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南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

大島海峡東岸紀行 おまけ其の壱

2006年10月31日 23時12分15秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行は、結局はじまりから終わりまで3ヶ月半で54回という長丁場になってしまいましたが、手当たり次第にデジカメに収めた風景や物、生物などには紹介しきれずに残ってしまったものもたくさんあります。
そこで、今回からおまけとして5回に分けてご紹介いたします。
余計なご託はなるべく省き、簡潔にするつもりですのでよろしくお願いします。



2006年6月7日、瀬戸内町蘇刈ヤドリ浜にて撮影。
屋根はあれども壁はなく、敷居があって床はなく。
2003年の12月にはすでにここにあったのですが、未だに用途が判りません。
なお、わずかにナナメになっているのはカメラマン(オレ)の腕の問題です。
なお、この付近は大島海峡東岸紀行 弐に載っています。



2006年6月17日、瀬戸内町阿室釜字白浜にて撮影。
カニなんですけど、わかりますか?
これはカメラマンが悪いんじゃなくて、見事な保護色で隠れているカニの方を褒めてやってください。
なお、この付近は大島海峡東岸紀行 弐拾六に載っています。



2006年6月17日、瀬戸内町阿室釜字白浜にて撮影。
ガジュマルの木に鈴生りの実です。
大島海峡東岸紀行 弐拾七では、迷った末に実のアップの画像を選びました。



2006年6月25日、瀬戸内町篠川にて撮影。
ネムノキの花です。
あんまりアップにすると作り物っぽく見えるんで、ボツにした画像です。
なお、この付近は大島海峡東岸紀行 弐拾九に載っています。

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奄美のフツーの生き物たち 26

2006年10月29日 18時31分41秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、奄美のフツーの生き物たち 25もご覧ください。

「フツーの生き物たち」、今回もフツーに8月に見掛けた生き物たちです。



アシヒダナメクジ
2006年8月20日、奄美市名瀬大字小宿にて撮影。
さいしょは、アフリカマイマイが、なにかの理由で殻を無くしたんだろうと思ってたんですけど、
ちょうど、草刈りしたところだったんです。奄美で[草刈り]といえば、必ず回転式草刈機です。アフリカマイマイが回転ノコに引っ掛けられて殻を割られて、って推理したワケです。
モノは試しでナメクジを検索してみたら出てきました。
しかーし、まだ疑いは晴れてません。
こいつ、デカいんですわ。からだを伸ばした状態で10cmくらいあります。
フツーのアシヒダナメクジは5~7cmくらいだそうですから、依然として[アフリカマイマイ回転ノコ殻割られ説]は有効なのではないだろうか、なんちって。
どちらにせよ、広東住血線虫ていう厄介な寄生虫を持ってる可能性がありますので、①見つけても触らない ②触ったらすぐに手を石鹸等で洗う といったことを心掛けましょう。



ハムシの仲間
2006年8月26日、奄美市名瀬大字知名瀬にて撮影。
とにかく、ちっちゃい虫でした。
6mmくらいかな?
ナニか判った方は、コメント欄で教えてください。



アマミシジュウカラ
2006年8月26日、奄美市名瀬大字知名瀬にて撮影。
略してアマカラ、なんちゃって。
じつは、もうちょっと向こうで同じくらいの大きさの鳥が、猛スピードで嘴で木を突付いていたんで、そっちを撮りたかったんですけどね。



ユウマダラエダシャク
2006年8月26日、奄美市名瀬大字小宿にて撮影。
今回も、はてなマークばっかりでしたな。

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大島海峡東岸紀行 最終回

2006年10月26日 20時55分36秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 伍拾参よりつづく。

宇検中央林道2号線から戻り、さらに先へと進む。



上ったり下ったりを幾度か繰りかえすうちに、舗装が途切れる。
ここからは、焼内(やけうち)湾に面した集落・屋鈍(やどん or やどぅん)に至るまで、およそ5kmのダートである。
ダートのうち、西古見(にしこみ)側から1.5kmほどが比較的荒れている印象だ。
とはいえ、郵便配達や戸別営業(奄美大島では、置き薬の会社が2社あって精力的に島内の過疎地域を回っている)の軽自動車が通る道でもあり、オフロードバイクであればそれほど難度は高くない。
むしろ、僅かに点在するフラットな区間で速度を出し過ぎないようにすべきだろう。
この付近は奄美大島でも自然が豊かな地域であり、野鳥やリュウキュウイノシシも多く生息している。
滅多に出会うことはないのだが、それでも無駄な爆音で自分からチャンスを放棄することはないだろう、と自戒を込めて。



