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好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

アール・ヌーヴォーをたどろう 6 <ラリック と サラ・ベルナール と ミューシャ>

2020-07-31 01:41:38 | 素晴らしい世界/美術
サラ・ベルナール




ナンシー派のガラス工芸家の中で
クリスタルグラスを宝飾品にまで高めた人が
ルネ・ラリックでした


ところで19世紀世紀末の喧騒の中で
一際「時代の寵児」として人気を博した女性に
『サラ・ベルナール』という女優で歌姫だった人がおりました



  
出自が怪しい身分でありながらも
14歳でパリの国立高等演劇・音楽院に合格し
モリエールに起源を持つ『コメディー・フランセーズ』という
仏演劇界最高の劇団に採用され

その後

もう一方の最高の舞台である左岸の『オデオン座』へ移籍し
ジャン・コクトー
ヴィクトル・ユーゴー
オスカー・ワイルド
その他
19世紀が誇る文学界の巨人達に崇拝され

アントン・チェーホフには悪意を持った嫉妬された彼女は
パリの舞台から全欧へと羽ばたき

ロンドン
ベルリン
ウイーン
コペンハーゲン
サンクト・ペテルブルク等
ありとあらゆるヨーロッパ主要都市の舞台を制覇し
ついにはニューヨークにまで進出して名声を博した『国際的大スター』
の先駆けでありました






  
当時は異例であった男役を演じ
古典劇から
軽喜劇まで
ありとあらゆる分野で活躍し
晩年には「レジオン・ドヌール勲章」を受けました

今でいうと
「宝塚の最高の男役トップスター」と「ブロードウエイの大女優」
さらに
「坂東玉三郎」と「マドンナ」を足して大皿に盛り付け
額に飾ったような女性でした。




  


その
可憐で妖艶
ボーイッシュでオリエンタル
エレガントでゴージャスな姿は
『アールヌーヴォー』芸術を体現したような存在だったのです


そのサラ・ベルナールに
ティアラやネックレスその他数々のアクセサリーを制作したのが
何を隠そう『ルネ・ラリック』その人でした。

当然ですが
ラリックも他のガラス工芸家のように
装飾用の壷なども作っています



  


しかし
他の作家達が「パット・ド・ヴェール」で作品を多く創っていたのに対して
彼は「吹きガラス」で
透明度の高い色鮮やかなクリスタルのジュエリーも多く生み出しました

サラ・ヴェルナールに気に入られ
その後は彼女の舞台衣装用と夜会のためのジュエリーは
ほぼルネが制作したと言っても良いほどなのです












それから
香水瓶にも才能を発揮しました





さらには
装飾品というよりは実用工芸品として日常の空間に調和して
「居場所を選ばない」
スタイルでの食器や照明器具その他も制作しました

これら社交界の華がただった人々の御用達であった
国際特急列車などの備品にも採用されています



そして
アール・ヌーヴォーを代表する画家『ミューシャ』の描く女性こそが
サラ・ベルナールその人なのです




オーストリア帝国モラヴィア(チェコ)出身の
装飾画家『ルフリート・ムーハ』は
たまたまパリに出ている時
急遽決まったサラ主演の宗教劇『ジズモンダ』
再演のポスター依頼を受けた印刷工房ルメルシエが
休暇中だった本来に画家の代わりに校正を臨時にやっていた彼に仕事が回り
ポスターは大好評で受け入れられたのです

ジズモンダの公演ポスター


パリで成功を手にした彼は
名前をフランス読みに変えて『アルフレッド・ミューシャ』として
名声が定着します。

ミューシャは
サラ・ベルナールの公演ポスターを多く手がけ
サラをモチーフに
さらに多くの装飾画を世に残してくれました 










※このブログでは、原則として私自身が撮影した写真を使う事にしてをります。
ただし今回の写真は、オープンソースからいただきました。


<続く>


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アール・ヌーヴォーをたどろう 5 <全ては ガラス工芸から始まった 2>

2020-07-22 00:18:19 | 素晴らしい世界/美術
『ガラス鉢』(ドーム)



娘マリア・レチシンスカをルイ15世に嫁がせていたポーランド国王
スタニスラス・レチシンスキーは
ロシア・プロシア・オーストリア三国によるポーランド分割で祖国を追われ
娘婿を頼ってフランスに亡命してきます

婿ルイ15世により
空位になっていたロレーヌ大公の地位に封じられ
ナンシーに落ち着きます
そして
自分の新しい領地の首都を大々的に美しい街に作り変えていきました

その街のシンボルともいうべき場所が『スタニスラス広場』で
周辺とともに
ユネスコの世界遺産に登録されています



場の中央のスタニスラス・レチシンスキー像



  広場の中央の長方形の広大な広場の四隅のゲートと噴水



その広場の片側の建物が「ナンシー市立美術館」になっています
下の写真の
大公の銅像の向こう側の建物です


ナンシー市立美術館

基本的には3フロアーにゴシック時代からルネサンスのイタリア絵画
18世紀フランス古典主義絵画
19世紀自然主義と印象派
20世紀のピカソやモディリアーニなどエコール・ド・パリなどの
質の高いコレクションが飾られています

その美術館の地階全体を使って
ナンシーが誇るガラス工芸の天才『ドーム』の工房のコレクションが
夥しく飾られているのです



そのフロアーに足足を踏み入れた途端に
まるでアリババの洞窟に足を踏み入れたと錯覚するほどに
19世紀から20世紀にかけての名品がキラ星のごとくに並んでいて
ため息をつくことは請け合いです


それらの中から
ほんの少しご紹介しましょう





























































いかがでしょうか

アールヌーヴォーは「ガラス工芸」から始まった
ということが
文字通り理解できる美術館です




この「ナンシー市立美術館」は
文字通り必見です




後述しますが
このナンシーには
家具調度品を集めた『アール・ヌーヴォー美術館』もあり
そこも欠かすことのできないポイントです


<続く>

= = = = = = = = = = = = = = = = = =
具体的な旅行プランなどにご興味があれば、以下のページもご参照ください
『こんな旅がしてみたい/誰も真似のできない旅のプランナー』

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『カトールズ・ジュイエ(14 Juillet )』7月14日革命記念日の夜は 全国で花火が上がる

2020-07-15 07:25:23 | 素晴らしき世界


パリの花火大会は
通常エッフェル塔からです

今回は
文章なしでお楽しみください


  









   















































日本の花火の打ち上げと違って
一発ずつ
開く形をじっくり鑑賞するのではなく

立て続けに
轟音とともに上げ続けるので
硝煙がうずまき
あまりスッキリとは見えにくい

従って
写真も撮りにくい

その上
腕が腕なので
ピンボケ手ぶれてんこ盛り

そこは
笑ってご容赦ください









  


  


  


  


  


  


  


  


  


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アール・ヌーヴォーをたどろう 4 <全ては ガラス工芸から始まった 1>

2020-07-08 04:18:29 | 素晴らしい世界/美術
『蛾文様水さし』ドーム


全ては「ガラス」から始まった



"パット・ド・ヴェール製の壷" ドーム


実は
完全に平らで薄く
歪みもない「板ガラス」というものは
17世紀半ばまでなかったのです

ガラス器自体は
古代のエジプトに始まり
ペルシア・ギリシア・フェニキアなどに起源を持つ
歴史の古い加工品です

ガラスの原料である珪石(石英の一種)その他を砕いて粉末にし
水で練り合わせて型に嵌めて焼く

壷や椀
パット・ド・ヴェールと言います
パットはフランス語で『捏ねたもの』とか『生地』『麺』の事で
イタ飯でいう『パスタ』です

その後
筒の先に原料のパットをくっ付けて焼きゴム風船のように膨らませて
それをやや覚まして切り開き
平らなガラスにしようとするのですが
全体に波打って「鏡面」のような平らで滑らかな板ガラスはできません

サイズも限定的でした
従って
鏡は銅などの平らに延ばした銀などの金属で作られていました

ただし
ヴェネチアだけは
17世紀になると現在のような薄い平らな広い板ガラスを作り上げていた

そこで
ヴェネチアはガラス製の平らな鏡を独占的に作っていたのです

ヴェネチア・ムラーノのガラス工房

17世紀半ばのフランス
ルイ14世がフランスをヨーロッパの頂点へ引き上げ
太陽王と呼ばれるに至る過程で
その名に相応しい大宮殿を作り上げてゆきます

ヴェルサイユ宮殿です

彼は
燭台とシャンデリアの明かりをきらめかせて
夜も眩い太陽王に相応しい大ギャラリーを作ろうと望んだ

いわゆる『鏡の間』です


ヴェルサイユ宮殿『鏡の大ギャラリー』



庭園の側に向かって17の「フランス窓」
(足元から天井近くまでの直接そこから出られる形の大窓)を開け
その反対側の壁に窓と同じ形で鏡をはめ込んだ

その際
一枚の大きな板ガラスを
「ヴェネチアに頼らなくともフランスでもできるはずであろう」と

国内の東「ロレーヌ地方」に王室のガラス工房を作らせ
そこで焼かせた平らな歪みのない板ガラスで作った平らなガラス製の鏡が『鏡の間』に使われたのです


鏡の大ギャラリー(ディテール)

天地50センチほど左右30センチほどのその鏡は
ヴェネチア以外のガラスで作った第一号の鏡でした

1650年台後半のことでした
左右の『戦争の間』『平和の間』とに挟まれて
長さ75メートル天井高13メートルに及ぶ大ギャラリー『鏡の間』と
3ギャラリー合わせて400枚の鏡が使われました

その後20年もすれば
そのフランス窓の形(幅4メートル強高さ10メートル強の馬てい形)を
1枚ガラスで鏡を作れるようになります


爾来
フランスのロレーヌ地方はガラス産業地帯になりました

ガラスを溶かす火をたくための薪が
森林地帯の多いロレーヌでは簡単に手に入りやすく
周辺に町が数多く労働力も保証されていたからです


これからお話しするアールヌーヴォーの原動力となったガラス工芸家
『ルネ・ラリック』『ドーム兄弟』『エミール・ギャレ』達は
ロレーヌの首都ナンシーで活躍しました

ルイ14世の王室ガラス工房はその後350年以上続き
今や世界有数の大ガラスメーカー『サン・ゴバン』となっています

大気圏再突入の際の超高温に耐える
スペースシャトルのコックピットのウインドウや
紫外線の透過遮断率を極限まで高めたハイテクガラスで作られた
「ルーブルのピラミッド」は、サン・ゴバン製です


ルーブルのメイン・エントランス『ピラミッド』


大気圏再突入で灼熱に燃えるスペースシャトルのコックピットの
フロントガラスも
同じくサンゴバン製が使われています。

ちなみに
ルイ15世は王室ガラス工房を
ロレーヌの小邑バカラ村におきました。
それが現在の有名クリスタル・メーカーである『バカラ』です


バカラの工房
火口が1ダースある巨大な炉の前で
ガラスを吹く職人



巨大な燭台の組み立て中



19世紀後半
実に複雑怪奇な見え方と色合いのガラス工芸品を作り出して行った
『ドーム兄弟』
『ルネ・ラリック』
『エミール・ギャレ』
達は

競い合って新たな技法を編み出し作品を世に送り出していきました

加熱したパット・ド・ヴェールを型で成型した壷を作り
壁面の外側も内側もそれぞれレリーフが形作られ
別の色合いのパットを付けて加熱した筒を
先に成型したものの中に入れて吹き隔壁が二重の壷にする

外側には別の色合いの違う温度で加熱した
従って透明感も違うパットを貼り付けて模様を作り.....


それらの作品群の主要なモチーフとなったのが
先の回でお話ししたジャポニスムの「花鳥風月」
特に昆虫とお花でした。



『パット・ド・ヴェール製昆虫文様水さし"タイトル『水たまり』" (エミール・ガレ)


このような
それまでの環境に存在しなかった存在感を持つガラス工芸は
それだけ単品で使っても
周囲と調和しない

そこで
それらのガラス工芸品に釣り合うような雰囲気の
絵画・彫金細工
果ては家具調度品
室内の造作全般
最後には
家屋敷建物までその精神の作品が生まれて行きます



『バルト館』バルセローナ アントニ・ガウディ


19世紀
特に後半になると社会構造が変わり
王侯貴族に変わって産業資本家が社会の主人公へと躍り出てきました

彼らは
王侯貴族御用達の「アカデミー(美術学校)」の教授たちが主導する
官製美術の理論性より
日常の生活感覚にフィットするものを好み
学問的至上主義つまり形而上的芸術から
生活感覚優先つまり形而下の美術が生まれてきます

自然主義(リアリスム)そこから派生する印象派


それと並行して
なんでもありの不可思議性も好まれた
その嗜好がアール・ヌーヴォーに向けられます

パリだけではなく
ロンドン
ブリュッセル
ウイーン
プラハ
バルセローナ

地域によっては世紀末様式
ニュー・スタイルとも呼ばれた『アール・ヌーヴォー』が
市民権を得たのです

次回からは
具体的な写真を使って
ガラス工芸・建築その他をご紹介して行くことにしましょう


<続く>


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