ベリーダンススタジオ★☆★ぱわふるマドンナ★☆★ 主宰・坂口せつ子 

ベリーダンスにヨガ、深層美容術、トータルであなたの人生をサポートします。新しい自分を再発見してみませんか。

すてきないのち vol.5

2007-03-31 17:31:54 | すてきな命
 智世江さん、54歳。ご主人と17歳の娘さんとの3人暮らし。
 彼女は6歳の時に結核性脊椎カリエスになり、小学校時代はギブスをはめられたまま、ベッドの上で過ごした。いつ、耐えられない痛みが襲ってくるのか、死が訪れるのか、そんな恐怖の中で子供時代をおくった。外で元気に遊ぶことはできなかったが、命の尊さは十分に学んだ。

 中学生になる頃には体力もつき、学校にも少しづつ通えるようになった。身体を動かす学習はできなかったが、一生懸命勉強した。結婚や子供を産むことは諦めていた。

 36歳の時に、今のご主人と出会い、結婚をし、諦めていた子供を授かった。出産では麻酔は使えなかった。冷たいメスが自分の肌を切り裂くのを実感しながら、過酷な拷問のような苦しみで、新たな生命を産んだ。
 
 智世江さんは、現在、自宅の1室を学習塾にして仕事をしている。どんな知識も、学問も、命の尊さを学ぶ大切さに比べたら、及ばないという。
 生協活動、環境活動にも積極的に関わり、自らの1つの命を生かしきっている。

 智世江さんの自由さ、少女のような、夢見る美しい瞳から、私は多くのことを学んだ。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞 2000年12月21日)

すてきないのち vol.4

2007-03-31 17:18:24 | すてきな命
 A子は小さい時からいじめられっこであった。母親は、そんなA子の意思を先回りして世話をやいた。父は仕事人間で家族に対して支配的であり、自分を省みず、ただ、責めたてるだけであった。A子は長女で、妹と弟がいる。A子はあるころから、妹をのぞく家族に怒りをぶつけ続けた。母親は子どものころ、両親がケンカばかりしているのを見て育ち、周りの人に気を使いすぎる人間になっていた。A子は自分を暴力でしか表現できなくなっていた。生活のすべてが他人に管理され、支配された。ますます内気に、消極的になった。
 この子を絶対に精神科や警察の鉄格子の中には入れたくない・・・。そう決めた家族は必死で耐え、糸口を求めた。親子関係を立て直すことを目的に、妹や弟は外で暮らし、両親は自分を見つめ直した。そして、父親も悩んだ上で、今までの価値観を転換し、30年以上勤めた会社を辞め、母親は自分の生い立ちや生活を洗い直した。夫婦間で徹底的に話し合った。
 両親が自分たちの問題点に気づき始めたとき、A子は穏やかになり、自分の感情を絵を描くことによって表現できるようになった。
 A子の作品は、1枚ごとにバランスのとれた、あたたかく美しいものになっていった。(坂口せつこ)

(高崎市民新聞 2000年12月14日)

すてきないのち vol.127

2007-03-30 07:55:54 | すてきな命
 2001年千葉県知事選応援で毎日朝八時から夜八時まで一週間、声が出なくなるまでうぐいす嬢をした。この堂本昭子さんを出馬へと突き動かしたのは県民の会、無所属地方議員、オンブズマン、公開討論会を実施したグループ、生協運動をやっている人、環境NGOのメンバーなどだった。
 代表メンバーのひとり井村弘子さんは「堂本さんはどうでしょう」と言い出した人だ。もう今は八十五才になっておられるはずだ。数年前八ッ場ダム予定地をご案内したことがある。若い時から市民運動に取りくんできた。あちこちご案内した後最後に別れる時、きちんと私の前に立ち「今日はご案内有り難う、私は八ッ場ダム反対です。出来る限り頑張りましょう」と深々とお辞儀をして握手をしてくださった。堂本昭子さんも「女性は七十才からと言っている」と井村さんは言った。八十六歳になる井村さんは今も元気に市民運動に取り組んでいることと思う。余生を生きるのでなく生きてる限り、我執無く社会への観察と理解を深めている井村さんは憧れの存在だ。(坂口せつ子)

