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ジャッジとコーチから見るフィギュアスケートのルール、そして理想とは

2011年11月08日 | フィギュアスケート

なんだか大層なタイトルになってしまいましたが、つい3日ほど前に購入した「フィギュアスケートDays13より、藤森さんと樋口先生のインタビュー談話についてご紹介+私見を書こうかと思います。他のフィギュア本の例に漏れず、結構お高いですが、佐藤信夫コーチの現役時代の話とか、諸々面白かったので興味をもたれた方はご一読をお薦めします。以下かいつまんで私が気になった部分を箇条書きにし、私見を加えていきます。

*ジャンプの後半固めうちについて

つまらない(樋口)

つなぎを犠牲にしなくちゃいけないし、プログラムコンポーネンツの振付やインタープリテーション(曲の解釈)にも影響してしまう(藤森)

まさに私が思うことと同じ事を専門的且つ理論的に言っていただけたような気がします。誤解されると困るので断っておきますが、特定の選手がどうこうと言うわけではなく(お二方ももちろんそうでしょう)そういう振付をする「戦法」についてのことだと思います。実況アナウンサーが「前代未聞の五連続ジャンプ!!!」とか絶賛していましたが、そうしないのは選手の体力の問題もあるでしょうが、曲やコンセプトに合わないなどの理由の方が大きいのではないかと思います。まあ戦法としてはジャッジやルールに左右されないので間違いではないですけどね。

 

*プログラムの独創性要求からルール変更へ→コレオステップ&コレオスパイラルの設定

藤森さんはこれについて一定の評価をされていましたが、素人の私見として言わせていただくなら、スパイラルのレベル廃止は非常に残念です。確かにSPのように短い時間内で要素がぎっしりというのはわからないでもないのですが、少なくともFSでは従来のレベル認定があるスパイラルがあるといいなと思います。率直に言って、スパイラルの上手い選手と下手な選手が同じ基礎点なのは気の毒にすら思えます。

 

*スピンのレベル上げ条件について(ポジションやチャンジエッジについて)

藤森さんと樋口コーチ共に、ビールマンスピンについて多用して負荷が高くかかることを懸念しておられるようです。確かに、股関節や腰に負担がかかるポジションのスピンであると言わざるを得ないかもしれません。しかし、ビールマンスピンの回数を制限すれば選手生命が延びるとは必ずしもいえないと思いますし、何より要素として一番多くを占めるのはジャンプですよね。選手も自分の体と相談してプログラムを練っていくでしょうし、身近で見ているコーチが危険だと思えば止めるでしょう。それより私は、見栄えが必ずしも美しくなくても、条件さえ揃えばレベルが取れてしまう今のシステムの方が釈然としません。具体的に誰がとはもちろん言いませんが、この人のスピンでレベル4なの!?と驚いたことが数回あります。まあ、素人にはわからない良さがあったのかもしれませんが。

 

*昔と比べて選手に対してコンポーネンツの要求が非常に高くなっている

これもお二方共におっしゃっていましたが、昔の動画などを見るとしみじみ痛感されることですね。今はジャンプやスピン、ステップはもちろんのこと、各要素の間のつなぎや表情まで要求(まあ表情、表情とうるさいのは主に日本くらいでしょうが)されています。それこそ選手によって個性が違うのですから、ジャンプ特化型でも他の選手と比べて特に秀でている場合はもっと評価されてもいいような気もします。要はオールラウンダーをジャッジは望んでいるわけですね。しかし最近よく指摘されるスケーティングスキルやエッジワークについては、プログラムの中で厳密に判断するのは本当は難しいのではないかと思います。もう廃止されて久しいですが、それらを一番きちんとチェックできるのはコンパルソリではないかと思うのですが、「興行」要素が年々高くなっている現状のフィギュアにおいてはまず復活はありえないでしょうね。それに順位調整も難しいですし(ちょっと毒吐きました)

 

*ラウンドテーブルディスカッションとOAC(役員評価委員会)

どちらもそういうものが実施されていて、存在しているということは知っていましたが、一応片方からの一方通行的に意見の投げ込みでは終わらずに次へと活かすつもりはあるらしいということは、藤森さんの話から伝わりました。ただ、OACという存在がどれほどの規模で、どのようなメンバーで構成されているのかはわかりにくいので、全面的に安心できるかといえば正直疑ってかかりたくなります。評価の対象はジャッジにとどまらず、テクニカルチームにも及ぶそうですが、その割には天野氏のような各国で問題視されているコーラーがそのまま野放しになっている現状があります。公平に厳しいならともかく、凡才が天才に勝てるシステムにすべき云々の発言の他にも、公平性を尊ぶべき立場にはふさわしくない人材だと言わざるを得ません。ひょっとしたら大元の組織の指示によって上げ下げを大きくしているのかと思ったこともありましたが、各大会各コーラーによりそうでもない時もありますので、やはりこれは個人の資質の問題であろうと考えます。

 

昔に比べれば、ISUから一般のフィギュアファンに対してプロトコルやコミュニケーションを公開するなど、評価すべき点もあるのでしょうが、まだまだ組織が勝敗をコントロールしようとしているのは残念ながら今年も同じようです。元々が欧州発祥の競技であり、欧米優先の気風にみちていることは論を待たないことですが、むりにコントロールしようとしなくても、一つの国から10年以上も同じチャンピオンが出続けることなど滅多にないでしょう。

コントロールすることによって却って、競技を歪曲化しているような気がしてなりません。今回の記事のような専門的な話を知れば知るほど、残念ながらその思いは増すばかりです。