行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

地中海の『美の島』 コルシカ島 42 < ポルト と ピアーナ の ホテル  >

2021-11-29 00:06:24 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : ピアーナの『オテル・カポ・ロッソ』夜景

地中海からいきなり屹立する高山コルシカ島は
海の国で山の国
地球創生期以来の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



「ポルト」と「ピアーナ」のホテルを簡単に触れておこう
まず「ポルト」の遊覧船の港のすぐ前にある『オテル・レストラン・ベルヴェデール』

『Hôtel-Restaurant Belvédère』

このホテルは決して「上等」なホテルでは無い
上質でも高級でも繊細でも無い
メリットは「スカンドーラ遊覧」に最も便利な場所にあるということ
「アジャクシゥ」からだと朝7時に出てこない船に間に合わない
途中で何かあったら船は待ってくれないのでその日を1日無駄にする
ここなら前日の夕方着いておけば翌朝ゆっくりと船に乗る事ができる
何しろホテルの真下が船着場なのだから


しかも部屋は清潔で必要なものはすべて備わっているしサービスにも問題はない


港のある「ポルト川」河口とビーチとの間の塔のある丘のすぐ手前




レストランの入り口と写真右のメニューボードの間の階段を下るとホテルの玄関


ホテルの玄関

斜面を利用して建てられているので外観では想像できない広さのロビーがある



奥のブルーの向こうが玄関


ロビーからバーにつながり


そのままレストランに通じている


レストランの前と横にテラス席がある


正面入り口前のテラス

横の港側のテラス


客室の真下が
「スカンドーラ遊覧」と「ピアーナのカランク巡り」の船の発着場

一般的ダブル



この客室はソファーが二段ベッドになる
子供二人連れの四人家族が泊まれる部屋



※  ※

次に「ピアーナ」の「カランシュ」地帯のホテルを2軒
まず『オテル・カポ・ロッソ』

『Hôtel capo Rosso』

このは写真は本日の「巻頭写真」と同じ位置の昼間の光景


Photo by ⒸGoogle Map

一つ上の写真は上の航空写真の上部に写る横断歩道の位置から撮ったもの
建物は3棟あり扇型の部分とそれに右上に隣接したもっと背の低い
レストランを含む建物と右に離れた屋根が茶色い長方形の建物


手前がレストランで上が屋根の茶色い長方形の棟
写っていないがレストランの右につながって扇型の棟がある


扇型の棟

この棟の客室のベルコニーは手すりの縦棒が曲線を描く



この二枚の写真はスイート



ジュニア・スイート

ダブルの客室

そして
長方形の棟は手すりが直線


長方形の棟






ジュニア・スイート


スタンダードなダブル

このホテルの最大の魅力は
どの客室からも「カランシュとピアーナの海」を独占できること

玄関前

玄関を入って左にがレセプションカウンター
入る前のすぐ左のガラス張りの中はバーラウンジ
左奥が海側となる

バー・ラウンジ


バーラウンジから直接テラスに出られる

『Restaurant Le Neptune』

このホテル「カポ・ロッソ」のレストランは『ル・ネプチューン』と言う
奥に1段分高いフロアーがあり
海側に低いフロアーとガラス張りの外にテラスの席






その先の扇型の建物の更に先にプール







以下にお料理の例を挙げる

















レストランや客室とプールの下はカランスと海


この浜辺まで下りてゆける

 ※  ※

上述した「カポ・ロッソ」の西500mほどのところにもう一軒
『オテル・レ・ロッシュ・ルージュ』

『Hôtel les Roches Rouges』



ピアーナの村を西側から遠望したこの写真のほぼ中央に一軒独立して建っているのが見える
「カポ・ロッソ」はそのさらに手前300mほどにあるのだが
扇型の建物の平らな屋根が左手前建物群に接してかろうじて見えている


「カポ・ロッソ」より歴史のある建物なので外観は情緒があるが
ホテルとしては近代的リニューアルがなされておらず
客室など狭く古めかしく平凡
しかし立地は抜群なので眺望は素晴らしい




正面右半分弱に増築したように張り出した部分の
赤紫の日除けの下りている五つの窓の部分がレストランで
そのさらに左側にテラス席ができる




とにかく眺望が何と言っても最高のご馳走となる幸福眼福というわけだ


写真下の赤いテントの部分がレストランのテラス席


そしてこの内側はバー・ラウンジ






テラスを上の客室から見下ろすと左端から張り出した半円形の出っ張りがあり


そこから階段でお庭に降りると


下にも飲み物や朝食などが取れる席を作ってあり
さらに左に行くと


草を刈り取った状態の場所にも席
さらに


こんな場所があったりお庭を歩くことも楽しめる様に作られている
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ご意見ご感想をお寄せください
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地中海の『美の島』 コルシカ島 41 < ピアーナ ポルト スカンドーラ海岸 > 『ユネスコ世界自然遺産』を訪れたう

2021-11-26 00:26:56 | 素晴らしき世界/コルシカ島
暗闘写真 : 世界自然遺産「スカンドーラ海岸」

地中海からいきなり屹立する高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれる



「ピアーナ」から凸凹と複雑な海岸線に沿った山道を12km東北東に走ると
『ポルト』に至る
そのジグザグの多い山道は高度の変化はそれほどなく
海岸線の侵食で形作られた小さな入り江になりかけて
しかし海水は入ってこなかった結果出来上がった地形で「カランシュ」と呼ばれる
拙ブログ「地中海世界を巡ろう」で何度も書いた
切り立った断崖の両岸を持つ細い入り江「カランク」の陸地版で
「カランク」のコルシカ語での複数形である言葉だそうだ

『Calanche de Piana』


カランシュに岸に沿って道を作ると大変な距離で行ったり来たりになる
そこで標高を変えずに岸を突っ切る道が造られた結果


先回にも写真をあげた通りこのような光景が出来上がった
「ピアーナ」から10kmほど走ると道は下り坂になり始め
下りきると小さな川が海の注ぐあたりの小さな港『ポルト』に着く


この写真の右から降ってきてうんと狭い川上で渡って
写真の左側の集落のさらに左を海の方向に進む



この角度はわざわざこちら岸にわたってこないと集落から見ることはない




この河口が港になっており
先端の岬の小高い場所にあるジェノヴァ時代の塔の下から
こちら側にでられる





塔の足元から集落を見下ろすと右が港のある川で左はビーチ

ピアーナのビーチ


ビーチの側で車はここまでしか入れない
左の建物の端から向こう側の港へ出る
そして「港」というのはこの遊覧船に乗るための港なのです

『スカンドーラ海岸遊覧船』

この「ポルト」から北側に『ユネスコ世界自然遺産』に指定されている
『スカンドーラ自然保護地区』があり
南の「カルゲェージェ」や北の「カルヴィ」からも遊覧船が出ているが
ここが現地に一番近いために遊覧船の発着のために開発された港と言っても過言ではない

Map by ⒸGoogle Map

「スカンドーラ」は陸地(半島)に900ha強 海岸線に沿って海側に750ha
フランス自然保護区
フランス海洋保護地区
コルシカ特別保護区
ユネスコ世界自然遺産
の指定で保護されている

Map by ⒸOpenStreetmap

スカンドーラ半島から北東に離れた小規模な湾が準保護地区として指定されている
『スカンドーラ地区巡り』の遊覧船は
北の「カルヴィ」南の「カルギェーゼ」
さらに南の「アジャクシゥ」からの出ているが
直近の「ポルト」からだと半日で訪れることができる
夏のシーズンのみ運行で午前は9時頃で午後は14時半頃



先端の塔をいただく丘の反対側で車を置いてこちら側の桟橋まで来て
停泊している遊覧船で「スカンドーラ巡り」に出発する


ポルトの港の先端の四角いジェノヴァの塔を超えると「ポルト湾」


この写真でも塔が見える
湾内には頻繁にイルカの群れが現れることがあり
出航直後に偶々遭遇すればしばらく停船して写真タイムにしてくれたりする



結構規模の大きな「ポルト湾」を北東に抜けて隣の「ジロラタ湾」を通り過ぎ
40分ほどで「スカンドーラ自然護区に入る


『スカンドーラ自然保護区』の看板

ここ「スカンドーラ」の地形はカルデラの一部なのだそうだ
したがって
「火山泥流岩」「流紋岩」「火砕流岩」「赤色花崗岩」
同じ「柱状節理」でも
「方状摂理」「板状摂理」があり
赤い安山岩系と黒い玄武岩系とがあり

などあらゆる種類の火山性の岩の露出が見られる




















水平方向に退席する柱状節理




垂直方向の柱状節理



黒色柱状節理


赤色柱状節理


垂直の岩肌に作られた「ミサゴ」の巣


石柱の頂点にある巣

「ミサゴ」の若鳥



現存する島に最初に発生した植生「マキ」

ここ「スカンドーラ」は
海と陸両方を一括して保護地区としてあり
陸上植生
陸上動物生態系
陸と海岸の地形と土壌
海中植物
海中生物
を全て網羅して「自然保護区」であり
希少な動植物と地形や構造が手付かずで保存されていることが
「ユネスコ世界自然遺産」に登録された理由となっている





柱状節理は六角形とは決まっていない
四角形や五角形もある











「ピアーナ」に引き返す際往路より海岸線により近い位置を船が走る
10数kmにわたって人工物が一切存在しない「スカンドーラ」地区に
人家が数軒見え始め砦もある所まで来ると「スカンドーラ」は終わり
「ジロラタ」湾の入り口部になる


ジロラタの砦

『Ghjirulatu / Girolata』

「スカンドーラ」巡りの遊覧船は帰りに季節によって30分から1時間半
この集落に停泊して休憩時間となる


実はこの集落は山側からの陸路は無い
踏み分け道はあって徒歩でなら来られるが車の類は手押し車の時代からやってこれない

漁師の家が10軒弱あり
その他大きな茶店のようなカフェ・レストランと
ごく小さな海の家のようなカフェレストランが浜に2軒
斜面に2軒ほどあるのみ


大きな茶店のテラスより港を眺める
この店は遊覧船が休憩で入って来た時だけお客で溢れる


ジロラタ砦


コルシカでは酪農は全て山に中に放牧して行われているが
「鳥も通わぬ」難所を物ともせず
牛たちがやってきて渚で涼を取っていることがある



港に成っている入り江の向かって右端は船もなく海水浴の浜辺となるが
この写真の左端の斜面に登ってみると


こんな光景になる






写真左上の山のような場所が「ジロラタ湾」の西側の先端で
そこを左回りに抜けると
そこから「ポルト湾」となる
10分ほど走ると


ポルトの象徴の塔と奥に集落が見えてくる


この塔の向こう側が河口で港である



港には「スカンドーラ巡り」の他に
「ピアーナのカランシュ」を海から巡る遊覧船も出ている

次回は「カランシュ」を一目だけ見てから「ピアーナ」まで登り
さらに「ポルト川」を遡って山里を訪れてみることにしましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見ご要望をおまちしております
個人的な通信は右カラム中ほどの「メッセージを送る」から
それ以外のブログへのご意見などは最後の「コメント」から
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地中海の『美の島』 コルシカ島 40 < 山国で海国の典型 カルゲーゼ から ピアーナ を訪れる >

2021-11-24 00:23:41 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 山国で海の里「カルゲーゼ」Photo by ⒸMairie-Cargese

地中海からいきなり屹立する高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期以来の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



コルシカ全体の首都「アジャクシゥ」を発って北上
最初の半分は岬横断の山道残る半分は複雑な海岸線に沿って北行40Kmで
『カルギェージェ/カルゲーゼ』に至る

Map by ⒸGoogle Map

山の尾根が小さな岬となって海に突き出る
その先端あたりの高地の上に町があり両側は海に落ち込んで港がある

『Carghjese / cargèse』


町は高地の平らな部分にあるが端はそのまま海まで斜面になる



南側の斜面の下が港




町の南端の崖縁の東西に教会が向き合ってたっている








海に出て陸から離れるほどに高さを感じなくなってゆくがこの村は山国なのです


そして東西に向き合って建つ二軒の教会



西側(写真左)に聖スピリドン・ギリシア教会
東側(同右)が聖母被昇天ローマン教会



『Ghjesgia graca San Spiridon』

『Ghjesgia latina Santa Maria Assunta』

『聖スピリドン・ギリシア教会』

『被昇天の聖母ローマン教会』




ギリシア教会


ローマ教会

内部の様子をもう少し詳しく見ておこう


「聖スピリドン」の横には「ギリシア教会」という表示が立つ
17世紀半ばすぎ
支配国オスマン帝国の圧政を逃れたギリシア人が600名
コルシカの宗主国ジェノヴァ共和国の承認を得て島の西海岸のこの辺りに亡命してきた
「山の民」は哀れなギリシア人亡命者たちに物心共に援助を惜しまず
「アジャクシゥ」に既にあったギリシア人コミュニティーの全面的後押しもあって
ここ「カルゲージェ」にギリシア人入植地が開かれた



そこでギリシア人たちのための礼拝堂が建立され
18世紀に拡張され19世紀革命の後に現在の教会に立て直される
今日の内部のフレスコは20世紀のもの



内部奥の祭壇のある空間は「ジュベ(衝壁)」で仕切られている
なお「ジュベ」に関しては拙ブログの「プロヴァンス編」と「ブルターニュ編」に
詳しく出てきますのでご参照のほどを



「ジュベ」の上の縁から見上げた後陣祭壇上部の壁のフレスコ


内部の身廊からジュベと内陣方向を望むとこう
逆に正面扉口を振り返ると



こう見える




この「ギリシャ教会」は「東方教会(ギリシャ正教)」の教会ではなく
あくまでギリシア人が帰依するローマン・カトリックの教会であり
キプロズの教区の管轄下にある


フレスコの一部



なお17世紀後半にギリシア人たちが逃れてきて住み着いた時
彼らがもたらした12世紀と16世紀の見事な「イコン』を10数点所蔵している


正面ポルタイユ(扉口)
正面はまるで砦のよう







次に「ローマン教会」


「ラテン(ローマン)教会」という表示



内装は19世紀の復古主義バロック











ここ「カルギエージェ」の復活祭の行進では
山の国コルシカの象徴的な要素である銃も登場する


村自体の標高はそれほど高くないとはいえ
背後に少し登るとこんな感じになって山国であることを再認識することになる


そして大小いくつもある岬の一つ『オミーニャ岬』の先端には
ジェノヴァの塔が残っている


『La Tour d'Omigna』

では「カルギェージェ」を発ちさらに北上しよう
海と付かず離れずながら山道を20kmいけば
『ピアーナ』に至る


Map by ⒸGoogle Map


道中はこんな景色の連続となる



道路は対面1車線なのだがカーブでは左回りの車は必ず対向車線にはみ出してくる
もちろんカーブミラーなどないところがほとんど
そして徐行もせずに突っ込んでくる



相手がバスだったら完全に逃げ場を失うことになる
気をつけよう


気をつけようといえば
コルシカの牧畜は牛も豚もヤギも羊も全て山中での放し飼い
道路の山側の急斜面の山林からいきなり道路に飛び降りてきて
道路を横切って谷川の開けた方に走り去る
などとおいうことも日常茶飯事
しかもそれが牛の群れd去ったりもする




ヤギは普通乳を絞るので放牧は期間が限定的だが


コルシカの豚には4種類ある
放牧中の豚
群れから逃げて野生化した豚
群れの豚が野生のイノシシと交配した家畜のイノブタ
野生化した豚と猪が交配した野生のイノブタ

野生のイノブタも野生のイノシシも捕獲されたら食肉用になる
レストランのメニューには上記のような豚と猪の区別も描かれている



これは猪の血が濃いイノブタ
尻尾がクルンと巻いていれば豚に近く
尻尾が垂れていたり毛深かったり顔が長いのは猪の血が濃い
どれも煮込み料理で出てくるが
ドライソーセージも非常に美味
島中の峠には屋台掛けでドライソーセーを売られている

『ピアーナ』という小さな集落が近づいてくると周りの光景が一変する





樹木がなくなり岩が侵食で荒々しい姿となり
色が赤く染まってゆく
一度人の運転で走っているとき居眠りをしてしまっていて
目が覚めたら周りが真っ赤になっていて吃驚した経験があります


 ちょうど具合のよいRの大きなカーブで駐車スペースが作れ
数10m下に細い清流の谷川が流れる眺めの綺麗な場所に
「峠の茶屋」ばりのカフェ兼おみやげ屋があり
そこに車を止めて歩いて辺り一帯を撮影する観光客がとても多い


県道81号線は村の中は通らないが『ピアーナ』村がすぐそこにある


『piana』

可愛い鐘楼を持つ村の教会は『聖マリア被昇天教会』


『Ghjesgia Santa Maria Assunta』

近くに『カポ・ロッソ(赤い岬)』という壮絶に美しい岬がある










頂きに塔

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地中海の『美の島』コルシカ島 39 < アジャクシゥ 9 > アジャクシゥ の最後に街のおさらいをもう一度 

2021-11-19 00:11:01 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 古きコルシカの雰囲気を残す建物の数々

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



コルシカ島の首都「アジャクシゥ」の最後にもう一度おさらいの回です
街は「シタデル」から北側の狭い旧市街とそのさらに北側の中心街
そして周囲に広範囲な住宅地が広がっている


Map by ⒸGoogle Map

地図右端の茶色い部分が旧市街で
西側は「シャルル・ド・ゴール広場」で東側は旧港
北側に「フォッシュ広場」で南側に「シタデル」に囲まれた
旧市街の南側半分が最も古い地区で狭い通りが走り
路地の一階にはレストランがあるパターンが多い


