行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

ブルターニュ紀行 64 < ブルターニュ防衛線を辿る 1 マッシュクゥル から 東へ >

2021-06-30 00:15:55 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 「マッシュクゥル」城址

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
64



『Les Marches de Bretagne』
という言葉があります
普通の意味では
「ブルターニュの歩み」「ブルターニュの足取り」等としか訳しようがないのですが
『ブルターニュ祖国防衛線』
とでもいうような意味の言葉であります

Map by  Ⓒtourisme-marchesdebretagne.com

上図の赤い点と数字がブルターニュの地域内
黒い点と数字はライバルのフランス王室系諸侯領

話は古代の西ローマ帝国の崩壊にまで遡る
西ローマ亡き後
「蛮族」が群雄割拠し互いに戦っては滅び
他部族を征服しながら進軍し地中海の島々を荒らし回り
北アフリカにわたって消えてしまったり
途中で定着したりして
初期西欧国家郡が誕生してゆく
その過程で勢力を拡大したのが「フランク族」だった


青く塗られた部分が「ピピン父」が築いた『カロリング王朝』で
それを引き継いだ息子「シャルル・マーニュ(カール大帝)」が征服して併合した領土が
オレンジ色で表される
北から
「ザクセン」「バヴァリア」「ロンバルディア」
左下は
コルドバ王国から奪ったピレネー山脈の両側の麓で
『Marches Espagnoles エスパニア防衛線』と呼ばれる
そして左上に
「ブルトン人」から奪った土地で
後の世までフランスとブルターニュとの最前線としてシコリが残る
『Marches de Bretagne ブルターニュ防衛線』

ちなみに黄色の部分は「土豪国」と呼ばれて
大フランク王国
所謂神聖ローマ帝国の版図に含まれない部分
ブルターニュもまさにその部分だった
つまり「辺境の地」という扱い

ここでいう「Marches」はシャルル・マーニュが征服行動で遠征した
「長征戦役」の場を意味し
ブルターニュ側は後々の自分たちの領土をフランス王室から守る抜くための
「生命線」で会った

したがって
拠点となる城郭都市が
双方にらみ合うように北から南へと並ぶ結果となった
その線に沿って
南から順にご紹介していく
まず最初の絵図の南限④番から訪れてみよう

『Machecoul マッシュクゥル』

『Château de Machecoul ou Château de Gilles de Rais』

この「マッシュクゥル城」は別名『ジル・ド・レの城』と呼び習わされてきた
この「ジル・ド・レ」という貴族は
百年戦争後期のフランス側の諸侯の一人で
敵国イングランドのみならず自国フランス側にも多くの敵を抱えていた
『ジャンヌ・ダルク』の数少ない側近として
最後まで彼女を護った人物として名高く
ブルターニュ紀行の極く初期に
百年戦争の前半のフランス王国側のヒーローだった「ベルトラン・デュ・ゲクラン』
の曾姪孫で
フランス王国軍司令官の一人で元帥
「レ(Raiz)の男爵」「マッシュクゥルの領主」「ル・ベナートの領主」
その他11の爵位領主位を併せ持った


土地の戦略的重要性の減衰と共に
城も朽ち果てて一部が残るのみとなった




この「ジル・ド・レ」(名前はRais、領地はRaiz、と綴る)が所有した
この近くのもう一つの城に
『Château de Tiffauge ティフォージュ城』がある


『Château de Tiffauges ティフォージュ城』

彼は数々の武勲の恩賞として
1422年「ティフォージュ」を封土として与えられた
この城も廃墟だが
壮麗な規模であったことが偲ばれる

なお
ここ「マッシュクゥル」には大修道院跡がある

『Abbaye de Notre-Dame de la Chaume ショームの聖母大修道院』

周囲を囲んだ長い塀と鳩小屋などわずかな部分しか残っていないが


塀に残った「メガネ」のような開口部が面白い


鳩小屋は城や修道院その他豊かな住民の屋敷などによく見られる
食用鳩のためのもの


修道院聖堂をはじめ
施設の建物は残っていないが
草噴く地面に一つの祭壇が風化して残されている

※  ※

⑤番 の『La Bénate ラ・ベナート』は
城は「城趾」すら残っていない
村名も度重なる他村との合併で「あざ」と教区名に残るにすぎない
ただ前述の「ジル・ド・レ」の領地の一つであった

 ※  ※

⑥番の 『Clisson クリッソン』


『Château de Clisson クリッソン城』

この町は周辺含めて八千人程の人口を抱えるだけあって
各時代にそれなりの役割を持った存在であり続け
11世紀に作られた城は15世紀まで増築が続き
城は廃墟ながら大規模でかなり原型をとどめて残っている


胸壁と水平狭間(石落とし)を持つ巡警路の部分は残っていないものの
堂々たる城壁と空堀
対フランス王国の最前線を固める城として地位の重要性が理解出来る


18世紀半ばに城主が放棄し
そのまま荒れて行き
革命中には放火されて
中核をなす部分の建物は外壁しか残っていない


そして城門が三か所







城門の内側から見ると
跳ね橋を引き上げる「錘(おもり)」が上がっている
これを下ろすと
その重みで橋が引き上げられることになる













天守に当たる丸い塔は
他の多くの城塞と同じ様に各フロアーはなくなっているが
鉄砲狭間から
壁の厚みがよく分かる


この絵図の
下部の黒い部分(数字4)が城
緑は出丸
薄緑は橋頭堡(城壁の内側で一段高くなっている)
極薄青は空堀
上側の大きな灰色部分が旧市街(城下町)
その町中に教会(数字6)がある
青はロワールの支流「セーヴル・ナンテーズ川」


川から見ると
城と橋と教会とが一度に見える
橋の中ほどにはブルトンの十字架が立つ




城から見下ろす川

『Eglise Notre-Dame de Clisson クリッソンの聖母教会』


1970年代からやっと修復工事が始まり
何度かの工事が繰り返されて今日に至っている




※  ※

⑦ 番の『Oudon ウッドン』

『Château d'Oudon』

城の起源は11世紀
その後「ノルマンディー公爵」がイングランドを統一して打ち立てた『ノルマン征服王朝』
の後を受けて
ブルターニュ公国と国境を接するフランス王室にも連なる「アンジュー伯爵家」の
「アンリ」がイングランドを受け継ぎ
「プランタジュネット王朝」を創設した『ヘンリ−2世』と
その後の『ジョン欠地王』と
ブルターニュ公側のウッドンの領主との間で
激しい争奪戦が繰り広げられた

現在の城の起源は比較的新しく14世紀から15世紀にかけて建設されたもの


現在の城で残る最も重要な部分が天守の塔
この城は
太古の人類が火打石や矢尻に使った「結晶片岩」と
「片麻岩」とで建てられている
ちなみに縁取りの白い部分はロワール河流域特産の真っ白な凝灰岩

大手門



門のくぐる部分は跳ね橋の装置を受ける部分もない形に
後世作り直されているが


この最後の橋脚からの部分は跳ね橋だったはず


くぐって振り返り城外を見る


城内も廃墟


そして
天守に入るところにも城門がある




天守の頂上

この「ウッドン城」は
ロワール河の小さな支流「Le Sêvre セーヴル川」が
ロワールに合流する直前の位置に立っている
大河「ロワール」と「セーヴル」が外堀ということだ

セーヴル川から天守を望む
(Marches de Bretagne の項目 続く)
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 63 < レンヌ と 周辺 の 特徴あるホテル >

2021-06-28 00:45:48 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ/ホテル
巻頭写真 : ホテル『シャトー・ダピニィエ』

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
63


今回は「レンヌ」と周辺のホテルをご紹介しておこうと思います

まず「レンヌ」に一軒
『Balthazar Hotel バルタザール・ホテル』

『Hôtel Balthazar』

間口はこれだけ
少しも大きくない
どころか小さなホトェルと言っても良いかもしれない
ただ奥にある別棟と繋がっている
場所は「商業会館」の真裏という一等地にあります


正面玄関(写真奥)を入ってすぐ模擬にレセプション
逆向きに見ると


奥のガラスの部分は
別棟との間にガラスで仕切って作ったパティオ



ロビー中央にになってエレベーターホールがある
左の反対側にはバーがある


バーカウンターの奥はレストランのワインを飾ったカーヴ


玄関からまっすぐ進んだ突き当たりのパティオが下



パティオの正面の壁が無関係の隣の建物
左が繋がっている別棟のレストラン



先ほどのバーカウンターとカーヴの横を進むと
レストランに入る



実は結構広いのです


お料理は
別に星は付いていないけれど良いホテルなりに楽しめる



特にデザートは
優秀なパティシエがいるらしく秀逸


入り口と反対側に抜けると
パティオとは違うテラスもある


それから
地上階共用空間には冬の間はとても暖かそうな場所もあったりする


肝心の客室はといえば



クラッシック・モダンな内装です
バスタブの側面の高さに注目されたし



そして幾つかののお部屋


例えばこのお部屋には


こんなテラスが付いてます

廊下の照明は落としてあり
人が通る位置だけ歩く速度に合わせて明るくなり


部屋番号はこんな具合に見えるのです

スパとフィットネスも完備


特にスパのプールは
非日常的な照明で落ち着かせてくれます


マシン類も揃っていますし
各種ボディーケアも優秀なスタッフがいて十分にリフレッシュさせてくれます



※  ※

では郊外に出てみよう

「レンヌ」を西に出ること2km
「ルドン」の北に10km
『シャトー・ダピニィエ』というこじんまりとしたシャトー・ホテルがある

『Château d'Apigné』


玄関口の前に
天気の良い季節に外で食事が取れる空間を作ってある

玄関を入ったエントランス・ホール


客室はどれも「お城のお部屋」の雰囲気がたっぷり








レストランは
小さめのhっ屋が二つと



大きなお部屋
ここでは頻繁に結婚式のパーティーが行われる




玄関前の食事風景



お料理は今風です


マグロの握りと炙りホタテの前菜






※  ※

上述の「シャトー・ダピニィエ」から
南に5kmくらい下った所に
『Hotel Domaine de Cicé-Blossac ドメーヌ・ド・シッセ=ブロサック』

この辺りは「ヴィレーヌ川」に沿って湿地帯となっている


『Hôtel le Domaine de Cicée-Blossac』

ル・コルヴィジュエの発想の「ピロティー構造」の建築物が
湿地帯の中に建ち並んでいる

Map by ⒸGoogle

地図左上のポインターの位置が「シャトー・ダピニィエ」
左下が「ドメーヌ・ド・シッセ=ブロサック」
湿地帯であることがお分かりになるだろう


実はここ
ゴルフ場ホテルなんですが
ゆっくりと休暇を過ごすには最適


ゴルフコースは池を縫いながら作られている


カヤック遊びもできます




お部屋のテラスからコースが見下ろせる

2ベッドルームのスイート


どの客室も広々としているので
リヴィング・スペースが快適です


そして
どの部屋にもテラスが備わっている





自然の池の中に「浮きプール」が造られている
もちろん「スパ」も完備しているので
ボディーケアーの後のクールダウンはスパの屋内プールで



レストランは別棟



外にも席が作れます



中は




バーはすぐ隣に


そして
グルフ・クラブも別棟



クラブハウスの談話室


朝食は
自分のお部屋にルームサーヴィスを頼んでバスローブのままで摂るのがいい
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 62 < レンヌ 2 > 東ブルターニュの もう一つの首都 続き

2021-06-25 00:57:24 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : アールデコの『サン・ジョルジュ市立プール』

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスでは無い異世界を巡ろう
62


「レンヌ」の街のランドマーク建築「ブルターニュ高等法院」を前回ご紹介した
今回も引き続いて残りの
「商業会館」「旧聖ジョルジュ大修道院」「オペラ座」
「旧市街」
「サン・ジョルジュ市立プール」
を順にご紹介していこう

まず2番目の『Palais du Commerce 商業会館』


『Place de la République 共和国広場』
に面する
『Palais du Commerce 商業会館』

かつてこの広場の位置は「ヴィレーヌ川」が流れ
船を引き上げる斜面の船溜まりと「魚市場」と「織物市場」があった
19世紀後半にそれらを廃止し
市場の跡地に新たに「商品取引所」を作ることになった

西翼が19世紀末に完成し
20世紀になって東よくも完成した
その後1911年に西翼が火災で立て直すことになり
中央のドームを低くした現在型に落ち着いた
その後
名称は「商業会館」のままで
中央郵便局と市立図書館と
ブルターニュ地域圏立美術学校
国立高等音楽院レンヌ分校
などが使っていた



前の広場はバスターミナル

2018年に大改修することが決まり
「ルネッサンス計画」という名称で工事が開始


『LEGOミュージアム』が入り
前のバスターミナルは廃止


東翼をガラスで拡張し
「ヴィレーヌ川」に蓋をして広場を広げて歩行者専用となり


国際ホテル『マリオット』
料理高等専門学校とそのレストランなどがテナントとなり
その他オフィスが入る総合施設として再建中
2025年に完全オープンの予定
名称は
『Palais du Commerce-Renaissance 商業=ルネッサンス会館』


では3番目のランドマークの
『Palais Saint-Georges 旧聖ジョルジュ大修道院』


旧聖ジョルジュ大聖堂はフランス革命で廃止され
軍の兵舎となった


その後
レンヌ市警と消防署が使ってきて


2014年頃から再開発計画が図られ
国際高級ホテルの誘致が決定
コンペの結果200室強のホテルが収まり
2018年開業の予定だった



着工直前に計画は白身戻され
結局現在は市の保健局と障害者支援局
青少年の文化・スポーツ・先端技術交流センターなどが使っている


4番目のランドマークの『Opera de Rennes レンヌ・オペラ座』


それまで
場所を転々としていた「演芸場」を改め
市役所前広場に舞台と客席とが完全分離された歌劇場様式の劇場の建設が決まり
1836年2月に落成
『L'Opera de Rennes レンヌ歌劇場』


正面ファサードの半円形壁面の内部がそのまま回廊


その半円形の回廊から
階段でそれぞれの階上の席に向かう形式





オーケストラ・ボックスが閉まった状態の舞台
規模は小さいもののパリのオペラ座のに非常に似ているが
平土間席を取り囲む周囲の階上席は桟敷にはなっておらず
オープンの座席が並ぶ

下手側の貴賓席桟敷から上手側のそれを望む
パリのオペラ座と同じく舞台袖すぐの階上席が桟敷の貴賓席



ヨハン・シュトラウス2世作曲『コウモリ』の舞台





正面全景 夜景


ここからは「レンヌ」の町の象徴的光景のもう一つ
「旧市街」をご紹介しよう

『Place de Sainte-Anne サント・アンヌ広場』

第二次大戦末期
ノルマンディーを中心ポイントとして上陸した連合軍は
フランス国内を占領するナチス・ドイツの守備隊と戦いながら国土を回復していく過程で
多くの町の旧市街は破壊されていったが
戦火を逃れ得た地区はその町の一番の観光地域となっていて
「レンヌ」もその例に漏れない


例によって
建物の歪み具合から
これらの建物の経てきた時間の長さを感じ取ることができる




窓をよく見ると
建物がゆがんでいても垂直と水平とがちゃんとやり直してあることがわかります









『Marché du Lice 外堀通りに立つ朝市』


外堀通りの建物
かつての城壁の外を囲む空堀の位置を大通りにした「外堀通り」は
フランス全国各地の町に存在する


それから
この町の近代の文化財として名高いものとして「アール・デコ」様式の市営プールがある

『Pichine municipale Saint-Georges サン・ジョルジュ市立プール』


1926年落成開業
『アール・デコ』という単純化したラインや幾何学模様の装飾を多用する様式の
初期の貴重なプール

しかし
セラミックの装飾のアレンジや

溢れ出る水がモチーフのセラミック装飾


鉄製の扉や手すり等
「アール・ヌーヴォー」という方が正確なように見える部分も多いものの




入り口のアーチと左右の壁の直線の作りは
確かに「アール・デコ」になっている














番号のついた各個人用の更衣室兼ロッカーを反対側に抜けると


プールサイドにそのまま出られる作りが便利そう






さらに
一つユニークな劇場がある

『Théàtre de l'Anncienne eglise St-Etienne 旧サン・テチエンヌ教会劇場』
昔の「聖エチエンヌ教会」を劇場に再利用している


教会の正面鐘楼下の入り口が劇場の入り口


オペラ座と違って
演劇芸術の日常性そのものがここにある




あと
ここ「レンヌ」の名所と言えば「植物公園」

『Jardin Botanique - Parc Thabor タボール植物公園』

「植物園」と言うより敢えて『植物公園』

展示館






鶏小屋

ことりが止まり中に入る入り口が並ぶ








=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 61 < レンヌ 1 と その周辺の ボエル 妖精の岩 > 現在の広域行政圏ブルターニュの首都 と ブルターニュ最大のドルメン

2021-06-23 00:04:10 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 『妖精の岩』

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
61



ブルターニュの首都三つの最後のご紹介となる『レンヌ』に着く前に
ブルターニュで最大で最も美しいと言われるドルメン
『La Roche aux Fées 妖精の岩』
に立ち寄ってみよう

『La Roche aux Fées 妖精の岩』

「ナント」から北へ80km
「ジャンゼ村」と「ルティレ村」の中間あたり
「Essé エッセ」という小集落の周辺のトウモロコシ畑や小麦畑の
合間に点在する栗林のひとつの中に
忽然と
それは存在している
Illustration by ⒸVIGNERON

紀元前3000年〜2500年の間
長さ19,5m
幅4,7m
最大高4,10m
32基の縦岩(メンヒル)
9基の上蓋の大岩
写真左端が開口部を持つ「前室」
右端が閉じられている「玄室」


開口部の蓋の部分の岩は長さ(幅に当たる)5,5m
左右で支えるドルメンは露出部の高さ1m
蓋をする上蓋岩の厚みも1m近い

二列目はやや崩れていて


左側面から見るより



右側面からの方が沈み方が大きいのが見てとれる
さらに三枚目の天板を支えるメンヒルも左右共に中央が消失している


ところどころに衝立のような張り出しがあって
全体が4つの石室に分けられていることがわかる(上掲の図面参照)
奥の人も見れば
高さも理解できるだろう


開口部の反対側が閉じられていて


そこが「玄室」なのだろう


上に登ってみると
天板の岩は平らではないこともわかる


立ち位置によって


目線の高さによって


見る角度によって



様々な見え方をする
本当に不思議な「アレ・クヴェールト」で
まさしく
「妖精の岩」と呼び習わされてきた意味が分かろうというものだ


※  ※

ここから北西に20kmで
「ラ・ロッシュ=ベルナール」から「ルドン」でご紹介した「La Vileine ヴィレーヌ河」
に沿った『Boel ボエル』村に至る

渓谷美と断崖の地層の美しさで知られるこの辺り
「ボエル」には名高い水車がある


流れを段差で遮っているので
右端に見える水門で船が航行できるようにした




見る位置を変えても


季節が変わっても


とても美しい佇まい


この辺りで「ヴィレーヌ河」は馬蹄形に蛇行しており
岸辺の一部は岩盤でかつては石切り場だったところもある


旧石切り場の崖



崖の上に固い岩盤が露出した部分もあり



ハイキングやトレッキングやサイクリングのコースとして好まれている


『Pont de Boel ボエルの橋』
この村の入口の橋はロマネスク時代のもの


※  ※

この「ヴィレーヌ」の流れを10kmも北へ遡行すると
いよいよ
ブルターニュの都の一つ『レンヌ』に至る


ヴレーヌは「レンヌ」の街中を流れる

中之島『Ile Hélier エリエ島』






首都なので市域は広く
かなりの規模の城壁に囲まれて防御されていた


『Porte Mordalaise モルダル門』

当然重要な拠点都市なりの
広い空堀に囲まれた城壁があったわけですから
城門も残っている

『Tour Duchesne デュシェンヌの塔』
城壁の橋頭堡となる頑丈な塔もある


4月のこの場所は
城壁に絡みついてしな垂れる藤の花が美しい

街のシンボルは
「ブルターニュ高等法院」「商工会議所」「大修道院」「オペラ座」「旧市街」
となる

まず「ブルターニュ高等法院」だが

『Parlement de Bretagne ブルターニュ高等法院』

独立国ブルターニュ公国最後の君主「アンヌ・ド・ブルターニュ」が
フランス王「シャルル8世」「ルイ12世」に相次いで嫁ぎ
フランス王国と合体した後も
ブルターニュの公爵位と領土は「王妃アンヌ」に帰属していたが
ルイ12世との間の娘「クロード・ド・フランス」がその相続権を持って
王族「サングレーム公爵フランソワ」に嫁ぐ

その後夫がフランス国王を継ぐこととなり「フランソワ1世」として即位
その際王はブルターニュの主権を完全に王国に吸収してしまって
1554年主権は消滅した
そのかわり「上級裁判権」をブルターニュに残して
ここ「レンヌ」にその場を設けた


したがって「Parlement」という名前なので
一般的には「ブルターニュ議会」と誤訳される事もあるが
実は『高等法院』が正しい
現在も「高等裁判所」として機能している

この「高等法院」前の広場を反対向きに見ると


まるでパリの中心部のような感じでビルが立ち並んでいる
そして
この建物も火災に遭遇した


1994年2月4日
その日レンヌを訪れたエドワール・バラデュール首相に
イギリスやオランダに有利すぎるEU漁業政策の採択による漁価の大暴落に抗議する
ブルターニュ中から4000名の漁民が集まって抗議行動を行い
機動隊の強権執行に両者乱闘状態となった
デモ隊の誰かが持参していた「救命信号弾」を空に向けて発射し
そのうちの数発が高等法院の屋根をぶち抜いて屋根裏の木組の中に入り込んで徐々に出火
数時間後の夕刻
火災発生に気がついた職員の通報で騒ぎが広がった


結局1日半燃え続け
翌々日朝に鎮火したが

Photo by ⒸLesEchos
結局内装の95%が消失してしまった

Photo by ⒸRennes.fr

Photo by ⒸRennes.fr

レンヌ市
イル・エ・ヴィレーヌ県
ブルターニュ地方(地方圏・州)
の積極的修復行動と
市民からの多額の寄付などにより
焼け跡から集めた1cmほどの破片に至るまでを検証して場所を特定
洗浄や再彩色や金箔の塗布など精力的に修復に取り組んだ

Photo by ⒸRennes.fr

Photo by ⒸRennes.fr

Photo by ⒸRennes.fr

各分野の専門家の献身的な修復作業の結果10年の工事期間の予定が5年で修復が完了
1999年業務を再開できた



大法廷




大法廷の部屋には
必要に応じてブルターニュ公爵がお忍びで裁判に出廷する特別な桟敷きが
残っている

小法廷の一部屋


エントランス・ホール







一般の内部見学も再開されている



さて
レンヌのご紹介は次回も続けます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 60 < ナント 2 東ブルターニュの首都  >

2021-06-21 00:58:01 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ/ホテル
巻頭写真 : レトロ未来風テーマパーク『マシン・ド・リル』の『巨象』

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスでは無い異世界を巡ろう
60


ここ「ナント」はフランス一の大河「ロワール」の両岸にまたがり
河口まで25kmあるかないかなので
河川港として結構船が登ってくる


帆船もいれば


これくらいの客船なら入ってこられる

そのロワール河の中に中州がある

その島に「ジュール・ヴェルヌ」のアイデアにも影響を受けて
生化学と機械工学とのフュージョン的実現の実験工房のような
ユニークな施設が作られている
『Machines de l'Ile 島の機械(館)』

島というのは
ナント市のロワール河の中之島


『Ile de Nantes ナント島』Photo by ⒸJiji44

この島にある且つての「造船所」の建物を利用したもので
『人造巨象』
『レトロ未来メリーゴーランド海洋』
『3つのギャラリー』
『アトリエ(工房)』
から成立つ一種のテーマパーク



3棟のギャラリーの向かって左のギャラリーの中に「人造象」が見える

『Eléphant Géant 巨象』

巨大
高さ12m
長さ21m
幅8m
重さ48,4t
各関節部可動部を制御する油圧シリンダーのオイル量2500L
ピストン62本
地方空港で滑走路から機内に入る時に使うタラップのような階段を横付けして
中と上に登れる


 頭の上に立ってる二人の大きさを見ると...

幾つかのコースを30分かけて歩く
速度1〜3km/h

巨大「メリーゴランド海洋」は三重層



『深海』『海中』『海面』
の三種類が三層にかぶさる

『深海』
は「海底二万里」でも出てくる怪物イカや深海魚など


「ダイオウイカ」



なぜか「ハコフグ」も深海

『海中』
はお魚やエビなど


マッコウクジラと怪魚が並んでる


エビ





カニ
蟹は甲羅の上の椅子に座るようになってた



『海面』
は船や磯に転がる帆立貝やら陸上の架空の生き物など






お魚の船


海馬


「海面」の層の頭の上には
色鮮やかなトビウオが飛び回っています

ちなみに
うんと小っちゃい子用の「ミニ・メリーゴーランド」も有る






ジュール・ヴェルヌの作品の
出版当時の挿絵をシートにして貼ってあるのを見ると



まさにこのまんまですよね

「ギャラリー」には
ありとあらゆる不気味カワユイ生き物たちが潜んでおります

タランチュラ


ドイツ人のおっさんがよく乗ってる改造巨大バイクのエンジンみたいだ




この「鷺」の様な鳥は



こんなに羽ばたく


これはやや意味不明



巨大な「芋虫ちゃん」みたいだ




こうなると全く理解不能
でも面白そうではある


ナマケモノのお腹の上にも乗れます

さらに空中のレールを走らず
家から吊るされているわけでもない
地上走行型も



このアリンコは四人乗り


係が小型の模型を使って
どの様に作動するのか説明してくれたりのするのです


このハチドリは(多分)乗れない

それから
場内遊覧する歩く怪獣は巨大人造象だけではない



メリーゴランドのタランチュラとは別の巨大蜘蛛
こんなんにウロウロされた日には気色悪くてたまらんだろう
でも乗ってる方は楽しそうではある


他にも

『Doragon-Cheval 龍馬』

背に中国風のパゴダを載せた時と



載せてない時と



鼻から煙を吹き口から火を吐く
オモロきしょカワイイでしょ

さらに
ジュール・ヴェルヌが考えた「空飛ぶ島」をもとに
レタッチしたポスターが貼られており


どうやら
これを作るらしい



小型の模型を作って



現物を仕上げて


外に飛び出す腕のところまで行くと



宙に浮噛んでいる様な錯覚にとらわれる

レストランもありますが


食べ散らかしていると
アリさんにご注意

巨象は
散歩中でなければここにおります




ではこの辺で
もう少し街を見てみよう

まず大聖堂

『Cathédrale Saint-Pierre et Saint-paul 聖ペテロ・聖パウロ大聖堂』

パリの「ノートル・ダム大聖堂」に非常に似ている
違いは
バラ窓がないことと
全体に高さが低い上に鐘楼がの角角に小さな尖塔が立ち上がっていることくらいか


後陣は見事なゴシックの様式

実はこの大聖堂も
パリと同じ様に火災にあった



放火だった
2020年7月18日


結構な被害が出たが
幸いパリの例のような大惨事ではなかった


ブルターニュ公国の最後の主権者だったアンヌ・ド・ブルターニュの父親
ブルターニュ公爵フランソワ2世の墓がある
なくなったのは娘がまだ10歳だった

大聖堂は今では火災の後は完全に修復されて
元の姿に戻っている




ここらで
ナントのホテルを一軒ご紹介しておこう
『Sozo Hotel ソゾ・オテル』


このホテルは
19世紀の礼拝堂を作り変えてある

レセプション 兼 バー


頭上は石のアーチ


上の階の手すりから見下ろすとこんな感じになる

客室は
礼拝堂の内陣部やその周囲にある小礼拝室がそのまま使われている



Duplex(メザニーン)の部屋
上からベッドを見下ろす


ステンドブラスもそのまま


スパの入り口


レストランは無く朝食だけだが
街のレストランで食べれば良いので問題無い

最後に
もう一つナント産まれの名物が


ビスケットの『Lu リュ』

『La Tour Lu』

「リュ・タワー」は本社ビルの円塔でナントっ子のシンボル
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
旅行の企画や手配は以下のサイトにどうぞ
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ブルターニュ紀行 59 < ナント 1 東ブルターニュの二つの首都の一つ >

2021-06-18 00:29:20 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ナントのシンボル『りんご園のパッサージュ』

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
59



旧ブルターニュ公国以来
ブルターニュには中心都市が3つある
西に『カンペール』
東に『ナント』と『レンヌ』
東の二都市はともに大ブルターニュ半島付け根
ノルマンディーとアンジュー(王室親族)という二大ライバルの勢力圏に接し
その南北の半ばに「レンヌ」
南の際に「ナント」がある

「ナント」に歴代ブルターニュ大公のの主城があり政治都市
「レンヌ」は二大対抗勢力に接する戦略的拠点都市
「カンペール」はケルト色の強い民族都市

『Château des Ducs de Bretagne ブルターニュ大公城』

この街は
世界史を取れば必ず出てくる
16世紀後半数十年続いた
国家と民族の基盤「カトリック」と
抵抗勢力「プロテスラント(抵抗する者たち)」
との間の宗教戦争「ユグノー戦争」を
新旧両教派を納得させて終わらせたブルボン王家の始祖『アンリ4世』が
新教の信仰の自由を認めた「ナントの勅令」を発布した街として


城の壁面に「1598年4月13日 国王が勅命に署名した」と明記された
銘板がはめ込まれて記念されている

1598年最後のブルターニュ大公国の継承者『アンヌ・ド・ブルターニュ』女大公が
フランス国王ルイ12世に「嫁がされ」て
ブルゴーニュ公国はフランス王国と「同君連合」となって以降も
議会や裁判権など大半のブルターニュ既得の主権は認められていたが
「ナントの勅令」によりほぼ全ての独立していた権利が王国に吸収されてしまう
いわばブルターニュの終焉でもあった

『Duchesse Anne de Bretagne ブルターニュ大公アンヌ』

父君大公フランシワ2世の後を受け24歳でブルターニュ公国の継承者となった
「アンヌ・ド・ブルターニュ」は
独立を維持する能力はないだろうと考えた重臣たちにより
フランス王国と合併することを推し進められかかり
オーストリア大公マクシミリアン・ド・ハプスブルクとの結婚を決める
ところがブルターニュの爵位と公国が次世代にオーストリアに移ることを危惧した
フランス王シャルル8世に強引に略奪結婚されて一度フランスと合体
王の夭逝で独身に戻って公国の独自性が回復した直後
次期仏国王ルイ12世に嫁がざるをえなくなり
ブルターニュが最終的にフランス王国と合併してしまうことになった

 城は
堀に縁取られた中世の城塞の城壁に囲まれ
その中に近世の城館が建っている


城を見晴らすこの広場は夏にはそこかしこから水を吹き出す
噴水というか散水というかになっており


子供達が濡れながら大喜びではしゃぎまわる






中世の城壁は単に周壁ではなく
塀自体が後世の城館の構造体として組み込まれていることが見て取れる



大手門


搦手門


塔の左側はゴシックの時代の建物
右側はルネッサンスの時代の建物



井戸もそこにあった
城館の中は「ナント歴史博物館」になっている



ブルターニュ侯爵家とフランス王室の紋章を交互に配置したタピスリー






古い城と新しいトラム

博物館つながりでもう一軒

『Museum d'Histoire Naturelle de Nantes ナント自然史博物館』

フランス語では博物館・美術館は「Musée ミュゼ」ですが
自然史博物館だけ「Museum ミュゼオム」と言います






幾つかの他の町にもある「ムゼオム」と同じで
地球上のあらゆる生物(動植物)を化石から実物の剥製まで
時代順地域別に網羅する展示


入り口は
反対側の通りの面した方にある

さらにもう一軒
ナントが生んだ稀代の異彩『ジュール・ヴェルヌ』の記念館

『Musée Jules Verne』

『地底旅行』
『海底二万里(リーグ)』
『月世界旅行』
『八十日間世界一周』
『十五少年漂流記』
『気球に乗って五週間』
多くの作品からこれだけ挙げるだけでも
空想科学小説で冒険小説で
地球内部の探検や海底での半永久的生活を送れる大潜水艦やら
月面に到達できるロケットやら
世界中の主だった土地の有様や
少年たちの冒険心やら
杞憂やらアフリカ大陸の様子やらを題材にした
稀有の才能を誇った小説家であることがわかる


残念ながら
この家は生家でも彼が済んだ屋敷でもない
彼と同時代の富裕層の屋敷を市が買い取り
ジュールヴェルヌボツ150年祭を記念して博物館をオープンした



通りの反対側は斜面になっているので4階建
内部には
「ジュール・ヴェルヌの世界」が満載


奇才というか鬼才というか
SF小説と冒険小説の父と言われる「ジュール・ヴェルヌ」は
宇宙ロケットや
空気や水も自給自足する技術を備えた何年も深海で生活できる大潜水艦や
ユートピア的機械製品など
数々の
19世紀における未来世界のイメージを生み出した

陸海空の三刀流の乗り物

その
近代都市ナントの時代を現代に伝えるシンボリックな場所が
パッサージュ

『Passage Pommeraye パッサージュ・ポムレィ』

この「パッサージュ」は
ある一人の若き公証人「ルイ・ポムレィ」が
地味で特徴のなかったこの一帯を高級ショッピングの場所として再開発したい
というアイデアから生まれた
フランス最後の国王「ルイ・フィリップ」の御代1843年に落成


三層のショッピング・ギャラリーと
オフィスや住居に使える最上層とで構成されている


外部からの入り口は何箇所かある


Pommeraye の「y」を「i」に替えれば
同じ発音で「りんご園」という意味になる
しかも
欧州の言語はもともとは「y」と「i」は同じ字だった
多分発案者の交渉人はご先祖がリンゴ農家だったのかも


高級ショッピング・ギャラリーを
と望んだその感覚は十分に今でも生き続けている



吹き抜けの場所の中央階段


別に側面の階段もある


最上層


パッサージュだからガラスの天井は必須


19世紀半ば
最後に復活した王政時代を彷彿とさせる大理石の彫刻






レトロだがしっかり現代的でもあり
ナント市の「ランドマーク」だけのことはあります

もう一箇所「博物館」をご紹介しておこう
『Musée Dobrée ドブレ博物館』

『Musée Départemental de Thomas-Dobrée 県立トーマ・ドブレ博物館』

19世紀にトーマ・ドブレが
わざわざ「復古主義」で15世紀イタリア風の館を建てたのは
彼がその土地を購入した時点で
すでに15世紀の司教の屋敷が立っていたから



あるいはベルギーの古都にでもありそうな建物にも見える

建物は19世紀末には既に県が所有しており
近年中世から20世紀までの美術と古代の出土品などを展示する為に
ここに博物館を置く事にした







『ブルターニュ公爵アンヌ・ド・ブルターニュ』


『アンヌ・ド・ブルターニュの心臓を収めた遺物匣』










ところで
ここ「ナント」はブルターニュで一番の都会だけあって


高層アパートもあるし


ブルターニュ全体でおそらく唯一の高層ビルも有る


(続く)
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 58 < サン・ナゼール と その周辺 > ブルターニュ南東端 ロワール河の世界の入り口

2021-06-16 00:15:02 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ/ホテル
巻頭写真 : サン・ナゼールの造船工廠で建造中の豪華客船

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
58



「ラ・ボール」から東へ12km
フランス第一の大河『ロワール』の河口の街が
『Saint-Nazaire サン・ナゼール』

『Pont de Saint-Nazaire サン・ナゼール橋』

フランスの東半分を南北に(北1/3 南2/3くらいに)分けて流れる「ロワール」は
全長1020km強

フランスという国は
「民族・言語・伝統・文化」の成り立ちと
「気候・風土」の自然条件が南北で異なっており
その境目が「ロワール河」なのです

「サン・ナゼール」は河口なので
非常に長いヨーロッパ最長の橋がかかっている
3356m





20世紀になって以来豪華客船の建造に特化した造船の町として名高い


街を走っていると
こういう光景が普通に車窓から飛び込んでくる


かなり完成形の姿を表しているものもあれば


最後部だけ建造中のサイトもあったり



舷側が覆われているのや


最上階甲板の建造中だったり


完成した船が進水式を済ませて
船主の元へ「納入」されるために出航するときは
岸壁にはお見送りの人々もいる


20世紀後半に入って
日本の造船業が安価な建造費で世界の造船業を壊滅させて
その日本も高度成長に伴い人件費が高騰すると韓国がマーケットを奪い
その韓国も中国に奪われ
という変遷を経てきた造船業だが
「豪華客船」となるといろいろなノウハウがモノを言うらしく
「サン・ナゼール」の牙城は揺るがない


『Queen Mary II』

そういえば
2003年の進水時には世界最大の豪華客船だった
総トン数148000トン
全長345m
高さ72m
という『クイーン・メリー2世号」も
ここ「サン・ナゼール」で建造された

ところで
フランス人は伝統文化を大層丁寧に大事に受け伝えているが
片方では
途方もなく現代的な良し悪しの判断の難しい物もしっかり評価する
それで
ここ「サン・ナゼール」では
町中にストリートアートが溢れているのです


中心部の至る所に
道路にカラーリングが施されていたり



なにやらけったいなオブジェが置かれていたり
そのオブジェは「シードラゴン 海龍」という作品で



実はこれ木製の遊具で
製作途中の段階から子供達は横で遊べた



横には
タコだか何だかよく分からない不思議なものもありました

ついでに横の建物の壁面に壁画も描いてみたり





そんな壁画を描くことを
中心街のあちこちの建物に拡大したり









ここは「美術学校」の前
なんだか納得

フランスは社会インフラの建造物を
古い建物を利用して大胆な改装を行ったり
目一杯斬新で奇抜なものを造ったりする傾向がある

旧駅舎を市立劇場に作り変えてしまった


これが駅正面全景


その内側を


木とコンクリートでこんな風にして



中がこうなった

そして
こんな物まで造ってしまった

『La Souscoupe ラ・スゥクープ』

「アンダー・ソーサー」(ティーカップの下の受け皿)
と命名された
「バレーボールとボクシング」の専用競技場です



中の観客席が「すり鉢状」になっているのが納得できる
しかし実にけったいな代物です

極めて伝統的である「市場」もこの町は近代的


正面の外観はそこそこですが


どうです
この光溢るる清潔感と言ったら



※  ※

ところで「サン・ナゼール」の対岸に
『Saint-Brévin-les-Pins サン・ブレヴァン・レ・パン』
「松林のサン・ブレヴァン」という町があって
そこに
なんとも奇妙奇天烈なオブジェがあるのです
波打ち際の
干潮時には歩いていけるほどの水の中に

『Sérpant de l'Océan』

その名も「ウミヘビ」という
巨大な骸骨

まずいかに大きいかをご覧いただこう


口の中に子供連れのお母さんが立っております


これを「けったいな」と呼ばずして
なんと呼ぼうや

2012年の「サン・ナゼール河口祭」のために
EU「ヨーロッパ地方開発基金」からの資金で
中国人彫刻家「Huang Yong Ping」に発注された総アルミニウム製の巨大な海蛇
の中骨
全長なんと130m!



笑ってうなされそうな
SF映画のワンシーンのような
でも時と状況によっては


神々しくすら見える海蛇さまではあります

さて
ロワールをまた渡って「サン・ナゼール」の側に戻って
町から西の郊外『ディシニャック』という場所に行ってみよう
ここには古代巨石文明の遺跡がある

『Tumulus de Dissignac』
目にも鮮やかな滴るような緑に只中にポツネンと一つだけ
5600年前からの時を伝えている円墳


この目線の高さで見ると
なにやらインベーダーゲームのキャラクターに見えなくもない


どうやら玄道が二本あるようだ


そして
玄道のかなりの部分が露出してしまっている


もっと大規模に覆われていたはずだ
残念ながら中には入れない


一面の畑の中のタイムマシン

※  ※

今度は「サンナゼール」の東北東側数キロ『トリニャック』
ここは且つて製鉄業で栄えた場所だった
と言う事は
戦後欧米の製鉄業がシェアーを日本に奪われ
韓国に移り
中国が奪い
今やインドネシアやインドに渡って壊滅した産業の痕跡

『Ancien Haut-Fournau de trignac トリニャックの高炉跡』


これまた
別のタイプのSF映画のセットの様な


あまり
恨みがましくも嘆きかなしむ様子も感じない廃墟遺産遺跡

※  ※

さらにもう少し東のロワールの川岸に『ドーニュ』という
現役の産業地もあります

『Raffinerie de Dogne』
ドーニュ石油精製基地


これはこれで
おどろおどろしいまでのエネルギッシュな存在感ではあります

※  ※

最後にホテルを一軒ご紹介しよう
「サン・ナゼール」から橋を渡ったすぐの対岸に『Hôtel Anne de Bretagne』







ここはレストランが特にお勧めです













=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 57 < ラ・ボール > 南ブルターニュ と言うより 西フランスで最も名高い海のリゾート

2021-06-14 00:17:15 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ/ホテル
巻頭写真 : 東フランス大西洋岸最大の砂浜『ラ・ボール』

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
57



フランスの三大ビーチは
南はコート・ダジュールの『ニース』  北はノルマンディーの『ドーヴィル』
そして
西がブルターニュの『ラ・ボール』
という事になっている

Map by ⒸGoogleMap

地図左端の表示が「バッツ」
右端が「ロワール河」の河口で
河口の街は「サン・ナゼール」
「ラ・ボール」はポインティング・マークされている「扇型」のところ

西の「Pulligen ル・プゥリギュン」から
東の「Pormichet ポルニッシェ」まで
9km
途切れずひと続きの
管理された砂浜としてフランス最長のビーチです


砂浜の砂はきめ細かくて
日光浴に寝そべるにはぴったり
海岸線に沿って道路が延び
ヴァカンス用のコンドミニアムが途切れなく立ち並ぶ

海岸の遊歩道は


夏でも


冬でも
人々はさんざめく

砂浜でも


冬場でも人の絶えることはない


とてつもなく長い砂浜は
引き潮になると広大になる


夏場は


こうなり


子供用の遊具を揃えた「キッズ・クラブ」も幾つか見られる


子供達は大はしゃぎ


ヨットスクールも
ウインド・サーフィンのレンタルも揃っています


人出のない早朝は
乗馬クラブの出番となる


少し時期がずれると
キッズクラブもなくなり人気も少なく
逆にゆっくりとビーチを堪能できたりする

最盛期には


午前中はこんなでも


午後にはこういう光景の日もある

海岸線の道路に沿って続くコンドミニアムの中には



こんなアヴァン・ギャルドなものもあった

海岸通りには
小綺麗で快適そうなレストランも並んでいる
そのうちの一軒

『Restauran Le Ponton』


吊るされた籠のような椅子もあって
冷たいカクテルなんぞをちびちびやりながら海を眺めてしばらく過ごす
なんて時間の使い方も海岸ならでは

海岸通りから内側に入ると
整然と管理された明るい林の中に19世紀初頭から20世紀初頭の別荘が並んでいる

別荘だけあって様々な遊びのある仕様のものが見られる


『Villa Bel Horizon』
あえて「中世」風の塔を配した作りの『ベル・オリゾン(眺望)邸』


『Villa la Glorita』
アングロ・ノルマン様式の『ラ・グロリータ館』

『Villa Etchoia』
バスク風の『エッチョイア邸』

『Villa Le Volière』
アングロ・ノルマン様式の『鶏小屋館』



以前ご紹介した「Brière」湿地帯に多い形式の民家風別荘(名称不詳)


『Villa Régina』


『Villa les Pins』


『Villa Musset』


『Villa Ker Lotti』


『Villa Manpon』

『Villa des Roches Rouges』


『Villa Saint-Christoph』

以下名称不明








これらの200年を経た別荘は当然すべて指定文化財で
しかも
「文化財建築保護区域」に残っており
現在も使用されている

そして楽しいことも
人通りも車も少ない静かな林の中のような通りなので
時々こんなのが横切ったりもする


人に出会って一瞬止まって尻尾が総毛立った
怖がらせたらごめん

この林のような環境に
超高級ホテルが二件あったりします

まず『エルミタージュ』

『Hôtel l'Hermitage-La Baule』

ロビー

海側のプライヴェート・ビーチからの全景

もう一軒は『ル・ロワイヤル』

『Le Royal la Baule』

ロビーは木造建築の雰囲気

レストランの一部

実はどちらも同じ資本になってしまった
地中海岸のカンヌと
ノルマンディーのドーヴィルと
北ブルターニュのディナールと
ここラ・ボール
に昔からあった大型高級ホテルをほぼ傘下に収めたあるチェーン

だから
カジノ プール スパ タラソテラピー サウナ ジム テニスクラブ 乗馬クラブ 
などのあらゆる施設が全部揃っています
目の前のプライヴェート・ビーチに面しては共通のレストランがある

ビーチのレストラン

その手の「大型高級ホテル」が嫌いな筆者としては
ここ「ラ・ボール」の一押しホテルは別にあります

小さくて家庭的で上品で
かつ
快適な要素はすべて備えてることが条件
それが『Castel Marie-Louise カステル・マリー=ルイーズ』

建物全景

レセプション

レストラン

お庭のテラス席

バーのカウンター


客室 1



客室 2

客室 3

お食事は
近年星を落とされてしまっているものの質はほぼ変わっていない

ホタテのカルパッチオ

牡蠣の温製 イクラと海藻添え

フレッシュ・フォワ・グラとホタテとアカザエビの ハーヴティーのナージュ


この町の市場は古いものは残されておたず
近代的な清潔な建物に変わっている


早朝の外観


あえて戸外の朝市っぽく作った部分もある


そこは
営業時間になるとすっかり様変わりして



内部も多くの店が軒を連ねている
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 56 < ル・クロワジック  バッツ・シュー・メール> ゲランド半島に向かう

2021-06-11 00:24:59 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ/ホテル
巻頭写真 : バッツの『ミューリエの聖母礼拝堂』の遺構

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
56



塩田が広がる湾のような湿地帯の南の縁を取り囲む腕が
『Presqu'ile de Guérande ゲランド半島』
付け根の位置は南ブルターニュ一番の海浜リゾート『La Baule ラ・ボール』
西の先端が『Le Croisic ル・クロワジック』

その半島の中間点に
『Batz-sur-Mer バッツ・シュー・メール』という小さな町があって
そこにユニークな姿の礼拝堂あり


『Chapelle Notre-Dame de Mûrier』

その名も「ノートル・ダム・ド・ミュリエ (ミュリエの聖母礼拝堂)」
何がユニークな姿なのかというと
壁と柱しか残っておらず屋根も天井もステントグラスも無いから

左側面

15世紀
ペストの大流行に地元民は
当時廃墟になっていた古の聖母に捧げられていた礼拝堂を立て直そうと考えた

正面上部 向かって右斜めから

当時この土地は既に製塩で多いに潤っていたが
礼拝堂の建造は手に余った

正面 上半分

時のブルターニュ公爵ジャン5世がローマ法王ウージェーヌ4世に直訴し
再建なった暁に
礼拝堂に参る信者たちからの献金を「建設費」の償還に向ける許しを得て起工し
1496年に完成した



1819年の大嵐で
屋根と天井が崩壊した

正面下部

以後
そのまま廃墟として今日まで続いている





内部



左側面 後部から斜めに


文化財登録は廃墟になってから半世紀後
1862年の事

実はこの礼拝堂と
道一本隔てた隣のブロックに「まともな」教会があります
その鐘楼に上ると

この礼拝堂の
屋根も天井もないことが明確に見て取れます
「まともな」というのは壊れていないからですが

『Eglise Saint-Guénolé 聖ゲノレ教会』

西側正面の方から前半分を見る限りごく普通
でも
十字架形の頭の方(東側)半分はかなり変わっている


翼廊(十字架形の横軸)の手前
つまり内陣のある左右に礼拝室が二つ飛び出しており

十字架形の頭を外部(外陣)から見ると


先端が二つに分かれてそれぞれに破風(三角部分)を持ち
その外側に
軸線がずれるがさらに二つの礼拝室のような破風を持つ屋根が出っ張っている

鐘楼下の西側正面玄関口


内部で
身廊から内陣方向を見ても軸線がゆがんでいることがわかる


振り返ると西側正面玄関口の上にパイプオルガン
天井がそれほど高くないので設置位置が非常に低いのは
ブルターニュの教会の特徴

内陣の主祭壇
祭壇衝立(Retable)の左側の柱に

Saint-Guénoré (聖ゲノレ)
この教会の名前となっている守護成人『聖ゲノレ』の彩色木像があります

身廊と内陣とは古式豊かな木造天井だが
左右の側廊はゴシックの石組の天井で
一部のアーチ交差部の要石の装飾が非常に興味深い


7匹の悪魔の眷属に食われつつある「地獄落ち」した罪人
こわっ


こちらは「聖骸布」

先ほどの鐘楼にもう一度登ってみると


狭い半島なので海まで見張らせる

それからこの町には
『Musée des Maraiss salants 塩田博物館』
なるものがある

建物外観

白壁に「塩田」の図面がレリーフされて
その前に
採れた塩の入ったザルを頭に乗せた地元女性の銅像が


所狭しと並ぶ展示物の合間に
壁と床とに
塩田地帯の空撮写真の映像が


昔の製塩業従事者の衣装の展示


製塩の歴史から
世界中の製塩の中心地の紹介
製塩方法の違いと素fレゾfれの塩の実部tr巣の展示など
興味は尽きない


採取した塩に混じるゴミや砂などを取り除くための
塩洗い機
ザブザブ洗っても
体積は減ってもそうそう溶けけなかったらしい


洗塩機の前には塩を運んだ馬車


子供達に熱心に説明する親子連れも多い
学校からの見学も絶えないそうだ
部屋数も多く
展示方法も工夫が凝らされ
子供達が手にとって触って感じる事が出来るようにしたものも多い


「バッツ」から岬の先端に向かおう

※  ※

ゲランド半島の西端「ル・クロワジック岬」は
地図の左端の楕円形の部分


港は他の町のように河口というわけではなく
陸側をえぐったように入り込んでいるのですが



引き潮に成ると


当然こうなってしまいます



港越しに教会が見える



『Eglise Notre-Dame de Pitié 慈愛の聖母教会』

海の町なので
19世紀以来の魚取引市場がある


かつては
この中で毎日「せり」が行われていた


今では新しい建物ができてそちらに移り
特別展示会場に使われている


現在の魚市場

内部(イメージ)

この楕円形の岬の周囲の海岸は
造山活動で地形ができた頃にのままで
その環境を活かして
小さくて行き届いたサービスと快適さとを満喫できる
素敵なホテルがあります


『Hôtel Le Fort de l'Océan ル・フォー・ド・ロセアン』


小さいです
地面の高さが微妙に違うので



この右にやや下がってレセプションに入ります

共用空間

二階客室 1

二階客室 2

ジャグジー付きのバスルーム

三階客室

レストラン




テラス


プール




サンデッキ

キオスク

飲み物がオーダーできます


野生の海岸は徒歩30秒

=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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ブルターニュ紀行 55 < ゲランド と その周辺 > ブルエール自然公園の南西の縁の塩沼地帯

2021-06-09 00:45:32 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ゲランドの塩田での塩つくり作業

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
55


フランスには
塩の産地が大きく四種類に分かれる
海岸近くでの塩田天日製法
海岸近くでの塩水火力蒸発製法
内陸岩塩鉱脈地方の水汲み上げ地下水の火力煮沸製塩法
内陸岩塩鉱脈から掘り出す製塩法

この中の
天日による製塩法で名高い産地の中でも
「Noirmoutier ノワールムゥティエ」
「Guérande ゲランド」
の二カ所が双璧で
特に一旦途切れていた昔の手作業の小規模製塩技術を
地元の若者が戦後に復興した「ゲランド」が品質の上で最も高い評価を受けている


map by ⒸGoogleMap

地図の緑色の部分が「ブリエール自然公園」の範囲
そのヘリの部分に「ゲランド」の町があり
その左下の網目状の部分が塩田地帯

俯瞰すると
一面の塩田であることがわかる


より内陸地に近い方

Photo by ⒸFox3Shots
より海に近い方

まず町を見てみよう
大手門

旧市街を囲む城壁は
ほぼ完全に近い形で残っている


『Porte Saint-Michel 聖ミカエル門』

東西南北に4つある城門のうち
いわゆる大手門は東門で「サン・ミッシェル門」と呼ばれる


この辺りは堀も消滅して




したがって
跳ね橋も残っていない
この城門を入って



振り返ると
内側は例によって二つの塔ではなくて
一つの大きな塊



内側の「城門通り」は
結構小綺麗な商店が並ぶ感じの良い通りになっている


商店やカフェ


レストランなどを左右に進んで行くと
教会の欲の広場に出る

『Ancienne Collegiale Saint-Aubin 聖オーバン旧神学校聖堂』


週に4日
この広場に市がたつ


当然塩も売ってた


生産者直売なので
お土産用にお店で売っているものよりお安く買えます





この西側正面玄関口は普通開けない
南側面の入り口を使うのは他のブルターニュ各地の教会と共通の特徴

教会まで行くと
通りが入り組んでいる





城壁内は当然古い小さな家が並ぶが


中には
やや大型の意建物も無い事は無い



城壁の上も一部あるける



4つの城門の後の3つは


『Porte Vannetaise』
北門は「ヴァンヌの門」

『Porte de Bizienne』


西門は「ビジエンヌ門」

『Porte de salines』
南門は「塩田の門」

堀は
西門から北門の間と北門を通り過ぎて少しだけ
残っている







時計でいうと
9時から1時まで右回りに


あとは堀はすでに無いが
旧市街を取り囲む城壁の外側は
道路で一周できる


ではいよいよ
製塩の現場に行ってみよう


最初の作業は「田造り」
海からの水を少しでも長い距離を流せるように迷路のような畔を作る


それらの「塩の田」を
高度が10cm 程の差をつけて何面もつないでゆく


高さが少しずつ低くなる何面もの塩田に
海からの塩水を引き込む


くねくねと長い距離を流れて行く間に
塩水の水分が蒸発して塩分濃度が上がって行き


表面に塩の結晶が少しずつ形成され始める
その最初の結晶は塩水の泡から形成され香りと風味がずば抜けて良い


その最初の結晶を集めたものを『Fleur de Sel 塩の華』と呼び
採れる量は非常に少なく
それ以後のたくさん量が採れる粗塩とは取引価格が全く違うのです


毎日集めた結晶を一箇所にまとめておく





上の小さい杓子の色の白い小粒の方が「塩の華」
下の大きい方の杓子の色がやや濃い方が「Gros Sel 粗つぶ塩」


塩を集めた後には
水鳥がやってきて餌を漁っている



ところで
「ゲランド」のすぐ南の郊外「Careil カレイユ村」に
実に素朴な城が一軒


一応城壁はあるものの門構えだけ見ると
とても城には見えない

この門を入ると


『Château de Careil カレイユ城』

こうなります
そして左を向くと





この角度で見れば
確かに城塞ですが





このルネッサンスの屋根窓を見ると


一応城館とも言える
まあしかし


地方の小貴族の「代々の」家という雰囲気そのもの






この寝室などを見せられたらもう
「古城」以外の何物でもありません


しかし
この雰囲気は19世紀の館

大食堂の間は


近郊の人たちが
結婚式のパーティーなどに好んで利用されているそうです


気取らず
片意地張らず
先祖代々の屋敷を守ってきた城主の家族の自負を感じるものであります
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
【お願い】
皆様のご感想やご意見などを「コメント」から好き勝手にお寄せください
「長すぎる」「説明がうざい」「ここは行ってみてみたい」「これ聞いたことがあった」
どんな事でも参考にさせていただきたいです
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ブルターニュ紀行 54 < ミシヤック > ブリエール自然公園の入り口の 素敵なホテル

2021-06-07 00:28:50 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ/ホテル
巻頭写真 : 『シャトー・ド・ラ・ブルテッシュ』

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
54


「ブリエール自然保護区」の北東のはずれの
『ミシヤック』という村はずれの結構な広さの池のほとりに古城がある
『Château de la Bretèche シャトー・ド・ラ・ブルテッシュ』




10世紀に「ラ・ロッシュ・ベルナール」の町の前線基地の役割で
ブルターニュ公爵の下で頑丈な防御の塔が築かれていた
16世紀に宗教戦争でブルターニュ司令官が籠城して最前線となり
フランス革命時に略奪に合い
その後廃墟と化していた城を
19世紀前半に再建が始まり
同世紀半ば「モンテーギュ侯爵」が買い取り
新たな城郭の建設工事が積極的に続けられた






城の平面プランは
要所要所に防御拠点となる丸い塔を持つ城壁で囲まれて池の中に浮かぶ城
という形であった

城壁であった土台の部分と城門の塔などは15世紀のママ


現在の城館は
二つの巨大な丸い塔で囲まれる城門を有する一棟と
中庭を挟んで向き合う母屋の棟の
二棟しかない

Photo by ⒸDomaine de la Bretèche








なんと
塔の最上部の周囲を見晴らす巡警路の窓から
ワンコが見張っていた

この城には4世代にわたって「モンテーギュ侯爵」一族が住み続け
1967年に不動産デヴェロッパーに売却した
2年後
業者は城本体は複数のアパルトマンとして分譲し
別棟を
高級ホテル・レストラン
庭園を
ゴルフ・クラブ
に作り変えた

Photo by ⒸDomaine de la Bretèche

一番奥が「シャトー・ド・ラ・ブルテッシュ』
中央の方形の部分が「ホテル・レストラン・ドメーヌ・ド・ラ・ブルテッシュ」
左下に見えるのが「ゴルフ・クラブ」のクラブ・ハウス


ホテル部分へのアクセスは方形の角


中庭側の光景


大きなドアから入って何部屋もある棟もあれば


専用ドアから入る


スイートも並んでいます


二階のあるメザニーン形式も



これはレストランの中庭側
反対側にもテラス席がある

客室は
ほぼ全部の内装や造りが違う

客室 1

客室 2

客室3

客室 4

客室 5

客室 6

スイート 1
サロンから(遠い)寝室を見る

スイート 2

スイート 3

スイート 4
浴室から寝室を見る


メザニーン(マゾネット・タイプ)スイート

このホテルのレストランは
ここ30年ほどミシュランの星を失ったことはない


玄関






シャトーを見ながらの朝食はまた格別


冬には暖炉に赤々と炎が上がり


夏には外のテラスにも席が作られる

お料理をランダムに並べてご紹介

アミューズ・ブッシュ(突き出し)

海藻のサラダ

ヒメジと仔牛のメリメロ

オマール・エビのイタリア風サラダ仕立て

ビーフのフィレ・ステーキ 和風に椎茸ともやしのソテーを添えて


魚料理

仔牛

ヴィシソワーズ

ホタテとヒラメと真鱈

鴨の胸肉のソテー

フレッシュ・フォワ・グラのソテー



デザート 1

デザート 2

デザート 3


チーズ・カート
カートには12〜13種類が乗っており
各人2〜4種
切り分けてもらう


別棟には「Brasserie ブラッスリー」(カジュアル・レストラン)も
あります


てやんでい こちとらパリっ子でい
気取った飯 ちまちまくってられっか
肉持ってきやがれ
な方々には是非お勧め

蒔き焼きステーキ
お肉も豪快ですが
フレンチフライのでかいこと

バーは
且つての「厩舎」に設えられております


馬房のブースがそのまま活かされて



ボックス席になっております

スパとフィットネスも充実

ボディーケアーの施術台


体のケアーを終えたら
プールサイドでお昼寝もよし


 もう一箇所




当然ですが
屋外プールもあります



パラソルは
上からアームで釣る形なので
何時間も読書したりしてまどろむ際に
太陽の動きに合わせて簡単に寝椅子を影のなかにおけます




最後に
18ホールのゴルフも楽しめます

クラブハウス




何しろ広いです
池の面積28ha 
敷地面積が200haもあるので18ホールのゴルフ場など問題なく作れる

一週間ほど
「何もしない」でのんびり過ごすには最適な環境です
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご意見やご感想をお寄せください
旅行自体の計画や手配や実行に関しては以下のサイトもどうぞ
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ブルターニュ紀行 53 < ブリエール自然公園 > ラ・ロッシュ=ベルナール から 南の広大な湿地帯

2021-06-04 00:30:55 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 『ブリエール自然公園』一景

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
53



「ルドン」から
さらに「ヴィレーヌ川」を40km遡ると
東ブルターニュの二つの首都の一つ『Rennes レンヌ』に至るが
そこは後にとっておいて
ラ・ロッシュ=ベルナールのすぐ南に広がる広大な湿地帯
『Parc Naturel Résional de Brière ブリエール(州立)自然公園』を訪れよう

Map by ⒸGoogleMap

地図左上の端「Billier ビリエ」が先回ご紹介した「ペン=ラン岬」の起点
そこから「ヴィレーヌ川」を遡って「ラ・ロッシュ=ベルナール」が見える
地図の中央を大きく占める濃い緑の部分が「ブリエール自然公園」



詳細に見ると無数の池や沼と水路がある


相当広大な池もあれば


狭い狭い路地のような水路もある







野鳥もいれば


家畜の山羊も


馬も


野生のイノシシも生きている




もちろん漁師さんたちも居るし


群生する葦も


まばらに生える葦も


まだ青々とした葦も







刈り取られた葦も


葦で作った簡単な狩り用の屋根組みも


頑丈な葦小屋も


半恒久的な葦の小屋も



 飼料用に束ねた葦もある



もちろん船も沢山










そして多くの観光客も





観光客を案内するのは
必ずしも船に限られるわけではありません


さらには
人間と動物との



共存共栄も

そしてそれらを可能にする


清掃作業もしっかり行われています

この広大な沼沢地には
「Ile 島」と呼ばれる一かたまりの土地があって
その中にはブルターニュの「Chaumiere 田舎風家屋」が多く集まり
別荘地として好まれています

その中の一つ『Ile de Fédrun フェドラン島』


正確には島ではないのです
でも陸路は二本の道路からだけで周囲は水路に囲まれている
そして
中を一周する道があるだけで
その道の両側に家が並んでいて
人工的に造成された分譲住宅地みたいに整備されている

この「フェドラン島」を中心に
この辺りに残っていて完璧に修復されているブルターニュの田舎風民家を
いくつか挙げておきます















もちろん
時代を経たものもあります


納屋とか



昔の村民の共同パン焼きカマド

そして
ブルターニュですから当然ですが「ドルメン」もあります

『dolmen de Kerbpourg ケルブールのドルメン』


真っ平らに近い湿地帯ですが
このドルメンはやや高いところにあります






このドルメンのすぐ近くには
素敵な風車もあります

『Moulin de St-Lyphard ou Moulin de Fées』
「妖精の風車」という愛称で呼ばれる「サン・リィファールの風車」

そして更に「塩田」も

Photo by Ⓒtourismebretagne

このような海に近い部分は当然塩田になります




塩田に関しては
この「ブリエール自然公園」地帯の南西の端っこに
世界に冠たる銘塩を産する『ゲランド』がありますが
そこは次回にご紹介しましょう

とにかく
絵のように美しい光景です






Photo by ⒸLoireAtlantiquetourisme
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どんな些細なことでも構いません
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ブルターニュ紀行 52 < ラ・ロッシュ=ベルナール ルドン > ペン=ラン岬 から ヴィレーヌ河 に沿って遡る

2021-06-02 00:15:35 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : ラ・ロッシュ=ベルナール(ベルナールの岩)の岩山の砲台

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
52


東から流れてくる『La Vilaine ヴィレーヌ河』を
ペン=ラン岬から遡ってみよう

ヴィレーヌ河の河口

Map by ⒸGoogleMap

地図の左端(東)に「モルビアン湾」
赤いカメラのマークが「ペン=ラン岬」
そのまま河を遡行して
地図の右端下段が『La Roche-Bernard ラ・ロッシュ=ベルナール』
河口から10kmあまり
途中に『Arzac アルザック』(右岸)と『Carmöl カーモル』(左岸)という町で
堰と水門がある


下流から遡って堰の直前

Photo by ⒸMilithium3D

右が下流で左が上流
言い換えると
下が右岸の「アルザック」で上が左岸の「カーモル」

上流側から見た堰


干潮時に上流側の水位を下げない堰の横に
閘門付きの水路と
閘門のない水路とがある


ヨットのマストを立てたままで通れるように
橋が上がる


 こんな岸辺を左右に見ながら遡行し
また船溜りが有って橋が見えてくると


そこが「ラ・ロッシュ=ベルナール」


この橋は
1883年に架かり1911年に架け替えられたものの後
ほんの少しだけ下流側にずらしてかけ直し1960年に完成した3代目

向こう側に
前の代の橋の橋脚部分が残っている



1883年に完成した初代は


19世紀末の絵葉書

そして
1911年に架かった二代目が


戦前の絵葉書


これらの橋は三代とも川の中に橋脚はなく
両岸の橋脚を台としてつり橋をかける形式だ

そして
町の名前「ベルナールの岩」の由来が


この岩
この下の波止場から「ヴレーヌ下り」の遊覧船も出る



一つ前の写真の岩の背後にも徐々に高くなって行き
最上段まで行くと
下流から攻め登って来るであろう敵船を見張るのに
これ以上絶好のポイントはない

岩山の頂上の砲台

『1629年 宰相リシュリュー枢機卿の命により
ここ
ラ・ロッシュ=ベルナール工廠に於いて
3段甲板を持つ大型外洋定期船《La Couronne 王冠号》が建造された』
という銘板が設置されている

両岸から川面まで高度差があるので
この町は
砲台の町
高台の町 坂の町 港町





当然階段が多くなる


そして川岸の眺めを川から見るとこうなる
川岸は港










斜面の中段に素朴な城が残っている


一つ上の建物

『Château des Bassesfosses 下段堀の城』


上まで登って川の反対側に回ると



入り口があって


この中は『ヴィレーヌ川海洋博物館』に使われている




『Maquette de la Couronne』

1627年リシュリューの命によりこの町で建造された
「ラ・クゥロンヌ号」の模型


水夫の奥さんたちの風俗と日常の道具


海軍高級士官用のブーツの靴作り職人の道具





それでは「ラ・ロッシュ・ベルナール」から
さらに上流に行ってみよう

※  ※

ヴィレーヌ川を更に15km遡ると『Redon ルドン』に着く



この「ルドン」も当然「川の街」




当然港があって水門もある






旧市街の川岸の家並みは
当然美しい


その川岸から
かつての大修道院が見える

『Abbatiale de Saint-Sauver 聖救世主大修道院聖堂』

この「聖救世主大修道院」の聖堂を外陣から見ると
実に堂々たるゴシックの大伽藍だ
右奥の細い尖塔が西側正面の鐘楼なのですが
実はつながっていない


18世紀に大火災に遭遇し
西側正面玄関口から被災したアーチ4本分を撤去した結果
身廊が20m短くなってしまった
見取り図の「10」の部分
鐘楼は西側正面の横に接続して建てられていたが
その後単独で残された

単独で残った鐘楼


内陣と翼廊との交差部の屋根は
明かりとりの開口部を持つ角を丸めた巨大な四角い塔となっている


この形の交差部の塔は他に類を見ない独特のもの

その鐘楼の正面からやや左後方に
小さな城のような市役所がある



聖堂を右後方から見ると
市役所は修道院とは関係ないことがわかる


しかし
真横から見ると聖堂らしくない
聖堂内部は


身廊部は創建当時12世紀のロマネスクの素朴な壁構造で
天井も低い半円筒形アーチ


身廊から主祭壇に有る内陣を見ると
後陣(外部)から見て分かった通り見事なゴシック
つまり時代が後なので
天井が高く
壁のない骨組みだけの構造である
その差がよくわかる




回廊部はしっかり残っているが
今では修道院としては機能していない


回廊の後方に見える交差部の屋根の塔から右に
内陣の屋根が続いている
左側にあるはずの身廊の天井は低くて隠れている

旧市街の中は落ち着いた雰囲気


新旧の家々が入り混じる石畳の通り


租税として収められた塩を保管した「蓄塩倉庫」



木の柱と梁の家々も
この2軒の切妻の部分にはアルドワーズ(粘板岩)の石瓦を貼り付けてある


そして
何度見返してもよく分からない
古そうな建物の「角の部分」だけを台座に乗せて保存したような家もある




日が沈んだばかりの夕景も美しい
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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