屋鈍まであと僅か、というところで、空き地があったので停めてみる。
水源が近いらしく、森の奥からふた筋の流れが引かれている。
うちひとつの流れの土壌にはかなりの酸化鉄が含まれていると見え、土砂を堰き止めるコンクリートや水路となったU字溝の底は赤紫に染められている。



大きなコンクリート容器には砂が詰められ、簡易浄水器となっている。
脇から流れ出る水を手に受けて飲んでみた。
美味い。
もうひとくち。



もうひとつの流れは、小さな滝となって音を立てている。
飛沫がかかるところは濃い緑の苔に覆われていた。
もうひとくち冷たい水をいただいてから、ふたたびバイクにまたがった。
屋鈍まではもうすこし。
大島海峡東岸の旅は、これでおわる。

この項 おわり


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大島海峡東岸紀行 伍拾参

2006年10月24日 20時11分32秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 伍拾弐よりつづく。

曽津高崎(そつこうさき:通常はソッコーザキと呼ばれる)から戻り、山道をさらに先に進む。
ほどなく、宇検中央林道2号線への分岐にいたる。
大島海峡東岸紀行 四拾四にて紹介した崩落現場を通過すれば、ここに至るのだ。
崩落現場まで行くつもりはないが、すこしだけ寄り道していこう。



眼下に、大島海峡東岸紀行 伍拾で紹介した桟橋跡の浜を眺める(じっさいの桟橋跡は左の斜面に隠れている)。
中央に三連立神(さんれんたちがみ)、その向こうに江仁屋離(えにやばなれ)、その右に見えるのが赤瀬。



ほぼ同じあたりから西古見(にしこみ)集落を見下ろす。
空は蒼く、海は紺碧。



林道横の緑が途切れたところで岩肌を眺める。



奄美大島は、地底深くフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下にもぐりこみ、海底が隆起してできた島である。
それも、一度だけぽっかり顔を出してそのまま現在に至るのではなく、大陸と地続きになったり離れたり、沈んでみたり隆起したりが繰り返されて現在に至っている。
アマミノクロウサギリュウキュウアユといった固有の生物は、こうした経緯によるものだという。
現在、マクロに見ても、島の北部と南部では地殻の変動の度合いもかなり違ったらしく、比較的平坦な北部に対して南部は起伏が激しい。
こうして岩盤が露出しているところを見ると、海底が隆起したなごりであろうか、水平に重なるはずの地層が急角度に傾いている。
試してみるまでもなく、こうした岩盤はひじょうに脆く、強い衝撃を与えれば簡単に剥がれ落ちる。
事実、岩盤が露出した箇所では、かならず剥がれ落ちた岩のかけらが路面に散らばっている。
こうした脆弱な地盤を持つ土地に村長・村議と地元の土建業者らが高レベル放射性廃棄物の最終処分場を誘致しようという動きが表面化されたのは、つい先日のこと。
地域住民の反対の声の大きさにすぐさま白紙撤回されたのだが、「5期目ともなるとこーゆーこともへーきでやるわけじゃやー。近隣自治体に住む者として安心できんちば」と思うオレである。

大島海峡東岸紀行も、いよいよ次回が最終回です。

つづく


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奄美のフツーの生き物たち 25

2006年10月22日 09時03分39秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、奄美のフツーの生き物たち 24もご覧ください。

「フツーの生き物たち」、今回もフツーに8月に見掛けた生き物たちです。



アカマタ
2006年8月13日、瀬戸内町古志にて撮影。
無知なオレがハブと間違えて一人でコーフンしたことは大島海峡東岸紀行 参拾伍に載っけた。
そんでもって、マッタブと判った時点で調べてみたら、見つかったのが与論島のこのページ
じつは、ちょっとびっくりしたのだ。
与論でもマッタブ(奄美方言)って言うの? アカマター(沖縄方言)じゃないの?
与論島は、行政区分では鹿児島県ではあるが、文化的には沖縄県の色が濃い、
島の人々も「与論て、沖縄県でしょ?」と言われてもだいたい納得しちゃう、
というのがオレの持つ与論島の知識のほとんど総て。
これは、与論の民謡が沖縄音階で唄われるということから、イメージが勝手に膨らんだのだろう。
しかし、調べてみると、方言などは沖縄よりも奄美の方が近いようだ。→与論島の俚諺(ことわざ)集
なんだかちょっと勉強になった気がする。



アマミキボシカミキリ
2006年8月13日、奄美市名瀬大字知名瀬にて撮影。
オレのばやい、生き物発見は「ここらへんかな、と思ったあたりにバイクを停めて暫らくはうろうろと歩き回る」のが基本でアリマス。
「おっ、ナニか動いたぞ」と思えばしゃがんで覗き込むくらいはしますが、棒キレなんかを持って草むらを掻き分けたりはしません。
被写体とカメラの間に葉っぱなんかがあっても、出来るだけ触らないようにしてます。
「その程度でもこんだけ撮れちゃう」、「その程度だからこんなモンしか撮れない」どっちでも構わんよ、オレは。



ハチの仲間
2006年8月20日、奄美市名瀬大字小宿にて撮影。
コバルトブルーの横縞模様が、なんだかアニメチックです。



アオスジアゲハ
2006年8月26日、奄美市名瀬大字小宿にて撮影。
判りやすい蝶で、島内のあちこちで見られます。
最近じゃ見慣れてきて、どう足掻いても撮れそうもない距離で飛んでる時は
「オマエなんかもういらねーんだよ」とか言って知らん振りしてみたり。
そんでもって、上手いこと接近できたらばしばし撮る、と。

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大島海峡東岸紀行 伍拾弐

2006年10月21日 09時29分41秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 伍拾壱よりつづく。

大島海峡東岸紀行 四拾八にて、「三連立神(さんれんたちがみ)が見えたら、そこは西古見(にしこみ)」と書いたが、反対に「三連立神が見えなくなれば、西古見とお別れ」でもある。



三連立神も向こうは江仁屋離(えにやばなれ)、その左には加計呂麻島、その間に見えるのが須子茂離(すこもばなれ)で右に見えるのが夕離(ゆうばなれ)。

西古見を後にして、ちいさな弧を描きながら登る細い道を進むと、やがて分岐に至る。



曽津高崎(そつこうさき:通常、ソッコーザキと発音する)への分岐だ。
左のダートを延々と行った先に灯台はある、ことになっている。



赤土のダートは、最初のうちはフラットだが、下り坂の傾斜がきつくなるにつれ、どんどんハードになってくる。
時おり「乗用車で行けますか?」と聞かれるのだが、
「距離は往復で約4km。一泊二日のつもりでなら行けますよ」と答えることにしている。
Uターンできる場所がないので、終点まで行ったらそのままバックで帰ってくるしかないのだ。
乗用車以外に手段がない方は、分岐から1kmほどの地点に展望所があるので、車を停めて徒歩で行くことをお奨めする。
そこからなら往復で3kmもないはずなので、スニーカーでもなんとか歩けるはずだ。



樹木の陰で見辛いかもしれないが、雨水が溝を抉(えぐ)り、深いところでは30cmほどに達している。
すでに何度か通っているオレだが、細心の注意を心掛けている。



そして、これが終点である。
ここから先は、名瀬海上保安部の曽津高埼灯台のページをご覧いただきたい。

つづく


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大島海峡東岸紀行 伍拾壱

2006年10月19日 00時09分16秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 伍拾よりつづく。

大島海峡東岸紀行もついに50回を数えるに至った。
最後の集落である西古見(にしこみ)も通過して、残すはわずかである。



集落から1kmほど離れたところに昔の桟橋跡がある。
10年ほど前に訪れたときは、もうすこしいろいろと残っていたような気がするが、今はコンクリート製のプラットフォームが僅かに残るだけである。



