…むしろ、心を新たにすることによって、
造りかえられ、何が神の御旨であるか、
何が善であって、神に喜ばれ、
かつ全きことであるかを、
わきまえ知るべきである。(ローマ12:2)
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夕べお風呂に入っていたら、急に大切なことを思い出しました。
友達のCちゃんから、メールが来ていたことを…。
もちろん、メールは必ずしもすぐに返すとは限らないので、書きかけて保存していました。
でも、よくよく考えてみたら、Cちゃんから弱音メールが来たのは初めてでした。
愚痴を吐けるって、余程の信頼する気持ちと、辛い気持ちがあってのことでしょう。
「しまった!今は、自分の用事を優先すべきじゃなかった!」
と入浴中に気づいたのです。
そして、もう一つの出来事が心に浮かびました。
それは、日曜日にメビックに来ている6年生のMちゃんのことでした。
Mちゃんのことは、何となく気になって、お祈りしていましたが、その日は礼拝後に卓球をする約束をしていたんです。
昼食後に、わたしが友達と一生懸命喋っていた時に、Mちゃんが抱きついて来ました。
わたしは、それでもお喋りを中断せず、話し終わってから、
「Mちゃん!卓球?」
とききました。
「ううん、怖い話知ってる?」
「おばちゃん、怖い話知らんわ」
と言ったところで離れて行きました。
Mちゃんにとって、私は教会のおばちゃんの一人に過ぎないかも知れないのですが、私に抱きついて来たのは初めてでした。
卓球とか怖い話の問題ではなく、「自分を真剣に受け止めてもらえる人」の一人だったかも知れません。
この二つの事を通して、私に与えられている使命をシッカリと受け止めるように、イエスさまが示しておられるのではないかと思いました。
私は、牧師先生ご夫妻のように、特別な働きに当たる使命はありません。
でも、私の周りにいる助けを必要としている人のためには、最善を尽くす使命があると思っています。
例えば、牧師先生はイエスさまの子羊を育て養うプロフェッショナルです。
ですから、ご自分の体調や用事よりも、人々や教会の用事を優先されます。
私はそう言う意味では、プロではありませんが、私の周りにいる方々に対しては、プロフェッショナルであって欲しいと、イエスさまが願っていらっしゃると感じました。
私の心が、変えられなければならないと思っています。
優先順位の問題ですね。プロなら、与えられた使命が第一になるでしょうから…。
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