岩佐和裁の携帯用ホームページです。(ドコモ、au、ソフトバンク全てに対応しております)
着物の御仕立、お直しのお店岩佐和裁
裏衽と前身頃の衽下りと裾から1尺の合いべらをして裏衽付けをします。
つり合いは胴接ぎまでは平ら、胴接ぎから裏衽の小接ぎの間は裏裾衽をゆるく、また接ぎのところは接ぎのある方をゆるくします。
裏衽が高くなる様にきせをかけ、裾口で裏衽付けの縫込みをおさえ、褄下と裾口に衽幅のへらをします。(表衽と同寸です)
裏衽の縦褄のみ裾の裁ち切りから3分5厘に、あとは2分5厘のへらをして、2分5厘のところのみに通しべらをします。
表同様に流れのへらをしてそれぞれの縫込みをおさえます。
I sew 裏衽uraokumi.
I carry out the mark which sews a 裏衿uraeri to 裏衽uraokumi.
This iron is an iron of the kind of 鏝kote.
iron=鏝 kote
Since it is difficult to write how to sew in English, please look at an animation.
Please contact me, if there are comment, a question, and a demand.
My mail address is info@iwasa-wasai.com.
追伸、福島の原発事故の影響は更に拡大しています。私たちはこの事実をきちんと認識する必要があります。
2011年5月7日、チェルノブイリの避難ルールを基準にしたら、福島第一原発から80キロは希望すれば移住が認められる?!<日隅一雄>
福島第一原子力発電所から80㎞圏内の線量測定マップ
2011年5月5日、20mSvで健康被害があることを前提にした施策が求められる~鎖国に走る現政権<日隅一雄>
2011年5月5日 CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月3日 CNIC News 浜岡原発について
2011年5月3日 CNIC News 20ミリシーベルト問題 1/2
2011年5月3日 CNIC News 20ミリシーベルト問題 2/2
2011年4月21日菊池洋一氏(元GE技術者・福島第一原発設計者)
2011年4月16日『被曝労働』白血病のため二十九歳で亡くなった嶋橋伸之さんの母美智子さんが被ばく労働 について語ります。
2011年4月10日岩上安身氏小出裕章助教授インタビュー
2011年3月20日、小出裕章助教隠された原子力
20011年3月11日、福島原発事故メディア報道のあり方(広瀬隆氏)
2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告
自身も被爆され、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた「被爆医師」肥田 舜太郎先生のお話です。
2000年9月9日、医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間
浜岡原発はようやく停止しそうです。(停止したから安全ではなく、稼働中よりましという事です)
この動画を見ましたら浜岡原発の真実が認識出来ると思います。
ストップ浜岡原発
しかし菅首相は浜岡原発以外の運転を停止する可能性については、「それはない。浜岡は大きな地震の来る可能性が特別に高い。特別なケースという位置づけだ」と否定しています。
けれど福井県敦賀市の高速増殖炉の「もんじゅ」は深刻な状態(参考)高速増殖炉の危険な特徴。
四国電力伊方原発と九州電力川内原発は中央構造線断層帯上に、柏崎刈羽原発は 柏崎千葉構造線断層帯の上に建設されています。
総理や仙石副官房長官の言うように確率で地震の危険性を考えるなら、なぜ地震の発生よりもはるかに失敗の確率の低いロケットで放射性廃棄物を月などに捨てないのでしょうか?
それはいくら確率が低くても失敗した時のリスクが大きすぎるからです。
ならば耐震性の脆弱な日本の原発の地震に対するリスクも同じではないですか!
国の財政で多くの借金を子孫に残す事を悪とするなら、処理の出来ない、冷却が出来ないと凄い危険物になる多量の放射性物質を残す事はもっと悪です。
原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
(2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、はたしてそうでしょうか?もっと扱い易い二酸化炭素の排出をクリアーした安全な発電システムも有り、夏の電力需要にしてもテレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人の言う事は信用出来ません。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています)
知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
私はそれらの不足分の情報をこちらから収集しています。
原子力資料情報室
岩上安身オフィシャルサイト
自由報道協会<ザ・ニュース>
家庭に影響する原発関連情報はこちらがお勧めです。
牧村しのぶブログ
たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい
2011年4月26日、たね蒔きジャーナル、広河隆一氏インタビューの文字起こしです。
2011(H23)年4月26日(火)放送分の私の友人の広河隆一は長年チェルノブイリ事故現場にも精力的に取材してこられています。
フォトジャーナリスト及び、ディズジャパン編集長の広河隆一氏が今回の福島原発事故発生2日後の3月13日に現地に飛び込んで計測調査した時の報告とチェルノブイリ調査と比較した貴重な対談です。
http://www.mbs1179.com/tane/
(なおこの同じURLには、京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます)
以下は広河隆一氏の音声記録です。
チェルノブイリ事故を起こした旧ソ連よりも、日本政府の対応が如何にヒドイかが、チェルノブイリ事故と比較しながら具体的事例に則して語られています。是非お読み下さい。
-----------------------------------
「こんにちは」
(司会)広河隆一さんはチェルノブイリ事故に取材にいらっしゃったのは何度くらいでしょうか?
「僕自身は勘定してないんですけれど、救援運動の知人によると、もう50回以上になると言っています。」
(司会)チェルノブイリ事故の事故から25周年の今日、この福島の事故について今広河隆一さんが体験していらっしゃるお仕事について、今はまずどんな思いでしょうか?
「えーと、まず自分の迂闊さというか・・・・そういうことを思っています。と言うのは、日本はこれだけの地震の国であるので、そこに原発を作 ると、そこに必ず地震が来ることになることを学者達は皆予想していて、その後津波が来ることも予測してた。それで事故が絶対起こるっていうことも、自分は 雑誌等で特集を組んでやったきたてんですけれども。でも、実際にそれが起こった時にどう対応するかっていうことを、何も持ってなかったわけなんですね。例 えば僕がいつもチェルノブイリの取材に持っていく放射線検知器があるんですけれど。それは100μSv/hまで計れるものなのですけれど。ところがそれを 持って今度は福島の原発の被災地の方へ行ったのですけれど。13日の午前中に行きましたけれども、その時の双葉町という一番近い町なのですけれども、そこ でその検知器の針が振り切れてしまったのですね。」
(司会)100μSv/hまでの針が振り切れてしまったのですね。
「ええ・・・・友達の持っていった1000μSv/hの針も振り切れたんですね。」
(司会)えっ?1000μSv/hの針も振り切れるということは・・・・
「はい。僕はいままでチェルノブイリの事故現場に今まで50回以上行ってたんですれでども、むこうではそんな事は全くなかったんですよね。僕 は自分の検知器だけで、これ位の放射線はあるから、じゃあ、ここでの滞在時間はチョット短めにしようとか、この場所はまだこれぐらいだからまだ大丈夫 だ・・・とか、五感で放射線は感じられませんので。だから全部機械を信じるわけなんですけれども。その機械が振り切れてしまうと、自分としてはもうどうし たらいいのかと、すっごい慌てふためいてしまうんですよね。そんな状況だったんですね。」
(司会)その時はまだ双葉町までは入れる状況でしたけど・・・その辺りの放射線とかの具体的なデーターとかを得ていらしゃったのでしょうか?
「いえ、政府も電力会社も発表してなかったんですね。それで我々もびっくりしてしまって、自分たちの機械が壊れてしまったのでは・・・・?っ て思ったんですけれど。原発に近づくにつれて、どんどん、どんどん数値が上がっていきますから。それである時点でむこうの役場の前まで行った時から、針が 全部振り切れてしまって全部使い物にならなくなってしまってましたから。ところが、我々だけじゃなく、そのことを知ずに地元の人が自転車で走ってきました から、また、バイクで走ってる人とかも一満いたんですよね。」
(司会)もう生活していらっしゃる普段の生活してる人とかがいたんですよね。
「ええ、いったんは避難地域になってますねど、念のため避難しなさいって言われてたので、そんなに大したことはないだろうと思って、その日は 天気も良かったので。事故から二日間ほど経って、皆ポケットに何千円かを持って、他には何も持たないで出てきてたから、じゃあ貯金通帳を取りに行こうって いうことで。あとは、ビニールハウスで花を植えてる人とかが、水をやらないと枯れてしまうっていうことで、そういう形で皆さん避難地域に入って来てたんで すよね。で、その人たちは被曝っていうことは全く知らされずに、そいうい数値は全く発表されませんでしたから、しなくてもいい被曝をしてしまったとい う・・・そういうように私は思ってますよね。」
(司会)そのとき広河隆一は町の人たちとお話しなどなさいましたか?
「ええ、それで、町で出会う人をとにかく全部止めて、この数値を示して、ここは今本当にこんなに危険な状態になっているからと説明し、そして 一旦退いて、また数値が下がったことが何かの形で連絡が入ってきてから、それからまた入って下さい、って御願いしました。そういう具合に町で出会った人た ちに言ってそこから出てもらうのと一緒に、僕たちもそこから出たんですよね。で、帰りの道を郡山まで走りながら、知らないから向かいからどんどん町の中へ 向かって車が町に入っていこうとして走って来るんですよね。その中には外国人労働者たちの車とか、中には子ども連れの人たちなんかもいたんですよね。」
(司会)はぁ・・・・子ども連れですか?
「はい。とにかく今はダメなんだ。ものすごい放射線が現在ありますから、って言って、それでその人たちを止めて、また子ども連れの人たちに は、そこの避難所に行くっていうので、しかも、そこの避難所にはもっと沢山の子供達がいるって言うので、それえ、そこの避難所に僕たちも一緒に行きまし た。子どもたちがいるその避難所のある町は川内村っていうんですけれども。そこでは皆にここは危険ですって言うとパニックになってしまいますから、むこう の責任者の副村長さんに、現在ここはこれこれの値の数値ですからって言って、ここの避難所には双葉町から来てる人も多いと思いますけど、そこへ戻ることは 今日は絶対危険ですからって、それから道には必ず検問を置いて、今日はダメなんだ。安全になってから通ってもいいんだって・・・・そういうふうにして欲し いし、出来たら皆さんもここから出て欲しいし、それが出来なかったらせめて子どもたちと妊婦だけでもここかだ出してあげて下さいって、そういうふうに訴え たんですけれど。」
(司会)その時の広河隆一の状況を毎日新聞の記者がお聴きして、その時の政府の発表が五時間遅れだったんですよね。13日の10時半過ぎに広 河隆一さんがそういう体験をされて、政府が1557μSv/hという発表をしたのが、実は午後3時頃だったんですよね。だから5時間くらい政府は放置した ままだったんですよね。驚くべき無頓着さって言いますか・・・・
「ええ。政府のほうは、とにかく放射線量が高いときに言えばパニックを煽るから、だからそれが下がった時に、一時高かったけれど、それが今は 下がりましたっ、ていうふうに言うっていう、そういう姿勢で発表してたんですよね。だけどパニックを煽るからって言って、状況を知らせずに、それで被爆者 を増やしてしまったら一体何のことかって思うんですけどね。」
(司会)実際にその避難所で情報を広河隆一さんがお伝えになった時に、皆さんはその場でパニックになられましたか?
「いいえ。僕はむこうの副村長だけを呼んで、こうこうこういう状況なんですって言って説明したんですね。そしてその副村長さんが深刻な顔をし てその放射線検知器の数値を書き留められて。そして僕はそこからまた別の田村市の責任者の人に伝えるためにまたそっちへ移ったんですけれど。二日後に新聞 を見たら、川内村の人たちは自主避難をしたって書いてあったので、すごくほっとしました。」
(司会)はぁ・・・・やっぱり正しい情報を、その場に応じた方法で、パニックにならない方法で伝えていくっていうことが難しいことですけれど大切なんでしょうねぇ・・・・
「ええ、難しいことですけれど大切なことだと思います。だけど本当に危険で大変な状況になったら、パニックになってでも逃げたほうがいいと僕は思うんです。」
(司会)チェルノブイリでいろんな人たちにお会いになられて、さまざまなものを見ていらしゃった広河隆一さんが、今の福島で今後どういうことが起こるのか、今後どうなるのか、どう考えていらっしゃいますか?
「えーと、将来の事は全く解りませんし、電力会社の人も政府の人も全く闇の中だと思いますね。明日何が起こるか解らないっていう状況だと思い ます。安心させるようなことを言っても、それに対する確信など、誰にも無いっていう状況だと思います。ただチェルノブイリ事故の場合と比較すると、政府や 電力会社や一部の学者たちが、いやチェルノブイリの十分の一しか放射線が出ていないんだ、安全なんだって言うようなことをおっしゃってますけど、僕にとっ てはチェルノブイリのもう十分の一もの放射能がもう出てしまったのか、っていうオドロキなんですよね。それは何故かって言うと、チェルノブイリの場合は、 セシウムだけをとってみても広島型原爆の少なく見積もっても500発、あるいは人によっては広島型原爆の800発分とか1000発分の放射能が出たって計 算されていますから、ですからチェルノブイリの十分の一っていうと、少なく見積もっても広島型原発の50発分の放射能が、もう出たっていうことになります よね。」
(司会)そういう計算になりますよね。
「ええ・・・・そういうふうに考えたら、これは本当にもう恐ろしい事態になっているんだって、そういうふうに思うんですよね。」
(司会)広河隆一さんのディズジャパンで書かれているレポートで非常に印象的な場面がありまして、20年前にチェルノブイリの被災地に行かれ ました時に、現地のソ連の方が飢えて死ぬより、10年経って癌で死ぬほうが良いって自分に言い聞かせて、自分たちの生産物を食べて、生きていくって、そう いうふうに言う人に出会ったって報道されてましたけど、そういうシーンが、今福島でも、何とか土地に残って生きていきたい!っていう、そういう願望を持っ た人達が今結構多いですよね。そういう福島の人たちがチェルノブイリの人たちと重なって写るんですけれども・・・・
「はい。チェルノブイリの現地と重なって写ることもいっぱいありますし、またチェルノブイリの現地ではこうしたのに、こちらの福島ではできないっていうようなことも一満あるんですよね」
(司会)はぁ・・・福島のこちらでは出来ないことって、例えばどういう事でしょうか?
「それは現地では避難を言う時に、子どもとか妊婦を、先ずその日の内に最優先させて避難させたんですね。まずその日の内にですが。その避難も 何回も分けて行われたんですけれども、10キロ圏では翌日にという具合ですけど。それから30キロ圏の人はもう少し日数が経ってから・・・6日後くらいで したけど、そいう具合でしたけれども、6日後に避難を発表した時には、とにかく子どもと妊婦を、まず先ず逃がしたんですよね。その翌日には大人を逃がすと いうふうに、そういうやりかたを取っていったんですよね。だからいつでも最優先は、妊婦と子ども、っていうふうにチェルノブイリでは決めていたんですよ ね。というのは、彼等は放射能の影響を一番受けやすいのが、そういう妊婦と子どもたちだっていうことが解っていましたから。ところが日本の場合は、全部、 数値の発表にしろ、安全の為の基準にしろ、これから影響が有りませんとうことの基準にしろ、例に出してくるのは、全部日本の場合は健康な大人の人を対象に したものばかりで、子どもも関係ない、妊婦も関係ないっていう・・・・そういう形で言いますよね。それって本当にオカシイですよね!」
(司会)はぁ・・・・
「ですから、そういう意味では、ああいう事態は大変だったのですけれども、人間の生命に対する考え方は、日本よりしっかりしていたんだ なぁ、って思います。でも、ソ連の中でも、確かに、論争があったんですよね。これをあまり大げさにしてしまうと、原子力産業にヒビが入るっていう形で、あ の頃も、皆大勢の人を避難させてしまったら、こんなに凄いかって皆が思ってしまって、かえってパニックに襲われるんじゃないか、そうなったら自分たちに とって得にならないんじゃあないか?・・・っていう具合で。それは向こうの旧ソ連の保健省の人たち、つまり人間の体を守らなければいけないっていう、そう いう人たちが、そういう考えにまず反対して、それから幾つかの科学技術部門関係の人たちとか、そういう人たちが、とにかくこれは逃げなくてもいいんじゃな いか、って言ったのに対して、住民の人たちの代表が、本当にもう泣かんばかりになって、喰ってかかって、とにかく自分たちにはこれだけの数の子ども達がい るんだって、とにかくすぐに、この子どもたちだけでも避難させてくれ!って・・・・要求して、それで翌日からチェルノブイリから、あるいはそのすぐ傍の地 域から、翌日に避難が決定したんですね。それでも決定は遅かったんですね。」
(司会:へぇ・・・・
「それでもそこの子どもたちから、沢山の甲状腺癌の子どもたちが、後で生まれてきますから。」
(司会:私はチェルノブイリは情報を隠すばかりで、非常に対応が遅れていたと、思っていて・・・それに比べて日本は、まだちゃんと情報が出ているのかと、思っておりましたが・・・
「それは全然違いますので、僕もビックリしました。僕は自分の目で、自分の検知器の針が振りきれるまでは、僕も半ばそうかなって、思ってたん ですけれども・・・・。なんでこんなに恐ろしい被曝で人々に伝えないんだ?・・・・って。そのことは、彼等は本当に知ってたんですからね。モニタリング・ ポストは停電のため、全部動かなくなっていた。それは確かかもしれない。しかし、僕が持っている程度の放射線検知器は、向こうに何百台もあるわけなんです ね。」
(司会)はぁ・・・・
「はい。」
(司会)チェルノブイリのさまざまな教訓の中から、今福島で出来ることって何でしょうか?
「まず、食べ物の放射性物質の見地ですね。僕はチェルノブイリの事故が起こってから一年ちょっと後で、ドイツの被災地にも行ったんですけれど も、そこでは一年経っても、二年経っても食べるものは何を食べていいのか解らない状況だったんですよね。それで政府や業者が発表する数値っていうのを、人 々は信用してなかったんですね。それで、自分たちの市民の手による食品放射能検知所っていうのを作ったんですよね。各都市にね。そこで例えばクリスマスが 近づいたら、乳製品とかチョコレートとか、各社の食料品を全部取り出して、どこどこで製造されたものは何Bq(ベクレル)あるっていう、そういう数値を発 表したんですよね。それを見て、お母さんたちが、ここのものは安全だから買おう、ここのものは買うのは止めておこうって決めていくっていう、そういうこと があったんですよね。だから、そういうような事は、今すぐ日本でも出来ることなんですよね。」
(司会)それから、今回は津波が想定外だったんだ!って言うふうに責任者たちは言っているわけなんですけれども、これについてチェルノブイリの現地を歩かれてどうでしょうか?
「ええ。岩手県の方を歩かれたらすぐに解ることなんですけれども、岩手県の道路には至る所に標識が立っていて、それは立派な標識で車からも良 く見えるんですけれども、津波浸水想定区域ここまで!とか、津波浸水区域ここから!って、そういうふうに大きな字で書いてあるんですよね。」
(司会)へぇ・・・・
「それで、ここまで・・・・って書いてある、その場所から先までは、見事に今回の津波は行ってないんですね。そこまではやられてはいますけどね」
(司会)へぇ・・・
「だから、今までの百年前の経験から、もう全部それは当たっているんですよね。ほとんど当たってしまっているって言ってもいい。だから、その 標識を作っていた人たちは、津波がどこまで来るかってことを想定してたわけなんですよね。だから、地震が来て、津波が来て、何かがやられるっていうこと は、いろんな人たち、地震学者の人たちとかが想定してましたから、だからそれを伝えたんだけど、それを信じようとしなかった人たちが、今、想定外だっ た、って言っているわけなんですよね。」
(司会)想定外なんかではなくって、想定したくなかった・・・・ってことなんですね。
「そういう事になりますよね。」
(司会)広河隆一さんが、今、国に対して一番求めたいと思われる事は、どういう事でしょうか?
「まず、とにかく、子どもと妊婦の人たちを守らなくてはいけないっていう事ですね。その為には、つまらない所で線引きなんかしちゃ、ダメなん ですよね。この間だの福島県の小学校の、子どもたちを通学させて良い、その小学校の数値の発表がありましたけど。あの基準値の数値を見て僕はビックリした んですけど。あの発表された数値を見て、え〜って思って、僕は自分の目を疑ったんですけれども。僕自身が、あの3・4μSv/hまでは学校に通わせても良 いっていう日本の政府が発表したあの数値って言うのは、僕がチェルノブイリの原発をいつも訪ねるたびに、そこから4キロある死の町になっているプリペア チっていう町があるんですけど、その町の中で計る数値とほとんど一緒なんですね。」
(司会)え〜ッ!4キロ地点の町と一緒ですか!
「そうです。だから僕も最初は自分を疑って、自分の間違いかって思って、何回も自分の計ったそういう数値を見直したり、チェルノブイリの現地 で撮影したビデオとか見直したりしても、やっぱり、間違いなくそうなんですよね。それで、あの死の町となっていて、誰もいないガランとして、そこの30キ ロ圏に入るまででも、18歳未満は一切入ってはならないし、大人でも特別な許可がなければ入ってはいけない、そして現在は住むことは一切禁止されている 町、そういう所に子供達を走らせて、勉強させているっていう、そういう事を日本は決めているっていう、そういうようなのが、今の状況なんですよね。」
(司会)はい!広河隆一さんの話しから解ることが、今日は幾つもありました。どうもありがとうございました。
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2011年5月3日 CNIC News 20ミリシーベルト問題 2/2
2011年4月21日菊池洋一氏(元GE技術者・福島第一原発設計者)
2011年4月16日『被曝労働』白血病のため二十九歳で亡くなった嶋橋伸之さんの母美智子さんが被ばく労働 について語ります。
2011年4月10日岩上安身氏小出裕章助教授インタビュー
2011年3月20日、小出裕章助教隠された原子力
20011年3月11日、福島原発事故メディア報道のあり方(広瀬隆氏)
2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告
自身も被爆され、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた「被爆医師」肥田 舜太郎先生のお話です。
2000年9月9日、医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間
浜岡原発はようやく停止しそうです。(停止したから安全ではなく、稼働中よりましという事です)
この動画を見ましたら浜岡原発の真実が認識出来ると思います。
ストップ浜岡原発
しかし菅首相は浜岡原発以外の運転を停止する可能性については、「それはない。浜岡は大きな地震の来る可能性が特別に高い。特別なケースという位置づけだ」と否定しています。
けれど福井県敦賀市の高速増殖炉の「もんじゅ」は深刻な状態(参考)高速増殖炉の危険な特徴。
四国電力伊方原発と九州電力川内原発は中央構造線断層帯上に、柏崎刈羽原発は 柏崎千葉構造線断層帯の上に建設されています。
総理や仙石副官房長官の言うように確率で地震の危険性を考えるなら、なぜ地震の発生よりもはるかに失敗の確率の低いロケットで放射性廃棄物を月などに捨てないのでしょうか?
それはいくら確率が低くても失敗した時のリスクが大きすぎるからです。
ならば耐震性の脆弱な日本の原発の地震に対するリスクも同じではないですか!
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原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
(2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、はたしてそうでしょうか?もっと扱い易い二酸化炭素の排出をクリアーした安全な発電システムも有り、夏の電力需要にしてもテレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人の言う事は信用出来ません。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています)
知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
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たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい
2011年4月26日、たね蒔きジャーナル、広河隆一氏インタビューの文字起こしです。
2011(H23)年4月26日(火)放送分の私の友人の広河隆一は長年チェルノブイリ事故現場にも精力的に取材してこられています。
フォトジャーナリスト及び、ディズジャパン編集長の広河隆一氏が今回の福島原発事故発生2日後の3月13日に現地に飛び込んで計測調査した時の報告とチェルノブイリ調査と比較した貴重な対談です。
http://www.mbs1179.com/tane/
(なおこの同じURLには、京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます)
以下は広河隆一氏の音声記録です。
チェルノブイリ事故を起こした旧ソ連よりも、日本政府の対応が如何にヒドイかが、チェルノブイリ事故と比較しながら具体的事例に則して語られています。是非お読み下さい。
-----------------------------------
「こんにちは」
(司会)広河隆一さんはチェルノブイリ事故に取材にいらっしゃったのは何度くらいでしょうか?
「僕自身は勘定してないんですけれど、救援運動の知人によると、もう50回以上になると言っています。」
(司会)チェルノブイリ事故の事故から25周年の今日、この福島の事故について今広河隆一さんが体験していらっしゃるお仕事について、今はまずどんな思いでしょうか?
「えーと、まず自分の迂闊さというか・・・・そういうことを思っています。と言うのは、日本はこれだけの地震の国であるので、そこに原発を作 ると、そこに必ず地震が来ることになることを学者達は皆予想していて、その後津波が来ることも予測してた。それで事故が絶対起こるっていうことも、自分は 雑誌等で特集を組んでやったきたてんですけれども。でも、実際にそれが起こった時にどう対応するかっていうことを、何も持ってなかったわけなんですね。例 えば僕がいつもチェルノブイリの取材に持っていく放射線検知器があるんですけれど。それは100μSv/hまで計れるものなのですけれど。ところがそれを 持って今度は福島の原発の被災地の方へ行ったのですけれど。13日の午前中に行きましたけれども、その時の双葉町という一番近い町なのですけれども、そこ でその検知器の針が振り切れてしまったのですね。」
(司会)100μSv/hまでの針が振り切れてしまったのですね。
「ええ・・・・友達の持っていった1000μSv/hの針も振り切れたんですね。」
(司会)えっ?1000μSv/hの針も振り切れるということは・・・・
「はい。僕はいままでチェルノブイリの事故現場に今まで50回以上行ってたんですれでども、むこうではそんな事は全くなかったんですよね。僕 は自分の検知器だけで、これ位の放射線はあるから、じゃあ、ここでの滞在時間はチョット短めにしようとか、この場所はまだこれぐらいだからまだ大丈夫 だ・・・とか、五感で放射線は感じられませんので。だから全部機械を信じるわけなんですけれども。その機械が振り切れてしまうと、自分としてはもうどうし たらいいのかと、すっごい慌てふためいてしまうんですよね。そんな状況だったんですね。」
(司会)その時はまだ双葉町までは入れる状況でしたけど・・・その辺りの放射線とかの具体的なデーターとかを得ていらしゃったのでしょうか?
「いえ、政府も電力会社も発表してなかったんですね。それで我々もびっくりしてしまって、自分たちの機械が壊れてしまったのでは・・・・?っ て思ったんですけれど。原発に近づくにつれて、どんどん、どんどん数値が上がっていきますから。それである時点でむこうの役場の前まで行った時から、針が 全部振り切れてしまって全部使い物にならなくなってしまってましたから。ところが、我々だけじゃなく、そのことを知ずに地元の人が自転車で走ってきました から、また、バイクで走ってる人とかも一満いたんですよね。」
(司会)もう生活していらっしゃる普段の生活してる人とかがいたんですよね。
「ええ、いったんは避難地域になってますねど、念のため避難しなさいって言われてたので、そんなに大したことはないだろうと思って、その日は 天気も良かったので。事故から二日間ほど経って、皆ポケットに何千円かを持って、他には何も持たないで出てきてたから、じゃあ貯金通帳を取りに行こうって いうことで。あとは、ビニールハウスで花を植えてる人とかが、水をやらないと枯れてしまうっていうことで、そういう形で皆さん避難地域に入って来てたんで すよね。で、その人たちは被曝っていうことは全く知らされずに、そいうい数値は全く発表されませんでしたから、しなくてもいい被曝をしてしまったとい う・・・そういうように私は思ってますよね。」
(司会)そのとき広河隆一は町の人たちとお話しなどなさいましたか?
「ええ、それで、町で出会う人をとにかく全部止めて、この数値を示して、ここは今本当にこんなに危険な状態になっているからと説明し、そして 一旦退いて、また数値が下がったことが何かの形で連絡が入ってきてから、それからまた入って下さい、って御願いしました。そういう具合に町で出会った人た ちに言ってそこから出てもらうのと一緒に、僕たちもそこから出たんですよね。で、帰りの道を郡山まで走りながら、知らないから向かいからどんどん町の中へ 向かって車が町に入っていこうとして走って来るんですよね。その中には外国人労働者たちの車とか、中には子ども連れの人たちなんかもいたんですよね。」
(司会)はぁ・・・・子ども連れですか?
「はい。とにかく今はダメなんだ。ものすごい放射線が現在ありますから、って言って、それでその人たちを止めて、また子ども連れの人たちに は、そこの避難所に行くっていうので、しかも、そこの避難所にはもっと沢山の子供達がいるって言うので、それえ、そこの避難所に僕たちも一緒に行きまし た。子どもたちがいるその避難所のある町は川内村っていうんですけれども。そこでは皆にここは危険ですって言うとパニックになってしまいますから、むこう の責任者の副村長さんに、現在ここはこれこれの値の数値ですからって言って、ここの避難所には双葉町から来てる人も多いと思いますけど、そこへ戻ることは 今日は絶対危険ですからって、それから道には必ず検問を置いて、今日はダメなんだ。安全になってから通ってもいいんだって・・・・そういうふうにして欲し いし、出来たら皆さんもここから出て欲しいし、それが出来なかったらせめて子どもたちと妊婦だけでもここかだ出してあげて下さいって、そういうふうに訴え たんですけれど。」
(司会)その時の広河隆一の状況を毎日新聞の記者がお聴きして、その時の政府の発表が五時間遅れだったんですよね。13日の10時半過ぎに広 河隆一さんがそういう体験をされて、政府が1557μSv/hという発表をしたのが、実は午後3時頃だったんですよね。だから5時間くらい政府は放置した ままだったんですよね。驚くべき無頓着さって言いますか・・・・
「ええ。政府のほうは、とにかく放射線量が高いときに言えばパニックを煽るから、だからそれが下がった時に、一時高かったけれど、それが今は 下がりましたっ、ていうふうに言うっていう、そういう姿勢で発表してたんですよね。だけどパニックを煽るからって言って、状況を知らせずに、それで被爆者 を増やしてしまったら一体何のことかって思うんですけどね。」
(司会)実際にその避難所で情報を広河隆一さんがお伝えになった時に、皆さんはその場でパニックになられましたか?
