アルバイトYです。
木曜日の午前中、Fくん、Mちゃん、Kちゃんとスタッフ3人で今津公園までお散歩に行きました♪
写真は枯れ葉が集めてあってふかふかになっている場所を探検しているところです。
このあと、Fくんは女性スタッフのUさんと枯れ葉の中から碁石探し、MちゃんはYと缶蹴り(缶サッカー?)、KちゃんはMくんとこちょこちょマン(追いかけっこ)をしました☆
(Mちゃんはお迎えのお母さんに何やらジェスチャーで一生懸命に訴えていました。お母さん曰く「今日はサッカーしたの?」。アトの反省会でMちゃんは缶けりのサッカーが面白かったよ!と伝えたかったのが分かり、とても嬉しかったです。ぽぽろ番)
もう一枚の写真はスコップを眺めるKちゃん☆
「スコップ貸して~」
と言ってきたKちゃん。
最近たくさん話をしてくれるようになったKちゃんですが…
出会った頃は用心深く眺めていた私にも「16番(お気に入りの曲)聞きたい!」「どこに座っていいの?!」などと話かけてくれるようになりました★
少し前まで話かけてくれる言葉は「Mくんは?!」「Mくんと食べたい!」などMくんネタばっかりだったので…嫉妬?!笑…「スコップ貸して~」はMくんも言われたことがないのではないかと、ちょっといつもより嬉しかったです(^^)
(いつも投稿ありがとう!ぽぽろ番より)
(KちゃんはMくん以外のスタッフの名前もそうですが、FくんやMくんなどお友だちの名前も言うようになってきたそうです。このブログを見ながらお話しているそうです。学校ではほとんどしゃべらない・しゃべれないKちゃん。こういう場合を「選択性緘黙」とか「部分緘黙」と言われるのかもしれない。ぽぽろでは「自我の拡大から充実」に向けてやっと感情むき出しの「我がまま」や「自己主張」をしだしたKちゃん。大きい声で自分の思いを語り出しました。
「自制心」や「自尊心」の形成にとって、この「我がまま」「自己主張」=自分を出すことを徹底的に保障することが大事だと言われています。そのプロセスが抜け、無視したり無理やり抑え込んだり「枠」にはめ込もうとすると自我の充実に向かわず、「自制」「自尊」が育たず「依存」傾向が強まると言われています。
自分を出しながら「他者の要求を受け入れる体験」=学校教育や学童保育の役割は本当に大切ですよね。大人主導、大人とだけの関係ではなく、友だちの中でこそ育まれる力です。Kちゃんの学校生活は残念ながら「我がまま」や「自己主張」を「真正面から受け止める」大人との関係の弱さ、子ども集団の中にあって「我がまま」「自己主張」をしながら関係をつくっていく体験の弱さがあったのでしょうか?
この「自我の拡大」「自我の充実」は形式的な通常学級への「統合」では形成は難しいし、かえってマイナスになりかねないということを考えるべきではないでしょうか。また、特別支援学校であっても「我がまま」「自己主張」を教育的に保障できなったり、大人主導(=優位)が中心で子ども集団の中で形成していく意識的なとりくみが欠けたりすると、同じ困難が生まれるでしょう。学童保育も同じこと。
「荒れる」「やんちゃ」なのは「甘いからや!」「抑えが効かないからや!」「しつけができてないからや!」とか言われる時があります。しかも、「将来の自立のため」という枕ことばがついたりします。そうすると「自由なのがいい!」「もっとビシバシやって!」という気持ちを行ったり来たりしてゆれたり、二股かけたりされる方もいるのですよね。それもよく理解できます。ただ言えることは、「自分を出す」「自分で考え、行動する」ことなくして自立の力は育たないということでしょう。乳幼児・子どもから青年、成人の方の相談・支援というライフステージの視点で見ると、そう感じざるを得ないのです。
やっと、自分を出し始めたKちゃん。特別支援学校への転校は実現しただろうか?ギリギリまでご両親は朗報を待ち望んでいらっしゃいます。教育を受ける場がどこであれ先ずは「自分を出す」ことを受け止める先生や友だちがいることが大切。そっこを出発点にしながらも、その中で楽しい取り組みを通じて「折り合い」をつけていくことでしょう。そのことによりふさわしい場はKちゃんにとっては特別支援学校かなって思っています。ぽぽろ番)
