行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

地中海の『美の島』 コルシカ島 10 < ポルト・ヴェッキオ湾 周辺の 素敵なホテル 4 >

2021-08-30 00:09:30 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 :  『オテル・レ・ベルジュリー』

コルシカ島で最も美しい浜辺が幾つも存在する「ポルト・ヴェッキオ」は
日常から逃れる事が出来る秘密の隠れ家的なホテルが沢山ある


「ポルト・ヴェッキオ」のホテルシリーズの最後に
湾の東側の外海に面する半島に三軒ご紹介しよう

まず「パロンバッジア」の浜辺から後背地の山の上
『オテル・レ・ベルジュリー』


「Bergerie ベルジュリー」の本来は
「羊小屋」或いは「(放牧時期に羊飼いが臨時に寝起きする)山小屋」
という意味の言葉で
お金持ちが好む田舎の隠れ宿みたいな意味に使われる事がある


『Hôtel les Bergeries』母屋全景



敷地の中は茂みが多く何軒もの素朴な一軒家が連なっていたり分散していたり


小道に部屋(建物)番号を書いた矢印が出ている


内部からテラスやデッキまで全部ひっくるめてお客様のくつろぐ空間として使われている







実は内部は非常に丁寧に上品に設えられていて快適そのもの
一番大きな居住空間を持つパヴィヨンはこれ






もはや豪邸なみ




上のパヴィヨンと同じタイプの寝室だがベッドの向きが違う別のパヴィヨンの寝室

スイートの例



次の四部屋も同じようなタイプだが天井の梁の向きや壁の窓やクローゼットが
微妙に違う






母屋の正面にプールがあるが二階の客室からの眺めが素晴らしい



「パロンバッジア」の海までが一望できる

二階角のテラス

プールは




中に入った目線だと水面と海とが繋がって見える


この母屋の向かって地上階左端の中がレセプション


いわばこれが玄関で
壁のライトの下に「シャトー・ホテル・チェーン」のブロンズのプレートが嵌めてある
右にある屋根のようなものはプール・サイドの寝椅子の屋根


狭いレセプションのカウンターに女将さんがいらっしゃる


レストランは母屋を背にプールの左側にあるけれど



例によってみなさん外がお好き


なので全員がプールサイドでお食事となる



例によってお料理の例をご紹介










この最後のデザートは
題して『Dssert du Jardin 菜園のデザート』と銘打って
中身は
「茄子の薄切りキャラメリゼ」「エストラゴン(すかんぽ)のシャーベット」
「タイムのシャーベット」「ライムのシャーベット」
など

※  ※

ここからほんの数km東南東に下った
上の「レ・ベルジュリー」より少し「パロンバッジア」の海辺に近い辺りにもう一軒
『オテル・アンバサドール』


『Hôtel Ammbassador』
外観も雰囲気も共に「レ・ベルジュリー」に似ています



しかしこの「アンバサドール」の方がずっと素朴




このシャワーブースがなんか凄い












レストランもそこそこ広くて


雰囲気もあるんですが


やはり外



建物の前とプールサイドの椅子やソファーは食事の時間はほとんど食事用になる


ただ
お食事はわざわざご紹介するほどのレベルではないので省略します





 ※  ※
最後に一番美しい白浜を持つ「サンタ・ジュリア」のホテルに行ってみよう
池と湾との間の砂州の中ほど『オテル・モビィ・ディック』は海が全て


『Hôtel Moby Dick』



道路側正面入り口

海側側面



玄関

ロビー






ロビー海側外のデッキ




海側客室
同バルコニー

池(道路)側客室

レストラン・ラウンジのテラス




プライヴェートビーチ





桟橋



白浜と透明な海
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地中海の『美の島』 コルシカ島 9 < ポルト・ヴェッキオ湾 周辺の 素敵なホテル 3 >

2021-08-27 00:35:57 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : 『オテル・ル・ベルヴェデール』

コルシカ島で最も美しい浜辺が幾つも存在する「ポルト・ヴェッキオ」は
日常から逃れる事が出来る秘密の隠れ家的なホテルが沢山ある



今回は「ポルト・ヴェッキオ湾」の東側に二軒
ご紹介しよう

まず湾の内側『ル・ベルヴェデール』
先回の「ドン・セザール」の対岸


このホテルはまるでディズニーランドのアトラクションの舞台のよう
まず敷地へ入る門が立派なのに驚かされる


門をくぐって振り返ると



特にディナーを取りに夜にやってくると印象深い




ホテルの建物の方に向き合うと



門をくぐって真っ直ぐ進むとれzセプション


そのまま奥に
八角形というか円形というかの大きな石造りだがサーカスのテント様の建物があり
そこがバーとラウンジとレストラン


バーへのアクセス


半円形のバー・カウンターがある


カウンターの背後がラウンジ


レストランへのアクセス



レストランの入り口にはたまたま案内係がいない時に待つスペースがあり
馬の頭像の横にメニューブックもある


ほんのちょっとの待つ時間のために座る椅子も



レストランは結構広いのですが
お約束で夏場はみなさん外がお好き


ということで
レストランの外の海側にテラスがあり
ここからがこのホテルの真骨頂
水際に残る古い砦の残骸を支えにして丸太で「櫓」が組んであるのです





なんとほぼ波打ち際ギリギリまで迫る勢いで


しかもしかも実は櫓は二つ有るのです

実は大きな円形の建物の横にはプールがあり
そのプールは無味の方向に向かって左右に二つある古い要塞に残骸に向かって
作られている


海に向かって
右は四角い建物の残骸左は丸い塔の残骸


この写真の左に見える櫓は丸い塔の横のもので
右の四角い建物の前の櫓は梁が数本飛び出しているのが見えるのみ




実は左の丸い塔の横にもう一軒「グリル(ステーキなどの簡単な料理だけ)」があり
それぞれに櫓の席が用意されているわけです


グリルの方のテーブルにはクロスがかかっていない

しかし
わざわざ櫓でなくともテラスの席はたくさんあるのです




こんな素敵な席まで有る



肝心のお料理ですが
「メイン・ダイニング」の方の例を幾つか















では一応客室の雰囲気も見てみよう
全室独立家屋で外に個別の玄関を持つ形式






もちろんここまで広くないお部屋もありますからご安心を




寝室の横に「プライヴェート・テラス」付き





こんなレトロな浴室があったりする



オープンエアーのジャグジーもある




寝椅子に寝っ転がって午眠を取るのは


プールサイドでもよし


ホテルのビーチでもよし




※  ※

上の「オテル・ベルヴェデール」からほんの少し北にある
『オテル・イシュレッラ』


Map by ⒸGoogle Map

『Hôtel Isulella』

かなりカジュアルなホテルです





殆どの客室にはジャグジー・バスがある










ジャギジーでない浴室はバスタブが大きい



プールの脇にテント掛けのようなレストラン





当然これでも良い
この手のホテルは特にお料理が売りです



これデザートじゃなくて白身魚と果物のセヴィーチェ






















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地中海の『美の島』 コルシカ島 8 < ポルト・ヴェッキオ湾 周辺の 素敵なホテル 3 > 

2021-08-25 00:45:24 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : 「オテル・ル・プラージュ」

コルシカ島で最も美しい浜辺が幾つも存在する「ポルト・ヴェッキオ」は
日常から逃れる事が出来る秘密の隠れ家



先回ご紹介した「Hôtel Casadelmar」は実は先々回の「カラ・ロッサ」の海岸にも
もう一軒ホテルを持っている
『ル・プラージュ・カーサデルマール』


Map by ⒸGoogle Map

このホテルは
先回ご紹介した「カーサデルマール」のように
それなりの規模の立派な建屋ではなく
より海岸の自然の環境の中に溶け込むような滞在を提供するということの様だ



玄関に向かうアクセス


玄関

したがってこの地方の伝統的な民家を点在させて
それぞれがヴィラの様な宿泊施設になっている


レセプションのある中央棟は
平屋の民家を何軒かガラス張りの通路でつないだ様な構造で
通路と通路の間が中からは中庭の様に見えるので全体として狭くは感じない

レセプション


バー



あとは「戸建て」が何軒も散在してまるで村の中にいる様な雰囲気






奥のドアを注意して見て欲しい


暗褐色のブリュットな木製のドアの
ノブは荒縄


外観からの想像に反して客室は広々


浴室も広々





レストランは別棟


ここが通常のダイニング
その外に固定屋根のついた壁はないテラス席


そのテラス席の先に
屋根もないサンデッキ・テラスの席


このレストランの「島」からビーチ・バーの「島」につながる


ここを「わたって」バー(キオスク)の島(区画)に行ける
橋の横にもデッキのソファーが


バーのデッキの直前から見る


バー側に渡ってからレストランを振り返るとこう見える





午前中から夜まで
冷たい飲み物を舐めながら寛げる空間に限りはありません

レストランで供されるお料理は極めてシンプルに
イタリアン


この前菜はフレンチの感じですが


トマトとモッツァレッラとアンチョビのサラダ


このキンキもフランス料理風ですが何も趣向は凝らしてない


夏野菜とアカザエビのグリル


イタリアンだからドルチェも単純
でも素材とシェフの腕が良いから極めて美味です

もちろんプールもあり
あまり大きくはないけれど




先ほどのレストランからバーにかけての海側の「サン・デッキ」



すぐ下がビーチです


降りて行って
日除けと寝椅子を予約しておきましょう
もちろん無料です


同じ系列ですが比べてみると
先回の「オテル・カーサデルマール」はシティー派向けで
今回の「オテル・ル・プラージュ・カーサデルマール」はワイルド派向け
という感じでしょうか

