行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

地中海の『美の島』コルシカ島 25 < プロプリアーノ と ヴァランコ湾周辺 >

2021-10-18 00:55:21 | 素晴らしき世界/フランス
巻頭写真 : ジェノヴァ時代の塔を背景に『ヴァランコ湾』の一部

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた


山国「アルタ・ロッカ」地方から降りてまた海のコルシカに戻ろう
「サルテンヌ」から北北東の10km あまりで『プロプリアーノ』という海辺の町に至る
そこは『Golfe de Valinco ヴァランコ湾』の一番奥に当たる
広い湾はどこも際立った美しい海とあって風光明媚な海岸が点在する


『Golfe de Valinco』 Map by ⒸGoogle Map

地図の右下の黄色い道路がぐるぐるうねっているところが「サルテンヌ」
矢印が『プロプリアーノ』

『Port de Propriano』

海岸沿いの町の典型で港が中心


そして背後の街並みに教会の尖塔が見える

旧市街

港の後背地が高くなるので旧市街は必然的に階段も多くなる


旧市街の上の外れから教会前に出る階段がありそれを登る


教会前に出てすぐローアングルで撮すと後陣野川にある鐘楼は見えない


少し右に角度を変えるとちゃんと見えてくる


内部はあまりにもカラフルで眩暈がしそうなほど
実は1860年までここ「プロプリアーノ」は小さな小さな集落に過ぎなかった
島南端の「ボニファチゥ」から「サルテ(サルテンヌ」経由で
島全体の中心の町「アジャクシオ」につながる道路が開通し人口が増えてゆく
小さな集落の小さな教会では住民を収容しきれなくなって
1864年から新しい教会を立てることになった
だからわずか150年ほどしか経っていないのです
納得

19世紀後半とはいえ
イタリアの教会文化の影響下にあった島の伝統で
17世紀イタリアの教会のような雰囲気で建立されている


奥の祭壇の背後の壁の天蓋の細工が見事


そして
有りましたよやっぱり
サルテでご紹介した「U Catenaccio (贖罪の十字架の道行き)」のための
十字架と鉄鎖


しかしこの教会では別のお祭りが必見です
『A Madonuccia (慈悲の聖母の行幸)』
この教会には聖母像が二体あって
そのうちの一体はリボンで飾られて教会前の広場にお出ましになる


もう一体はたくさんのお花に囲まれて山車に乗って
旧市街を練り歩くのです



実はこれ
島全体の首都「アジャクシオ」の聖守護聖人「事後の聖母」に献堂された
「アジャクシオの慈悲の聖母教会」で
毎年3月18日に行われるお祭りで
同く「慈悲の聖母教会」を持つコルシカの他の町でも行われるようになった


スペインでも
特にアンダルシアを中心に夫々の町の教会が持つ聖母像を
着飾らせて町を練り歩くお祭りが在るのですが
それは「聖週間の金曜日」
イエスの受難の日と決まっています
ちなみに聖週間(復活祭までの一週間)は移動祝日で
月齢により計算されるので毎年日にちは固定されていません
ところでこの教会は
「サン・サルヴァドール(聖救世主)」像に向き合って建立されているので
教会を出ると


この光景となり
救世主像の方から教会を見ると


こうなる
ついでに後陣もお見せしておきましょう



ではもう一度旧市街を港の方へ下っていくことにしよう






実はこの港にも大型船が寄港できるのです





そしてこの「ヴァランコ湾」一帯の海岸線の美しさときたら


プロプリアーノの町自体ですら港を少し離れたらすでにこの様なビーチがあり
かつ湾全体に
北岸も南岸も素晴らしいビーチが多々点在して
砂浜と岩場と海の美しさを堪能できます














手を浸すと真っ青に染まってしまいそうな沖合の濃い紺ぺきの部分から
陸に近づいた辺りのトルコ石のブルー
そして岸辺の透き通った透明な水の美しさ



海岸線には美しい奇岩や洞窟もあり
湾内クルーズの遊覧船が湾岸何箇所かの港から出ています


奇岩の露出した岩礁近くを走ったり


フランスのカフェで夏場によく注文する「マンタ・ロー」という飲み物があって
ミント・シロップを水で割るだけの単純な夏の飲み物なのですが
それと同じような色の海を走ったり





大絶壁の岩壁に近寄ったり




小さな洞窟に近寄ったり


左右の柱状節理はそれぞれ違う火山から流れ出た溶岩で出来たにちがいない
色の違い(鉱物の違い)がくっきり現れている断層だったり


岩場のトンネルをくぐり抜けたり






海面の上に浮かぶような錯覚を覚えるように透明な青い海だったり



そして
人気のない綺麗な砂浜で止まってくれたりもする


30分間ほどの休憩の間に水と戯れたり
1時間半おきくらいに出ているので一旦降りて次の船に乗って帰れば
ここで2時間以上日光浴が楽しめたりする
ちなみにこの船は船底がガラス張りなので
岸壁や岩礁の近くや洞窟などの場所では甲板に乗って楽しみ
途中あまり見るものがない単調なところを走るときは船底に降りて
海底を観察しながら走ることもできる




上の休憩地点はこのビーチ

そしてこの湾岸にはあちこちの岬の先端や海岸線の高台に
ジェノヴァ時代に建てられた物見の塔が
いくつも残っている

『La Tour de Campomoro』

中でもこの辺りでは一番名高いのが『カンポモーロの塔』











次に人気が高いのが『カランカの塔』

『La Tour de Calanca』








さらには『カンパネーラの塔』も

『La Tour de Canpanella』

「プロプリアーノ」の町と
「ヴァランカ湾」は
コルシカではこれまでご紹介してきた場所より庶民的で気軽に休暇を過ごせる場所として
うってつけです




=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想ご意見ご要望などをお寄せください
旅行自体にご興味がある方は計画立案や手配などで次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『サンティヤーゴの巡礼路』 3 巡礼路は実はパリから始まる

2020-10-14 02:01:41 | 素晴らしき世界/フランス
『ル・ピュイ・アン・ヴレー』の町の俯瞰



サンティヤーゴはスペイン語『聖ヤコブ』
仏語では「サン・ジャック」

言い伝えによると
12人の弟子の一人ヤコブの遺骸が乗った船が
北西スペインの海岸に流れ着いた

地元の人々は
その荒涼たる原野「コンポステラ」に葬った

その土地を
サンティヤーゴ・デ・コンポステーラ
と呼ぶようになった

中世になると
聖人が葬られた『聖地』を詣でて
誕生後に今日まで犯した過ちを雪がれたいと願って
全欧から巡礼が訪れるようになった

カトリックの暦では7月の末が『聖ヤコブの日』
その日に
サンチアーゴの大聖堂で大々的なミサが執り行われる

その日の前日までにたどり着けるように逆算して
仏国内四箇所(五箇所のルートもある)に巡礼者たちが集まった

パリ
ヴェズレー
ル・ピュイ・アン・ヴレー
サン・ジル(アルル)





パリの集合出発は『サン・ジャック・ド・ブッシュリー教会』
教会自体は19世紀に取り壊されて
現在は鐘楼だけ残っている

『サン・ジャックの塔』


パリからサンティアーゴまで全長2063km
120日程かけて歩く

シャルトル
トウール
ポアティエ
ボルドー
等を経て
仏最後の札所『サン・ジャン・ピエ・ド・ポー』まで
途中の
教会や修道院に立ち寄ってミサに与り
そこが所有する聖遺物にお参りしながら

シャルトルの『ノートル・ダム大聖堂』

ゴシック初期の
技術が完全に確立する前に完成している

ここに
ローマ・カトリック世界でも最も重要な聖遺物があるのです

『聖母のヴェール』


『聖母マリアのヴェール』

由来も来歴も確り残っている
信じるか信じないかは「イワシの頭」
宗教なので



トウールの『サン・ガシアン大聖堂』

最後西側正面が完成する頃には
すでに16世紀
従って鐘楼の先端部分は「ルネサンス」の様式



ポアティエの『ノートル・ダム・ラ・グランド聖堂』

ポアティエの町は
大聖堂よりこの教会の方が重要
12世紀
ゴシック以前の「ロマネスク」様式で
ほぼ創建当時から改築されずに非常に美しい姿で残った

「ノートルダム・ラ・グランド(大きな聖母)」
という名の小さな教会



後ろ姿



二番目の集合出発地点は
『ヴェズレー』

丘にへばりつく中世の村に支えられて
丘の頂上に残る
やはりロマネスクの名刹で名高い巡礼地

『サント・マリー=マドレーヌ・バジリカ聖堂』

「マリー=マドレーヌ(マグダラのマリア)の聖遺物
を持ち
巡礼者たちを集めてきた

『マグダラのマリアの聖遺骨』

三人の天使がかつぐ
円筒形のガラスの筒の中に収まっている

その他この教会は
初期キリスト教時代の古代ローマ寺院を聖堂に転用していた名残の
正面扉口を入ると本堂の前の「前室」を持つ教会建築を踏襲している

その
二つの扉口の彫刻群が世界的に名高いのです

正面扉口の彫刻


二番目の扉口の彫刻


ヴェズレーを経つと
リモージュ
ペリグー
などを経由してゆく



三番目の起点は
『ル・ピュイ』

他にも同名の街があり
ここは「ヴレー地方」なので『ル・ピュイ・アン・ヴレー』


ヴェズレーの『ノートル・ダム・ド・ラノンシシオン大聖堂』

『受胎告知のノートル・ダム』
町中で建物に取り囲まれて全景の写真など撮れない位置にある

大聖堂の中で巡礼出発を祝うミサに望んだ後
巡礼者達は西側正面の出口を出るために大階段を下ることになる

上の写真の突き当たりの階段を上ったところが
大聖堂の出口で
出発の大階段を出たところなのです



この入り口から中を覗くと





こうなってる
格子戸の中もずっと階段


この町には
尖った丘が二つあり
大天使ミカエルを祀った『サン・ミッシェル尖頂礼拝堂』
「赤いマリア像」
とが町人を見守っている
(カバー写真)

ここから出発すると
ローデス
フィジャック
カオール
フランス南西部の名だたる町々を経てゆく


ローデスの「ノートルダム大聖堂』

ゴシックという
北フランスに発した仏王室の権威から生まれた様式は
基本的構造には取り入れられたものの
外形の繊細さ等にまでは
影響を及ぼし切れていないことがよくわかる


『カオール』の町は
同じ大司教でも高位の権力者だった

馬蹄形に流れる「ロット川」に包まれるように町があり
そこには
素晴らしい要塞橋が残されている



建築家が
悪魔を騙して難しい架橋工事を成し遂げた
騙された悪魔は
橋の塔の一つの一番高いところにへばりついて
その橋を架けた事を恨んでいる

という伝説がある『ヴァラントレ橋』は
別名『悪魔の橋』






四番目の起点
『サン・ジル・デュ・ガール』

プロヴァンス地方の有名な町「アルル」の郊外
だから
集合出発地をアルルとしてある文献もある

今は存在しないサン・ジル大修道院の
ロマネスクの素朴だが素晴らしい修道院聖堂『サン・ジル』が
残っている

『サン・ジル大修道院聖堂』


この町から出発すると
モンペリエ
トウールーズ
など
北部政権のカペー王朝の進出に
最後まで抵抗した
南部フランスの有力諸侯たちの中心都市を経由する


トウールーズは
「赤い町」
と呼ばれてきた
建築用の石材が取れず建物がレンガで造られたから
町並み全体がレンガ色

『サン・セルナン・ド・トウールーズ・バジリカ聖堂』正面

正面はそっけない
南仏最大の大貴族の一人の領地の大聖堂にしては
少しも大規模にも見えない

しかし
何やら砦のように感じませんか?

ちなみに側面からは
この教会が非常に大規模であることがわかります



建築工学的にも
技術的にも
あまり大規模な建築物が建てられない「ロマネスク」様式では
フランス最大の大教会なのです

そして
後ろ姿が最高に美しい



ところで
『アルビジョワ十字軍』を含めて
ラングドック(フランス・カタルーニアを含めてフランス南西部)地方
フランス王国を確立し全土を王権の支配下に置きたい
北部フランス「カペー王朝」の干渉を繰り返し受けていた

そこで
通常町で一番大規模な建造物である教会に砦の役も持たせる
「武装教会」
という形式が広まったのです


例えば
『アルビ』という町の大聖堂はその典型

アルビの『サント・セシル大聖堂』

十字平面図の頭の方からの眺め
まるで要塞そのもの



全景

本来なら正面入り口がある西側先端は
砦の天守の役を持ち
扉口はない


パリの『ソルボンヌ』に次いで
中世から医学で名高いフランスで二番目に古い大学があり
ノストラダムスも
そこで医学を修めた
『モンペリエ』のカテドラルも

モンペリエの『サン・ピエール大聖堂』

やはり「武装教会」


この
サン・ジル(アルル)発のルートは
途中でピレネーを越える分岐路もあるが

以上四路は
最後は一つにまとまって

ピレネー山脈西端の一番低い峠(1000mほど)を越えるために
山麓の『サン・ジャン・ピエ・ド・ポール』
フランス国内の最後の夜を過ごした


そこは
次回でご案内しましょう
= = = = = = = = =
ご旅行にご興味の方は以下のサイトも御覧ください。
https://veritas.com 『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅にプランナー』



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする