ベリーダンススタジオ★☆★ぱわふるマドンナ★☆★ 主宰・坂口せつ子 

ベリーダンスにヨガ、深層美容術、トータルであなたの人生をサポートします。新しい自分を再発見してみませんか。

せっちゃんの市民運動その5

2010-03-06 18:55:03 | プロフィール
 7歳年上の姉の子宮外妊娠のおかげで、ある時行った講演会は、素晴らしいものでした。納得のいくわかりやすいもので、物を売るためでもなく、公民館主催の勉強会でもなく、学校では教えない事を、純粋に広めたいという内容でした。主宰者は笠懸村で今から40年も前から、無農薬農業をやっていた方でした。私はその講師の先生の元へ行き、たくさんの本を買いました。それが今たくさんの愛好家が増え、マドンナも、やっているというマクロビオティックでした。その講師の先生は高崎に住んでいて、乳飲み子を車に乗せて、何度も高崎に通いました。何度めかの時はその先生が引っ越しをされて、今のように携帯電話もありませんし、分からず3.4時間うろうろして、桐生に帰った事もあります。その考え方の基本は
その1.その土地で一番収穫できて、一番安いもの、つまり穀物を、主食にする。
その2.その穀物を精白せずに、神様が最高のバランスのとれた状態に作ってくれたそのままを頂く。季節の野菜、海藻類を頂く。
その3.砂糖、科学調味料、薬品を避ける。
その4.動物性食品を食べない。
と言うような内容でした。
世界に東洋医学、哲学を広めた桜沢如一先生の”食養人生読本”をたぶん私は100回以上読んでいます。その中の一行に、”人間に動物性食品はいらない”と言うのを見つけ喜びでいっぱいになりました。
私がたぶん5.6歳のころ、近所の家畜の豚さんがトラックに乗せられて、売られて行くのを見て、悲しくて悲しくて母に、どうして豚さんは人間に食べられてしまうの?と聞くと、母は豚さんは人間に食べられて喜んでいるんだよ。と言いました。私は納得の行かないまま20歳になりました。なのでどこのどなたでもいい!人間が生きるのに豚を食べなくていいんだ!という一行は感動でした。

せっちゃんの市民運動その4

2009-12-17 02:52:15 | プロフィール
 私の7歳年上の姉は28歳で子宮外妊娠をしました。そして卵管が破裂してしまったことを医者はわからず、救急車で2.3軒の病院で手に負えず、大きな病院で受け入れてくれました。開腹し中の血液を拭き取ったとか、、。私は長男がおなかにいて臨月でした。父が朝早く私たちの部屋の外で”せつこ、きょうこがあぶねえみてえだ”と言いました。私は飛び起きて、じっとしていられない父の心配そうな顔を見ました。姉は長い時間の手術でなんとか命をつなぎました。夫の会社の男性の血液を頂き、こんどは血清肝炎になりました。副腎皮質ホルモン?の影響か、顔はまんまる、体中むくみ、おなじような様態の同じ病室の人が、次々に死んでいくのを見て、”私は死にたくない”と姉は思ったと後で聞きました。お見舞いにきた夫の友達が持ってきた、”玄米で病気を治す”というような本を手にして姉は退院を決め、医者とけんかして、家に帰ったそうです。それから家族総出で姉の病気を治すための模索が始まりました。”たにし”が肝臓に良いと知れば、皆で川にタニシをとりにいきました。こんにゃくを温めて、肝臓の部分に張り付けたり、、、。最終的に1.2年後に玄米菜食にたどりつきました。姉は私よりもずっとお掃除が好きで、いつもまめに動く人だったのですが、肝臓の影響でいつも疲れていて、お勝手にも椅子をおいて、休みながら、お野菜を切ったりしていました。玄米菜食の講演会に行き始め、実践し、肝機能検査に病院に通っていたのですが、気持ちを晴らすために子供のころから憧れていたピアノを始め、少しずつ元気になり、毎朝マラソンをするようになり、ピアノは一日。7.8時間弾くようになりました。ある日姉に誘われて、その講演会に行き、私の人生の大きな宝物の学びと実践が始まりました。

せっちゃんの市民運動その3

2009-12-16 02:46:37 | プロフィール
 そんな幸せな家族に恵まれて、お母さん(お義母さん)とは、お料理をしながら、たくさんの事を教えて頂きお話をしました。お母さんは近所の人たちから、姉さんと呼ばれ、人気者でした。なので家にはいつも近所のお友達が来ていて、御こたつやテーブルの上にはいつも、和菓子やおまんじゅうなどがあって、おもてなしをしていました。そのせいもあって、お母さんは、とても太っていました。それで私が姉の病気がきっかけで講演会に行ってきて、砂糖は身体に良くないと知り、お勝手の棚から消え、玄米菜食をはじめると、お母さんは戸惑いながらも、若い嫁の私の言うことを、素直に聞き、1か月で10キロも痩せました。私は、おばあちゃんのおかゆ、夫とお父さん(お義父さん)の白米ごはんと主食だけでも、3種類毎回炊きました。そして東洋医学や哲学の本を夜中に読み始め、自然食運動が始まりました。

せっちゃんの市民運動その2

2009-12-08 17:34:50 | プロフィール
 わたしは丸一結婚をしました。自分にとって、あの家庭以上の幸せな家庭はありません。と思っています。私は20歳夫は19歳でした。家庭は円満、夫婦も仲良く、夫の両親もこの上なく優しかった。20歳で長男を産み、21歳で長女を産みました。、経済成長の、まっただ中で、例外なくのりのりだった、御義父さんが、2番目が生まれるとき、初孫である私の長男を、おんぶしてくれた姿を覚えています。おんぶしてくれたのはそれきりでしたが、毎日おふろ上がりの孫を晩酌中のあぐらをかいた中にタオルごと抱っこし、かわいい、かわいいと、ぷりぷりの丸々太った赤ちゃんを愛でていました。家族は夫の両親と御義父さんの寝たきりのお母さん、夫の妹も最初はいました。おばあちゃんのお世話はもちろんお母さんもしましたが、良い子ぶりっこの私は、おばあちゃんのお世話を一生懸命させて頂きました。御義母さんは大変太っていて、20代前半の私よりは動けなかったので、おばあちゃんが呼ぶと私がすぐに動けたのです。そんな時私がおばあちゃんのお世話をして居間にくると、必ず、”自分がするべきことを、せっちゃんがやってくれてありがとう”という笑顔で”ありがとう”と必ず言ってくれました。あの頃は紙おむつもまだなく、おばあちゃんの浴衣をほどいて、おむつに作り直し使っていました。ですから洗濯機は二つ使い、おばあちゃんのおむつだけは別にしてあらいました。おばあちゃんのお世話は私が嫁いで6年しましたので、思い出がたくさんあります。最後におばあちゃんが泡を吹き、亡くなる瞬間看取ったのも私でした。お葬式で泣いていたのは私だけのように見えました。人間て触れた分だけ愛情が生まれる気がします。

せっちゃんの市民運動その1。

2009-12-04 01:24:14 | プロフィール
 20代の時からお金儲け以外の市民運動を少しやってきました。20代は玄米菜食の講演会や料理教室、30代は環境問題や人権問題40代は2000年問題などなど。そんな中で素晴らしいお友達がたくさんできました。そんなことも少しずつご紹介していきます。私が21歳の時長男長女を産み、さてこれから子供たちを健康に育てるにはと考えていた時に、7歳年上の姉の病気がきっかけで一冊の本に出会いました。これが私の玄米菜食の出発点でした。以来”食養人生読本”という本の著者の桜沢先生の本の数々は私のバイブルとなりました。私は昼は30人前後社員のいる会社を経営する敷地内に夫の両親と夫の妹、夫の寝たきりのおばあさんと暮らしていました。私が嫁いでそれまで、2人の女中さんが交代でいたのですが、ある日その女中さんが二人揃って昼のよろめきドラマのテレビを見ていて、私が御勝手の洗い物をしていた時に御義父さんがその姿を見て、家の中にこんなに女は要らないと、二人の女中さんにひまをとらせたのです。たまたま私が御勝手にいただけでとても働き者の二人がよろめきドラマが大好きだったので、私が見るように勧めたのです。以来その女中さんがやっていたことを全部わたしがさせて頂くことになりました。
なので、子育て、お客様のおもてなし、おばあちゃんのお世話、もちろんお掃除、おばあちゃんの子供さんは5人近所に所帯をもっていたので、毎日おばあちゃんに頼まれて、電話をかけました。以上昼間は忙しく自分の時間はなかったので、夜中に夫も子供も寝静まってから、むくむくと起きだし宝物箱を開けるように本を広げ読みました。

坂口せつ子 プロフィール

2007-04-14 23:58:00 | プロフィール
坂口せつ子
健康づくりスタジオ「ぱわふるマドンナ」代表
 (ベリーダンス、エアロビクス、ヨガ、玄米菜食指導など)
高崎市民新聞に、私のであった「すてきな命」連載中


プロフィール
1953年 桐生市生まれ。
 自然豊かな梅田の山奥で育ちました。

中学、高校とソフトボール部キャプテンでした。
 城南球場では逆転満塁ホームランを打ちました!

19歳で結婚。
 大家族の中で、大姑の介護、出産、育児生活のなかから、健康の大切さに目覚め、玄米自然食、マクロビオティック、ヨガの勉強を始める。

29歳で離婚。
 いろんな人に助けられ高崎で暮らし始める。
保育園での玄米給食、自然派化粧品販売、エアロビクスインストラクターなどを経て、健康づくりスタジオ「ぱわふるマドンナ」を設立。

33歳のとき、交通事故で頸椎骨折するが、奇跡的に回復。

18年間、精神病院で出張エアロビクス教室を開催。

人権擁護の世界組織 アムネスティ活動10年。

食の安全、環境、人権問題などに実践的に取り組む。

近年はベリーダンサーとして、骨髄バンクチャリティーや、福祉施設の慰問にも活躍中。

2男3女の母。(実は孫も4人)

せっちゃんの明るい「かきくけこ」


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坂口せつ子 事務所
健康づくりスタジオ『ぱわふるマドンナ』
〒370-0862
群馬県高崎市片岡町3-17-10
TEL/FAX 027-327-0824
mail: p-madonna@mail.goo.ne.jp
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