※  ※

次に
「ポルト・ヴェッキオ」の町の北側
『オテル・ドン・セザール』

Map by ⒸGoogle Map


Photo by Ⓒhotel_don_cesar_spa_nuxe

「ポルト・ヴェッキ湾」の西側の小さな湾に入ったすぐ北の岸辺


ゲート


『Hôtel Don Sesar』玄関

ちなみに「ドン」はコルシカで普通のファースト・ネーム
イタリアやスペインにもある
「ドン・ホセ」「ドン・キホーテ」の様に

レセプション

レセプションの配置はなんとなく「ル・プラージュ・カーサデルマール」に似ている
建物は大きめのお屋敷風であとは一軒家風も
お庭での時間を最大限楽しんでもらおうという作り方


玄関の反対側は建物の前がすぐプール



小さいプールもある




まず一番素敵な「パヴィヨン」をご紹介しよう


この「パヴィヨン」は右手に伸びてテラスになっているのです
そこには


こんな風な「プライヴェート・サン・デッキ」につながり
その奥は


こんな「リヴィング」で
しかも外に「プライヴェート・プール」が見えます





複数ある寝室のうちの主寝室


「サンデッキ」の先は



お食事をここまで運んでもらえます

主棟のスイートを一つ




やはりお食事はお部屋で



バルコニーには寝椅子も朝食用のテーブルと椅子も準備万端

一般的なお部屋だって



広々としています




同じバスルームですが「シャワ・ブース」はちゃんと別にある

 レストランはこんな感じです



しかし
例によって皆さん外で食事される事を好みます








お食事はやはりりシンプル
夏のリゾートですから








海の真横で食事が出来て
その先に
小さなプライヴェート・ビーチがあります


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地中海の『美の島』 コルシカ島 7 < ポルト・ヴェッキオ湾 の 素敵なホテル 2 >

2021-08-23 00:07:51 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : 『オテル・カーサデルマール』

コルシカ島で最も美しい浜辺が幾つも存在する「ポルト・ヴェッキオ」は
日常から逃れる事が出来る秘密の隠れ家



今回はカラ・ロッサとは対岸
ポルト・ヴェッキオ湾の東海岸にある素敵なホテル
最初は
『オテル・カーサデルマール』

Map by ⒸGoogle Map

前回の「オテル・ド・カラ・ロッサ」は地図の右上緑の傘マーク
今回の『Hôtel Casadelmar オテル・カーサデルマール』は白の矢印

アクセスは「カラ・ロッサ」も同じだが
海からでも陸からでも可



船でくるとこう見える



そしてここに着く

陸路では


駐車場はホテルより高い高度差を使った植え込みの中にありホテルはこう見える
玄関の高さまで降りると


非常に横長の建物で玄関のある部分は平屋のようにも見える


玄関はこんな風
建物の外装は全て木製




内部は「シンプル・イズ・ビューティフル」のモデルのような上品さ
下のフロアーに降りる大きな階段からは
ガラス張りで海が見える


内部より
まずこのまま海側の庭園に出てみよう


上の部分は2フロアーつないだガラス張りで
下はロビーやスパなどの空間
その上に会議室や宴会場その他があり
正面玄関より一つ下のフロアーがバーやレストラン
そのまま外に出られる


海に向かう斜面を巧みに生かして庭園があり
そこかしこにくつろげる空間を作ってある


下って行くとプールが見えてくる



プールまで降りて振り返ると


一応全景が見える





そのままさらに下に降りてゆくと
波打ち際真上の最後のサンデッキ


寝そべれば自分自身と海しか見えなくなる



レセプションのフロアーに引き返そう


ブティックも在りビーチウエアーやそれに合わせるアクセなどが
売られている


こんな休憩コーナーもあり


下のレストラン・フロアーに降りるには


上でご紹介したあの直線の階段のほかにもう一つ曲線のものも
ちなみにこのホテルのロゴは「ヤモリ」


この曲線の階段を降りると
バーと軽食堂


「バー・ラウンジ」を通り抜けて



そのまま「メイン・ダイニング」に通じる



手前と奥とでは椅子が違います
当然この手のホテルのレストランですから
夏はみんな外のテラス





結構広いテラス席のスペースの品の少し下がってこんなスペースもあり
ここでも食事できる



その続きには食後酒を楽しめるデッキも

ではお待ちかね
お食事のご紹介といたしましょう

アミガサ茸やシメジとポーチドエッグを浮かせた空豆の冷製スープ

いわゆる「シーフード盛り合わせ」

ビーツの肉巻き風


フィワグラ入りラヴィオリ(これからブイヨンを注ぐ)

ニョッキのピストゥ・ソース 夏トリュフ添え

オマール海老のタリヤッテーレ

定番の前菜 フォアグラ

白身魚の燻製で巻いたカニ他のリエット キャビア添え

マブロのスティック サイコロ夏野菜のアールグレイ・ソース冷製

クレマンティーヌとプティ・トマトと夏トリュフ

マグロと鯖と甘エビと白身魚のモザイク


子羊のラタトゥイユ風 セルクル固め

オマール海老とアヴォカドとロメーヌ・レタスのサラダ仕立て

仔牛のロースト キャラメリゼ

マグロの赤身鶏肉包み 黒大根添え

ホタテとアワビの「甘酢餡かけ」風


ナマコ


小鳩の腿のロースト

以下デザート
















そして最近流行りのコレもあった

刺身盛り合わせ


手毬寿司

これらはビュッフェにありました

ではそろそろ客室を





ジュニアスイートはカーテンによってお部屋の色合いが変わって見えたりする






これらの客室は海側が広々としたガラス張りで外はウッドデッキ



「Villa ヴィラ」と呼ぶコンドミニアムも有る


一番端の建物の地上階全部
ワンフロア全部を一家族や友人家族同士で貸し切るわけです

外につながっている一つの寝室 


談話コーナー

リヴィング





このホテルのスパのマッサージは医療的に素晴らしいレベルです

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地中海の『美の島』 コルシカ島 6 < ポルト・ヴェッキオ湾周辺の 素敵なホテル 1 >

2021-08-20 00:00:44 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : 『グラン・トテル・ド・カラ・ロッサ』の桟橋

コルシカ島で最も美しい浜辺が幾つも存在する「ポルト・ヴェッキオ」は
日常から逃れる事が出来る秘密の隠れ家


当然
そんな環境なので素敵なホテルに枚挙はない

まず「ポルト・ヴェッキオ湾」の北側の外れ「カラ・ロッサ」にある
『グラン・トテル・ド・カラ・ロッサ・エ・スパ』


Map by ⒸGoogle Map

外海から「ポルト・ヴェッキオ湾」に入ってすぐ
北側の小さな『カラ・ロッサ湾』の東の角の一隅に赤い岩礁があり
夕日を浴びてキラリと赤い色が輝いて見える
「赤い一隅」という言葉『Cala Rossa』が地名となりホテル名にもなっている


赤い岩礁


Photo by ⒸGoogle Map

写真の一番下が「赤い岩礁」
写真で左から岩礁までがホテルのプライヴェート・ビーチ
岩礁から右の緑の記述部分がパブリック・ビーチ


県道から私道に入って200mほど
地味な玄関からホテル内にはる
周りは松林



私道側の風情


供用空間からレセプションを見る
突き当たり(レセプション)の向かって右奥に



こんな窓があるのですが
これ改装以前は



こんなだった
地中海独特の光沢のある厚塗り緑の釉薬で焼いた陶器のお魚のシルエット
このホテルのシンボルだったのに
つまらない改装して平凡な窓になってしまった
大きな窓の方が採光もデザイン面も良いことはわかるが



いたるところにお花と鏡があるが
この鏡に偶々レセプショニストが映っていた


供用空間も客室も
木と漆喰






海側の客室も
水際まで数十メートルあって外はマツ林なので
窓の外は一面の海というわけにはいかないのが
唯一の残念なポイントですが
それ以外のすべての雰囲気が最高なので許容できる

金なんか移送した際に予約が取りにくい難点を解消するべく
部屋数を増やすために
なんとトゥリー・ハウスを作ってしまった


樹上に枝に乗せて作ったわけではないので完全なトゥリー・ハウスではない
でも
ほとんどそれ
ここは漆喰は一切使われておらずオール・ウッド




昼間見ると


子供達が喜びそうなこんな感じです

レストランは
レセプションと海側のお庭との間


でも
夏は開店休業状態で誰もここでは
食べません


なぜなら皆さんここで召し上がるから

地中海松という松の木は
若木のうちは枝葉が平らで丸く広がり傘をさしているように見えるので
「パラソル松」と呼ばれ
老木になると枝々が奇怪にねじ曲がり
パイナップル大の松傘をつけます

ある時ここで食事をしていたら「カーン」と大きな乾いた音がして
びっくりして音がした方を見ると
パイナップルのような大きな松傘がテラコッタ(素焼きのタイル)の落下していました
メートル・ドテルに「お客に当たったりテーブル直撃したりしないの」と聞いてみたら
「まだ無い」って言われた
きっと直撃されても誰も怒らないと思います
テーブルがぐちゃぐちゃになってもサッとセッティングし直して
同じ料理を持ってきて
何事もなかったように「大笑いしながら」食事を続けるだろうと思う












ホテルの地上階の高さと外のテラス席の高さは同じで
一段下がってお庭がある



あちこちで寛げるようになっている





それほど大きくは無いもプールがあり





そのプールハウスで広間は軽食が出される
ある日の昼食がなんと


シーフードと思いきや
「刺身」もあった
奥に「鯛の活き造り風」すらある


各種ソースが準備されているのがいかにも地中海風だが
新鮮なことは間違いありません


食べるのは
当然海を見ながら

ホテルの真正面にはビーチと言えるほどの浜辺はないので


お庭の海側ギリギリまで寝椅子が並ぶ





横から海際に降りられる



船が着けるように桟橋があり
その先端に


サン・ベッドがあります
向こうには「カラ・ロッサ」の赤い岩礁


その桟橋の先端から振り返ってテラスを見る
望遠なので近く見えるがこんなに近くはない


距離は少なくとも20mはある

 ビーチはこう








最後に
ホテルの先のパブリック・ビーチの方から振り返って
『カラ・ロッサ』を見てみよう



ポルト・ヴェッキオ湾のホテルは
まだ続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様の読後感やご意見をお待ちしています
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地中海の『美の島』 コルシカ島 5 < ポルト・ヴェッキオ > 東海岸で 一番たくさん 美しい海岸を持つ半島と湾

2021-08-18 00:41:54 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ポルト・ヴェッキオの「タマリッチウ海岸」

「地中海から突き出した高山」コルシカ島は
人間が作った美ではなく
地球の野生の美しさを保っているから「Ile de la Beauté 美の島」
と呼ばれてきた



Map by ⒸGoogle Map

(この地図で緑色の部分は平地というわけではなく緑地を意味し
緑でない部分は高山や荒れ地などはほとんど植物相の無いところを意味する)

「ポルト・ヴェッキオ」は湾の一番奥の町だが
行政圏は湾の周囲特に東側の半島も含む
その湾の内側と半島の外海側に非常に美しい海岸が無数にある

町自体はそれほど大きく感じないがコルシカの3番目の都市

湾を見下ろすやや高台に旧市街が広がる



町中には
ジェノヴァ統治時代のまだ小さな町を囲む城壁の城門(市門)が残っている


『Porte Génoise ジェノヴァの門』
当時の町の外側から見る市門


内側からだとこうなる

この「ポルト・ヴェッキオ」の湾と半島東側の外海に
コルシカでも最も人気のある浜辺が集中している


Map by ⒸPlages.tv

特に美しい人気の高いビーチが
「パロンバッジア」「サンタ・ジュリア」「ピナレッロ」「タマリッチゥ」
「カラタッジオ」「ポルト・ノーヴォ」
等である

順番に訪れてみよう
どの海岸もほぼ共通の状況として海沿いの狭い間道を行くと
海岸名の矢印がいきなり出てくる
適当に車を止めて雑木林を進んでいくといきなり美しい海岸に出るという寸法

「ポルト・ヴェッキオ」周辺で一番名高い海岸は
『Plage de Palombaggia パロンバッジア海岸』


こんな感じで浜辺にでる


岩のひび割れに根を張って
海風に耐えながら生き抜いてきた松の姿が『美の島』のエッセンスなのです


この角度の写真が「パロンバッジア」として目にする機会が一番多い










浜辺自体は結構長く
6月半ばから9月半ばまでの三ヶ月以外は
茶店のような人工物は一切姿を消してしまう

Photo by ⒸTonmag.fr


「パロンバッジア」のすぐ南の小さな岬を超えると
『Plage de Tamaricciu タマリッチゥ海岸』


浜辺に下りる前はこんな感じで


下りるとこうなる


湾の一番奥は白浜で


両サイドに行くと野生の松や岩場も多い


とても面白い形をした岩もある


海水は例によって限りなく美しい




海中の岩の裂け目に根付いた健気な木もあった
そして
海岸のどこにいるかで全く異なる光景にもなる





 ※

さらに南に続くその次の浜辺は『Plage d'Acciaju アッチアジュ海岸』


これまでのビーチより知られておらず素朴で静か






ここからほんの少しだけ海から離れるやや内側をの道を30分ほど走り
岬の付け根から下り坂で降りてゆくと
『Plage de Santa Giulia サンタ・ジュリア海岸』に着く

Photo by Ⓒecchio.hotels-corsica

「ポルト・ヴェッキオ」の東側の半島の東海岸を走って浜辺が見えてくると
坂を下ると細長い池があって
その池の横に細長い砂州に道にあり
砂州の先端部分が狭く池と海とがつながっている
その砂州の海側が実に美しい白砂の浜辺で「サンタ・ジュリア」というビーチ

砂州の中の道を来る時
池は見えるが海側は松林と生垣で見通せない
生垣はホテルがあるからで
しかし宿泊客でなくてもビーチにはいける





やはり6月半ばから9月半ばまではホテルの寝椅子とパラソルが並び
プラオベート・ビーチのような雰囲気だが
浜辺は長いので半分ほどはフリーに出入り出来る



ものすごく遠浅なのでボートのための長い桟橋がある
水はほぼ透明で浜辺の砂は真っ白



ホテルは砂州の中ほどにあり付け根と先端部に岩もある











今度は「パロンバッジア」から北側に行ってみよう
北隣のビーチは『カラタッジゥ』


『Plage de Caratgju』


その他のビーチと同じで林の中に浜までの道がある


この浜は「野生の海岸」というイメージが強い




白浜もあれば


玉砂利の海岸もある


海水の透明度も他に負けないほどに澄み切っている

Photo by ⒸU Pirellu
こうして遠景で見るとコルシカの「野生の海岸」のイメージが伝わると思います


今度は『Golffe de Porte-Vecchio ポルト・ヴェッキオ湾』
の内側に入ろう

Map by ⒸGoogle Map

いくつかあるうち「カラ・ロッサ」「ベベデットゥ」をご紹介しよう

まず『U Benedettu ウ・ベネデッテゥ海岸』



 中央部は白砂の浜で業者の寝椅子と傘があり





左右に行くほど岩場になる



こういう岩場の影の極小の砂浜が狙い目



「ウ・ベネデットゥ」の北東の先端あたりが
『Cala Rossa カラ・ロッサ海岸』

「Cala=一隅」「Rossa=赤い」
小さな岬の角に赤い岩が露出していて船からでもすぐ分かる場所
ということでこんな名前がついたそうだ


小さな岬の中は松林で別荘用コンドミニアムと大変素敵なホテルがあり
岬の入り口にはゲートで(昼間は開いている)
コンシエルジュが居るので入りにくいが普通に入れるのでご安心を




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地中海の『美の島』 コルシカ島 4 < アレーリア から バヴェーラ峠 を経て ポルト・ヴェッキオ へ > 古代ローマ都市 と 高山と

2021-08-16 00:22:59 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : アレーリア『ディアナの塔』

「地中海から突き出した高山」コルシカ島は
人間が作った美ではなく
地球の野生の美しさを保っているから「Ile de la Beauté 美の島」
と呼ばれてきた



国道が山側へ向かうのと海岸に沿って南下するのとの分岐点から
前回の5つ村々を右上に見ながら通り過ぎ
同じように山の上や中腹にある村が続く『カルタニッチア地方』の東の縁を
50km走ると『アレーリア』に着く

『Aléria』

国道の右側にほんの数メートル高くなった地形に村がある
国道で村の区域に入り程なく右に入る県道がありそこに入ると左手が
この写真の角度になる
一番右の四角っぽい建物が「マトラ要塞」で現「考古学博物館」
それに向き合って写真左手に「聖マルセロ教会」
ローマの遺跡はさらに少し向こう側

