行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

ポルトガル 6 エキゾチックで懐かしい 遠くて近い国 <ラメーゴの大階段 と 天空の城マラヴァン>

2020-09-11 18:51:27 | 素晴らしき世界/ポルトガル
NOSSARA SENHORA dos RAMEDIOS em LAMEGO



先日ブラーガの回で『ボン・ジェジュ』の大階段をご紹介しました。

ポルトガルには
この手の大階段を持つ教会は他にもあります

ラメーゴ(LAMEGO)のノートルダム(Nossara Senhora 聖母教会)も
その一つです

ラメーゴの街は『マテウス邸』のあるヴィラ・レアルから
南南東に35㎞ほど


この町の「ノートル・ダム(ノッサラ・セニョーラ)教会」は
人通りの少ない直線の長い道の突き当たりの
丘の上にある



従って
てっぺんの教会も含めて
大階段全部を見晴らすことができるのです

ブラーガ近郊のボン・ジェジュのようにメンテナンスが施されておらず
階段部分を化粧する白漆喰はない






しかもケーブルカーなどないので
車で上り下りするか
歩いて上り下りするか

ちなみに
聖堂の中はこんな風


一番奥の祭壇前


聖堂正面の壁面の上の方に
面白い縁取りの丸窓があった



ポルトガルの教会建築は
修道院も含めて
柱と壁面装飾
特に窓や扉口の縁取りが非常に面白いのです







教会堂正面のテラスから下方を見下ろすと
ラメーゴの町がみおろせる

構造材の石も結構侵食が進んでいる様だ

最初の階段部分を半分だけ降ってみると



さらに一つ下のテラスまで下りて
見上げると



こうなる
アジュレジョシュのタイル画が美しい





車で登ったので
階段を下る快感は味わえない
しかも
迂回路は結構大回りしている

下の広場に樹齢1300年を誇るオリーブの古木があった




この風格は
並の人間では足元にも及ばない.....


改めて下の方の木立の合間から振り返ると




最後に
夜景をご紹介しましょう






※  ※  ※



前回ご紹介したモンサント村からほど遠くない山国に
天空の城がある




CASTELO DE MARAVAO
例によって山の頂



スペインとの国境の山岳地の
しかし視界は開けて平地に見える界隈の国道を走っていると
視界に見えてくる斜面の上辺にへばり付く様に
何かが見える





お分かりだろうか
平らなてっぺんの全体に

MARAVAO (マラヴァン)村とその城


迂回して村の入り口まで車で走る

村に入るための城門も残っている





城門をくぐって

丘の稜線に従って
ゆる山に登ったり下ったり
白壁の民家が並ぶ村を先端まで行くと




やがて
綴れ織りの道に沿って頂上に近づいてゆく






頂上の稜線の一番はじ

かつての城の庭園だったと思しき公園と
さらのその先に
城跡が残っている





先の写真の反対側の光景

城の城壁まで登って振り返ると
こう見える


城の城壁を
城までさらに近づいてみた






城自体は
内側の城壁と天守にあたる塔が残っている

内側の城壁内に入ると
結構高度がある






内壁にへばり付く様に
天守の足元に後世の建物があった

管理者の使用のためだろうか






とある入り口を入って石の階段を下って行くと
かつての城の貯水槽だった





城壁の上
敵の攻撃から身を隠し
攻め手を打つノコギリ型の胸壁の間から
村を見下ろしてみた







内壁も
結構複雑に頑丈に作られている





直線距離だと
ほんの数㎞で強大なスペイン王国という要害の地

この城の役割は
極めて重要であったはず



城を後に
また村を下って行く



「隅石」の美しい家があった




てっぺんの城と同じほどに
齢を感じさせる民家が連なる石畳を下る

時計の針が500年ほども巻き戻った様な気がしてくる
ちょっとした散歩








まさに
『天空の城マラヴァン』




それでは
次回をお楽しみに


= = = = = = = = = = = = = = = = =
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写真も沢山あります
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ポルトガル 4 エキゾチックで懐かしい 遠くて近い国 <マテウス と ブラガンサ>

2020-09-07 01:09:38 | 素晴らしき世界/ポルトガル
SOLAR DE MATEUS (マテウス邸)


ブラーガから東南東へ1時間
VILA REAL(ヴィラ・レアル)という町ありて

その町外れ
マテウスという字(あざ)に鬱蒼たる木立に隠されたる
名高い大邸宅あり

その名もCASA DE MATEUS (カーサ・デ・マテウス)と言い
SOLAR DE MATEUS『ラール・デ・マテウス(マテウスの太陽)』
とも呼ばれる


フランス語表記ではMANOIR(屋敷)とよばれている
日本で言えば
さしずめ「庄屋屋敷」とでも言おうか
下級貴族のお屋敷


敷地の門を入り
木立を抜けて行くと

見えた



これですよ

この池に映る正面の光景は
ポルトガルの文化や観光を振興するポスターには
必ず使われる代表的光景のひとつ


池を迂回して正面に近づく




L字型の正面左右の翼の間奥に
どこかで見たような階段が...


残念ながら
お屋敷の中には入れないが
その正面階段のまん真ん中の下から奥に抜けられる






こんなのを見ながら進むと両側に建物が





こんな感じだったり


中庭のようになって





こんなのや




こんなのも見えて

また大きな建物の中央をさらにくぐり抜けると
正面とは反対側のお庭に出るのです




まっすぐ進む




よく見ると
池の向こうの木立の真ん中が通り抜けられる緑の回廊

そこに入って振り返ると




今通り抜けてきた出口が見えました

あとは歩き回るのみ













正面の建物の反対側にもう一棟あるわけで

それの全景が




こうなります


この『マテウス邸』はお庭を拝見するだけですが
充分に見応えがあります

何より
正面池越しの写真が取れれば「お宝」ですね



※  ※  ※


これから
スペイン王国に組み込まれていたポルトガルで
最初に『王国』を宣言したブラガンサ公爵家の発祥の地『ブラガンサ』へ
行ってみよう


南北に細長い長方形の国土のほぼ右上の角まで
マテウスから北東へ2時間半

丘の上が
中世よりその姿を今日に留める旧市街

もしドローンがあれば
丸っこい輪郭の旧市街全体が城壁で囲まれたままの姿の
写真が撮れるはず





ひときわ大きく聳えるのは1187年創建の
『ブラガンサ城』

ここの城主『ドン・アルフォンス1世』が1139年にポルトガル国王を宣言
爾来現在のポルトガル共和国開始の1910年まで
ブラガンサ家がポルトガルの王室を守った

ちなみに町自体は古代ローマに起源を持つ





旧市街をぐるりと取り囲む城壁に開いた市門





銅像は1464年のブラガンサ公爵アルフォンス公



旧市街の中は
こんな感じで丸石の石畳の小路が頂上へ導く




中を見るとこう






やや進んで外を振り返るとこう



そして視界が開けるとお城が現れるのです
いきなり






その近くに教会と中世の市庁舎がある




『サンタ・マリーア教会』

ロマネスク時代(12世紀まで)の教会堂だが
18世紀に完全レストア済み

正面扉口左右の「ねじねじ柱」は大航海時代以降のポルトガル様式の定番

内部は
彩色された石造りアーチ天井の様に見える
見事な騙し絵の天井が残っている






その『サンタ・マリア教会』の向かって右に
接する様に建つ建物が




ポルトガル全土で
確認されている現存する最古の市庁舎『Domus Municipalis』
時代は12世紀!




内部は
5本の大梁のむき出しの天井が美しい

周囲に石の作り付けのベンチが囲んでおり
訴訟や仲裁を求める村人が役人や書記官の順番を待ったそうな








ちなみに丘のふもとの16世紀以後の「新市街」は活気にあふれ
旧大聖堂(セ)もある




このブラガンサの街はすでに「司教座」ではなくなり
従って「司教/大司教」もいないので敢えて「旧大聖堂」と呼ばれている



ブラガンサ県の小邑「オウテイラ』村にも
一見に値する教会があることを
最後に記しておきたい






では最後にもう一度『ブラガンサ城』



続く


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ポルトガル 1 エキゾチックで懐かしい 遠くて近い国 <リスボン 1>

2020-08-31 21:42:49 | 素晴らしき世界/ポルトガル
PLAÇA DO COMERCIO (商事広場)


東京からパリまで直行便で12時間
パリからリスボンまで3時間

ポルトガルはとっても遠い

でも。。。




見覚えがありませんか?
そう、天ぷら

日本でもマクドナルドがやっと入ってきたかどうかという頃
ポルトガルでは
狭い間口の店頭のショーケースに天ぷらが各種
店内は細長くカウンターで、指定した天ぷらを丸パンに挟んでもらって
食べたりテイクアウトしたりしてました
ファストフードのポルトガル版でした

今でも、パン屋さんのケーキの陳列ケースに、必ずあります。





これもパン屋さんやケーキ屋さんによくある
『コルネ』
実に懐かしい

ただ日本と違って
中身は卵黄だけで作くる甘くこってりした濃厚クリーム
外側もお砂糖がたっぷりまぶしてあって

お菓子は「甘くない」から美味しい
という世界でも類のない日本の思考とは違って
王道を行く美味しさ





スペイン中央部を例えばトレドを流れてポルトガルに入る Tajo(タホ)河
ポルトガルに入ると Tejo (テージョ)河と発音は変わり

リスボンでは入江のように広々とたゆたって大西洋に注ぎます




4月25日橋

上を車が下を電車が走る二階建てのこの橋が架かるまで
対岸との往復はフェリーでした

今でも30分おきくらいで運行されているはず
フェリーで対岸からくると
この橋の右のほうにある港に着きました



橋を
車と電車とが渡っている


渡り終わって
川の流れに沿って(左方向へ)しばらく走ると
街の表玄関「商事広場」Plaça do Comércio です
いかにも「大航海時代」に世界中を取引して財を成した国の首都らしいですね





18世紀後半国王の信任を一身に受けたポンバル侯爵は
王国宰相に任命されるや、啓蒙君主的大改革を敢行
ポルトガルを一気に近代化します





そのポンバル侯爵の銅像の背後の「市門」の前を
古色蒼然たるレトロな路面電車がのんびりと走ります

その門の奥一帯が
1755年11月11日の大地震とそれに続いた津波で破壊され尽くした
街並みを
侯爵自らが一から完全に再建した地区『Baixa』

その一角に
ギュスタヴ・エッフェルの影響を受けたフランス生まれのポルトガル人技師
ラウル・メスニエが建てた鉄塔があります

背後の高台に登るエレベーターです




1901年に建設されて今でも現役です


ところで
リスボンの名物はテージョ河に沿っています



コメルシオ広場から西に
サン・ジェロニモ大修道院
次に、写真中央が大航海記念の『発見の碑』
その左奥が、『ベレムの塔』





サン・ジェロニモ(聖ヒエロニムス)大修道院

内部の修道院大聖堂の中に
大航海時代を支えた『ヴァスコ・ダ・ガマ』のお墓があります





そして
大航海時代を顕正する『大発見記念碑』



先頭で船を抱いて大海原の遥か彼方を見つめる『エンリケ航海親王』
その背後からエンリケを支える『ヴァスコ・ダ・ガマ』
それに続く多くの航海者たち



その次の『ベレムの塔』は
かつてリスボンの港を守る砦であり税関でした


いかにも絵に描いた様な
ポルトガル的お城の典型かもしれません



ジェロニモ修道院の方へ少し引き返し
その奥に「馬車博物館」があります




いやはや
すごい数の馬車が
絢爛豪華大規模車輌からご婦人一人で操る小型車まで

よくもこれだけ



ところでポルトガルの歴史と文化に欠かせないのが「絵タイル」です
藍(アズレージョ)の絵柄から始まった様で
一般的に「アジュレジョス」と呼ばれます


先ほどのコメルシオ広場の方へ引き返し
さらにもっと先の港と中央駅を通り越してやや上り坂の上

かつての貴族のお屋敷を博物館にしてあるのですが

中は凄いの一言




これぞ典型的アジュレージョ

外壁全体がこの藍の手描き絵タイルで覆われた教会が
そこかしこにあるのがポルトガル




こちらは
より多彩な絵画的手法のタイル



ポルトガルは見所が多く先が長くなりそうなので
各回は毎回簡単にまとめてご紹介することにしようと思います

次回をご期待ください

= = = = = = = = = = =


もしご旅行にご興味がおありでしたら、下のリンクもご覧ください。
https://veritas21.com/『誰も真似のできない 旅のプランナー』










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