木曜日の午前中、Fくん、Mちゃん、Kちゃんとスタッフ3人で今津公園までお散歩に行きました♪
写真は枯れ葉が集めてあってふかふかになっている場所を探検しているところです。
このあと、Fくんは女性スタッフのUさんと枯れ葉の中から碁石探し、MちゃんはYと缶蹴り(缶サッカー?)、KちゃんはMくんとこちょこちょマン(追いかけっこ)をしました☆
(Mちゃんはお迎えのお母さんに何やらジェスチャーで一生懸命に訴えていました。お母さん曰く「今日はサッカーしたの?」。アトの反省会でMちゃんは缶けりのサッカーが面白かったよ!と伝えたかったのが分かり、とても嬉しかったです。ぽぽろ番)
もう一枚の写真はスコップを眺めるKちゃん☆
「スコップ貸して~」
と言ってきたKちゃん。
最近たくさん話をしてくれるようになったKちゃんですが…
出会った頃は用心深く眺めていた私にも「16番(お気に入りの曲)聞きたい!」「どこに座っていいの?!」などと話かけてくれるようになりました★
少し前まで話かけてくれる言葉は「Mくんは?!」「Mくんと食べたい!」などMくんネタばっかりだったので…嫉妬?!笑…「スコップ貸して~」はMくんも言われたことがないのではないかと、ちょっといつもより嬉しかったです(^^)
(いつも投稿ありがとう!ぽぽろ番より)
(KちゃんはMくん以外のスタッフの名前もそうですが、FくんやMくんなどお友だちの名前も言うようになってきたそうです。このブログを見ながらお話しているそうです。学校ではほとんどしゃべらない・しゃべれないKちゃん。こういう場合を「選択性緘黙」とか「部分緘黙」と言われるのかもしれない。ぽぽろでは「自我の拡大から充実」に向けてやっと感情むき出しの「我がまま」や「自己主張」をしだしたKちゃん。大きい声で自分の思いを語り出しました。
「自制心」や「自尊心」の形成にとって、この「我がまま」「自己主張」=自分を出すことを徹底的に保障することが大事だと言われています。そのプロセスが抜け、無視したり無理やり抑え込んだり「枠」にはめ込もうとすると自我の充実に向かわず、「自制」「自尊」が育たず「依存」傾向が強まると言われています。
自分を出しながら「他者の要求を受け入れる体験」=学校教育や学童保育の役割は本当に大切ですよね。大人主導、大人とだけの関係ではなく、友だちの中でこそ育まれる力です。Kちゃんの学校生活は残念ながら「我がまま」や「自己主張」を「真正面から受け止める」大人との関係の弱さ、子ども集団の中にあって「我がまま」「自己主張」をしながら関係をつくっていく体験の弱さがあったのでしょうか?
この「自我の拡大」「自我の充実」は形式的な通常学級への「統合」では形成は難しいし、かえってマイナスになりかねないということを考えるべきではないでしょうか。また、特別支援学校であっても「我がまま」「自己主張」を教育的に保障できなったり、大人主導(=優位)が中心で子ども集団の中で形成していく意識的なとりくみが欠けたりすると、同じ困難が生まれるでしょう。学童保育も同じこと。
「荒れる」「やんちゃ」なのは「甘いからや!」「抑えが効かないからや!」「しつけができてないからや!」とか言われる時があります。しかも、「将来の自立のため」という枕ことばがついたりします。そうすると「自由なのがいい!」「もっとビシバシやって!」という気持ちを行ったり来たりしてゆれたり、二股かけたりされる方もいるのですよね。それもよく理解できます。ただ言えることは、「自分を出す」「自分で考え、行動する」ことなくして自立の力は育たないということでしょう。乳幼児・子どもから青年、成人の方の相談・支援というライフステージの視点で見ると、そう感じざるを得ないのです。
やっと、自分を出し始めたKちゃん。特別支援学校への転校は実現しただろうか?ギリギリまでご両親は朗報を待ち望んでいらっしゃいます。教育を受ける場がどこであれ先ずは「自分を出す」ことを受け止める先生や友だちがいることが大切。そっこを出発点にしながらも、その中で楽しい取り組みを通じて「折り合い」をつけていくことでしょう。そのことによりふさわしい場はKちゃんにとっては特別支援学校かなって思っています。ぽぽろ番)