Photo by ⒸU Patrimoniu

この写真に写る左が村で中央がローマ遺跡
国道は村の左からまっすぐ来ているのがかすかに写っている


Photo by ⒸU Patrimoniu











ここに集落を作ったのは紀元前6世紀半ば
小アジアの地域紛争で逃れてきた古代のフェニキア人たちだった
その後ギリシアとの交易の中継点として栄えたようだが
考古学的には遺構は残っていない
フェニキアの都市カルタゴの時代には
ローマ以前のイタリア文化を築いた「エトゥリュスク人」との交易もあり
カルタゴ崩壊でローマの支配下に入り現在の遺跡の町が作られた
ロマーニャ地方の対岸とあって大いに栄えた

ただ全島に言えることだが
ローマ崩壊とともに「ヴァンダル族」の侵入で島中根こそぎ破壊されてしまう

その後のことは省力するが
18世紀後半まで5世紀間続くジェノヴァ支配に抵抗した独立運動の主導者
『パスカル・パオリ』の
『独立コルシカ共和国』の指揮下に入らず
抵抗運動に抵抗したジェノヴァ側の重要拠点の一つとなり
戦いの起点となったのが『Fort Matra マトラ要塞』である

『Fort Matra / Musée départemental d'Archéologie Jérôme-carcopino』

この要塞は1485年ごろにジェノヴァ共和国によって建てられた
ここに
遺跡からの出土品が集められて
『上コルシカ県立ジェローム・カルコピーノ考古学博物館』となっている

「マトラ要塞」中庭

展示室

ギリシア 赤絵だし壺 1


ギリシア 赤絵出し壺 2

古代ギリシア陶器には
赤土本体に黒土皮膜をかぶせて模様部分を赤土で表す「赤絵出し」
逆に
黒土本体に赤土皮膜で黒土部分で模様を表す「黒絵出し」
と二種類がある

クレタ 黒絵出し小壺

ギリシア 赤絵出し平杯

ギリシア 赤絵出し平杯 2

エトリュスク 馬頭杯

同 部分


犬頭杯

エトリュスク 壺

エトリュスク ライオン石像

エトリュスク ペンダント

エトリュスク 山羊 青銅


発掘現場の写真


同 2 ペットと思しき犬と一緒に埋葬


同 3 ペットの犬だけの埋葬



左にマトラ要塞 右に聖マルセロ教会


正面マトラ要塞 右聖マルセロ教会

『Ghjesgia San Marcello 聖マルセロ教会』


同内部 祭壇部

ここ「アレーリア」には「タニョーヌ川」という小さな川が流れてきて
村のすぐ近くで大きく蛇行しながら海に注ぐ
その河口を挟むように南北に池が二つ
「サレ池」と「ディアーナ池」
当然どちらも汽水池で北側のディアーナ池の狭まった出口から海に注ぐ先端に
15世紀ジェノヴァの建てた塔がある

『Tour Diana』

その海岸に素敵なレストランがありまして...

『Restaurant aux Coquillages』

シーフードてんこ盛りで出してくれるんですが個人的に気に入ったのが
これでした



では「アレーリア」を発ってもっと南下しよう

東海岸は平坦で海と付かず離れず15kmで『ギソナッチア』を通り抜ける
こんなビーチがあって

『Plage de Ghisonacchia』

ジェノヴァの塔もある



「ギソナッチア」を過ぎて

さらに15kmほど南下すると『ソレンザーラ』に着く
小さな村には不釣り合いなほど大規模で近代的なマリーナが有る他は


こんな
古いんだか新しいんだかよくわからない教会がるだけの村に
山側から『ソレンゾーラ川』が流れてくる

その渓流を遡って山国コルシカを訪れよう

『Rivière de Solenzara』

海岸の「ソレンゾーラ」から国道を離れて西へ
正確に言うと南西へしばらく「ソレンゾーラ川」に沿って山道をうねうねと登って行く




『cascade de Purcaraccia ピユゥカラッチャの滝』


『Piscine de Purcaraccia ピユゥカラッチャのプール』


幾つかの山々があるが
一番高い「バヴェーラ針峰」を中心として『バヴェーラ山塊』と呼ばれる


『L'Aiguilles de Baverra バヴェーラ針峰』

aiguille は針
見る位置により頂上が針のようにつきたっているのでこう呼ばれる
アルプスのモンブラン山塊に「エグィーユ・ディ・ミディ」という名峰があるが
同じ発想

標高は1,857mと特に高山というわけではないが
存在感は圧倒的だ





その主峰を見晴らす峠が『バヴェーラ峠』
標高1,217m


『Col de Baverra』

その峠の一角にケルンが積み上げられており
マリア様の像が飾ってあった


峠の直前にオーベルジュが一軒ある
他に食事どころがないので観光バスが停まっていることも多いが
山国の素朴で美味しい料理を味わえる

『Auberge du Col de Baverra』



コルシカ特産「イノブタ」の煮込み






山塊の山々は魅力的でそれほどの上級者でなくても登れるコースが多いので
登山家たちを引きつける





これらの山あいの県道は
ソレンゾーラから南西に山に入り「バヴェーラ峠」で下り勾配になり
数キロ走って「ゾンザ」から南東に角度を変えてまた海岸を目指す



実に爽快で車で走って気持ちの良い山道を下っていくと
また渓流があり滝もあって退屈しない

『Piscia di Ghjaddicu』

「ガッロのピッシア(おしっ○)」という愉快な名前で親しまれている滝と
それに続く天然のプールは素晴らしい


このまま山道を下って南西コルシカの主邑の一つ
『ポルト・ヴェッキオ』
を目指す
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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地中海の『美の島』 コルシカ島 3 < バスティア から レイリア へ > 島の東側を南下する

2021-08-13 00:01:46 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「ヴェスコヴァート村」

「Ile de lq Beauté 美の島」と呼ばれる『コルシカ(コルス)島』は
島ではなく
海からいきなり突き出した高山と言われる



上コルシカ県の県庁所在地「バスティア」を出て南に下る
島を海岸沿いに時計回りに回ってみて行こう
時折内側の山国に入り込みながら

国道198号線はバスティアから10kmほどで住宅密集地が途切れて平らな視界が開け
左側は海
右側は山

Map by ⒸGoogle Map

その頃から左側には沼沢地になる(道から離れているので見えない)
「ビグーリア池」
その先に空港がある(地図の買い物マークのところ)
バスティアから来て国道の空港と反対側(右側)の山の上に集落が見える
『ボルグゥ村』
標準フランス語で「ボルゴ」だがコルシカ語では「ボルグゥ」


『Borgu』

例えば空港から国道に出るとすぐ目の前に見えるので
コルシカ到着第1番目に目にする「山国コルシカ」の光景になる

『Eglise de l'Annonciation de Borgu ボルゴ受胎告知教会』

同 鐘楼と後陣


同 北側側面

同 南側側面

同 西側正面ポルタイユ

村の通り


村の家



村の中から山側を見る


村の西側から東の海を見る

下に幹線道路と「ビグーリア池」とさらにその向こうに海
海の中に見える『ピアノーサ島』(イタリア)はわずか40km

※  ※

そのまま国道を南に1km半進むとまた右手の山の上にも同じような光景が見えてくる
『ルチアーナ村』


『Lucciana』




バラ色に染まった教会が見えるがそれは

『Eglise Saint-Michel de Lucciana 聖ミカエル教会』


同 内部 身廊

同 北側側面
品から見える村の全景に見える教会は南の側面
北側は土地が斜面になっており
二階席に入る階段が外側に別につけてある


階段

北側側面

南側斜め後方から


村の中心部

家々

観光収入で豊かなプロヴァンス地方の村々のように修復などされておらず
時代の年輪が染み付いた生活感の汚れ方が「コルシカ」なのです




※  ※

「ルチアーナ」を過ぎて1kmほど南下すると国道は左右に分かれる
(上の地図のT10とT20)
右に曲がる(地図上では左)と山国に分け入って島の中央部に至る
左に曲がるとそのまま海岸に沿って南下する

その分岐点からまっすぐ正面の山際にコルシカらしい山里がいくつも並んでいる
『ヴェスコヴァート』『ヴェンゾラスカ』『ソルボ=オカニャーノ』
『ペンタ=ディ=カシンカ』『カステラーレ=ディ=カシンカ』『ロレート=ディ=カシンカ』

海沿いの方の国道を通るので右奥になるが
少し奥まっていて国道からは時折見えにくいこともあるが
そのような山里を次々と発見しながら走ることがコルシカの醍醐味といえよう
内側には村同士を結ぶ山道もあるが
国道から其々の村に向かう細く曲がりくねった道もある

まず「ヴェスコヴァート村」

『Vescovato』

村の東全景

村の外れの民家


中心の広場

村の下に古い橋



教会に行くには


こんな感じのアクセスがある


ごく古い時代の教会の部分を通る


内部は完全に17世紀後半古典主義というギャップが凄い

主祭壇



正面ファサードをしっかり距離をとって写せる距離はない


※  ※

次に「ヴェンゾラスカ村」

『venzolasca』

『Eglise Sainta-Lucia 聖ルチア教会』

同 正面

同 内部 バロック

同 側面入り口

『Chapelle Saint-Antoine-Abbé 大修道院長聖アントニヌス礼拝堂』

村内一景
この幅の狭い背の高い資格い家は極めてコルシカの山里的




沖にイタリアのピアノーサ島が見える


※  ※

さらに「ソルボ・オカニャーノ村」

『Sorbo Ocagnano』

『Eglise de l'Annunciata 受胎雨告知教会』


この教会は見る位置と目線の高さでかなりイメージが変わる


村の中心の広場は海まで見晴らせる位置にある

展望台広場

村自体も見る位置によってかなり違って見える
(これまでの他の村も同じだが)


こう見るとかなり小規模な村

これでは密度が散漫
そして


この位置が一番よく村の実態が把握できる
さらに
他の村も同じで村の位置から下に
海まで自治体の範囲はつながっているので
ビーチも有るのです

『ソルボ・オカーニャ村のビーチ』

※  ※

そして「ペンタ・ディ・カシンカ村」


『Penta-di-Casinca』





※  ※

また「カステラーレ・ディ・カシンカ村」


『Castellare-di-Casinca』

『Eglise de San Pancraziu 聖パンクラス教会』

同 側面


同 内部

※  ※

最後に「ロレート・ディ・カシンカ村」


『Loreto-di-Casinca』



『Eglise Saint-André 聖アンドレ教会』


このまま山岳地帯をその辺り全体を『カスタニッチア』と呼ぶ山国で
細く曲がりくねる山道を南へ分け入ってゆくと
山里の美しさに感嘆するのですが
そこは後日改めて一項を割くことにします

そしてこのまま
海沿いの国道をそのまま1時間ほど南下すると古代ローマ都市『アレリア』に到着する


そこは次回に見てみることにしよう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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地中海の『美の島』 コルシカ島 2 < バスティア > 北の中心都市

2021-08-11 00:21:26 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : バスティア「旧港」

「Ile de la Beauté 美の島」と呼ばれる『コルシカ(コルス)島』は
島ではなく
海からいきなり突き立った高山と言われる



コルシカ島は
右手を握った拳を親指だけ立てて内側から見ているような形をしている
左上から右下に袈裟懸け二切り捨てたように斜めの境界線で別れて
右上が『Haute Corse 上コルシカ県』
左下が『Corse du Sud 南コルシカ県』
と二つの県がある

Map by ⒸLa Documentation Française

上コルシカの県庁所在地は『Bastia バスティア』
南コルシカの県庁所在地は『Ajaccio アジャクシオ』
ちなみに島全体の首都は「アジャクシオ」

まず「バスティア」から訪ねてみよう

まず当然港から始まる


右の突堤から左が港で
フェリーが見える正面奥が新しい大きな港
左奥が旧港



旧港は他と変わらず
プレジャー・ボートと小型漁船の停泊地となっている


港に向かってすぐ奥に『洗礼者聖ヨハネ教会』がシンボリックに
港を見下ろす
港を挟んでこの協会側を「Terra Vecchia 旧市街」と呼び
古代フェニキア時代から人が住んで集落があった場所だが
教会その他仕様な建物は18世紀終わりフランスに帰属した頃に建て替えられている

港に向かい合ってすぐ左側
教会の反対側の小さな岬の岩の上に14世紀にジェノヴァ総督が館を建て
15世紀になって「Bastiglia 城塞」を建て城壁で周りを囲んだ
そこから町の名前「Bastia」が誕生することになった
その際「城塞」側を『terra Nova 新市街』と呼ぶようになった
現在も「Citadelle 城塞都市」として残っており
バスティアの「町」の起源となる

『Citadelle de Bastia』

「シタデル」を海側から見ると




塔は「Chapelle Santa Crus 聖十字架礼拝堂」



最先端

この城塞都を陸側から見れば

『Bastion San Ghjuvanni 聖ヨハネ櫓』

『Bastion San Carlu 聖カール櫓』

『Bastide Santa Maria 聖マリア櫓』

『Bastion San Gerolamo 聖ヒエロニムス櫓』

「シタデル」の港に近い側の角に
ジェノヴァ支配時代の「総督府」が建っている
現在は博物館になっていてこの外側の入り口から入れるが
総督府「Palais des Bouverneurs」自体は城壁の中からしか正面は見られない

『Porte Loius XVI ルイ16世門』

500年間に及ぶジェノヴァ支配の間コルシカ人たちは常に解放闘争を続け
住民弾圧が及ばなくなったジェノヴァはルイ15世に島を売却
フランス兵がバスティアに上陸すると
ジェノヴァからの経済的解放者として熱狂的に迎えられた
その後
ルイ16世に捧げる記念碑的城門が作られた

「Palais des Gouverneurs 総督府宮」



この「総督府丘で」の中は「バスティア市立美術館」になっている

総督府宮の中庭


『ギリシアの陶器』紀元前4世紀 アレリアで出土

『イタリア半島先住民族エトリュスクの壺』紀元前4世紀

『大理石の墓碑銘板』1〜2世紀 ルリで出土


『ジェノヴァ・アルビゾーラ・モンテルーポの彩色陶器』16〜18世紀

『ジェノヴァ共和国紋章入り総督府の椅子』1585年頃


フレデリック・ド・メルセィ『バスティアの港』1839年


リュシアン・ペリ作『バスティア遠景』20世紀初頭

イニアス・ルイ・ヴァレーゼ作『パスカル・パオリの肖像』19世紀前半
ジェノヴァ支配と戦って最初にコルシカ独立を宣言した
『自由コルシカ共和国』の初代大統領

『ナポレオンのデス・マスク』大理石 1833年

総督府宮の建物を海側に出ると城壁の上のテラスのでられる




「シタデル」の中に戻ろう

「Palazzu Zerbi ゼルビ邸」
現在1階はレストランになっているが
かつてのジェノヴァの有力者「ゼルビ家」の屋敷


『Palazzu di Nobili Dodeci ノビリ邸』

「Palazzu Viacuvile 思郷館」


『Ancienne Cathédrale de Santa Maria Assunta 被昇天の聖母マリア旧大聖堂』
16世紀ジェノヴァ統治時代のもの


同 正面を横から

身廊から内陣を見る

左が身廊 右が側廊


内陣部の天井

Leonoro dell'Aqula 作『被昇天の聖母』16世紀

この旧大聖堂に隣接してあるのが


『Oratoire Santa-Crus 聖十字架祈祷室』


北側入口

身廊

翼廊

翼廊祭壇部の天井

身廊祭壇部の天井


この礼拝堂にはパティオがある


南側入口



「シタデル」の中の道は狭い小径が多い





総督府から城壁の方を眺める

さらに
城壁を回ってみることもできる


こんな光景だったり


こんなだったり

昔の火薬庫




『テーラ・ヴェッキオ』側に戻ってみよう



「Terra Vecchia 旧市街」と呼ばれる地区のシンボルは
やはり『洗礼者の聖ヨハネ教会』


内部は他の教会と同様で
イタリアの影響が大きいコルシカならではの「バロック」と「ロココ」


聖ヨハネ教会から北に程なく
小さな礼拝堂がある
『Oratoire Immaculée-Conception 無原罪のお宿り祈祷室』




さらにその北側に
やたらに広い広場がある


『Piazza San Nicola サン・ニコラ広場』

長さ300mにも及ぶこの広場は
東側は眺望が海で大型フェリーが出入りするのがよく見える
そして
ナポレオンの遺体が「セント・ヘレナ島」からフランスに帰ってきた頃建てられた
「古代ローマ皇帝の衣装の皇帝ナポレオン」像が建っている



こちら側「テッラ・ヴェッキア」には伝統的な民家は多い


一応修復されているものも


まだ修復の手の及んでいないものも


新建築も伝統建築に準じた意匠で建てられ
同じように「オークル(黄土)」で化粧されている

では
次回から島を一周しながら各景勝地を訪れることにしよう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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告別企画 < トロカデロ広場 宴が去って 次の宴が始まる > 『8月8日 東京からパリへ バトンは渡ったセレモニー』 

2021-08-09 01:38:41 | 特別企画
巻頭写真 : 『Cérémonie du Passage J.O. Tokyo à Paris à Jardin du Trocadéro』


開催が大いに疑問視された『東京五輪2020』の閉幕式が行われた8月8日
同時進行で
パリ「トロカデロの庭園」での受け渡しセレモニーが行われた

設営準備中の会場

パリのトロカデロ広場に立つ「シャイヨー宮」のセーヌ河側
一段低くなる斜面にある大噴水の池に蓋をして
中央特設ステージとそれにつながるキャットウォーク
中央ステージ背後と左右にオーロラヴィジョン3機
水の噴霧器を兼ねた巨大スピーカー10機ほど
などをしつらえて

東京での閉会式の開始直前に

Photo by Ⓒleprogres.fr

背後のエッフェル塔の上部から
旗として世界最大の「パリ五輪旗」をたなびかせるはzyだったが
当日の今日はか座があり急遽中断
テレビ画面には咲く術のリハーサル時の映像が流された

『Drapeau des Jeux Orimpiques de Paris 2024』

フランス語で「町」は「Ville ヴィル」と言い女性名詞
パリを思わせる女性の顔と五輪の炎と両方をイメージさせる
「パリ五輪2024の旗」


東京で五輪旗がパリ市長「アニー・イダルゴ」に手渡されるとき
「東京2020➡️パリ2024』の表示が現れ


『パリ2024』に変わると
パリ五輪組織委会長『トニー・エスタンゲ』
男子カヌー・スラローム選手
2000年シドニー
04年アテネ
12年ロンドンで金メダル

それに居並ぶ
『フィリップ・カンデローロ』
男子フィギュア・スケート選手
1994年リラハンメル
98年長野で銅メダル

『マリー・ジョー・ペレック』
女子陸上選手
1992年バルセロナで400m金
96年アトランタで200mと400mとで金

『ローラ・フェッセル・クロピク』
現スポーツ大臣
女子フェンシング
金3+銀1+銅2

『アラン・クリア』
男子フィギュア・スケート選手
1964年インスブルックで銀

などの組織委関係者が居並び



まだ東京にいるフランス人メダリストたちに
テレビがインタヴューしている映像がリアルタイムで流れる

すでに帰仏した東京2020のメダリストたちが
中央のキャット・ウォークを通って
ステージへ




100mほどのキャット・ウォークを
進んだり振り向いたり立ち止まったり大変な騒ぎでステージを目指す



柔道男女複合団体で金メダルを獲得した
男子100kg超級のリネカーが通る時は熱気が最高潮に盛り上がった
さすがは
日本以上の柔道人口を誇る柔道大国フランスだけのことはある

東京での閉会式が終わった後
ステージのメダリストたちが姿を消した後は
ジャズロックのバンドのコンサートで熱気は去らない

会場の全体的な風景はこんな感じに成る


一番高い位置の「シャイヨー宮」のテラスに行ければ
会場の中央ステージを正面にみおろせる
しかし
混乱を避けるために警察が見張っていて
テラスには入れない


「シャイヨー宮」の横からすり抜けて下って行くことになる






実は会場自体は茅のゴザ様のもので塀を作ってあり
自由に出入りできなくしてあるのです




ここは元来
東京五輪期間中オーロラヴィジョンで(フランスの)テレビ中継を
大勢で楽しもうと作られた会場


そして
入場するには「ワクチン接種証明書(日本でいうワクチンパスポート)」と
証明書の本人かどうかを確認する身分証明書を提示する必要がある


枠外から入り口ゲートを見る


ゲートは二箇所


これは接種証明書の確認を済ませてくる人たち


1番ゲートです


今はロックジャズのコンサート中
スクリーンは正面ステージ背後とその左右に離れて計3基




すごい人ですが
全員予防注射を2回接種済みの人たちだけなのです


テレビのクルーは
朝から中継をやっている


巨大なスピーカー・システムを収めた櫓は水の噴霧器にもなっていた






例の「キャット・ウォーク」はこれ


歌っていたヴォーカリストが「ウォーク」に出てきているらしい



キャップをかぶった白いブルゾンの髭のお兄さんがヴォーカル


実はこのバンド『Woodkid』という結構有名なジャズロックのグループで
スクリーンにグループのロゴだ映し出された


ヴォーカリスト




中心から外れると
「パリ2024五輪旗」と一緒にこんなポーズで写真撮ってる人もいたり



一番背後の「五輪マーク記念碑」で写真撮る人も多い




噴霧器は4〜5分くらい働くと同じくらいの時間休憩します


一人のおじさんが各国の小旗を配ってました
日の丸はなかった(笑)
もう「パリ2024」ですからね
フランスの「トリコロール」もらいました


テレビのクレーン・カメラのポールと
エッフェル塔と
トリコロールを
三本並べてスリーショット



会場を出てセーヌ河から振り返ってみる
ちょうど観光客を乗せた赤いテュフテュフが走ってきました




会場を背に橋を渡ると
コンサートの大音響に誘われて多くの人たちがこちらに向かってくる


会場の方向を河越しにもう一度振り返る



橋の上は人が数珠つなぎで向こうに歩いているのが見えました

3年後のパリではコロナは収まっているのでしょうか
個人的には
東京は中止するべきだったと今でも信じて疑いません

選手たちの活躍は喜ばしいことですし
開催されるかどうか不安だった世界中の選手たちが
大変な状況下で強引にでも開催してもらえて
自分たちの人生をかけた努力の結果を示せたことの嬉しさも理系できます
各国選手たちの「ありがとう」の声は率直に「よかったね」と思います

でも
開催するべきではなかった

次回からは『コルシカ島』の探訪に戻ります
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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地中海の『美の島』 コルシカ島 1 < 序章 > 

2021-08-06 00:19:07 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 城塞の町『コルテ』

「Ile de la Beauté 美の島」と呼ばれる『コルシカ(コルス)島』は
島ではなく
海からいきなり突き立った高山と言われる



地中海で
「シチリア島」「サルデーニャ島」「キプロス島」
についで4番目に大きな島『コルシカ』は
面積8600km2で鹿児島県と広島県の中間くらい
南北150km 東西(広いところで)80km
人口は34万人弱

島なのですが
海岸からいきなり山岳地となり
最高峰2700mの高山のほか2000m級の山々7座を有し
「地中海に突き出した高山」
と呼ばれてきた



真北はジェノヴァで150km
北西側 ニースまで220km マントンまで180km
東のイタリアはトスカナの海岸まで90km
その中間に「エルバ島」がある

1788年にフランス王国に売却されるまで500年ジェノヴァ共和国が支配し
その前はピサ共和国
その前はアレクサンドリアの海賊の支配下にあり
その前はゲルマン民族の最も残虐だったヴェンダル族に徹底的に破壊され
その前は西ローマ帝国の領土
その前はカルタゴ...
フランスの一部になるまで一度も独立したことがなく
常に民族運動で支配者への抵抗運動や内乱が続いた

今回の「コルシカ・シリーズ」では
土地の固有名詞をなるべく現地語コルシカ語読みの表記にしてあります

一応島なのでコルシカは海だ

ユネスコ世界自然遺産『スカンドーラ海岸』


手を浸すと紺色に染まりそうな紺碧の海か

パロンバッジアの海岸

淡い透明なアクアマリンの様な海が周りを取り囲んでいる

主だった町は当然ながら海岸にある


『ボニファッチョ』

『カルヴィ』

しかし
地中海からいきなり突き出した山である以上
コルシカは山でもある

『Monte Cinto モンテ・チント』

コルシカ最高峰「チント山」は標高2,706m
地中海の暑い夏でも
北側の頂上付近の斜面の一部には残雪が見られることも稀ではない

「バヴェーラ針峰群」

「カプ・ドルト」

したがって魅力的な山里も多い

「ソヴェーリア村」

「サルテンヌ」

そして
山には湖や渓流も多い

ロトンド山塊に抱かれた「メロ湖」


メロ湖から発する「レストニカ川」


「ピスカラ・ディ・ガリュの滝」

「プルカラッチアの渓流」

「ファンゴー川」に掛かる13世紀ピサ占領時代の橋

特筆すべきは
島全体の斜面を覆う野生の植物群
潅木の雑木もあるが
多くは栗の木や仏手柑やプラムやらライチその他の野生の果物の木と
あらゆる種類の薬草とハーブと花々
それら全部の植物相をコルシカ語で『Maquis マキ』と呼ぶ

コルシカはマキ


集落を離れて自然の中に立ち
深呼吸すると
「ターメリック」「ミント」「にんにく」
などの懐かしい香りがミックス状態で漂ってくる
それが「コルシカ」

さらには
先史時代の遺跡も多い

「フィリトーザ遺跡」

 忘れてはならないことは
コルシカ島は「ナポレオン」の故郷ということ
彼の生家もあるし
各種モニュメントも多い


皇帝になる前の「第一執政」時代のナポレオン像

次回から
この「美の島」を具体的に町や村や見どころを順に
たどりながら御紹介していこう
海の幸と山の幸に恵まれて
素敵なホテルもあります

ご期待ください
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想やご意見ご要望をお送りください
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パリで美術三昧 < ガブリエル(ココ)・シャネル回顧展 後編 3/3 > パリ市立モード博物館/ガリエラ宮

2021-08-04 00:16:09 | 素晴らしき世界/パリ/美術
巻頭写真 : 『64年 65年 69年 の作品』



第二次世界大戦『欧州大戦』(1939〜1944)終了後
ガブリエル・シャネル
1945年モード界復帰第一作

『フォーマル・ドレス』1945年春夏
アイヴォリーのコットン・テュール  金糸刺繍
ゴールド・ラメのホワイト・オーガンジー

その前に
一度戦前の作品をもう一度ご紹介しておこう

左『イヴニング・ドレス』1933年春夏
黒のシルク・テュール  アイヴォリーのシルク・ポンジィ(絹紬)

中「イヴニング・ドレス」1929年から30年秋冬
ブラックのシルク・テュール  ブラックのシルク・クレープ
アイヴォリーの機械編みレース

右「イヴニング・ドレス」1930年
ブラックのシルク・レース




『イヴニング・ドレス』1954
シルク・テュール  黒刺繍糸で縁取り刺繍

『イヴニング・ドレス』1957年から58年秋冬
赤のシルク・ヴェルヴェット  黒シルク・シフォン

『カクテル・ドレス』1959年春夏
黒のドグニン・レース




『ブローチ』1959年

『カクテル・ドレス』1959年春夏
黒ドグニン・レース


右『イヴニング・ニュース』1955年春夏
赤シルク・モスリン

中『イヴニング・ドレス』1970年から71年
赤シルク・モスリン


左『ドレス』1966年から67年秋冬
黒のシルク・モスリン  黒糸刺繍のアップリケ


『映画衣装』1961年
黒シルク・クレープ 黒タフタ
女優デルフィーヌ・セリグが
1961年の作品『去年マリエンバードで』で着用した衣装


『映画衣装』1961年
ゴールド・ラメ
同じくデルフィーヌ・セリグが「去年マリエンバードで」で着用



『イヴニング・ドレス』1957年から58年秋冬
黒シルク・ヴェルヴェット  黒シルク・ガーゼ

『ドレス』1964年
黒のコットン・クロッケ(膨れ織り)  黒のオーガンジー

左『テュニックとスカートのアンサンブル』1960年春夏
黒のシルク・クレープ  黒のラレックス糸のラメと黒シルク・コード  金メッキメタル

中『ジャケット、スカートとブラウスのテーラード・スーツ』1961年から62年秋冬
黒のセロファン・ヴェルヴェット  アイヴォリーのデュシェス・サテン
黒のガラリス

右『ドレス』1963年から64年秋冬
黒のパイエット・ビーズで総刺繍したシルク・テュール


女優「ロミー・シュナイダー」が着用したもの


『カクテル・ドレス』1961年から62年秋冬
ブッコル社製「フロッシュブリーユ生地」  黒のナイロンとセロファンのテュール
黒ラッカー仕上げのサテン・リボン

『ドレス』1961年から62年秋冬
ゴールドとシルバーのラメの膨れ織り

左『ドレス』1960年
アイヴォリーのコットン・テュール  コットンとシルクの金糸刺繍  金ラメ
ホワイト・オーガンジー  アイヴォリーのシルク・クレープ

右『スーツ』1962年から63年秋冬
ゴールド・ラメ  アブサン色シルク・オットマン(横畝織)

『イヴニング・ドレス』1964年から65年秋冬
黒のモール糸とラレックスの変わり織  赤シルク・ヴェルヴェット


左『イヴニング・ドレス』1967年から68年秋冬
ナイロンの網細工  ホワイトの捻り織レーヨン  虹色セロファン クレープ
モスリン  アイヴォリーのシルク・シフォンとシャルムゥーズ

右『イヴニング・ドレス』1967年から68年秋冬
ネイヴィのシルク・クレープ  淡青のシルクのモスリンとタフタ

そして1960年に入って
いよいよ「シャネル・スーツ」が登場する

  
 『スーツ』1961年から62年秋冬
ピンクのウール・ジャージィ  ルラックスとナイロンのラメ
ブッコル社の『ムスタファ生地』

1960年代に入り
ゴールドのラメを多用するようになって
ゴールドが夜の衣装限定から昼にも身につけられるようになった
「ムスタファ」という生地が
メタリックな光沢を備えてゴールド色と」方向性が一致し
1965年からは
小粒の人造パールで縁取ったボタンや「ダブル C」のボタンも登場する

『スーツ』1961年から62年秋冬
ウール・ツイードにゴールドのメタリック糸  フランボワーズ色のシルク・ポンジェ(絹紬)

もともと
ここ「パレ・ガリエラ」には『ガブリエル・シャネル・ギャラリー』という
彼女に捧げられた名前の付いたギャラリーが地階にあるのです


そこに
今回の「特別回顧展」でも60年代以降の「スーツ」が
一堂に会しておりました


1950年台後半にはすでに「雛形」は存在していた

『スーツ』1958年から59年秋冬
レジュー社のフレック(細かい斑点)の茶と白のツイード  金メッキのメタル

そして発展型が次々と登場してゆくこととなる


『スーツ』1959年末
オフ=ホワイトの膨れ織りウール・ニット  ネイヴィの飾り紐の縁取り
モナコ大公国『グレース大公妃』が着用されていたもの

左『スーツ』1960年から61年秋冬
ビュール社製白ウール・ニット  ネイヴィのウールニットで縁取り シルク・ポンジェ(絹紬)  金色メタル

中『スーツ』1963年から64年秋冬
アイヴォリーのウール・ツイード  アイヴォリーのシルク・ポンジェ  アイヴォリーとネイヴィのウールボカシ染め飾り紐で縁取り

右『スーツ』1959年末
ベージュとプルーン(赤紫)のツイード  プルーンの縁取り  金色メタル
モナコ大公国『グレース大公妃』が着用されていたもの

『スーツ』1961年
細糸織りツイード  グロ=グラン(絹の畝織り) ネイヴィの組紐フケシア
金メッキのメタルとイミテーション・パール
ベルギー王国『パオラ王女』が着用されていたもの


『スーツ』1961年春夏
ボカシ染め細糸織りのツイード  ネイヴィの飾り紐付き赤のグロ=グラン(畝織り)


『ジャケットとスカート モダン・ブラウス』1961年から1962年秋冬
多色フレック・ツイード  黒のグログラン  

『スーツ』1962年春夏
ベージュのツイード  黒のシルクの縁取り


『ドレス』1962年から63年秋冬
白のコットン糸でキルティング縫い目を入れた黒のウール・ニット  金色メタル

『スーツ』1962年から1963年秋冬
黒シルク・ヴェルヴェット  黒のシルク・サテンのリボン  金色メタル


『スーツ』1964年から65年秋冬
フレックのベージュのツイード  金メッキのメタル  ピンクのシルク・クレープ・ド・シーン

『スーツ』1964年から65年秋冬
フレックのベージュのツイード  金メッキのメタル  ピンクのシルク・クレープ・ド・シーン

左『ジャケット、ブラウスとスカートのスーツ』1964年
白とネイヴィのチェック柄ツイード  ネイヴィーでプリントした白シルクのテュイル

中『ジャケット、スカート、シャツとタイのスーツ』1969年
ネイヴィと白のチェックのウール・ニット  白コットンのポプリン  黒のシルク

右『スーツ』1965年
ネイヴィでプリントした千鳥講師の白のシルクのクロッケ(膨れ織り)


『スーツ』1964年から65年秋冬
オフ=ホワイトのツイード  ネイヴィと赤のウールでブレード


『スーツ』1965年から1966年秋冬
ネイヴィのツイード  膨れ織りの赤のシルク  ネイヴィのガラリス  金色メタル

『スーツ』1968年春夏
ネイヴィとピンクのボーダー柄プリントのシルク・テュール
女優『メレーネ・デートリッヒ』が着用したもの

『ジャケット、スカートとベルとのスーツ』1970年
マレスコット社社製ファンタジー(変わり織り)アイヴォリーのウール・ジャージイ

『ジャケット、スカートとベルトのスーツ』1970年
マレスコット社黒ファンタジー・ウール・ジャージー
女優『マレーネ・デートリッヒ』が着用したもの

コートもあります

まず1950年代のもの


『コート』1954年春夏
アイヴォリーの広幅織りウールとシルク・クレープ  真珠貝

そして60年代に入る

『ドレスとコートのアンサンブル』1962年春夏
アイヴォリーのブックル・ツイードとシルク・クレープ  金色メタル

『コート』1961年から62年秋冬
黒の膨れ織りシルク  白のミンク  金色メタル


『ドレスとコートのアンサンブル』1962年春夏
赤のウール  ラズベリー(赤紫)のキルト模様シルク・タフタ

『ドレスとコートのアンサンブル』1962年春夏
ネイヴィの広幅織りウール  アイヴォリーのシャンタン


『ドレスとコートのアンサンブル』1965年から66年秋冬
ネイヴィのツイード  赤の幅広織りウール  金色メタル
  
『コート・プリッセ(毛皮月コート)』1966年から67年秋冬
チェック柄行き浮き出し織りの黒ウール  刈り込みビバーのファー  黒ガラリス  金色メタル

変わり種も

『ドレスとケープのアンサンブル』1968年から1968年
ゴールドのクロッケとラメ  ゴールドのシルク・オーガンジー  メタルと螺鈿

この項
字数が足りませんのでここまで
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想をお寄せください
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パリで美術三昧 < ガブリエル(ココ)・シャネル回顧展 中編 2/3 > パリ市立モード博物館ガリエラ宮

2021-08-02 00:42:22 | 素晴らしき世界/パリ/美術
巻頭写真 : 『Palais Galiera/Musée de la Mode de la Ville de Paris』



前回に引き続き「シャネル回顧展」中編です

1920年代に織物生産技術が進歩し
フランスの織物メーカーが新趣向の布地の生産を始めた
シャネルはそれらの業者と連携して
女性モードに新素材で新しいラインを作り出して行った


『コート』1918年
黒シルク・サテン  アイヴォリーの絹糸でポアン・アヴァンセ刺繍
茶の毛皮





『コート』1922年
クレープ地に多色絹糸と金糸のポアン・ド・シャテーニュ刺繍
現代的な毛皮

左『ドレス』1922年から1923年
黒のシルク・クレープ  黒玉ビーズの刺繍




右『ドレス』1922年
黒のシルク・シフォン  黒玉ビーズの刺繍



『ドレス』1923年
加工した黒のウールと銀糸  黒のポンジー(絹紬)





左『イヴニング・ドレス』1929年から30年秋冬
ブルーのシルク・テュール  ファンタジックなブルーのスパークリング刺繍

右『イヴニング・ドレス』1938年から39年秋冬
黒のシルク・テュール  黒のスパンコール


『アンサンブル』1937年から38年秋冬
クロビーズで総刺繍したシルク・テュール  アイヴォリーのシルク・モスリン
アイヴォリーと真珠色のシルク・レース
アメリカのモード誌「ヴォーグ」編集長『ダイアナ・ヴリーランド』が着用したもの


右『イヴンング・ドレス』1938年から1939年秋冬
ミッドナイト・ブルーのシルク・テュール  金糸の刺繍




左『イヴニング・ドレス』1939年
ミッドナイトブルーのシルク・テュール  ミッドナイト・ブルーとシルバーの菅ビーズ刺繍 






左『ケープ』1925年春夏
黒のシルク・クレープ  雄鶏の羽

右『ケープ』1925年春夏
アイヴォリーのシルク・クレープ  雄鶏の羽




左『イヴニング・ドレス』1927年春夏
アイヴォリーのシルクのクレープとフリンジ

右『イヴニング・ドレス』1926年から1927年秋冬
ミッドナイト・ブルーのクレープ・ジョーゼット  シルクのフリンジ






左『イヴニング・ドレス』1921年
ネイヴィ・ブルーのクレープ・ド・シーン  同系色のスパンコールとキラキラの刺繍
ミッドナイト・ブルーのポンジー(絹紬)  ロイヤル・ブルーのクレープ・ジョーゼット

中『ショート・イヴニング・ドレス』1927年から29年秋冬
ブルーのシルク・クレープにブルーの玉ビーズ刺繍

右『ショート・イヴニング・ドレス』1920年代

ガブリエル・シャネルは
1925年には時のウエストミンスター公爵に招かれて
チェルシーのエクレストンニアる公爵の城『Eaton Hall イートン・ホール』
での夜会に参加した




また
「マルセル・アシャー」の劇団とコラボして
「THéâtre du gymnasse ジムナス劇場」での『アダム』の公園に
衣装製作で参画した


「アダムの舞台衣装」1930年11月

ところで
ここまで「戦前」「戦中」の時代における「ガブリエル・シャネル」の
創造の軌跡を辿ってきたが
その時代におけるもう一つの大きな発明を欠かすわけにはいかない

そう
香水であります。

『Parfum Chanel No.5』

世界中で香水の代名詞のように語られる
『シャネルの5番』は1921年に登場した
ココはそれまでと全く違うものにこだわった
それまで
ジャスミンやラヴェンダーやバラや乳香やジャコウなど
ある単体の動植物の香りとして使われてきた身元の分かる「フレグランス」というものではなく
彼女は構築された「パッファン」という概念での新しい香りを求めた
そのココの求めに応じて『エルネスト・ボー」という職人が
80種を超える香りの元を調合して
新しい概念の「パッファン 香水」を作り上げた
イランイランやグラースのラヴェンダーと五月のバラなど
希少な花々の香りに
微妙な量の森の香りやスパイスのアクセントをつけて調合された



その後業界全体で
抽出された香りのエッセンスを10〜15%含むものを「パッファン 香水」
同10〜15%のものを「オー・ド・パッファン」
同8〜10%のものを「オー・ド・トワレット」
と法的な区分基準で
エッセンス分が薄く割安なものも作られるようになり
大小さまざまなクリスタル・ポットで商品化され続け
「No.5」は世界で最も数多く販売された香水ということになっている


「ええ、ご存知の通り、たくさんのいろんな質問をうけますわ」
「例えば "夜は何を着て寝まれるんですか" 
"パジャマの上だけとか?" 
"パジャマの下だけとか?"
"それともネグリジェですか?"
"それならどんな種類の?"
なんてね。
それで答えたんです "シャネルの5番よ" って
だってそれ事実なんですもの」
笑いが起こる
「それでね、私は別に裸で寝るとは言ってませんのよ」
「お解り?」
「でもそれが真実なんですもの」
(マリリン・モンロー)

ココ本人の中で
「香水」は見えない「アクセサリー」という感覚であった


さらに
「ジュエリー」も20年代から始まる
彼女にとってのジュエリーは衣服自体の要素の一部で
希少宝石とフェイク(ファンタジー・ジュエリー)の間に境界線を引かず
両者を同時に使って
付ける場所も「袖口のカフス部分」や「袖」「肩」あるいは「帽子」と
それまでのジュエリーの扱い方の概念を変えた

『ネックレス』1920年代
中央」のどの位置から下に一列と
上から二列目の中央の左右とだけライオンが吠えている

『(上)ネックレス と(下)ブレストプレート』1925年

『(中央)ネックレス と (左右)イヤリング』1928年

『(左)ネックレス  (中)ネックレス 』1930年
『(右)ネックレス』1939年から38年

『(左)ネックレス』1937年
 (中)ブレスレット (右)ブレスレット』1939年

『(左・上下)イヤリング (右上)ネックレス』1938年


『(左上)ブレスレット (右上)ブレスレット/クリップ』1930年から39年
『(左下)ブローチ (右下)ブローチ』1930年から39年

ここまで
戦前の時代を生きた「ガブリエル(ココ)・シャネル」の軌跡を辿ってきた
1939年からに欧州大戦がはじまり
モードの世界はひたすら息をひそめるのみとなった

ココがモードの表舞台に復活するのは
対戦終了5年後の19454年
その年に女性モード週刊誌『ELLE』がいち早くシャネルの後押しを始める


1957年8月10日号 「シャネル 新しいシャネル・モードを発表」

「エル」という雑誌は終戦の翌年1945年に「エレーヌ・ゴードン=ラザレフ」
によって創刊
単なるモード雑誌と一線を画し
他社と違うリベラルな筆使いで女性報道誌としての地位を獲得し
女性の自由な社会進出を後押ししており
シャネルが復活すると同時に定期的にシャネルの動向を報道した

『エル 1947年8月12日号』 「シャネル 新たなシャネル・モードを再発信」

『エル 1957年10月28日号』「シャネルの新しいシャネル流のテクニック」

『エル 1961年2月24日号』「正式発表前に61年春物新作を発表」

『エル 1961年8月25日号』「シャネルの勝利」

『エル 1958年12月1日号』「今後エルの全号でシャネルのテーラード・スーツの型紙無料提供」

エルは(シャネル本人の暗黙の協力で)
シャネルのスーツの型紙を無料で1点ずつ掲載すると発表
それらのモデルは単純に「プティ・シャネル」と名付けられた

『エル1959年12月4日号』「シャネルの無料型紙の秘密」

『エル 1961年2月17日号』「シャネルのエル/春の新作テーラード」

『エル 1963年2月15日号』「シャネル」


『エル 1969年9月29日号』「魅力的なプティ・シャネル 本物の宝石」

『エル 1970年3月2日号』「シャネルの眩いホワイト」





CASSANDRE 作『Portrait de Gabrielle Chanel』 1930年 油彩

では今回はここまでにして
次回「シャネル回顧展 最終回」で
皆様方のどなたもご存知の
戦後のシャネルの全貌を辿ってみましょう
お楽しみに
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
【お願い】
皆様方の「読後感」「読前感」を是非お寄せください
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