南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

2011年の嘉徳川・弐

2012年01月24日 01時01分32秒 | リュウキュウアユの塩焼きで一杯やりたい
すこしは反省の色を見せておこうということで、リュウキュウアユの話を連荘です。
ご用とお急ぎでない方は、前回の《2011年の嘉徳川・壱》、《1月の嘉徳川》、《2月の嘉徳川》から読んでもらえると、少しは話がわかりやすくなると思います。
さらにお時間のある方、30分かそこいらの時間を無駄にしてもいい方は、カテゴリ《リュウキュウアユの塩焼きで一杯やりたい》を通して読んでもらえると、砂と水の写真だらけで心がほどよく渇いてくると思います。
と、前回と同じ前置きをコピペして。

10日後の3月21日、東北では依然として余震が続いているとニュースが伝えています。
遥か遠くの離島でオレは、なけなしの勇気を振り絞って嘉徳へ向かいました。
道具はいっさい持ちません。浜を見るだけです。
着いたらいつものポイントで写真を撮り、そのまま帰って来ます。
周囲を山に囲まれた嘉徳集落付近では、ラジオも電波を受信できないことがしばしばです。
西日本で大きな地震が起きて、それが津波を起こしたりしたら、その情報を得られる保証がないのです。
なるほど皆さん仰るように、オレの心臓には毛が生えているかもしれませんが、サイズはとても小さいんです。



林道嘉徳青久線は、前年の10月20日の奄美豪雨で崩れたままです。
浜を見下ろす展望ポイントは、この土砂を越えた先にあります。



川は海とつながっています。
しかし、波打ち際の砂の堆積は、河口手前の蛇行を、さらに大きくしているように見えてなりません。
しかも流れの幅は細く頼りなくなっているように見えます。



山の緑が南の島の春を告げています。
遥かな北では春の訪れはまだ先のことなのでしょうか。



川はそれでも力強く流れています。
この日は大潮で、干潮は13:40頃でこの撮影時刻は15:12。
満潮になれば屈曲する辺りまで波が寄せるはずですが、すでに朝の満潮でも河口が塞がっていないのだから大丈夫だろう。
なんだか命拾いをしたような気分で帰途に着きます。



そして4月も終わりに近い29日。
あたふたと時を過ごす中に「今月のお参りを済ませてないぞ」と思い出し、あわてて南へ向かいます。



川はまっすぐ海へと流れ、河口手前の大きな水溜り(英語でラグーンというそうだ)は完全に解消されています。



しかし、河口の様子がなんだかへんだ。
水辺に奇妙な砂の山。



河口付近から上流を見れば、なにか重機のような物が見える。
あれはなんだ・・・?

(2011年の嘉徳川・参 へ続く)

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2011年の嘉徳川・壱

2012年01月23日 01時50分21秒 | リュウキュウアユの塩焼きで一杯やりたい
リュウキュウアユのこと、なかなか手に付きませんでした。
嘉徳の川にはほぼ毎月一回は行ってたんですけどね。
BLOGとしては、かなり間が空いてしまったので、ご用とお急ぎでない方は、《1月の嘉徳川》、《2月の嘉徳川》から読んでもらえると、少しは話がわかりやすくなると思います。
さらにお時間のある方、30分かそこいらの時間を無駄にしてもいい方は、カテゴリ《リュウキュウアユの塩焼きで一杯やりたい》を通して読んでもらえると、砂と水の写真だらけで心がほどよく渇いてくると思います。
てなことで、2011年の3月から10月までの嘉徳川についての報告、これが壱回目です。



3月12日が土曜日で、ちょうど小潮の期間に当たることから、金曜日は仕事を切り上げたらその足で嘉徳へ向かう予定を立てていました。
河口が閉塞していたら開削作業をしようという魂胆です。
仕事で短時間外出して職場に戻ってみると、TVのスイッチが入れられて、仕事の手を止めて見入っている。
気仙沼の、あの映像を目にしていたのです。
せいぜいが鹿児島の人に《気仙沼》といっても地理的イメージが湧くのは少数らしく、「海はどっちなんだ?」というのにうろ覚えで応えてたんですが、いま思い出すとかなりいい加減なことを言ってたような気もする・・・。
とにかく、遥か離れた奄美大島でも、ごく僅かな人を除けば、職場では誰もがパニック状態であったことは確かです。



さて、どんなに酷い災害だとしても、非正規の立場のオレに勤務時間の延長が打診されるはずもなく、予定通りの時刻に退勤します。
バイクを停めたところまで悩みながら歩き、国道58号線を瀬戸内町方面に向かって走り出しながらも、やはり引き返すべきか、心は千々に乱れます。
当時、(単一の)震源地とされた岩手県沖から奄美大島までは直線距離でおよそ1,500km。
津波は時速300km以上で進むというから、奄美には、早くて午後6時前後に到達する。
とうぜん、かなり威力は減殺されている筈だけど、いったいどれほどの波が襲ってくるのか。
なにしろ岩手県沖と奄美大島の間には、ほとんど陸地らしい陸地はない。誰も観測してくれないのだ。
2010年2月のチリ地震の時、住用の防波堤で釣りをしてたのを地元の消防に追い返されて、仕方なしに高台からぼんやり眺めてたら、けっこうな波が来たのにビビったという過去を持つオレなので、嘉徳に着いても気が気ではない。



