行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

地中海の『美の島』コルシカ島 28 < 古刹で名高い ファヴァレッロ と マカ・クローチ > ヴァランコ湾周辺 から 島の首都アアジャクシオ へのルート 2

2021-10-25 00:48:14 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ファヴァレッロの「昇天の聖母教会」のフレスコの一部

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



先回の「フィリトーザ遺跡」から『タラヴォー川』を挟んで西側に
『ファヴァレッロ』という小村があり


Map by ⒸCorsica-geographic_map-fr


『Favallelo』

その村にロマネスク時代の古刹がある
『被昇天の聖母教会』

『Capella Santa Maria Assunta / Chapelle Sainte-Marie de l'Assomption』

正面


南側側面


後陣

西側正面扉口

南側側面扉口


祭壇奥の後陣部のフレスコと
左奥にある礼拝堂のフレスコが国の重文
祭壇右に側面の扉口が開いている


祭壇前から振り返ると正面扉口


この教会のフレスコは15世紀のもの
コルシカには山里の小さな教会にこの種のフレスコが多々残っている





『聖ヤコブ』

『聖ペテロ』


『聖シモン』

『聖フィリッポス』


左右に『聖マタイと聖ヨハネ』を従えた「全能の神イエス」



『聖マルコ』

『聖ヨハネ』










村は山の斜面にへばりついて上下の高度差が結構ある



中心部は結構開けた感じもあるが


古の「フォンテーヌ(水場)」もしっかり残っている

※  ※

ではいよいよ「アジャクシオ」に向かって北上しよう
ヴァランコ湾の「プロプリアーノ」から島都「アジャクシオ」まで
山中を畝る国道196号線で65kmほど

その途中22km地点で国道を東側へ降りて山中の間道をうねうね進むと
『モセ・エ・クローチ』という村がありチャーミングな古刹がある

『Macà è Croci / Moca-Croce』

この村名は旧来あった「マカ村」と「クローチ村」が合併したことからきている


遠目にも教会の鐘楼が見える

『Santa Maria Assunta / Sainte-Marie de l'Assomption』

この村の教区教会『サンタ・マリア・アッスンタ(被昇天の聖母教会)』
村の一番高いところから村全体を見守っている





内部は天井や壁の部分的に描かれたフレスコで飾られているが
かなり傷んでいるのが残念なところ

後陣種祭壇を望む

主祭壇と四分の1円蓋


円蓋

身廊の天井



天井中央部の「聖母昇天図」



しかし上に記述した「チャーミング」な古い教会とはこれのことではない
もっと小さな礼拝堂『サンタ・マリア、言う所のアッバディア礼拝堂』の事

『Oratoire Santa-Maria Assunta di Cruscaglia / Ste-Marie de l'Assomption dite Abbadia』

10世紀後半に村近郊の字「アッバディア」に建てられた礼拝堂で
12世紀に今の位置に2km移設された
自然の中に立つ奥行き12mほどの小さな規模


正面ファサード

南側側面

鐘楼は前後から見ると塔に見えるが
側面から見ると平たい壁の様な造りになっている


外陣

外陣 真後ろより

鐘楼の下部が躯体の重量を支える控え壁の構造になっている




北側側面
こちら側の側面に予備の扉口がある


西側正面扉口

内部は白い

身廊より後陣の祭壇を望む


祭壇が置かれる後陣の半円形の突出部の上部の切妻壁に十字架の形の開口部がある

祭壇の位置から西側正面の方向を見る

扉口の左右に四角い小さな窓がある


壁の厚みの分だけ「壁龕」の様になっていて小物が置かれていた
石積みの壁全体を漆喰で白く固めてあるのは
創建期の10から12世紀という
形式上ヴィザンチン帝国に領有されていた時代的影響か

この「モカ・クローチェ」村にはもう一つ古い教会がある
『聖アンドレ教会』

『Eglise Saint-André』



村自体は実にのどかで時計が止まっているかのようだ

『Fontaine』

水場な現役で清水をたたえている
そして
家々も






フランス人達が好んで使う言葉「Vieilles pierres (英: Old stones 古い石)」とは
このような数世紀を経てきた石の家やその周りの石畳の小径などを指すのですが
まさに
実に美しい「古い石」であります

村を別の角度で外から見ると



こんな風なのどかな光景になる
この辺りには今回一番最初に記述した「タラヴォー川」が流れており
古くからの橋も架かっている



村を一歩出るとはるか山々が連なり



背後のてっぺんに村の名前の一部「クローチ(十字架)」が立っています

####
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見ご要望を是非お寄せください
旅行の具体的な計画立案や手配と滞在などにゴキョプミの方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似の出来ない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』コルシカ島 27 < フィリトーザ遺跡 > ヴァランコ湾周辺 から 島の首都アアジャクシオ へのルート 1

2021-10-22 00:45:02 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 『フィリトーザ』遺跡の彫刻されたメンヒル

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



「プロプリアーノ」と「ヴァランコ湾」
を離れて島の首都『アジャクシオ』へと北上しよう
国道196号線自体が曲がりくねった山国を縫ってゆくが
時折国道を降りて
もっと曲がるくねった細い間道を入って見ながら

まず
国道に入らず「プロプリアーノ」から北東へ5kmほど行くと
石器時代の石柱の経つ遺跡がある
『先史時代遺跡フィリトーザ』

Map by ⒸCorsica-geographic_map-fr

時は8000年前新石器時代
青銅器時代の遺跡が多いコルシカにあってこの種の遺跡として最も古いもので
彫刻の施されたメンヒルが立ち並ぶ
その集中度においてその時代としては世界的にも貴重なサイトとして知られている


このサイトの特徴は
彫刻メンヒルと風化されて露出する岩盤の作り出す奇岩との組み合わせ


そして


さらに既出の青銅器時代「トーレ人」の城塞型集合住居との
複合遺跡のサイトであること

サイトの入り口は結構チャラい感じがするが


中に「トーレ人武装集合住居群」跡からの発掘品が多少並んでいる



敷地に入るとすぐ振り返ると


入場券売り場兼展示場の屋根が見えて
向き直ると
自然の大岩の上に三体の小さめのメンヒルが並べてある


さらに石棺らしきものとメンヒルが石畳の通路上に置かれている




その先には枝葉の茂った古木の足元を過酷ように石が並んでいる



その後は広い敷地内を自由に歩き回って見て回る






































「カステッデュウ」(武装集合住居群)の一角にはたくさんのメンヒルが
無造作に並べられている




全景の遠望











自然な巨岩の露出も独特の光景









恐竜岩(勝手に命名)



このサイトは非常に広く且つ高低差が大きい



高い位置から周囲を見晴らすと
この土地の有り様が良く把握できる





アジャクシオへのルートは次回に続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご感想やご意見ご要望を「コメント」でお寄せください
具体的に旅行の計画や手配と案内などに関心のある方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 23 < アルタ・ロッカ に分け入る 1 > サルテンヌ から バヴェッラ峠 にかけての山里

2021-09-29 00:27:09 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「聖ジゥヴァン・バッチステュ・ディ・ポッジオ礼拝堂」

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



「サルテンヌ」から北北西に10kmでヴァランコ湾奥の港町「プロプリアーノ」に至り
「サルテンヌ」から北東に入るとリッザネーゼ川とその支流のい渓流に沿って
『アルタ・ロッカ(高地の城塞)』と呼ばれる
コルシカ巡りの初期にご紹介した「バヴェーラ峠」に至る山里がある

バヴェーラ峠から主峰「バヴェーラ針峰」を望む



この地図では中央下部に「サルテンヌ」
国道196号線(T40)で北北西に行くと「プロプリアーノ」で
北東に飛びる間道(白線)を行くと
『アルタ・ロッカ』の主邑 『サント・リュシー・ド・タラーノ』

『Alta Rocca』地方の峰々

「サルテンヌ」から6km ばかり北上すると『リッツァネーゼ』川に至り
程なく「ジェノヴァ」統治時代13世紀の美しい橋『スピンナ・カヴァリュ』がある

『Spin'a Cavallu』




まず「アルタ・ロッカ」南部の中心集落「サント・シュリー・ド・タラーノ」を
訪れてみよう

『Santa Lucia di Tallà / Sainte-Lucie-de-Tallano』



黄色に塗られている範囲が「サント・リュシー」自体の自治体範囲で
その中に「サン・タンドレ」「ポッジオ」「キウザ・ロンガ」「キウザ・デイ・フラーテ」
などの「あざ」があり
さらに周辺部にも「サント・リュシー」の下に
「オルミチア」「サン・バスティアーノ」「ペラテッラ」「アラージュ」「コスティオーロ」
その他の準自治体がある

