行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

【特別企画】 < パリのクリスマス 2021 >

2021-12-25 00:00:01 | 特別企画
巻頭写真 : シャンゼリゼ大通りのイリュミネーション

2021年も余すところあと6日
コロナ禍で2度目のクリスマスを迎えました
連載中断中ですが
パリのクリスマスの様子を点描でご紹介しようと思います


11月21日
昨年より1週間早く点灯された『シャン・ゼリゼ大通り』のイルミネーションは
2018年以来同じライティングの使い回し


中央分離帯1車線分の両側が片側4車線+自転車レーン
その車道の両端と左右の歩道の真ん中と計4列の並木に赤いLED
ネオンサインすら規制のあるパリの電飾に「赤」と
最初の年はびっくり仰天したものでした



両側とも歩道自体が4車線分はありそうですがその真ん中の並木だけは電飾が一本置き
気づきにくいところで節約が図られています


お隣の『モンテーニュ大通り』の電飾は昔ながらの「電球の色」で落ち着きます


普通の通りの電飾はこんなもの
今年はイリュミネーションされている通り自体が非常に少なく感じます



とある広場は周りの並木に渋い電飾がつけられていて


まるで金箔を散らしたような美しさがありました


「Rue des Bulles 泡通り」
という通りの名前にちなんで「風船」を飾った変わりダネもあった

ところで
クリスマスといえばツリー
それも今年は例年に比べると飾ってあるケースが見るからに減っています
飾ってあっても規模が小さいような気がするのです


『大統領府エリゼー宮』中庭


ツリーといえば花屋さん




街中の花屋さんは店の前の歩道を最大限使って
時には左右の別のお店や事務所の前も使わせてもらって
大量のツリーを販売しています


しかし昨今は
すでに飾り付けをして販売するタイプの店も以前に増して増えているよう




それらのツリーは
一般家庭は当然のこととして
ホテルのロビーやレストランのエントランス
街中の広場や各種商店の中に飾られる








もちろんツリーは「木」だけではありません



ミニチュアのツリーもあります
ほとんどクリスマスらしい飾りはなく
展示のほんの一部にちょっとしたクリスマスアイテムをそれとなく飾っている
粋なお店もい結構あります
このグレイのサンタさんも粋です


きわめつけは「紙製」のツリー
某高級ブランドです



削った白木の腕を積み木状に組み合わせたツリーも

商店や事務所もデコレーションしてないところも今年は目立ちますが
ツリーだけがデコレーションではないのも当たり前






ここは照明器屋さんですがいかにもなベタな飾りが
と思ったら赤いテントが張ってあって



子供連れが並んでいて



中で衣装を着せてもらって


サンタさんと写真を撮るサービスをやっていた


とあるモールの通路にも「それ用」の椅子があった


後日行ってみたらこんなことになっていたのでありました
この「サンタさんとお写真」は昔からの定番で
かつてはデパートの前のアーケードの歩道に必ずサンタさんがいて
怖がって泣き叫ぶ子供を抱いてもらって写真撮影を頼む親たちがたくさんいました
今ではほとんど見かけなくなってしまった


デパートと言えば
歩道に面したウインドーには機械仕掛けでお人形を動かして
子供たちが群がるのが今も変わらぬ光景です
動画のアップの仕方はややこしいので静止画でご紹介


アルザスの名物「プティ・ボン・ノム」の形の大きな「ボン・ノム」が踊る


小さなパティシエたちが働き回る




元来「クリスマス」はキリスト教にとって最も大切なお祝いの日で
待降節と呼ばれる「イエスが生まれる日まで」の4週間は
何か努力目標を決めて神様に誓い頑張るのです
「コーヒーを断つ」とか「学校から帰ったらまず宿題をすませる」とか
24日のミサが終わると
その努力を祝って家族でご馳走を食べる
そして24時をまたぐ「降誕のミサ」に臨む

20年以上前は12月24日と31日のレストランは通常のメニューはなく
フォワ・グラやらトリュフやら
オマールエビやら鴨やらジビエ(鹿や猪やキジ等の野鳥やら)など
高価な食材を使いシェフが腕によりをかけたコースを設定して
高価な食事を楽しむ家族が多かったものですが
ここ20年ほどは
ほとんどその習慣がなくなり
皆が自宅で過ごすようになってその日は営業しないレストランも多くなった昨今です

そのフランスのクリスマス「Nöel ノエル」を象徴するのが
『Bûche ビュッシュ』というケーキ
暖炉の「マキ」という言葉でそのものズバリなマキの姿形をしていました


近年多くの菓子職人さんたちが創意工夫を凝らして
マキに似せることなく
「円筒形の横長」というだけで素敵なビュッシュを作り始めて
今では田舎のパン屋さんか大型量販店ハイパーにでも行かないと目にしなくなってきた




今の時代の主流は


こんな風にマキには見えなくなってきて
名だたる有名パティシエの店になると






以上4点『アンドレ・ル=ノートル』




以上3点『ピエール・エルメ』



以上2点『ル・パティスリィエ』



以上2点『メゾン・ド・ショコラ』



『パスカル・カフェ Pascal Caffet』のリンゴット型

ブッシュは食事の最後です
肝心のクリスマスディナーはミサの後ですが
場所と教区によって24日のミサが後で夕食にするには遅すぎるような場合は
クリスマス当日
つまり12月25日の夕食をそれに当てる家庭も少なくない

日常には頻繁に食べない「ごちそう」をこの時ばかりはと
ある日のハイパー・マーケット「カルフール」の売り場をお見せしましょう

生カキ24個入りの箱が山積み

茹でたオマールエビや伊勢海老

活けの伊勢海老

スモーク・サーモン

フォワ・グラ

地鶏




オペラ座裏

ヴァンドーム広場

デパート『サマリテーヌ』

デパート『オ・ボンマルシェ」


バザールが出るチュイルリー公園

皆様方どなたにも平和な日常が訪れますように!
コメント (2)
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告別企画 < トロカデロ広場 宴が去って 次の宴が始まる > 『8月8日 東京からパリへ バトンは渡ったセレモニー』 

2021-08-09 01:38:41 | 特別企画
巻頭写真 : 『Cérémonie du Passage J.O. Tokyo à Paris à Jardin du Trocadéro』


開催が大いに疑問視された『東京五輪2020』の閉幕式が行われた8月8日
同時進行で
パリ「トロカデロの庭園」での受け渡しセレモニーが行われた

設営準備中の会場

パリのトロカデロ広場に立つ「シャイヨー宮」のセーヌ河側
一段低くなる斜面にある大噴水の池に蓋をして
中央特設ステージとそれにつながるキャットウォーク
中央ステージ背後と左右にオーロラヴィジョン3機
水の噴霧器を兼ねた巨大スピーカー10機ほど
などをしつらえて

東京での閉会式の開始直前に

Photo by Ⓒleprogres.fr

背後のエッフェル塔の上部から
旗として世界最大の「パリ五輪旗」をたなびかせるはzyだったが
当日の今日はか座があり急遽中断
テレビ画面には咲く術のリハーサル時の映像が流された

『Drapeau des Jeux Orimpiques de Paris 2024』

フランス語で「町」は「Ville ヴィル」と言い女性名詞
パリを思わせる女性の顔と五輪の炎と両方をイメージさせる
「パリ五輪2024の旗」


東京で五輪旗がパリ市長「アニー・イダルゴ」に手渡されるとき
「東京2020➡️パリ2024』の表示が現れ


『パリ2024』に変わると
パリ五輪組織委会長『トニー・エスタンゲ』
男子カヌー・スラローム選手
2000年シドニー
04年アテネ
12年ロンドンで金メダル

それに居並ぶ
『フィリップ・カンデローロ』
男子フィギュア・スケート選手
1994年リラハンメル
98年長野で銅メダル

『マリー・ジョー・ペレック』
女子陸上選手
1992年バルセロナで400m金
96年アトランタで200mと400mとで金

『ローラ・フェッセル・クロピク』
現スポーツ大臣
女子フェンシング
金3+銀1+銅2

『アラン・クリア』
男子フィギュア・スケート選手
1964年インスブルックで銀

などの組織委関係者が居並び



まだ東京にいるフランス人メダリストたちに
テレビがインタヴューしている映像がリアルタイムで流れる

すでに帰仏した東京2020のメダリストたちが
中央のキャット・ウォークを通って
ステージへ




100mほどのキャット・ウォークを
進んだり振り向いたり立ち止まったり大変な騒ぎでステージを目指す



柔道男女複合団体で金メダルを獲得した
男子100kg超級のリネカーが通る時は熱気が最高潮に盛り上がった
さすがは
日本以上の柔道人口を誇る柔道大国フランスだけのことはある

東京での閉会式が終わった後
ステージのメダリストたちが姿を消した後は
ジャズロックのバンドのコンサートで熱気は去らない

会場の全体的な風景はこんな感じに成る


一番高い位置の「シャイヨー宮」のテラスに行ければ
会場の中央ステージを正面にみおろせる
しかし
混乱を避けるために警察が見張っていて
テラスには入れない


「シャイヨー宮」の横からすり抜けて下って行くことになる






実は会場自体は茅のゴザ様のもので塀を作ってあり
自由に出入りできなくしてあるのです




ここは元来
東京五輪期間中オーロラヴィジョンで(フランスの)テレビ中継を
大勢で楽しもうと作られた会場


そして
入場するには「ワクチン接種証明書(日本でいうワクチンパスポート)」と
証明書の本人かどうかを確認する身分証明書を提示する必要がある


枠外から入り口ゲートを見る


ゲートは二箇所


これは接種証明書の確認を済ませてくる人たち


1番ゲートです


今はロックジャズのコンサート中
スクリーンは正面ステージ背後とその左右に離れて計3基




すごい人ですが
全員予防注射を2回接種済みの人たちだけなのです


テレビのクルーは
朝から中継をやっている


巨大なスピーカー・システムを収めた櫓は水の噴霧器にもなっていた






例の「キャット・ウォーク」はこれ


歌っていたヴォーカリストが「ウォーク」に出てきているらしい



キャップをかぶった白いブルゾンの髭のお兄さんがヴォーカル


実はこのバンド『Woodkid』という結構有名なジャズロックのグループで
スクリーンにグループのロゴだ映し出された


ヴォーカリスト




中心から外れると
「パリ2024五輪旗」と一緒にこんなポーズで写真撮ってる人もいたり



一番背後の「五輪マーク記念碑」で写真撮る人も多い




噴霧器は4〜5分くらい働くと同じくらいの時間休憩します


一人のおじさんが各国の小旗を配ってました
日の丸はなかった(笑)
もう「パリ2024」ですからね
フランスの「トリコロール」もらいました


テレビのクレーン・カメラのポールと
エッフェル塔と
トリコロールを
三本並べてスリーショット



会場を出てセーヌ河から振り返ってみる
ちょうど観光客を乗せた赤いテュフテュフが走ってきました




会場を背に橋を渡ると
コンサートの大音響に誘われて多くの人たちがこちらに向かってくる


会場の方向を河越しにもう一度振り返る



橋の上は人が数珠つなぎで向こうに歩いているのが見えました

3年後のパリではコロナは収まっているのでしょうか
個人的には
東京は中止するべきだったと今でも信じて疑いません

選手たちの活躍は喜ばしいことですし
開催されるかどうか不安だった世界中の選手たちが
大変な状況下で強引にでも開催してもらえて
自分たちの人生をかけた努力の結果を示せたことの嬉しさも理系できます
各国選手たちの「ありがとう」の声は率直に「よかったね」と思います

でも
開催するべきではなかった

次回からは『コルシカ島』の探訪に戻ります
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご意見とご感想をお送りください
旅行の具体化のご関心のある方は以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』