「いいえ。僕はむこうの副村長だけを呼んで、こうこうこういう状況なんですって言って説明したんですね。そしてその副村長さんが深刻な顔をし てその放射線検知器の数値を書き留められて。そして僕はそこからまた別の田村市の責任者の人に伝えるためにまたそっちへ移ったんですけれど。二日後に新聞 を見たら、川内村の人たちは自主避難をしたって書いてあったので、すごくほっとしました。」
(司会)はぁ・・・・やっぱり正しい情報を、その場に応じた方法で、パニックにならない方法で伝えていくっていうことが難しいことですけれど大切なんでしょうねぇ・・・・
「ええ、難しいことですけれど大切なことだと思います。だけど本当に危険で大変な状況になったら、パニックになってでも逃げたほうがいいと僕は思うんです。」
(司会)チェルノブイリでいろんな人たちにお会いになられて、さまざまなものを見ていらしゃった広河隆一さんが、今の福島で今後どういうことが起こるのか、今後どうなるのか、どう考えていらっしゃいますか?
「えーと、将来の事は全く解りませんし、電力会社の人も政府の人も全く闇の中だと思いますね。明日何が起こるか解らないっていう状況だと思い ます。安心させるようなことを言っても、それに対する確信など、誰にも無いっていう状況だと思います。ただチェルノブイリ事故の場合と比較すると、政府や 電力会社や一部の学者たちが、いやチェルノブイリの十分の一しか放射線が出ていないんだ、安全なんだって言うようなことをおっしゃってますけど、僕にとっ てはチェルノブイリのもう十分の一もの放射能がもう出てしまったのか、っていうオドロキなんですよね。それは何故かって言うと、チェルノブイリの場合は、 セシウムだけをとってみても広島型原爆の少なく見積もっても500発、あるいは人によっては広島型原爆の800発分とか1000発分の放射能が出たって計 算されていますから、ですからチェルノブイリの十分の一っていうと、少なく見積もっても広島型原発の50発分の放射能が、もう出たっていうことになります よね。」
(司会)そういう計算になりますよね。
「ええ・・・・そういうふうに考えたら、これは本当にもう恐ろしい事態になっているんだって、そういうふうに思うんですよね。」
(司会)広河隆一さんのディズジャパンで書かれているレポートで非常に印象的な場面がありまして、20年前にチェルノブイリの被災地に行かれ ました時に、現地のソ連の方が飢えて死ぬより、10年経って癌で死ぬほうが良いって自分に言い聞かせて、自分たちの生産物を食べて、生きていくって、そう いうふうに言う人に出会ったって報道されてましたけど、そういうシーンが、今福島でも、何とか土地に残って生きていきたい!っていう、そういう願望を持っ た人達が今結構多いですよね。そういう福島の人たちがチェルノブイリの人たちと重なって写るんですけれども・・・・
「はい。チェルノブイリの現地と重なって写ることもいっぱいありますし、またチェルノブイリの現地ではこうしたのに、こちらの福島ではできないっていうようなことも一満あるんですよね」
(司会)はぁ・・・福島のこちらでは出来ないことって、例えばどういう事でしょうか?
「それは現地では避難を言う時に、子どもとか妊婦を、先ずその日の内に最優先させて避難させたんですね。まずその日の内にですが。その避難も 何回も分けて行われたんですけれども、10キロ圏では翌日にという具合ですけど。それから30キロ圏の人はもう少し日数が経ってから・・・6日後くらいで したけど、そいう具合でしたけれども、6日後に避難を発表した時には、とにかく子どもと妊婦を、まず先ず逃がしたんですよね。その翌日には大人を逃がすと いうふうに、そういうやりかたを取っていったんですよね。だからいつでも最優先は、妊婦と子ども、っていうふうにチェルノブイリでは決めていたんですよ ね。というのは、彼等は放射能の影響を一番受けやすいのが、そういう妊婦と子どもたちだっていうことが解っていましたから。ところが日本の場合は、全部、 数値の発表にしろ、安全の為の基準にしろ、これから影響が有りませんとうことの基準にしろ、例に出してくるのは、全部日本の場合は健康な大人の人を対象に したものばかりで、子どもも関係ない、妊婦も関係ないっていう・・・・そういう形で言いますよね。それって本当にオカシイですよね!」
(司会)はぁ・・・・
「ですから、そういう意味では、ああいう事態は大変だったのですけれども、人間の生命に対する考え方は、日本よりしっかりしていたんだ なぁ、って思います。でも、ソ連の中でも、確かに、論争があったんですよね。これをあまり大げさにしてしまうと、原子力産業にヒビが入るっていう形で、あ の頃も、皆大勢の人を避難させてしまったら、こんなに凄いかって皆が思ってしまって、かえってパニックに襲われるんじゃないか、そうなったら自分たちに とって得にならないんじゃあないか?・・・っていう具合で。それは向こうの旧ソ連の保健省の人たち、つまり人間の体を守らなければいけないっていう、そう いう人たちが、そういう考えにまず反対して、それから幾つかの科学技術部門関係の人たちとか、そういう人たちが、とにかくこれは逃げなくてもいいんじゃな いか、って言ったのに対して、住民の人たちの代表が、本当にもう泣かんばかりになって、喰ってかかって、とにかく自分たちにはこれだけの数の子ども達がい るんだって、とにかくすぐに、この子どもたちだけでも避難させてくれ!って・・・・要求して、それで翌日からチェルノブイリから、あるいはそのすぐ傍の地 域から、翌日に避難が決定したんですね。それでも決定は遅かったんですね。」
(司会:へぇ・・・・
「それでもそこの子どもたちから、沢山の甲状腺癌の子どもたちが、後で生まれてきますから。」
(司会:私はチェルノブイリは情報を隠すばかりで、非常に対応が遅れていたと、思っていて・・・それに比べて日本は、まだちゃんと情報が出ているのかと、思っておりましたが・・・
「それは全然違いますので、僕もビックリしました。僕は自分の目で、自分の検知器の針が振りきれるまでは、僕も半ばそうかなって、思ってたん ですけれども・・・・。なんでこんなに恐ろしい被曝で人々に伝えないんだ?・・・・って。そのことは、彼等は本当に知ってたんですからね。モニタリング・ ポストは停電のため、全部動かなくなっていた。それは確かかもしれない。しかし、僕が持っている程度の放射線検知器は、向こうに何百台もあるわけなんです ね。」
(司会)はぁ・・・・
「はい。」
(司会)チェルノブイリのさまざまな教訓の中から、今福島で出来ることって何でしょうか?
「まず、食べ物の放射性物質の見地ですね。僕はチェルノブイリの事故が起こってから一年ちょっと後で、ドイツの被災地にも行ったんですけれど も、そこでは一年経っても、二年経っても食べるものは何を食べていいのか解らない状況だったんですよね。それで政府や業者が発表する数値っていうのを、人 々は信用してなかったんですね。それで、自分たちの市民の手による食品放射能検知所っていうのを作ったんですよね。各都市にね。そこで例えばクリスマスが 近づいたら、乳製品とかチョコレートとか、各社の食料品を全部取り出して、どこどこで製造されたものは何Bq(ベクレル)あるっていう、そういう数値を発 表したんですよね。それを見て、お母さんたちが、ここのものは安全だから買おう、ここのものは買うのは止めておこうって決めていくっていう、そういうこと があったんですよね。だから、そういうような事は、今すぐ日本でも出来ることなんですよね。」
(司会)それから、今回は津波が想定外だったんだ!って言うふうに責任者たちは言っているわけなんですけれども、これについてチェルノブイリの現地を歩かれてどうでしょうか?
「ええ。岩手県の方を歩かれたらすぐに解ることなんですけれども、岩手県の道路には至る所に標識が立っていて、それは立派な標識で車からも良 く見えるんですけれども、津波浸水想定区域ここまで!とか、津波浸水区域ここから!って、そういうふうに大きな字で書いてあるんですよね。」
(司会)へぇ・・・・
「それで、ここまで・・・・って書いてある、その場所から先までは、見事に今回の津波は行ってないんですね。そこまではやられてはいますけどね」
(司会)へぇ・・・
「だから、今までの百年前の経験から、もう全部それは当たっているんですよね。ほとんど当たってしまっているって言ってもいい。だから、その 標識を作っていた人たちは、津波がどこまで来るかってことを想定してたわけなんですよね。だから、地震が来て、津波が来て、何かがやられるっていうこと は、いろんな人たち、地震学者の人たちとかが想定してましたから、だからそれを伝えたんだけど、それを信じようとしなかった人たちが、今、想定外だっ た、って言っているわけなんですよね。」
(司会)想定外なんかではなくって、想定したくなかった・・・・ってことなんですね。
「そういう事になりますよね。」
(司会)広河隆一さんが、今、国に対して一番求めたいと思われる事は、どういう事でしょうか?
「まず、とにかく、子どもと妊婦の人たちを守らなくてはいけないっていう事ですね。その為には、つまらない所で線引きなんかしちゃ、ダメなん ですよね。この間だの福島県の小学校の、子どもたちを通学させて良い、その小学校の数値の発表がありましたけど。あの基準値の数値を見て僕はビックリした んですけど。あの発表された数値を見て、え〜って思って、僕は自分の目を疑ったんですけれども。僕自身が、あの3・4μSv/hまでは学校に通わせても良 いっていう日本の政府が発表したあの数値って言うのは、僕がチェルノブイリの原発をいつも訪ねるたびに、そこから4キロある死の町になっているプリペア チっていう町があるんですけど、その町の中で計る数値とほとんど一緒なんですね。」
(司会)え〜ッ!4キロ地点の町と一緒ですか!
「そうです。だから僕も最初は自分を疑って、自分の間違いかって思って、何回も自分の計ったそういう数値を見直したり、チェルノブイリの現地 で撮影したビデオとか見直したりしても、やっぱり、間違いなくそうなんですよね。それで、あの死の町となっていて、誰もいないガランとして、そこの30キ ロ圏に入るまででも、18歳未満は一切入ってはならないし、大人でも特別な許可がなければ入ってはいけない、そして現在は住むことは一切禁止されている 町、そういう所に子供達を走らせて、勉強させているっていう、そういう事を日本は決めているっていう、そういうようなのが、今の状況なんですよね。」
(司会)はい!広河隆一さんの話しから解ることが、今日は幾つもありました。どうもありがとうございました。
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