この集落自体はコルシカ島内いたるところに見られる典型的な山里だが
村の入り口辺り「Chiusa Longa」地区にかつての女子修道院の建物がある


『Ancien couvent de Saint-François 旧聖フランシスコ女子修道院』

Photo by Ⓒalta-rocca-tourisme

Photo by Ⓒalta)rocca-tourisme






一棟だけ残る回廊部分に向き合って




修道院聖堂がある
この建物は現在は村の文化センター

修道院聖堂内部


入り口近くの壁に
十字を切る際に右手指を湿らす聖水を入れる大理石製の「聖水盤」が壁に架かっているが
人の手で支えているような意匠で作られているのが大変ユニーク


こういう角度で見ると地形がうあ間合いであることがよく分かる
そして
当然ながら村の周りはオリーブの木々

オリーブの枝越しに見る村の全景

そういえば村の縁取りもオリーブの木々



ということで
ここからもう少し離れたところ「Chiusa dei Frate」地区に
かつての「Molino de Aceite(オリーブ搾油所)」が残っていて博物館になっている

『Molino de Aceite Eco-Museum』

コルシカ語の「Molino モリーノ」はフランス語の「Moulin ムゥラン」で
英語「Mill ミル」つまり風車や水車のことで
より正確には挽く機械のこと
コルシカ語の「Acete アセト」はスペイン語と同じでオリーブ油


すぐ横はオリーブ畑


地上スレスレに収穫用のネットが張ってあった
この搾油所の中がオリーブオイル博物館



オリーヴの実はこの「弾み車」のついた機械ですりつぶし



荒い麻の繊維の座布団のようなシートに広げ
それを何枚も重ねて
圧搾機で絞る



昔は素焼きの甕に保存した

村自体はバラ色でとってもチャーミングだ


この写真の右上に時計が写っているのが
この村の教会『聖リュシー教会』



自治体としての「サント・リュシー」の面積は25km2 もあるが
人口は500人もいない
しかも標高が60m台から850mを超えるので大きな高低差があり
道は綴れ折り
その一角の古からの共同パン焼き窯が残っている


前に回って正面から見ると



横の木に妙な彫刻が施してあるのが残念だが
未だに現役らしくススが付いているし
少し離れてみると



蒔も積んである



水道などなかった頃は必需品だった共同の水場も


共同洗濯場も残されている

非常に愛らしい礼拝堂もある
『聖ロカ礼拝堂』

『Chapelle Saint-Roc』





「サンタ・ルチア・ディ・タラーノ」のすぐ北側「ポッッジオ地区」の北側山間に
12世紀「ピサ」統治時代(ロマネスク時代)の名刹がある
『サン・ジャン・バティスト・ド・ポッジオ・ド・タラーノ』

『Chapelle Saint-Jean-Baptiste de Poggio de Tallano / 
San Ghjuva Batissa di Poghju di Tallà』



この写真は広角レンズの魔法で
実物はこんなに大きくはない




軒下の刳り型模様は典型的なロマネスク時代のピサの教会建築の特徴です




非常に小さな礼拝堂だが礼拝堂内部の床の修道僧の墓の発掘その他
現在鋭意復元作業が続いている


とりあえず床の修道僧たちの墓は血うさが終わって埋め戻され
壁も修復が終わり
痛んでいた天井は張り替えられた


「サンタ・ルチア・ディ・タラーノ」から南に直線よりで10km
渓流沿いの山道なので迂回が続くから実質的距離は倍くらいになるが
「リッツァネーゼ川」の上流支流「フィウミッチコーリ川」の流域に温泉がある
『Source de Caldane カルダンヌ温泉源』

『Bains de Caldane』

なんと露天風呂


普通の住宅地の道路沿いにゲートがある
「カルダンヌ温泉」
「スポーツ・ジム」「ミニ・ゴルフ」「トレーニング・サーキット」「マッサージ」
「レストラン」
という表示があって一応「スポーツ健康ランド」のようなタイプで私企業の経営

上の写真のゲートを入ってくるとここに着く




更衣室兼ロッカールームが7部屋


浴槽プールは大小五つ
更衣室の前に横長いプールと
それに直角になる二つ


この写真は現地の案内ポスターの写真を写したもの

扇型の小さくて深いものは湯温が高い


普通ヨーロッパで温泉というと
鉱泉水のプールに入り
それを飲み
理学療養を受けるタイプがほとんどだが
この温泉はヨーロッパでは珍しく湯温が38度以上あるのです
純粋に「お風呂」を楽しめる


見知らぬ同士も同じ湯に浸かればお友達
混浴ですが当然水着着用です

夏季は夜間も営業




とはいえ
夜はレストランで食事するお客がほとんどです


コルシカの島の形のボードに
「さあ皆さん楽しくお湯の浸かりましょう」
みたいな宣伝文句が掲示されておりました

この項続く
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご意見ご感想をお寄せください
具体的な旅行の計画や手配などに関心がある方は次のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 17 < ボニファチゥ を発ち サルテンヌ へのルート 1 > 最南端から 西側を北上する

2021-09-15 00:52:25 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「サルテ(サルテンヌ)」

地中海からいきなり切り立った高山コルシカ島は
海の国であり山の国
地球の自然がそのまま残って「イル・ド・ラ・ボーテ 美の島」と呼ばれる



「ボニファチゥ」から西に4kmほど行くとキリスト教の聖地がある
『Ermitage de la Trinité』


天辺に十字架の立つ巨岩が遠くからでも見える
それが目印




イエスが処刑されてまだ400年の時代に
イエスが実践した「砂漠での断食」その他の苦難を追体験しよう
と志す隠者たちが住み始めた場所


その静寂と無垢の地に12世紀に「ベネディクト会「の修道会ができ
その後
「フランシスコ会」が受け継ぎ「キャプシーヌ会」へと受け継がれていった


その間
北アフリカ現アルジェリア北部の「Tibhirine」での修道僧の殉教事件の聖遺物
がもたらされ
その地の大聖人「聖アウグスティヌス」や「トラップの聖女フランソワーズ」
などの関係で中世以後近世近代と巡礼者が訪れた
現在は「Notre-Dame de la Trinité」という礼拝堂が残るのみだが







標高200mのこの地から「ボニファチゥ」の遠景が見晴らせる




その辺りを過ぎると『ファガーリ』という自治体の圏域にはいる
「フィガーリ」には空港があり二大都市「アジャクシオ」「バスティア」以外で
夏の間はパリその他の都市から定期便が飛んでくる


空港は「ボニファチゥ」から北西に18kmほど
町は山里だがほんの少しだけ海岸線も市域に入っている
ダムがあり島の南端の水瓶の役割を持つ

『Barrage de Talza de Figari フィガーリのタルザ・ダム』


海岸近くを通る「ボニファチゥ」からの東西に走る国道から
北に入る「フィガーリ」に向かう県道を挟んで
東側に「タルザ湖」西側に空港
その空港から3kmほど下ると南北に細長い「フィガーリ湾」に至る
その湾の始まる辺りにある「ピアノットリ」村のジェノヴァ時代の塔が


『Torra di Cardalellu』

市域には
湾以外外海に向かった海岸線はそれほど長くはないが
幾つか美しい海岸線を持つ




そのまま海から離れた国道を15kmほど進むとまた海の前に出る
その辺りには大きな岩が露出した奇観が続き
『ロッカピーナ湾』という名の小さな湾沿いに『ムトーリ』という岩とマキだけの
人の住まない数10haの海岸地帯で
「ライオン岩」と呼ばれる岩や「Megalithes メガィット(巨石文明遺跡)」がある

『Lion de Roccapina ロッァピーナのライオン』

これがなぜライオンかというと


ほらアップで見ると体温でしょ
しかも頭に王冠を載せたような姿


その王冠もジェノヴァ時代の塔の残骸
メガリットといえば

『Dolmen de Cauria (カウリアのドルメン)』


ドルメンだけではない

『Alignement de Palaggiu パラッジゥの列柱』



線刻画のあるものも



「カウリア」はすぐ横にある標高380m程の山の名前

この国道はライオン岩辺りで急に直角に曲がって北上すること15kmで
『サルテンヌ』に至る

『Sartène』

小さな川「ロレト川」にかかる橋を渡ると山肌にへばりつくように広がる
「サルテ(仏語表記サルテンヌ)」の町に入る
町の中心は教会前の広いテラスの広場

『Piazza Porta ポルタ広場』



正面に見える教会は別の教会で「聖ドメニコ」

コルシカ独立運動の父「パスカル・パオリ」

『Ghjesgia Santa-Maria Assunta 受胎告知の聖マリア教会』


『Hôtel de Ville 市役所』
この市役所の向かって右の大きいアーチが旧市街に入る門





市役所のをくぐり抜けて旧市街に入ってすぐが一番広い通り


ちなみに市役所の左側のアーチは物産店


コルシカ特産の蜂蜜やチーズ
ドライソーセージ等が並ぶ



一番広い通りも奥まで行くと狭くなり
あとは路地のような階段ばかりの旧市街












実は中世のある時期この町の有力二家系が常に抗争状態にあり
これらの狭い通りを挟んで
相窓から銃撃戦を行ったりした時代があるという






そして内部の一角の壁にかけられた怪しげな十字架と鉄鎖


そしてこれこそが
この教会をコルシカで一番有名にしているものなのです
実はこの「サルテンヌの受胎告知の聖マリア教会」が
島で一番期限が古く
もっとも名高い「贖罪の十字架の道行き」の贖罪行進を行っているのです

『U Catenaccio』

時は春
毎年の聖金曜日(イエスが処刑された日)に
「Le Pénitant Rouge (le Grand Pénitant 大贖罪者)」が足に鉄鎖を巻きつけ十字架を背負って
「Le Pénitant Blanc (白の贖罪者)」に解除されながら
8人の「Les Pénitants Noirs (黒い贖罪者)」をを引き連れ
1,8kmの行進をするのです


儀式の開始まで紫の布に覆われて祭壇上に飾られている十字架は
高さ3,5mで重量35kg



革ベルトで足首につける鉄の鎖は18kg

「Le Grand Pénitant (大贖罪者)」は自発的希望者で毎年1名
教区司祭と本人以外「誰」であるか知らない
目の部分だけ小さく穿垂れた穴だけの三角頭巾と貫頭衣は真っ赤
「Pénitant Rouge(赤い贖罪者)」と呼ばれる

「Pénitant Blanc(白い贖罪者)」は
ゴルゴダの丘を自分が架けられる十字架を背負って登るイエスが
力つき始めた時に
ローマ兵に介助を命じられた近くの見物人を表す
今でも「ペニタン・ブラン会」という修道会がある
「ペニタン・ルージュ」の代わりに時たま十字架を背負って助ける役目

「Penitant Noir」は
ローマ総督ピタトにイエスの有罪を申告した「イルラエル立法会」の面々を表す
街中の更新の際は黒い天蓋を捧げて従がう


いよいよ教会から外に向かう
この「赤い贖罪者」は一生に一度しか行うことができない
志願が通れば大変な名誉とみなされている





イエスと同じ様に途中で3回転ぶ


その度に「白い贖罪者」が解除する




「黒い贖罪者」達が「十字架降架後のイエス」を乗せた台と天蓋を捧げもつ




夕刻に教会を出た「十字架の道行き」の贖罪行列は途中で夜になる
コルシカ各地で行われているこの行事『U Catenacciu ウ・カテナッチゥ』の中で
ここ「サルテ」のそれが最も古く最も名高く最も格式がある

この日から翌々日の日曜日「復活の日」まで行事が続くのです
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想ご意見をお寄せください
旅行自体を皆生くされたい方は以下のサイトにもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 13 < ボニファチゥ 3 >

2021-09-06 00:59:31 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ファッジ湾

コルシカ島は人の手が作り上げたものではなく
地球創生期からの野生の地形と自然が残っているので
『Ile de la Beauté 美の島』と呼ばれる



前回の続きで「ボニファチゥ」を堪能していただきます
周辺の海の観光の続き


このアーチをくぐって左に向きを変えると
 操船技術に慣れている地元の遊覧船以外はカヌーやカヤック
ジェットスキーでしか入れない一番人気の洞窟


『Grotte du Sdragona スドラゴーナ洞窟』

海面の動きを図って波が低くなった瞬間に
後ろ向きに全速力で入る
後ろ向きだと舵が前になるのでとっさの変化で対応できるから


中は一瞬薄暗く感じるが上から光が差し込んでくるのに気付き
上を見上げると


海洞の天井に
なんと「コルシカ島」の形で穴が空いている


Photo by ⒸGoogle Map

地上にもしっかりと島の形で穴が開いているのがわかる
さらに


真ん中に船がいるのが見えるでしょうか
そこを通り抜けると別世界
外海の波を全く感じない
海面が鏡のように平らで静かな入り江があるのです

『Cirque de Fazzi ファッジ圏谷』

かつてコルシカの海賊たちが
ジェノヴァやピサあるいはスペインの戦艦を発見した時に逃げ込んで
隠れたところ

Photo by ⒸGoogle Map

外海から完全に姿を隠すことができる複雑な湾


『Plage de fazzi ファッジ浜』



さて沿岸から離れて少し沖に南下してみよう
ボニファチゥから南東に10kmで『ラヴェッジ諸島』という島々がある


Map by ⒸGoogle Map

地図左上の「ボニファチゥ」があり
右端の縦に3つ並ぶ島々が『Archipel de 'lIle des Lavezzi ラヴェッジ諸島』
主な島が6島
岩礁を入れて23の島々からなり
一番上の小さいのが『Ile Ratiu ラティウ島』
大きな二つの北側が『Ile Cavallu カヴァルゥ島』
一番南が『Ile Lavezzu ラヴェッズゥ島』


『ラヴェッジ灯台』



ボニファチゥから30分くらいだったか
夏のシーズンは1時間半に一本くらいの頻度で船が30人ほど乗客を運んでくるが
帰る人も当然いるので




限られた砂浜は人が結構たくさん溢れるが
小さな島で非常に入り組んでいるので少し歩き回れば


自分達だけのビーチを確保することは意外と容易い



体高5mはゆうにある巨大な像岩もあったりする


一番標高の高いところで30m
ほとんどは海抜1mの世界です






美しい海と奇岩の数々を眺めていると
楽園というものがあるとすれば「ここ」にちがいない
と思えてくるのです



墓地があった
しかし今この島には定住民はいない


でも場所柄貸別荘や分譲別荘はある
しかし
この「ラヴェッズゥ島」がフランスの人が住む最南端と言われている

では再び「ボニファチゥ」の町に引き返そう


細長く切れ込んだ湾「カランク」に入り口



岬の先端の上から見下ろすとこう見える
港に向かって進んで行こ途中
まだ旧市街まで間があるあたりに海面の高さに小さな洞窟が幾つかある




これらは波が岩盤を侵食して穴を穿ち
岬の下をくぐって反対側(外海側)まで繋がっているのだとか

先回この港には超大型クルーザーが停泊していることが多いとご紹介した


すでに大型船が見えてきた
どんな船が見られるかはその時の運しだいと言うことで
例えば



後部に上陸用モーターボートの格納庫があるなんて初めて知ったことでした



外洋航行ようのソナーうあ高度なレーダー装置が禍々しく乗っかっているのです


こうなるともはや客船です




最新型のヨットもいたりして


これは繊維製の帆を張る必要のないポールと腕木だけで走れる
最近中も越されているハイテクのヨット




波止場のレストランで目と鼻の先にこんな光景を見ながら夕食を取るって
結構浮世離れしてて楽しいですよ


上と下とはきているがカラーリングが違います




小さな一人乗りヨットで世界一周するヨットマンも居るけれど
広い寝室にはキングサイズのダブルベッドが備わり
浴槽のあるバスルーム
途方もなく広いリヴィング・ルームにダイニング・ルーム
ゲーム室にゲスト用の寝室多数
サンデッキも上中下にあって
当然クルーようの部屋もある
なんてクルーザーで嵐でもほとんど揺れずに大洋を横断する人たちがいるのです

