 00時30分40秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、奄美のフツーの生き物たち 12もご覧ください。

引き続き、加計呂麻(かけろま)島の昆虫特集です。
一部、昆虫とは呼べないモノも混じってますが、あまり気にしないで下さい。



オオマルハナバチ
2006年5月4日、瀬戸内町安脚場(あんきゃば)にて撮影。
オオマルハナバチ、コマルハナバチは、この季節、頻繁に見かけます。
花は、おそらくハマボッス



デンデンムシ
2006年5月4日、瀬戸内町勝能(かちゆき)にて撮影。
ガジュマルの巨木を撮ろうとバイクを停めたついでに、すぐそばの生垣を見たら、案の定、お昼寝ちゅうでした。
虫じゃありませんが、そこは大目に見てやってくださいな、と。



花の名前も虫の名前も判りません。
2006年5月4日、瀬戸内町勝能(かちゆき)にて撮影。
デンデンムシを撮ったついでに、勝能の集落内をひとまわり。
花はおそらく、誰かの庭に植えられたやつの種が飛び出したものでしょう。
隣の養護施設から演歌が流れてきたので、演歌アレルギーの私はそそくさと退散しました。

次回も、加計呂麻の昆虫特集です。
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初夏の加計呂麻を行く 伍

2006年05月20日 00時40分55秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 四よりつづく。

雨はやんだ。南国の太陽に照りつけられて、道路も、バイクのシートも乾いた。
そろそろ生誕10年になろうかというSUZUKI DR-250Rだが、落ち着き払って目を覚ます。



実久(さねく)という集落を気に入っているのは、その隔絶ぶりである。
奄美大島の集落は、どこも山に囲まれた入り江にあるが、実久はそれが他よりも徹底している。
隣接する集落としては薩川(さつかわ)と芝(しば)の二つの集落があるが、どちらに行くにしろ陸路では急峻な峠道を越えねばならない。
その峠は、原生林に抱かれ、たとえ何日も雨が降らない日が続いても、つねに圧倒されるほどの湿度を抱えている。
交通量が少ないせいもあって、路面の一部は苔に覆われ、真冬でもうっすらと緑の化粧を施している。



峠の頂上に、《林道薩川・実久線》の一方の起点がある。
もう長いこと、「工事中 通り抜けできません」の表示が出ている。
ときおりボチボチと工事をしているのは知っているので、どこまで進んだのか見に行くことにした。



もっとも高いところで標高は100m程度か。
海面近くから一気に登ってくるので、実際よりも高く感じられる。
生い茂った低木と丈高い雑草の隙間から、実久集落を見下ろす。
左奥に白く長い砂浜が見えるのは、江仁屋離れ(えにやばなれ)と呼ばれる無人島だ。

つづく

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初夏の加計呂麻を行く 四

2006年05月19日 00時27分14秒 | 南方単車旅案内
初夏の加計呂麻を行く 参よりつづく。

のんびり散策と洒落込んでいたら、急に天気が悪くなってきた。



10:35AM
大きな雨粒が地面に落ちてくる。
慌てて屋根のあるところに逃げ込み、空を見上げる。
南の方から雨雲が広がってくる。
しかし、まだ上空の一部には青空が残っている。



10:36AM
ほとんど間をおかずに土砂降りとなる。
風は弱いが、雨粒に叩かれた樹木が身をよじる。



10:56AM
雨が上がり、雲は去っていく。
もはや、加計呂麻は初夏だ。

つづく

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