ブルゴスの街の中央門
『サンティアーゴ・デ・コンポステーラ巡礼路』は
バスク
レオン
カンタブリア
アステリウス
と
スペイン北細部を西に横切っていく
巡礼路
といえばカテドラル(大聖堂)
ブルゴスの大聖堂といえば
サンティアーゴへの巡礼者たちの大きな札所
サンタ・マリーア・デ・ブルゴス大聖堂
13世紀前半に建立が始まった時
時の司教がフランスへの旅から持ち帰った設計図や資料を元に
最先端技術であったゴシック様式で
建設が始まったそうな
その後
15世紀の司教が
前任地バーゼルから持ち帰った
北方建築のドイツ・フランドル様式のゴシックで
伴ってきたフランドル人の工人たちで
増築がなされたという
正面の二つの塔の尖塔部はその時に付け加えられたもの
その尖塔のおかげで
24mm程度の広角レンズでは
全景が画角に収められない
ちなみに横からの全景も
結構広い広場であるにもかかわらず
手持ちのレンズでは全景は収まらなかった
通常の西側正面から入らず
側面
南翼廊から中に入る
十字架型平面の十字架頭部「内陣」の
高位聖職者と聖歌隊の席が
細工が素晴らしい
「旧約聖書」と「新約聖書」の
情景が
絵物語として克明にレリーフされている
正面主祭壇の背面画(ルターブル)も
見事な金張り木製レリーフの組み合わせ
幾つかある小祭壇
も
見事なルターブルを持つ
十字架型の平面図の交差部が
ランテルヌ(明かりとり)の大クーポラ(円蓋天井)
そして
他にも幾つかある小礼拝室の一つも
見事なゴシックの透かし天井ヴォールトは
スペイン(とポルトガル)の教会建築の
お約束
そこの小祭壇のルターブルも
必見
16世紀ルネサンス期の階段も
美しい
手すりの鋳鉄の細工はフランス人の親方の手になるものだそうだ
その階段下に
銀細工の見事な台車が
ひときわ皆の目を惹きつけている
毎年
聖週間のマリア像のパレードの山車に使われる
スペインの教会はどこも
必ず
彩色され豪華な衣装を身に纏ったマリア像が
大切に守られている
複数あるときは
必ず1体は涙している
セヴィリアの『マカレナ』と呼ばれる涙のマリア像が
特に名高い
毎年復活祭の前の一週間
「最後の晩餐」から「逮捕」「処刑」「復活」までの
日々を一週間にまとめて『聖週間』と呼び
町内の教会のマリア像を着飾らせて
町中を練り歩く
修道院部分のある部屋の『ムデハル様式の天井』
1492年
グラナダ陥落で全イベリア半島をキリスト教徒スペイン人が取り返した時に
北アフリカに逃げずに
スペインに帰化して残ったイスラム教徒の職人たちが
カトリック王家のために働いて作った城や宮殿の装飾を
『ムデハル』という
そして
ここ『サンタ・マリア・デ・ブルゴス大聖堂』の
特筆すべき宝物が
この
『マグダラのマリア』
この作品は
長らくレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子ジアンペトリーノ作
と言われてきたが
もしかするとレオナルド・ダ・ヴィンチ本人の作か
少なくとも
レオナルドの筆もかなり入っている
と
最近の研究で言われるようになった
聖堂内には
古の
高名な司教たちや国王の墓もあるが
特に注目すべきが
『エル・シド』とその妃の墓碑
彼は
ブルゴスの郊外で生まれた
彼の偉業をたたえる
古い銘板もあった
ちなみに
内部に飾られていた装飾の中に
「巡礼者」のシンボルの一つで必携の「ひょうたん」があった
水をいれ
杖の上部にくくりつける瓢箪
そして
帆立貝をブローチのように胸に止める
それが
巡礼者たちの身分証明だった
中世から近世にかけて
この姿で戸口を叩かれたら
夕餉を振る舞い
一夜を過ごすベッドを提供しなければならなかった
※
外に出ると
大聖堂横に広場に
巡礼者を表す銅像が座っていた
観光客や巡礼の旅人が交代で
同じベンチに座り
彼の右腕に抱かれる様ににして
写真を撮っている
『サンティアーゴ巡礼路の札所』ブルゴスらしい
微笑ましい光景だった
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