海中に数本の支柱が残っている。
じっさいにここで泳いでみたが、向こう側の支柱の先は海底が急に落ち込んでいた。
支柱の周りには小魚が遊ぶように泳いでいる。



桟橋跡の左側(西古見集落の側)には砂浜が延びている。
波はほとんどなく、桟橋周辺に較べれば遠浅で、こちらの方が泳ぐには適しているだろう。
小魚もよく寄ってくると見え、季節によってはダイサギなどが散歩していることもある。



桟橋跡を過ぎ、曽津高崎(そつこうさき:実際には”ソッコーサキ”と発音される)方面へ進み、見晴らしのいいところで振り返る。
初夏の海は、どこまでも青い。



集落から3kmほど行ったところに旧・日本軍の弾着観測所がある。
この弾着観測所に関しては、昨年11月に「県道名瀬・瀬戸内線 西古見線」と題して取り上げたので、興味のある方はご覧いただきたい。
また、『あげーのしま 奄美』さん(旧日本軍 観測所跡)、「奄美Kanpon Life」さん(西古見の観測所跡)でも取り上げられている。
ここでは、まったく違う角度から一枚、撮ってみた。

つづく


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大島海峡東岸紀行 伍拾

2006年10月17日 00時12分12秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 四拾九よりつづく。

大島海峡東岸紀行は最後の集落、西古見(にしこみ)に到着した。
金毘羅宮から勧請したという神社を眺めた後は歩いて集落内を回ろうとも考えたが、あまりの暑さに再び走り出すことにした。
集落内の様子については、本宅の生活報告帳・アーカイブの「西古見・歳の祝い見学」でも触れているので興味のある方はご覧いただきたい。

西古見集落は、海沿いに民家が密集し、その後背地には耕地が広がっている。
最近では過疎化のために農業人口が減少し、手のかからないソテツの栽培や牧草地になったり耕作そのものが放棄されたりで面影はないが、昔は一面の水田だったのではないか。
西古見(にしこみ)という地名を分解すれば、ニシ(沖縄・奄美の方言ではを意味する)のコメとなる。
細長い直角三角形をした奄美大島では、西古見は南部として見られることが多いが、
琉球王朝に支配された時代(15世紀中頃から17世紀初頭に掛けて)には加計呂麻島の諸鈍(しょどん)に琉球王朝の駐屯基地が置かれていたため、
諸鈍を中心として東西南北が冠せられた地名も随所に残っている。



そんな昔の水田跡地の奥に、旧・西古見小中学校が建っている。
「旧」と付けるのは、同校は昭和61(1986)年に廃校になっているのだ。



校舎は三棟(と記憶しているが…)、それに体育館。
校庭はさほど広いとはいえないが、小振りとはいえ体育館がある。
どこか私立の学校法人で、自然教育の施設としてここを購入(あるいは長期賃借)しようというところはないだろうか?
ご覧のとおり、自然に恵まれ、都会の喧騒とは隔絶した地である。



不動産業者気分で売り込み文句を考えながらカメラを持って歩き回っていたら、足元にサソリモドキを発見した。
おっかなびっくりカメラを近づけて何枚か撮ってみたが、どうも様子がおかしい。
脚のうち一対が奇妙に捻じれているのだ。
枯れ枝を拾ってひっくり返してみると、からからに干乾びて死んでいた。
ニワカ不動産業者の「自然教育の施設としてドウデスカ?」は早くも破綻したのだろうか?
いやいや、さにあらず。
刃物を持った反社会精神病質者の存在に対し、あらゆる教育機関が神経を尖らせる昨今である。
ちょっとした毒(濃度80%の酢酸=強い臭いと炎症をもたらす)を持ったサソリモドキの方が、よほど組し易いのではなかろうか。



校舎の周りにいるのはサソリモドキだけではない。
まだ羽根が発達しきっていない、幼いコバネイナゴだ。

つづく


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奄美のフツーの生き物たち 24

2006年10月16日 01時07分38秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、奄美のフツーの生き物たち 23もご覧ください。

「フツーの生き物たち」、今回もフツーに8月に見掛けた生き物たちです。



キノボリトカゲ
2006年8月13日、瀬戸内町篠川にて撮影。
はい、相変わらずのピンボケです。
路肩の苔むした標石(でいいのかな?)の上でちょろちょろしてるヤツを、
バイクで走りながら発見したのは、ちょっと自慢しとこうかな。
時速40km弱で走りながら、一瞬で見抜いたモンね、オレ。
その後は、およそ10分間、なんとか石柱の向こうに回り込もうとするキノボリくんを右に左に回りこみながら、
道行く車のドライヴァーたちの「ナニやってんの?」視線にも動じず、シャッターを切り続けたのだ。
結果はピンボケだけどさ。



クモ
2006年8月20日、奄美市名瀬大字小宿にて撮影。
蜘蛛の世界、けっこう奥が深いようです。
この蜘蛛についてナニか知ってる方はコメントください。



ササキリの幼虫
2006年8月26日、奄美市名瀬大字朝仁にて撮影。
触角が異様に長くて、いろいろ頑張ってみたんですが、ファインダーに収まりませんでした。



シロチョウの仲間かな?
2006年8月26日、奄美市名瀬大字朝仁にて撮影。
子供の頃、『かいじゅうはかせ』だったこともあるオレですが、
昆虫ってなぁ、ちょいと数が多すぎらぁな。

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大島海峡東岸紀行 四拾九

2006年10月15日 01時00分53秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 四拾八よりつづく。

大島海峡東岸紀行は、終点の西古見(にしこみ)集落に到着した。
しかし、到着した途端に塩ビパイプ製の鳥居と祠に驚き呆れてしまった。
恐るべし西古見。前途は多難である。



集落内に入っていくと、三叉路に突き当たる。
防波堤沿いの道と、集落内を抜ける道とが二股に分かれているのだ。
防波堤沿いの道も良い趣がある道なのだが、ここでは三叉路にバイクを停めて、集落内に歩いて入ってみよう。
防波堤沿いの景色は、《奄美の唄者・西 和美.com》の「かずみ寫眞館」や、本宅の生活報告帳・アーカイブの「屋鈍(やどん)でぼんやりしてました」等にいくつか載せています。
歩き出してすぐに、赤い鳥居と参堂を発見した。
丹塗りはいささか色褪せているが、こちらの鳥居が木製であることは遠目でも判る。
空は快晴、日差しは強烈、まっすぐ空へと伸びる階段にいささか足腰と心肺機能に不安を感じながら上ることにした。

登りつめると、小さな祠が鎮座している。
祠には額が掛けられ、
「この社殿は西古見共同所有
金壱百参拾参拾万円で再建する
 昭和六十年十一月十日落成」
とある。
おそらく、立派な参道も同時期に補修されたものだろう。



基部は石灯籠のそれだが、乗っかっているのは明治・大正時代の街灯みたいなレンガ造りという不思議なもの。
実際に、昔の西古見集楽の街路で使われていたものではないか。



階段を下りながら、鳥居の脇に植えられたハイビスカスを一枚。
白い屋根、青い空、紺碧の海と赤いハイビスカス。
惜しむらくは、カメラマンの技術が追いつかないことか。

ここで、神社の社名を確認していないことを思い出した。
正確には、社名らしきものを見つけられなかったのだが、この坂道をまた登るのも辛い。
後日、西古見生まれの島唄名人・西 和美さんに聞いてみたが、
「はて? なんていったっけ?」という返事。
もっとも、地元の人ほどそんなことに頓着なく、「むらの神社」と認識しているのもまた事実である。
そんなことよりも、聞いてみてよかったのは
「あの神社はね、四国の、ほら、金毘羅さんから分けていただいたのよ。船と漁の神様だよ」
なるほど、と納得した。



参道を下りきって、さてどうしようかと思いながら参道入り口脇のガジュマルを眺めて驚いた。



電柱のような(おそらく、電柱か街灯の柱だったのだろう)細く長い丸太がガジュマルを支えているのだが、
ガジュマルがその丸太を掴まえて、ほぼ一体と化してしまっているのだ。
ガジュマルは漢字で榕樹と書く。
まさに読んで字の如し。
溶けた樹幹は、これからもゆっくりと丸太を取り込みつづけていくのだろう。
これを愛の象徴と見るべきか、畏怖をもって眺めるべきか、
判断のつかぬままにカメラを向けるオレである。

つづく


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大島海峡東岸紀行 四拾八

2006年10月12日 00時08分22秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 四拾七よりつづく。

《大島海峡東岸紀行》も管鈍(くだどん)を通過して、西古見(にしこみ)集落を残すのみとなった。
管鈍・西古見間は、拡幅工事が施されて見通しが良くなった区間と、
昔の林道にすこし手を加えて舗装しただけの区間が入り混じり、程よい緊張感とともに道行くものを飽きさせない。



海上に浮かぶ三つの小島は[三連立神(さんれんたちがみ)]と呼ばれ、西古見のシンボルである。
奄美大島では、ほとんどの集落は入り江の奥に位置するというのはこれまで何度か紹介してきた。
その入り江の入り口の付近に、入り江に蓋をするような格好で小島があれば、それを[立神(たちがみ)]と呼ぶ。
[立神]は、集落の海の守り神として崇拝されている。
三連立神が海上に見えたら、西古見は目の前だ。



西古見は、美しい砂浜を抱く集落だ。
かつてはカツオ漁の港として栄え、小規模ながら飲み屋街まであったという。
ここからは細い急な坂を下って集落に入ってゆく。



集落の入口で、手安に続きまたしても奇妙な鳥居を発見した。
手安のものよりは、鳥居としての体裁が整っているようにも見える。
鬼が出るか蛇が出るか、ともかく参道を登ってみよう。



丹色のように塗って、イカにも本物らしく見える二つめの鳥居だが、
同色に塗られた参道の手摺りと同様、塩ビのパイプ製だ。
手摺りの方は危なっかしくて触る気にもなれなかった。



右に赤く見えるのが祠。
正面からの撮影はさすがにはばかられたので画像はないが、
「なんですか、こりゃ」というのが正直な感想。
扉もない祠の中には、高さ25cmくらいの結跏趺坐した僧侶の石像(インドの行者風)が鎮座している。
この僧侶像が具体的に誰を指すのか、オレには読み取れなかった。
たしかに明治時代に至るまでは、《神仏習合(しんぶつしゅうごう)》といって神社と寺院は同じ敷地内に建てられることが多かった。
しかし、ここはどう見ても昭和の、いや平成の建造である。
考えるのも面倒になって、オレは参道を下った。

つづく


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大島海峡東岸紀行 四拾七

2006年10月10日 00時38分31秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 四拾六よりつづく。

大島海峡東岸紀行 四拾伍四拾六に続き、管鈍(くだどん)集落での話である。
集落の奥に〔厳島神社〕を発見し、参道をえっちらおっちら登りはじめたらバーバートカゲを見つけた、というのが前回のお話。





拭いても拭いてもじわじわと溢れる汗を拭いながら険しい参堂を上っていくと、
コンクリート製の鳥居が現れる。
質実剛健というか、無愛想というか、
「誰がどう見てもコンクリート」という質感がなければ、ほとんど遺跡である。
鳥居の少し手前から坂道の斜度はゆるくなり、その少し先にちいさな祠が建てられていた。
しかし、なぜかオレは「これで終わりじゃないだろう」という疑いが抜けきらず、
祠の横の踏み分け道を辿って、さらに先に登ってみることにした。



祠のわずかに上、小さな山(標高は30m程度だから、丘と呼ぶべきか)の頂上付近にはバレーボールのコート程度の空間があり、
その端には大き目の石碑が鎮座している。
碑文には、《昭和貮(2)年八月七日 行幸記念碑 古仁屋御上陸》とある。
へぇぇ、昭和天皇は、そんな頃に奄美に来てたのねー。
当時の天皇行幸は軍事演習への臨席がメインだったのかとも思うが、
その一方で有名な南方熊楠の進講があったのは昭和4年だったし、
陸軍大演習が主目的だった昭和10年の熊本行幸では、志布志町の沖合約4kmに浮かぶビロウ島を訪れたという記録が残っている。
碑文に刻まれた「古仁屋御上陸」の6文字からは、管鈍にまで足を伸ばしたという確証は得られないが、
この〔厳島神社〕の歴史を考える上で大きな材料といえるんじゃないだろうか?
つまり、オレが考えているのはこんな筋書きである。
長いあいだ、琉球文化圏の一部として独特の宗教観を持っていた奄美では、天皇制の末端機関である《神社》は、それほど馴染みがなかった。
それが、つい8ヵ月ほど前に即位した(昭和元年は12月25日からの7日間で、実際の即位式は昭和3年だった)青年天皇(当時、27歳)が来島したのだ。
おそらく、上を下への大騒ぎになったのではないか。
今だったら「天皇陛下御来島ブーム」といったところだ。
「天皇といえば神社だ、よし、神社を造ろう」ということで鳥居を立て、祠を建て、
社名をつけるときに困って「なんでもいいから有名なヤツ」ということで
《奄美に所縁(ゆかり)のある平家》→《平家に所縁のある厳島神社》となった、と。
さて、この無責任な筋書きがどこまで当たっているのやら…。



もう一度、水分補給をしてから管鈍を後にする。
集落の中央やや右よりのカマボコ型建物は、今年から休校になった管鈍小中学校
山の上の赤土が剥き出しになっているのは、大島海峡東岸紀行 四拾四に載せた崩落現場である。

つづく


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奄美のフツーの生き物たち 23

2006年10月09日 00時54分11秒 | 奄美のフツーの生き物たち
おヒマでしたら、奄美のフツーの生き物たち 21もご覧ください。

「フツーの生き物たち」、今回もフツーに8月に見掛けた生き物たちです。



オオハキリバチ
2006年8月13日、瀬戸内町篠川にて撮影。
篠川の県道沿いに、ちょっと大き目のアマクサギが何本か並んでいまして、
「なーんかいるかもー」と見に行ってみたら枝の間を赤いモノが飛んでいきます。
「おー、リュウキュウアカショウビンだー。あれ、飛んで行っちゃった…」という短いドラマでしたが、
「粘っていればそのうち…」と張り込みモードに切り替えて、待ってる間に飛び回る昆虫たちを撮った中の一枚です。
うーん、なんとムダに長い説明だろう…。



アマミシリケンイモリ
2006年8月20日、奄美市名瀬大字知名瀬にて撮影。
ナニゲなく覗いた水溜り(つーか、小川が埋まって細長い沼地みたいなの)に、へにゃへにゃと泳いでいました。
写真の撮り方が下手なのか(そんなのワカッテるでしょ)、イマイチはっきりしていませんが、
オレンジ色の線がきれいに見えるニクイ奴です(べつに恨んじゃいませんけど)。



シロモンノメイガ
2006年8月20日、奄美市名瀬大字小宿にて撮影。
ちょっとピンぼけしてますが、まぁ、それはご愛嬌ということでお願いします。



イソヒヨドリ
2006年8月21日、奄美市名瀬小浜町にて撮影。
8月の中ごろ、バイトに行くコースを変えて、出発時刻をすこし早めて、それが1週間ほど続いたでしょうか?
途中の公園で毎朝、なん種類かの鳥の写真を撮りました。
その中で、ほぼ唯一きれいに撮れたのがこれです。

教訓:半端な早起きは1画像の得。

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大島海峡東岸紀行 四拾六

2006年10月07日 00時15分00秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 四拾伍よりつづく。

奄美大島の西の端、大島海峡沿いをちんたら走りながらの閑話、管鈍(くだどん)集落での話の続きである。
どうやら上空では、地上よりは風が強いらしく、空の3分の1ほどを覆っていた雲が切れて、強烈な日差しが戻ってきた。
先ほどまでは「曇って蒸し暑い」と不満を口にしていたが、今度は「焦げる…」とうわ言のようだ。
未舗装の農道は、オフロードバイクのサスペンションを通じて心地よい振動を与えてくれるが、
速度が出ないので涼しくもなんともない。
「せめて日陰を」と、集落の奥の手近な山裾へ向かう。



その山裾に、荒れ果てた日本庭園のような参道と鳥居が見えた。



バイクを停めて近づけば、みょうに新しい額に〔厳島神社〕とある。
清水(せいすい)、阿鉄(あてつ)に続いて、3つ目の〔厳島神社〕だ。



坂道に(どう見ても)無造作に段を掘り、(どう見ても)適当に石を置いた参道は、
数段登るごとに息をつき、汗を拭かねば進めない。



何度目かの息をついたとき、目の前に動くものが見えた。



バーバートカゲだ。
こいつも暑さにうだっているのか、どうも動きが鈍い。
赤土の斜面を登ろうとして足を滑らせてやがる。
「レッドデータブックに載ってるヤツが、そんなことじゃいかんぞ」
叱咤しながら、それでも何枚か撮らせてもらった。

バーバートカゲが去って、参道の先を見ると、まだ半分以上が残っている。
ため息をついて、また登りはじめた。

管鈍の話、もう一回あります。

つづく


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大島海峡東岸紀行 四拾伍

2006年10月05日 00時29分17秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 四拾四よりつづく。

奄美大島の西の端、大島海峡の東岸をちんたら進む旅も、花天(けてん)を過ぎ、残すは管鈍(くだどん or くだどぅん)と西古見(にしこみ)だけとなった。
と、前回は変わりばえしない導入でそのまま管鈍林道に入ってしまったが、今回は、その林道から戻ってからのことである。
花天と管鈍を結ぶ県道は、そのほとんどが山中を通る。
花天では、最後の人家を過ぎたら山中に入って行くし、海が見えたらすぐに管鈍の集落が視界に入る、という具合だ。



この先のカーブを曲がれば、管鈍集落である。
入江の向こうに見える道を辿って、西古見に至る。

梅雨が明けて、ほぼ真上から射す日光の威力で、こまめに水分を取っているつもりでも軽い脱水症状を起こしている。
管鈍では県道脇に商店があり、500ccのペットボトル2本で水分補給を行った。
朦朧としかけていたアタマが、わずかに見通しが良くなったので、集落の奥へと入ってみる。



狭い。
おそろしく狭い道ばかりだ。
これまでも集落内部の道路について〔軽自動車でもぎりぎり〕と表したところが多かったが、
管鈍集落は、さらにその上(?)を行くのではないか?
中央突破を諦めて、集落の端から進入を試みたが、どうも不穏な状態である。
案の定、向こうに見えるガードレールの手前には鉄条網が張られていた。
再度、中央突破を試み、小川の向こうの農道を辿ってみる。



今回の旅で判りかけてきたことだが、どうやら大島海峡沿いの農業は、何度目かの変革期を迎えているらしい。
奄美大島の農業は、江戸時代は支配者である薩摩藩にサトウキビ作りを強制され、
その後、川沿いの農地で稲作が行われるようになったものの、
昭和40年代の減反政策と「北日本のおいしいコメ」で水田を放棄せざるを得なくなった。
サトウキビも、世界的な価格低下傾向で競争力を完全に失い、今や地元の製糖工場や自治体が
「工場を潰したくないのでキビを作ってください」と農家にお願いしている状態である。
農家の後継者らは都会に就職し、農村には親の世代だけが残され、
自治体や農協の指導で高収益作物(果樹)主体の経営への転換を図った。
その間にも歳月は流れ、都会に出たかつての[農家の後継者]らは定年を迎え、
単独での生活が困難となった親の世代と一緒に生活するために故郷に戻りつつある。
こうした流れの中で、多年の経験とこまめな作業を必要とする果樹栽培に見切りをつけて、新しい農業経営に向かう家族もある。
近年、経営者が増えてきた[肉牛繁殖]である。



ここで生まれた仔牛は、まだ幼いうち(一歳か二歳)のうちにセリに掛けられ、主として近畿地方の〔肥育農家〕に売られる。
セリの模様は、本宅生活報告帳生活報告帳アーカイブの『古仁屋から名瀬まで6時間かけてドライブしました』にチョコっと出ています。
〔肥育農家〕では所定の期間(長くて3年?)飼育し、<松坂牛>、<神戸牛>等のブランドで出荷する。



これまで通過してきた他の集落でも、サトウキビから牧草へと様変わりしているところがたくさんあったが、
このような長閑な放牧風景は見られなかった。

長々とコ難しい話を続けたが、ウシの親子の情景というのはなかなかいいものである。
たとえそれが、蒸し暑い午後に、ウシたちのUNKOの匂いを嗅ぎながらであっても。

管鈍の話、まだ続きます。

つづく


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