これは、
嘉徳川報告その5の続きです。
さて、月曜日にユンボ《すーぱー瀬戸内号》(オレが勝手に命名)が河口を開削したという瀬戸内町役場の隠密からの連絡を受けて、ようやく本日、行ってまいりましたよ。
目的その一:ガッツリ水量の減った河口の池(正しくはラグーン:潟湖)を眺め、人類の技術の偉大さに感心する。ついでに写真も撮って来る。
目的その二:水量が減った河口の池で魚釣り。たくさん釣って、名瀬は屋仁川の《窪田達雄の店》に持ち込んで料理してもらう。←ゼッタイ嫌がるけど。
目的その三:まさかとは思うが、一応スコップを借りていく。
てなコトで、ニシムタに寄ってオキアミの小パックを買い込んで、一路クルマは嘉徳へ。
現地到着時刻は12:30少し前。
この日の干潮は、奄美市名瀬小湊で12:00ちょうどだから、最大級の落差で池の水は海に流れ込んでいるはずなのだ。
が、
しかし、
あれ?
なんだか
先週と比べて変化がないカンジ。
なんてこった・・・
またしても河口が塞がってるやんけ。
しばし悩んだ後、クルマにスコップを取りに戻る。
見ちまった以上は、しゃあねぇもんなぁ
救いは池から海までの距離が短いこと。
最初と比べたら1/3かそこいらだし、堆積した砂の高さもずいぶん低い。
12:50 まずは軽く下拵えのつもりで掘ってみる。
13:10 だいぶ掘れたので、水路に水を流し込む。
「乾いた砂地に水を流し込むように」という文学的な比喩を、文句ナシに実感してしまう。
流せども流せども、水は砂に吸い込まれるばかりなり。
細い水路はいたずらに崩落を繰り返す。
スコップじゃなくて鍬を借りられたら、もっと楽だったろうに
13:40 水路を流れる水の最初の一滴が海へと届く。
ファンファーレも観衆の歓呼の声も若いネエちゃんの祝福のキスもないが、それでも池は水を吐き出しはじめた。
13:45 いくらか水路を掘り下げ、いくらか安定したところで休憩。
クルマに戻って用意した昼メシのおにぎりを食べようかと思った所に、前回の
2日目に一緒に作業をしてくれたオジサンがやってくる。
そういや、あん時も「休憩しようか」と言ってた時に現れたな、なんて思い出し笑い。
別にひもじいというほどでもない。
さらに2人で水路を拡げ、さらにもう1本、水路を掘ることにした。
14:40 2本目の水路が細々とながらも海に達したとき、
「オイ、あっち見ろ!」とオジサン。
1本目の水路が拡がり、水量は数倍になっている
15:00 みるみる水路は拡がり、水は音をたてて流れていく。
15:05 もはや水路ではない。これは川だ。立派な河口だ。
15:10 30分前まで完全に静止していた水が、水路への流れを形づくっている。
もう、人の手で出来ることは何もない。
15:12 すでに河口の幅は5mを超えている。
少なくともオレが見た中では最大の流量だ。
毎分、3tは水が出ていることだろう。
区長(というのは後で知った)のトクダさんと「お疲れ様でした」と言い合い、クルマに戻ることにした。
15:50 用意のおにぎりを食べ、いくらか休憩を取って浜に戻る。
まずは、水際に残った自分の足跡を辿って、1枚目の写真に近い位置に行ってシャッターを押す。
水が減っているのがはっきりと判る。
16:00 流れた砂で河口はいくぶん浅くなっているが、それでも水の勢いは衰えない。
欲を言えば、左の水路の流れがもっと強くなってくれれば、安心して帰れるんだが。
しかし、それでも右の水路の流れは強く深く、とても砂洲に渡って作業できる状態ではない。
16:25 これ以上、オレの手で出来ることは何もないと確信して帰ることにする。
満潮まで1時間半。
おそらく満潮になれば、波はこの合流点まで上がって来るだろう。
その波がさらに砂を掻き出すのか、それともまた河口を埋めてしまうのか。
可能性は五分と五分だろう。
今回もまた、砂と水ばかりの記事になってしまった。
最後の1枚だけは、嘉徳小学校のヒカンザクラで彩りを添えよう。
なお、《藍染め・よしかわ工房》のヨシカワさんによれば、ユンボの掘削で一度は開いた嘉徳川河口だが、翌日には再び砂に埋もれてしまったのだという。
火曜まで続く大潮が吉と出るか凶と出るか、あまり大それた希望は持たずに待とう。
次回の嘉徳行きは、早くても再来週になる。
追記:
瀬戸内町役場の隠密からの連絡によると、26日(月)に見てきた人がいて、
「5mくらいの川幅で流れていて、澱んでた水はほとんど流れたのではないか」とのこと。
ちょっとばかり安心
つづく
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