Map by ⒸGoogle Map

車が通れる通りは東西を結ぶ1本と南北を結ぶ2本だけ


突き当たりに「シタデル」のある車の通れる通りの1本

その3本の通り以外の細い通りは車は通れない





港側に通じる小径

そして「フォッシュ広場の北側が旧市街の商店街
全国レベルのブランド店などもならんでいる







この最後の写真は「フェッシュ宮」の横を通る通りで
写真左端は「帝室礼拝堂」の通りの側の入り口
ちなみに商店の並ぶ通りの裏側には巻頭写真にあるような古くて生活を感じさせる
一般住居の建物も集まっている






「フォシュ広場」の北側に面して「市役所」がある



「フォッシュ広場」の北側をみた写真で
左が市役所で右が新しい魚市場


Photo by ⒸGoogle Map

『Hôtel de Ville d'Ajaccio』

Hôtel は「不特定多数の多くの人が集まる建物」が語源で「館」に相当する
Ville は「町」
従って「Hôtel de Ville」は町の館(すなわち市役所)




エントランス・ホールの天井はガラス張り


突き当たりに大理石の彫像が立っており
その奥が階段


彫像はナポレオンの兄で「ウエストファーレン国王ジェローム」


左右の壁には町の歴史を辿るフレスコ画が


1492年4月30日「アジャクシゥ開市」

1660年3月18日カテドラル落成

1791年5月13日ロベスピエール「植民地と奴隷解放宣言」にアジャクシゥ市当局賛同

1943年アジャクシゥは全仏最初の枢軸国占領からの解放都市となる

「ジェローム」の彫像の後ろの階段を上ると上階は「ナポレオン広間」

『Salon Napolèon』


同 天井画

この「ナポレオン広間」が市庁舎のレセプション・ホールで
市民の「民法上の結婚式」も市長か助役の元で行われる

この市役所の並びの港側が「魚の市場」

『Marcatu di Pesci 魚市場』

19世紀の見事な建物の入り口にコルシカ語で誇らしく
「マルカテュ・ディ・ペッシ(魚の市場)」という瀟洒な看板が出ている
「フォッシュ広場」の露天市が町の中央の市場だったが
近年魚の業者を集めた建屋の市場をこの建物に置き
さらに最近「食品公設市場」を近くに建てたとご紹介した


内部は瀟洒な館の外観からは想像できない近代的で衛生的な魚市場



壁の前のブースと違って中央はアイランド風


「海の国コルシカ」に恥じない豊富で新鮮な海産物が溢れている


右端上の大きな赤魚はコルシカ特産の沖の岩場の深みにいるカサゴの一種
「シャポン」という本土では見られない美味なお魚
その下側は「ヒメジ」


輪切りになって売られているのは「メカジキ」
左上はやや小型の「シャポン」


左下は「鯵」で真ん中は「ヤリイカ」



「ラングスト(伊勢海老)」は活で生簀にて


建物の反対側の入り口にはフランス語で「Halle aux Poissons (魚市場)」という看板がある

この「マルカテュ・ディ・ペッシ」のもう一つ北側に
新設された「常設公設市場」
「フォッシュ広場」の露天市の混雑を緩和するために食品業者用として新設

『Marcatu d'Ajacciu』

「アジャクシゥ市場」という華々しい看板
長い建物の向こう半分は屋根が採光をよくした造りになっている


反対側は壁で閉ざされている


しかし
夏場はどうしても建物の外にテントで露天市を出す方が
市民には喜ばれるのは
レストランやカフェと同じ精神構造なのかもしれない



かなり長細い建屋で奥の方は採光と換気を考えた屋根になっている




スリットを多用した換気と採光特殊な屋根


こちら側には
お惣菜屋やパン屋や花屋やカフェ・スタンドもあり


なんと魚屋もあるんですよ



魚だけの専用市場より
一箇所で何でも揃う市場の方が市民たちにとっては都合がいいのかもしれません



外にもあるし
「フォッシュ広場」の青空市場までものの2〜3分ですし

それにしても


魚市場を出たら
目と鼻の先にこんなのが見えたらやっぱり「海の国」です

ということで「アジャクシゥ」のビーチも訪れて見ないわけにはまいりません


Map by ⒸPlanet.TV

見取り図の道板右端の「プラージュ・ポルティッシオ」を除いて
「アジャクシゥ」だけで31箇所ものビーチがある

まず『プラージュ・サン・フランソワ』

『Citadel & Plage saint-François』



このプラージュ(ビーチ)は
東(右端)のシタデルから始まって海岸通りの下にずっと続く
アジャクシゥの人々にとって最も日常てきなビーチなんです
写真左端は「シャルル・ド・ゴール広場」


「シタデル」の真下で砂浜に寝そべると
真後ろの真上に


こんな光景が目に入る


海岸道路のしただから真夏には観光客がひしめき合って通って行く



次に「アジャクシゥ」東側の端のビーチ『ラザレ』

『Plage Lazaret』

また町の西側に戻って「サン・フランソワ」のさらに西側の『トロッテ』

『Plage de Trottei』

さらに西側の「ギリシア人の礼拝堂」の位置のビーチ『シャペル・デ・グレック』

『Plage de la Chapelle des Grec』

引き続き西に行って5つの小さなビーチをまとめて「サンタ・リナ」
そのうちの一つ『アリアドゥン』


『Plage d'Ariadne』

そして『マリネッラ』


『Plage de Marinella』

その西には『テール・サクレ』


『Plage de la Terre Sacrée』

「アジャクシゥ」の対岸にも
一つだけ『ポルティッシオ』のビーチを挙げておこう

『Plage de Porticcio』
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地中海の『美の島』 コルシカ島 38 < アジャクシゥ 8 > もう一回だけホテルのご紹介を

2021-11-17 00:46:05 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : 「オテル・ポッツォ・ディ・ボルゴ」

地中海からいきなり屹立する高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれる



これまでリゾート型のホテルばかりをご紹介してきたので
あえて「シティー・ホテル」もご紹介しておこう

そもそも「コルシカ」は経済的に取り残されていた場所で
つい最近まで付加価値税も「離島特別優遇税率」が適用されていたくらい
したがってインフラ開発も遅れていて
しかも島民の排他的気質が外部資本の参入を嫌っていてこともあり
30年ほど前までは上質な観光ホテルは3〜5軒ほどしか無く
上級ビジネスマン向けのハイグレードなシティー・ホテルもなかった
EUの拡大が大きな契機になったと想像するが
近年やっと昔からの地味で何の特色もなく寒々とした印象の町中のホテルが
趣味の良い上質のホテルに生まれ変わりつつある

そんな中で「アジャクシゥ」中心地のホテルを一軒ご紹介しておこう
『オテル・ポッツォ・ディ・ボルゴ』


『Hôtel Pozzo di Borgo / ex-Hôtel Palazzu Domu』

このホテルは以前は「パラッジュ・ドム」といったが
ごく最近改装し改名した

「ポッツォ・ディ・ボルゴ」とは17世紀頃からコルシカ政界で台頭してきた
南仏プロヴァンス起源の貴族でピサやジェノヴァその他イタリアで権勢を誇り
対ジェノヴァ抵抗運動の時代はボナパルト家と共同歩調をとっていたが
「シャルル=アンドレ・ポッツオ=ディ=ボルゴ」の代になって
ナポレオンの親フランス路線に反対して袂を分かち
その流れで帝政以後はナポレオンに対抗する対仏大同盟の側にたって
英国とロシアの指導者たちに寵愛を受け
ナポレオン以後を決める「ウイーン会議」のイングランド代表の一員となり
駐仏ロシア大使なども歴任し
「シャルル・アンドレ」の次の世代には「公爵位」を賜った
ナポレオンとは対極にある独立派の「パスカル・パオリ」などと比肩される
コルシカの歴史上の有名家系である

ホテルの場所は旧市街の中でナポレオンの生家から徒歩2分
港まで徒歩1分



狭い旧市街の中なので壮麗な建物ではないが
中二階までの外壁の意匠といい白大理石の円柱に囲まれた門構えといい
17世紀イタリアのパラッツォと言っても通用する




かつてこのホテルは「パラッジュウ・ウ・ドム」という名前だった
レセプションもかつてはこんな雰囲気だったが


それが
かなり明るくなった




ロビーも



古色蒼然としていたが


すッカリ
モダンな雰囲気に変わった






手前の天井は変わっていない
階段そのものも


ただ壁の壁画が...すごい


    以前のレストラン



今の雰囲気


 客室ですが
以前のこのスイートが



最近はこうなった




普通の部屋も
このように全く没個性的だったのが


今や機能的なデザインで落ち着いた中間色でまとめられている



その他の客室も同じトーンでまとめてあるようだ



珍しく赤いソファーのジュニアスイートがあった


レストランに関しては
食事をしたことがないのでノーコメントにします

※  ※

最後にもう一軒ご紹介しておきます

全島で唯の4軒
「ポルト・ヴェッキオ」「ムルトーリ」「カルヴィ」「ルーモ」
の町にしかない星付きレストランに続いて5軒目候補のレストランを持つホテル
『オテル・レ・ムエット』


