行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

プロヴァンスを巡ろう 52 <東プロヴァンス ヴァール県 の 山の村々を訪れる>

2021-01-29 00:58:50 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Bagnole-en-Forêt バニョル・アン・フォレ』 全景



また
エストレル海岸の後背地で『山のプロヴァンス』に戻ろう


「サン・トロペ」や「エストレル海岸」
から直線距離で
山側(北)へ10km〜20kmほど引き返すと
プロヴァンスの起伏の中に
ほとんど知られていない個性溢れた村々がある


※  ※

まず海から一番近いところで
『Bagnole-en-Forêt バニョル・アン・フォレ』
という村から始めてみよう


それほど斜面ではない立地で
一番外れを
教会が占めている

『Eglise Saint-Antonin 聖アントナン教会』

その中央の入り口の横に
ユニークなものがある

『Chapelle Notre-Dame 聖母の礼拝堂』

ルルドの
あるいは
サント・ボームの
聖地の『洞窟』のような
不思議な礼拝堂


『Chapelle Saint-Denis サン・ドニ礼拝堂』


起源は8世紀
この形になったのは11世紀


『Chapelle Sainte-Anne 聖アンナ礼拝堂』

この村は
14世紀に地中海から遠征してきた海賊軍に散々略奪破壊され
85年間人も住まぬ廃墟であったらしい
例のプロヴァンスの『ルネ王』により
領主権や司教権が整備され
14年代興南にやっと復興したという歴史があり
殊の外信仰心が暑かったのかもしれない

集落の中は
所謂プロヴァンスの小村





村の噴水

中心を外れると


こんな感じで静かになる

村の南側の断崖の下に小さな流れがあり
その谷間の反対側はもっと標高の高い山地となる


この山を登ると
標高450mほどのところに
古代ローマ以前の城塞集落跡があるのです
『バイヨンヌの城塞集落』と呼ばれている

『Oppidum de Bayonne バイヨンヌの城塞集落』

石器時代からの城塞集落跡を『Oppium』と言って
特に
ローマ以前の原住民族『ケルト族』のそれが
そう呼ばれる

ローマ以前の石積みの防壁が
二重に巡らされていた痕跡が残っている



向こう側が抜けて見えるこのアーチのようなカーブは
明らかに人の手で削られたものとわかる

この山の頂近くは奇岩が露出している


そのあたりに
古代ローマの遺跡も別に残っている


不思議な
岩の一部を丸く削った後が点々と


実はここ
ローマ人達の「碾き臼石」生産地だった


現場の固い岩盤を石臼の形に
切り出していた


太鼓状に切られた岩が
切り取られる前の碾き臼だろう


その「バニョル村」から北に4km
『Saint-Paul-en-Forêt サン・ポール・アン・フォレ』
という村があるがそこは飛ばして
もう少し北まで行ってみよう

バニョルから10kmほど北側に
いくつもの美しい村がある
東から西へ
『カラス』『バルジュモン』『セイヤン』『ファイアンス』
『トゥーレット』『カリアン』『モントルゥー』
等々


※  ※

『Callas カラス村』


村の真ん中に教会




『Eglise Saint-Michel 聖ミカエル教会』

十字架型の教会の西側が正面扉口で
反対側の十字架頭部が丸くなくて平という
かなり変わった形


でも
中に入ってみるとしっかり半円形


白い石の鐘楼が眩しい








こんな小さな古い村ですが
周囲には
岩山と広い森とに囲まれていて
本格的なの住処にするお金持ちも多いと見える


こんなお屋敷もあります


※  ※

『Bargemon バルジュモン村』


この村は中央に教会

『Eglise Saint-Etienne 聖エティエンヌ教会』

四角い塔の上に
鐘のはいる部分の八角形の塔が乗る



正面扉口

正面の全景を写せる距離的空間はない


実はよく見ると
左のほうにもう一つ鐘楼があった


『Chapelle Notre-Dame de Montaigu モンテギュー家の聖母礼拝堂』

鐘楼の写真がないが
聖エティエンヌ教会の塔と同じ様な四角い塔の上には
八角形ではなく
鐘の入った四角い小型の塔が載っている

城壁や城門といった防御の部分の残っている

城壁を利用した建物



城門から中を覗く



別の城門


内側には噴水


別の噴水





上の二つの城門とは別の門を外から見る


内側から外を見ると
やはり村が高い位置にあることがわかる



城壁の外側に建つ建物

この
『エストレル海岸』の後背地の村々
もう少し続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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プロヴァンスを巡ろう 51 海のプロヴァンス 7 <赤い海岸エストレル と サン・ラファエル / フレジュス>

2021-01-28 00:33:44 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Côte d'Esterel   près du Pointe du Roux エストレル海岸 ポアント・デュ・ルゥ付近』



サン・トロペからさらに東へ30km
フレジュス湾から東側に
赤い岩の海岸がある
『Corniche d'Esterel エストレル岩棚海岸』
と名付けられている


紅いのですよとにかく

そして背後には
『Massif de l'Esterel エストレル山塊』
と呼ばれる産地が迫っており
海岸のすぐ後ろにも
あたかもコロラドかどこかの荒涼たる岩山のような光景が
聳えてています





この海岸線は
『Corniche d'Or d'Esterel』
エストレルの『黄金の岩棚』と呼ばれている

『Agay アゲイ』村周辺

リュベロン地方リュシヨンの赤いオークルの斜面とはまた違って
手を浸すと紺色に染まりそうな地中海のブルーと相まって
これは既にこの世のものとは思えぬ光景




この辺りの
ヴァカンスの拠点の町は二箇所
『フレジュス』と『サン・ラファエル』
この二つの町は隣接している


※  ※

まず西側の
『Frejus フレジュス』を訪れてみましょうか

超近代的な港がある

『Port Fréjus フレジュス港』


ローマの遺跡もある

水道橋の一部



闘技場の一部




ローマ時代の橋

『黄金の門』と呼ばれるローマ遺跡


中世の城壁の一部もある



大聖堂もある

『Cathédrale Saint-Leonce 聖レオンス大聖堂』


『回廊』

『司教館』

他の教会もある

『Eglise Saint-François de Paule 聖パウラのフランシスコ教会』


城もある

『Châtrau Aurelien オーレリアン城』

『Chateau Gallien ガリアン城』


大富豪の邸宅もある

『Villa Marie マリー館』

街中の
普通じゃない普通の住宅もある



街中の
普通じゃない普通の集合住宅もある



※  ※

もう一つの町は
『Saint-Raphael サン・ラファエル』


極めて地中海のリゾートらしい港

しかしこの『サン・ラファエル』は
「フレジュス」
と違って全てが新しい



港の施設も
市役所も文化センターも中学高校も駅も
近代的
数ある教会は
昔ながらの様式で全く新しい

一番大きな教会は
港からも見える『勝利の聖母バジリカ聖堂』



なんだか見覚えが
有るような無いような
とおっしゃる方はかなりフランス通です




この『プロヴァンス』シリーズの最初の回『マルセイユ』の
『Notre-dame de Garde 守護のノートル・ダム』と
感じが似てる
もっと言うと「リヨン」の「フゥルヴィエールのノートル・ダム」
にそっくり

19世紀後半に
増える人口を収容しきれなくなった古い教会を立て直すことになった時
フランス全土で流行していた『新ヴィザンチン様式』に
傾倒していた建築家に委ねられた結果

パリのモンマルトルの『サクレクール』も同じ発想です


お金の殿堂「カジノ」と
マリア様の殿堂「聖母教会」とが
お隣り同士

地中海のリゾートタウンにはカジノは必ずあるんですが
建てる時
何も考えなかったらしい笑

町で唯一古い教会は
これ

 『Chapelle des Templers テンプル騎士団礼拝堂』

ただし
今ではここは博物館

その他の(新しい)教会も挙げておきます

『Chapelle Sacré-Coeur サクレ・クール礼拝堂』


『Chapelle des Tous Saints トゥッサン(諸聖人)礼拝堂』


『Chapelle Almenienne アルメニア正教会礼拝堂』


『Eglise Notre-Dame de St-Raphaël サン・ラファエルの聖母教会』



『Eglise Orthodoxe 東方教会(ギリシア正教会)教会』


『Eglise Saint-Roc サン・ロック教会』


『Eglise Sait-Raphaël 大天使聖ラファエル教会』


『Eglise Réformée de St-Raphaël サンラファエル・プロテスタント教会』


もう一度港に戻って
その周辺の街角の光景を見てみよう


港周りを綺麗に作りなおし
港に面している集合住宅は高級住宅なんだろうが
ピンクって苦笑


新しいだけに清潔感は十分に感じられる

港から一本内側に入ると


夏の間は観光客でひしめく
レストランなどが集まっている通りの一本

ところで
このサンラファエルの町に
とてもユニークなものがあります

『フリーメイソン』
の「グランド・ロッジ」があるのです


2017年1月にオープンした新館

数十メートルの高さの天井を持ち
100mを超える尖塔を立てるゴシック大聖堂の建設の頃
各部位の石の役割
それを規定する力学計算から設計図を引き木型を作り
重さ1から2トンの石を正確に切って積み重ねる技術を
石工たちが修行し継承するためのギルドを作ったのが
『Franc Maçon フラン・マソン(純粋な石工)』

今では英語読みで「フリーメイソン」として
会員を世界中に持って活動している自己啓発組織の様な
ヴェールのかかった特赦な組織

その活動の総合本部みたいなところを
『Grand Loge グラン・ロージュ』と呼ぶらしいのです
以前からこの町にあったものが古くて手狭になり
新規に立て直したとか

