行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

【特別企画】 < パリのクリスマス 2021 >

2021-12-25 00:00:01 | 特別企画
巻頭写真 : シャンゼリゼ大通りのイリュミネーション

2021年も余すところあと6日
コロナ禍で2度目のクリスマスを迎えました
連載中断中ですが
パリのクリスマスの様子を点描でご紹介しようと思います


11月21日
昨年より1週間早く点灯された『シャン・ゼリゼ大通り』のイルミネーションは
2018年以来同じライティングの使い回し


中央分離帯1車線分の両側が片側4車線+自転車レーン
その車道の両端と左右の歩道の真ん中と計4列の並木に赤いLED
ネオンサインすら規制のあるパリの電飾に「赤」と
最初の年はびっくり仰天したものでした



両側とも歩道自体が4車線分はありそうですがその真ん中の並木だけは電飾が一本置き
気づきにくいところで節約が図られています


お隣の『モンテーニュ大通り』の電飾は昔ながらの「電球の色」で落ち着きます


普通の通りの電飾はこんなもの
今年はイリュミネーションされている通り自体が非常に少なく感じます



とある広場は周りの並木に渋い電飾がつけられていて


まるで金箔を散らしたような美しさがありました


「Rue des Bulles 泡通り」
という通りの名前にちなんで「風船」を飾った変わりダネもあった

ところで
クリスマスといえばツリー
それも今年は例年に比べると飾ってあるケースが見るからに減っています
飾ってあっても規模が小さいような気がするのです


『大統領府エリゼー宮』中庭


ツリーといえば花屋さん




街中の花屋さんは店の前の歩道を最大限使って
時には左右の別のお店や事務所の前も使わせてもらって
大量のツリーを販売しています


しかし昨今は
すでに飾り付けをして販売するタイプの店も以前に増して増えているよう




それらのツリーは
一般家庭は当然のこととして
ホテルのロビーやレストランのエントランス
街中の広場や各種商店の中に飾られる








もちろんツリーは「木」だけではありません



ミニチュアのツリーもあります
ほとんどクリスマスらしい飾りはなく
展示のほんの一部にちょっとしたクリスマスアイテムをそれとなく飾っている
粋なお店もい結構あります
このグレイのサンタさんも粋です


きわめつけは「紙製」のツリー
某高級ブランドです



削った白木の腕を積み木状に組み合わせたツリーも

商店や事務所もデコレーションしてないところも今年は目立ちますが
ツリーだけがデコレーションではないのも当たり前






ここは照明器屋さんですがいかにもなベタな飾りが
と思ったら赤いテントが張ってあって



子供連れが並んでいて



中で衣装を着せてもらって


サンタさんと写真を撮るサービスをやっていた


とあるモールの通路にも「それ用」の椅子があった


後日行ってみたらこんなことになっていたのでありました
この「サンタさんとお写真」は昔からの定番で
かつてはデパートの前のアーケードの歩道に必ずサンタさんがいて
怖がって泣き叫ぶ子供を抱いてもらって写真撮影を頼む親たちがたくさんいました
今ではほとんど見かけなくなってしまった


デパートと言えば
歩道に面したウインドーには機械仕掛けでお人形を動かして
子供たちが群がるのが今も変わらぬ光景です
動画のアップの仕方はややこしいので静止画でご紹介


アルザスの名物「プティ・ボン・ノム」の形の大きな「ボン・ノム」が踊る


小さなパティシエたちが働き回る




元来「クリスマス」はキリスト教にとって最も大切なお祝いの日で
待降節と呼ばれる「イエスが生まれる日まで」の4週間は
何か努力目標を決めて神様に誓い頑張るのです
「コーヒーを断つ」とか「学校から帰ったらまず宿題をすませる」とか
24日のミサが終わると
その努力を祝って家族でご馳走を食べる
そして24時をまたぐ「降誕のミサ」に臨む

20年以上前は12月24日と31日のレストランは通常のメニューはなく
フォワ・グラやらトリュフやら
オマールエビやら鴨やらジビエ(鹿や猪やキジ等の野鳥やら)など
高価な食材を使いシェフが腕によりをかけたコースを設定して
高価な食事を楽しむ家族が多かったものですが
ここ20年ほどは
ほとんどその習慣がなくなり
皆が自宅で過ごすようになってその日は営業しないレストランも多くなった昨今です

そのフランスのクリスマス「Nöel ノエル」を象徴するのが
『Bûche ビュッシュ』というケーキ
暖炉の「マキ」という言葉でそのものズバリなマキの姿形をしていました


近年多くの菓子職人さんたちが創意工夫を凝らして
マキに似せることなく
「円筒形の横長」というだけで素敵なビュッシュを作り始めて
今では田舎のパン屋さんか大型量販店ハイパーにでも行かないと目にしなくなってきた




今の時代の主流は


こんな風にマキには見えなくなってきて
名だたる有名パティシエの店になると






以上4点『アンドレ・ル=ノートル』




以上3点『ピエール・エルメ』



以上2点『ル・パティスリィエ』



以上2点『メゾン・ド・ショコラ』



『パスカル・カフェ Pascal Caffet』のリンゴット型

ブッシュは食事の最後です
肝心のクリスマスディナーはミサの後ですが
場所と教区によって24日のミサが後で夕食にするには遅すぎるような場合は
クリスマス当日
つまり12月25日の夕食をそれに当てる家庭も少なくない

日常には頻繁に食べない「ごちそう」をこの時ばかりはと
ある日のハイパー・マーケット「カルフール」の売り場をお見せしましょう

生カキ24個入りの箱が山積み

茹でたオマールエビや伊勢海老

活けの伊勢海老

スモーク・サーモン

フォワ・グラ

地鶏




オペラ座裏

ヴァンドーム広場

デパート『サマリテーヌ』

デパート『オ・ボンマルシェ」


バザールが出るチュイルリー公園

皆様方どなたにも平和な日常が訪れますように!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 < 更新遅延のお知らせ と お詫び >

2021-12-13 22:57:43 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「ジカヴォ村」付近の日常の光景

山賊たちが山間の村に潜み啀み合い
海賊たちが海岸の港に棲んで啀み合い
しかし
外国支配に対しては一致団結しながら時を刻んだ海から切り立つ高山



夏ころまでは1け月分ほど先の記事まで書き溜めながら
これまで規則正しい定期更新に努めてきましたが
あれこれありまして
だんだんと遅れがちになり
ついに
ストックがなくなって
週三回の更新が厳しい状況に陥ってしまいました

1週間ほど
更新を中断させていただかなければならない事態となりました

せっかく
非常に少しずつですが読者の数も増えてきたところでの
この状況に忸怩たるものがありますが
どうかご理解の上
生暖かく見守ってくださいますよう
お願い申し上げます

コルシカならではの一皿

イノブタの生ハムと
レバーのムースと
エビとムール貝の盛り合わせ
海の中の山国の料理です

来週には更新したいと思いますので
今後ともよろしくです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 47 < アジャクシゥ から コルテ へのルート 4 > 

2021-12-10 00:23:04 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「ヴナコ」周辺の山里から「コルテ」に向かって標高が下がって行く点描

山賊と海賊とが跋扈した
地中海に切り立つ高山コルシカ島は
野生のハーブと果樹の森に覆われた『美しい島』と呼ばれる


コルシカ島全体の主邑「アジャクシゥ」から島の中央部を目指し
「県境」を越えて「上コルシカ県」に入って二回目の今回
歴史上初めて島の独立を宣言した「自由コルシカ共和国」の首都であった
「コルテ」を目指すことになります

前回の「ヴィヴァーリゥ」から10kmで『ヴナコ』に至る


「モンテ・ロトンド山塊」で4番目の高山『モンテ・カルド 2453m』
の前座の懐に抱かれた「ヴナコ村」




『Ghjesgia San Mihele di Vonaco』

村の中心の教会は『聖ミカエル教会』




村の中はいたって素朴で且つ自然の厳しさとそこで生きてきた頑固さを感じる
そんな山国コルシカの小さな山村の典型




今村にも電車が止まる


手前の緩やかな曲線が線路で石造りの陸橋の向こうはトンネル


まさにそのトンネルを出てきて陸橋を渡るっている電車
村の佇まいは半世紀全く変わっていなくて
電車だけ最近の新型になっている対比がとてもミスマッチに思えて仕方がない





その他にも『聖ペテロ教会』が「サン・ペトリュ・ディ・ヴナコ地区(村)」にある

『Ghjesgia San Petru』Photo by ⒸCorcica-tourisme




教会前の広場の片隅に「フォンテーヌ(水場)」が残る



この「聖ペテロ教会」のある地区を「サン・ペトリュ・ディ・ヴナコ村(地区)」と言い
「ヴナコ村」を構成する下位の自治体の一つで
そこの古い時代の「共同洗濯場」を保存してある

『Lavoire San Petru』






『Misognu』

山から流れてくる数ある清流の一つ『ミゾーニュ川』は
この村で「ヴェッキオ川に合流する」
「サン・ペトリュ・ディ・ヴォナコ地区」には他にも

『Saint-Sebastien de San Petru di Vonaco』
『聖セバスティアヌス教会』


さらに「カンプゥ・ヴェッキゥ地区」には
苔むすような古そうで小さな礼拝堂『サン・ロッカ礼拝堂』もある


『Chapelle San Rocca』

そしてさらに背後の高峰「モンテ・カルド」の山肌に

『Chapelle San Eliseu』
『聖エリゼ礼拝堂』




この「ヴナコ村」の域内には上にあげた「サン・ペトリュ・ディ・ヴナコ」以外にも
サブ自治体として魅力的な集落が幾つもある


『ポッジオ・ディ・ヴナコ村』


『Poggio di Venaco』



一番高い位置にお約束通りに教会が建っている



『サン・キリクゥ教会』
(標準フランス語では「サン・シール教会」という)


『Ghjesgia San Quillicu / Eglise Saint-Cyr』






中心の通りに教会がもう一つ

『Ghjesgia San Roccu / Eglise Saint-Roc』
「聖ロック教会」



かつてはコルシカ鉄道がこの村にも止まっていたが今はもう止まらない
廃駅が山岳事故などの際の救護施設として使われる





『カサノヴァ村』
この村名は元々「Casa Nova 新しい家」と呼ばれていて
その後「Casanova」と繋がって名前になった

『Casanova』



山間の窪地に村があるように見えるが
一方が棚場になっているのでしたから遠望すると




山の頂にある村のようにも見える

『Ghjegia de Sante Maria』

この村の唯一の見どころは
この「鐘楼」を肩に担いだような形の教会「聖マリア教会」

『Fontaine』

文化財指定の古い水場も健在


『ムラシオール村』

『Muracciole』

この村の売り物は二つ
左端に見える教会と奥にある城

『Ghjesgia Assunta』

「被昇天教会」
上の写真は後ろ姿


こちらが正面








お城は『シャトー・ルネッサンス』

『Château Renaissance ( de Muracciole )』

一見して奇妙な雰囲気だ
元来なら「シャトー・ド・ムラシオール」と言うような名称のはずだが
無造作に「ルネッサンス城」と呼ばれてきた
コルシカには所謂ルネッサンスの建造部物ほとんど無い
16世紀はジェノヴァの支配下にあり
手のかかる建造物など建てられることはなかったのだろう
教会などが一斉に建て直され始めるのは17世紀になってからのことだった


前の写真とは反対側の眺めの方がルネッサンスらしいと言えるだろう


城の門は閉ざされていて
左に開いているように見える部分は門ではなく道路
そfれを行くとすぐ左曲がりに上り坂になり


裏側へと抜けてくる
一般見学には解放していないが情報によると外観も内部も完璧に保たれているそうだ


『リヴェントーザ村』


『Riventosa』

この村も起伏した地形の頂にある



一番大切な建物はやはり教会
ただし一番高い場所に建てられているわけではない



中央やや左に教会の尖塔がお分かりになるだろうか






村の雰囲気はとても良い



丘の斜面にある村の通例で建物の一部をくぐり抜ける路地があり反対側は高低差がある
本土「プロヴァンス地方」に多い構造がこの村にも見られる


保存と管理が行き届いて美しい石の家も良いが


生活の年輪でススている建物もコルシカらしくてとても良い

では
コルシカ島が初めて独立を宣言した『自由コルシカ共和国』の首都であった
『コルテ』までもうあと7〜8km
次回から「コルテ」をたっぷりとご案内しましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想とご意見やご要望を是非「コメント」してください
旅行の計画立案や手配と案内などにご興味のある方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 46 < モンテ・ドーロ と モンテ・ロトンド > ヴィザヴォーナから 南北の名峰2座を訪れる高山三昧  2 北側

2021-12-08 00:49:15 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 朝霧にけぶる『モンテ・ドーロ』

山賊と海賊とが跋扈した
地中海に切り立つ高山コルシカ島は
野生のハーブと果樹の森に覆われた『美しい島』と呼ばれる



県境の「ヴィッザヴォーナ峠」を北側に下ると「ヴィッザヴォーナ村」に至る
その村を挟んで南北にコルシカを代表する名高い名峰がある
北側は『モンテ・ロトンド山系』に含まれる『モンテ・ドーロ山』
南側は『モンテ・レノーゾ山』及びその山系に含まれる『オリエンテ峰』
先回南側に行ってみたので今回は北側を訪れよう

Map by ⒸInstitut Géographique National (IGN)

すぐ北側に「Ancien Fort (旧要塞)」と「Cascade des Anglais (英国人の滝)」

駅を離れるとすぐ森になるがそこに教会が建っている

『Chapelle A Sigora di a Furesta / Eglise Notre-Dame de la Forêt』

『森の聖母教会』という名前のこの小さな教会は
森が生活の一部になっている証


内部もシンプルだが明るくて優しい雰囲気が漂う
森の中の道に入ると標識が現れる


「Cascade des Anglais (英国人たちの滝)に至る GR20 北路」という表示
「GR」は仏語で「Grand Ranbdonée(大トレッキング)」の頭文字で
ヨーロッパ全体に北から南へと途切れ途切れにつながるルートの名称で
「GR 20」はコルシカ島内の山と谷を結んで南北と東西につながるルートの事です


アウトドアー・レジャーと言う感覚は英国貴族から生まれてきた
それまで余暇を楽しむのは貴族たちで庶民は働いて財を収めて死んでゆくだけ
19世紀までの仏貴族の楽しみとは「宮廷での宴会」と「男女の秘め事」
ところが英国は「カントリー・ジェントルマン」という言葉がある通り
宮廷に入り浸るより自分の領地で猟犬を育てたり馬を名馬に仕立てたり
自ら自然の中で暮らすのを好んだ






冬の長いブリテン島から避寒地として大陸へ地中海へとやって着て
フランス貴族が価値を見出していなかった海辺や山地の
「知られていない密かな場所」を見出すことに喜びを感じていた
コートダジュールの発達は彼らに負う








ここの滝もきっと
そんな感じで英国人が発見してそのような呼び名がついたのではなかろうか

ところでコルシカ島には標高2000mを超える山は40を超える
尾根の途中のピーク(峰)を入れるともっと多い
その中で
『モンテ・チント 2706m』
『モンテ・ロトンド 2622m』
『モンテ・レノーゾ 2352m』
の三大主峰には周辺の連山を入れてそれぞれの名前で「山塊」と呼ばれる
そのうち
「モンテ・ロトンド山塊」の『モンテ・ドーロ 2389m』と
「モンテ・レノーゾ」とが
「ヴィッザヴォーナ」の南北にそれぞれ直線距離10km〜15kmで向き合っている


「ヴィッザヴォーナ村」から北北東に路程で20km
高低差1350mの往復7時間半の行程で「モンテ・ドーロ」登山を楽しめる



森林限界を超えた高さになると


「黄金山(モンテ・ドーロ)」が見えて来る
上の写真では左奥

『Monte d'Oro』









頂上には十字架と登山者たちが積み上げたケルンがある


頂上からの眺め






真冬にはこんな眺めになる
登山できるのは6月から10月までの5ヶ月間弱

初夏




初冬(積雪前)

この「モンテ・ドーロ」の含まれる山塊の主峰『モンテ・ロトンド』に関しては

『Monte Rotonde』

後日「コルテ」の町から「レストニカ渓谷」の際に改めてご案内しよう

「モンテ・ドーロ(黄金山)」を下山して森の中と山道を東に向かうと
森林地帯の中に清流が何本も流れている






当然滝もある
『はちみつ滝』

『cascade du Miel』

なぜそのような名前になったのかは寡聞にしてわからない





面白いものがあった


近くの集落にフォンテーヌがあってその溢れた水が回収されて


滝につながる清流に戻されている




北東の方角に森を抜けて行くと『ヴィヴァリゥ』という村がある
その村に入る直前
まだ「ヴィッザノーヴァ村」の森の中にとても小さな可愛い礼拝堂がある
『雪の聖母教会』

『Chapelle A Segnora di a Furesta / Chapelle Notre-Dame de la Nège 』


たまたま何かのミサで礼拝堂を開けてあったが
中は祭壇しかないほど奥行きがない小さな礼拝堂

そして『ヴィヴァリゥ』村

『Vivariu』

清潔感溢れた『軛の聖ペテロ教会』が村のシンボル


『Eglise Saint-ïerre aux Liens』

たまたま姪に立つ標識の一つ
茶色の標識(普通文化財を示す)に「サンタ・マリア・ダルク礼拝堂」とあるが
いかにも古そうな礼拝堂が村はずれにあるのです


『chapelle de Santa Maria d'Arcs』

入り口に向かう石段は頽れ朽ち果てる寸前
斜面に建てられているので奥は半ば地面に埋まるような作りになっている
他にも

『Chapelle Saint-Pierre et Saint-Paul』

この「聖ペテロと聖パウロ礼拝堂」は程よく修復されているようだが
「八角堂」とでも呼べる5世紀頃の原始キリスト教の教会の建てられ方をしている

村の周囲は山々に取り囲まれていて北側の小山の頂上に何やら建っている



右奥の小山の上



『Fortin de Pasciolo」

『パッシオーロ小要塞』と言い遠望すると禿山に建っているかのように見える


しかし建っている小山の頂上のほんの少し下から見ると木々がある



ほぼ同じ高さまでくると
遠くから感じたように木は一本も生えていない禿山のように思える


先回あげた「ヴェッザヴォーナ旧要塞」は
四角い建物のうち向き合った二面の壁が残るのみなので
直角に見ると日本の腕のように見えたが
こちらはしっかりと壁が四面ともに残っている




この辺りは峠の直下の「ヴィッザヴォーナ村」の北9kmほど
間道をまた国道に乗り換えて先を目指すことにしよう
村を一歩出たところに「二重橋」がかかる

『Pont Vecchio et Pont d'Eiffel』

「ヴェッキオ川」にかかる『ヴェッキオ橋』の上に
ギュスタヴ・エッフェルの設計による鉄道橋がかかっている


電車がこの鉄橋に差し掛かるとけたたましい警笛を響かせながらゆっくりと渡る
下を通る車はエッフェルの橋に敬意を表する形となる




=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見ご要望などを「コメント」からお寄せください
実際の旅行の立案や手配と案内などに関心のある方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がして見合い 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 45 < アジャクシゥ から コルテ へのルート 2 > 県境の村でコルシカの高山三昧 1

2021-12-06 00:26:01 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 『プンタ・デッロリエンテ峰』

仲間割れで逃げた山賊を海岸の村が匿い
港にいられなくなった海賊が島肌に群生するマキに逃れて山里で匿われた
「地中海の美の島」と呼ばれるコルシカはそんな歴史を持つ
海の国で山の国



先回に引き続き
今回は「ヴィッザヴォーナ村」から南側の山を訪れよう


「レノーゾ山塊」を構成する中に
「ヴィッザヴォーナから南に下るとほどなく『オリエンテ峰 2112m』がある
(この地図には書かれていない)

山麓には昔からの牧羊家の羊小屋が点在している








数千年間続いた氷河期が終わった後
氷河が割って運んできて残された岩がゴロゴロ残る地形ができアフガリ
そこに牛やヤギが放牧されている





この尖った岩の先端と周囲には放牧されているヤギが多数へばりついているのですが
写真では小さすぎてわからないかも







頂上にはお約束のように十字架が立てられている

『Sommet de la Punta dell'Oriente』

「オリエンテ峰」の頂上







この峰から直線距離で南に10kmほどで山塊の主峰『モンテ・レノーゾ 2352m』
が控える
南コルシカの最高峰


『Monte Rinosu / Monte Renoso』






頂上直下の標高2092、の位置に『バスターニ湖』がある

『Lac Bastani』














1965年12月29日
バスティアのバスケットボールチームの男女選手22名と関係者2名を乗せた
ボーイングが2300mあたりの斜面に激突した
当日あたり全域が濃霧で全く視界がなく惨事が起こり
救助隊は2日後にしか近づけなかった
乗客24名全員がなくなったが
加えて
救助活動に携わった高山救助隊の女性救助隊員が一名転落事故を起こして亡くなった
その彼女を偲んで女性の頭像が事故現場に立てられている






「バスターニ湖」を頂上から見下ろす




角度と季節が変わると別の山のよう
ちなみに「レノーゾ山塊」には最初にご案内した「プンタ・デッロリエンテ峰」以外に
6座の2000m超えの山々がある

その「レノゾ山を東側に下ると麓は『ギゾーニの森』がが広がり





『ギゾーニ村』がある


遠景は典型的なコルシカの山里


例によって村に入る少し前に廃屋があった


村の中は遠望する時の印象より開けた感じ

『Ghjese santa Maria / Eglise notre-Dame』
聖母教会

『Ghjese San Franceschinu / Eglise Saint-Fransisco』
聖フランシスコ教会


なにやら立派なお屋敷のような住宅があった

建物の後ろに覗く山を注目してほしい




この「刷毛」の毛先みたいな頂上を持つ山は村の背後に必ず見える


『Monte Kyrie Eleison』

「キリー・エレゾン山」
この山はその昔スランシスコ会の修道僧たちが僧院を建てて隠棲し
「神の慈悲は我らに」と唱えていたそうだがコルシカ語で神の慈悲を「Kyrie Eleison」といい


それをこの村の守護聖人の如くに背後から見守るこの山を
その名で呼ぶようになったそうだ
せっかくだからアタックしてみよう



近づいているつもりでもまだまだ遠い



やっとkなり近くに見えてきた











頂上ももうそう遠くない



頂上間近で下に村が見えている
ただしこんな針のようなピークには登りません



ついに登頂成功
(写っているのは筆者ではありません)


見下ろすと下の方が大変そうに見える







「ヴァリー川」



ということで
もう一度地上で村の周囲を見てみることにしよう























では次回は「ヴィッザヴォーナ」の北側の山歩きをしてみよう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見をコメントで送ってください
具体的に旅行をしてみたい方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 44 < アジャクシゥ から コルテ へのルート 1 > 

2021-12-03 00:39:24 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「ヴィッザノーヴァ峠」から望む山々

地中海からいきなり屹立する高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれる



これまでコルシカ島の西岸をたどってきたが一旦「アジャクシゥ」にひき返し
そこから18世紀末初めて「自由コルシカ共和国」を宣言した時の首都「コルテ」を
目指して山道を島の中央部まで辿ってみよう

Map by ⒸGoogle Map

黄色の線が国道で白が県道
見にくいが左上から右下に伸びる黒の点線が「上コルシカ」と「南コルシカ」の県境
この国道193号線で北上すると73kmで「コルテ」に至るが
まず県境までいくつかの集落をご紹介する事から始めよう。

この国道はアジャクシゥの北東の入り口で二股に分かれて町を東西に挟んで流れる
「グラヴォーナ川」の流れに沿って坂の打って行く
アジャクシゥから1時間ほどはそれほど標高は高くはない
15〜6kmほどで『タヴェーラ村』


『Tavera』

典型的なコルシカの山里で大した特徴はないが


村はずれの森の中に古代の巨石文明の遺跡が残っている



先にご紹介した「フィリトーザ」風の彫刻メンヒル



そして要塞型防御集合住宅「カステッデュ」






これまでの例もそうだったが
「カステッデュ」は見晴らしの良い高台にある


カステッデュからの見晴らし


そして周囲を高山に囲まれるため



水源には不足なく




「グラヴォーナ川」の渓谷美もはハイカー達に好まれている




この村には島に二系統しかない鉄道の幹線「アジャクシオ/バスティア線」の
駅がある





「タヴェーラ」から6kmほどで『ボコニャーノ村』


『Valée de Bocognano』

この村のある谷間は「ボコニャーノの谷あい」と呼ばれる





『Ghjese Santa Luccia』

「サンタ・ルチア教会」の鐘楼が白く輝く。


鐘楼の下1/3が切石組みで最上部だけ化粧塗装がなされている



『Fontaine』

この水場(フォンテーヌ)は1883年に設置されたもの

『Mont d'Oro』

村から直線で10km真北に名峰「モンテ・ドーロ」がそびえる
島に40座以上ある2000m超の高峰の一つで標高2389m


その万年雪から滲み出る清流が滝を形作っている


島の多くの滝の中では落差が大きくウエディング・ヴェールのように見える事から
『花嫁ヴェールの滝』と呼ばれている

『La Cascade du Voile de la Mariée』



実はこの滝は落差が非常に大きく上から1/3ほどのところに観覧台がある
人が10人ほど写っているのだが判別で汁だろうか


その観覧台からの光景




季節によって水量が違うが水量の少ない季節は本当にヴェールの様に見える



さらに渓流が変化に富んでいるので
キャニヨニングの聖地としても愛されている



最後にこの村の歴史上の人物を一人ご紹介しておきます

『Antoine Bonelli dit Bellacorsi-Bandit d'Honneur de Bocognano』Pierre Ucciani

この村出身の画家ウッチアーニの描いた「アントワーヌ・ボネッリの肖像」

「サルテンヌ」の項で話題にした
町の二家系が狭い路地を挟んで窓から銃撃戦を行っていた話を覚えておられるだろうか
コルシカ島は昔から村々にギャング集団のような族党があった
山国では山賊の
海岸では海賊の
それぞれの縄張りがあり其々の親分が率いていた
この絵に描かれた「ボネッリ」は「ボコニャーノ村」の「Bandit d'Honneur (名誉大親分)」
と呼ばれる伝説の人物なのです

※  ※

「ボコニャーノ」から7〜8kmで県境の峠
『ヴィザヴォーナ峠』
木立の陰にやや広い駐車スペースがあるので小休止していると
どこからともなく放牧中の豚やらイノブタが近寄ってきたりする


車を止めて近くの斜面をよじ登ると


北側に「モンテ・ドーロ」の威容が正面に見える
写真の右端に二つの突起がお分かりになるだろうか



『Ancient Fort de Vaux』

すぐ近くにある城塞の廃墟『旧ヴォー要塞』
「fort」と呼ばれているので「要塞」だが
おそらくそれほど大規模なものではなかったのではなかろうか













各所に多く残るジェノヴァ時代の単独の塔でないことは確かだ


この辺り一帯は「コルシカ地域立ヴィザヴォーナの森」という
コルシカ独自の自治体法が管理する森で
旧要塞以外にも清流あり滝あり登山道ありで充実しており
秋には欧州では珍しく黄葉ではなく紅葉が見られる

峠を下ると『ヴィザヴォーナ村』
この村も「コルシカ鉄道アジャクシオ⇆バスチア線」が止まる


国道沿いはかなりの森で見通しがきかないが
駅のところだけ抜けている


かつてはレトロなジーゼル列車が走っていて甲高い警笛が山々に木霊していたが
つい最近現代的な車両に代ってしまった
駅を降りるとすぐにハイキングコースや登山道の翔式があり
カフェが一軒だけ


このカフェで一休みして
次回はこの辺り一帯の森と滝と高山の連なりとを訪れることにしましょう
  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様からのご意見やご感想をお麻痺しております
「コメント」からどうぞ
旅行の立案と実際の手配や案内などに興味のある方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 43 < カランシュ・ド・ピアーナ から スペルンカ渓谷へ > 海から山へ

2021-12-01 00:57:35 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : エヴィザ村から見る『スペルンカ渓谷』

地中海から屹立する高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期以来の野生が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれる



「ポルト」を発つ前に南側の「ピアーナ」のカランシュをちょっとだけ
訪れてみよう


山側から見下ろすと凄い高度差があることがわかるが


プロヴァンス地方「カシス」と「マルセイユ」の間にあるカランクと比べれば
海があまり陸の内側に侵食していない


陸の岩の浸食は奇観を生み出しているが
海が入り込んでいないので
プロヴァンスのカランクのようにフィヨルドにはなっていない


海岸の断崖を船で楽しむことは「スカンドーラ」の遊覧と同じようで
しかも「スカンドーラ」と違って断崖のすぐ下が浅い部分もあるので
水が濃い紺碧だけではなくグリーンの部分もある





しかし船でくぐれる岩のトンネルがある




トンネルの右側奥
右からかかる大岩との間まで入って行くと


こんな感じで船が宙に浮く











「ピアーナ」の村からビーチまで歩いて降りてくることができる
もちろんカヌーやボートで乗り付けて過ごす人たちも多い

では「ポルト」に戻って車で再び「ピアーナ」まで登って行くことにしよう





先先回に書いた通り一軒ある茶店には数台文の駐車スペースがあるが
それ以外の場所にも車を無理やり止めて岩の浸食による厳しく激しい姿を
写真に収める






「ポルト」から県道81号線から分かれて東側の山中に入って行く86号線がある
その道を
港に注ぐ「ポルト川」に合流する「スペルンカ川」の峡谷を遡ってみよう


コルシカは海の国で山の国
「ポルト」から4kmほど上流に遡ると『オタ』という村に至る

『Ota』遠景

俯瞰

山里ではあるが

超遠景俯瞰

周りの山々はもっと高い

近景




この「オタ」からさらに上流にわずかに逆登ったらジェノヴァ統治時代初期の橋がある
『ピアネッラ橋』

『Ponte di Pianella』


渓谷自体は非常に大規模なものだが


流れ自体はかなり小さい












「ピアネッラ橋」からほんの少し上流にもう一つ
『ザッリア橋』

『Pont de Zaglia』

前の「ピアネッラ橋」は上部が緩やかな曲線で
今度の「ザッリア橋」は両岸から直線で伸びて真ん中が曲線ではない












「オタ」から細くうねった感動を15kmほど奥に進むと
『エヴィザ』という村がありその間の地域が『スペルンカ渓谷』と呼ばれて
格好のトレッキング・コースとなっている




トレッキング・ルートの標識の赤い印があった



多くのハイカーたちが残したケルン







その「エヴィザ村」からそのまま10kmで「ヴェルジオ峠」
そこが「上(かみ)コルシカ県」と「南コルシカ県」の県境
「エヴィザ」から県境の峠までの地域は『アイトンヌの森』と呼ばれている



『Evisa』遠景


同 近景


霧のエヴィザ



村を出て10分ほど走ると車が数台駐車できるスペースがあり
展望ポイントになっていて



そこから木立の中を800m程も行くと『アイトンネのプール』と呼ばれる
渓流の一部がかなり広い「溜まり」になった部分が景勝の地として知られる


森の中の遊歩道






近くには「アイトンヌ滝」という中小複数の滝もあり
小さな流れが作り出す渓谷美に溢れている
















「アイトンヌの森」の中はトレッキングのためのコースがあり
見所も多い


かつての栗の貯蔵場
コルシカと栗とは切り離せないので今後どこかでご説明しよう


お昼寝中の猪豚の子供


こんな見事な山羊がいた

最後に「ヴェルジオ峠」の様子も



標高1490m

『王としてのイエス』



=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想ご意見などをお寄せください
旅行の計画と手配などに興味のある方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする