フィリピンりぱぶりっく狂笑国

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一滴の涙

2006-01-16 | フィリピン
ショーを要求された芸能人は、振付師(コリオグラファーと呼ばれている)と、練習予定の打ち合わせを行い、そのグループごとに練習が始まる。そのショー構成は、各招聘者からの要求により様々である。フィリピンの民族舞踊、モダンダンス、ブロードウエイ、ポリネシアン等様々。日本からの許可が来るまでの期間猛烈な練習が始まる。当初は、まったく音楽は無く掛け声だけの練習。そのスタジオは猛烈に暑い。振付師の罵声に、涙する者。引付を起こす者。水分欠乏症に成る者。汗だくになり猛暑の中、生温い扇風機の風を受けながら夜まで続けられる。プロダクションへ住み込んでいる者、自宅から通ってくる者それぞれである。中には練習場への通勤時間が往復7時間も要する者もいた。通勤費、食事代等はすべて自己負担が多く、練習中で1か月分の契約給料を前借でロスしてしまう芸能人もいた。練習に練習を繰り返し、音楽に合わせた本格的なリハーサルが行われる。積極的にショーを率先している代理店代表自らリハーサル内容を確認、衣装合わせまで行い仕上がり度チェックする。
 一方日本の招聘者は、オーディションで選んだ芸能人の容姿を写真撮影、請負契約先オーナー等と打ち合わせ、芸能人の組み合わせを行い、その予定にあわせ招聘者の事務所のある管轄入国管理局へ在留資格入国申請を行う。申請から許可までの期間はその入国管理局により様々である。申請後、3週間くらいから2ヶ月、中には3ヶ月以上かかる場合もある。この17年間くらいは在留資格認定証明書制度が施行され、審査の迅速化がはかられたが、やはり各入国管理局により申請提出提出書類、審査期間のばらつきが多く見受けられた。東京入管と地方入管の申請書類内容が著しく違いその期間も東京入管が非常に早いことから、地方の出演店は請負契約を東京の行者へ変更する等、入管行政が求めている、招聘者の管理監督、出演店巡回等申請時点で円滑に行えない状況でも申請を受理していた。中には、東京入管で申請、出演先は鹿児島や北海道網走。大阪入管申請で北海道。沖縄入管申請で埼玉県等明らかに入国管理法で求めている管理体制にその時点で疑問を持たれる申請案件でも許可が出された。
 在留資格認定証明書が発給されると現地代理店へ送付あるいは契約金支払いを兼ね持参した。平成2年からは、入国管理局が発給した在留資格認定証明書を、フィリピン大使館指定のトランスレーション用紙へ、その芸能人の詳細、招聘者詳細、出演店詳細、フィリピンの代理店詳細、フィリピンの所属先詳細、出演期間を英文でタイプ、在日フィリピン大使館で認証を受け、フィリピンの代理店へ届け、POEAへ海外就労許可申請を行い、在マニラ日本大使館へ査証申請を行った。ARBカードが施行された当初は、プレデパーチャーショーケースと称した試演テストが行われ、合格点に満たない場合には出国許可が出ない場合もあった。が、結果的には、この試演も不正が多く廃止される運命に。
 査証が交付され、出国準備に入る。

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