いつも聞いているPodcastのメッセージの中で、
F先生が、昔の体験を話しておられました。
それは、F先生がまだ神学生の時に、当時の学院長が、
「みなさん、御飯を食べる時には5人でグループを作って一緒に食べて下さい」
と言われたそうです。
それで、みんなグループを作って食べたそうです。
それからしばらくして、学院長との個人面談の時に、
F先生は、注意を受けたそうです。
「あのね、Fさんは『献身』が足らない。」と。
F先生は、何のことやら分からず聞き返すと、
「Fさんは、御飯の時に周りの人とほとんど喋らないでしょ?
あなたは、献身が足らない。」
F先生には言い分があったので、説明したそうです。
「先生、私は会議の時などのような時にはちゃんと話しますが、
雑談は苦手なので、嫌いじゃないのですが話さないんです。」
でも、学院長はそれには聞かずに、
「いえ、あなたは献身が足りない!」
と言われたそうです。
その時には、意味が分からなかったそうですが、
今は、よくその意味が分かると仰っていました。
その体験を聞いて、私にはピンと来るものがありました。
「そうか、イエスさまに自分を捧げると言う事は、
周りの人たちに自分を明け渡すことなんだ。」
「周りの人たちに心を開くこと、思いやりを持つ事が、
本当にイエスさまを愛して、自分を捧げる事なんだ。」
そう、理屈ではなく分かりました。
「あなたは献身が足らない」と、言う声を聞く時に、
私から、隣にいる人への愛が生まれ、流れるような気がします。
隣に座った人に、ちょっと話しかけること。
家族にいつもよりちょっと優しくすること。
気になった友達に、ちょっとメールすること。
話している友達の話しを親身になって聞くこと。
それが、イエスさまにこの身を捧げる献身なんですね。
イエスさまは、私のために命までも捧げて下さいました。
献身とはどう言う事か?を身をもって示して下さいました。
私は、イエスさまに何もお返しは出来ませんが、
私のちょっとした献身によって、内におられるイエスさまの愛を、
少しでも多くの方に流せたら感謝です。
少しでも…少しでも…