私が10年嫁生活で暮らした、桐生市宮本町。小高い山に囲まれ 吾妻公園、桐ケ丘動物園、遊園地のある美しい町、私の舅、姑は地域の実力者であり、姑は近所中の人に゛姉さん゛と呼ばれ大変慕われていて、人気者だった。私の記憶にある少なくても10組位の老夫婦がわたしが55歳になる今違う世界に旅立ちつつある。縁合って、この町内に定期的にべりーclassの仕事に行かせて頂く事になり、そのおばさん、オジサンに道で声かけあったり、寄らせて頂いたり、していた。嫁時代にもとても私を可愛がってくれていた御夫婦の家に立ち寄った。息子さん二人が出てきた。゛せっちゃん!゛夕べ兄貴とせっちゃんの話したばかりなんだよ!
息子と言っても、私と同じ年の兄貴と弟なので、それぞれ家庭を持ち、この家の住人ではなかった。この日もう病院では手を尽くせなくなった母を、家に連れて来て兄貴と弟で交代で昼夜お世話されているとの事。そしてたった今やはり病院に入院中のお父さんを連れてきたという。お二人とも私を見て、涙、涙、せっちゃんだよ!と誰かが言うと、首をしっかり縦に振った。オジサンは臨時でつくったおばさんの隣りのベッドに横になり、その手はしっかりおばさんと握られていた。私にこの婆さんと60年一緒にいたんだよ!と私に話してくれた。私は言葉がなかったが゛オジサンとおばさん、かっこいい!こんなに長く仲良く生きて来たんだから。゛その日から数日後、告別式の御連絡を頂いた。あの日があの御夫婦の最後の大切な時だった。
息子と言っても、私と同じ年の兄貴と弟なので、それぞれ家庭を持ち、この家の住人ではなかった。この日もう病院では手を尽くせなくなった母を、家に連れて来て兄貴と弟で交代で昼夜お世話されているとの事。そしてたった今やはり病院に入院中のお父さんを連れてきたという。お二人とも私を見て、涙、涙、せっちゃんだよ!と誰かが言うと、首をしっかり縦に振った。オジサンは臨時でつくったおばさんの隣りのベッドに横になり、その手はしっかりおばさんと握られていた。私にこの婆さんと60年一緒にいたんだよ!と私に話してくれた。私は言葉がなかったが゛オジサンとおばさん、かっこいい!こんなに長く仲良く生きて来たんだから。゛その日から数日後、告別式の御連絡を頂いた。あの日があの御夫婦の最後の大切な時だった。