※  ※

この『サン・ラファエル』市域の海岸に
幾つかの小自治体(村)があり

その代表が『Agay アゲイ』村
赤い岩棚の海岸の中心です

『Ile d'Or 黄金島』という名の岩礁



こんなビーチやら


こんなビーチやら


こんなビーチやら
あちこちに潜んでいます


=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想ご要望をおお待ちしています
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プロヴァンスを巡ろう 50 海のプロヴァンス 6 プロヴァンスの海辺で休暇を過ごすなら <教えたくない サン・トロペ の素敵なホテル >

2021-01-27 00:39:02 | 素晴らしき世界/フランス/ホテル
Plage Privée de l'Hôtel 『le Cheval Blanc』 à St-Tropez
サントロペのホテル『シュヴァル・ブラン』のプライヴェート・ビーチ


昨日の「カヴァリエール」から東へ10km
『Saint-Tropez サン・トロペ』

知る人ぞ知る「プロヴァンス・コート・ダジュールの」聖域を抜きに
地中海の海は語れない


小さな漁師村に過ぎなかったサン・トロペ
19世紀「ニース」で始まった
フランス社交界のフランス・リヴィエラ海岸の中心地は
一つにしのカンヌが生まれて分散し
両者ともに高級志向すなわち俗化したことを嫌った一部の業界の文化人達が
「誰も知らない素朴な漁村」に隠れ集うようになる

きっかけは
ヌーヴェル・ヴァーグの旗手『ロジェ・バディム』監督の
『そして、神は女性を造った』
の世界的ヒットから


映画人 作家 編集者 モード界
の花形達が集う
イケテル休暇村になったのです






旧村域は
背後の丘の上に要塞



下を見下ろすと


旧村域の甍の波と
教会の塔と
港が見下ろせる

『Eglise Notre-Dame de l'Assomption 被昇天の聖母教会』

港に向かい方向の道は坂道







港の近くまで降りてきて
岸壁と並行の道が商店街


オリーブの植え込みのある広場もあり
唯一開けた通りでは
土地っ子が「ペタンク」に興じている


そんな『サン・トロペ』が
南仏の海岸に沿う幹線道路から離れて
わざわざここに来るためにある間道の奥という位置関係から
一般の間kぷ客が少ないという環境が
大金持ちたちが豪華クルーザーで乗り付けて過ごす
特殊なリゾートタウンになってしまった


幹線道路から間道に降りてきて
やっと街に入ると
最初にヨットが千隻ほども繋留できそうな巨大なヨットハーバーがあり
その先の港湾管理局などを過ぎると
もっとも名高い小さな岸壁に至る


その通りは
岸壁に沿って観光レストランが並び


外洋を横断できる20〜30m級のクルーザーが入ってくる


バスルーム付きの広々とした「マスター・ベッドルーム」
家族や招待者などの「ゲスト・ベッドルーム」
船長その他乗組員用の船室
50平米ヒオドもありそうなリビング兼パーティー用キャビン
サンデッキ
などなどを備えた25mを超える大型クルーザーが
一番多く見られる
そんな港町に成ってしまった


あらかじめ港湾局に海上無線で到着時刻を知らせ
待ち受けた港湾管理官の誘導で
超大型クルーザーでこの岸壁にバックで接岸する時



観光客がワラワラと群がり集まって見物に来るのです
おりゃそうです
考えてもみてください
こんなのが



全長47mが
バックで接岸するって
ものすごく技術がいるんです


どんな人が降りてくるんだろう
見たくなるってもんです

その小規模な
「ハッピー・ヒュー」専用岸壁を左に見ながらその先に
もともとの漁師たちの港につながっている


昔からの漁師たちの港につながる
それをやり過ごしてもう少し進んで右に回り込むと


急に人手が減って静かな一角に至ります
本来の
素朴な『サン・トロペ』です

この町は60年代から70年代にかけて
ルイ・ド・フュネス主演の
「サントロペのおまわりさん」シリーズでも世界中に有名になりました



そんな独特の
シャネルの店もディオールの店もない
昼間だけは観光客で賑わうものの
夜は静かで小さな港町に
イチ押しのホテルがあるのです

『Hôtel le Cheval Blanc ル・シュヴァル・ブラン』


このホテルは
以前は別の名前で50年間続いてきて
近年ある大手ホールディング会社に買収されてしまって
今の名前になりました

それから
内装がモダンになりました
わたし的にはやや残念


ロビーも
以前はこんなに広くなかった

客室は


このスイートの
サロンの鏡に映る寝室が


こんな感じです
窓という窓の外は


こんなバルコニーがついてます

地上階の部屋によっては


こんな風な
「プライヴェート・サン・ガーデン」
が付いてる部屋も

スイートでなくとも
海側のお部屋にバルコニーはマスト



手すりの
縦の支えの部分が「白陶器」なのが実に良い

バーの入り口

バー
丸窓は
大型客船のイメージか

レストランは


広々としていますが
中で食事をとるのは雨の日か冬季だけ


夏場は
何が何でも外のテラスで


屋根は松の古木
横はプール
前は青い海
吹き抜ける涼しい海風
これらを無視して
屋内に閉じこもって食事なんぞ出来やしませんって
夏の休暇ですよ

その上
ここのレストランは3つ星です
経営が変わる前からずっと







内装の変化とともにもう一つ残念なことは
プールと浜辺の変更



左の母屋と直角に
もう少し海に向かって長めのプールがあり
浜辺の長椅子はもう少し手前までだった
プールは海側の縁は常に溢れる形で
プールの中にいると
正面の海と切れ目なく繋がって見えていた
とっても良かった

ちなみに昔の写真もあげておきます


以前のロビー

以前の客室

以前のロビー

以前のバー
バーに関しては新しい方が良いかも

以前のプール


サン・トロペには
街中に『ビブロス』という
60年代から70年代に業界人で賑わった超有名ホテルがある
さらに
5kmほど離れた背後のずっと高い位置に
シャトー・ホテルもある

しかし
海辺の町で
海の見えないホテルに泊まるのは「如何なものか」

『シュヴァル・ブラン』
の唯一の欠点は
町まで歩いて10分超かかること
しかし
海の直近という位置と
スタッフの心のこもった対応と
食事の美味しさに
かなうものは無いでしょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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プロヴァンスを巡ろう 49 海のプロヴァンス 5 プロヴァンスの海辺で休暇を過ごすなら <教えたくない カヴァリエール の素敵なホテル >

2021-01-26 00:27:10 | 素晴らしき世界/フランス/ホテル
Cavalaire の ホテル 『ル・クラブ』


ボルム・レ・ミモザから東へ25km
西に「カヴァレール湾」
東に「サン・トロペ湾」
に挟まれて
ずんぐりした陸地が半島の様にが海に飛び出す

それを挟んで東西に
海岸の素敵なホテルがありまして

まず
『Cavalaire-sur-Mer キャヴァレール・シュー・メール』という小さな集落

殆ど見るべきものはないが
村の規模に対して
非常に大きなプレジャーボート・ハーバーがある



つまり
海が財産




そこにある一軒のホテルがお薦めなのです

『Hôtel le Club de Cavalaire ル・クラブ・ド・キャヴァレール』


ゲートを入ると
敷地に何棟もの建物が配置してある


ただ
建物間の距離はそれほど離れているわけではなく
マルセイユ近郊でご紹介した
『Le Castelet』
ほどだだっ広いわけではなく程よく居住感がある




当然プールは必然です
そのまま1分で歩いていける海と至近距離のホテルですが
海はあくまで
砂浜のパラソルの下の寝椅子でまどろみ
時々
体を冷やしに入る場所

泳ぐのは「プール」です
浜辺よりプールサイドの昼寝の方を好む人すらおります

例によって客室です

スイートの一例

スイートの寝室

このスイートのバスルーム


ジュニア・スイートの一例

プライヴェート・テラス
朝食はここで


プレミアム・ルームの一例

上の部屋のバスルーム


ちょっとモダンなデラックル・ルーム

バスルームはすりガラスのドアの向こう

デラックス・ルーム


海側のテラス付きのデラックス・ルーム

レストランはこうです

海側のテラス席

レストラン

お料理の一例

カジキの一品南仏野菜のグリル添え


鯛のメロンソース


ガンバス(大エビ)にラタトゥイユを添えて


オマールの単純な炭火焼き


ビーフのブロックの炙り焼き

デザートの例






食後は
食事をしたすぐ下の砂浜で



寝椅子を平らに近く伸ばしてお昼寝

あるいは


ボートで引っ張るパラセイリングや


カタマラン(双胴船)のレンタルなど
ホテルに頼めば
ホテルの眼の前で楽しめます



希望の港まで
高速ボートでの送迎も可能です


別に
高級感や市yす間にはこだわらないから
位置関係さえよければ
という方のためにもう一軒ご紹介

『Hôtel le Calanque ル・カランク』


どうだ!
って感じですよね。

多少安普請的でも
明るくて清潔で必要なものは全部揃っていて
それでもって
この環境なら文句はありませんでしょ


道路から海へ落ち込む斜面にあるので
アクセスの私道を降りてこないとよく見えない

客室は
ややポップですが
いいよね


海が真下なんですから


天蓋付き(に出来る)ベッド


海側の客室のバルコニーは
手すりに
ガラスの風よけ壁が付いています


こちらはセミダブルベッドを二つくっつけて
大きなワンベッドにしてあるため
天蓋用の柱はございません

もう少し落ち着いたお部屋がよろしければ



バルコニーというかテラスは
こんな感じ



プールサイドは


プール自体も
ブロックごとの寝椅子も
透明な効果プラスティック板で囲ってある


これで風の強い日でも
寒くなりません


レストランも
バリバリのガラス張り

とにかく海が全て

「地中海のヴァカンス」
なんてつっぱらずに
夏休みに海の家で過ごす
みたいな片意地張らないで済む気楽なホテル

でも
繰り返しますが
お部屋からもレストランからもプールからも
「海の上にいる」
感じで過ごせます

ただ
砂浜のビーチはないのが残念
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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プロヴァンスを巡ろう 48 <丘の上の旧村落と海岸の新開発のリゾートタウン グリモー>

2021-01-25 00:06:46 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Vieux-Grimaux 古グリモー村落』



もう一箇所
後背地の丘の上の旧村落と海岸のご紹介

『Grimaux グリモー』
という町のお話です

発祥の地は例によって丘の村

photo by ⒸMairie-de-Grimaux

頂上の城址と
城の城壁の一部が確認できる

『Château de Grimaux グリモー城』

角角の丸い塔で四角くつなぐ典型的な中世初期の城塞だ
西暦973年
プロヴァンス伯爵とブルグンド(ブルゴーニュ)王とビザンチン皇帝の
連合軍がこの地でサラセンを打ち破り
直後11世紀初頭
この地にマルセイユの聖ヴィクトール修道院が山城を築いたことで
グリモーの戦略的存在価値が決定した










城址と城の城壁の間に
テラス

集落を囲んだ城壁は残っていないが
城の城壁が一部残る


内側



外側



城のテラスから教会が見下ろせる


『Eglise Saint-Michel 聖ミカエル教会』



教会のすぐ裏手にある通りのアーケード



民家



村の噴水(水場)



民家


『Eglise Notre-Dame de Queste ケストの聖母教会』

『身廊と祭壇』

『周歩廊の西礼拝堂』


『Chapelle des Pénitants 贖罪巡礼団礼拝堂』

旧村落域周辺には


風車もあれば


ロマネスク時代の橋も残っている


最後にもう一度
旧村落の全景をオリーブ畑の背後に



とまあここまでは
今まで散々見てきた
あまりにも典型的なプロヴァンスの
「小さな美しい村」
なのですが


10kmほど南に下って
地中海の『Gulf de Grimaud グリモー湾』に
水上休暇村のような
プライヴェート・ポートが付属する別荘地の新開発を
行ったのです

※  ※

『Port Grimaud ポー・グリモー(グリモー港)』
という名のリゾート・ニュータウン

『Port-Grimaud ポー・グリモー』  photo by Ⓒoffice-de-tourisme-grimaud

航空写真で見ると
まるで釣りの餌のゴカイがウジャウジャいるみたいな
不気味さ

しかし中に入ると
そこは


まるで「テーマパーク」じゃなかろうか
としか思えない不思議な世界が広がっているのです


ここはヴェネチアか!
思わず叫びたくなるような光景


まるで
『リアルト橋』をパクった様な橋の近くには
港内巡りの観光船乗り場まである


これでゴンドラがあれば
デジャ・ヴュ



背後の山並みと
運河の様な水面に浮かぶボートと
なんだか不思議な光景


ヴァカンスの時期を過ぎると
急に静かになる


通常の光景を見ると
普通の生活があることもわかる



水面(みずも)を石畳だと空目すれば
ごくごく
普通の町の中の光景


団地の空間の駐車スペースと同じ感覚で
ボートがある


こんな木製の橋もあって
右側の「埠頭」にはフード・トラックの食事スペースも
出来てる
ヴァカンスの中の日常生活

夜景も
「水の都」に見えないこともない

ヴァカンス中

ヴァカンス期間以外

夜は観光客はいなくなり
ここの別荘で過ごす人たちだけが
レストランに集まって食事を楽しんでいる

1960年代半ば
サン・トロペ湾のごく一部『グリモー湾』の沿岸の沼沢地が
売りに出されていたのを知り
一人のロレーヌ出身の建築家が土地を買い取り
大規模な資産形成用分譲別荘地の造営計画を発表した

今だったら
自然環境保護の意識が高く
まず不可のウェあったであろう計画が承認され
66年から建設が始まったそうです

これもフランス初期『バブル時代』の置き土産

photo by Ⓒmairie-de-grimaud

隣はすぐ海
俯瞰するとやっぱり凄い

photo by Ⓒmaire-de-grimaud

この
全てが分譲別荘なんですからね

もちろん
所有者は
自分が使わない時期は週単位で貸してることは
大いに有り得ますが




グリモー市の域内には6箇所ほど
美しいビーチがある








プロヴァンスは
山と海
空の青 と 海の青
=   =   =   =   =   =   =   =   =
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プロヴァンスを巡ろう 47 <花の香り溢れる麗しき村 カーニヴァルのミモザ山車行列で名高い ボルヌ・レ・ミモザ>

2021-01-22 00:25:28 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Bormes-les-Mimosas ボーム・レ・ミモザ村』


今回は海は出てこない
でも
先回の「イエール」と同じように海のすぐ後背地の丘から海岸までの町を
もう一つご紹介しよう

その名も「ミモザのボーム」

起源は海岸から始まった
紀元前7世紀頃イタリア半島からやってきた漁民たちが集落を作り
漁業と製塩と製鉄
及び
銀砂鉛造りで栄えた。

9世紀頃から散々海賊に襲撃されるようになり
後背地の高台に集落を移した


しかし
頂上に城が造られ
集落を城壁で囲んだのは13世紀になってから

頂上の城は
イエールと同じで『Fos フォス』の領主のものだった

高台のテラスは
ミモザの時期は花盛り




下を見下ろすと海まで一望できる





photo by ⒸBormeslesmimosas-tourisme


街中はご覧の通り
季節によって様々なお花が咲き乱れる















もっとも著名な教会は

『Eglise Saint-Trophyme 聖トロフィーム教会』




18世紀に難病を治す奇跡を行った『サン(聖)・トロフィーム』


もちろん
お花が終わった後の季節の旧市街も充分に素敵で情緒たっぷり

















そして
この町の名をヨーロッパ中に知らしめているのが
花祭り
『Corso Fleuri 花競争』

この祭りは
すでに100年の歴史を持ち
カーニヴァルの一環として2月に行われる

ニースのカーニヴァルの『花合戦』
マントンの『レモン祭り』
と並んで
ヨーロッパ三大花祭りとして名高い







各町内や企業団体など
18前後のグループが毎年エントリーし
前年に10月頃から
次の山車のコンセプトを考え設計を始める

ルールは単純
ミモザを基本とし
「黄色」と「オレンジ色」を中心に生花だけを使う

毎年数10トンの生花が使われる
開催日直前に花栽培農家から買い付け
前夜から当日の早朝までかかって飾り付ける






山車と山車の間には参加団体のメンバーが
ブラスバンドや民族衣装
あるいは
道化やアクロバットなどで「花」を添える
















行列がメインのコースに差し掛かると
山車から
花を一輪沿道の観衆に投げ始まる












この山車では
花がかなりなくなり始めている


もはや原型をとどめていない山車

ゴール地点に到着すると
残った飾りを分解して観衆に分け与えたり
参加者が持ち帰ったり


大騒ぎの雰囲気が伝わっていますでしょうか


ところで
この『ボーム・レ・ミモザ』の町が地中海まで繋がって
三角形の半島の南西の端に
『Cap de Brégançon ブレガンソン岬』
という小さな岬があって
さらにそこから米粒ほどの突起が
紐で繋がった石ころみたいに飛び出しています
実はそこ全体が要塞

この要塞が実になんともユニークな代物で
Google Map の航空写真で見ると
なんと「モザイク」が!

『Fort de Brégançon ブレガンソン要塞』

要塞を海から見るとまるで島



種明かしをすると


左奥の岬の先端と
細い短い陸地で繋がっているのがわかります


写真というものは撮り方ひとつで
いかようにも騙せ...エッヘン

ここは何かと申しますと
フランス共和国大統領の持ち物なんです
と言っても
大統領の私物ではありませぬ


右下から
車でも登っていけそうな道が島を巻いて通ってる

ここは
地元の領主の砦で
プロヴァンス伯爵の所有になり
大革命で革命軍のものとなり
そのまま
19世紀にフランス海軍と所有となり
三軍の総司令官である大統領が主ということで
フランス大統領府が管理しています


なので
Googleの衛星写真にすらモザイクがかかる

ここからの写真は
『大統領府』Ⓒpresidencedelafrance から拝借しました


かつての兵舎だった建物は現在「民間人」を迎える施設

実は
仏大統領は国の元首という立場で
フランス国家が所有する歴史的建造物の使用権が
あるのです
ある一定の条件のもとで

例えば
ヴェルサイユ宮の大トリアノン離宮の
『Torianon-sous-Bois 森のトリアノン』翼
パリ近郊『Château de Breteuil ブルトゥイユ城』
はそれぞれ
パリの『エリゼー宮』を離れて
気分転換に使える

「ブルトゥイユ城」は
かつてジスカール=デスタン大統領が
第一回目のサミットを行った

他にもロワール河古城地帯の
王家の城だった『Château de Chanbord シャンボール城』
その他全国に何箇所もある



ここ『ブレガンサ要塞』も
歴代大統領は任期中に一度は訪れて
3〜4日のヴァカンスを過ごし
その間にこの地方の著名人を招いてパーティをやったり
やらなかったり








海軍の所有で
大統領が休暇や内外の首脳を招いたりして使うと点では
アメリカの『キャンプ・デーヴィッド』
みたいなものですね


プロヴァンスの旅もそろそろ終わりに近づいていますが
もう少しだけ続きます
=   =   =   =   =   =   =   =   =
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プロヴァンスを巡ろう 46 海のプロヴァンス 4 < イエールの ジアン半島 と イエール諸島 2>