さて城塞ですが
城門をくぐって中に入ったらすぐ振り返ると博物館になっています

『Bastion de l'Etendard 連隊稜堡』

つまり外から見上げた大きな部分が「連隊稜堡」と名付けてある「橋頭堡」で
砦とか出丸みたいな意味です
中は




上と下は台所の再現



最近になって城壁の修復が急ピッチにす数でいるようで


かつてこんなだった部分も今では


こんなになって





ずいぶん立派になりました





岬の先端に近い人の住んでいない方から旧市街の方を振り返ると






では今度は城門を出て
港に降らずに正面の高台の方に行ってみよう


まずこの角度の写真が撮れる
さらに進むと


こうなって


ボニファチゥの砂粒の上からも


ちなみに「砂粒」は船から見るとこうです

さらに離れて行くごとに


見え方が


変わってゆきます



では次回はボニファチゥの素敵なホテルをご紹介することにしましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想ご意見ご要望をお寄せください
旅行に計画立案や手配案内等にご興味のある方は以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 12 < 最南端の白い断崖の上の町 ボニファチゥ 2 >

2021-09-03 00:15:30 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「ボニファチゥ」旧市街

コルシカ島は人の手が作り上げたものではなく
地球創生期からの野生の地形と自然が残っているので
『Ile de la Beauté 美の島』と呼ばれる


先回に引き続き「ボニファチゥ」で旧市街の中を歩いてみることにしよう


城塞の中の旧市街は道が狭い


おそらくこの道が一番広い道



あとはどの小径もとにかく狭い


そして建物に玄関のようなものがなく
いきなり狭い急勾配の階段がむき出しで上のフロアーに登って行くと言う形が多い
この建物の上階は郵便受けから判断して二世帯なのだろう


さらに狭い路地では両側の建物を支えるために
あたかも
高くて重い石の天井の負荷を外に逃がす教会の飛び梁みたいな腕で
支え合っている





こんな路地に席を並べたレストランはとてもエキゾチックだ


このレストランの二階の窓の中で


コルシカ特産の生ハムを作っていた
上から吊るした乾燥途上のもも肉から脂肪が滴るのを防ぐために
下部をアルミホイルが覆っている


狭い旧市街だが教会も幾つかある
そのうち

『Ghjesgia Santa Maria Maio 偉大な聖マリア教会』






例の城門を入って正面の
旧市街で一番直線で長い通り「Rue Lonque(長通り)」は
かつて「Rue des Deux Empereurs 二人の皇帝通り」と呼ばれていた


4番地のこの家には1541年10月3日から6日まで
ドイツ皇帝でスペイン王、フランドル伯にしてオーストリア大公、ローマ王でモロッコ王
『シャルルカーン(カール大帝)』
が滞在した


7番地のこの家には
まだ皇帝になる前の南コルシカ義勇軍を率いたフランス革命軍中佐『ナポレオン・ボナパルト』
が1795年1月22日から3月3日まで滞在した
ちなみにこの家は
1721年までナポレオン家がボニファチゥに所有していた家だった

岬の上の旧市街は
先端に行くほど人家がなくなって最後は墓地がある
この旧市街の墓地は典型的な地中海世界の形式で残っている

『Cimetière Marins de Bonifacio ボニファチゥ船員墓地』

何箇所かある門の一つを入ると
そこは独立した一つの町のような雰囲気


墓石や墓碑ではなくチャペルがまるで家並みのように連なる


基本的に漁民であった彼らは家族や親戚の絆が非常に強く
一族の全員を一箇所に祀るために巨大な墓所を作るのが地中海民族の慣わしだった


扉の中にはまるでコインロッカーのように仕切られた壁があって
一人々々の棺を別々にそのまま縦方向に入れるスペースがあり
それぞれの扉を閉めるのです

墓所が大きければ大きいほど有力者の家系ということになっていたらしく
中心都市「アジャクシオ」の墓地には
敷地の入り口付近にちょっとした村の教会ほどもある墓所が
幾つか立っていたりする


色が塗られているが屋根も壁やその他と同じ石造り








岬の最先端には
先回ご紹介した『Gouvernail de  la Corse コルシカの舵』
に当たる部分の岩盤をくりぬいて
第1次大戦後に作られたトーチカが残っている


入り口から階段を降りてアーチをくぐると


延々と一直線に地下50m程まで下る



やっと水底のトンネルに出る


その水平通路にはここかしこに房というか小部屋があって


当時の機械類や


兵達の装備や
武器弾薬を貯蔵する場所になっていたらしい



砲台まで砲や弾薬を運んだトロッコの台車が残っていたりして


最先端の砲台に出る


足元にはトロッコの線路も残る


左端にコルシカ最南端の岬も見える
(ボニファチゥの町自体は最南端よりほんの少しだけ内側)


砲台の開口部から外の「舵」の上に出ることは禁止せれてはいないけれど
やってはいけません


船で海から見た砲台と「舵」

地下ついでにもう一つ興味深いものをご紹介しよう
実は脆い石灰岩とはいえ岩盤だけで出来ている岬の上の生活圏から
岩を貫通して井戸を掘っているんです

その前に
旧市街の断崖絶壁に一直線の階段が切り込まれていることに注目
『アラゴン王の階段』と
呼ばれている

『Escalier du roi d'Aragon』


1420年
アラゴン(北部スペイン)王アルフォンソ5世は
かつて教皇ボニファティウス8世がアルフォンソの先祖に
ボニファチゥ(ボニファチオ)の譲渡の口約束をしたことを根拠に領有権を宣言し
攻め込んできた
5ヶ月の包囲戦にジェノヴァ側のボニファティオは町を守り抜き
スペイン側は包囲を解いて退却した
その戦闘の間に
町に攻め込むためにアラゴン国王が「一夜にして」掘らせた階段
という言い伝えがある



実際にはアラゴン王とは無関係で
スランシスコ会修道僧たちが岩の根本にある井戸の水を汲みに行くために
人力で長時間かけて岸壁を切り刻んで作ったもの


ほぼ45度の勾配で187段の階段



海面近くまで降りると井戸の位置まで水平に通路が刻まれている





よく見ると黒く空いた洞穴の上に右から左へとなだらかに回廊が通っており
やがて井戸のある洞穴に至る
写っている黒く見える洞穴は別のもの


穴から通路を見る
現在こられるのはここまで

『Puit de Saint-Barthélemeu 聖バーテレミーの井戸』

今では飲料には適さない水があるそうだがこれは今は見られない
その洞穴をさらに奥まで行くと地下池があるそうだ

この横穴の長さ140m
そこに17世紀に上から縦に井戸を掘った


17世紀の直径3メートルの縦坑の周りに
19世紀に螺旋状に階段を掘って付け加えた



地下の池はこんな風で上部に縦坑野」開口部と階段も見える
現在はこの」縦坑も一般の観光にはオープンされなくなった

この「聖バルテレメウの井戸」のように断崖には洞窟がいくつもある
そのうち船で見て回れるものを見に行こう

『Grotto de Chapeau de Napolèon ナポレオンの帽子洞窟』


ナポレオンの帽子の様に見えませんか




奥に二つの横穴が見える
その左の横穴に入れる




岸辺の岩肌には鐘乳石ができかかっている


水はあくまでも透明
では今回はここまで
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご意見ご感想をお寄せください
旅行の計画立案や予約や案内などに」関心がある方は以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 11 < ポルト・ヴェッキオ から 最南端の ボニファチゥ に向かう >

2021-09-01 00:41:32 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「ボニファチゥ」 旧市街


海から突き出た高山と言われるコルシカは
大陸形成時代からの野生の姿が残るが故に『Ile de la Beauté 美の島』
と呼ばれてきた



「ポルト・ヴェッキオ」を出てすぐ北西に5〜6km『Araggio アラッジオ村』
の背後に迫る山を登ること30分
標高245mの山頂に「ポルト・ヴェッキオ湾」を一望にできる古代遺跡がある
『カステッドゥ・ダラッギゥ』


『Casteddu d'Araghju アラギュウ城塞』

紀元前4000年以前の青銅器時代に
コルシカ島南部に独自の巨石文明を築いた『Torreans トーレ人』が
ここに城塞型集合住居「カステッドゥ」を造った


入り口


大雑把に楕円形の頑丈な城壁のような形状で
その城壁の要所要所に小部屋があり
大きめの部屋を城壁でつないだような部分と
城壁の厚みを利用してその中に小部屋を作った部分とがあり
家族単位の住居だったりサイロ(穀物蔵)だったりしたらしい

