私は…私は…と生きているのが苦しい。
苦しい時、他に何も思えない自分が悲しい。
でも、それでも愛されているんだ。
家族に友達にこれから出会う誰かに…そして神に。
私の生きている事を喜んでいてくれる人がいる限り、
私の事を覚えていてくれる人がいる限り、
私は、私を「しあわせ者」と呼ぼう。
息をするのがやっとでも、自分の事だけでやっとでも、
みんな~私は生きているよ。
そしてこれからも生きて行くよ。
しかし、二週間前からの鬱状態はかなりきつくて閉口します。胸の辺りからお腹まで「苦しい(>_<)」ギュッとした感じで食欲もなく、ゆっくりと起きれるのを待ってます。夜には日内変動のせいか普通の感覚になります。この状態も久しぶりで、鬱ってこんな感じだったなぁって思い出しました。
私が感じているしあわせな気持ちとは裏腹に、苦しい病も共にあります。
「もし、今治ったら何したいですか?」
と聞かれたら、私にはちゃんと答えられる夢がないのです。そこに私の問題点があるように思います。
きちんとした願いや夢はとっても大切なものなんです。私は今、その夢自体が与えられるように祈っています。
長い間諦めの人生を送って来たためか、些細な夢や願いさえも、持たなくなってしまったか、埋もれてしまったようなのです。最近、その事に気付きました。
前回のブログで書いたオークション作業は、楽しいのは本当ですが、もう一歩踏み込んだ何かを求めています
でも、ブログは良いですね~。日記をちゃんと書く事が出来ます。どうやら好きみたいです。嫌いな人もいるようだし。。。続いているって事は、私にとっては、相当好きなようです。日記は三日坊主ってか。。。三日書けたら良い方かも?
「偉大な事を成し遂げる人は、日記を書く」らしい。だから、私は偉大ではないのですね。意味が分かったような・・・。
オークションもしかり。。。いっつも楽しいって訳でもありませんが、乗りに乗った時は張り切ります!乗らなくても、ボチボチやって行きます。出品さえしていれば、いつかは落札するのです。出品していない方!・・・落札しませんよぉ~~~当たり前じゃああああ!
今までいろんな仕事をしてみましたが、このような仕事が一番好きなようです。服飾関係、かつ自宅でコモって、家を出なくてもいい仕事。好きな時に出来る仕事。。。言えば言うほど、怠け者っぽいですが「天職」と呼んで下さい。ははっ!
交通事故による死者(一万人弱)が減っているのに対して、自殺者は三万人を越えているそうですね。
この前、母と話して居てショックな情報を聞きました。
私がプロフィールに書いている、高校時代の憧れの二つ上の高専の先輩(中学校が一緒ですから三年間一緒に通学しました)が、今年自殺で亡くなられたそうです。それも役場に勤めていたので、○長のいじめ?にも値する行為があったのではないかとの事。内部情報なので確実性は高いようです。そして今、役場にはカウンセリングを受けている人が少なくないとの事でした。
私の住んでいる町は、市に合併しませんでした。住民投票は行われましたが、あまり論議されず、○長の思い通りに事が運びました。
「○○町を愛している人は、合併には反対するのが、本当だ」
みたいな・・・。裏をかえせば、
「合併に賛成する奴は、○○町を愛していない」と、言う意味だったようです。
実際、わが町は大赤字!!会社なら倒産箱物もたくさん作ったし、開発もいっぱいしたし。。。etc.お陰で、ずっと恒例だった、オランダ人留学生の受け入れも「終了」今日の新聞では「保育料値上げ」です。
でも、それら以上に悲しい事は「尊い命」がその犠牲になったと言う事です。
先日来、パニック発作…特に不安と恐怖からは自由にされて、落ち着いた日々を送っています。これからの目標は「安定的に良くなります!」です(笑)
今年の夏に底値を打った苦しみは、秋にはだんだん楽になって来ました。その後が先日の「死の陰の谷」からの開放でした。
ですから、これからはゆっくりと鬱状態から浮上することを祈って行きたいと思います。
鬱状態の波は確実に底が上がっています夏の苦しみも、苦しかったけど、何日も寝込む程ではありませんでしたしこの所の状態も主に身体が怠いだけで、沈む事はなかったからです。
ここからが大切ですね。頑張ったり、無理をしたり、自力でどうこうしようとせず、委ねながら日常を生活して行く…出来る事をちょっとづつして、安定的に出来る事を増やして行くようにしたいと思います。
病気の状態が良くなると、いきなり仕事に出たり、趣味を増やす方がいますが、それだと挫折した時のショックが大きくなります。状態の悪い時に焦点を合わせると落胆せずに済みます。悪い状態でも出来る事を増やして行くんです。
挫折することを前提にしているように聞こえるかも知れませんが、そうではなくショックによって悪化するリスクを出来るだけ低くして、確実に良くなる方向にもって行きたいんです。
正直言って、今はそう良い状態ではありません。先週の土曜日辺りから、軽~~い鬱状態ですね。。。星に例えれば、
★★☆☆☆くらいかな~?(笑)
でも、日記をご覧下さっている方は分かると思うのですが、そこそこ動いています(そこそこってか、ダッシュじゃないんか?・笑)今、出来ている事が、悪い状態でも出来る事です。現在の本当の実力と言ってもいいと思います。
ここを基点にして、ゆっくりと・・・アップして行きたいと思っています。
今日は100均に行って来ました。
そこの100均はダ○ソーとは違っていて、たまに面白い物があるので、よく行きます。と言っても「妹が勤めているから」って事や、今日のように、モスバーガーが近くにあるから。。。って理由がほとんどですが
今日は観葉植物を3個買って来ました。前に買って来てデッカクなったのが、後ろのオリズルランです。先日アップした?(日記の方だっけ?)観葉植物も、ほとんど100均で買って来たのが、育ったものです。後は、Rieちゃんから貰ったのと、I石油さんから貰ったものです。
買って来た時にはこんなに小さいのに、大きくなるのを見るのって楽しいですよね~~~(随分、枯らしたりもしたけど・・・)
私がしているのは、水をやって眺めているだけ。。。成長させて下さるのは神さまですね。
こちらも、身体はデッカク!なりました。中身もデッカクなぁ~れ!成長させて下さる方に、祈り願っていますよ~。
この所、穏やかな日々を送っています。
もちろん、そうでない時もありますが、また平安な場所に戻されて、落ち着いている事が出来ます。以前の私を知っている方は、「違い」に気付かれるでしょう。いつも不安や動悸がやって来て、大変でしたから
きっかけは多分、教会に行った事と、斐川礼拝が始まった事だと思います。
そんな時に、娘が洗礼祝いに楫先生から貰った、聖書のみ言葉集を見ていました。その中に、有名な詩篇23篇の数節が載っていました。私は…と言うか、多くのクリスチャンがとてもよく知っている所だったので、今まであまり気に留めた事はありませんでした。
主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。(詩篇23:1~2)
でも、その日は違っていました。とても幸せな気持ちになる事が出来ました。
英語でも書いてあったので、余計に身近に感じました。それに、いつも寝ている事が多いので、緑の牧場に横たわってくつろいでいる風景が、とても気持ちよかったんです。そして、水辺に導いて下さるイエスさまを近くに感じました。
それから聖書を開いて続きを読んだ時、私は今まで恐れていた「見捨てられ不安」や「叱られる事に対しての、異常な恐怖」から、イエスさまがいつも一緒におられる安心感へと変えられて、幸せを感じました。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。(詩篇23:4)
今までも、散々イエスさまが共に居て下さるって事は聞いていたのですが、私の中の心の傷が、その愛を受け取れない程に蓋をしていたようです。
昔は、このみ言葉を読むと怖いと感じました。でも、今まで私は「死の陰の谷」を歩んでいたんです。怖くはありません。今は、イエスさまがいつも一緒に居て下さるのですから。
さて、こちらのBlogをご覧のみなさま。
ぴーちの日記★ぴーちのきながな毎日★の方は、毎日更新中です
日記の方もBlog形式に変更して、写真も掲載していますよ。
よろしくお願いいたします
こちらの方も更新予定です。。。ちょっと遅いけど(笑)
あの日、私は全く見捨てられていた。。。
望みと言う言葉は、私にはもうないと思っていた。
本当に地に落ちて、諦め投げやりに生きていた。
なのにどうしてだったのだろう。
私はその時から愛されていると感じた。
気のせいなのだろう。
あまりに絶望を味わったので、心が壊れてしまったのだろう。
その不思議な感覚を、気のせいだろうと片付けた。
しかし、神は私を見捨てられなかった。
心にかけて下さり、時の熟すのを待っておられたのだ。
全てが整うのを、ゆっくりと待っておられた。
視野の狭い私は、それに気付かなかったのだ。
その偉大なる愛に因る、緻密なご計画があった事を。
今、言おう。。。
神の知恵は測りがたく、その愛は地の奥底まで届くと。
この小さい者の口はただただ、賛美と感謝で溢れるのみだ。
偉大なる、優しい主イエスに栄光あれと…。
この前の日曜日にはNORIが洗礼式だったので、久しぶりに教会に行きました。みなさんとは外で会った事もあるし、楫先生ともよくスーパーやリサイクルショップなどで会っていましたので、緊張するはずはないのですが、帰ってから筋肉痛になってしまいました。教会ではとっても楽しくみなさんとお話していました。
また昨日は、うちの事務所で「斐川礼拝」をしていただきました。Rieちゃんと数人だったのですが、始まる前にとっても不安と緊張が来ました。
みなさん気心の知れた人達で、普通に考えたら何も心配する事はないんです。なのに、普段と違った生活をする事に慣れなくて、自分に対して違和感を感じました。慣れたらすぐに何ともなくなるでしょう。でも、各の如くイチイチ反応してしまう自分が今は窮屈です。
昨日の礼拝でイエスさまは、人を造り変えて下さるお方だと聞きました。また、実際に主人や娘はとっても!ビックリする程変えられました。イマイチ周りは驚いているのに本人は、気付いていませんが…。私も今の自分を愛して下さっているイエスさまに信頼して、変えて下さる事を期待したいと思います。
「われわれは粘土であって、あなた(イエスさま)は陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。」(イザヤ64:8)