若い頃、聖会でよく会うG牧師が大好きでした。
先生の近くにいると、「全てを包み込むような安心感」を感じました。
当時、私はガンガン信徒で、委ねるとか、安らぎとは無縁でしたので、それを求めていたのかも知れません。
大きな働きをしておられましたが、謙遜な方で、たまたま一緒にお昼ご飯を食べる機会がありました。
近所の定食屋?みたいなところで、のんびりっていうか?まったりっていうか…。
「僕はね~、伝道は嫌いなんだよ」
「小さな教会でね、イエスさまの話しをずっとしていたいねー。
それで飢えて死んでも、主よ、よろしくお願いしますってね(笑)」
「礼拝は楽しいよね~。礼拝は楽しみだよー♪」
なんて、当時の私達には遠い世界のファンタジーのような話しを、嬉しそうにされました。
イエスさまが大好きって言う心が満ちていました。
当時の私達の教会は、
「伝道命!」
「礼拝には誰かを!」
「命と動きのある礼拝!」
もちろん間違いではなかったかも知れませんが、赤ちゃんがオリンピックに出るようなもので、今思えば滑稽でしたね。
G牧師は、私達の霊的な現状を知っておられたから、敢えてそう言われたんだと思います。
終始、十字架と聖霊について説いておられました。何度も何度も何度でも…。
その後、私が教会に行っていなかった十年の間に、天国に召されました。
「僕がね、他の人を評価するのは、霊的洞察力だよ」
とも言っておられたな~
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先生の近くにいると、「全てを包み込むような安心感」を感じました。
当時、私はガンガン信徒で、委ねるとか、安らぎとは無縁でしたので、それを求めていたのかも知れません。
大きな働きをしておられましたが、謙遜な方で、たまたま一緒にお昼ご飯を食べる機会がありました。
近所の定食屋?みたいなところで、のんびりっていうか?まったりっていうか…。
「僕はね~、伝道は嫌いなんだよ」
「小さな教会でね、イエスさまの話しをずっとしていたいねー。
それで飢えて死んでも、主よ、よろしくお願いしますってね(笑)」
「礼拝は楽しいよね~。礼拝は楽しみだよー♪」
なんて、当時の私達には遠い世界のファンタジーのような話しを、嬉しそうにされました。
イエスさまが大好きって言う心が満ちていました。
当時の私達の教会は、
「伝道命!」
「礼拝には誰かを!」
「命と動きのある礼拝!」
もちろん間違いではなかったかも知れませんが、赤ちゃんがオリンピックに出るようなもので、今思えば滑稽でしたね。
G牧師は、私達の霊的な現状を知っておられたから、敢えてそう言われたんだと思います。
終始、十字架と聖霊について説いておられました。何度も何度も何度でも…。
その後、私が教会に行っていなかった十年の間に、天国に召されました。
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