案内板

入り口のすぐ近くに案内板があり構造がわかるようになっている

入り口を入って振り返った内側からの眺め


以前のシリーズ「プロヴァンス」の際に
「ボリー」という石造りの小屋でご紹介した「乾積み」構造で作られている
つまり漆喰や粘土やセメントなどの接着剤を用いない
石片を積み上げてゆくだけで作り上げる建造物












ここは結構長い廊下のような通路のような部分の奥に
右に曲がり混んで他より広い「部屋」がある



この「部屋」には窓もある
数家族の共同住宅だったであろうこのような「カステッドゥ」は
殺しかの南部には他にも残っている






遺跡から下る途中の山腹から「ポルト・ヴェッキオ湾」を望むことができる

では
長く滞在した「ポルト・ヴェッキオ湾」を発って
島の最南端の町『ボニファッチュゥ』に向かうことにしよう


Map by ⒸGoogle Map

ポルト・ヴェッキオから南下すること30分
「Bonifacio」と綴って
コルシカ語で「ボニファッチュゥ」 フランス語で「ボニファシオ」に着く


Map by ⒸGoogle Map

以前シリーズで訪れた「プロヴァンス」でご紹介した狭く
両岸が切り立った地中海特有の「かランク」の奥まったところの港と町がある

Map by ⒸGoogle Map

カランクの一番奥の港のところは低地で
白く太めで表示した道路が囲む内側のベージュの部分にレストランやお土産屋などが並ぶ
その道路から左側の横に伸びる全体が小高く切り立った高地
その中のベージュに表されている部分が旧市街になる

 上の地図の右上の道から下りてきて港に到着する


『Marina de Bonifacio ボニファチゥの港』

港の奥の突き当たりの左側から到着して最初に見える光景が


これ
この町の小さな港には大西洋を楽々横断できる大型クルーザーが
常に何隻も係留されている
その向こうに
高台の上にあるジェノヴァ時代の要塞が見える

Photo by ⒸOffice de l'Environnement de la Corse

この写真の手前の左隅に白い船が10隻ほどいるあたりから
周辺をめぐる観光船が出ているので
この町を最も美しく見ることができる絶景ポイントに行ってみよう


城塞の真下までがプレジャーボートの港
その先に
この写真ではたまたまいないがサルデーニャ島へのフェリーの発着埠頭がある




岬の先端は居住区はなく
墓地と「外人部隊駐屯地後」と第二次大戦中のトーチカなど
先端を左に回り込んで行く
この写真の岬の右下先端が『コルシカの舵』と呼ばれる


まるで「舵」そのものでしょう
この岩の中には第二次大戦時のトーチカがあるがもう少し後にとっておきます

「ボニファチゥ」一番の絶景が





1時間半ほどの船の絶景巡りも後にとっておいて
まず町を見てみよう


城塞に向かって港の左側の岸壁にレストランやお土産屋が軒を連ね
お店のすぐ前の岸壁には夏の間レストランのテラス席が並ぶ
上の写真の等幅の白い屋根がそれ


レストランの並ぶ通りを城塞を背に見る
左が右のレストランのテラス席


同じ道を波止場側から見る


逆に城塞の方向に向いて



同じ波止場を上から見た夜景




ここのテラスで港側の席食事をすると水面かクルーザーまで目と鼻の先


ここまで波止場の道を進んで左に入った小さな広場から



突き当たりから右に
波止場の建物の並ぶの背後の高台に登るスロープがある

『Monte Rastello ラステロ坂』途中から上を見る

上と同じ位置から下を見る

格好長い石畳の坂道の下半分にも左右にレストランや
気の利いたブティックがあったりする



これを登りきると


ヘアピンカーブの車道の折れ曲がるところに出る(少し石段が見える)
車道を横断して右斜めに斜面を登る


ジェノヴァの城塞の城門に向かって折れ曲がってぼってゆく


これを登りつめて左に曲がり



さらに登りつめて城門に向き合う




これを入ると「ボニファチゥ」の旧市街だ


上の城門を入って振り返る
跳ね橋をスムーズに開け閉めするための滑車のような仕掛けが左右に見える
この城門を入ってすぐ突き当る



そこでさらに右に直角に曲がると


もう一つの城門
同じような滑車のシステムがある
これで旧市街だ

中に入るとすぐ狭いエキゾチックな通りがあるが
ひとまず左に曲がって
海を見下ろせる角に行ってみよう

写真中央あたり
丸い塔のすぐ左に石で組んだテラスの壁が見える
それより左にある建物は崖の縁にそのまま立っているので通れる通路などはない




ちなみに右端のロッジア(吹き抜けのテラス)のある建物は
六十年代まで活躍した往年の大女優の引退後の家だったそう

そこから見ると


港の側と外海と
ボニファチゥの岬の両側の海を一度に見ることができる
ちなみに一つ前の写真は正面の高台から撮ったもの

右前方に見える丸い岩は


何千年前か何万年前かに上から海中に崩落した岩の名残で
『コルシカの砂つぶ』と命名されている

『Grain de Sable de la Corse』
砂の一粒...
すぐ左の岩は斜めに落下したことが風化して現れている堆積の線でわかる

海は青く断崖は白い
実はコルシカ島はほとんど99,99%が花崗岩の塊で
南端の「ビニファチゥ」のところだけが石灰岩なのです


海は葵というものの
海底が白い岩なので岸に近い浅瀬は緑に見える
人家が連なるこの断崖絶壁には一部陥没したところがある


これが崩落したのは一体いつ頃の時代のことだろうと考えると恐ろしい


よくこんな岩があるが
そんな心配を起こさせる光景だ


=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想やご意見ご要望をお寄せください
旅行の計画立案や手配案内などに興味のある方は以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 5 < ポルト・ヴェッキオ > 東海岸で 一番たくさん 美しい海岸を持つ半島と湾

2021-08-18 00:41:54 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ポルト・ヴェッキオの「タマリッチウ海岸」

「地中海から突き出した高山」コルシカ島は
人間が作った美ではなく
地球の野生の美しさを保っているから「Ile de la Beauté 美の島」
と呼ばれてきた



Map by ⒸGoogle Map

(この地図で緑色の部分は平地というわけではなく緑地を意味し
緑でない部分は高山や荒れ地などはほとんど植物相の無いところを意味する)

「ポルト・ヴェッキオ」は湾の一番奥の町だが
行政圏は湾の周囲特に東側の半島も含む
その湾の内側と半島の外海側に非常に美しい海岸が無数にある

町自体はそれほど大きく感じないがコルシカの3番目の都市

湾を見下ろすやや高台に旧市街が広がる



町中には
ジェノヴァ統治時代のまだ小さな町を囲む城壁の城門(市門)が残っている


『Porte Génoise ジェノヴァの門』
当時の町の外側から見る市門


内側からだとこうなる

この「ポルト・ヴェッキオ」の湾と半島東側の外海に
コルシカでも最も人気のある浜辺が集中している


Map by ⒸPlages.tv

特に美しい人気の高いビーチが
「パロンバッジア」「サンタ・ジュリア」「ピナレッロ」「タマリッチゥ」
「カラタッジオ」「ポルト・ノーヴォ」
等である

順番に訪れてみよう
どの海岸もほぼ共通の状況として海沿いの狭い間道を行くと
海岸名の矢印がいきなり出てくる
適当に車を止めて雑木林を進んでいくといきなり美しい海岸に出るという寸法

「ポルト・ヴェッキオ」周辺で一番名高い海岸は
『Plage de Palombaggia パロンバッジア海岸』


こんな感じで浜辺にでる


岩のひび割れに根を張って
海風に耐えながら生き抜いてきた松の姿が『美の島』のエッセンスなのです


この角度の写真が「パロンバッジア」として目にする機会が一番多い










浜辺自体は結構長く
6月半ばから9月半ばまでの三ヶ月以外は
茶店のような人工物は一切姿を消してしまう

Photo by ⒸTonmag.fr


「パロンバッジア」のすぐ南の小さな岬を超えると
『Plage de Tamaricciu タマリッチゥ海岸』


浜辺に下りる前はこんな感じで


下りるとこうなる


湾の一番奥は白浜で


両サイドに行くと野生の松や岩場も多い


とても面白い形をした岩もある


海水は例によって限りなく美しい




海中の岩の裂け目に根付いた健気な木もあった
そして
海岸のどこにいるかで全く異なる光景にもなる





 ※

さらに南に続くその次の浜辺は『Plage d'Acciaju アッチアジュ海岸』


これまでのビーチより知られておらず素朴で静か






ここからほんの少しだけ海から離れるやや内側をの道を30分ほど走り
岬の付け根から下り坂で降りてゆくと
『Plage de Santa Giulia サンタ・ジュリア海岸』に着く

Photo by Ⓒecchio.hotels-corsica

「ポルト・ヴェッキオ」の東側の半島の東海岸を走って浜辺が見えてくると
坂を下ると細長い池があって
その池の横に細長い砂州に道にあり
砂州の先端部分が狭く池と海とがつながっている
その砂州の海側が実に美しい白砂の浜辺で「サンタ・ジュリア」というビーチ

砂州の中の道を来る時
池は見えるが海側は松林と生垣で見通せない
生垣はホテルがあるからで
しかし宿泊客でなくてもビーチにはいける





やはり6月半ばから9月半ばまではホテルの寝椅子とパラソルが並び
プラオベート・ビーチのような雰囲気だが
浜辺は長いので半分ほどはフリーに出入り出来る



ものすごく遠浅なのでボートのための長い桟橋がある
水はほぼ透明で浜辺の砂は真っ白



ホテルは砂州の中ほどにあり付け根と先端部に岩もある











今度は「パロンバッジア」から北側に行ってみよう
北隣のビーチは『カラタッジゥ』


『Plage de Caratgju』


その他のビーチと同じで林の中に浜までの道がある


この浜は「野生の海岸」というイメージが強い




白浜もあれば


玉砂利の海岸もある


海水の透明度も他に負けないほどに澄み切っている

Photo by ⒸU Pirellu
こうして遠景で見るとコルシカの「野生の海岸」のイメージが伝わると思います


今度は『Golffe de Porte-Vecchio ポルト・ヴェッキオ湾』
の内側に入ろう

Map by ⒸGoogle Map

いくつかあるうち「カラ・ロッサ」「ベベデットゥ」をご紹介しよう

まず『U Benedettu ウ・ベネデッテゥ海岸』



 中央部は白砂の浜で業者の寝椅子と傘があり





左右に行くほど岩場になる



こういう岩場の影の極小の砂浜が狙い目



「ウ・ベネデットゥ」の北東の先端あたりが
『Cala Rossa カラ・ロッサ海岸』

「Cala=一隅」「Rossa=赤い」
小さな岬の角に赤い岩が露出していて船からでもすぐ分かる場所
ということでこんな名前がついたそうだ


小さな岬の中は松林で別荘用コンドミニアムと大変素敵なホテルがあり
岬の入り口にはゲートで(昼間は開いている)
コンシエルジュが居るので入りにくいが普通に入れるのでご安心を




=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想やご意見をお寄せください
実際に旅行にご興味のある方は以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 4 < アレーリア から バヴェーラ峠 を経て ポルト・ヴェッキオ へ > 古代ローマ都市 と 高山と

2021-08-16 00:22:59 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : アレーリア『ディアナの塔』

「地中海から突き出した高山」コルシカ島は
人間が作った美ではなく
地球の野生の美しさを保っているから「Ile de la Beauté 美の島」
と呼ばれてきた



国道が山側へ向かうのと海岸に沿って南下するのとの分岐点から
前回の5つ村々を右上に見ながら通り過ぎ
同じように山の上や中腹にある村が続く『カルタニッチア地方』の東の縁を
50km走ると『アレーリア』に着く

『Aléria』

国道の右側にほんの数メートル高くなった地形に村がある
国道で村の区域に入り程なく右に入る県道がありそこに入ると左手が
この写真の角度になる
一番右の四角っぽい建物が「マトラ要塞」で現「考古学博物館」
それに向き合って写真左手に「聖マルセロ教会」
ローマの遺跡はさらに少し向こう側

Photo by ⒸU Patrimoniu

この写真に写る左が村で中央がローマ遺跡
国道は村の左からまっすぐ来ているのがかすかに写っている


Photo by ⒸU Patrimoniu











ここに集落を作ったのは紀元前6世紀半ば
小アジアの地域紛争で逃れてきた古代のフェニキア人たちだった
その後ギリシアとの交易の中継点として栄えたようだが
考古学的には遺構は残っていない
フェニキアの都市カルタゴの時代には
ローマ以前のイタリア文化を築いた「エトゥリュスク人」との交易もあり
カルタゴ崩壊でローマの支配下に入り現在の遺跡の町が作られた
ロマーニャ地方の対岸とあって大いに栄えた

ただ全島に言えることだが
ローマ崩壊とともに「ヴァンダル族」の侵入で島中根こそぎ破壊されてしまう

その後のことは省力するが
18世紀後半まで5世紀間続くジェノヴァ支配に抵抗した独立運動の主導者
『パスカル・パオリ』の
『独立コルシカ共和国』の指揮下に入らず
抵抗運動に抵抗したジェノヴァ側の重要拠点の一つとなり
戦いの起点となったのが『Fort Matra マトラ要塞』である

『Fort Matra / Musée départemental d'Archéologie Jérôme-carcopino』

この要塞は1485年ごろにジェノヴァ共和国によって建てられた
ここに
遺跡からの出土品が集められて
『上コルシカ県立ジェローム・カルコピーノ考古学博物館』となっている

「マトラ要塞」中庭

展示室

ギリシア 赤絵だし壺 1


ギリシア 赤絵出し壺 2

古代ギリシア陶器には
赤土本体に黒土皮膜をかぶせて模様部分を赤土で表す「赤絵出し」
逆に
黒土本体に赤土皮膜で黒土部分で模様を表す「黒絵出し」
と二種類がある

クレタ 黒絵出し小壺

ギリシア 赤絵出し平杯

ギリシア 赤絵出し平杯 2

エトリュスク 馬頭杯

同 部分


犬頭杯

エトリュスク 壺

エトリュスク ライオン石像

エトリュスク ペンダント

エトリュスク 山羊 青銅


発掘現場の写真


同 2 ペットと思しき犬と一緒に埋葬


同 3 ペットの犬だけの埋葬



左にマトラ要塞 右に聖マルセロ教会


正面マトラ要塞 右聖マルセロ教会

『Ghjesgia San Marcello 聖マルセロ教会』


同内部 祭壇部

ここ「アレーリア」には「タニョーヌ川」という小さな川が流れてきて
村のすぐ近くで大きく蛇行しながら海に注ぐ
その河口を挟むように南北に池が二つ
「サレ池」と「ディアーナ池」
当然どちらも汽水池で北側のディアーナ池の狭まった出口から海に注ぐ先端に
15世紀ジェノヴァの建てた塔がある

『Tour Diana』

その海岸に素敵なレストランがありまして...

『Restaurant aux Coquillages』

シーフードてんこ盛りで出してくれるんですが個人的に気に入ったのが
これでした



では「アレーリア」を発ってもっと南下しよう

東海岸は平坦で海と付かず離れず15kmで『ギソナッチア』を通り抜ける
こんなビーチがあって

『Plage de Ghisonacchia』

ジェノヴァの塔もある



「ギソナッチア」を過ぎて

さらに15kmほど南下すると『ソレンザーラ』に着く
小さな村には不釣り合いなほど大規模で近代的なマリーナが有る他は


こんな
古いんだか新しいんだかよくわからない教会がるだけの村に
山側から『ソレンゾーラ川』が流れてくる

その渓流を遡って山国コルシカを訪れよう

『Rivière de Solenzara』

海岸の「ソレンゾーラ」から国道を離れて西へ
正確に言うと南西へしばらく「ソレンゾーラ川」に沿って山道をうねうねと登って行く




『cascade de Purcaraccia ピユゥカラッチャの滝』


『Piscine de Purcaraccia ピユゥカラッチャのプール』


幾つかの山々があるが
一番高い「バヴェーラ針峰」を中心として『バヴェーラ山塊』と呼ばれる


『L'Aiguilles de Baverra バヴェーラ針峰』

aiguille は針
見る位置により頂上が針のようにつきたっているのでこう呼ばれる
アルプスのモンブラン山塊に「エグィーユ・ディ・ミディ」という名峰があるが
同じ発想

