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市町村アカデミーにおける研修である。今回は、ある程度の実務を体験している法制担当職員を対象とする研修である。
この研修は、全部で11日間にわたる研修になるが、私の出番は、最後のほうである。最後の気楽な話という位置づけと考えて、私も気楽に、のんきな話で参加している。受講生も、それまでの緻密な話と一転して、私の呑気な話になって戸惑っているのかもしれない。その証拠に、話がすべるのである。ツボにはまらいのである。逆に、そこが面白い?というところでウケる。私は、ちょっと落胆したが、まあ、人生いろいろである。
私は授業でもそうであるが、教科書に書いてあることは、ほとんどやらない。教科書に書いてあれば、私の話を聞くよりも正確だし、そこを何度も読めば、頭にも入るからである。だから、私が伝えるべきところは、言葉には表せない部分、地方自治で言えば、いわば経験の伝承というべきところについて話をする。
地方自治の目的は、市民一人ひとりが幸せに暮らせる社会を実現することであるが、現実にいる暮らしている人を相手にするので、理論通り、一筋縄ではいかない。だから、自治体における仕事は、総合格闘技となる。頭を使い、口や手を使い、足で稼いで実現する。こうしたことがらは、文字では十分に記述することができず、口伝するしかない。そこで、研修では、私が体験したことを、その時のテーマに合わせて話している。26年も市役所にいたので、いくらでも話題はある。
市町村アカデミーで残念なのは、いつも2階の一角に本を並べていたぎょうせいの出店がなくなったことである。なぜ、ぎょうせいだけがあるのかという批判を受けてのことだと思うが、そのテーマに合わせた本を並べて、結構重宝していた。いつも私の顔を見かけると、「先生の本を目立つところに並べています」などと、調子の良いことを言われ、私も、「今度、売れを本を書きますよ」などと、調子の良いことで返していた。
たしかに、なぜ、ひとつの本屋さんなのかという批判には適切にこたえなければいけないが、だからと言って、なくしたのは、もったいないことをしたものだと思う。実際、議員さんなどは、研修の後、大量に本を購入して帰ったという。これは、いいことではないか。考えるべきは、せっかく、市町村アカデミーで大いに勉強して、ついた種火を消さない仕組みである。そのように考えると、知恵の出しようは、いくらでもあるように思うが、どうだろうか。
ちなみに、千葉の市町村アカデミーのお土産は、いつもピーナッツフロランタンである。今回もゼミで食べる用に2つ買った。したがって、千葉における経済効果は、皆無に近かったと言わざるを得ない。
もちろん、法律上で働くわけであるし国際的な状況も理解しておくべきであると思います。しかし、公務員試験で人を採用するかしないかを決めるには本当にいいのかと先生の過去のブログを読み返してみるとさらに疑問になりました。
なぜこの形式の試験が続いているのでしょうか?
知識をほとんど持っていない私がこのような質問をしていいのか分かりませんがお聞きしたいと思いました。長文申し訳ありません。
法律、経済、数学・・・など、本来は、公務員として、社会人としての基本素養があるかを確認するための問題だと思います。ところが、競争が激しくなったので、これがどんどん難しくなり、受験予備校で勉強しないと受からなくなりました。勉強ができることはいいことですが、弊害も出てきました。たとえば、他者への思いを持つことができない職員が採用されてしまうことです。これに危機感を抱いた役所では、対応をし始めます。
最近は、ペーパー試験で、あまり大幅に落とさず、後は、面接で、人柄や活動歴など、人柄を判断する試験を行います。私のゼミ生は、ここで受かります。
むろん、この方法も弊害があります。客観性が弱まるからです。かつてあったように、有力者のこどもが受かるという弊害です(これで受かったと知っている本人は、一生、その負い目を背負っているのですね・・・)
採用方法も、それぞれに良さと悪さがあって、大きな流れの中で、右に行ったり、左に行ったりしているのですね。
地方分権になり、協働の時代に立って、市民の良いところを引き出せる人柄重視の試験がしばらく続きます。
どんな試験にも長所短所があるのですね。大学4年で法律、経済…をしっかり勉強し、たくさんの経験をして人間性を磨きたいと思います。