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【特別企画】 < パリ ノートル・ダム大聖堂の 火災 > あれから2年が過ぎた

2021-04-16 00:01:55 | 特別企画
巻頭写真 : パリのノートル・ダム大聖堂を背に飾られた
ヴェルサイユ市のノートル・ダム中学校の生徒『Annonciade アノンシアード』さんの描いた
「Cathédrale Notre-dame de Paris」


今回は
続けている「ブルターニュ紀行」を一回だけ中断して
パリのノートル・ダム大聖堂の火災を振り返る回にしたいと思います
2019年4月15日から16日にかけての夜のことでした

Photo by ⒸMarinde

2年前の4月の15日月曜日
復活祭前の一週間『聖週間』の始まりの日
午後18時20分頃の出火だったそうです
15時間燃え続け
翌16日午前9時50鎮火

Plate by ⒸSpeltdecca

身廊部と翼廊の交差する位置の屋根の上に尖塔が立っており
その修復のために根元の周りに鉄パイプの足場が組まれていた
(グレーの箱型の部分)
その辺りから出火
赤い部分が炎が回ったところ

天井は石のアーチだがその上に気の張りで屋根を組んである
十字架形の交差部の上の尖塔は
250トンの歌詞の木を組んで
表面に500トンの鉛板が貼ってあった


Photo ⒸLEVRIER Guillaume
それが焼け落ち
交差部のアーチの天井と
身廊部の一部と北側翼廊の天井の一部が崩壊した
(赤く塗ってあるところ)

Plate by ⒸWikipan


Photo by ⒸFranceinfo



Plan by ⒸSpeltdecca


Photo by ⒸINRAP

ⒸINRAP

結果として
十字架形の全部の屋根が焼失
ステンドグラスも相当数が溶解して消失してしまった
それでも
南北と東正面の3面のバラ窓は生き延びた

南翼廊側のバラ窓 火災以前

Photo ⒸEurope1

三面の中で
ステンドグラスが最も美しかった13世紀半ば以前の「北のバラ窓」も
枠から外すのが非常な困難を極めたらしいが生き延びて
修復を待っている

北のバラ窓 火災以前

北面を先に作りその後南に取り掛かったために
青色を出す原料の減少により
南は北に比べると多少赤みが強く繊細さに欠ける
(こんな写真ではお分かりいただけない)

東正面のバラ窓

東のバラ窓は三面の中では一眼最後に作られて13世紀のかなり終わり
ガラス作りの技術が進歩して
均一な厚みと歪みの減った平面と透明度が高くなった事とで
逆に神秘的な色合いが減って行き始めた頃


しかも大パイプ・オルガンが設置してあるために
円形の全形は見る事ができない

天井は
4本の柱のてっぺんからタスキ状に交差させたアーチを組んで支え
それ以外の面を埋めてゆく


その更に上部に
太い木の梁で組んだ天井を組む



800年近く経って乾ききった梁は
あっという間に燃え盛った


Photo by ⒸLe JSL

結果として屋根は消滅した
フランス北部ベルギー国境の『Nord-Pas-de-Calais ノー・パ・ド・カレ』県が
直径80cmはある樹齢160年の樫の木を
館内の11000ヘクタールの森の中から選び出し
切り倒すまで外観では使えるかどうかわからないので
長さ18mほどの梁325本分を賄えるよう
1300本を伐採して提供した

Photo by ⒸLe Point

2年経って
今日では内部に散乱した崩落した屋根の残骸や
壊れた内部の様々な装飾品などの片付けもあらかた終わり
丹念に分類して
それぞれの分野の専門家たちが修復や復元の作業を始めていると聞いた




当日から数ヶ月間は
多くの人々が集まっていた


4月16日夕刻撮影


鎮火当日
各国のテレビ・クルーが中継をやっていた
あれだけの炎にさらされて(天井の中は800度以上だったと推定)
尖塔の根元に組んであった鉄パイプの足場が解けずに
そのままの色合いで残っていたことに驚いた


詰めかけていた多くの人々は
半分ほどは呆然とし
四分の一ほどの人々は涙ぐんでいた


正面の屋根の先端があった位置で
赤い消防服の隊員がロープを垂らして何かの作業を行っていた


賛美歌『Ave Maria』が誰の口からともなく漏れ始めると
瞬く間にさざ波のように人々の間に広がって
皆が歌い始めた
私も少し胸が熱くなった

それというのも
パリの「ノートル・ダム大聖堂」は西欧文化の原点なのですから

12世紀になったころ
パリの近郊の町でそれまでに無かった形の教会の建て方が起こり
1163年パリの大聖堂の建築が始まって
その技術が確立し
その技術はパリ首都圏へ広がり
フランス各地へ広がって同じ建築理論の教会が建てられ始め
ついには国境を越えて西ヨーロッパほぼ全域に広がったことで
新しい社会規範が生まれ
その後500年間西洋の社会を形づくった

500年間続いた高度な文明社会ローマ帝国が崩壊し
ほぼ文化的にゼロに近い状態から再出発することになった西欧は
誕生から500年にして
自分たち西ヨーロッパ自身が生み出した社会構造である
『Gothique ゴシック』という文化の誕生する
雛形が
このパリの大聖堂『Cathéddrale Notre-Dame』なのです

半年ほどあとに
沖縄の首里城が焼失して
沖縄の方々は皆さん大変なショックだったと思うのですが
パリのノートル・ダム大聖堂の火災は
全世界13億人のカトリック信者の全員に
多かれ少なかれショックを与えた
大変な出来事でした

在りし日の大聖堂の姿を振り返りながら「傷跡」を辿ってみよう

教会堂は通常は十字架を地面に置いた形で建てる
頭が東(聖地エルサレム)をを向き
頭部に当たる「内陣」が完成した時点で臨時に壁を作って締め切り
神様に捧げる「献堂式」を行って
教会として使い始めながら
横軸である「翼廊」を作り足し
縦棒「身廊」を伸ばしていって
最後に「ファサード 西側」正面の入り口を開けて完成となる
鐘楼はファサードの上か
交差部に建てることが多い


十字架頭部は
内部は「内陣」と呼び
外側からは「外陣」と呼ぶ


外陣から見ると美しい
特にゴシックの聖堂は
高い柱のテッペンに斜めにかかる天井の重力を
構造全体を歪ませないように
外側に流して支える「飛び梁」が殊の外魅力的に映る



しかし
今は工事現場の管理事務所になっているコンテナーや
資材置き場などが占領していて
その光景は当分の間見ることが出来ない

その「飛び梁」は
巨大な木製の車輪の一部のような枠を作って支えてある
これから構造重量を支え続けていけるか
細かな計測を行い
修理が必要な部分を特定してゆく




現地には
作業現場を取り囲む壁に
進捗状況や内容を説明する写真パネルがたくさんあって
理解しやすいような配慮がなされている









外観で一押しの角度は以下

Pont de l'Archevéché 大司教館橋から見た大聖堂

この後方斜めから見る角度が最も美しいと言われてきました
(ちなみに後ろ姿は沢田研二さんです)


今は残念ながらこんな具合

川を挟んで南側の側面の姿も



今はこんな具合だ


2年目ということもあり
どこかのテレビが撮影をしていた

正面は

2010年12月22日 クリスマス・ツリーのある正面

現在は正面広場の途中までしか近づけないが



仕切りの壁に
パリとパリ首都圏の聖母(ノートル・ダム)会系列の小中高の生徒たちの手になる
「パリ・ノートル・ダム大聖堂」
のために描いた絵が展示してある







字数制限でこれ以上載せられないのが残念です
2024年には一般見学が出来るようにしたいと言われています
その頃には
海外旅行も復活していることでしょう
1日も早く
「パリのノートル・ダム大聖堂」の復活を期待してやみません
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
もどうぞ
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