行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

地中海の『美の島』 コルシカ島 < 更新遅延のお知らせ と お詫び >

2021-12-13 22:57:43 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「ジカヴォ村」付近の日常の光景

山賊たちが山間の村に潜み啀み合い
海賊たちが海岸の港に棲んで啀み合い
しかし
外国支配に対しては一致団結しながら時を刻んだ海から切り立つ高山



夏ころまでは1け月分ほど先の記事まで書き溜めながら
これまで規則正しい定期更新に努めてきましたが
あれこれありまして
だんだんと遅れがちになり
ついに
ストックがなくなって
週三回の更新が厳しい状況に陥ってしまいました

1週間ほど
更新を中断させていただかなければならない事態となりました

せっかく
非常に少しずつですが読者の数も増えてきたところでの
この状況に忸怩たるものがありますが
どうかご理解の上
生暖かく見守ってくださいますよう
お願い申し上げます

コルシカならではの一皿

イノブタの生ハムと
レバーのムースと
エビとムール貝の盛り合わせ
海の中の山国の料理です

来週には更新したいと思いますので
今後ともよろしくです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 47 < アジャクシゥ から コルテ へのルート 4 > 

2021-12-10 00:23:04 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「ヴナコ」周辺の山里から「コルテ」に向かって標高が下がって行く点描

山賊と海賊とが跋扈した
地中海に切り立つ高山コルシカ島は
野生のハーブと果樹の森に覆われた『美しい島』と呼ばれる


コルシカ島全体の主邑「アジャクシゥ」から島の中央部を目指し
「県境」を越えて「上コルシカ県」に入って二回目の今回
歴史上初めて島の独立を宣言した「自由コルシカ共和国」の首都であった
「コルテ」を目指すことになります

前回の「ヴィヴァーリゥ」から10kmで『ヴナコ』に至る


「モンテ・ロトンド山塊」で4番目の高山『モンテ・カルド 2453m』
の前座の懐に抱かれた「ヴナコ村」




『Ghjesgia San Mihele di Vonaco』

村の中心の教会は『聖ミカエル教会』




村の中はいたって素朴で且つ自然の厳しさとそこで生きてきた頑固さを感じる
そんな山国コルシカの小さな山村の典型




今村にも電車が止まる


手前の緩やかな曲線が線路で石造りの陸橋の向こうはトンネル


まさにそのトンネルを出てきて陸橋を渡るっている電車
村の佇まいは半世紀全く変わっていなくて
電車だけ最近の新型になっている対比がとてもミスマッチに思えて仕方がない





その他にも『聖ペテロ教会』が「サン・ペトリュ・ディ・ヴナコ地区(村)」にある

『Ghjesgia San Petru』Photo by ⒸCorcica-tourisme




教会前の広場の片隅に「フォンテーヌ(水場)」が残る



この「聖ペテロ教会」のある地区を「サン・ペトリュ・ディ・ヴナコ村(地区)」と言い
「ヴナコ村」を構成する下位の自治体の一つで
そこの古い時代の「共同洗濯場」を保存してある

『Lavoire San Petru』






『Misognu』

山から流れてくる数ある清流の一つ『ミゾーニュ川』は
この村で「ヴェッキオ川に合流する」
「サン・ペトリュ・ディ・ヴォナコ地区」には他にも

『Saint-Sebastien de San Petru di Vonaco』
『聖セバスティアヌス教会』


さらに「カンプゥ・ヴェッキゥ地区」には
苔むすような古そうで小さな礼拝堂『サン・ロッカ礼拝堂』もある


『Chapelle San Rocca』

そしてさらに背後の高峰「モンテ・カルド」の山肌に

『Chapelle San Eliseu』
『聖エリゼ礼拝堂』




この「ヴナコ村」の域内には上にあげた「サン・ペトリュ・ディ・ヴナコ」以外にも
サブ自治体として魅力的な集落が幾つもある


『ポッジオ・ディ・ヴナコ村』


『Poggio di Venaco』



一番高い位置にお約束通りに教会が建っている



『サン・キリクゥ教会』
(標準フランス語では「サン・シール教会」という)


『Ghjesgia San Quillicu / Eglise Saint-Cyr』






中心の通りに教会がもう一つ

『Ghjesgia San Roccu / Eglise Saint-Roc』
「聖ロック教会」



かつてはコルシカ鉄道がこの村にも止まっていたが今はもう止まらない
廃駅が山岳事故などの際の救護施設として使われる





『カサノヴァ村』
この村名は元々「Casa Nova 新しい家」と呼ばれていて
その後「Casanova」と繋がって名前になった

『Casanova』



山間の窪地に村があるように見えるが
一方が棚場になっているのでしたから遠望すると




山の頂にある村のようにも見える

『Ghjegia de Sante Maria』

この村の唯一の見どころは
この「鐘楼」を肩に担いだような形の教会「聖マリア教会」

『Fontaine』

文化財指定の古い水場も健在


『ムラシオール村』

『Muracciole』

この村の売り物は二つ
左端に見える教会と奥にある城

『Ghjesgia Assunta』

「被昇天教会」
上の写真は後ろ姿


こちらが正面








お城は『シャトー・ルネッサンス』

『Château Renaissance ( de Muracciole )』

一見して奇妙な雰囲気だ
元来なら「シャトー・ド・ムラシオール」と言うような名称のはずだが
無造作に「ルネッサンス城」と呼ばれてきた
コルシカには所謂ルネッサンスの建造部物ほとんど無い
16世紀はジェノヴァの支配下にあり
手のかかる建造物など建てられることはなかったのだろう
教会などが一斉に建て直され始めるのは17世紀になってからのことだった


前の写真とは反対側の眺めの方がルネッサンスらしいと言えるだろう


城の門は閉ざされていて
左に開いているように見える部分は門ではなく道路
そfれを行くとすぐ左曲がりに上り坂になり


裏側へと抜けてくる
一般見学には解放していないが情報によると外観も内部も完璧に保たれているそうだ


『リヴェントーザ村』


『Riventosa』

この村も起伏した地形の頂にある



一番大切な建物はやはり教会
ただし一番高い場所に建てられているわけではない



中央やや左に教会の尖塔がお分かりになるだろうか






村の雰囲気はとても良い



丘の斜面にある村の通例で建物の一部をくぐり抜ける路地があり反対側は高低差がある
本土「プロヴァンス地方」に多い構造がこの村にも見られる


保存と管理が行き届いて美しい石の家も良いが


生活の年輪でススている建物もコルシカらしくてとても良い

では
コルシカ島が初めて独立を宣言した『自由コルシカ共和国』の首都であった
『コルテ』までもうあと7〜8km
次回から「コルテ」をたっぷりとご案内しましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想とご意見やご要望を是非「コメント」してください
旅行の計画立案や手配と案内などにご興味のある方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 46 < モンテ・ドーロ と モンテ・ロトンド > ヴィザヴォーナから 南北の名峰2座を訪れる高山三昧  2 北側

2021-12-08 00:49:15 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 朝霧にけぶる『モンテ・ドーロ』

山賊と海賊とが跋扈した
地中海に切り立つ高山コルシカ島は
野生のハーブと果樹の森に覆われた『美しい島』と呼ばれる



県境の「ヴィッザヴォーナ峠」を北側に下ると「ヴィッザヴォーナ村」に至る
その村を挟んで南北にコルシカを代表する名高い名峰がある
北側は『モンテ・ロトンド山系』に含まれる『モンテ・ドーロ山』
南側は『モンテ・レノーゾ山』及びその山系に含まれる『オリエンテ峰』
先回南側に行ってみたので今回は北側を訪れよう

Map by ⒸInstitut Géographique National (IGN)

すぐ北側に「Ancien Fort (旧要塞)」と「Cascade des Anglais (英国人の滝)」

駅を離れるとすぐ森になるがそこに教会が建っている

『Chapelle A Sigora di a Furesta / Eglise Notre-Dame de la Forêt』

『森の聖母教会』という名前のこの小さな教会は
森が生活の一部になっている証


内部もシンプルだが明るくて優しい雰囲気が漂う
森の中の道に入ると標識が現れる


「Cascade des Anglais (英国人たちの滝)に至る GR20 北路」という表示
「GR」は仏語で「Grand Ranbdonée(大トレッキング)」の頭文字で
ヨーロッパ全体に北から南へと途切れ途切れにつながるルートの名称で
「GR 20」はコルシカ島内の山と谷を結んで南北と東西につながるルートの事です


アウトドアー・レジャーと言う感覚は英国貴族から生まれてきた
それまで余暇を楽しむのは貴族たちで庶民は働いて財を収めて死んでゆくだけ
19世紀までの仏貴族の楽しみとは「宮廷での宴会」と「男女の秘め事」
ところが英国は「カントリー・ジェントルマン」という言葉がある通り
宮廷に入り浸るより自分の領地で猟犬を育てたり馬を名馬に仕立てたり
自ら自然の中で暮らすのを好んだ






冬の長いブリテン島から避寒地として大陸へ地中海へとやって着て
フランス貴族が価値を見出していなかった海辺や山地の
「知られていない密かな場所」を見出すことに喜びを感じていた
コートダジュールの発達は彼らに負う








ここの滝もきっと
そんな感じで英国人が発見してそのような呼び名がついたのではなかろうか

ところでコルシカ島には標高2000mを超える山は40を超える
尾根の途中のピーク(峰)を入れるともっと多い
その中で
『モンテ・チント 2706m』
『モンテ・ロトンド 2622m』
『モンテ・レノーゾ 2352m』
の三大主峰には周辺の連山を入れてそれぞれの名前で「山塊」と呼ばれる
そのうち
「モンテ・ロトンド山塊」の『モンテ・ドーロ 2389m』と
「モンテ・レノーゾ」とが
「ヴィッザヴォーナ」の南北にそれぞれ直線距離10km〜15kmで向き合っている


「ヴィッザヴォーナ村」から北北東に路程で20km
高低差1350mの往復7時間半の行程で「モンテ・ドーロ」登山を楽しめる



森林限界を超えた高さになると


「黄金山(モンテ・ドーロ)」が見えて来る
上の写真では左奥

『Monte d'Oro』









頂上には十字架と登山者たちが積み上げたケルンがある


頂上からの眺め






真冬にはこんな眺めになる
登山できるのは6月から10月までの5ヶ月間弱

初夏




初冬(積雪前)

この「モンテ・ドーロ」の含まれる山塊の主峰『モンテ・ロトンド』に関しては

『Monte Rotonde』

後日「コルテ」の町から「レストニカ渓谷」の際に改めてご案内しよう

「モンテ・ドーロ(黄金山)」を下山して森の中と山道を東に向かうと
森林地帯の中に清流が何本も流れている






当然滝もある
『はちみつ滝』

『cascade du Miel』

なぜそのような名前になったのかは寡聞にしてわからない





面白いものがあった


近くの集落にフォンテーヌがあってその溢れた水が回収されて


滝につながる清流に戻されている




北東の方角に森を抜けて行くと『ヴィヴァリゥ』という村がある
その村に入る直前
まだ「ヴィッザノーヴァ村」の森の中にとても小さな可愛い礼拝堂がある
『雪の聖母教会』

『Chapelle A Segnora di a Furesta / Chapelle Notre-Dame de la Nège 』


たまたま何かのミサで礼拝堂を開けてあったが
中は祭壇しかないほど奥行きがない小さな礼拝堂

そして『ヴィヴァリゥ』村

『Vivariu』

清潔感溢れた『軛の聖ペテロ教会』が村のシンボル


『Eglise Saint-ïerre aux Liens』

たまたま姪に立つ標識の一つ
茶色の標識(普通文化財を示す)に「サンタ・マリア・ダルク礼拝堂」とあるが
いかにも古そうな礼拝堂が村はずれにあるのです


『chapelle de Santa Maria d'Arcs』

入り口に向かう石段は頽れ朽ち果てる寸前
斜面に建てられているので奥は半ば地面に埋まるような作りになっている
他にも

『Chapelle Saint-Pierre et Saint-Paul』

この「聖ペテロと聖パウロ礼拝堂」は程よく修復されているようだが
「八角堂」とでも呼べる5世紀頃の原始キリスト教の教会の建てられ方をしている

村の周囲は山々に取り囲まれていて北側の小山の頂上に何やら建っている



右奥の小山の上



『Fortin de Pasciolo」

『パッシオーロ小要塞』と言い遠望すると禿山に建っているかのように見える


しかし建っている小山の頂上のほんの少し下から見ると木々がある



ほぼ同じ高さまでくると
遠くから感じたように木は一本も生えていない禿山のように思える


先回あげた「ヴェッザヴォーナ旧要塞」は
四角い建物のうち向き合った二面の壁が残るのみなので
直角に見ると日本の腕のように見えたが
こちらはしっかりと壁が四面ともに残っている




この辺りは峠の直下の「ヴィッザヴォーナ村」の北9kmほど
間道をまた国道に乗り換えて先を目指すことにしよう
村を一歩出たところに「二重橋」がかかる

『Pont Vecchio et Pont d'Eiffel』

「ヴェッキオ川」にかかる『ヴェッキオ橋』の上に
ギュスタヴ・エッフェルの設計による鉄道橋がかかっている


電車がこの鉄橋に差し掛かるとけたたましい警笛を響かせながらゆっくりと渡る
下を通る車はエッフェルの橋に敬意を表する形となる




=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見ご要望などを「コメント」からお寄せください
実際の旅行の立案や手配と案内などに関心のある方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がして見合い 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 45 < アジャクシゥ から コルテ へのルート 2 > 県境の村でコルシカの高山三昧 1

2021-12-06 00:26:01 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 『プンタ・デッロリエンテ峰』

仲間割れで逃げた山賊を海岸の村が匿い
港にいられなくなった海賊が島肌に群生するマキに逃れて山里で匿われた
「地中海の美の島」と呼ばれるコルシカはそんな歴史を持つ
海の国で山の国



先回に引き続き
今回は「ヴィッザヴォーナ村」から南側の山を訪れよう


「レノーゾ山塊」を構成する中に
「ヴィッザヴォーナから南に下るとほどなく『オリエンテ峰 2112m』がある
(この地図には書かれていない)

山麓には昔からの牧羊家の羊小屋が点在している








数千年間続いた氷河期が終わった後
氷河が割って運んできて残された岩がゴロゴロ残る地形ができアフガリ
そこに牛やヤギが放牧されている





この尖った岩の先端と周囲には放牧されているヤギが多数へばりついているのですが
写真では小さすぎてわからないかも







頂上にはお約束のように十字架が立てられている

『Sommet de la Punta dell'Oriente』

「オリエンテ峰」の頂上







この峰から直線距離で南に10kmほどで山塊の主峰『モンテ・レノーゾ 2352m』
が控える
南コルシカの最高峰


『Monte Rinosu / Monte Renoso』






頂上直下の標高2092、の位置に『バスターニ湖』がある

『Lac Bastani』














1965年12月29日
バスティアのバスケットボールチームの男女選手22名と関係者2名を乗せた
ボーイングが2300mあたりの斜面に激突した
当日あたり全域が濃霧で全く視界がなく惨事が起こり
救助隊は2日後にしか近づけなかった
乗客24名全員がなくなったが
加えて
救助活動に携わった高山救助隊の女性救助隊員が一名転落事故を起こして亡くなった
その彼女を偲んで女性の頭像が事故現場に立てられている






「バスターニ湖」を頂上から見下ろす




角度と季節が変わると別の山のよう
ちなみに「レノーゾ山塊」には最初にご案内した「プンタ・デッロリエンテ峰」以外に
6座の2000m超えの山々がある

その「レノゾ山を東側に下ると麓は『ギゾーニの森』がが広がり





『ギゾーニ村』がある


遠景は典型的なコルシカの山里


例によって村に入る少し前に廃屋があった


村の中は遠望する時の印象より開けた感じ

『Ghjese santa Maria / Eglise notre-Dame』
聖母教会

『Ghjese San Franceschinu / Eglise Saint-Fransisco』
聖フランシスコ教会


なにやら立派なお屋敷のような住宅があった

建物の後ろに覗く山を注目してほしい




この「刷毛」の毛先みたいな頂上を持つ山は村の背後に必ず見える


『Monte Kyrie Eleison』

「キリー・エレゾン山」
この山はその昔スランシスコ会の修道僧たちが僧院を建てて隠棲し
「神の慈悲は我らに」と唱えていたそうだがコルシカ語で神の慈悲を「Kyrie Eleison」といい


それをこの村の守護聖人の如くに背後から見守るこの山を
その名で呼ぶようになったそうだ
せっかくだからアタックしてみよう



近づいているつもりでもまだまだ遠い



やっとkなり近くに見えてきた











頂上ももうそう遠くない



頂上間近で下に村が見えている
ただしこんな針のようなピークには登りません



ついに登頂成功
(写っているのは筆者ではありません)


見下ろすと下の方が大変そうに見える







「ヴァリー川」



ということで
もう一度地上で村の周囲を見てみることにしよう























では次回は「ヴィッザヴォーナ」の北側の山歩きをしてみよう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見をコメントで送ってください
具体的に旅行をしてみたい方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 44 < アジャクシゥ から コルテ へのルート 1 > 

2021-12-03 00:39:24 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「ヴィッザノーヴァ峠」から望む山々

地中海からいきなり屹立する高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれる



これまでコルシカ島の西岸をたどってきたが一旦「アジャクシゥ」にひき返し
そこから18世紀末初めて「自由コルシカ共和国」を宣言した時の首都「コルテ」を
目指して山道を島の中央部まで辿ってみよう

Map by ⒸGoogle Map

黄色の線が国道で白が県道
見にくいが左上から右下に伸びる黒の点線が「上コルシカ」と「南コルシカ」の県境
この国道193号線で北上すると73kmで「コルテ」に至るが
まず県境までいくつかの集落をご紹介する事から始めよう。

この国道はアジャクシゥの北東の入り口で二股に分かれて町を東西に挟んで流れる
「グラヴォーナ川」の流れに沿って坂の打って行く
アジャクシゥから1時間ほどはそれほど標高は高くはない
15〜6kmほどで『タヴェーラ村』


『Tavera』

典型的なコルシカの山里で大した特徴はないが


村はずれの森の中に古代の巨石文明の遺跡が残っている



先にご紹介した「フィリトーザ」風の彫刻メンヒル



そして要塞型防御集合住宅「カステッデュ」






これまでの例もそうだったが
「カステッデュ」は見晴らしの良い高台にある


カステッデュからの見晴らし


そして周囲を高山に囲まれるため



水源には不足なく




「グラヴォーナ川」の渓谷美もはハイカー達に好まれている




この村には島に二系統しかない鉄道の幹線「アジャクシオ/バスティア線」の
駅がある





「タヴェーラ」から6kmほどで『ボコニャーノ村』


『Valée de Bocognano』

この村のある谷間は「ボコニャーノの谷あい」と呼ばれる





『Ghjese Santa Luccia』

「サンタ・ルチア教会」の鐘楼が白く輝く。


鐘楼の下1/3が切石組みで最上部だけ化粧塗装がなされている



『Fontaine』

この水場(フォンテーヌ)は1883年に設置されたもの

『Mont d'Oro』

村から直線で10km真北に名峰「モンテ・ドーロ」がそびえる
島に40座以上ある2000m超の高峰の一つで標高2389m


その万年雪から滲み出る清流が滝を形作っている


島の多くの滝の中では落差が大きくウエディング・ヴェールのように見える事から
『花嫁ヴェールの滝』と呼ばれている

『La Cascade du Voile de la Mariée』



実はこの滝は落差が非常に大きく上から1/3ほどのところに観覧台がある
人が10人ほど写っているのだが判別で汁だろうか


その観覧台からの光景




季節によって水量が違うが水量の少ない季節は本当にヴェールの様に見える



さらに渓流が変化に富んでいるので
キャニヨニングの聖地としても愛されている



最後にこの村の歴史上の人物を一人ご紹介しておきます

『Antoine Bonelli dit Bellacorsi-Bandit d'Honneur de Bocognano』Pierre Ucciani

この村出身の画家ウッチアーニの描いた「アントワーヌ・ボネッリの肖像」

「サルテンヌ」の項で話題にした
町の二家系が狭い路地を挟んで窓から銃撃戦を行っていた話を覚えておられるだろうか
コルシカ島は昔から村々にギャング集団のような族党があった
山国では山賊の
海岸では海賊の
それぞれの縄張りがあり其々の親分が率いていた
この絵に描かれた「ボネッリ」は「ボコニャーノ村」の「Bandit d'Honneur (名誉大親分)」
と呼ばれる伝説の人物なのです

※  ※

「ボコニャーノ」から7〜8kmで県境の峠
『ヴィザヴォーナ峠』
木立の陰にやや広い駐車スペースがあるので小休止していると
どこからともなく放牧中の豚やらイノブタが近寄ってきたりする


車を止めて近くの斜面をよじ登ると


北側に「モンテ・ドーロ」の威容が正面に見える
写真の右端に二つの突起がお分かりになるだろうか



『Ancient Fort de Vaux』

すぐ近くにある城塞の廃墟『旧ヴォー要塞』
「fort」と呼ばれているので「要塞」だが
おそらくそれほど大規模なものではなかったのではなかろうか













各所に多く残るジェノヴァ時代の単独の塔でないことは確かだ


この辺り一帯は「コルシカ地域立ヴィザヴォーナの森」という
コルシカ独自の自治体法が管理する森で
旧要塞以外にも清流あり滝あり登山道ありで充実しており
秋には欧州では珍しく黄葉ではなく紅葉が見られる

峠を下ると『ヴィザヴォーナ村』
この村も「コルシカ鉄道アジャクシオ⇆バスチア線」が止まる


国道沿いはかなりの森で見通しがきかないが
駅のところだけ抜けている


かつてはレトロなジーゼル列車が走っていて甲高い警笛が山々に木霊していたが
つい最近現代的な車両に代ってしまった
駅を降りるとすぐにハイキングコースや登山道の翔式があり
カフェが一軒だけ


このカフェで一休みして
次回はこの辺り一帯の森と滝と高山の連なりとを訪れることにしましょう
  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様からのご意見やご感想をお麻痺しております
「コメント」からどうぞ
旅行の立案と実際の手配や案内などに興味のある方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 43 < カランシュ・ド・ピアーナ から スペルンカ渓谷へ > 海から山へ

2021-12-01 00:57:35 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : エヴィザ村から見る『スペルンカ渓谷』

地中海から屹立する高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期以来の野生が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれる



「ポルト」を発つ前に南側の「ピアーナ」のカランシュをちょっとだけ
訪れてみよう


山側から見下ろすと凄い高度差があることがわかるが


プロヴァンス地方「カシス」と「マルセイユ」の間にあるカランクと比べれば
海があまり陸の内側に侵食していない


陸の岩の浸食は奇観を生み出しているが
海が入り込んでいないので
プロヴァンスのカランクのようにフィヨルドにはなっていない


海岸の断崖を船で楽しむことは「スカンドーラ」の遊覧と同じようで
しかも「スカンドーラ」と違って断崖のすぐ下が浅い部分もあるので
水が濃い紺碧だけではなくグリーンの部分もある





しかし船でくぐれる岩のトンネルがある




トンネルの右側奥
右からかかる大岩との間まで入って行くと


こんな感じで船が宙に浮く











「ピアーナ」の村からビーチまで歩いて降りてくることができる
もちろんカヌーやボートで乗り付けて過ごす人たちも多い

では「ポルト」に戻って車で再び「ピアーナ」まで登って行くことにしよう





先先回に書いた通り一軒ある茶店には数台文の駐車スペースがあるが
それ以外の場所にも車を無理やり止めて岩の浸食による厳しく激しい姿を
写真に収める






「ポルト」から県道81号線から分かれて東側の山中に入って行く86号線がある
その道を
港に注ぐ「ポルト川」に合流する「スペルンカ川」の峡谷を遡ってみよう


コルシカは海の国で山の国
「ポルト」から4kmほど上流に遡ると『オタ』という村に至る

『Ota』遠景

俯瞰

山里ではあるが

超遠景俯瞰

周りの山々はもっと高い

近景




この「オタ」からさらに上流にわずかに逆登ったらジェノヴァ統治時代初期の橋がある
『ピアネッラ橋』

『Ponte di Pianella』


渓谷自体は非常に大規模なものだが


流れ自体はかなり小さい












「ピアネッラ橋」からほんの少し上流にもう一つ
『ザッリア橋』

『Pont de Zaglia』

前の「ピアネッラ橋」は上部が緩やかな曲線で
今度の「ザッリア橋」は両岸から直線で伸びて真ん中が曲線ではない












「オタ」から細くうねった感動を15kmほど奥に進むと
『エヴィザ』という村がありその間の地域が『スペルンカ渓谷』と呼ばれて
格好のトレッキング・コースとなっている




トレッキング・ルートの標識の赤い印があった



多くのハイカーたちが残したケルン







その「エヴィザ村」からそのまま10kmで「ヴェルジオ峠」
そこが「上(かみ)コルシカ県」と「南コルシカ県」の県境
「エヴィザ」から県境の峠までの地域は『アイトンヌの森』と呼ばれている



『Evisa』遠景


同 近景


霧のエヴィザ



村を出て10分ほど走ると車が数台駐車できるスペースがあり
展望ポイントになっていて



そこから木立の中を800m程も行くと『アイトンネのプール』と呼ばれる
渓流の一部がかなり広い「溜まり」になった部分が景勝の地として知られる


森の中の遊歩道






近くには「アイトンヌ滝」という中小複数の滝もあり
小さな流れが作り出す渓谷美に溢れている
















「アイトンヌの森」の中はトレッキングのためのコースがあり
見所も多い


かつての栗の貯蔵場
コルシカと栗とは切り離せないので今後どこかでご説明しよう


お昼寝中の猪豚の子供


こんな見事な山羊がいた

最後に「ヴェルジオ峠」の様子も



標高1490m

『王としてのイエス』



=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想ご意見などをお寄せください
旅行の計画と手配などに興味のある方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 41 < ピアーナ ポルト スカンドーラ海岸 > 『ユネスコ世界自然遺産』を訪れたう

2021-11-26 00:26:56 | 素晴らしき世界/コルシカ島
暗闘写真 : 世界自然遺産「スカンドーラ海岸」

地中海からいきなり屹立する高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれる



「ピアーナ」から凸凹と複雑な海岸線に沿った山道を12km東北東に走ると
『ポルト』に至る
そのジグザグの多い山道は高度の変化はそれほどなく
海岸線の侵食で形作られた小さな入り江になりかけて
しかし海水は入ってこなかった結果出来上がった地形で「カランシュ」と呼ばれる
拙ブログ「地中海世界を巡ろう」で何度も書いた
切り立った断崖の両岸を持つ細い入り江「カランク」の陸地版で
「カランク」のコルシカ語での複数形である言葉だそうだ

『Calanche de Piana』


カランシュに岸に沿って道を作ると大変な距離で行ったり来たりになる
そこで標高を変えずに岸を突っ切る道が造られた結果


先回にも写真をあげた通りこのような光景が出来上がった
「ピアーナ」から10kmほど走ると道は下り坂になり始め
下りきると小さな川が海の注ぐあたりの小さな港『ポルト』に着く


この写真の右から降ってきてうんと狭い川上で渡って
写真の左側の集落のさらに左を海の方向に進む



この角度はわざわざこちら岸にわたってこないと集落から見ることはない




この河口が港になっており
先端の岬の小高い場所にあるジェノヴァ時代の塔の下から
こちら側にでられる





塔の足元から集落を見下ろすと右が港のある川で左はビーチ

ピアーナのビーチ


ビーチの側で車はここまでしか入れない
左の建物の端から向こう側の港へ出る
そして「港」というのはこの遊覧船に乗るための港なのです

『スカンドーラ海岸遊覧船』

この「ポルト」から北側に『ユネスコ世界自然遺産』に指定されている
『スカンドーラ自然保護地区』があり
南の「カルゲェージェ」や北の「カルヴィ」からも遊覧船が出ているが
ここが現地に一番近いために遊覧船の発着のために開発された港と言っても過言ではない

Map by ⒸGoogle Map

「スカンドーラ」は陸地(半島)に900ha強 海岸線に沿って海側に750ha
フランス自然保護区
フランス海洋保護地区
コルシカ特別保護区
ユネスコ世界自然遺産
の指定で保護されている

Map by ⒸOpenStreetmap

スカンドーラ半島から北東に離れた小規模な湾が準保護地区として指定されている
『スカンドーラ地区巡り』の遊覧船は
北の「カルヴィ」南の「カルギェーゼ」
さらに南の「アジャクシゥ」からの出ているが
直近の「ポルト」からだと半日で訪れることができる
夏のシーズンのみ運行で午前は9時頃で午後は14時半頃



先端の塔をいただく丘の反対側で車を置いてこちら側の桟橋まで来て
停泊している遊覧船で「スカンドーラ巡り」に出発する


ポルトの港の先端の四角いジェノヴァの塔を超えると「ポルト湾」


この写真でも塔が見える
湾内には頻繁にイルカの群れが現れることがあり
出航直後に偶々遭遇すればしばらく停船して写真タイムにしてくれたりする



結構規模の大きな「ポルト湾」を北東に抜けて隣の「ジロラタ湾」を通り過ぎ
40分ほどで「スカンドーラ自然護区に入る


『スカンドーラ自然保護区』の看板

ここ「スカンドーラ」の地形はカルデラの一部なのだそうだ
したがって
「火山泥流岩」「流紋岩」「火砕流岩」「赤色花崗岩」
同じ「柱状節理」でも
「方状摂理」「板状摂理」があり
赤い安山岩系と黒い玄武岩系とがあり

などあらゆる種類の火山性の岩の露出が見られる




















水平方向に退席する柱状節理




垂直方向の柱状節理



黒色柱状節理


赤色柱状節理


垂直の岩肌に作られた「ミサゴ」の巣


石柱の頂点にある巣

「ミサゴ」の若鳥



現存する島に最初に発生した植生「マキ」

ここ「スカンドーラ」は
海と陸両方を一括して保護地区としてあり
陸上植生
陸上動物生態系
陸と海岸の地形と土壌
海中植物
海中生物
を全て網羅して「自然保護区」であり
希少な動植物と地形や構造が手付かずで保存されていることが
「ユネスコ世界自然遺産」に登録された理由となっている





柱状節理は六角形とは決まっていない
四角形や五角形もある











「ピアーナ」に引き返す際往路より海岸線により近い位置を船が走る
10数kmにわたって人工物が一切存在しない「スカンドーラ」地区に
人家が数軒見え始め砦もある所まで来ると「スカンドーラ」は終わり
「ジロラタ」湾の入り口部になる


ジロラタの砦

『Ghjirulatu / Girolata』

「スカンドーラ」巡りの遊覧船は帰りに季節によって30分から1時間半
この集落に停泊して休憩時間となる


実はこの集落は山側からの陸路は無い
踏み分け道はあって徒歩でなら来られるが車の類は手押し車の時代からやってこれない

漁師の家が10軒弱あり
その他大きな茶店のようなカフェ・レストランと
ごく小さな海の家のようなカフェレストランが浜に2軒
斜面に2軒ほどあるのみ


大きな茶店のテラスより港を眺める
この店は遊覧船が休憩で入って来た時だけお客で溢れる


ジロラタ砦


コルシカでは酪農は全て山に中に放牧して行われているが
「鳥も通わぬ」難所を物ともせず
牛たちがやってきて渚で涼を取っていることがある



港に成っている入り江の向かって右端は船もなく海水浴の浜辺となるが
この写真の左端の斜面に登ってみると


こんな光景になる






写真左上の山のような場所が「ジロラタ湾」の西側の先端で
そこを左回りに抜けると
そこから「ポルト湾」となる
10分ほど走ると


ポルトの象徴の塔と奥に集落が見えてくる


この塔の向こう側が河口で港である



港には「スカンドーラ巡り」の他に
「ピアーナのカランシュ」を海から巡る遊覧船も出ている

次回は「カランシュ」を一目だけ見てから「ピアーナ」まで登り
さらに「ポルト川」を遡って山里を訪れてみることにしましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見ご要望をおまちしております
個人的な通信は右カラム中ほどの「メッセージを送る」から
それ以外のブログへのご意見などは最後の「コメント」から
具体的に旅行の立案や手配と滞在のケアーと案内などに興味をお持ちの方は次のサイトもどうぞ
https://veritqs21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 40 < 山国で海国の典型 カルゲーゼ から ピアーナ を訪れる >

2021-11-24 00:23:41 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 山国で海の里「カルゲーゼ」Photo by ⒸMairie-Cargese

地中海からいきなり屹立する高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期以来の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



コルシカ全体の首都「アジャクシゥ」を発って北上
最初の半分は岬横断の山道残る半分は複雑な海岸線に沿って北行40Kmで
『カルギェージェ/カルゲーゼ』に至る

Map by ⒸGoogle Map

山の尾根が小さな岬となって海に突き出る
その先端あたりの高地の上に町があり両側は海に落ち込んで港がある

『Carghjese / cargèse』


町は高地の平らな部分にあるが端はそのまま海まで斜面になる



南側の斜面の下が港




町の南端の崖縁の東西に教会が向き合ってたっている








海に出て陸から離れるほどに高さを感じなくなってゆくがこの村は山国なのです


そして東西に向き合って建つ二軒の教会



西側(写真左)に聖スピリドン・ギリシア教会
東側(同右)が聖母被昇天ローマン教会



『Ghjesgia graca San Spiridon』

『Ghjesgia latina Santa Maria Assunta』

『聖スピリドン・ギリシア教会』

『被昇天の聖母ローマン教会』




ギリシア教会


ローマ教会

内部の様子をもう少し詳しく見ておこう


「聖スピリドン」の横には「ギリシア教会」という表示が立つ
17世紀半ばすぎ
支配国オスマン帝国の圧政を逃れたギリシア人が600名
コルシカの宗主国ジェノヴァ共和国の承認を得て島の西海岸のこの辺りに亡命してきた
「山の民」は哀れなギリシア人亡命者たちに物心共に援助を惜しまず
「アジャクシゥ」に既にあったギリシア人コミュニティーの全面的後押しもあって
ここ「カルゲージェ」にギリシア人入植地が開かれた



そこでギリシア人たちのための礼拝堂が建立され
18世紀に拡張され19世紀革命の後に現在の教会に立て直される
今日の内部のフレスコは20世紀のもの



内部奥の祭壇のある空間は「ジュベ(衝壁)」で仕切られている
なお「ジュベ」に関しては拙ブログの「プロヴァンス編」と「ブルターニュ編」に
詳しく出てきますのでご参照のほどを



「ジュベ」の上の縁から見上げた後陣祭壇上部の壁のフレスコ


内部の身廊からジュベと内陣方向を望むとこう
逆に正面扉口を振り返ると



こう見える




この「ギリシャ教会」は「東方教会(ギリシャ正教)」の教会ではなく
あくまでギリシア人が帰依するローマン・カトリックの教会であり
キプロズの教区の管轄下にある


フレスコの一部



なお17世紀後半にギリシア人たちが逃れてきて住み着いた時
彼らがもたらした12世紀と16世紀の見事な「イコン』を10数点所蔵している


正面ポルタイユ(扉口)
正面はまるで砦のよう







次に「ローマン教会」


「ラテン(ローマン)教会」という表示



内装は19世紀の復古主義バロック











ここ「カルギエージェ」の復活祭の行進では
山の国コルシカの象徴的な要素である銃も登場する


村自体の標高はそれほど高くないとはいえ
背後に少し登るとこんな感じになって山国であることを再認識することになる


そして大小いくつもある岬の一つ『オミーニャ岬』の先端には
ジェノヴァの塔が残っている


『La Tour d'Omigna』

では「カルギェージェ」を発ちさらに北上しよう
海と付かず離れずながら山道を20kmいけば
『ピアーナ』に至る


Map by ⒸGoogle Map


道中はこんな景色の連続となる



道路は対面1車線なのだがカーブでは左回りの車は必ず対向車線にはみ出してくる
もちろんカーブミラーなどないところがほとんど
そして徐行もせずに突っ込んでくる



相手がバスだったら完全に逃げ場を失うことになる
気をつけよう


気をつけようといえば
コルシカの牧畜は牛も豚もヤギも羊も全て山中での放し飼い
道路の山側の急斜面の山林からいきなり道路に飛び降りてきて
道路を横切って谷川の開けた方に走り去る
などとおいうことも日常茶飯事
しかもそれが牛の群れd去ったりもする




ヤギは普通乳を絞るので放牧は期間が限定的だが


コルシカの豚には4種類ある
放牧中の豚
群れから逃げて野生化した豚
群れの豚が野生のイノシシと交配した家畜のイノブタ
野生化した豚と猪が交配した野生のイノブタ

野生のイノブタも野生のイノシシも捕獲されたら食肉用になる
レストランのメニューには上記のような豚と猪の区別も描かれている



これは猪の血が濃いイノブタ
尻尾がクルンと巻いていれば豚に近く
尻尾が垂れていたり毛深かったり顔が長いのは猪の血が濃い
どれも煮込み料理で出てくるが
ドライソーセージも非常に美味
島中の峠には屋台掛けでドライソーセーを売られている

『ピアーナ』という小さな集落が近づいてくると周りの光景が一変する





樹木がなくなり岩が侵食で荒々しい姿となり
色が赤く染まってゆく
一度人の運転で走っているとき居眠りをしてしまっていて
目が覚めたら周りが真っ赤になっていて吃驚した経験があります


 ちょうど具合のよいRの大きなカーブで駐車スペースが作れ
数10m下に細い清流の谷川が流れる眺めの綺麗な場所に
「峠の茶屋」ばりのカフェ兼おみやげ屋があり
そこに車を止めて歩いて辺り一帯を撮影する観光客がとても多い


県道81号線は村の中は通らないが『ピアーナ』村がすぐそこにある


『piana』

可愛い鐘楼を持つ村の教会は『聖マリア被昇天教会』


『Ghjesgia Santa Maria Assunta』

近くに『カポ・ロッソ(赤い岬)』という壮絶に美しい岬がある










頂きに塔

=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想ご意見などをお待ちします
旅行の計画や実行の具体化に興味をお持ちの方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』コルシカ島 39 < アジャクシゥ 9 > アジャクシゥ の最後に街のおさらいをもう一度 

2021-11-19 00:11:01 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 古きコルシカの雰囲気を残す建物の数々

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



コルシカ島の首都「アジャクシゥ」の最後にもう一度おさらいの回です
街は「シタデル」から北側の狭い旧市街とそのさらに北側の中心街
そして周囲に広範囲な住宅地が広がっている


Map by ⒸGoogle Map

地図右端の茶色い部分が旧市街で
西側は「シャルル・ド・ゴール広場」で東側は旧港
北側に「フォッシュ広場」で南側に「シタデル」に囲まれた
旧市街の南側半分が最も古い地区で狭い通りが走り
路地の一階にはレストランがあるパターンが多い


Map by ⒸGoogle Map

車が通れる通りは東西を結ぶ1本と南北を結ぶ2本だけ


突き当たりに「シタデル」のある車の通れる通りの1本

その3本の通り以外の細い通りは車は通れない





港側に通じる小径

そして「フォッシュ広場の北側が旧市街の商店街
全国レベルのブランド店などもならんでいる







この最後の写真は「フェッシュ宮」の横を通る通りで
写真左端は「帝室礼拝堂」の通りの側の入り口
ちなみに商店の並ぶ通りの裏側には巻頭写真にあるような古くて生活を感じさせる
一般住居の建物も集まっている






「フォシュ広場」の北側に面して「市役所」がある



「フォッシュ広場」の北側をみた写真で
左が市役所で右が新しい魚市場


Photo by ⒸGoogle Map

『Hôtel de Ville d'Ajaccio』

Hôtel は「不特定多数の多くの人が集まる建物」が語源で「館」に相当する
Ville は「町」
従って「Hôtel de Ville」は町の館(すなわち市役所)




エントランス・ホールの天井はガラス張り


突き当たりに大理石の彫像が立っており
その奥が階段


彫像はナポレオンの兄で「ウエストファーレン国王ジェローム」


左右の壁には町の歴史を辿るフレスコ画が


1492年4月30日「アジャクシゥ開市」

1660年3月18日カテドラル落成

1791年5月13日ロベスピエール「植民地と奴隷解放宣言」にアジャクシゥ市当局賛同

1943年アジャクシゥは全仏最初の枢軸国占領からの解放都市となる

「ジェローム」の彫像の後ろの階段を上ると上階は「ナポレオン広間」

『Salon Napolèon』


同 天井画

この「ナポレオン広間」が市庁舎のレセプション・ホールで
市民の「民法上の結婚式」も市長か助役の元で行われる

この市役所の並びの港側が「魚の市場」

『Marcatu di Pesci 魚市場』

19世紀の見事な建物の入り口にコルシカ語で誇らしく
「マルカテュ・ディ・ペッシ(魚の市場)」という瀟洒な看板が出ている
「フォッシュ広場」の露天市が町の中央の市場だったが
近年魚の業者を集めた建屋の市場をこの建物に置き
さらに最近「食品公設市場」を近くに建てたとご紹介した


内部は瀟洒な館の外観からは想像できない近代的で衛生的な魚市場



壁の前のブースと違って中央はアイランド風


「海の国コルシカ」に恥じない豊富で新鮮な海産物が溢れている


右端上の大きな赤魚はコルシカ特産の沖の岩場の深みにいるカサゴの一種
「シャポン」という本土では見られない美味なお魚
その下側は「ヒメジ」


輪切りになって売られているのは「メカジキ」
左上はやや小型の「シャポン」


左下は「鯵」で真ん中は「ヤリイカ」



「ラングスト(伊勢海老)」は活で生簀にて


建物の反対側の入り口にはフランス語で「Halle aux Poissons (魚市場)」という看板がある

この「マルカテュ・ディ・ペッシ」のもう一つ北側に
新設された「常設公設市場」
「フォッシュ広場」の露天市の混雑を緩和するために食品業者用として新設

『Marcatu d'Ajacciu』

「アジャクシゥ市場」という華々しい看板
長い建物の向こう半分は屋根が採光をよくした造りになっている


反対側は壁で閉ざされている


しかし
夏場はどうしても建物の外にテントで露天市を出す方が
市民には喜ばれるのは
レストランやカフェと同じ精神構造なのかもしれない



かなり長細い建屋で奥の方は採光と換気を考えた屋根になっている




スリットを多用した換気と採光特殊な屋根


こちら側には
お惣菜屋やパン屋や花屋やカフェ・スタンドもあり


なんと魚屋もあるんですよ



魚だけの専用市場より
一箇所で何でも揃う市場の方が市民たちにとっては都合がいいのかもしれません



外にもあるし
「フォッシュ広場」の青空市場までものの2〜3分ですし

それにしても


魚市場を出たら
目と鼻の先にこんなのが見えたらやっぱり「海の国」です

ということで「アジャクシゥ」のビーチも訪れて見ないわけにはまいりません


Map by ⒸPlanet.TV

見取り図の道板右端の「プラージュ・ポルティッシオ」を除いて
「アジャクシゥ」だけで31箇所ものビーチがある

まず『プラージュ・サン・フランソワ』

『Citadel & Plage saint-François』



このプラージュ(ビーチ)は
東(右端)のシタデルから始まって海岸通りの下にずっと続く
アジャクシゥの人々にとって最も日常てきなビーチなんです
写真左端は「シャルル・ド・ゴール広場」


「シタデル」の真下で砂浜に寝そべると
真後ろの真上に


こんな光景が目に入る


海岸道路のしただから真夏には観光客がひしめき合って通って行く



次に「アジャクシゥ」東側の端のビーチ『ラザレ』

『Plage Lazaret』

また町の西側に戻って「サン・フランソワ」のさらに西側の『トロッテ』

『Plage de Trottei』

さらに西側の「ギリシア人の礼拝堂」の位置のビーチ『シャペル・デ・グレック』

『Plage de la Chapelle des Grec』

引き続き西に行って5つの小さなビーチをまとめて「サンタ・リナ」
そのうちの一つ『アリアドゥン』


『Plage d'Ariadne』

そして『マリネッラ』


『Plage de Marinella』

その西には『テール・サクレ』


『Plage de la Terre Sacrée』

「アジャクシゥ」の対岸にも
一つだけ『ポルティッシオ』のビーチを挙げておこう

『Plage de Porticcio』
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想ご意見ご要望をお寄せください
具体的に旅行を計画実行してみたい方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com   『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』コルシカ島 34 < アジャクシゥ 4 > コルシカ島全体の首都を徹底解剖

2021-11-08 00:39:59 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : アジャクシゥの旧港とシタデル

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



コルシカは島国である以上やはり港抜きでは語れない

Map by ⒸGoogle Map

地図の一番下の出っ張り部分が「シタデル(城塞型旧市街)」で
そのまま北側に「旧港」と繋がっている
そこは今では漁港と小型プレジャーボートの専用になっている

その上の点線が出ているところ(航路)が大型船

一番北側が新港で大小プレジャーボートが使っている

『Vieux Port d'Ajaccio (旧港)』

岸壁に並ぶ建物の左端に「シタデル」の石垣が見えており
中ほどの建物のないところは「フォッシュ広場」


この写真の方が「シタデル」が分かりやすい


前の写真の位置を正面桟橋の一つから見る
右端が「フォッシュ広場」



ほぼ同じ角度


岸壁から逆向きで

北側に隣接する航路の大型船用の波止場を見ると


中型クルーズ船もいれば


超大型クルーズ船もいるし



フェリーも当然いる
そして新港も一目見てみよう

『Nouveau Port d'Ajaccio』




その旧港に連なるように街の最南端の張り出しに「シタデル」がある
星型に城壁の石垣で囲まれている
陸側は空堀で囲まれ海側はそのものズバリ海がお堀となる形


『Citadelle d'Ajaccio』


城壁の真下のわずかな浜辺は夏の間は格好の海水浴の場となる





堀を渡る橋は二つ


アーチひとつの橋と




アーチふたつの橋


アーチふたつの橋の方が中央の入り口になっている





ただしバスティアのシタデルのように中が「旧市街」というわけではなく
軍の施設になっている
したがって中には入れない




そのシタデルから西へ海岸道路が「アジャクシオ湾」の北岸の西端まで続く


ちょうど「シャルル・ド・ゴール広場」の前あたりの海岸


ナポレオンの騎馬像を背にするコチラグァの階段を降りた通りの向かって左側あたりに
カジノがある


『Casino municipal d'Ajaccio』




「アジャクシオ市営カジノ」はコルシカ全島で唯一のカジノ
フランスは市街地にカジノを設営することは許されていらず
リゾートに限定されている
「アジャクシゥ」は都会だがコルシカ全体がリゾート立国の土地なので
中心の町にカジノが置かれた


上の写真よりもう少し西側まで進んだ位置から振り返る
一番右端の先端が「シタデル」の位置
画面のど真ん中で白い雲の切れ目のあたりが「シャルル・ド・ゴール広場」
ちょうど広場の横あたりにカジノがある


反対向きだとこう見える
さらにもうしばらく西進して


この辺りまで来ると
海岸道路は海からほんの少し内側に入って海面は途切れ途切れにしか見えなくなる
そのうち



なぜか礼拝堂が並んでいると思ったら
墓地だった
コルシカの海の民の墓石はとにかく大きい
それぞれが大きさの差こそあれ一軒の礼拝堂のような作りとなっている


門まで付いている


木立の奥まったところにも



道路に面して3棟並んだ霊廟も


『Entrée de la Cimetière d'Ajaccio』

墓地の中央エントランス
その他にも別に二カ所のゲートがある



敷地内は例によって戸建のような霊廟がずらりと並ぶ



しかし敷地内の霊廟の方は道路沿いにあるものより小ぶりだ
道路沿いに有力家系が個別に立てていた大規模な霊廟の集まる辺りに
後から墓地を作ったのか
有力家系が墓地の外の道路沿いに敢えて大規模な霊廟を立てたのかは
浅学にして分からない



道路沿いの敷地は壮観
とにかくコルシカの墓標は大きい
ちなみのこの道路は「墓の道」という通称で呼ばれている

やがて道路左側の家並みが途切れてまた湾が見えてくると
オレンジ色の鮮やかな礼拝堂が見えてくる
『ギリシア人の礼拝堂』

『Chapelle des Grècs』

その昔
ペロポネソス半島のある街からジェノヴァに渡って来ていたギリシア人たちの一部が
その後コルシカ島にもやってきて
アジャクシゥとその北の港町「カルゲーゼ」に入植した
そのギリシア人入植者たちの「東方教会」の礼拝堂


正面入り口の扉の上に銘板がある



1632年建立とある銘板



背後は垂直の崖ですぐ海


東方教会は正十字型で交差部には円蓋が乗るが
これは単に礼拝堂なので単純に長方形で立てられており
後陣も四角


左側面の壁面の上部にもも銘板がある


ナポレオンの兄ジョゼフの回想録の一節が記されており
彼が弟ナポレオンとしばしばこのあたりまで散歩に来て
時間とともに天候によっても刻々知変わる海の色合いの美しさを愛でたことが
書かれている

このまま西に向かって進むと湾の最西端「サンギネール諸島」に向き合う
『パラタ岬』に通じている


Map by ⒸGoogle Map


パラタ岬からサンギネール諸島を望む




岬の先端は浸食の具合がもう少し違っていれば島になっていただろう地形で
細い砂州で辛うじて繋がっている




岬の最先端は小山になっていて頂上にジェノヴァ時代の塔がある
その小山の方から岬の駐車場を振り返るとこう見える



最上部の張り出した水平狭間(石落とし)の部分は欠落の具合が一定ではないので
見る角度によって形が異なって見える


「サンギネール諸島」は二つの小島と一つの岩礁と一つの島とで成り立っている



左から「ポーリ島」
その右に小さく「イソロット(岩礁島)」
その向こうに「サンギネール本島」
「カラ・ダルガ岩礁」はわかりにくいが本当の左端


本島には手前の山の上に灯台があり中ほどの山の上に塔がある


岬の塔と本島の灯台と小さく本島の塔が撮っている




=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想ご意見ご要望などをお送りください
旅行の計画立案や手配と案内などに関心のある方は次のサイトにもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』コルシカ島 33 < アジャクシゥ 3 > ナポレオンの軌跡 3

2021-11-05 00:33:27 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ボナパルト家の菩提寺「帝室礼拝堂」

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



今回は再度アジャクシゥの大聖堂から始めよう


母親「レティシア」が産気づいた場所
ナポレオン・ボナパルトが洗礼を受けた場所
「セント・ヘレナ島」から無言の帰還を果たしたナポレオンへの追悼のミサを行った場所
『被昇天の聖母大聖堂』




『Cathédrale Santa Maria Assunta / Cathédrale Sainte-Marie de l'Assomption』

着工が1583年で完成に10年を費やした「反宗教改革様式(ジェジュイット様式)」
内装はバロック



正面の小さな広場はやや低いので
ここから見ると左後方にある鐘楼はほぼ見えない



身廊と翼廊との交差部(十字架型の中心)は明かり取りの小塔が乗った大円蓋
鐘楼の頂点も明かり取りの小さな丸窓が並ぶ円蓋の上にさらに小塔



中央のポルタイユ(扉口)は単純な長方形で
上部に建立に至る年度や建設に尽力した人物名などが書かれた銘板がある



中は外から見て想像するよりかなり広大に感じる



交差する天井の天蓋から明るい光が差し込んでくる







一番奥の主祭壇とその上のネジ柱を持つルターブル(祭壇衝立)は
女性ながらルッカ大公となったナポレオンの妹エリザが寄進した
もともとはルッカの廃止された教会にあったもの
ちなみに彼女は「トスカーナ大公」でもあった



振り返ると
ポルタイユを入った上に定石通りにパイプ・オルガンがあるが
支え方がかなりユニーク





飛行機の両側にジェットエンジンが突き出ているように
主催団のある内陣と同じ東向きで翼廊にもそれぞれ祭壇がある
北の翼廊に二つ南に一つ


北側の翼廊最初の礼拝堂


北側翼廊二番目の礼拝堂「ピアント礼拝堂」『Chapelle Santa Maria del Pianto』

北側の「ピアントの礼拝堂」の祭壇画は
ドラクロワの『信仰の勝利 または 聖心の乙女』


『Triomphe de la Religion ou Vierge au Sacré Coeur』Dracroix(1822)

その部分の天井の細工は素晴らしい



反対側の南の翼廊の礼拝堂「ロザリオ礼拝堂」は装飾は控えめ


『Chapelle du Rosaire』

この礼拝堂は
後述する「帝室礼拝堂」が「フェスチ宮殿」に建設されるまで
ボナパルト家の墓所であった

もう一つ北側の翼廊の先端に四番目の祭壇「慈悲の聖母礼拝所」があって
その祭壇上部に街の守護聖人である「慈悲の聖母」像が
外からの光を巧みに利用して神々しく安置されている


『Chaelle Latérale de Vièrge de la Misericorde』


 『Notre-Dame de Misericorde (慈悲の聖母)』

内部が暗い時には



こう見える

ところで大切なものがもう一つ
「洗礼盤」


『Les Fonts baptismaux(洗礼水盤)』

この見事な細工の青銅製の大きな蓋のついた白大理石の洗礼盤で
「ナポレオン・ボナパルト」は
1771年7月21日2歳の時に洗礼を受けた


洗礼水盤の蓋の部分

教会の十字形交差部の柱に
ナポレオンの「辞世の言葉」を記したローズピンクの大理石板が嵌めてある



『もし私がパリから拒否されるなら 
私は
私という人間が拒否されたということを受けて
私の屍は
アジャクシオのカテドラルに
私の先祖たちが眠るすぐそばに葬って欲しい』

ちなみに
彼が生きている頃にはまだ
叔父のフェッシュ枢機卿の宮殿に「皇室礼拝堂」はなかった

実際は
『私は
できることなら私が大好きだったセーヌ川の見えるところに
葬られたい』
という辞世の言葉の前半にそって
パリのセーヌ河沿いの「アンヴァリッド」に
『フランスの皇帝ナポレオン1世』
として葬られている


『Tombeau de Napoléon 1er Empéreur des Français』

パリ「アンヴァリッド」にて撮影

ちなみにこの「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂」では
重要な儀式が執り行われる
『ア=マドンヌッチア』


『Statut de Notre-Dame de Misericode (慈悲の聖母像)』

毎年3月18日アジャクシゥで行われる「時hの聖母マリア」のお祭り
は17世紀半ばにさかのぼる
ペストの大流行に悩んでいたイタリアでジェノヴァ共和国の町であったアジャクシオも
被害から免れなかった
1世紀ほど前の1530年代に
イタリアのヴォーネでペストの流行への保護を願ったある農夫の前に現れたマリアが
町をペスト禍から救い
『アヴォーネの慈悲のマリア』として敬われていた
その「慈悲に聖母」をアジャクシアの町の守護聖人にいただくことを決めた
1656年11月16日から「慈悲の聖母像」を半年かけて準備し
翌年3月18日にそのマリア像を讃えるお祭りをすることになったのが
『A Madonuccia』


大聖堂のロザリオ礼拝堂から出る「慈悲のマリア像」

前日17日21時に前夜祭として大聖堂からフォッシュ広場までの行進が行われ
18日10時からの記念礼拝
その様子は「バチカン・テレビ」で世界中に中継される



18時からいよいよ夜間大行倖が始まる
年にもよるが
バチカンから20名ほどの枢機卿も参加し「慈悲の聖母」が
町を練り歩く





カテドラルを出た「マドンナ」は


大勢のアジャクシオっ子を引き連れて


旧市街を練り歩き



途中
『Eglise Saint-Roch 聖ロック教会』で荘厳なるミサを執り行う


そのまま「フォッシュ広場」下された「マドンナ」は
特製の厨子に安置され
広場中にあふれる人々に囲まれて夜のミサ








そして夜遅くに大聖堂にご帰還になる



『バチカン聖務院(宗教法務省)』の直々のお墨付きの
公式行事なのです


では場所を変えて
ナポレオン所縁の場所の最後に『フェッシュ宮殿/帝室礼拝堂』に行ってみよう


『Palais Fesch』Photo by ⒸGoogle Map

『フェッシュ宮』は
革命政府が仏国内の教会財産を競売に付したことで
ローマ教皇から破門されていたフランスを
ナポレオンの謝罪で破門を説いた『レオン7世』が枢機卿に任命した
ナポレオンの母方の叔父「ジョゼフ・フェッシュ」大司教
のアジャクシゥの枢機卿宮殿


『Palais Fesch』


フェッシュ枢機卿








右側の部分が「帝室礼拝堂」



『Chapelle Impériale』

この「帝室礼拝堂」は
ナポレオンの甥「ルイ=ナポレオン」が2月革命の後大統領に選ばれて第三次共和制をしき
その後クーデターで議会を廃止して皇帝となり第二帝政を敷いた「ナポレオン3世」が
1857年に建設した

この礼拝堂には写真右端の先にある通りからも入れる



通りに面した扉口




内部の地上階は礼拝堂





祭壇の上の磔刑のキリスト像はコプト教徒のもので
エジプトから贈られた



平面図はギリシア正十字(たてよこ同じ長さの十字架)型で
交差部の天井は大天蓋になっている



このクーポラ(円蓋)のレリーフ群は「トロンプ・ロイユ(だまし絵)」



ステンド・グラスはフェッシュ枢機卿の紋章



交差部の床の中央に鋳鉄細工のまる蓋があり



透かし彫りの鉄の蓋の下のクリプト(地下祭室)が
ボナパルト家の霊廟(墓所)



クリプト
暗色の大理石の一つ一つが墓石で



左が「シャルル=マリー・ボナパルト」(父親)
右は「マリー=レティシア・ロマリーノ=ボナパルト」(母親)






礼拝堂(地上階)と墓所(地階)とを結ぶ階段

ところで
この「フェッシュ宮」はアジャクシゥ私立美術館として使われている
基本的には「フェッシュ枢機卿」のコレクションの遺贈が元となって造られた


『Musée des beaux Arts de la Ville d'Ajaccio』




絵画彫刻などが主な展示だがボナパルト家に関するコレクションもある


ナポレオンの家族の彫像の部屋

ナポレオンの胸像


妹ポーリーヌの胸像


レティシアの肖像


戴冠式の装束のナポレオン






一般のコレクションも素晴らしい


ボッティチェルリ『聖母子と聖ヨハネ』


ベリーニ『聖母子像』


ヴァザーリ『聖ヒエロニムス』


ニコラ・プッサン『パクトール川水源でのミダス王』


ジェゼフ=トマ・ショタール『サフォー』

フェッシュ枢機卿の書庫もすごい量と質の高いもので
現在はアジャクシゥ市立図書館扱いになっている



「アジャクシゥ」の項 続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご意見ご要望とご感想を是非送ってください
旅行の具体的な計画立案と手配や案内などに関心のある方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』コルシカ島 32 < アジャクシオ 2 > 島の首都を徹底解剖してみる

2021-11-03 00:25:27 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 『シャルル・ド・ゴール広場』の4兄弟に囲まれた皇帝ナポレオン騎馬像

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



今回も「ナポレオンの奇跡」をたどりましょう
「アジャクシゥ」にはナポレオンを顕彰する像が三箇所あります
「フォッシュ広場」
「シャルル・ド・ゴール広場」
「オーステルリッツ広場(グロット・ナポレオン」
それぞれスタイルが異なるのです


Photo by ⒸGoogle Map

「アジャクシゥ」の街中に
西のやや高くなった位置から東の「旧港」にむかって一直線の空間がある
両端に二つどちらも長細い広場があって
西端の「オーステルリッツ広場(グロット・ナポレオン」)」から
東端「フォッシュ広場」まで
まっすぐ道路で繋がって抜けているのです
東端の「フォッシュ広場」のやや西側には「シャルル・ド・ゴール広場」がぶら下がる

まず『フォッシュ広場』を見てみよう


『Place Foch : Fontaine de 4 Lions avec le Statut du Premier Consul 
フォッシュ広場/4頭のライオンの噴水と第一執政像』


この広場には「執政ナポレオン・ボナパルト」の大理石像の噴水がある
『四頭のライオンの噴水』という名が付いている





この写真の彼の後ろの空間が「オーステルリッツ広場」まで一直線に抜けていて



オーステルリッツ広場の「グロット」と呼ばれる岩場に
皇帝ナポレオンの軍服姿の銅像が建っているのです


後ろ姿

「グロット・ナポレオン」の位置からは大変距離があるがこの様に見えるはず
港がすぐ近くなので



彼の頭にはカモメが頻繁にとまっている

古代ローマ共和国の末期
「カエサル」「ポンペイウス」「クラッスス」で実権を握り
さらにカエサル亡き後
「オクタビアヌス」「アントニウス」「レピドゥス」で三頭政治を行ったのち
「オクタビアヌス」が権力を掌握して共和制から皇帝制度に移行した
その三頭政治の時代になぞらえて
「ボナパルト」「カンバセレス」「ルブラン」
で革命政府に三執政政府を作った
その「第一執政ナポレオン・ボナパルト」が「共和制ローマ三頭政治」時代の執政の衣装で
この像が作られた

また
この広場では春から秋までのシーズンは毎日午前中市が立つ


『Marché principale d'Ajaccio アジャクシゥ中央市場』




海の国コルシカの海産物は種類が豊富



そして山の国コルシカの名物生ハムとドライ・ソーセージの種類は非常に多い




山に放牧されている羊と山羊の乳で作るコルシカのチーズは絶品



この「フォッシュ広場の市場」が旧来から町の日常の食品流通の要だったが
数十年前に建屋の中央公設市場も近くに作られ
さらに最近は町の中心部に近代的な2500m2ほどもある大型の中央市場が作られた
小売の業者はそちらに移動して他の場所の市場の業者と統合し
広場の青空市場は近郊農家の直販専用として残されるという

さらに
ヴァカンスのシーズンは毎日
オフシーズンは毎木曜日午後19時に
共和国革命軍(ナポレオン軍)の制服に身をまとった出演者たちによるアトラクションも
繰り広げられる









銃器大砲は空砲を放ち
観衆は耳を押さえて大騒ぎ
ある種の「衛兵交代式」のような感じになる


この「第一執政の衣装のナポレオン・ボナパルト像」は
ナポレオンの叔父「フェッシュ枢機卿」によって
1802年から03年にかけてアジャクシゥ市に寄贈された


『Cardinal Fecsh フェッシュ枢機卿』






では次に
ほど近い「シャルル・ド・ゴール広場」に移ろう


『Place Charles-De-Gaulle : Statut de Napolèon avec ses 4 Frères』

この広場は町の美観に貢献しているとは到底思えないが広さだけは十分
というかなり無粋な場所なのですが
第一執政のボナパルト像のある「フォッシュ広場」から西に伸びる
「プルミエ・コンシュル(第一執政)大通り」のつながりの
「アヴェニュー・ド・パリ(パリ大通り)」を北辺に
南の海岸通りまでの変形の四角い広場で



その広場の海岸通りに寄った辺りに「ローマ皇帝」の衣装のナポレオン騎馬像が
彼の四人の兄弟たちの像に四方を守られて立っている





「ナポレオン・ボナパルト」は8人兄弟
4人の兄弟と3人の姉妹がいた

長男が『ジョゼフ』
のちのナポリ王「ジョゼッぺ1世」 スペイン王「ホセ1世」となる


『Joséph』

ナポレオンを挟んで三男が『リュシアン』
イタリア「カニーノ公」


『Lucien』

長女を挟んで四男は『ルイ』
ホラント(オランダ)王「ローデウェィク=ナポレオン1世」 フランス「サン・ルー公爵」


『Louis』

二女三女を挟んで五男が『ジェローム』
ヴエストファーレン王「イエローメ1世」 フランス「モンフォール伯爵」


『Jérôme』

これらの兄弟に四方を守られて『皇帝ナポレオン1世』が


『Empereur Napolèon 1er』

ローマ皇帝の象徴である月桂冠をかぶり馬上豊かに威風堂々と置かれている
ちなみに古代ローマ時代には乗馬の際の「あぶみ」はなかった



花壇越しに



このすぐ左下は海岸通り
おりて右に行くとカジノがある

話はそれるがこの広場にはブーゲンビリアの花トンネルがある





この広場はコルシカがフランス全土で一番最初に
独伊枢軸独裁国の占領から解放された1943年から70周年の2013年に
コルシカ解放をドゴール将軍がロンドンから来島して祝福したことを記念して
『シャルル・ド・ゴール広場』』
と改名されコルシカ解放の記念碑が置かれた





では三番目の広場『オーステルリッツ広場』に行ってみよう

「フォッシュ広場」から西にまっすぐ伸びる一直線の道路は徐々に上り坂になってゆく
広場自体は通常は何もない長細い長方形の広場だが突き当りが小高い岩山になっていて
「グロット(洞窟)」と呼ばれ
その斜面に高いピラミッド型の造作のてっぺんに
巨大な「軍服姿のナポレオン」が居る



この斜面はこの写真で見るよりずっと高いのです
一番下の左右に
生年と没年が刻まれた「皇帝の鷲」が守りを固めている




 
今年はナポレオン没200周年

この石の斜面には
彼が生涯に戦った戦場の地名が書き記され
その次に
彼が国家にもたらした功績が各記してある



「民法の制定」
「(近代的)大学制度の確立」
「フランス銀行(中央銀行)設立」
「レジオン・ドヌール(叙勲と顕彰制度)設立」
「国家会計検査院の設立」
「ローマ法王との和解」
「国務院の設立(憲法裁判所兼国務諮問会)」

そしてここには書かれていないが最も大きな功績のひとつが
「メートル法の制定」だろう



彼の功績を記した下に「月桂冠」が彫り込まれている




最上部には名前と皇帝の鷲



石の斜面の急な階段以外に裏側からも上り下りできる
世紀の齢を重ねた大樹と



大岩の折り重なったところがあって
「グロット(洞窟)」と呼ばれる所以となっている



階段の途中で振り返ると
「オーステルリッツ広場」の全容と「フォッシュ広場」の先の港の位置まで
見通せる



彼はその光景を見下ろしている



広場自体の入り口はシッカリしたゲートがあって
その壁の一部に青銅板がはめてある



生年月日と没年月日
イニシアル『N』を囲む月桂冠というナポレオンの紋章の左右には
左側には剣や大砲
右側には民法典とその他の法規
が絵が描かれている



階段は150段くらいあるので
この斜面の急さ加減と
ナポレオンの像の巨大さがお分かりいただけるだろう









「アジャクシゥ」の項はまだ続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見ご要望を是非お寄せください
「コメント」でも「メッセージ」でも構いません
なお「メッセージは表に出ないようになっています

実際の旅行の企画や実現に興味のある方は次のサイトにもどうぞ

https://veritas21.com  『こんな旅が死絵見たい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』コルシカ島 31 < アジャクシオ 1 > 島の首都を総解剖してみる

2021-11-01 00:48:21 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 革命政府第一執政ナポレオンの像の立つフォッシュ広場

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた


山里を訪れてきたが
いよいよ島の首都『アジャクシオ』を目指して下って行こう

ほぼ真っ直ぐ北上していた国道196号線が
先回訪れた「サンタ・マリア・シッシェ」に向かう県道83号線との分岐点から
西に曲がって高地を海に向かって下り始める


『Golfe d'Ajacciu / Golfe d'Ajaccio』

湾の北側から海が見え始めるとすでに「アジャクシゥ」は眼下に
分岐点から25kmほどで『アジャクシゥ(アジャクシオ)』に至る

「Corse du Sud (南コルシカ県)」の県庁所在市は「アジャクシゥ」
そしてコルシカ島全体の首都も『アジャクシゥ/アジャクシオ』なのです

「アジャクシオ」に達すると
並木が防風林のように海風に吹かれ続けて傾いてならんでいる



「アジャクシオ」湾の一番奥から北岸の全域を
西の先端の「パラタ岬」と「サンギネール諸島」までを占める

Map by ⒸGoogle Map

地樹上で赤線で囲ってあるのが「アジャクシゥ」の市域
しかし何と言ってもこの町の売りは「ナポレオンの生誕地」だということだろう

オーステルリッツ広場のナポレオン像

ナポレオン所縁の場所は何箇所かある
像の立つ「フォッシュ広場」「シャルル・ド・ゴール広場」「オーステルリッツ広場」
生家である「ボナパルト家の屋敷」
洗礼を受けた「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂」
一族の墓所である『帝室礼拝堂』のある「フェッチ宮」

まず彼の誕生から彼の足跡を追って行こう


『Cathédrale Santa Maria Assunta』

時は1769年8月15日
母親レティシア・ボナパルトはこの「被昇天の聖母大聖堂」で
日曜日のミサに臨んでいて陣痛が始まった
彼女は家族に支えられながらころびつまろびつヨロヨロと屋敷へ向かう
カテドラルに向き合って左横の小道を進み



一本横道を横切ってそのままさらにまっすぐ進むと
左側にある小さな庭園に向き合う右側が「ボナパルト家」の屋敷

逆向きに見る屋敷の前の通り

上二枚の写真はいずれも逆向きにカテドラルの方向を向いている


玄関口のすぐ上の壁面に
「1769年8月15日 ナポレオンがこの家で生まれた」
と記した大理石の銘板がはめてある



玄関を入るとすぐの階段を二階に登った母親レティシアは
自分の寝室を目指したが手前の控えの間で動けなくなりそのままそこで出産した


ナポレオンの誕生した部屋



その次がレティシアの寝室


レティシア・ボナパルト=ポラリーノの寝室



彼の姓名は『ナビオーロ・ブゥオナパルテ』という
「ナビオーロ」をフランス風に言うと「ナポレオン」

「ブゥオナパルテ家」は
コルシカ島では「パオリ家」「オルシーニ家」「コロンナ家」などと並んで
有力な家柄ではあった
ジェノヴァ支配時代から500年続いた独立運動の指導的役割を果たしてきた

父親は「シャルル=マリー」


『Carlo=Maria di Buonaparte』

母親は「レティシア」


『Letizia Romarono』

「シャルル=マリー」は非常に温厚な男性だったらしいが
「レティシア」が女丈夫だった
ピサ統治100年とジェノヴァ統治500年の間常に独立運動が続いたコルシカだったが
レティシアは臨月に抜き身の剣を頭上にかざして馬でジェノヴァの守備隊に切り込んだ
という逸話の持ち主だ

ナポレオンは二人の間の九人の子供達の2番目の子供で次男として生を受ける
レティシアとシャルルの像の間にナポレオンの洗礼証明書が飾ってある


ナポレオンの洗礼証明書



レティシアのサロン

ギャラリー

「ナビオーロ(ナポレオン)」は9歳までこの家で育った

ナポレオンの寝台

コルシカ独立運動の指導者格の家柄だった父「カルロ=マリー」は
フランスに吸収された後は
それまでの様にピサやジェノヴァなど外国民族に隷属させられるわけではなく
「フランス人」として扱われることを良しとして独立運動から離れ
「親フランス」に舵を切り
一番出来の良い息子だった「ナビオーロ」にフランス本土で英才教育をを受けさせる

『コルシカの部屋』

島の当時の地図が飾られているのでこの名が付いている部屋
暖炉の上に父「シャルル=マリー」の肖像


西が上向き担っているが壁のサイズに合わせてあるのだろう
しかし昔は地図は必ず北が上を向くわけでもなかったようだ

一部の18世紀の家具は素晴らしいものがある

上二つはいずれもルイ16世様式

摂政様式の用箪笥

母「レティシア」の手袋

9歳でフランス本土アルプスの麓「ブリエンヌ」の陸軍幼年学校に入学
全国から集まった選りすぐった大貴族の子弟である学友たちに馴染めず
ラシーヌの悲劇など文学にのめり込み
名前もフランス風に「ナポレオン」と改めた

ブリエンヌでの5年間を過ごした後
王室奨学金を獲得してパリの「王立陸軍士官学校」に15歳で入学
通常2年かかるところを
数学が常に満点であったナポレオンは1年で卒業した
その後の出世譚は別の機会に譲ろう

ただ
皇帝になってからは「ボナパルト」がなくなります

王族や皇族には「姓」がないのです
エリザベス2世英国女王でありフェリペ6世西国王でありナルヒト天皇なのです
宮家の呼称はタイトルであって姓ではない

革命政府の執政時代までは『ナポレオン・ボナパルト』
皇帝になってからは『ナポレオン1世』

皇帝のシンボルの鷲の旗印

ナポレオンの戴冠式の月桂冠

最終的に英国主導の澳独露に夜「対仏大連合」に敗れて2度失脚し
2度目に大西洋の孤島「セント・ヘレナ島」に流され
1821年5月5日51歳で亡くなった
「セント・ヘレナ」での6年間の幽閉時代に食事に常に微量のヒ素を混ぜられたことによる
中毒死であったことがわかっている

「デスマスク」1

デスマスク 2

幼少期のナポレオンの髪

幼少期の胸像


息子「ナポレオン2世」の幼少期の髪


17世紀のボナパルト家の屋敷の模型

1850年頃の屋敷



外壁の角の2階の高さに屋敷の前の広場の名前を記したプレートが嵌め込まれている


「レティシア広場」

屋敷に向き合う小さな庭園のような「レティシア広場」に
息子「ナポレオン2世」の胸像がある


若い青年将校の頃追いかけ回して口説き落とした
年上の未亡人だった恋女房『ジゼフィーヌ」との間に子供ができず離婚
オーストリアのハプスブルク家から後添いとして迎えた
「マリー=アントワネット」の姪『マリア・ルイサ』との間にできた一子
『シャルル・レオン』



屋敷は角になっていて横に曲がった方に「奥向き」の作業場などがある

門衛が入る一人用の小屋が置かれていた

オリーブを砕いた碾き臼

「アジャクシゥ」の項続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご意見ご感想をお寄せください
旅行の具体化に興味がある方は次のサイトにもどうぞ
https://veritas21.com 『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』コルシカ島 30 < 山間の村々 続き > ヴァランコ湾周辺 から 島の首都アアジャクシオ へのルート 4

2021-10-29 00:14:24 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ウルバラコヌ村の聖ミカエル教会と司祭館

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



先回の「コノッコーリ・モンティエッキ」から国道の方へ(東側へ)戻った辺りに
『ウルバラコヌ』というまた小さな村

『Urbalacònu / Urbalacone』

教会はユニークな二つで一つみたいに見える


実は鐘楼のある方が「司祭館」



手前が「聖ミカエル教会」で破風の上に小さな十字架があるだけで鐘楼はない
起源は12世紀だが完全に作り変えられてしまっている


しかし
奥には後陣が張り出している


もともと小さな集落なので民家の数も限られ
全てが「ヴィエイユ・ピエール(古い石)」の群れ


古い(ヴィエイユ)だが外壁は完璧に修復されている




山肌にあるので集落内も上下の高度差はかなりある



この家は廃屋かと思ったが窓が開いており中に住人がいることがわかる
現役の家のようだ



こちらは現役ではなさそう
露出した大岩が基礎と外壁の一部に使われている


フォンテーヌ(水場)もちゃんと現役



さすがに共同パン焼き窯はすでに現役ではないようだ



村の墓地の敷地に外れに古い礼拝堂がある
『聖洗礼者ヨハネ礼拝堂』

『Cappela San Giovanni Batista』

正面ファサード

後部の外陣



外陣を内部側から見ると当然祭壇のある後陣となる





「洗礼者聖ヨハネ」

これまでにご紹介してきた村々にも3〜4階建くらいの背の高い四角い建物があったが
それは敵襲の際に村人が逃げ込んで防御できるための主要な施設で
「メゾン・フォルト(防御屋敷)」と呼ばれる

Maison Forte

最上部には
足元まで攻め寄せた的に上から石弾などを投げ落として反撃するための
「石落とし(水平狭間)」が備わっている



コルシカ南部の山間部には温泉が結構あるが
ここ「ウルバラクゥ」も小規模な温泉がある


とっても素朴な露天風呂

20世紀になって最南端「ボニファッチュ」と島首都「アジャクシオ」間に
国道が整備された時の「ウルバラコン温泉場」という標識板が
入口の壁に残っていた


「アジャクシオ」ままで40kmとの表示がある


 ※  ※

「ウルバラクゥ」から真北に2kmほどに『アルビトレッチア』という集落



『Albitreccia』

道路の村の入口の部分に小さな祠があり
木製の十字架が立っている



これまで記述していなかったが
この地方の山間部の村々にはどこかに「十字架」が建てられている
木製だったり鉄製だったりする



『Eglise Sainte-Catherine d'Albitreccia』

『聖カタリナ教会』は村の規模に比べると大き目



固有名詞ではなく「教会」と呼ばれている



ヴィエイユ・ピエールも情緒たっぷり
フォンテーヌもしっかり残っている




※  ※

上で見てきた「アルビトレッチア」から国道を挟んだ東側には
『カルド・トルジア』の集落
先回ご紹介した「ジッリアーラ」のすぐ北です


『Cardu è Turghjà / Cardo-Torgia』

この写真の左端の四角い建物がこの集落の「メゾン・フォルト」のようだ





右の壁面の上奥の角に「石落とし」が見られる

この集落にも教会はあるが
むしろ外れにある礼拝堂が重要『豊かさの礼拝堂』



『Capella Fructueux』



国の重文の対象としての保護指示が出されている




そして海岸ではないにもかかわらずジェノヴァ時代の塔もあるのです



この塔はレストラン経営者に有効活用されていて
店のシンボルになっている


この村の周囲は山また山

※  ※

さらに2kmほど北側に「タラヴォ川」の源流の一部の渓谷に沿っていくつか
興味深い村々がある
まず中心となる『サンタ・マリア・シッシェ』を訪れてみよう


『Santa Maria Siché』

これまでの村よりは開けているが写真で見ても空間的にも理解できる
村の名前になった教会『サンタ・マリア』も大きく新しい


『Ghjesgia di Santa Maria / Eglise Sante-Marie de l'Assomption』





しかし
実は同名のもっと古い教会があった


『Capella Santa Lucia / Chapelle Sante-Lucie』

『サント・リュシー礼拝堂』という名で呼ばれるこの半分廃墟の礼拝堂が
かつては「サンタ・マリア・アッスンタ教会」だったのです


鐘楼が薄い馬蹄形の壁のようで本体部の屋根はなくなっている



この形の鐘楼はこの辺りの他の村の教会にも見られるが
鐘を固定した鉄の棒が左右に固定されて3段くらいあったものと思われる
この村は人口もそこそこ多く規模も広いので
礼拝堂は15くらいある



「Fontaine」

フォンテーヌ(水場)も作り変えられてまっさら
それより
この村は「(シッシェの)サンタ・マリア」つまり「聖母」という名前なので
見晴らしのいいところに人口の洞窟様のもにおが作られており
聖母像が安置されていて「マドンナ」と名付けられている



この他にも街中にもう一体の別の「マドンナ」もいらっしゃる




※  ※

この「サンタ・マリア・シッシェ」の村の北側に隣接して
『カンポ』という村がある



『Campu / Campo』

この村に『聖ラレンズ教会』があって特徴ある屋根の鐘楼がある
フランス語で言うと「サン・ローラン教会」となる



『Ghjesgia San Larenzu / Eglise Saint-Laurent』





村の中の様子はというと



通り抜ける県道の様子はコルシカ中どこも全く同じで
山側に家並みがあり谷側は空間
幹線道路の裏道は



こんなだったり



こんなだったりして



「ヴィエイユ・ピエール(
古い石=古民家の家並み)」だらけで



この村のフォンテーヌはこんな感じ



では
いよいよ次回からは県道は
島全体の主邑『アジャクシオ』に向かって山国から海へと下って行きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
【お願い】
ご感想やお気付きの点ご要望などを「是非」お寄せください
「コメント」から送信か
表に出るのが嫌な方は「メッセージ」からどうぞ

具体的に旅行の企画や手配滞在の案内などに関心のある方は次にサイトにもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』コルシカ島 29 < ジッリアーラの新旧の教会と コノッコーリのゴーストタウン > ヴァランコ湾周辺 から 島の首都アアジャクシオ へのルート 3

2021-10-27 00:26:19 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ジッリアーラの『新教会』

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



先回ご紹介した「マカ・クローセ」の北に4kmほどで
「ジッリアーラ」という村がある

『Zigliara』

コルシカの何処にいってもある有り触れた山村
村の高い位置から周囲を見回すと



周り中山また山
こんな光景しか目に入らない山国

そんな村に「新旧」二つの教会がある
まず新しい方から見ていこう
その名も「新しい聖堂」と味も素っ気もない

『Chjesa Nova』


誰が見ても


何処から見ても


何時見ても


どうもても廃墟


なぜなら
島がジェノヴァの支配から離れてフランスに帰属し革命も終わって落ち着いた頃に
島で教会を立て直すラッシュがあった19世紀半ば


この村でもその動きに負けじと1864年に新教会の建設に着工したが



様々の理由で工事が遅れ
今日に至る迄ついに完成を見ないままになっている
だから
完成した際に特定の聖人に捧げる「献堂式」を行っていないので
「聖ペトロ教会」でも「聖フランシス教会」でも「聖母教会」でもなく
名前はない
ただ「新しい教会」と呼ばれる廃墟



地元の村人たちは未だに完成を夢見ているようで
「コルシカのサグラダ・ファミリア」だと自虐的に呼んでいる

次に古い方の教会
『ジッリアーラの教区教会』

『Eglise Paroissiale de Zigliara』


右側に張り出した南の翼廊の外壁に
「1678年5月16日」と建立の日時が刻まれている


こちらの教会はかねてより
他のどこの教会とも同じように村の中心的存在であるがゆえに

立派な鐘楼もあって



結構遠くからでもいろんな角度から見える


しかしこれも
特定の名前で呼ばれているわけではなく
以前はちゃんと守護聖人の名前が付いていたはずだが
いつしか「村の(教区)教会」と呼ばれるようになって今日に至っている

主祭壇

内部は天井が白い漆喰で壁がベージュのオーカーが塗られている

祭壇から扉口を振り返る

扉口に向かって右の角にあるとんがり覆いのついた洗礼水盤がいい感じ


覆いが素朴ながら素敵な意匠だ

翼廊の礼拝用祭壇上部


祭壇

さらに別の礼拝祭壇もあって


祭壇中央に片膝をついた子供の天使像が愛らしい

聖櫃

典礼で使われる「聖パン」を収める金張りの櫃が
鄙にも稀な見事さだった

「新しい教会」は中断して放置された廃墟だが
古い方の「村の教会」は国の文化財に指定されている

小さな村とはいえ
中心部は歩くほどにタイムスリップした感覚に襲われる
「ヴィエイユ・ピエール(古い石)」
の家並みが実に良い











しかし周辺は実のにのどかな田舎の雰囲気





 ※  ※

「ジッリアーラ」から国道を挟んだ西側に直線距離で5kmほどのところにある村が興味深い
『コノッコーリ・モンティエッキ』
「コノッコーリ」村は三つの村の合併でできた村で
それに加えて
さらに「モンティエッキ」という廃村の部分が一緒になって命名されている

『Cognocoli-Monticchi』中心部遠景

村の中は「ヴィエイユ・ピエール(古い石)」と呼ばれる家並みが情緒たっぷり







そして「Fontaine(水場)」がいくつも残る

Fontaine 1

同 ディテール

Fontaine 2

同 ディテール


Fontaine 3

教会もご紹介しておこう
『聖ニコラ教会』

  『Ghjesgia San Niculà』


同 外陣

そして件の「ゴースト・タウン」である「旧モンティエッキ集落跡」だが


廃村になった旧モンティエッキ村の入り口



実は数十年前初めてコルシカ島を訪れた時
山間を抜けて走る県道で村を抜けるとやがて道路の山側にも谷側にも
石造りの結構立派な家が1km起きくらいに現れて
全部廃屋だったことに驚いた経験がある

今は日本も限界集落などが話題となり廃村は珍しくないようだが
当時の私にはショックだった


後に雑誌の記事を見つけたのだが
集落を離れると一軒家では水道設備がなく
(何しろ山間の一軒家なので電気が来ていない家も結構あったとか)
背後の山の中の水のある場所まで毎日汲みに行かねばならず
人口の老化と共に生活が困難となって生まれ育った家を捨てて去る住人が
多くいるのだとか









実は教会もあった



外観は綺麗なままだが

内部は廃墟

そして一軒だけ人が住んでいるらしき家があった



右の家は廃墟だが
左の家は白く綺麗に塗られているし窓にはガラスも嵌っている


「Village abandonné 打ち捨てられた村」の番人なのだろうか

間道沿いに点在する一軒家の廃屋は珍しくないが
集落ごと全部が廃村になってしまっているのはそれほど頻繁にあるものではない

このルートの項は続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想やご意見ご要望をお寄せください
お待ちしております
旅行の計画立案や手配と案内などに関心がある方は次のサイトもどうぞ
https://vezritasu21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする