大阪発達支援センターぽぽろブログ ぽぽろ番

ぽぽろはNPO大阪障害者センターの子育て・教育支援部門です。
大阪市鶴見区今津北にあります。

土曜日のぽぽろ たくさんの投稿ありがとう

2011年03月21日 | 児童デイサービス
 土曜学童は午前中が音楽遊び教室。今や自由あそび中心で、設定あそびから遠ざかりつつある子どもたち。しかし、反省会の話を聞いていると随分と盛り上がったようす。
 午後は久しぶりに目一杯公園で遊びました。

 写真はたくさんバイトの方たちからも下書き投稿があった様子。記事はスタッフのTaさんでしょうか?







○ブランコを後ろから押して、後ろに行って!とスタッフを後ろにひっばります。
○先日、小学校を卒業したおにぃちゃん。年下の子が打てるようにゆっくり投げて、手加減してくれてるよ。
○ボールあそびはサッカーのほか、たかーく投げあげてノーバンでキャッチも。とっても上手
○今日のブランコは、細身のおにぃちゃんのひざに乗って。気分爽快でウヒョヒョヒョー!がとまりませんでした。










Oくんからの詩によるメッセージ

2011年03月19日 | ヤンボラ・ヤンクラ
廃墟の町で
それは突然襲ってきた
それはとても大きな波だった
それはすべてを飲み込んでしまった
それはすべてを奪い去ってしまった
そして豊かな大地を
そして鰍ッ替えのない人たちを
多くの愛する人たちを
一瞬にして僕達は失ってしまった
多くの被災者たちが
一斉に避難所を目指す
すしずめの避難所で、あとどれだけ眠れぬ夜を過ごすのか?
希望も見えない明日がまたやってくる。
もはや僕達の国ではないようだ
言葉にならない絶望が
彼らの肩にのしかかる
それでも明日はやってくる。
一歩一歩、歩いて行くしかないのさ
長い道のりだけど一緒に歩いていこう
一人だけじゃ辛いけどみんな一緒なら乗り切れるはずさ
この国は僕達の国だ
被災地も永田町も沖縄も
政治家も被災者も
みんな僕達らの国の国民だ

彼らのために僕達は何が出来るのだろう?
変わり果てた国のために僕達は何が出来るだろう?
それとも僕達はこの国の遠い出来事だと思うんだろうか?


この詩のいきさつについてはひとつ前の投稿をお読みください。


Oくんからのメッセージ

2011年03月19日 | ヤンボラ・ヤンクラ
 ぽぽろのヤンボラ・ヤンクラに参加しておられるW・Oくんから北陸関東大震災について寄せられたメッセージと詩を紹介します。
 Oくんはいてもたってもいられないようで、何かしたい、何かをせずにはおれないと方々に相談の電話をしておられる様子。アドバイスもあり、得意な詩作で気持ちを行動にしました。
 ブログのトップに表示したアピールを踏まえるなら、彼の感受性を揺さぶる大きな衝撃と不安のものすごさを感じずにはおれません。
 彼の詩は独立して次の投稿としてアップします。


東北地震被災者の皆様へメッセージ11日に起きた東北大地震ニュースを見て本当に心が痛みます。今僕達は日本国民としてそして一人の善良な市民として何が出来るかが問われていると思っています。僕はこのメッセージと僕が作った詩を発表し皆さんへの哀悼と支援を表明したいと思います。僕はブログというフォーマットのメディアを持たないため、今御覧になっている大阪障害者センター内のぽぽろのブログからこの声明と詩を発表したいと思います。ぽぽろは日ごろから僕のことを支援し指導してくださっている団体です。このごろぽぽろ内でも募金が開始されたと聞きます。日本以外にも世界中で支援が広がっています。皆さんは決して一人ではないです。僕自身岩手県に人々に農業研修にお世話になったり、仙台には3度ほど旅行に行きました。そんな僕にはこの東北の出来事が他人事だとは思えません。僕が出会った人々は温かく人間的に素晴らしい人々ばかりでした。自然に溢れ、生命達の豊かな営みがありました。そんな豊かな大地が地震と津波という自然災害によって一瞬で失われたことは、言葉になりません。1日も早い復興をここ大阪から願っています。僕は東北に移住を考えたこともあります。広い大地、豊かな自然、私たちが都会に生きる人間が忘れているものを思い出させてくるように思います。僕は無力でちっぽけな存在だと思います。この震災でものすごく感じました。多額の金額を寄付できるわけでもないし、自分の事さえままならない僕がボランティアとして力になれるわけないと思います。そんな僕が出来るのはこのメッセージと詩を世界に向けて飛ばすこと。今こそ僕達市民レベルのアーティストが何かを感じて、次の世代や他国の人々にメッセージを残しておかなければならないと思っています。僕達は世界を変えることはできないと思うし、そんなことは偉大なアーティストに任せておけばいいと思います。大事なのは僕ら一人一人が出来るなら何かで表現しておかないと思います。絵でも歌でも詩でもなんでもいい。僕らが何か表現しみんなが表現していけばこの国が変わるかも知れない、もっと良くなるかもしれない。僕達は今立ち上がらなければならない、みんなが自分で出来ることを考えていかないといけないと思います。現地に行けなくても、何かを送れなくてもなにか出来ることがあると思っています。被災地以外におられる方は僕達で出来ることをやっていきましょう。そして今日という日を精いっぱい生きていきましょう。自分の生きたいように生きていきましょう、人生は一度です今日という日は僕達が残りの人生の最初の日なのです。その残された人生を無駄にせず、実りある人生に出来るように生きていきましょう。そして命を捨てようとしている人は自分が生きている喜びを、実感を感じてみてほしい。生きることは時に自分の命を捨てるより難しいことだ。人生は素晴らしいなんてきれいごとは言えないけれど。生きていれば何かいいことがあるかもしれないしそれにめぐり合うチャンスはあるかもしれない。だから命だけは捨てないで、必死で生きたくても奪われた命があるのだから、不条理に奪われてしまった人生があるのだから。

3月16日(水)

2011年03月18日 | ノンジャンル
下書き投稿者知らず…。説明文が舌足らずですが、とりあえずアップします。

 16日(水)の学童です。
 肩車で公園に向かうYちゃんとFくん♪と

 (肩車をしているのはヤングアルバイトのMiくんとMaくんでしょうか?)

 一生懸命ピアノの鍵を開けるYちゃん☆



 (ここからは17日(木)の学童の様子です。この日、Yuくんはぽぽろは最後の日でした。近くに児童デイができて通えるようになったからです。楽しい思い出をありがとう。)

 野球をするGちゃん。

 (なかなかいい構えだね。)

 ケーキとDちゃんです(*^^*)

 (この日は何故ケーキだったのかな?もう少しコメントが欲しいなぁ)

 (今日(18日)はSuくんが通う小学校の卒業式でした。Suくん、卒業おめでとう!!
 卒業生の彼は学童でも式で歌う歌を何度も歌って練習?していました。火曜日はスタッフ(ぽぽろ大東)のToさんがピアノを弾いてくださいました。それ以外はアカペラでしたが、思い入れの強い曲だったようです。
 みんながおやつの時間に卒業を祝ってくれました。何とYuくんがぽぽろ版『卒業証書』を言葉にし、それを1年のToくんが漢字交じりで書いてくれました。すご~い!写真が無くてごめんね。確か「ぽぽろの過程(ホントは課程)を終えられましたので…」とか書いてあったなぁ…。21日は家族でお祝いするそうです。ぽぽろのカレンダーに書きこんでいました。
 4月からは市内の特別支援学校に通います。小学校の見学の様子を聞くと、少し背伸びして頑張ってきたように感じます。「蹴られた」「叩かれた」という話が多かった彼ですが、仲間と一緒に学校生活の主人公として楽しい生活を送ってね。是非ともガイヘルさんとの外出などを楽しめるようになって、お母さんとの距離を、そして第三の世界を広げて下さいね。これからも応援しています。)


インクルーシブ教育と権利としての教育

2011年03月15日 | 行事予定
 3月13日(日)、「私たちの願いと真のインクルーシブ教育に向けて」の集いが「たかつガーデン」であり、会場いっぱいの40人の方にご参加いただきました。

 6人のリレートークがありましたが、そのうちの3人はぽぽろに関係する方々でした。就学前の実態と不安やねがいを話していただいたHさん、支援学級の現状とねがいを訴えてくださったKさん、当事者の立場から寄宿舎と病弱教育の必要性を語ってくれたOくん、ありがとうございました。他には支援学校の保護者の方と先生、通常学級の先生でした。講演者の越野和之先生(奈良教育大)も非常にレベルの高いスピーチで、いい話でしたと感想を語ってくださいました。
 閉会あいさつでも少し触れましたが、越野先生の話は改めて自分史とも重ね合わせながら権利としての障害児教育の歴史と理論を捉え返すことができましたし、国連・障害者の権利条約に基づくインクルーシブ教育と権利としての義務教育の土俵の上で創造していく必要性を痛感しました。
 ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。