母は長年一日も欠かす事なく日記を書いていた。
でも、この3年字が書けなくなったと日記を書くのを止めてしまった、
でも、昨年末から姉の家に行っていて
年の初めに日記買ってもらってつけ始めたらしいです。
姉の話だと、その日食べたものを書いただけの物らしいが・・・
母を迎えに行った2月27日。
姉が「竜宮場に来たみたいだったけれど、明日からはまた一人で食事をしなければいけない」と母が言っていたと話してくれた。
確に我が家には、姉の家のような団欒はない
我が家のリビングは二階なので、母は上がって来れない、
なので、自ずと母は自室で一人で食事をすることになってしまう。
帰って来た翌日、私も一人だったので、二人分の食事を母の部屋に運んで、一緒に食べた。
母は元来とってもお喋りな人間だったが、このところ言葉が少なくなったのは
一重に私に責任があるのではと思い始めた。
姉の所から帰って来た母は、食事中よく話した。
昨日、ここ2日書いていない日記に、鉛筆を挟んで、
「今日は3月1日だよ」と渡してやると、何やら書いたらしい。
夕方ちょっと覗いてみたら、2日の余白の後に、
『懐かしい我家に帰って来た
食パン、牛乳
うどん
りんごアメ
芋ようかん』
そして、なにやら判読出来ない文字が、のたくっていた。
この日記もいつまで続くだろうか?
私には何か優しさが欠けているのか、人間としての何かが欠けている気がする。
何かの欠落が母を人間らしく生活させてあげられない。
小さい時、父を喪い暖かい両親の愛を知らずに育ったからかも知れない。
姉には父の記憶も思い出もあるのだが
何かのせいにしてはいけないのだが、
私には人間としての、何かが欠落している、と、常に感じてきた。
息子との関係も稀薄だ。
世の親子のような暖かい関係を持てない、
母に人間らしい生活をさせてあげられない私なのである。