普通の生活と言うよりも、普通に穏やかな気持ちで、与えられた仕事をフツーにして、フツーに楽しくお話し出来る毎日の事だ。
案外、人はこの「普通」の毎日を送れるしあわせに気付かないのではないだろうか。スモッグが来て、普段の青空がきれいだったと気付くし、市民税が上がって、安かった時のありがたみを知る。
本来、当たり前の事などほとんどないと思う。歴史も世界も動いているのだから、「これは絶対変わらないもの」など、極端に言えば何ひとつないと思っている。
クリスチャン作家の、故三浦綾子さんが、戦後自暴自棄になった理由は、小学校の教師であった彼女が「絶対に正しい!」と信じて愛する子供達に教えて来た事が、敗戦によって「本当は間違っていた」と知ったショックと共に、間違いを真実だと信じて子供達に教えて来た、と言う自責の念だった。
熱心な教師ならではの、大きな痛み、苦しみだっただろうと思う。
だから彼女は天に召されるギリギリまで、イエスさまの事…罪や罰、許し癒し、真理について書き続けたのだろう。
「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない(ヘブル13:8)。」