アバスさん六十三歳は、日本に来て十六年になる。イラン革命の王制の時に、十七年間、政府の秘密警察の高官をしていた。鉄格子の中に長く入り、多くの苦難をくぐり抜け、仲間を失い、イバイ経由で日本に亡命した。
東京に七年間住んだ。後に妻や子ども達も日本に来たが、子ども達は巣立ち、数年前、妻と太田でレストランを開いた。言葉の壁もあり、妻はイランに帰ってしまった。世界中どこにでも行けるが、イランにだけは帰れない。
アバスさんとは、私が踊らせていただく伊勢崎のペルシャ料理レストランビータでお会いした。私の踊りを見てほめてくれるアバスさんの品の良さや礼儀正しさから、高官だった若かりし日の美男子の姿が想像できる。王制の時代、イランには国営のキャバレーが全国に数カ所あり、ベリーダンスも踊られていたと懐かしそうに語った。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2006年6月1日号より)
東京に七年間住んだ。後に妻や子ども達も日本に来たが、子ども達は巣立ち、数年前、妻と太田でレストランを開いた。言葉の壁もあり、妻はイランに帰ってしまった。世界中どこにでも行けるが、イランにだけは帰れない。
アバスさんとは、私が踊らせていただく伊勢崎のペルシャ料理レストランビータでお会いした。私の踊りを見てほめてくれるアバスさんの品の良さや礼儀正しさから、高官だった若かりし日の美男子の姿が想像できる。王制の時代、イランには国営のキャバレーが全国に数カ所あり、ベリーダンスも踊られていたと懐かしそうに語った。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2006年6月1日号より)
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