『Hôtel Les Mouettes』

実はこのホテルは先にご紹介した「ドルチェ・ヴィータ」が満室で取れないとき
仕方なく泊まったりしたホテルだったのです
ロケーションは「ドルチェ・ヴィータ」と同じように海ぎわで
プールも有り真下が波打際
ドルチェ・ヴィータは「サンギネール諸島」に臨む「パラタ岬」にかなり近い
「アジャクシゥ」市の西端にあるのに対して
「レ・ムエット(かもめ)」は「アジャクシゥ」の人家密集地帯のほぼ最後
かなり中心部に近い位置にあるのですが


以前はとにかく安普請もいいところだった
それが近年相当の設備投資を行ったらしく結構素敵なホテルになっているのです


海の前のホテルですから「当然」プールがあるのですが


寝椅子のある直近の周囲以外プール周辺はもちろん食事用のテラス特等席





玄関の感じは「ドルチェ・ヴィータ」と違って正統的



ロビーは明るく広々



そして


ロビー自体の質感も素晴らしく良い
奥はレストラン



ロビーの一角からはレストランも見えるが



やはり冬場以外は当然のように外のテラスでのお食事となる
横長の建物は
中央部は3回建てで左右が二階建て




3回建ての部分は
地上階は外に向かってもドアがありその前はプライヴェート・テラスになっている




外向きに紗のカーテンが取り付けられる


二階の客室は外側が「ロッジア」


「ロッジア」とは一方の壁がなくそのまま外に吹き抜けになっている部屋
ルネッサンス期のイタリアの宮殿で大流行した


「ロッジア」はテラスではなくて「部屋」である
一方向の壁が無いだけ



という意味はこれらの写真でお分かり頂けると思う


三階は部屋の前がテラス


部屋の中から見るとこんな感じ

ちなみに中央部の左右は二階建てで
そちらの地上階のテラスは中央部の二階のロッジアのようなアーチになっている


その上の二階もテラスがやや狭い


先に書いたように以前は安普請のホテルだったが
今や客室も「ハネムーン」に十分以上に耐えられる上級感が溢れている


肝心のお食事の例も挙げておかなければ

前菜









主菜







デザート








2年くらい頑張れば星が一つつくかもしれない
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想やご意見をお待ちします
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地中海の『美の島』 コルシカ島 37 < アジャクシゥ 7 > アジャクシゥ湾周辺のホテル 4

2021-11-15 00:54:56 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : 「オテル・ソフィテル・ゴルフ・アジャクシオ」  Photo by ⒸAccorHotels

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



先回ご紹介した「ル・マキ」のもう少し西側にもう一軒
『ソフィテル・ゴルフ・ダジャクシオ』


『Hôtel Sofitel Golfe d'Ajaccio』

このホテルは
「ビジネス・ホテル」「シティー・ホテル」「ファミリー・ホテル」「リゾート・ホテル」を
それぞれ2ッ星から5ッ星まで全世界で展開している大チェーンの所有で
造りは上質なもののどうしてもパターン化されてるので個人的にはイチ押しではないのですが
とにかくロケーションが素晴らしく「スパ」もハイレベルで備わってる
知っておいて損はないホテルなんです

玄関


大手チェーンの世界展開ブランドなので
早い話が「アメリカン・スタイル」のホテルなわけです

ロビーの一角

まず最客室から


スイートの一例







基本的にはどの客室にもバルコニーがあるが
部屋の位置や構造によっては


外にウッド・デッキのプライヴェートのテラスが付属する



場合もある

全体で4棟あるうち南側の棟には下の階に
バルコニーではなく
パーティションで区切られた部屋の幅のデッキ・テラスが備わる






このデッキを上階のバルコニーから見ると


デッキは上の階のバルコニーからは丸見えだが
こちらの人たちは全く気にしない
ビーチで大勢の他人が左右に並んで寝椅子に横たわっているのと同じこと

Photo by ⒸGoogle Map

岬の先端部に向いてレストラン
その外がプールデッキ








このプールサイド・デッキの最先端の位置は


数年前まではこんな感じだった
ここは夕食の時のテラス席になる



レストランはプールに向き合っている



室内の席には夏場は誰も座らない
プールデッキの一番奥のテラス席が中心となる

`


実はホテルには二つレストランがあって
「メイン・ダイニング」と「カジュアル・レストラン」


カジュアルレストランの方は中央の部屋の南半分
その外は
建物の西側最先端のプールの前からテラスは繋がっている




カジュアル・レストランの方のランチ・ビュッフェ
メインの方は


シーズン中にはテラスにランチの前菜とデザートのビュッフェが出ている






夜はこうなる



カジュアルレストランの方のテラス席は朝食の支度がされるが
もちろん
プールサイドやデッキまたは庭園のボックス席でも取ることができる


朝食をフルセットで頼むとこんなことになってしまう

お食事の例を挙げておこう

野菜とパルミジャーノレッジャーノ

サーモンの刺身にメロンのみじん切りと羊のチーズのクリーム

サラダ


温泉卵と編笠茸

海老よ蛸とホウボウ

シーフードの豆煮込み

あかざ海老

ホタテ

パスタのラングスト(伊勢海老)添え

サーモンとホタテ

仔牛とベビー・ズッキーニ

フィレ・ステーキ

ベイクド・フルーツ


ピンチョス風ランチセット等というのもある




ちなみに北翼の外側はバーラウンジ


そのまま庭園につながる




北側はバーラウンジからそのまま芝生の庭園につながる


庭園のあちこちにくつろげる場所が点在している







庭園の位置からビーチに降りると


北側の小さな浜辺(これも衛星写真でわかる)



南側のもっと小さな浜辺
左端に桟橋が見えている




ヘリも降りられる


毎日のように
空港からヘリをチャーターして乗り付けるお客が居る事に驚かされる


ホテルもちょっとした船を持っているので
頼めば湾内クルーズや「サンギネール諸島」を訪れたりもできます

スパ・タラソ(海水)セラピーの部門も充実している
場所がらあまり撮影はできないが

スパのレセプション


リラクゼーション・ブースが並ぶ



ボディー・ケアーの施術台



トレーニングマシンはもっとたくさんあって何部屋かに分かれている

海の前の施術用ブース


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地中海の『美の島』コルシカ島 36 < アジャクシゥ 6 >  アジャクシオ湾の周辺の一押しホテル 2

2021-11-12 00:42:54 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : ポルティッシオのホテル「ル・マキ」

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期以来の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



アジャクシゥからほんの少し車で15分ほど南に走って
アジャクシオ湾の南岸に「ポルティッシオ」という町があって
そこにあるホテル「ル・マキ」をご紹介しよう

私が最初にコルシカに行き始めた頃
ホテルなどのインフラ整備が全く行き届いておらず
本当に質の高いホテルは全島で3軒しか無かった
すでにご紹介したポルト・ヴェッキオの「カラ・ロッサ」と
今後ご紹介するであろうカルヴィの「ラ・ヴィラ」と
今からご紹介する
『ル・マキ』

その後時と共に
特にEUになって顧客の範囲が広がって以降
急速に質の高いホテルが続々とできていったのです

コルシカの島の斜面全体を覆う潅木の茂み「マキ」という名前の通り
海沿いの小さな一軒の現地風の屋敷から始まって
ロビーには昔の銃が壁にかかっていたりする





海岸の斜面の茂みにひっそり佇む屋敷の玄関は
通りすがりには見つからない

この入り口を入って左にこんな部屋があり
レセプションカウンターなどというものはなく
適当に好きな椅子にかけて手続きをする




最初の部屋と壁を隔ててこんな部屋もあり





三つほど繋がった部屋が共用空間になっている




最初は一番背の高い建物のさらに向こうの赤い屋根の家から始まって
今や
何限もの建物をてたましたり繋いだりして規模が大きくなった


Photo by Ⓒlemaquis.com

赤い屋根の最初の建物には
先ほどの共用空間の部屋とレストランがあり
そこを出た海に面して食事を外で取るデッキテラスになっていて
そのままプールにつながる



右下の白い部分はレストランの外の壁際の席のための日避けテント



さらには今では写真に見える建物群全体の一番右端に
屋内プールを有する屋根がガラスの建物までできているらしい




四枚上の写真の白い日よけテントの下の内側がレストラン




この写真の左の外がデッキ・テラスの席
前方の外はプールサイド



テラス席



プール・サイドでも食事ができる


デッキの上はレストランのテラス席とプールになっていて
その下に少し張り出した部分もテラスに使えるようにしてある



お料理の一例をご紹介

まずは前菜から

タコのサラダ

根菜とコルシカの羊のチーズのサラダ

あかざエビ

あかざエビとトロピカルフルーツのセルクル寄せ

次に主菜の例を

仔鴨のロースト


仔牛のブレゼ

ラングスト(伊勢海老)の鬼殻焼き

ヒラメ



磯の白身魚

同ブイヤベース仕立て

ではデザートも


チョコレートの円筒の中にシャーベットとカット・フルーツ


コアントロー(乾燥オレンジ皮と薬草のリキュール)のスフレ


チョコレート・ケーキとチョコレート・アイスクリームとサブレ

パイナップルのグリルにパンケーキとパッションフルーツのシャーベット

メニュー・ブック

この手のシッカリしたホテルは
レストランにはレストランの名前があります
この「オテル・ル・マキ」のレストランは「ラルブジィエ」
「l'arbouse」は「西洋ヤマモモ」
そして「l'arbousier」は「西洋ヤマモモの木」
メニュー・ブックの表紙に描いてありますがコルシカ島全体を覆う「マキ(潅木の茂み)」
に多く見られる自生している果実の木なのです


それでは客室に目を向けよう

まず古い方の建物のスイート

リヴィング


ベッド・ルーム


浴室

もっと新しい建物の方のスイート

リヴィング

このリヴィングの奥がベッドルーム


上のスイートのベッドルーム


浴室

ジュニア・スイート


ジュニア・スイート 1


ジュニア・スイート 2

バルコニー

ちょっと広めのデラックス・ルーム


そしてほとんどの部屋には海側にバルコニーがある



位置関係によっては
このようなプライヴェート・テラスがついた客室もある





以前はそれほど広くなかった敷地も広がり
くつろげるグリーンゾーンが沢山ある









そして当然プライヴェートビーチ
浜辺は徒歩1分




綺麗な海水がすぐそこにある喜びに浸れます


ホテルの真正面は砂浜ですが
ほんの少し先には磯もある



頼めばホテルのボートで湾内クルーズもできる






「アジャクシゥ」周辺のホテルの項はもう一回だけ続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見ご要望を是非送ってください
「コメント」か「メッセージ」から遅れます
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地中海の『美の島』コルシカ島 35 < アジャクシゥ 5 > アジャクシゥ と アジャクシオ湾岸 の一押しホテル 1

2021-11-10 00:53:43 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : オテル・ドルチェ・ヴィータのプール・デッキ

地中海からいきなり切り立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期以来の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれて来た


それでは今回は
「アジャクシゥ」の街と湾岸のおすすめホテルをご紹介することにしよう

まず街自体にある海岸のホテル『ドルチェ・ヴィータ』
場所は中心部から海岸道路を「パタラ岬」の方向にしばらく走る


海を左に見ながら走ってくると路肩が突然色がって駐車スペースが現れる
写真右端の茂みの簡単な門扉を抜けると紫陽花その他の緑に囲まれて階段がある

このホテルはアプローチが抜群に素晴らしいのです


道路の高さの門から降りてきた階段
その先は


緩やかに下のスロープで


ホテルの建物が見えてくる



ちなみにこの奥の玄関を入らずに
そこで左に曲がるとレストランの横からプール・デッキにそのままつながっている





プールは波打ち際まで張り出した人口のプラットフォームの上に作られている
このデッキのテラス席の位置から
中のレストラン及びレセプションにも入れる



この玄関を入ると


レセプションがある



海岸のちょっとした断崖に作られたホテルなので
レセプション・カウンター奥に見える階段が上階客室フロアーの廊下で
上の写真では見えないが横にある階段を降りると地上階の客室フロアー


レセプションから海側のテラスに張り出すレストランとプールとにでられる


写真右がレセプション



建物内部のレストラン
そこからデッキに張り出して替え明日で増設した部分につながっている





プールの奥がガラスの仮設部分となる


プール傍にもテラス席があるが
レストラんのすぐ外にも席がある


こちらはプール脇のテラス席


レスチランのさらに向こうのテラス席



テーブルから「サンギネール諸島」が見えるのがなんとも良い

レストランの先にはバーがある



内部のバー・ラウンジ



ガラスの仮設部分のバー・ラウンジ



朝食はプールサイドで




客室は
レセプションとレストランとバーのある最初の建物から奥に連なる
同じような作りの二棟の二階建て(半二階と半地下)のような棟にあり
全部の部屋が海に向いている


速の中からドア側を見る



逆に海の方を見る
二階の部屋は全てバルコニーが備わる



ソファーがエクストラベッドになる最大4人用の客室
このタイプの部屋は浴室も広い



逆向き
次は地上階のスイート



 スイート(続き部屋)なので
普通の客室2コマ分を使い
片側がベッドルームでもう片方がリヴィング


地上階の客室は
二階の客室のバルコニーの下にプライヴェート・テラスをしつらえてあり
スイートは当然2コマ分


そのテラスの外側は芝生で
左右に仕切りはないが自分の部屋の前は専用で使える寝椅子がある



では最後にお料理の例をご紹介しておこう

前菜の例








前菜にも主菜にもなるサラダとパスタ




主菜









デザート






そして
このホテルのウリの一つが部屋を出たらすぐに海ということ
徒歩1分


かつては全部が磯で岩場でした
それを近年かなりに部分を埋めたててビーチを作った




まあ寝椅子に日がな一日寝そべってまどろむにはいいが


この写真の手前のような岩場だった頃を汁物にとっては
少し寂しいかも






このホテルで夕食をとると
夏のシーズンですから当然プール・デッキの席でいただくわけですが


だんだん日が沈んでゆくわけです
そして食事が終わる頃には


「アジャクシオ湾」の海面のムーンロードの写真を撮せます
位置を変えると


こんなことにもなる

ではこの周辺のホテルのは次回に続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見ご要望を是非お送りください
お待ちしています
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地中海の『美の島』コルシカ島 34 < アジャクシゥ 4 > コルシカ島全体の首都を徹底解剖

2021-11-08 00:39:59 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : アジャクシゥの旧港とシタデル

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



コルシカは島国である以上やはり港抜きでは語れない

Map by ⒸGoogle Map

地図の一番下の出っ張り部分が「シタデル(城塞型旧市街)」で
そのまま北側に「旧港」と繋がっている
そこは今では漁港と小型プレジャーボートの専用になっている

その上の点線が出ているところ(航路)が大型船

一番北側が新港で大小プレジャーボートが使っている

『Vieux Port d'Ajaccio (旧港)』

岸壁に並ぶ建物の左端に「シタデル」の石垣が見えており
中ほどの建物のないところは「フォッシュ広場」


この写真の方が「シタデル」が分かりやすい


前の写真の位置を正面桟橋の一つから見る
右端が「フォッシュ広場」



ほぼ同じ角度


岸壁から逆向きで

北側に隣接する航路の大型船用の波止場を見ると


中型クルーズ船もいれば


超大型クルーズ船もいるし



フェリーも当然いる
そして新港も一目見てみよう

『Nouveau Port d'Ajaccio』




その旧港に連なるように街の最南端の張り出しに「シタデル」がある
星型に城壁の石垣で囲まれている
陸側は空堀で囲まれ海側はそのものズバリ海がお堀となる形


『Citadelle d'Ajaccio』


城壁の真下のわずかな浜辺は夏の間は格好の海水浴の場となる





堀を渡る橋は二つ


アーチひとつの橋と




アーチふたつの橋


アーチふたつの橋の方が中央の入り口になっている





ただしバスティアのシタデルのように中が「旧市街」というわけではなく
軍の施設になっている
したがって中には入れない




そのシタデルから西へ海岸道路が「アジャクシオ湾」の北岸の西端まで続く


ちょうど「シャルル・ド・ゴール広場」の前あたりの海岸


ナポレオンの騎馬像を背にするコチラグァの階段を降りた通りの向かって左側あたりに
カジノがある


『Casino municipal d'Ajaccio』




「アジャクシオ市営カジノ」はコルシカ全島で唯一のカジノ
フランスは市街地にカジノを設営することは許されていらず
リゾートに限定されている
「アジャクシゥ」は都会だがコルシカ全体がリゾート立国の土地なので
中心の町にカジノが置かれた


上の写真よりもう少し西側まで進んだ位置から振り返る
一番右端の先端が「シタデル」の位置
画面のど真ん中で白い雲の切れ目のあたりが「シャルル・ド・ゴール広場」
ちょうど広場の横あたりにカジノがある


反対向きだとこう見える
さらにもうしばらく西進して


この辺りまで来ると
海岸道路は海からほんの少し内側に入って海面は途切れ途切れにしか見えなくなる
そのうち



なぜか礼拝堂が並んでいると思ったら
墓地だった
コルシカの海の民の墓石はとにかく大きい
それぞれが大きさの差こそあれ一軒の礼拝堂のような作りとなっている


門まで付いている


木立の奥まったところにも



道路に面して3棟並んだ霊廟も


『Entrée de la Cimetière d'Ajaccio』

墓地の中央エントランス
その他にも別に二カ所のゲートがある



敷地内は例によって戸建のような霊廟がずらりと並ぶ



しかし敷地内の霊廟の方は道路沿いにあるものより小ぶりだ
道路沿いに有力家系が個別に立てていた大規模な霊廟の集まる辺りに
後から墓地を作ったのか
有力家系が墓地の外の道路沿いに敢えて大規模な霊廟を立てたのかは
浅学にして分からない



道路沿いの敷地は壮観
とにかくコルシカの墓標は大きい
ちなみのこの道路は「墓の道」という通称で呼ばれている

やがて道路左側の家並みが途切れてまた湾が見えてくると
オレンジ色の鮮やかな礼拝堂が見えてくる
『ギリシア人の礼拝堂』

『Chapelle des Grècs』

その昔
ペロポネソス半島のある街からジェノヴァに渡って来ていたギリシア人たちの一部が
その後コルシカ島にもやってきて
アジャクシゥとその北の港町「カルゲーゼ」に入植した
そのギリシア人入植者たちの「東方教会」の礼拝堂


正面入り口の扉の上に銘板がある



1632年建立とある銘板



背後は垂直の崖ですぐ海


東方教会は正十字型で交差部には円蓋が乗るが
これは単に礼拝堂なので単純に長方形で立てられており
後陣も四角


左側面の壁面の上部にもも銘板がある


ナポレオンの兄ジョゼフの回想録の一節が記されており
彼が弟ナポレオンとしばしばこのあたりまで散歩に来て
時間とともに天候によっても刻々知変わる海の色合いの美しさを愛でたことが
書かれている

このまま西に向かって進むと湾の最西端「サンギネール諸島」に向き合う
『パラタ岬』に通じている


Map by ⒸGoogle Map


パラタ岬からサンギネール諸島を望む




岬の先端は浸食の具合がもう少し違っていれば島になっていただろう地形で
細い砂州で辛うじて繋がっている




岬の最先端は小山になっていて頂上にジェノヴァ時代の塔がある
その小山の方から岬の駐車場を振り返るとこう見える



最上部の張り出した水平狭間(石落とし)の部分は欠落の具合が一定ではないので
見る角度によって形が異なって見える


「サンギネール諸島」は二つの小島と一つの岩礁と一つの島とで成り立っている



左から「ポーリ島」
その右に小さく「イソロット(岩礁島)」
その向こうに「サンギネール本島」
「カラ・ダルガ岩礁」はわかりにくいが本当の左端


本島には手前の山の上に灯台があり中ほどの山の上に塔がある


岬の塔と本島の灯台と小さく本島の塔が撮っている




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地中海の『美の島』コルシカ島 33 < アジャクシゥ 3 > ナポレオンの軌跡 3

2021-11-05 00:33:27 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ボナパルト家の菩提寺「帝室礼拝堂」

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



今回は再度アジャクシゥの大聖堂から始めよう


母親「レティシア」が産気づいた場所
ナポレオン・ボナパルトが洗礼を受けた場所
「セント・ヘレナ島」から無言の帰還を果たしたナポレオンへの追悼のミサを行った場所
『被昇天の聖母大聖堂』




『Cathédrale Santa Maria Assunta / Cathédrale Sainte-Marie de l'Assomption』

着工が1583年で完成に10年を費やした「反宗教改革様式(ジェジュイット様式)」
内装はバロック



正面の小さな広場はやや低いので
ここから見ると左後方にある鐘楼はほぼ見えない



身廊と翼廊との交差部(十字架型の中心)は明かり取りの小塔が乗った大円蓋
鐘楼の頂点も明かり取りの小さな丸窓が並ぶ円蓋の上にさらに小塔



中央のポルタイユ(扉口)は単純な長方形で
上部に建立に至る年度や建設に尽力した人物名などが書かれた銘板がある



中は外から見て想像するよりかなり広大に感じる



交差する天井の天蓋から明るい光が差し込んでくる







一番奥の主祭壇とその上のネジ柱を持つルターブル(祭壇衝立)は
女性ながらルッカ大公となったナポレオンの妹エリザが寄進した
もともとはルッカの廃止された教会にあったもの
ちなみに彼女は「トスカーナ大公」でもあった



振り返ると
ポルタイユを入った上に定石通りにパイプ・オルガンがあるが
支え方がかなりユニーク





飛行機の両側にジェットエンジンが突き出ているように
主催団のある内陣と同じ東向きで翼廊にもそれぞれ祭壇がある
北の翼廊に二つ南に一つ


北側の翼廊最初の礼拝堂


北側翼廊二番目の礼拝堂「ピアント礼拝堂」『Chapelle Santa Maria del Pianto』

北側の「ピアントの礼拝堂」の祭壇画は
ドラクロワの『信仰の勝利 または 聖心の乙女』


『Triomphe de la Religion ou Vierge au Sacré Coeur』Dracroix(1822)

その部分の天井の細工は素晴らしい



反対側の南の翼廊の礼拝堂「ロザリオ礼拝堂」は装飾は控えめ


『Chapelle du Rosaire』

この礼拝堂は
後述する「帝室礼拝堂」が「フェスチ宮殿」に建設されるまで
ボナパルト家の墓所であった

もう一つ北側の翼廊の先端に四番目の祭壇「慈悲の聖母礼拝所」があって
その祭壇上部に街の守護聖人である「慈悲の聖母」像が
外からの光を巧みに利用して神々しく安置されている


『Chaelle Latérale de Vièrge de la Misericorde』


 『Notre-Dame de Misericorde (慈悲の聖母)』

内部が暗い時には



こう見える

ところで大切なものがもう一つ
「洗礼盤」


『Les Fonts baptismaux(洗礼水盤)』

この見事な細工の青銅製の大きな蓋のついた白大理石の洗礼盤で
「ナポレオン・ボナパルト」は
1771年7月21日2歳の時に洗礼を受けた


洗礼水盤の蓋の部分

教会の十字形交差部の柱に
ナポレオンの「辞世の言葉」を記したローズピンクの大理石板が嵌めてある



『もし私がパリから拒否されるなら 
私は
私という人間が拒否されたということを受けて
私の屍は
アジャクシオのカテドラルに
私の先祖たちが眠るすぐそばに葬って欲しい』

ちなみに
彼が生きている頃にはまだ
叔父のフェッシュ枢機卿の宮殿に「皇室礼拝堂」はなかった

実際は
『私は
できることなら私が大好きだったセーヌ川の見えるところに
葬られたい』
という辞世の言葉の前半にそって
パリのセーヌ河沿いの「アンヴァリッド」に
『フランスの皇帝ナポレオン1世』
として葬られている


『Tombeau de Napoléon 1er Empéreur des Français』

パリ「アンヴァリッド」にて撮影

ちなみにこの「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂」では
重要な儀式が執り行われる
『ア=マドンヌッチア』


『Statut de Notre-Dame de Misericode (慈悲の聖母像)』

毎年3月18日アジャクシゥで行われる「時hの聖母マリア」のお祭り
は17世紀半ばにさかのぼる
ペストの大流行に悩んでいたイタリアでジェノヴァ共和国の町であったアジャクシオも
被害から免れなかった
1世紀ほど前の1530年代に
イタリアのヴォーネでペストの流行への保護を願ったある農夫の前に現れたマリアが
町をペスト禍から救い
『アヴォーネの慈悲のマリア』として敬われていた
その「慈悲に聖母」をアジャクシアの町の守護聖人にいただくことを決めた
1656年11月16日から「慈悲の聖母像」を半年かけて準備し
翌年3月18日にそのマリア像を讃えるお祭りをすることになったのが
『A Madonuccia』


大聖堂のロザリオ礼拝堂から出る「慈悲のマリア像」

前日17日21時に前夜祭として大聖堂からフォッシュ広場までの行進が行われ
18日10時からの記念礼拝
その様子は「バチカン・テレビ」で世界中に中継される



18時からいよいよ夜間大行倖が始まる
年にもよるが
バチカンから20名ほどの枢機卿も参加し「慈悲の聖母」が
町を練り歩く





カテドラルを出た「マドンナ」は


大勢のアジャクシオっ子を引き連れて


旧市街を練り歩き



途中
『Eglise Saint-Roch 聖ロック教会』で荘厳なるミサを執り行う


そのまま「フォッシュ広場」下された「マドンナ」は
特製の厨子に安置され
広場中にあふれる人々に囲まれて夜のミサ








そして夜遅くに大聖堂にご帰還になる



『バチカン聖務院(宗教法務省)』の直々のお墨付きの
公式行事なのです


では場所を変えて
ナポレオン所縁の場所の最後に『フェッシュ宮殿/帝室礼拝堂』に行ってみよう


『Palais Fesch』Photo by ⒸGoogle Map

『フェッシュ宮』は
革命政府が仏国内の教会財産を競売に付したことで
ローマ教皇から破門されていたフランスを
ナポレオンの謝罪で破門を説いた『レオン7世』が枢機卿に任命した
ナポレオンの母方の叔父「ジョゼフ・フェッシュ」大司教
のアジャクシゥの枢機卿宮殿


『Palais Fesch』


フェッシュ枢機卿








右側の部分が「帝室礼拝堂」



『Chapelle Impériale』

この「帝室礼拝堂」は
ナポレオンの甥「ルイ=ナポレオン」が2月革命の後大統領に選ばれて第三次共和制をしき
その後クーデターで議会を廃止して皇帝となり第二帝政を敷いた「ナポレオン3世」が
1857年に建設した

この礼拝堂には写真右端の先にある通りからも入れる



通りに面した扉口




内部の地上階は礼拝堂





祭壇の上の磔刑のキリスト像はコプト教徒のもので
エジプトから贈られた



平面図はギリシア正十字(たてよこ同じ長さの十字架)型で
交差部の天井は大天蓋になっている



このクーポラ(円蓋)のレリーフ群は「トロンプ・ロイユ(だまし絵)」



ステンド・グラスはフェッシュ枢機卿の紋章



交差部の床の中央に鋳鉄細工のまる蓋があり



透かし彫りの鉄の蓋の下のクリプト(地下祭室)が
ボナパルト家の霊廟(墓所)



クリプト
暗色の大理石の一つ一つが墓石で



左が「シャルル=マリー・ボナパルト」(父親)
右は「マリー=レティシア・ロマリーノ=ボナパルト」(母親)






礼拝堂(地上階)と墓所(地階)とを結ぶ階段

ところで
この「フェッシュ宮」はアジャクシゥ私立美術館として使われている
基本的には「フェッシュ枢機卿」のコレクションの遺贈が元となって造られた


『Musée des beaux Arts de la Ville d'Ajaccio』




絵画彫刻などが主な展示だがボナパルト家に関するコレクションもある


ナポレオンの家族の彫像の部屋

ナポレオンの胸像


妹ポーリーヌの胸像


レティシアの肖像


戴冠式の装束のナポレオン






一般のコレクションも素晴らしい


ボッティチェルリ『聖母子と聖ヨハネ』


ベリーニ『聖母子像』


ヴァザーリ『聖ヒエロニムス』


ニコラ・プッサン『パクトール川水源でのミダス王』


ジェゼフ=トマ・ショタール『サフォー』

フェッシュ枢機卿の書庫もすごい量と質の高いもので
現在はアジャクシゥ市立図書館扱いになっている



「アジャクシゥ」の項 続きます
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皆様のご意見ご要望とご感想を是非送ってください
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地中海の『美の島』コルシカ島 32 < アジャクシオ 2 > 島の首都を徹底解剖してみる

2021-11-03 00:25:27 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 『シャルル・ド・ゴール広場』の4兄弟に囲まれた皇帝ナポレオン騎馬像

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



今回も「ナポレオンの奇跡」をたどりましょう
「アジャクシゥ」にはナポレオンを顕彰する像が三箇所あります
「フォッシュ広場」
「シャルル・ド・ゴール広場」
「オーステルリッツ広場(グロット・ナポレオン」
それぞれスタイルが異なるのです


Photo by ⒸGoogle Map

「アジャクシゥ」の街中に
西のやや高くなった位置から東の「旧港」にむかって一直線の空間がある
両端に二つどちらも長細い広場があって
西端の「オーステルリッツ広場(グロット・ナポレオン」)」から
東端「フォッシュ広場」まで
まっすぐ道路で繋がって抜けているのです
東端の「フォッシュ広場」のやや西側には「シャルル・ド・ゴール広場」がぶら下がる

まず『フォッシュ広場』を見てみよう


『Place Foch : Fontaine de 4 Lions avec le Statut du Premier Consul 
フォッシュ広場/4頭のライオンの噴水と第一執政像』


この広場には「執政ナポレオン・ボナパルト」の大理石像の噴水がある
『四頭のライオンの噴水』という名が付いている





この写真の彼の後ろの空間が「オーステルリッツ広場」まで一直線に抜けていて



オーステルリッツ広場の「グロット」と呼ばれる岩場に
皇帝ナポレオンの軍服姿の銅像が建っているのです


後ろ姿

「グロット・ナポレオン」の位置からは大変距離があるがこの様に見えるはず
港がすぐ近くなので



彼の頭にはカモメが頻繁にとまっている

古代ローマ共和国の末期
「カエサル」「ポンペイウス」「クラッスス」で実権を握り
さらにカエサル亡き後
「オクタビアヌス」「アントニウス」「レピドゥス」で三頭政治を行ったのち
「オクタビアヌス」が権力を掌握して共和制から皇帝制度に移行した
その三頭政治の時代になぞらえて
「ボナパルト」「カンバセレス」「ルブラン」
で革命政府に三執政政府を作った
その「第一執政ナポレオン・ボナパルト」が「共和制ローマ三頭政治」時代の執政の衣装で
この像が作られた

また
この広場では春から秋までのシーズンは毎日午前中市が立つ


『Marché principale d'Ajaccio アジャクシゥ中央市場』




海の国コルシカの海産物は種類が豊富



そして山の国コルシカの名物生ハムとドライ・ソーセージの種類は非常に多い




山に放牧されている羊と山羊の乳で作るコルシカのチーズは絶品



この「フォッシュ広場の市場」が旧来から町の日常の食品流通の要だったが
数十年前に建屋の中央公設市場も近くに作られ
さらに最近は町の中心部に近代的な2500m2ほどもある大型の中央市場が作られた
小売の業者はそちらに移動して他の場所の市場の業者と統合し
広場の青空市場は近郊農家の直販専用として残されるという

さらに
ヴァカンスのシーズンは毎日
オフシーズンは毎木曜日午後19時に
共和国革命軍(ナポレオン軍)の制服に身をまとった出演者たちによるアトラクションも
繰り広げられる









銃器大砲は空砲を放ち
観衆は耳を押さえて大騒ぎ
ある種の「衛兵交代式」のような感じになる


この「第一執政の衣装のナポレオン・ボナパルト像」は
ナポレオンの叔父「フェッシュ枢機卿」によって
1802年から03年にかけてアジャクシゥ市に寄贈された


『Cardinal Fecsh フェッシュ枢機卿』






では次に
ほど近い「シャルル・ド・ゴール広場」に移ろう


『Place Charles-De-Gaulle : Statut de Napolèon avec ses 4 Frères』

この広場は町の美観に貢献しているとは到底思えないが広さだけは十分
というかなり無粋な場所なのですが
第一執政のボナパルト像のある「フォッシュ広場」から西に伸びる
「プルミエ・コンシュル(第一執政)大通り」のつながりの
「アヴェニュー・ド・パリ(パリ大通り)」を北辺に
南の海岸通りまでの変形の四角い広場で



その広場の海岸通りに寄った辺りに「ローマ皇帝」の衣装のナポレオン騎馬像が
彼の四人の兄弟たちの像に四方を守られて立っている





「ナポレオン・ボナパルト」は8人兄弟
4人の兄弟と3人の姉妹がいた

長男が『ジョゼフ』
のちのナポリ王「ジョゼッぺ1世」 スペイン王「ホセ1世」となる


『Joséph』

ナポレオンを挟んで三男が『リュシアン』
イタリア「カニーノ公」


『Lucien』

長女を挟んで四男は『ルイ』
ホラント(オランダ)王「ローデウェィク=ナポレオン1世」 フランス「サン・ルー公爵」


『Louis』

二女三女を挟んで五男が『ジェローム』
ヴエストファーレン王「イエローメ1世」 フランス「モンフォール伯爵」


『Jérôme』

これらの兄弟に四方を守られて『皇帝ナポレオン1世』が


『Empereur Napolèon 1er』

ローマ皇帝の象徴である月桂冠をかぶり馬上豊かに威風堂々と置かれている
ちなみに古代ローマ時代には乗馬の際の「あぶみ」はなかった



花壇越しに



このすぐ左下は海岸通り
おりて右に行くとカジノがある

話はそれるがこの広場にはブーゲンビリアの花トンネルがある





この広場はコルシカがフランス全土で一番最初に
独伊枢軸独裁国の占領から解放された1943年から70周年の2013年に
コルシカ解放をドゴール将軍がロンドンから来島して祝福したことを記念して
『シャルル・ド・ゴール広場』』
と改名されコルシカ解放の記念碑が置かれた





では三番目の広場『オーステルリッツ広場』に行ってみよう

「フォッシュ広場」から西にまっすぐ伸びる一直線の道路は徐々に上り坂になってゆく
広場自体は通常は何もない長細い長方形の広場だが突き当りが小高い岩山になっていて
「グロット(洞窟)」と呼ばれ
その斜面に高いピラミッド型の造作のてっぺんに
巨大な「軍服姿のナポレオン」が居る



この斜面はこの写真で見るよりずっと高いのです
一番下の左右に
生年と没年が刻まれた「皇帝の鷲」が守りを固めている




 
今年はナポレオン没200周年

この石の斜面には
彼が生涯に戦った戦場の地名が書き記され
その次に
彼が国家にもたらした功績が各記してある



「民法の制定」
「(近代的)大学制度の確立」
「フランス銀行(中央銀行)設立」
「レジオン・ドヌール(叙勲と顕彰制度)設立」
「国家会計検査院の設立」
「ローマ法王との和解」
「国務院の設立(憲法裁判所兼国務諮問会)」

そしてここには書かれていないが最も大きな功績のひとつが
「メートル法の制定」だろう



彼の功績を記した下に「月桂冠」が彫り込まれている




最上部には名前と皇帝の鷲



石の斜面の急な階段以外に裏側からも上り下りできる
世紀の齢を重ねた大樹と



大岩の折り重なったところがあって
「グロット(洞窟)」と呼ばれる所以となっている



階段の途中で振り返ると
「オーステルリッツ広場」の全容と「フォッシュ広場」の先の港の位置まで
見通せる



彼はその光景を見下ろしている



広場自体の入り口はシッカリしたゲートがあって
その壁の一部に青銅板がはめてある



生年月日と没年月日
イニシアル『N』を囲む月桂冠というナポレオンの紋章の左右には
左側には剣や大砲
右側には民法典とその他の法規
が絵が描かれている



階段は150段くらいあるので
この斜面の急さ加減と
ナポレオンの像の巨大さがお分かりいただけるだろう









「アジャクシゥ」の項はまだ続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見ご要望を是非お寄せください
「コメント」でも「メッセージ」でも構いません
なお「メッセージは表に出ないようになっています

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地中海の『美の島』コルシカ島 31 < アジャクシオ 1 > 島の首都を総解剖してみる

2021-11-01 00:48:21 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 革命政府第一執政ナポレオンの像の立つフォッシュ広場

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた


山里を訪れてきたが
いよいよ島の首都『アジャクシオ』を目指して下って行こう

ほぼ真っ直ぐ北上していた国道196号線が
先回訪れた「サンタ・マリア・シッシェ」に向かう県道83号線との分岐点から
西に曲がって高地を海に向かって下り始める


『Golfe d'Ajacciu / Golfe d'Ajaccio』

湾の北側から海が見え始めるとすでに「アジャクシゥ」は眼下に
分岐点から25kmほどで『アジャクシゥ(アジャクシオ)』に至る

「Corse du Sud (南コルシカ県)」の県庁所在市は「アジャクシゥ」
そしてコルシカ島全体の首都も『アジャクシゥ/アジャクシオ』なのです

「アジャクシオ」に達すると
並木が防風林のように海風に吹かれ続けて傾いてならんでいる



「アジャクシオ」湾の一番奥から北岸の全域を
西の先端の「パラタ岬」と「サンギネール諸島」までを占める

Map by ⒸGoogle Map

地樹上で赤線で囲ってあるのが「アジャクシゥ」の市域
しかし何と言ってもこの町の売りは「ナポレオンの生誕地」だということだろう

オーステルリッツ広場のナポレオン像

ナポレオン所縁の場所は何箇所かある
像の立つ「フォッシュ広場」「シャルル・ド・ゴール広場」「オーステルリッツ広場」
生家である「ボナパルト家の屋敷」
洗礼を受けた「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂」
一族の墓所である『帝室礼拝堂』のある「フェッチ宮」

まず彼の誕生から彼の足跡を追って行こう


『Cathédrale Santa Maria Assunta』

時は1769年8月15日
母親レティシア・ボナパルトはこの「被昇天の聖母大聖堂」で
日曜日のミサに臨んでいて陣痛が始まった
彼女は家族に支えられながらころびつまろびつヨロヨロと屋敷へ向かう
カテドラルに向き合って左横の小道を進み



一本横道を横切ってそのままさらにまっすぐ進むと
左側にある小さな庭園に向き合う右側が「ボナパルト家」の屋敷

逆向きに見る屋敷の前の通り

上二枚の写真はいずれも逆向きにカテドラルの方向を向いている


玄関口のすぐ上の壁面に
「1769年8月15日 ナポレオンがこの家で生まれた」
と記した大理石の銘板がはめてある



玄関を入るとすぐの階段を二階に登った母親レティシアは
自分の寝室を目指したが手前の控えの間で動けなくなりそのままそこで出産した


ナポレオンの誕生した部屋



その次がレティシアの寝室


レティシア・ボナパルト=ポラリーノの寝室



彼の姓名は『ナビオーロ・ブゥオナパルテ』という
「ナビオーロ」をフランス風に言うと「ナポレオン」

「ブゥオナパルテ家」は
コルシカ島では「パオリ家」「オルシーニ家」「コロンナ家」などと並んで
有力な家柄ではあった
ジェノヴァ支配時代から500年続いた独立運動の指導的役割を果たしてきた

父親は「シャルル=マリー」


『Carlo=Maria di Buonaparte』

母親は「レティシア」


『Letizia Romarono』

「シャルル=マリー」は非常に温厚な男性だったらしいが
「レティシア」が女丈夫だった
ピサ統治100年とジェノヴァ統治500年の間常に独立運動が続いたコルシカだったが
レティシアは臨月に抜き身の剣を頭上にかざして馬でジェノヴァの守備隊に切り込んだ
という逸話の持ち主だ

ナポレオンは二人の間の九人の子供達の2番目の子供で次男として生を受ける
レティシアとシャルルの像の間にナポレオンの洗礼証明書が飾ってある


ナポレオンの洗礼証明書



レティシアのサロン

ギャラリー

「ナビオーロ(ナポレオン)」は9歳までこの家で育った

ナポレオンの寝台

コルシカ独立運動の指導者格の家柄だった父「カルロ=マリー」は
フランスに吸収された後は
それまでの様にピサやジェノヴァなど外国民族に隷属させられるわけではなく
「フランス人」として扱われることを良しとして独立運動から離れ
「親フランス」に舵を切り
一番出来の良い息子だった「ナビオーロ」にフランス本土で英才教育をを受けさせる

『コルシカの部屋』

島の当時の地図が飾られているのでこの名が付いている部屋
暖炉の上に父「シャルル=マリー」の肖像


西が上向き担っているが壁のサイズに合わせてあるのだろう
しかし昔は地図は必ず北が上を向くわけでもなかったようだ

一部の18世紀の家具は素晴らしいものがある

上二つはいずれもルイ16世様式

摂政様式の用箪笥

母「レティシア」の手袋

9歳でフランス本土アルプスの麓「ブリエンヌ」の陸軍幼年学校に入学
全国から集まった選りすぐった大貴族の子弟である学友たちに馴染めず
ラシーヌの悲劇など文学にのめり込み
名前もフランス風に「ナポレオン」と改めた

ブリエンヌでの5年間を過ごした後
王室奨学金を獲得してパリの「王立陸軍士官学校」に15歳で入学
通常2年かかるところを
数学が常に満点であったナポレオンは1年で卒業した
その後の出世譚は別の機会に譲ろう

ただ
皇帝になってからは「ボナパルト」がなくなります

王族や皇族には「姓」がないのです
エリザベス2世英国女王でありフェリペ6世西国王でありナルヒト天皇なのです
宮家の呼称はタイトルであって姓ではない

革命政府の執政時代までは『ナポレオン・ボナパルト』
皇帝になってからは『ナポレオン1世』

皇帝のシンボルの鷲の旗印

ナポレオンの戴冠式の月桂冠

最終的に英国主導の澳独露に夜「対仏大連合」に敗れて2度失脚し
2度目に大西洋の孤島「セント・ヘレナ島」に流され
1821年5月5日51歳で亡くなった
「セント・ヘレナ」での6年間の幽閉時代に食事に常に微量のヒ素を混ぜられたことによる
中毒死であったことがわかっている

「デスマスク」1

デスマスク 2

幼少期のナポレオンの髪

幼少期の胸像


息子「ナポレオン2世」の幼少期の髪


17世紀のボナパルト家の屋敷の模型

1850年頃の屋敷



外壁の角の2階の高さに屋敷の前の広場の名前を記したプレートが嵌め込まれている


「レティシア広場」

屋敷に向き合う小さな庭園のような「レティシア広場」に
息子「ナポレオン2世」の胸像がある


若い青年将校の頃追いかけ回して口説き落とした
年上の未亡人だった恋女房『ジゼフィーヌ」との間に子供ができず離婚
オーストリアのハプスブルク家から後添いとして迎えた
「マリー=アントワネット」の姪『マリア・ルイサ』との間にできた一子
『シャルル・レオン』



屋敷は角になっていて横に曲がった方に「奥向き」の作業場などがある

門衛が入る一人用の小屋が置かれていた

オリーブを砕いた碾き臼

「アジャクシゥ」の項続きます
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