4月から、ずっと体調が良くて、バタバタ出来るようになりました。
最近では、疲れはあるものの不自由さや、苦しみを感じる事もなく、
意味のない不安や、苦しみ、恐怖などから遠ざかっています。
普通に生きれる事に感謝!
しかし、一つだけ難があるとすれば、朝起きた時の「気持ち悪さ」です。
こんなに調子が良いのですから、これくらい我慢?とも思いましたが、
数日前から、この事については夫には祈ってもらっているものの、
神さまには事情を説明してお願いしてない!と思いました。
それも、「この症状を無くして下さい。」と言う消極的なものではなく、
「どんな自分になりたいか?」と問われているような気がしました。
その時、泉のように湧き上がる喜びが欲しい!と思いました。
朝起きた時から、寝るまで「泉のような喜び」が内側から溢れて来たら、
どんなに素晴らしいでしょうか?
この泉が湧き上がれば、気持ち悪さは当然なくなるはずです。
一昨日から、この祈りと願いを持ちました。
今のところ、本当に嫌な症状は消え去りました。
今の私には、この地上的な意味での欲望はあまりありません。
必要な事や、モノはたくさんありますが、
過剰に、何かが欲しいとは思っていません。
以前、友達に「私ね、多分将来○○○するようになると思うわ。」
と話したら、友達は、
「祈っていたら、そうなるかも知れないね。」と言ってました。
でも、うーん…
祈っているわけではありませんし、絶対にそうならなければならない!
と考えている訳でもありません。
きっと、そんな風に導かれるだろうなぁ~と言う緩い信仰。
「もし、そうならなかったとしても、オッケーです、神さま。」
と思っています。
なのに、その確信は日に日に深まっている。そんな感じです。
先日、聞いたメッセージで、ある牧師先生が、
「ロサンゼルスで集会を持ちたいなぁ~」と何となく思っていたそうです。
なぜ、そう思ったか?絶対そうなる!と思っていた訳ではないのに、
その思いは、段々強くなって、結局実現したそうです。
私の考えている事は、もっと小さいですが、
「あっ、その感覚、なんか似てるなぁ~」と思いました。
今のところ、自分の欲望による願いではないので、
神さまが、そのように導かれるでしょう!
期待しつつ待っています。
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、
永遠の命に至る水がわき出る。」
(ヨハネによる福音書 4:14 )