すてきないのち vol.125

2007-03-30 07:46:10 | すてきな命
 仙台にある「太白ありのまま舎」を見学したことがある。入り口の広いフロアからは、大きなガラス窓から美しいうつくしい太白山が、大きなゴージャスな絵のように見える。
 ここは筋ジストロフィーの方が自ら設計し、経営もしていた。斜めに区切られていて、各部屋は全て個室。車椅子生活の人が安心感を得られるように、天井は低い。お風呂はヒノキ。洗濯も自分で出来る人は自分でやれるように、床に低く埋め込まれている。食事の献立表は無く、家庭と同じように、毎日その時にそろった旬の食材で作られる。あらゆるハード、ソフトが入居者、利用者が自立するために考えられている。
 直接、経営者の方とお会いすることは出来なかったが、車椅子で、ベッドの上で経営をしているという。彼はたしか、3人兄弟の末で、兄2人も筋ジス。病院の中で病院のペースで1日を終える生活をやめて、自ら自立促進センターを兄と開設した。絵を描いたり、演劇をしたりした最初の施設も見せていただいた。各部屋には、本人の許可無く入ることはできない。看護士もボランティアも自ら必要な時に依頼する。

 今、介護に従事する人たちがたくさんいる。相手の立場に立ち、主体性を邪魔することなく、誰のための、何のための介護なのか「太白ありのまま舎」は教えてくれる。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞 2006年5月18日)

すてきないのち vol.124

2007-03-27 07:33:09 | すてきな命
 ゆうべのニュースでチェルノブイリの原発事故から二十年目を見た。爆発を起こした建物は石棺と言われるコンクリートで覆われ、中には今も百数十トンの放射性物質がある。そして、そのコンクリートが崩れ放射能が漏れているという。ウクライナだけで二百五十万人の死傷者を出したこの原発による世界一の大惨事によって、今も苦しみ続けている人達がいる。日本の原発は五十二基だ。いつ何があるとも限らない。
 公共事業をチェックする議員連盟の代表として八ツ場ダム予定地を訪れた、案内させていただいた中村敦夫氏は、今どうしているのだろうか。中村氏は1998年の参議院選東京選挙区から立候補して当選。2004年の参議院選比例区では、二十万票で落選してしまった。中村氏はアムネスティ日本支部(世界人権擁護グループ)設立にも深く関わり、テレビの世界でジャーナリストとして環境問題や人権問題に取り組み政治家になったという。2004年では十人を擁立したミニ政党「みどりの会議」の代表委員として出馬、落選した。経済も大切だが、その前に世界中の命の元、この地球にこれ以上惨事を増やさないように活動してくれる政治家が望まれる。(坂口せつ子)

(高崎市民新聞 平成18年4月27日)

※文中の日付は執筆時のものです。
※能登の震災が心配です。はやく余震がやむこと、1日もはやい市民生活の復興を祈っています。

人情市でのレベラシオン

2007-03-26 01:45:52 | 日記
昨日は南米ペルーやボリビアの民族音楽のバントをやっている吉沢さんと福田さんとペルー人によるペルー料理の店で昼間からビールを飲んだ。吉沢さんは大きな体で小さなチャランゴをひく。その優しい可愛らしい音色は大好きだ。福田さんは30年以上前に南米に長い間旅をしている人でスペイン語もペラペラ!彼のちょっと酒が入ってからのケイナの音はこれ又格別にいい。私は日本の3倍の国土のあるペルーの各地方の三つのリズムワイラス、ワイノ、サヤというのを教えて頂き、踊った!その後も三人で自転車に乗り福田さんオススメのコロッケと日本酒を買って近くのベンチで満開の花美月とほころび始めたサクラを眺めておしゃべりをした!オジサン友達もいい!

すてきないのち vol.141

2007-03-23 08:06:07 | すてきな命
 知り合いのクリスチャンの夫婦には、かわいい五才の男の子と三才の女の子がいる。奥さまは、とても生き生きハツラツ。子供の幼稚園の送り迎えは、家から五〇〇m位だが走っていったりしている。夫は、いつも穏やかで、子供達と庭いじりをしたり、一般の子供のいる家庭以上に、子供達を愛し、夫婦仲良く、幸せそうだ。きっかけがあって、子供達が養子であることを知った。私は、キリスト教の人達が、どんな活動をしているのか、今まで、縁がなかったので知らなかった。

 辻岡健象という人がいて大学卒業後七年間のサラリーマン生活の後、神学校へ入学。その後二十年間牧師として奉仕。一九八四年より「小さな命を守る会」の代表として活動している人の劇画漫画「小さな命」を読んだ。望まない妊娠に思い悩んでいる方たちのために「殺してはならない」(聖書より)という神のことばに従い-とある。
 日本では年間三百万人~五百万人とも言われる胎児が、一日に一万以上、実に七秒間に一人の割合で闇に葬られているという。四人の赤ちゃんのうち三人は胎内で消え去られている。今、政府は子どもの激減、少子化対策にやっきになっている。体内にいる赤ちゃんを守ろうというこの活動は人と人とが本当に深く愛し合い結ばれていくことの大切さを伝えている。

 「半分慈善行為の気持ちだったのですが、今はこの子たちが可愛くてしょうがないんです」と若いお父さんはギュッと子供たちを抱きしめた。

(坂口せつ子)

昨日近くの自転車屋さんで9千円の自転車を買った!

2007-03-22 01:24:44 | 日記
ガソリンも要らない。体は鍛えられる。季節や町の空気を感じられる。人にあったらすぐ話も出来る。明日から楽しみ。すてきな命 連載は今月来月おやすみです!私の好奇心は世界中の人に向いています。命つきるまですてきな命を見つけて歩きます。今月来月はせっちゃんの丸一結婚という本を仕上げるための原稿を書き上げます!これからせっちゃんの何々というせっちゃんシリーズを書いていきます。是非楽しみにまっていてください〓せっちゃんは今無理をしてチャレンジの連続です。冷や冷やワクワク〓

すてきないのち vol.114

2007-03-20 08:01:00 | すてきな命
 富岡には最高においしいよ思える味が、私が知るだけでも二つある。ひとつは「七味とうがらし」、ひとつは「甘納豆」。富岡に行った時には必ず買ってきて、親しい人にプレゼントしたりする。
 豆のおいしさがそのままで、作りたての新鮮な甘納豆は緑茶にぴったりだ。二十六歳の時から五十年間、甘納豆を作り続けてきた小嶋芙美子さん。七十六歳になった今も現役で店先にも出てきてくれる。富岡のバイパスができる前、甘納豆は飛ぶように売れた。毎日、品切れになり、生産量を増やしてもどんどん売れた。売る物がなくて、磯部せんべいもたくさん売った。
 最近も「お客さんが、甘納豆はきらいだったけれども、この甘納豆を食べたら豆の味がして大好きになりました。なんて言ってくれる人がいてうれしいですよね」芙美子さんは誇らしげに語る。「だけどお菓子屋さんって古くからやってる店が多いんですねェ」。以前、長野から山越えをして、サイクリングした事がある。確かに旧街道には老舗菓子屋があった。
 芙美子さんは創業者として新たに、立派に富岡名物をつくってきた。短い人生の中で、何かひとつ自慢できるものがあったらカッコイイ。
 小嶋屋の甘納豆を口にほうばり、緑茶を飲む。幸せを感じる。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞 2005年10月27日)

すてきないのち vol.112

2007-03-20 07:58:16 | すてきな命
 市内にある新町印店さんのご主人佐藤高史さんは、玄米自然食やヨガ、太極拳、柔道の先生でもある。私が高崎に来た二十数年前に、先生に大変お世話になった。 昨日、先生にヨガを広めた沖正弘先生のお話をたくさん聞かせて頂いた。
 沖先生は、大阪の外語大学を出てたため、戦争中、スパイとして東南アジアの宗教を調べるよう命ぜられ、一度は断ったが、刑務所に入れられたため命令に従った。インドを始め、中東まで行った。イランのあたりで拘束され、二人部屋の刑務所に死刑囚として入れられた。その相棒は後にイラン大統領となったホメイニ師だったそうだ。そこでイスラムについて教えを受けた。ホメイニ師の部下に助けられた沖先生は、インドで、ボランティアでハンセン病の病院をつくった。そこで日本人として世界に東洋医学、哲学を広めた梅沢如一に出会い、弟子になった。日本に戻り、ヨガを教えながらボランティアを広めようとしたが、ヨガだけが広まってしまったそうだ。宮中にもマスコミに内緒でヨガの指導に行った。判断力の高い人からは学びつくせない魅力がある。
 二十代の頃の向学心がまた溢れてきてしまった。三人の子供を連れて、三島の沖ヨガ道場へ行った頃が懐かしい。沖先生のような人生の先輩方がいるおかげで今を豊かにわくわく生きることができる。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞 2005年9月29日)