智世江さん、54歳。ご主人と17歳の娘さんとの3人暮らし。
彼女は6歳の時に結核性脊椎カリエスになり、小学校時代はギブスをはめられたまま、ベッドの上で過ごした。いつ、耐えられない痛みが襲ってくるのか、死が訪れるのか、そんな恐怖の中で子供時代をおくった。外で元気に遊ぶことはできなかったが、命の尊さは十分に学んだ。
中学生になる頃には体力もつき、学校にも少しづつ通えるようになった。身体を動かす学習はできなかったが、一生懸命勉強した。結婚や子供を産むことは諦めていた。
36歳の時に、今のご主人と出会い、結婚をし、諦めていた子供を授かった。出産では麻酔は使えなかった。冷たいメスが自分の肌を切り裂くのを実感しながら、過酷な拷問のような苦しみで、新たな生命を産んだ。
智世江さんは、現在、自宅の1室を学習塾にして仕事をしている。どんな知識も、学問も、命の尊さを学ぶ大切さに比べたら、及ばないという。
生協活動、環境活動にも積極的に関わり、自らの1つの命を生かしきっている。
智世江さんの自由さ、少女のような、夢見る美しい瞳から、私は多くのことを学んだ。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2000年12月21日)
彼女は6歳の時に結核性脊椎カリエスになり、小学校時代はギブスをはめられたまま、ベッドの上で過ごした。いつ、耐えられない痛みが襲ってくるのか、死が訪れるのか、そんな恐怖の中で子供時代をおくった。外で元気に遊ぶことはできなかったが、命の尊さは十分に学んだ。
中学生になる頃には体力もつき、学校にも少しづつ通えるようになった。身体を動かす学習はできなかったが、一生懸命勉強した。結婚や子供を産むことは諦めていた。
36歳の時に、今のご主人と出会い、結婚をし、諦めていた子供を授かった。出産では麻酔は使えなかった。冷たいメスが自分の肌を切り裂くのを実感しながら、過酷な拷問のような苦しみで、新たな生命を産んだ。
智世江さんは、現在、自宅の1室を学習塾にして仕事をしている。どんな知識も、学問も、命の尊さを学ぶ大切さに比べたら、及ばないという。
生協活動、環境活動にも積極的に関わり、自らの1つの命を生かしきっている。
智世江さんの自由さ、少女のような、夢見る美しい瞳から、私は多くのことを学んだ。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2000年12月21日)