沖を眺めると、なんだか大きな波が北東から南西へ次々と奔って行くように見える。
これまでの経験からいって人力開削をした方がいい程度の砂の堆積なのだが、海岸に近付くだけでもビビるオレなのだ。
暗くなるまで高台から海を眺めて、この日は帰ることにした。
帰るついでにバイクは職場の駐輪場に停めて、さらに車も自宅付近から職場の駐車場へ移動する。

(2011年の嘉徳川・弐 へ続く)

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初詣への道 前編

2012年01月05日 00時49分46秒 | 南方単車日乗
あけましておめでとうございます。
事のついでに、お久しぶりです、ご無沙汰しております。
今年も新しい年を、迎えることができました。

さて、めでたいめでたいお正月なので、今回は先に手の内をさらしておきましょう。
去年の1月3日のBLOGです。
ところどころで読み比べながら進んで行くと、このエントリーがより味わい深いものになるのではないかと思います。
では、はじまりはじまりー。

毎年のことなんですけどね、よせばいいのに孤独に行ってまいりましたよ初詣。
初詣ったって正月以外に神社仏閣に参詣するようなこともないんだから、ことさらに初詣なんて言いふらす必要もないんでしょうけど。
しかし、そんなふうに形骸化した行事だから却ってきっちりやってみたくなるのが、オレという性格の無駄に律義な部分であります。
なので2012年の初詣は、去年見つけたサイトできっちり下調べしましょう、と思いついたのは大晦日ですが。

まず、初詣は、正月三が日の間に行けばいい、それも無理なら1月中に行けば許してもらえる、という柔軟な対応を見せてくれます。
行先は、近所の神社でもいいし、恵方(えほう)というその年の縁起のいい方角にある神社でもいいのだと。
なんと、こんな判りやすいサイトもあります。

そんじゃあ、と2012年の恵方である壬(みずのえ:北北西のさらに北寄り)を探してみると、奄美市名瀬のオレんちからは3万トンバース、奄美博物館を通り越して東シナ海に出てしまう。
博物館の高梨先生を訪ねて「初詣に来ましたぱんぱん♪」とかやるわけにもいかないし、いやしかしこれはすでに緊急避難といっても良い事態だから、やってもいいかなぁ・・・と悩む。
どうにか出来ないかと地図を睨んでいると、塩浜町の山の中に厳島神社があるではないか。


(地図の下の方にあるボタンをクリックしてみてください)

じつをいうとここに神社がある【らしい】ことはすいぶん前から知ってはいた。
しかし、《神社そのもの》どころか石段だの鳥居だの手水だのといった付属物すら見たことはない。
地図上に記された付近には、ただ木が生い茂っているだけなのだ。
実在するのか、塩浜厳島神社。
壬(みずのえ)とはすこし方角が違うが、それについては後述する回避手段がある。
とりあえず、手掛かりを探して現地に赴くことにしよう。

さて、2012年は島に来て9度目のお正月になる。
ここ数年は大笠利の秋葉神社に連続して初詣に行っているので、今年は塩浜の厳島神社に行くからそっちには行かない、と冷たくあしらうのもどうかと思う。
調べると、西日本の一部では三社参りといって複数の神社に連続して参詣する習慣があるのだ。
神社の神様を分けてもらって別な所に祀るのを「分祀」というのだけど、それで神様のご利益が下がることはない、とされている。
分けて大丈夫なら連チャンでお参りしても大丈夫なんだろう。
しかし、大笠利の秋葉神社はオレんちから見て甲(きのえ:東北東の東寄り)にあるのだ。

縁起のいい方角に行きたい神社がない!
と絶望するのはまだ早い。
方違え(かたたがえ)という、目的の神社が恵方になる地点まで行って、そこから目的の神社を目指すのもありなのだ。
暇だけは有り余っていただろう平安時代の貴族たち(当時の日本には、貨幣経済は未だなかった)にとっては一泊する必要があったというが、いささか慌ただしくなった江戸時代からは回り道するだけでもよくなったらしい。
大笠利が壬(みずのえ)になるのは、奄美市笠利町須野の山中まで行けばよい。
何もない山の中では方違え(かたたがえ)になるのかどうか判らないが、地図を見ればそこには須野ダムがあるのだ。



富国製糖は、TPPに反対しています。

 

須野ダムに到る道。右は振り返って見たところね。
この日は撮らなかったので、むかしの写真を再掲しました。



須野ダムに到着。
最近、こっちに来てないので、2010年に設置されたこの看板をはじめて見たのだ。



無事、須野ダム経由で大笠利の秋葉神社へ到着。
ところで、なんでそこまでこの秋葉神社に拘るかは、一昨年のこれを参照してください。

田舎の家族の健康と、2012年がいい年でありますように、上等の年でありますようにと110(いっとう)円のお賽銭でお願いしました。
あいかわらずセコいなオレって。


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