標高は1,857mと特に高山というわけではないが
存在感は圧倒的だ





その主峰を見晴らす峠が『バヴェーラ峠』
標高1,217m


『Col de Baverra』

その峠の一角にケルンが積み上げられており
マリア様の像が飾ってあった


峠の直前にオーベルジュが一軒ある
他に食事どころがないので観光バスが停まっていることも多いが
山国の素朴で美味しい料理を味わえる

『Auberge du Col de Baverra』



コルシカ特産「イノブタ」の煮込み






山塊の山々は魅力的でそれほどの上級者でなくても登れるコースが多いので
登山家たちを引きつける





これらの山あいの県道は
ソレンゾーラから南西に山に入り「バヴェーラ峠」で下り勾配になり
数キロ走って「ゾンザ」から南東に角度を変えてまた海岸を目指す



実に爽快で車で走って気持ちの良い山道を下っていくと
また渓流があり滝もあって退屈しない

『Piscia di Ghjaddicu』

「ガッロのピッシア(おしっ○)」という愉快な名前で親しまれている滝と
それに続く天然のプールは素晴らしい


このまま山道を下って南西コルシカの主邑の一つ
『ポルト・ヴェッキオ』
を目指す
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想やご意見をお寄せください
旅行の計画と実行に興味のある方は以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 3 < バスティア から レイリア へ > 島の東側を南下する

2021-08-13 00:01:46 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「ヴェスコヴァート村」

「Ile de lq Beauté 美の島」と呼ばれる『コルシカ(コルス)島』は
島ではなく
海からいきなり突き出した高山と言われる



上コルシカ県の県庁所在地「バスティア」を出て南に下る
島を海岸沿いに時計回りに回ってみて行こう
時折内側の山国に入り込みながら

国道198号線はバスティアから10kmほどで住宅密集地が途切れて平らな視界が開け
左側は海
右側は山

Map by ⒸGoogle Map

その頃から左側には沼沢地になる(道から離れているので見えない)
「ビグーリア池」
その先に空港がある(地図の買い物マークのところ)
バスティアから来て国道の空港と反対側(右側)の山の上に集落が見える
『ボルグゥ村』
標準フランス語で「ボルゴ」だがコルシカ語では「ボルグゥ」


『Borgu』

例えば空港から国道に出るとすぐ目の前に見えるので
コルシカ到着第1番目に目にする「山国コルシカ」の光景になる

『Eglise de l'Annonciation de Borgu ボルゴ受胎告知教会』

同 鐘楼と後陣


同 北側側面

同 南側側面

同 西側正面ポルタイユ

村の通り


村の家



村の中から山側を見る


村の西側から東の海を見る

下に幹線道路と「ビグーリア池」とさらにその向こうに海
海の中に見える『ピアノーサ島』(イタリア)はわずか40km

※  ※

そのまま国道を南に1km半進むとまた右手の山の上にも同じような光景が見えてくる
『ルチアーナ村』


『Lucciana』




バラ色に染まった教会が見えるがそれは

『Eglise Saint-Michel de Lucciana 聖ミカエル教会』


同 内部 身廊

同 北側側面
品から見える村の全景に見える教会は南の側面
北側は土地が斜面になっており
二階席に入る階段が外側に別につけてある


階段

北側側面

南側斜め後方から


村の中心部

家々

観光収入で豊かなプロヴァンス地方の村々のように修復などされておらず
時代の年輪が染み付いた生活感の汚れ方が「コルシカ」なのです




※  ※

「ルチアーナ」を過ぎて1kmほど南下すると国道は左右に分かれる
(上の地図のT10とT20)
右に曲がる(地図上では左)と山国に分け入って島の中央部に至る
左に曲がるとそのまま海岸に沿って南下する

その分岐点からまっすぐ正面の山際にコルシカらしい山里がいくつも並んでいる
『ヴェスコヴァート』『ヴェンゾラスカ』『ソルボ=オカニャーノ』
『ペンタ=ディ=カシンカ』『カステラーレ=ディ=カシンカ』『ロレート=ディ=カシンカ』

海沿いの方の国道を通るので右奥になるが
少し奥まっていて国道からは時折見えにくいこともあるが
そのような山里を次々と発見しながら走ることがコルシカの醍醐味といえよう
内側には村同士を結ぶ山道もあるが
国道から其々の村に向かう細く曲がりくねった道もある

まず「ヴェスコヴァート村」

『Vescovato』

村の東全景

村の外れの民家


中心の広場

村の下に古い橋



教会に行くには


こんな感じのアクセスがある


ごく古い時代の教会の部分を通る


内部は完全に17世紀後半古典主義というギャップが凄い

主祭壇



正面ファサードをしっかり距離をとって写せる距離はない


※  ※

次に「ヴェンゾラスカ村」

『venzolasca』

『Eglise Sainta-Lucia 聖ルチア教会』

同 正面

同 内部 バロック

同 側面入り口

『Chapelle Saint-Antoine-Abbé 大修道院長聖アントニヌス礼拝堂』

村内一景
この幅の狭い背の高い資格い家は極めてコルシカの山里的




沖にイタリアのピアノーサ島が見える


※  ※

さらに「ソルボ・オカニャーノ村」

『Sorbo Ocagnano』

『Eglise de l'Annunciata 受胎雨告知教会』


この教会は見る位置と目線の高さでかなりイメージが変わる


村の中心の広場は海まで見晴らせる位置にある

展望台広場

村自体も見る位置によってかなり違って見える
(これまでの他の村も同じだが)


こう見るとかなり小規模な村

これでは密度が散漫
そして


この位置が一番よく村の実態が把握できる
さらに
他の村も同じで村の位置から下に
海まで自治体の範囲はつながっているので
ビーチも有るのです

『ソルボ・オカーニャ村のビーチ』

※  ※

そして「ペンタ・ディ・カシンカ村」


『Penta-di-Casinca』





※  ※

また「カステラーレ・ディ・カシンカ村」


『Castellare-di-Casinca』

『Eglise de San Pancraziu 聖パンクラス教会』

同 側面


同 内部

※  ※

最後に「ロレート・ディ・カシンカ村」


『Loreto-di-Casinca』



『Eglise Saint-André 聖アンドレ教会』


このまま山岳地帯をその辺り全体を『カスタニッチア』と呼ぶ山国で
細く曲がりくねる山道を南へ分け入ってゆくと
山里の美しさに感嘆するのですが
そこは後日改めて一項を割くことにします

そしてこのまま
海沿いの国道をそのまま1時間ほど南下すると古代ローマ都市『アレリア』に到着する


そこは次回に見てみることにしよう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご意見ご感想をお寄せください
具体的な旅行に関しては以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅にプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 2 < バスティア > 北の中心都市

2021-08-11 00:21:26 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : バスティア「旧港」

「Ile de la Beauté 美の島」と呼ばれる『コルシカ(コルス)島』は
島ではなく
海からいきなり突き立った高山と言われる



コルシカ島は
右手を握った拳を親指だけ立てて内側から見ているような形をしている
左上から右下に袈裟懸け二切り捨てたように斜めの境界線で別れて
右上が『Haute Corse 上コルシカ県』
左下が『Corse du Sud 南コルシカ県』
と二つの県がある

Map by ⒸLa Documentation Française

上コルシカの県庁所在地は『Bastia バスティア』
南コルシカの県庁所在地は『Ajaccio アジャクシオ』
ちなみに島全体の首都は「アジャクシオ」

まず「バスティア」から訪ねてみよう

まず当然港から始まる


右の突堤から左が港で
フェリーが見える正面奥が新しい大きな港
左奥が旧港



旧港は他と変わらず
プレジャー・ボートと小型漁船の停泊地となっている


港に向かってすぐ奥に『洗礼者聖ヨハネ教会』がシンボリックに
港を見下ろす
港を挟んでこの協会側を「Terra Vecchia 旧市街」と呼び
古代フェニキア時代から人が住んで集落があった場所だが
教会その他仕様な建物は18世紀終わりフランスに帰属した頃に建て替えられている

港に向かい合ってすぐ左側
教会の反対側の小さな岬の岩の上に14世紀にジェノヴァ総督が館を建て
15世紀になって「Bastiglia 城塞」を建て城壁で周りを囲んだ
そこから町の名前「Bastia」が誕生することになった
その際「城塞」側を『terra Nova 新市街』と呼ぶようになった
現在も「Citadelle 城塞都市」として残っており
バスティアの「町」の起源となる

『Citadelle de Bastia』

「シタデル」を海側から見ると




塔は「Chapelle Santa Crus 聖十字架礼拝堂」



最先端

この城塞都を陸側から見れば

『Bastion San Ghjuvanni 聖ヨハネ櫓』

『Bastion San Carlu 聖カール櫓』

『Bastide Santa Maria 聖マリア櫓』

『Bastion San Gerolamo 聖ヒエロニムス櫓』

「シタデル」の港に近い側の角に
ジェノヴァ支配時代の「総督府」が建っている
現在は博物館になっていてこの外側の入り口から入れるが
総督府「Palais des Bouverneurs」自体は城壁の中からしか正面は見られない

『Porte Loius XVI ルイ16世門』

500年間に及ぶジェノヴァ支配の間コルシカ人たちは常に解放闘争を続け
住民弾圧が及ばなくなったジェノヴァはルイ15世に島を売却
フランス兵がバスティアに上陸すると
ジェノヴァからの経済的解放者として熱狂的に迎えられた
その後
ルイ16世に捧げる記念碑的城門が作られた

「Palais des Gouverneurs 総督府宮」



この「総督府丘で」の中は「バスティア市立美術館」になっている

総督府宮の中庭


『ギリシアの陶器』紀元前4世紀 アレリアで出土

『イタリア半島先住民族エトリュスクの壺』紀元前4世紀

『大理石の墓碑銘板』1〜2世紀 ルリで出土


『ジェノヴァ・アルビゾーラ・モンテルーポの彩色陶器』16〜18世紀

『ジェノヴァ共和国紋章入り総督府の椅子』1585年頃


フレデリック・ド・メルセィ『バスティアの港』1839年


リュシアン・ペリ作『バスティア遠景』20世紀初頭

イニアス・ルイ・ヴァレーゼ作『パスカル・パオリの肖像』19世紀前半
ジェノヴァ支配と戦って最初にコルシカ独立を宣言した
『自由コルシカ共和国』の初代大統領

『ナポレオンのデス・マスク』大理石 1833年

総督府宮の建物を海側に出ると城壁の上のテラスのでられる




「シタデル」の中に戻ろう

「Palazzu Zerbi ゼルビ邸」
現在1階はレストランになっているが
かつてのジェノヴァの有力者「ゼルビ家」の屋敷


『Palazzu di Nobili Dodeci ノビリ邸』

「Palazzu Viacuvile 思郷館」


『Ancienne Cathédrale de Santa Maria Assunta 被昇天の聖母マリア旧大聖堂』
16世紀ジェノヴァ統治時代のもの


同 正面を横から

身廊から内陣を見る

左が身廊 右が側廊


内陣部の天井

Leonoro dell'Aqula 作『被昇天の聖母』16世紀

この旧大聖堂に隣接してあるのが


『Oratoire Santa-Crus 聖十字架祈祷室』


北側入口

身廊

翼廊

翼廊祭壇部の天井

身廊祭壇部の天井


この礼拝堂にはパティオがある


南側入口



「シタデル」の中の道は狭い小径が多い





総督府から城壁の方を眺める

さらに
城壁を回ってみることもできる


こんな光景だったり


こんなだったり

昔の火薬庫




『テーラ・ヴェッキオ』側に戻ってみよう



「Terra Vecchia 旧市街」と呼ばれる地区のシンボルは
やはり『洗礼者の聖ヨハネ教会』


内部は他の教会と同様で
イタリアの影響が大きいコルシカならではの「バロック」と「ロココ」


聖ヨハネ教会から北に程なく
小さな礼拝堂がある
『Oratoire Immaculée-Conception 無原罪のお宿り祈祷室』




さらにその北側に
やたらに広い広場がある


『Piazza San Nicola サン・ニコラ広場』

長さ300mにも及ぶこの広場は
東側は眺望が海で大型フェリーが出入りするのがよく見える
そして
ナポレオンの遺体が「セント・ヘレナ島」からフランスに帰ってきた頃建てられた
「古代ローマ皇帝の衣装の皇帝ナポレオン」像が建っている



こちら側「テッラ・ヴェッキア」には伝統的な民家は多い


一応修復されているものも


まだ修復の手の及んでいないものも


新建築も伝統建築に準じた意匠で建てられ
同じように「オークル(黄土)」で化粧されている

では
次回から島を一周しながら各景勝地を訪れることにしよう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想やご意見などを「コメント」からお送りください
旅行の計画立案や手配、案内などに興味のある方は以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地中海の『美の島』 コルシカ島 1 < 序章 > 

2021-08-06 00:19:07 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 城塞の町『コルテ』

「Ile de la Beauté 美の島」と呼ばれる『コルシカ(コルス)島』は
島ではなく
海からいきなり突き立った高山と言われる



地中海で
「シチリア島」「サルデーニャ島」「キプロス島」
についで4番目に大きな島『コルシカ』は
面積8600km2で鹿児島県と広島県の中間くらい
南北150km 東西(広いところで)80km
人口は34万人弱

島なのですが
海岸からいきなり山岳地となり
最高峰2700mの高山のほか2000m級の山々7座を有し
「地中海に突き出した高山」
と呼ばれてきた



真北はジェノヴァで150km
北西側 ニースまで220km マントンまで180km
東のイタリアはトスカナの海岸まで90km
その中間に「エルバ島」がある

1788年にフランス王国に売却されるまで500年ジェノヴァ共和国が支配し
その前はピサ共和国
その前はアレクサンドリアの海賊の支配下にあり
その前はゲルマン民族の最も残虐だったヴェンダル族に徹底的に破壊され
その前は西ローマ帝国の領土
その前はカルタゴ...
フランスの一部になるまで一度も独立したことがなく
常に民族運動で支配者への抵抗運動や内乱が続いた

今回の「コルシカ・シリーズ」では
土地の固有名詞をなるべく現地語コルシカ語読みの表記にしてあります

一応島なのでコルシカは海だ

ユネスコ世界自然遺産『スカンドーラ海岸』


手を浸すと紺色に染まりそうな紺碧の海か

パロンバッジアの海岸

淡い透明なアクアマリンの様な海が周りを取り囲んでいる

主だった町は当然ながら海岸にある


『ボニファッチョ』

『カルヴィ』

しかし
地中海からいきなり突き出した山である以上
コルシカは山でもある

『Monte Cinto モンテ・チント』

コルシカ最高峰「チント山」は標高2,706m
地中海の暑い夏でも
北側の頂上付近の斜面の一部には残雪が見られることも稀ではない

「バヴェーラ針峰群」

「カプ・ドルト」

したがって魅力的な山里も多い

「ソヴェーリア村」

「サルテンヌ」

そして
山には湖や渓流も多い

ロトンド山塊に抱かれた「メロ湖」


メロ湖から発する「レストニカ川」


「ピスカラ・ディ・ガリュの滝」

「プルカラッチアの渓流」

「ファンゴー川」に掛かる13世紀ピサ占領時代の橋

特筆すべきは
島全体の斜面を覆う野生の植物群
潅木の雑木もあるが
多くは栗の木や仏手柑やプラムやらライチその他の野生の果物の木と
あらゆる種類の薬草とハーブと花々
それら全部の植物相をコルシカ語で『Maquis マキ』と呼ぶ

コルシカはマキ


集落を離れて自然の中に立ち
深呼吸すると
「ターメリック」「ミント」「にんにく」
などの懐かしい香りがミックス状態で漂ってくる
それが「コルシカ」

さらには
先史時代の遺跡も多い

「フィリトーザ遺跡」

 忘れてはならないことは
コルシカ島は「ナポレオン」の故郷ということ
彼の生家もあるし
各種モニュメントも多い


皇帝になる前の「第一執政」時代のナポレオン像

次回から
この「美の島」を具体的に町や村や見どころを順に
たどりながら御紹介していこう
海の幸と山の幸に恵まれて
素敵なホテルもあります

ご期待ください
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご感想やご意見ご要望をお送りください
旅行の具体的な立案や手配その他にご興味のある方は以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする