このようにして、キリストの日に、
わたしは自分の走ったことがむだでなく、
労したこともむだではなかったと誇ることができる。
(ピリピ人への手紙 2:16)
このような生き方がしたい!と、心から思います。
信仰の若い頃、かなりデタラメに走りました。
走り走り走り!自爆しました。
そんな無駄な走り方ではなく、イエスさまの恵みの中で走りたい。
それは、絶対に無駄にはならない生き方です。
そして、人間として生かされて一番の幸せでしょう。
今は、走ることが出来ないこともありますし、労することも出来ない時もしばしば…
でも、自分に与えられた恵みの範囲内で、精一杯走りたい!
私は、ゆっくり歩むよりも走る方が好きです。
今は、ゆっくりゆっくり歩んでいますが…。もう止まりそうなくらいに(笑)
でも、これもきっと無駄な時間ではなかったはずです。
かつて1ヶ月程寝込んだ時に、窓から外を見て、
「元気になったら、手足を大きく振って、大股で思いっきり歩きたい!」
と思いました。
空を見上げて、両手を振って堂々と歩いたら気持ち良いだろうな〜
そんな信仰生活を送ることが出来たら幸せです。
労したことが無駄ではない生き方!
今まで、ナント無駄な生き方をして来たんだろう。
自分の事だけに明け暮れて、自分と家族だけのために生きるとか。
イエスさまの愛の奥底から、溢れ出る恵みによって、
周りの人たちや環境に影響を与えられる者になりたい。
イエスさまの十字架の福音は、それだけの価値があるのですから。