久しぶりに荒又さんたちが研究室にみえたので、条例づくりとは何かを再確認することになった。
①何度も言っているが、条例づくりは条文づくりではない。ベンチマーキングを誤解して、他の都市の条例から、都合のよい条文を持ってきて、それを並べて条文をつくったりすることがある。しかし、この作業で得られるのは、いわば、仮の目標をつくったということである。この仮の目標を本当の目標にするのが条例づくりである。ただ、市民だけでなく、議員さんも、行政職員も、条文を寄せ集めて、文章を作れば条例ができたように誤解する。あくまでも仮の目標を設定したに過ぎない。
②条例は動いて意味がある。条例ができて、市民が幸せになることが、条例をつくったということになる。機能しない「条例」をつくるのは、時間の無駄だし、税金の無駄である。この動く仕組みをつくるのが条例づくりの本質である。
③動く仕組みは、最小の費用で最大の効果をあげるものとしてつくる必要がある。罰則のような強制力で実効性を確保する方法は、労多くして効果少ないヘタなやり方である(役所の中で、実際に罰則を発動しようとするとどれだけの手間がかかるか考えるとよく分かる)。もっとも好ましいのは、政策関係者が自然に動く仕組みをつくることである。役所は手を出さずに、自然に効果があがる仕組みをつくることである。これが条例づくりのコツで、これを学ぶのが、本来の政策法務研修である。なお、こうした仕組みづくりは、その仕事をしている原課にしかできない。条例は法務担当にはつくれることができないという理由である。
④動く条例は、その担い手、使い手の参加なしにはつくることができない。当事者たちが、「これは私たちの条例だ」と自覚し、当事者意識を持って条例を大事にしなければ、条例の効果は期待できない。それができないと、たくさんの税金をつぎ込む高コストの条例になってしまう。上から押さえ込む条例になってしまう。最近では自治体の多くの仕事は、市民の参加、協力なければできない仕事が増えてきた。条例づくり(条文づくりではない)に市民が加わることが多くなったが、それが市民協働立法を論ずる所以である(市民協働立法は市民と条文をつくることではない)。
⑤法制執務もいずれ変革を免れないだろう。地方分権以後、仕事の仕方が大きく変わり、国に準拠するやり方から、「地域のことは地域で」に変わったのである。法務についても、市民に理解でき、市民自身が「私たちの条例」と思うように変えていく必要がある。当面、一部改正が課題である。この一部改正文を見て、市民が、その意味を理解でき、「私たちの条例」と意識できるだろうか。よいまちにするため、私たちもがんばろうという気になるだろうか。今こそ、自治の仕事とは何なのかを考えるときにきているように思う。
前の約束とおり、今度は、バラの時期、ヴェルニー公園でゆっくり話そうと思う。もちろん法務の話である。
①何度も言っているが、条例づくりは条文づくりではない。ベンチマーキングを誤解して、他の都市の条例から、都合のよい条文を持ってきて、それを並べて条文をつくったりすることがある。しかし、この作業で得られるのは、いわば、仮の目標をつくったということである。この仮の目標を本当の目標にするのが条例づくりである。ただ、市民だけでなく、議員さんも、行政職員も、条文を寄せ集めて、文章を作れば条例ができたように誤解する。あくまでも仮の目標を設定したに過ぎない。
②条例は動いて意味がある。条例ができて、市民が幸せになることが、条例をつくったということになる。機能しない「条例」をつくるのは、時間の無駄だし、税金の無駄である。この動く仕組みをつくるのが条例づくりの本質である。
③動く仕組みは、最小の費用で最大の効果をあげるものとしてつくる必要がある。罰則のような強制力で実効性を確保する方法は、労多くして効果少ないヘタなやり方である(役所の中で、実際に罰則を発動しようとするとどれだけの手間がかかるか考えるとよく分かる)。もっとも好ましいのは、政策関係者が自然に動く仕組みをつくることである。役所は手を出さずに、自然に効果があがる仕組みをつくることである。これが条例づくりのコツで、これを学ぶのが、本来の政策法務研修である。なお、こうした仕組みづくりは、その仕事をしている原課にしかできない。条例は法務担当にはつくれることができないという理由である。
④動く条例は、その担い手、使い手の参加なしにはつくることができない。当事者たちが、「これは私たちの条例だ」と自覚し、当事者意識を持って条例を大事にしなければ、条例の効果は期待できない。それができないと、たくさんの税金をつぎ込む高コストの条例になってしまう。上から押さえ込む条例になってしまう。最近では自治体の多くの仕事は、市民の参加、協力なければできない仕事が増えてきた。条例づくり(条文づくりではない)に市民が加わることが多くなったが、それが市民協働立法を論ずる所以である(市民協働立法は市民と条文をつくることではない)。
⑤法制執務もいずれ変革を免れないだろう。地方分権以後、仕事の仕方が大きく変わり、国に準拠するやり方から、「地域のことは地域で」に変わったのである。法務についても、市民に理解でき、市民自身が「私たちの条例」と思うように変えていく必要がある。当面、一部改正が課題である。この一部改正文を見て、市民が、その意味を理解でき、「私たちの条例」と意識できるだろうか。よいまちにするため、私たちもがんばろうという気になるだろうか。今こそ、自治の仕事とは何なのかを考えるときにきているように思う。
前の約束とおり、今度は、バラの時期、ヴェルニー公園でゆっくり話そうと思う。もちろん法務の話である。