終わり出す組織や団体から、どんなふうに人が逃げ出し出すとか、どんな人はけつをまくるのが早々なのかは、「最後まで見続けた」側でないと勉強ができないものです。
「頭のいい人」は総じて逃げ足が早いですね。察しがつけられるからでしょうね。
それそこまで全く忠誠を疑わせないくらいには、いい人であっても「被害が及び出すかも」を勘案し出せて、被害面がメリットより大きいと目星がつくや否や、あっという間に転身先を見つけて来れますね。
これを「要領がいい」と見なすこともできますが、私は「こういう人はもうどうでもいい」に区分します。
「なまじ頭がいい」人は、有事に本当にダメです。
怒り出してくれる人の方が、まだ信用に値します。転身は遅れますが、人としても誠意は疑いようもないのです。
自身がどう足掻いても、事態の大きな取り戻しは叶わないことはあるものです。
その逃げようのないものに、付き合い切ると決めてくれる存在は、頭が少し弱いけど、優しい人たちでした。
あとのことの算段は、後になるまで放ってるし、片付けや修繕、撤去など、日常的でないことへの順応や、イレギュラーへの柔軟は、およそ賢い連中では計算がかっちゃって適わないのです。
ダメな時、終わる時、は誰にだって、どんな時にだって巡ってくるのが人の業です。
それはいいんですよ、起こるものなんですから。
それが起きた時、終わった後、ああ、人って温度差があるんだって分かるんです。
見届けた時に、見返してみて、ああ、そうだったっか、ってだけです。
起こることは避けないでいいんです。ただ、景色は違って見えるのです。
で、「そんなに賢くない方がいいや」っていつも思っちゃうのです。
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