2021-01-21 00:11:49 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Presqu'ile de Giens ジアン半島』



一度整理しておこう


地図左上の高地から空港を経て岬の入り口までは
『イエール市』の中心部
その中で
北部の高地(茶色い部分)の南端あたりに
最初の「Vieux Hyères 旧村域」があり
海岸に向けて新しくなってゆく
半島は
『Prequ'île de Giens ジアン半島』
右のひも状の部分が本来の陸地で
左に道路だけでつないだ部分があって
その間が塩田
半島先端部の広い一体の北西部海岸に
『Giens ジアン』という名の町
あとは
大きな島三つ
西から
『Ile de Porquerolles ポークロール島』
『Ile de Port-Cros ポー・クロ島』
『Ile du Levant ル・ルヴァン島』
あと小さな二つを入れて
『Iles d'Hyères イエール諸島』

島の中にもそれぞれ町か港の集落があり
それらの全体が『Ville  d'Hyères イエール市』ということ


『Presqu'ile de Giens ジアン半島』

ジアンの町中





『Eglisz Saint-Pierre de Giens ジアンの聖ペテロ教会』





南東の海岸に要塞がある

『Tour Fondue (Fort du Predeau) フォンデュの塔(プレドー要塞) 』





こんな角度で見ると
完全に島のように感じるが半島


ビーチは
各地に大小たくさんある





『Ile de Porquerolles ポークロール島』

『港の集落と背後の高台に聖アガタ要塞』

サン・タガタ要塞から見下ろしたポークロルの町と港

『葡萄畑と聖アガタ要塞』




要塞の背後には風車小屋





そして実は
もう一つ要塞があって
『Fort Repentance  ルパンタンス要塞』

東方教会(ギリシア正教)の修道院が使っている
『Monastère Saint-Pierre d'Orthodox 聖ペテロ東方教会修道院』


『Fort Repentance ルパンタンス要塞』




そしてこの修道院のすぐ近くに
年代不詳の切石乾積み石造建設が残っている

『cabanne de l'Ermite 隠者の小屋』

「隠者の小屋」と呼ばれているが
ボリーの項でご紹介したコルシカの例のような
新石器時代の住居跡かもしれない

そして
この『ポークロル島』の周りの海は
特に美しい

『Plage de la Courtade クゥルタッド海岸』




『Plage d'Argent 銀の海岸』


『Plage du Langustier 伊勢海老漁師の海岸』

『Plage Notre-Dame ノートルダム海岸』




『Plage Noire du Langustier 伊勢海老採りの黒い海岸』



この辺りで止めておくことにしよう

島南部の海岸線

次に
三つの島の中では一番小さい
真ん中の島に渡ろう



『Ile de Port-Cros ポー・クロ島』


レンズ効果で広く感じますが
小さな港です

右端に要塞がお見えになるだろうか

『Tour (Fort) du Moulin ムーランの塔(要塞)』




地中海は文明の揺籃の地
古代より交易が発達し
海岸線に交易中継点の町が生まれ
海賊が跋扈した

従って古代が終わり中世ヨーロッパが成立した後も
砦や要塞は
港と富と住民を守る要であり続けた

『Fort de l'Eminence エミナンス(枢機卿猊下)の要塞』



『Fort de l'Estissac エSUティサック要塞』

photo by ⒸParcNational

中世においては
海賊の侵略を防ぎ
近世以後は
敵艦隊の通過を阻み攻撃を撃退した


エスティサック要塞


『Fort du Port-Man ポー・マン港要塞』

photo by ⒸParcNational


『Plage sauvage de Port-Cros ポー・クロの野生の海岸』


海はというと
これはもう文句なしに美しい
どこに行っても






そして
島内には古代の水道橋の名残も
残っている



ついでと言ってはなんだが
この『ポー・クロ島』のすぐ北西の海岸に
小さな島がある
『Ile de Bagaud バゴー島』

ポー・クロ島から見た『Ile de Bagaud バゴー島』

このミニチュアの様に小さな島は
野鳥と希少植物の宝庫
一年を通じて国の係官が世話を行っている
断崖絶壁の海岸を
ロッククライマーよろしくロープ懸垂をしながら

以上
『ポークロル島』『ポー・クロ島』『バゴー島』
の三つは
『フランス国立自然公園』
に指定されている

それなのに
ホテルがあります

『Hôtel Restaurant le Provançal オテル・プロヴァンサル』

さらに
知る人ぞ知る秘密の隠れ家

『Hôtel le Manoire オテル・ル・マノワール』


21室しかない(21室もある)

車は無いに等しいので
ハイキングロードを歩いて
いたるところに人の手の入っていない野生の海岸が満喫できます




さて
最後の島『Ile de Levant ルヴァン島』は
実は
「ヌーディストの楽園」なのです
港と街中は着衣ですが後は..




島内の一角

『Tour de Titan タイタンの塔と呼ばれる廃墟』
紀元前2千年ほどの要塞集落の廃墟

=   =   =   =   =   =   =   =
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プロヴァンスを巡ろう 45 海のプロヴァンス 3 山里と海岸と島々と <全て堪能できる イエール と その周辺  1>

2021-01-20 00:11:49 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『ジネス岬とイエール』 photp by Ⓒfrance-jeditoo.com



『バンドール』から西に20kmで『トゥーロン』
そこからさらに
西へ20km行くと
『Hyères イエール』という町がある

その町は
プロヴァンスならではの
「丘の斜面」にへばりつく旧村落から
そのまま南に斜面を下りながら新住宅地が海まで連なり
ビーチを何箇所も持ち
極めて細い陸地と
そしてさらに細い道路とで
かつては島であったと思しき先端につながる
『ジネス岬』
さらには
大小六つの島々のすべてを包含する自治体なのです


山岳地を覗いて一番北の部分は
旧村落『Hyères-Village イエール旧村域』


例によって頂上は旧城址
その下にへばり辻て「新城」

ruine du Châteux d'Hyères 旧イエール城址

プロヴァンスより西側の『ラングドック』の港町
『Fos フォス』の領主の城だった







下の新しい方の城は

『Châteux Sainte-Claire サント・クレール城』


高低差のある広い庭園になっていて
夏はお花が咲き乱れている




旧村落域の中は
さすがプロヴァンスという感じ



オークルの赤やオレンジがプロヴァンスだ



『Porte des Princes 大公たちの門』

アーチの小径もプロヴァンスだ


教会はもっと下って「旧村落」の中の人口の多い新街区の
入り口にある

『Collegiale Saint-Paul d'Hyères 聖パウロ参事会聖堂』


教区聖堂ではなく
ある会派(ここでは聖パウロ参事会)会員の聖職者の聖堂を
「コレジアル」といい
神学校などを併設していた
フランスの中学校や英語圏の単科大学を
「college コレージュ(カレッジ)」と呼ぶのはここから

旧聖パウロ参事会本部



12世紀創建のロマネスク様式
教会の祭式に使う宗教美術のフランス最大の大コレクションを有する

もちろん他にも教会もあるが
一つ挙げておこう

『Eglise Saint-Louis d'Hyères 聖ルイ・ディエール教会』


14世紀フランシスコ会修道士の手で建立

丘の麓の新街区はそれなりに開けている






『Tour de Templiers テンプル騎士団の塔』


新街区とはいえ古いので
こんな「アーケード」もしっかり残っている




城門も
いくつも残っている

最初の集落を取り囲んだ城壁の後
人口が増え
村域が丘の麓に区域が広がって作られた二番目の城壁の
門の一つ




『Porte de Massilon マッシヨン門』

『Porte de Fenouillet  フヌイエ門』


『Porte de Baruc バリュック門』

そして
海岸に近づくほど街は新しくなる



綺麗な海のビーチもいくつもあり
幾つかのヨットハーバーも合計2千隻分ほどもある
人気リゾートなので


立派なカジノもあります

ビーチは
砂浜も砂利も
広々としたところも
ひっそり隠れ浜辺みたいなところも



さらに『イエール』で特筆すべきは
ここにも塩田があるのです

photo by ⒸHerard-Pastor

陸側の街の東側と
細長い半島部の西側とに二箇所


塩田は海水を引き込み
徐々にやや低い方に流して行くのですが
せいぜい深さ10cmほどしかなく
しかも
海の小さな生き物が入り込んでくるので
水鳥には格好の餌場
特に
フラミンゴがアフリカから渡ってくるときの
休憩所となっています

『カマルグ』
と全く同じです

さて今回はここまでにして
半島部と
島々とは
次回にご紹介しましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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プロヴァンスを巡ろう 44 海のプロヴァンス 2 港と島 <バンドール と ベンドール島>

2021-01-19 00:37:05 | 素晴らしき世界/フランス/ホテル
『Bandol et Ile de Bendor バンドールの町 と バンドール島』 photo by ⒸTourismBandol


「カシス」から東へ20km強
カシスと同じ様にワインで名高い港町
『Bandol バンドール』
ワインは
「白」「ロゼ」「赤」全て作られていて
非常に質の高いものもある

港も町も
カシスより大きく賑やか

『Eglise Saint-François de Sale 聖スランシスコ・サレジオ教会』

港から見ると



小型ヨットの数も半端ない

港のすぐ沖合に小さな島がある
『Ile de Bendor バンドール島』
町の名前と島の名前とは2字違いで
カタカナだと
表音表記はどちらも「バンドール」となる
もちろん原音は違います


島まで連絡船がある
夏季は30分おき
冬は
朝2本
お昼1本
夕方2本

photo from ⒸGoogleMap

最短距離だと手が届きそうな距離だが
港を出て右に直角に曲がるのでそこそこの距離となって
所要時間は10分


港の出口に向かう


町の中心を外れると新興住宅が並び
眺望と陽当たりを生かして
背後の斜面にはコンドミニアムが多数建てられている

ちなみに
島内はガソリン車は禁止
従って連絡船はフェリーではない
島内には
役場の車と郵便局の車と清掃車など数台の電気自動車があるだけ

島に近づくと
最先端の建物が見えてくる


これ
ホテルなんです
一押しの
後でご紹介しましょう

島の港に到着

『Port Paul Ricard de bendol バンドール島のポール・リカール港』

 30人も乗れない小さな連絡船

別の角度からの港

実は終戦直後まで単なる幾つかの岩礁の集合体だったのを
50年代に
画家で彫刻家で
『パスティス』という食前酒メーカー『リカール』の創設者
『ポール・リカール』が買い取り
大岩を砕き繋ぎ直し組み立て直して
現在の島にしたのだそうです

鐘楼

彼の別荘と招待客のコッテージが散在する隠棲所のような場所で
サルバドール・ダリ
俳優のフェルナンデル
ジョセフィン・ベーカー
ジャン=ポール・ベルモンド
ユーリ・ガガーリン
などの友人たちを招いて休暇を過ごしていたそうです
ジャズ・クラブで毎晩セッションが行われ
劇場ではお芝居が上演され
招かれた芸術家たちは自由に制作して
彫刻作品で島を飾った



70年代に入って
プライヴェートな施設は次々と閉ざされ
のちに
一般に島を解放した




今は若手のクリエーターの住居兼店舗
になっているかつてのコテージが7軒ほど並びその前が「駐舟場」



今は島内の中央広場みたいになったところに
若手のアーティストのクラフトが売られるお店が並ぶ


別荘と思しき瀟酒な建物が数軒あって
小高い上に豪壮な屋敷がある

それに
未だに劇場は健在
『Théàtre Vincent Scotto ヴァンサン・スコット劇場』

アート・ギャラリーもある

『Galerie d'Arts アート・ギャラリー』

ワインとアルコール飲料博物館も

『Musée du Vin et de l'Alcool ワインとスピリッツ博物館』

商売の繋がりで集めた
世界中の
膨大な量のありとあらゆるワインとアルコール飲料
及びガラスやクリスタルの酒器の
コレクションを有する

周囲わずか1,5kmほどしかない島の周りは
安全に歩ける遊歩道が作られている



歩くと
角度が変わるごとに
海の表情が様々に変わることを発見できる楽しみがある










島の西端は広めの公園
『Jardin du Neptune ネプチューンの庭園』
と名付けられている

海神ネプチューン



そして
あのホテルです


※  ※

『Hôtel Le Délos オテル・ル・デロス』


何が良いかって
これです



まるで
海上に浮かんでいるような存在感


足元は
『海』

港に到着し
下船してなだらかなスロープを登るとこうなる



この右の階段は登る必要はない
このまま左に進めが玄関に至る




レセプションは
この写真で感じるほど広くはない

吹き抜けになっていて
余計な装飾品が何ので
中二階から見下ろすと広くはないががらんとして見える


その名の通り
ギリシアの島のホテルみたいな感覚に襲われる

バーはこんな感じで


赤い絵付けタイルが
逆に賑やか

カウンターの前の席より
奥のサロンの方が落ち着ける



レストランはここ


しかし
夏の間はほぼ使われず
みんな外に出てしまう


こんな風に






テラスの席は何箇所もある

もう一度
客室を振り返ってみよう

Junior Suite

Executive Room

Superior Room



この
「足の下は海」
の自分の部屋のテラスで朝食なんて考えただけで夢みたいでしょ




当然地上階の部屋もある


その代わり
「プライヴェート・サンデッキ」
が付いてたりします

そして
3階の部屋の窓からは


プールが見えるんです

島の東端が
ホテルの敷地の東端で
このプール


プールの側からホテルを見てみる

ホテルのすぐ近くにはビーチもありますよ


いかがでしょうか
このホテル

島を離れる時は


こんな風に
ホテルがずっといつまでも見送ってくれます
=   =   =   =   =   =   =   =   =
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プロヴァンスを巡ろう 43 海のプロヴァンスの魅力は海岸線にある <美しき カランク を訪れる>

2021-01-18 00:22:00 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Calanque de Cassis カシスのカランク』



マルセイユから東の海岸線には
『カランク』
と呼ばれる絶景の入江がいくつもある

入江と言っても
幅は極端に様く


両岸の岸は極端に高い断崖絶壁



その奥に
小さな浜辺があったりして
しかし
陸路の進入路はない所が多い


ヨットかモーターボートでしか辿り着けない
この世の楽園



狭くて奥深いという意味で「フィヨルド」に似ているが
違いは
氷河が削ってできたわけではなく
ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸がぶつかり合って
アルプス山脈が隆起し
ややあって
衝撃の反動で両大陸が元に戻るように移動したことで
地中海ができた時
要するに陸地が引き千切られてこんな不思議な地形になった
1億2千年前の地球自身の作品

両岸はあくまで高く険しい




マルセイユから東に20km強で
『Cassis カシス』
という村がある

軽くて飲みやすい白ワインの産地として広く知れ渡っている
「ブイヤベースにはカシスの白」
というのが
地元の定番の組み合わせと言われるほど
プロヴァンスを代表する気取らず飲める白ワイン

カシスの港と背後右奥の高台の要塞








要塞









そのカシス村から
カランク巡りの遊覧船が出ている

マルセイユからも出ているが
『カシス村』を見ておくのも良い
昼食にカシスの白ワインでイワシの塩焼きをいただくと
なおさら結構


かランクの入り口が4つか5つある海岸
極端に狭く深く長いものもあれば
以外と短く両岸も低く結構幅の広いものもある

いくつか著名なカランクを
個別に
ご紹介してみよう


※  ※

『Calanque de Sugiton カランク・ド・シュジトン』


ここは
どちらかというと幅は広め


入り口はこう





短いカランクの奥に


小さな小さな浜辺が
一握りの人たちを楽しませてくれる




※  ※

『Calanque de Morgiou カランク・ド・モルギウー』


ここは
結構広い


しかも
山道ながら車で行けるし
ハーバーもある


食堂や民宿みたいな集落もあり



プレジャー・ボートのハーバーには
レンタルの手漕ぎボートまであるようだ

ここまで来てボートを借り
アクセスのないほかのカランクに行く
という手があります


※  ※

『Calanque de Mounine カランク・ド・ムゥニーヌ』


ここも小規模だが
逆に
日によっては無人のこともあるだろう


自分達だけの世界に浸って
のんびりと過ごすことができそう


※  ※

『Calanque d'En Vau カランク・ダン・ヴォー』


こここそ
単系的なカランクと言えます





幅はあくまで狭く



両岸はあくまで高く険しい


そして
奥にあくまで小さな浜辺








まさしく
この世の天国


   ※  ※   

『Calanque de Port-Miou カランク・ド・ポー・ミウー』


このカランクの名前は
「ミウー港のカランク」


その名の通り
結構な規模の港になっている


ハイシーズンのハーバー


ビーチで肌を焼く
と言うより
ヨットやプレジャーボートの基地


※  ※

『Calanque de Sormiou カランク・ド・ソーミゥー』



ここは短いので
入り口から奥まで全部見渡せる

しかも
奥は二股に分かれて
両方に集落

片方には小さなハーバーがある


上から見張らせば
結構なだらかな下りで
アクセスの道路もあることがわかる




ハーバーのない広い方の先端
入江の中央部と両側の水深の極端な違いがわかる


※  ※

『Calanque de Port Pin カランク・ド・ポー・パン』



その名も「松の港」と言うだけあって
岩肌に生える『地中海松』が
とても美しい



『地中海松』という松の木は
若いうちは枝葉が
幹の上にこんもり丸く平たく広がるので
あたかも傘をさしているように見える
別名「パラソル松」
写真は小さいが
両岸の稜線に並ぶところをよく見て欲しい











水深が浅く
底が玉砂利のような石の部分は
透明度が極めてよく分かる


※  ※

『Calanque de l'Oule カランク・ド・ルゥウル』

ここは
入江自体は小規模ながら
入り口の岩の洞窟
さらには
入江の奥の水中洞窟で名高い


海中洞窟の入り口


入ると
中はこうなっている


この洞窟から海中に潜ると
海底近くにトンネルがあり
ボンベを背負って泳いでトンネルを進むと
また
別の洞窟に出るとか


中にいると
暗いのでやはり多少緊張する
出口に向かうとホッとする

岸壁は70m以上も屹立しており
ロッククライミングの格好の対象となっている


海中洞窟だけではなく
岸壁の中から海面までつながる縦穴もあって
興味は尽きない
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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プロヴァンスを巡ろう 42 プロヴァンスは地中海 <ナポレオンの出世の糸口となった港町 トゥーロン>

2021-01-15 00:42:54 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
ファロン山から俯瞰したトゥーロン


フランスの重要な港は
商業港は
北の『ル・アーブル』 南の『マルセイユ』
軍港は
北の『ブレスト』 南の『トゥーロン』

トゥーロンは歴史的に地中海の拠点軍港として発展してきた



港湾内には
常に何らかの仏海軍の艦船が見られる


その中でもっとも大型船は
原子力空母『シャルル・ド・ゴール』


世界中に
原子力空母は12隻しかない(12隻もある)
その内11隻は米国
従って
米国以外で唯一の原子力空母という事になる
ペルシャ湾 アラビア海 インド洋
等に派遣されている

フリーゲート艦『シュヴァリエ(騎士)・ポール』

帆船時代は
フリーゲート艦とは高速戦闘艦のことだったが
現代では「対潜哨戒護衛艦」

フリーゲート艦『ラ・ファイエット』

変わったところでは

潜水艦『カサブランカ』

当然
これらの艦艇がいつでも見られるわけではない
任務を終えて帰投している時に限られます


湾の入口の東西には
昔の要塞が一つづつ残っている

その一つが

『Fort Royale de Balagier 王室バラギエ要塞』

17世紀前半に建設され
後半に対オランダ戦略の必要性から補強されて
今日の形になる



この要塞は
湾の一番西の岬の先端から港への侵入を防ぐ

もう一つの要塞もほぼ同じ形

『Tour Royale 王の塔』

名前は結構単純だ
しかも
このように海から見るとあまり大きく感じないが
実際は結構デカイのです




中に入ってみると
本当に大規模


この写真を見ると
港への敵艦隊の侵入を防ぐ役割がよく理解できる
東側のみ脇の先端で港を護る


そしてさらに
もう一つ要塞がある

『Fort Royale de Saint-Louis 王室サン・ルイ要塞』

三番目のこちらは
前の「バラギエ要塞」から遅れること1世紀
「王の塔」から
岬を東側に回り込んだところに作られた






実は
この要塞の東側にビーチがあるのです

『Plage du Lido ル・リド・ビーチ』

ビーチには固有名詞がつけられることが多い
ここは『ル・リド』
ヴェネチアの名高い島の名前で
パリのシャンゼリゼに同名の高級キャバレーがある
ある意味で
安易な有名好みのネーミング




軍港とはいえ
今では民生用にも大きくシフトを寄せており
マルセイユ セート ニース
と並んで
『コルシカ・フェリー』
『サルデーニャ便』
その他各ラインが就航している


その他
近郊の海岸の村を結ぶ連絡船や
港内遊覧船も多い

遊覧船の発着波止場

外洋大型客船も頻繁に寄港するようになった


奥に
客船と軍艦とが並んで接岸している光景は
結構シュール

勿論
古くからの漁民達の波止場もあります

『トゥーロン丸』

そのまま東に
少し足を伸ばせば美しく素朴な海岸リゾートもある

『Baie d'Anse Méjean アンス・メジャン入江』

水はあくまで清く
空はあくまで蒼い
右側の人口桟橋はレストラン



もう一箇所別のビーチも

 『Baie de Anse Magaud アンス・マゴー入江』

前の「アンス・メジャン入江」とは岬で東西分かれる位置にある

トゥーロンは
街の東側にこのような美しく小さな入江が10箇所程あり
車は乗り付けられないが
近くまで行ってハイキング小径のような道を歩くか
ボートで行くか
多少歩いても行ってみる価値は大いにある

時には
帆船が集う大イヴェントも


『Le Belem ベラン号』

「ベラン号」はフランス船籍の現役帆船

ところで
港の一番奥の岸壁に有名な銅像が立っている

『Génie de la Navigation 航海の守護神』

1847年トゥーロンの彫刻家『ルイ=ジョゼフ・ドーマ』作
歴史上の航海の天才的先達に捧げる像で
具体的には
19世紀地中海艦隊の提督
『Jules de Cuvervilles ジュール・ド・キュヴェールヴィル』
がモデル

海に向かって腕を上げて彼方を指差しているが
この銅像の後は
名誉市役所(名誉領事館みたいな)なので
「Cul vers Ville  キュル(お尻)・ヴェール(向かう)・ヴィル(街)』
韻を踏んで
「市に尻向けて」と揶揄されてきた

『名誉市役所』

見事な扉口


入り口のガラス戸に
確かに「尻」が映ってますね

現役の市役所はここ

『Hôtel de Ville de Toulon トゥーロン市役所』

欧州諸国では
市役所や役場は
その自治体にある歴史的に一番重要な建物
例えば
城や宮殿や館
等を使っていることが多い

トゥーロンは都会だが
それに見合う大規模な建物は軍関係以外になかったらしく
新建築の凡庸なビルに収まってる

街の中心は

『Cours Lafayette ラ=ファイエット大通り』

大規模な建物というと美術館

『Musée de Vieux Toulon トゥーロン歴史美術館』


トゥーロンと周辺地方の
歴史と文化に関わる絵画彫刻工芸品が
収められている



もう一つ博物館をご紹介

『Musée National de la Marine 海洋海軍博物館』

これは
軍港の方の波止場の近く


それから
都会ですから当然ですがオペラ座があります

『L'Opéra de Toulon トゥーロンのオペラ座』





ところで
海岸の街の背後に山が迫るのは地中海世界の共通項

『Mont Faron ファロン山』

標高584m
巻頭の写真はここから

ロープウエイで繋がっている


フランスで革命が勃発
自国に影響が及ぶことを恐れた欧州諸国は
フランスに干渉して
トゥーロンを英国海軍が占領
革命政府は
どの将軍を作戦司令官に任命しても奪回作戦は失敗

防御が堅く港に船で突入できない
背後は険しい山
限られた陸路を堅守され手詰まりだった時
革命政府の重鎮『シエイエス』が『ナポレオン・ボナパルト』に
白羽の矢を立てる

パリ王室陸軍士官学校を卒業後
コルシカという辺境の豪族の息子では出世の道に乗れず
燻っていた青年士官ボナパルトは
ファロン山頂に大砲を引っ張り上げて砲台を築き
上から英国軍陣地を砲撃
英国側
たまらずトゥーロンを諦めて退却
フランスは地中海の拠点を取り返す事ができた

その功績で『イタリア戦線司令官』に抜擢され
以後『ナポレオン・ボナパルト』は連戦連勝を続け革命軍の将軍となり
革命政府の執政に登りつめ
『皇帝』にまでなって
歴史にその名を輝かせる事になるのです

ちなみに山腹に
航海の無事を祈る船乗り達の礼拝堂が
岩肌を掘り抜いて作られている

『Oratoire Notre-Dame de faron ファロンの聖母礼拝堂』
=    =    =    =    =    =    =
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プロヴァンスを巡ろう 41 <小さな魅力溢れるトゥールトゥール 村 と ホテル>

2021-01-14 00:58:47 | 素晴らしき世界/フランス/ホテル
トゥールトゥール全景

左端に『サン・ドゥニ教会』
中央の二つの丸い塔が新しい小さい方の城
右端の角に丸い塔のある建物が最初の大きい方の城



by ⒸGoogle Map 

巻頭の写真は
グーグルの航空写真の右上の方向から撮ったもの
(つまり左右逆)
この俯瞰で
右下の角が『サン・ドゥニ教会』

左上の家々が円形に集まっている部分が最初の城壁内
その上辺の
微妙に角になった部分が
巻頭写真の右端『トゥールトゥール城』

中央部白い四角い広場のすぐ右に丸い四つの塔で囲まれて
村役場
これも小さいながら城だった

まず教会

『Eglise Saint-Denis サン・ドゥニ教会』



内陣と祭壇

教会横の墓地の石積みの塀

中央部の小さい方の城

『Château Municipal 村の城』

別名「Château du despot Raphélis  悪政者ラフェリスの城』
という呼び名があるが
ここトゥールトゥールでは歴史の上で悪政者がいた記録はない


村が購入し村有財産として
村役場に使われている


庭園部など敷地はほとんど残っておらず
城壁側を除いて家々に取り囲まれてしまっている


城壁側だけ
テラスの部分がかろうじて庭園

そして本来の城

『Château de Tourtour トゥールトゥール城』

こちらが当然先にあり
東側城壁外に人家が増えて集落圏が広がり
上の航空写真の「繭型」に新たな城壁を拡大した際に
本城の反対側に作られた様だ


現在は『化石博物館』が納まっていいる


旧城壁の城門

小規模だった最初の時代の村の入り口


城壁内はまるで中世そのもの


塔もあるが
城には付属していないので
村自体の
物見の塔か鐘楼か



情緒満点の小径


東外側の
村域が拡張された部分も
当然古いのでそれなりの雰囲気は充分に感じられる




『共同洗濯場』



中央広場は
『Place des Ormeaux 鮑の広場』という名が付いている
エックスにも同名の広場があった

村民と観光客との
憩いの場



カフェ・レストランもちゃんとある


そして
拡張して村域を広げた拡張した城壁の城門も
残っている

『Porte et Eglise Sainte-Trinité 聖三位一体教会 兼 城門』

城壁の外を見る角度だが
アーケードの下の左に教会の扉があり
城門は鐘楼の屋根ををくぐる
面白い構造


その城門の内側に
この噴水




この美しい村の
はずれの「聖ドゥニ教会」のもう少し先に
実は
いい感じのホテルがあるんですよ




『Bastide de Tourtour バスティッド・トゥールトゥール』

これまで
何度も「バスティッド」という存在をご紹介したが
「農園屋敷」
などと書いてきた

実は日本語に訳せなくて
貴族と平民の金持ちとを問わず
街中の館ではなく
かと言って城でもなく
田園に構えた農園兼別荘あるいは隠棲所のような
かつ
火急の折には領地や町の防御の一翼も担える拠点となるような
それらのどれに重きをおくかは別として
そんな家作なのです


庭園は実に広々




もちろんプールもあるし



子供用プールだって
横にある



屋内プールも







スパとジムにつながっている





レセプション



サロン



客室はこんな感じです

























バー



レストランは
室内と


外壁の外をガラスで囲った『ヴェランダ』と






お料理の例


海老を使った前菜



マグロの半生仕立て



仔牛のロースト



桜桃とベリーのデザート



赤いフルーツ(ベリー系)のタルト

当選お約束で
外の席もあります


前庭のテラスの席

お庭にいるだけで
出かけなくても一日くつろげます




プロヴァンスの平野が一望に元に
こんなお目覚めは
いかがでしょうか



= = = = = = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
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プロヴァンスを巡ろう 40 三つの大修道院のあと二つ <ル・トロネ と シルヴァカーン>

2021-01-13 00:37:22 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『Abbaye du Tholonet ル・トロネ大修道院』


プロヴァンスの三大「Abbaye 大修道院」
『Abbaye de Sénanque』
を既にご紹介した

あとの二つ
『Abbaye du Tholonet ル・トロネ大修道院』
『Abbeye de Sylvacane シルヴァカーン大修道院』
をご紹介しよう

「ル・トロネ」は
「サン・マクシマン・ラ・サント・ボーム村」から東へ40kmほど
近くで幹線道路を離れて間道を小さな村々を横切り
かなり広大な森をくぐり抜けて走る

入り口は小さな堀に掛かる橋を渡る小さな城門


塀で囲まれており
中は見えない


城門の落とし格子は開けないので
アーケードの中で右側を巻いて入る



ここを抜けて左に出ると
正面の格子の向こう側になる

ローマ帝国消滅以後
数多くの異民族の侵略があり
地中海の海賊にも
ノルマン人(バイキング)にも
修道院は豊かであるという前提で散々略奪を受けた

従って
重要な修道院は堀と城壁で防御する事が習いとなる


修道院は『Monastère モナステール』で「修道院」と訳す
志を同じくする
その修道会の規約を守る誓いを立てた者同士が
外界とは閉ざされた閉鎖空間で共同生活を行い修行する場

そこの院長が
Abbé (アベ)
という聖職位を持っていれば
Abbeye (アベイ)
と呼び「大修道院」と訳す



修道院の教会は「修道院聖堂」
修道院の各種施設の中の最大の建造物だ



正面からでは想像できない大きさがある


身廊部

内部が極めてシンプルなのは
この大修道院が
もっとも戒律の厳しい『シトー会』傘下の修道院であり
建築様式がロマネスクだから

例によって
回廊の一面の内側に
『Salle des Châpitres サル・デ・シャピィトル(運営会議の間)』がある



地盤の岩盤を残してあることがわかる

奥の開口部の向こう側が回廊
三つの開口部の高さが違うことにお気づきだろうか


この通路は三段の高低差でできている



手前の通路に段差がある
アーケードの奥の運営会議の間に
参加する修道僧のベンチが三段見える

そして
回廊の階段から上に上がると



『Réféctoire レフェクトワール(共同大寝室)』があることも
同じ
これを登って
途中で右に折れて登ると




右奥に出てくる
左端の階段は回廊の二階部に出る

それより
この「ル・トロネ大修道院」の際立った特徴は
回廊の敷地が均等の高さではなかった
という事


アーケードから反対側を見てみると
極めてはっきりとわかる



平面図上で四角い回廊を設計し
土地の起伏をそのままに
四本の通路を無理やり繋いだぞ
どうだ!
という様な強引さ


この三面
すべて地面の高さが違うという現実

それ以外は
作り方は極めて普通で
有るべき物は全て有った


回廊の一角は当然聖水盤がある
単に祝福用だけではなく
生活用水をここから調達していた様だ

 ワインを作って収入源にしていたのも
他の多くの修道院と同じ


絞る葡萄の房を入れる圧搾槽
下に
原液が流れ出てくる回収口がある



葡萄の房を上の圧搾槽に入れて
上から圧力をかける「圧搾用の重し」を上げ下げする
巨大な長い梃子の先端を受け止める部分

聖堂内部には成人の彫像もあった


極めて素朴なゴシック初期の聖母子像


この聖者様はどなたなのだろう


革命中1791年
最後に残った数名の修道僧が亡命し修道院としての機能は消滅
国家財産として接収されて競売
家畜小屋となる
1854年には国の重要文化財に指定されて
以後国有の文化財



20世紀入って
長雨の年に地盤低下が起こり
その後
建設当時の切石の採寸の不正確さと地盤の土砂崩れとの
ダブルパンチで
相当被害を受けてしまった







現在も鋭意修復中


見学を終えて引き返す
訪れた時に最初の外から見た城門は
内側から見るとこうなる
講師の門扉は格子で普段は上げないので
入った時と逆に左側を回り込んで
出るようになる

すぐ近くの村の路地に
おそらく村で一軒だけの小さなレストランがある
その前の
一抱えほどの丸石をはめ込んでゴロゴロ凸凹の石畳の道全体を
テラス席にしてあった



素朴な田舎の家庭料理のプロ版みたいな
美味しいお昼を食べられます

  
※  ※

三番目にご紹介するのは
『Abbaye de Sylvacane シルヴァカンヌ大修道院』

「エックス・アン・プロヴァンス」の北東20Kmあまり


修道院聖堂の正面の池に水蓮が咲いていた
この池は当時は食用の川魚の養殖池だった


この聖堂の特徴は
一番奥「内陣」が平らであること




従って当然
十字架型の頭部分(内陣)の外側
「外陣」も


平らだ

回廊 北側通路

回廊 西側通路

ここの回廊は
アーケードを支える柱にも全く何の装飾もない


極めて原始的な内庭になっている


Salle des Châpitres  運営会議の間

他方
この部屋の柱の一本は
最近の修復であろう


ここの回廊の一角の聖水盤は
実は井戸


共同大寝室も同じ構造


回廊から
この階段で共同寝室に至る


聖堂交差部の鐘楼は
壊れた訳ではなさそうだ


12世紀半ばの本体建立に遅れること数世紀
おそらく16〜7世紀に作り足そうとして
すぐさま中断してしまった様だ

この『シルヴァカンヌ大修道院』も
大革命で国有財産として競売処分となり
農場に成ってしまった

その後1840年に文化財指定を受け
早々に国有化されたが
修復や復元工事は1960年代になってから
やっと始まった


12世紀から13世紀に全欧に発展した『クリューニー会』修道会が
ゴシックの技術を起こし
発展させ
大規模大聖堂建設や華麗なステンドグラスの生産技術を確立して
教会文化が爛熟する

それを「退廃」だと批判して
結成されたのが
『シトー会』

精神も肉体も一切の虚飾を廃し
ひたすら修行に徹することを規約とした

『プロヴァンスのシトー派三姉妹』
と呼ばれてきた
『セナンク』『ル・トロネ』『シルヴァカンヌ』
三つの大修道院のうち
セナンク大修道院だけが
今日も修道院として機能している
= = = = = = = = = = = = = = = =
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プロヴァンスを巡ろう 39 <サント・ボーム山塊の聖地 サン・マキシマン・ラ・サント・ボーム と グロット>

2021-01-12 00:12:18 | 素晴らしき世界/フランス/ホテル
『サント・マリー・マドレーヌ・バジリカ聖堂』



マルセイユから北東へ50km
エックスからなら東へ50km
近付いて行くと
巨大な教会がそびえる村が見えてくる
『Saint-Maximin-la-Sainte-Baume サン・マキシマン・ラ・サント・ボーム村』

巨大な教会は

『Basilique Ste-Marie-Madeleine 聖マリー・マドレーヌ・バジリカ聖堂』

いかに広大であるかは
俯瞰するしかない

Ⓒdronestagram

聖堂正面は素朴極まりない


正面は
建設できなかったようだ

ところで
5世紀初頭に
『マリー・マドレーヌ(マグダラのマリア)』の墓が発見され
小さな修道院が造られた
その後
710年にサラセンの破壊から守るため
墓は地下に隠され

1270年ごろ
プロヴァンスの支配者であった「アンジュー家」の
シチリア王シャルル2世が再発見して
それを祀るバジリカ聖堂と
墓を守るために『ドメニコ会』の王室女子修道院が建立された

聖堂の回廊側の側壁

13世紀末という早い時期に
北部『カペー王朝』支配圏ので誕生していた様式
「ゴシック」
の技術がすでに取り入れられ
素朴ながら「飛び梁」が見られる


しかも
内部は完全にゴシックの大教会

内陣奥の主祭壇

内部装飾は
マグダラのマリアの一生をたどるモチーフの
レリーフや絵画が溢れている

イエスの足を洗うマグダラのマリア


プロヴァンスの「レ・サント・マリー・ド・ラメール」に上陸する
マグダラのマリア


十字架の道行きで
イエスの汗を拭う布を持って待つマグダラのマリア(左端)


顔を拭いた布を持って
ゴルゴダの丘の頂上まで付いてきたマグダラのマリア(左下)


十字架降架後
イエスの手から釘を抜き取るマグダラのマリア


マグダラのマリアの石棺



地下祭室に安置されている
マグダラのマリア聖遺物(遺骨)を収めた聖遺物匣

柵の奥にある聖遺物を収めた金製の彫刻のコピーが

地上階の礼拝堂の祭壇にある

そして
マグダラのマリアと同時に見つかった
『聖マクシマン』の石棺も


修道院自体は
バジロカ聖堂の横に
回廊を取り囲む四棟の建物から成り立っていた

回廊

この王室女子修道院は
革命期を除いて1960年代まで続いて
(革命の最中は牢獄に使われた)
その後廃止され
今は国の重要文化財のままでホテルに使われている

『Hostellerie du Couvent Royal ホテル・王室女子修道院』

玄関



回廊の中庭は
屋外パーティーなどによく利用される


客室も
当然修道院の建物なので
石壁がそのままという部屋もある

スイート



シングル/ツイン・ルーム

さすが元修道院だけあって
余分な装飾が一切ないところも好ましい

 ダイニングルームは
かつての修道士たちの大食堂



回廊部も



かつての大礼拝堂は
会議室


高位聖職者席が
そのまま使われている



共用空間は
明るい


夜間は極めて静謐と清潔感にあふれている

※    ※

さて
この『サン・マクシマン・ラ・サント・ボーム村』あたりから
『Massif de Sainte-Baume 聖ボーム山塊』
という岩山の連なりが南西に伸びている


近くに行けばかなりでこぼこしているが
一直線の岩塊が続く
標高1000mを超えるピークも幾つかある

ここに
歴史上極めて重要な聖地があるのです

一直線の
はるか向こうに何か小さな柱様のものが建っているのが
お分かりになるだろうか

ここ岩棚を正面から見ると
四角い小さな礼拝堂


こうなる

この岩肌
頂上の礼拝堂右下が「聖地」な
のです


もっと寄ってみると
よくわかります


麓から
岩山を彫って造った階段を登り


見え始めてから
さらに
切石を組んで作った階段を180段ほど登る


そして
やっと入り口にたどり着ける

入り口

この上に


ゴルゴダの丘が再現されている

岩棚に沿って進むと
雨風を避けられる自然の空洞があって
その奥で
『Sainte Marie-Madeleine 聖マグダラのマリア』が
隠棲生活を送ったのだそうです

その洞穴の入り口部分に
最初にご紹介した『サン・マクシマン・ラ・サント・ボーム村』に
5世紀に修道院を作った
ギリシア人修道僧『ヨアンネス・カッシアノス』の手で
同時に修道院が作られていた

修道院礼拝堂の入り口

礼拝堂内部

そして
そこから「洞窟」につながる


降りると
大空洞になっており


各所に
お参りする礼拝所がある


一番奥



礼拝堂に入らなければ


外から入れる浅い凹みに作られた祭壇もある

礼拝堂の宝物殿にはマグダラのマリアの聖遺物



実際に
マグダラのマリア本人は
この洞窟を非常に気に入っていたと言われている


岩棚の反対側の断崖絶壁の縁に
十字架から降ろされたイエスを抱いて嘆く「マグダラのマリア」
飾られている


この洞窟と
サン・マクシマン・ラ・サント・ドーム村と
両方合わせて
カトリックの大聖地なのです

9世紀以来
ボニファティウス8世以下複数のローマ教皇
十字軍から帰還したルイ9世『Saint Loius 聖ルイ王』
フランソワ1世
カトリーヌ・ド・メディシスと息子のシャルル9世
王妃に迎えたスペイン王女アンヌ・ドートリッシュとルイ14世ほか
歴代フランス王
全欧の君主達
など
19世紀に至るまで多くの王公貴顕たちが訪れた

などなど

現代では
ル・コルビュジエが
このサント・ボーム山塊のこの聖所付近の地下に
大々的な聖堂を建設する案を発表した

サント・ボーム山塊の先端と聖地遠景

= = = = = = = = = = = = = = = = =
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プロヴァンスを巡ろう 38 またマルセイユの方に下って <ル・カステレ 世界に名高い小さな村 F1 と 快適なホテル>

2021-01-11 00:24:22 | 素晴らしき世界/フランス/ホテル
『Château du Castellet カステレ城 現市役所』


山地と渓谷とを離れて
地中海にやや近い平地に降りてこよう

と言っても車で1〜2時間もあれば十分なのだが

マルセイユの東50km
『Le Castellet ル・カステレ』という
小さな町がある
名前に「定冠詞 Le」がつく

リュベロンの山郷に
今回ご紹介していないが
「Le」がない「Castellet」という同じ名前の村があるのでご注意を

中心となる旧城壁内は
なだらかな勾配のある丘の斜面にあるが
いわゆるプロヴァンス特有の「丘陵の村」という程ではない

旧城壁に残る門

中は
城壁の上に沿って道が続く


すでに文明に近い位置にいるので
リュベロン山地の
あるいは
ヴェルドン渓谷周辺の
中世のままの村の情緒はすでにない

だが


こんな噴水やら


こんな城門も
しっかり残っていて

城も残っていて

『Château du Castellet ル・カストレ城』

この城は現在市役所として
使われている

背後は城壁で塔も幾つかある

『Tour de Madame 奥方の塔』

塔の開口部からは平野部が見下ろせる
塔というのは外側から見ての事で
内側は三方の壁がなくなっているのでタダの平面の壁だ
左にわずかに直角の壁の部分が残ってはいるが

城の反対側の城壁に沿った位置には
教会

『Eglise de la Transfigurqtion de St-Sauver 聖救世主の変容教会』



正面は
まるで頑丈な壁




正面上部




内部は
12世紀建立当時のロマネスク時代の趣が
ほぼ忠実に残されている


『内陣と主祭壇』

丸いふくらみの部分の壁は
古代ローマ時代の塔の一部がそのまま流用されたという

司祭館も素朴だ

『司祭館』

司教や大司教のごとき高位聖職者はいない村
従って
大聖堂ではなくて教会

集落内の散策は
やっぱりタイムスリップ感に溢れていて楽しい


城門に近づくと文明に近づくので
時代感はない
それでも情緒はたっぷり










「リュベロン山地」や「ヴェルドン河」
の村々のような
おどろおどろしさと言うか
重さと言うか
そんな雰囲気が薄くて
気軽な雰囲気なのをお分かりいただけるだろうか



そして
城壁外の平地に広がる家並みは普通の平凡な小さな町だが
貫通する県道に面して
世界にその名の知れたカーレースの聖地の一つ
『Circuit Automobile Paul Ricard ポール・リカール自動車サーキット』
が有る




もちろんメインゲートと外壁しか見えない
週末の3日間で予選と決勝を行うグランプリ・レース
の開催週ともなると
世界中の
ファンと
モータースポーツ関係者と
報道陣とで
お祭り騒ぎとなる



2018年
グランプリ開催時の参加車両の車体検査日の展示

自動車の発明後程なくして
貴族たちの間で
自動車を使ったレースが始まった

最初の頃は
都市間を結ぶ街道などで性能と腕を競っていたが
1906年にフランスの愛好者組織が
一定のルールで
不定期に各地でレースを開催

対戦で中断後
1949年に
葉巻型で4輪がむき出しの車でのレースが再開され
50年代の終わりにエンジンの基準を統一して
今のようなレースが始まる

ここ『ポール・リカール』は
1970年に同名の実業家で地方政治家だった人が
ここにサーキットを建設
翌年「第一回ポールリカールF1GPフランス大会」が開催され
以後
国内に11箇所あったサーキットのうち
1990年までに
ここで14回のフランスGPが行われた

90年代はフランス中央部に新らたに大規模なサーキットができて
そちらに移ったため
改装工事を行って
2017年からF1が復活した


ホーム・ストレッチの走行レーンの奥に並行して
番号を振られて
各チームのピットがある
開始前の車を中に置いてあり
レース中はタイヤ交換などを前で行う

『Scuderia Toro Rosso-Honda』のピット
交換用のフロント・ウイングが置かれている


決勝日のオープニング・セレモニー

スターティング・グリッド

決勝スタート直前
超満員のホームストレッチの観客席

スタート後は
耳をつんざく高性能PUの轟き渡るエンジン音が
まるでドラッグのように
脳を痺れさせ
興奮させるのです


スタート直後
タイヤ交換をするピットのレーンからの走行レーンに合流点を
過ぎたあたりで
最初の90度カーブに突入する直前
ここまで先頭のスターティング・グリッドから500m程で
5秒もかかっていない





スタンドに鈴なりの観衆も
最高の性能を誇るパワーユニットの大咆哮に
負けない
大声援を贈る


スタートとゴールのホーム・ストレッチ以外にも
観戦スタンドは沢山ある

90年代からは
単なる内燃エンジンだけではなく
排気利用のターボチャージャー
さらには
エンジンの発熱を回収して熱エネルギーに変える熱交換装置
エンジン回転を利用して発電して再利用する電気エネルギー回生装置
などを組み合わせた
「エネルギー回析」システムを組み合わせたハイブリッドで
熱エネルギーと電気エネルギーの使用量はレース全体で厳しく制限された
非常に複雑な駆動装置を使うので
エンジンとは呼ばず
PU「パワー・ユニット「と呼ばれていて
ホンダが
『レッドブル・レーシング』と『スクデリア・アルファタウリ(旧トロ・ロッソ)』
2チームにPUを提供して戦っている

もちろん
ここ『ポール・リカール・サーキット』は
F1GPだけをやっているわけではない
F2 と F3
GTカー・レース
Moto GP(オートバイ・グランプリ)
その他
あらゆる種類のモーター・レースを開催し
カーレースのドライバー養成学校もあるんです


 ※  ※

その
ル・カステテレに
寛げる素敵なホテルがある

『Le Bastide du Castellet ル・バスティッド・デュ・カステレ』

主棟の一棟

街道から玄関へのアプローチ


この手のホテルのよくある形で建物はいくつにも分散して
お互いが繋がっている


こんな風な渡り廊下で


複数の客室棟と



レストラン





スパ



などの建屋の間は広々とした空間で
芝生や池




肝心の客室は




一度くらいはサーキットに来てみるのも良い経験になりますよ
自分の野生が目覚めるかも
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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