賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

結婚の物語ー彼女はいかに自分の伴侶を選んだか

2019-08-22 22:21:47 | 婚姻・家庭

   誰の人生でも結婚は一大事ですが、幸せを確かなものにするには、どうやってパートナーを選べばいいでしょうか。あなたの伴侶を選ぶ基準は何ですか。最近ではますます多くの女性が長身で裕福でハンサムな人との結婚を望み、ますます多くの男性が美しい女性との結婚を望んでいます。お金があって贅沢な物質的生活を楽しめる限り自分は幸せになれると、人は考えます。しかし結婚に関するそうした見方は正しいでしょうか。本物の幸福とはいったい何でしょうか。私たちの賞賛に値する一組のカップル、喬茵と祁正が、幸福とはいったい何かをここで解き明かします。

   喬茵は大学一年生のときに祁正と出会いました。祁正は貧しい家庭の出身でしたが、知り合ってから最初の一年間で、彼が本当に優しい男性だと喬茵は知りました。そして二人は恋に落ちました。喬茵は祁正に自分がクリスチャンであることを伝え、終わりの日の神様の福音を彼と分かち合いました。すると祁正は喜んで神様の働きを受け入れました。二人はたびたび集会に参加して一緒に神様の御言葉を読み、あらゆることを語り合いました。喬茵が祁正と一緒に過ごす日々は幸せに満ちていて、彼と出会ったことについて何度も心から神様に感謝を捧げました。



   そうした感情は間違っていたのか

   いったん二人の関係について話が広まると、喬茵の家族は交際に強く反対し、二人を引き離そうとできる限りのことをしました。それに彼女のルームメイトでさえも見通しは暗いと考えていました。しかし喬茵は他人の反対にかまわず、祁正と一緒にいる決意をしていました。彼女が本当に彼と共に人生を送るつもりだと知った周囲の人々は、「親切な」忠告を彼女に与えました。

   「いいかい、君の家庭環境は悪くないし、君は美人だ。どうして貧乏人なんかとデートするんだ。今後の人生がどのようなものになるか、考えたことはあるのか。今の我々の社会状況では、強力なコネがない限り卒業してもいい仕事には就けない。お金もコネもない人間が、どうして役に立つ人脈を持っているというんだ。あいつと一緒にいれば、君は間違いなく楽な人生を送れない。私には背が高くて裕福でハンサムな友人がいるから、君に紹介しよう。祁正と別れる気があるのなら、君たち二人には絶対チャンスがある」

   「よきパートナーを見つけることは、女性にとって一生の望みじゃないかしら。いま家や車の値段がどれくらいするか、考えてごらんなさい。着るものしか持っていない人と一緒になれば、家や車を手に入れるのに何年も苦労しなきゃならないわ。それに子どもがいればもっと苦しくなるわよ」

   「君は現実的になる必要がある。祁正は確かに君に好意を抱いているが、君たちの感情でいま飯が食えるのか。彼は君に快適な暮らしをさせられるのか。

   『食料庫が空っぽなら愛はあなたを幸せにできない』という言葉は君も知っているだろう。まだ若いうちに裕福な家庭の誰かを見つけるんだ」

   喬茵はそうした話を何度も聞いて、表向きはそのすべてを拒否して祁正と別れることを拒んだものの、心の中に疑いの種が植え付けられていました。さらに、ルームメイトの瑶瑶と小雯が入学後に何人かのボーイフレンドと付き合っていて、二人とも付き合う相手がますますお金持ちでカリスマ的な男性になっていることに気づきました。デートの場所は素敵なレストランで、たとえ特別な日でなくても、ボーイフレンドは青薔薇の大きなブーケや携帯電話やブランドものの財布といった贅沢品をプレゼントし、ときには車で送り迎えすることさえありました。それは本当にロマンチックで印象的で、嫉妬と羨望の入り混じった奇妙な感情を喬茵に強く残しました。それに気づく前から、喬茵は祁正に不満を感じ始めていました。とても親切でまったく献身的ではあるものの、日常生活があまりに堅実で質素だったのです。二人は無料の公園に出かけたり、路上の屋台で軽食を買ったりするなど、お金のかからないデートしかしたことがありませんでした。豪華な贈り物や高級レストランもありません。喬茵はそういったことに無縁でした。彼を友だちとの食事に連れて行ったときも、決まって友だちのボーイフレンドより一段劣っていました。そうしたことを考えていると、喬茵の不満はますます募っていきました。

   その間、喬茵の友だちはいつも、結婚したら家や車を買ってあげるとボーイフレンドが約束したことを話していましたが、中でも本当に気になったのが、彼女のいとこがすでに二軒の家を持っているボーイフレンドと付き合っていることでした。自分の家族がいとこのボーイフレンドと祁正を比べるたび、彼女の心は大いにかき乱されました。その後喬茵は、祁正の両親にどのくらい貯金があるかや、結婚したとして家や車が買えるかどうかを探り出そうとしました。彼女がこの話題を持ち出すたび、祁正はまったく困った立場に置かれました。そこで、両親にはまったくお金がないと小声で説明したあと、今度は大声で、将来は自分が一生懸命働いて金を稼ぐと言うのです。それを聞くたびに喬茵は説明できない怒りを感じ、彼を無視することさえたびたびありました。少なくとも数時間は腹を立て、ときにはそれが一日二日と続くこともありました。周りの人に言われたことがいつも心にあって、裕福な家庭のボーイフレンドを見つければずっと快適な暮らしを送れるのに、貧乏人と結婚して何もないところから始めるなんて損じゃないかと考えるようになりました。

   いつしか、それまで幸せだった二人の交際はとても気まずいものになり、たびたび口論になることもありました。喬茵がつまらないことで腹を立てるたび、祁正は驚くほど我慢してなんとかなだめようとするのですが、嘆いたりうめいたりして憂鬱な顔になることもありました。喬茵にはわかっていました。祁正は自分に優しいし、その彼が心を乱して何も言わずにいると、本当に申し訳なくて思わず自分にこう尋ねてしまう。こんな素敵なボーイフレンドなのに、それでも満足できないなんてどういうこと。喬茵は祁正をこれ以上傷つけたくありませんでしたが、かと言って平凡な暮らしを送る気もありませんでした。

   神様の御言葉が人間の苦しみの根源を明らかにする

   苦しみにとらわれた喬茵は神様の御前に出て、心中の悩みを神様に打ち明けました。そして彼女は神様からのこのような御言葉を読みました。「『地獄の沙汰も金次第』はサタンの哲学であり、人類全体に、あらゆる人間社会に浸透しています。この格言は人間一人ひとりに伝えられ、今や一人ひとりの心の中に固定しているので、社会動向であると言うことができます。人はこの格言を受け入れない状態から、それに慣れ親しんでいく状態に移行したので、現実生活を知るようになったとき、格言を暗黙のうちに徐々に認め、その存在を認知し、最終的には一人ひとりが格言に承認印を押したのです。この過程は、サタンが人間を堕落させる過程ではありませんか。……この格言と社会動向は人に何をもたらしますか。多くの人が金を稼ぐことは、あらゆる犠牲を払う価値があると考えていませんか。人々はもっと金を得るために自分の尊厳や高潔さを犠牲にしていませんか。」「こうした社会動向で、心身の健全さが欠如し、真理とは何かを知らず、肯定的なものと否定的なものの区別が出来ない人間は、そうしたサタンに由来する社会動向や人生観、価値観を次々と進んで受け入れてしまいます。この種の人々は、どのような人生を送るべきかに関してサタンが教えることや、サタンにより『授けられた』生活の道を受け入れます。彼らには強さ、能力、またことさらに拒否する意識が欠乏しているのです。」

   神様の御言葉は喬茵にとって突然の目覚めでした。サタンは金銭を使って人を束縛し堕落させ、「地獄の沙汰も金次第」とか「先立つものは金」といった考えや観念を人に植え付けるのだと気づいたのです。これは人生の見方と結婚への価値観を完全に歪めるものです。かつて人々は夫婦の調和を追い求め、一緒に歳をとることを願っていましたが、サタンによる人間の堕落がますますひどくなり、「自転車の上で笑うよりもBMWの中で泣いたほうがいい」とか「食料庫が空っぽなら愛はあなたを幸せにできない」といったサタンの考えを受け入れるにつれ、ますます多くの人が富を崇拝して物質的な喜びに貪欲になってきました。そうした人はパートナー探しの中で相手に金銭やコネがあるかどうかを重視し、相手が金持ちでなければ幸せな結婚はできないと考えます。そうした思考に支配された人たちはますます薄っぺらで貪欲になり、女性が金持ちなら誰とでも一緒になる一方、男性は美人なら誰とでも一緒になります。そして二人の関係が破綻すると他の誰かを探し、離婚したら再婚するだけなのです。人々のあいだにもはや本物の愛はなく、つかの間の激情や新鮮感があるだけで、そのうえ互いに利用したりだまし合ったりします。少なくない人が心破れ、自殺したり他人を殺したりすることさえまったく珍しくはありません。それはすべてサタンに堕落させられた結果ではないでしょうか。そんな形でどうやって幸せを見つけられるでしょうか。喬茵は瑶瑶というルームメイトのことを考えました。彼女は快適な暮らしを追い求める中で、デートの相手となる金持ちの男子を見つけたいといつも思っていましたが、何人かの金持ちの男子と出会い、無限の銀行口座を持つ生活がどのようなものかを経験したものの、幸せとはほど遠い状態でした。夜、意識がなくなるまで酒を飲み、あの人たちは自分をもてあそんでいるだけで誰も私を本当に愛していないと、泣きわめきながら寄宿舎に帰ってきたことも数え切れないほどありました。そしてもう一人、小雯という女子がいました。彼女は本当にきれいで、またお金持ちを見つけたいと考えていました。この何年か、彼女は多くの男子とデートしましたが、自分の望む生活を与えられないという理由でいつも別れていました。安定した関係を築くことなく、いつだって周囲の人に自分の問題を話していました。友だちの人生がどれほど苦痛に満ちているかに気づいた喬茵は、サタンの哲学を人生の土台にしたところで、幸福をもたらすことは決してなく、自分はますます堕落して悪の深淵により近づくだけだということがわかりました。



   喬茵は少し前の祁正との交際を振り返りました。二人はお互いを気遣い、信頼し合っていました。他人より優位に立とうと頑張ることもありませんでした。こうした純粋な交際は彼女に本当の気楽さと幸福を感じさせました。しかし彼女は真理を理解しておらず、サタンが人を洗脳する際に用いるこうした視点について認識力を欠いていました。周囲の人たちの言葉が彼女の金銭欲と物欲を呼び覚まし、夫は金持ちであるべきだという基準を徐々に持ち始めるとともに、そうした人を見つけることが唯一の賢いやり方だと感じるようになったのです。そうすれば必死に働く必要がないだけでなく、本当に快適な人生を送れるようになるはずです。また自分の虚栄心を満足させることができるし、周囲の人たちはみんな自分を尊敬するでしょう。祁正が自分のこうした願望を満足させられないせいで、彼女は自分が不当に扱われたかのように心を乱し、その結果、たびたび彼に腹を立てたりきつく当たったりしたのです。しかも心の中で揺れ動き、このまま交際を続けるべきかどうか確信できない有様でした。そうしたことをすべて考えたとき、喬茵は恐ろしさを感じました。サタン的な哲学に従うことで自分が苦しんだだけでなく、祁正をも傷つけていたのです。自分は愚かで薄っぺらだと感じましたが、その一方で神様の御前に出られたこと、そして神様の御言葉を読んで、サタンが人々を堕落させる手段や戦術を識別できるようになったことを喜びました。さもなければ試練と誘惑に耐えられず、結婚に関する悪しき風潮や間違った考えに従っていたでしょう。そして富や形ある物を追い求める渦に巻き込まれ、サタンによってますます堕落させられ、もてあそばれ、傷つけられていたに違いありません。

   幸せはずっとそこにあった

   神様の御言葉を読むことで、喬茵は人類を堕落させるためにサタンが用いる戦術について識別力を得ました。そしてパートナー選びにおいては神様の御心を探し求めるべきで、サタンの悪しき考えや物の見方に従ってはならないと自分に言い聞かせました。彼女はいのちの入りに関する説教の中で次の一文を目にしました。「あなたの人生観と価値観が神様の御心と一致し、真理を基にしているなら、あなたがたどる道は真の人生の道であり、あなたの人生は幸せなものになります。あなたの選んだ伴侶がサタンに属し、サタンの道を歩いているなら、そのような結婚は成立しません。それは同床異夢の結婚であり、二人とも苦しむことになります。そうではありませんか。したがって、人がどのような人生観と価値観を持っているかはとても重要なのです」

彼女はその説教から、パートナー探しにおける第一の原則は同じ価値観を持ち同じ道を歩んでいる人を探すことだと理解しました。重要なのはそれだけで、聖書に「不信者と、つり合わないくびきを共にするな」(コリント人への第二の手紙6:14)と記されている通りです。その言葉は、信者と不信者は別の道を歩んでおり、不信者と一緒になればその人から影響を受けるのは避けられず、いのちの前進が妨げられることを彼女に示しました。パートナーを選ぶにあたっては、その人の人間性と品性、その人との交際が自分の信仰に有益かどうか、二人が同じ「言語」を話して同じ道を歩んでいるかどうかを考える必要があったのです。これらのすべてを考慮に入れず、相手の外見や家庭環境にしか目を向けないのであれば、結婚したところで共通点がないために苦しむことになるでしょう。神様はいかにして無数の人から祁正を選んで自分の人生に送り込まれたのかと、彼女は考えました。祁正は有力な家庭に生まれたわけではなく、自分に豪華な生活をもたらすこともできませんが、とても親切で、神様への信仰を支えてくれただけでなく、自分自身も喜んで信者になって神様に従おうとしてくれました。サタンによる人類の堕落を明らかにする神様の御言葉を読んだあと、祁正は否定的な物事に関する識別力をいくらか持ち始め、神様を畏れる心をわずかに得ました。クラスメイトとナイトクラブに行ったりせず、機会があれば彼女と一緒に時間を過ごしました。また二人は神様の御言葉を一緒に読みました。それが同じ価値観を持ち、同じ道を歩んでいるということではないでしょうか。そのことを考えると満足の笑みが喬茵の顔に広がり、神様が自分のために采配なさったことは本当に最善なのだとわかりました。こうした幸せはどんなにお金があっても買えるものではなく、絶対に大切にしなければならないと彼女にはわかっていました。喬茵は感動しました。創造主によって選ばれ救われ、サタンによる数多くの危害と操作を神様のお導きで逃れたのは、信じがたいほどの幸運だったのです。自分は祁正と手を携えて信仰の道を歩きたい、彼女はそれを知っていました。

   喬茵が四年生のとき、父親がとても真剣な口調でこう話しました。「おまえは本当に祁正と人生を送るつもりなのか。金がすべてじゃないが、金がなければ何もない。愛情のせいで目が見えなくなってはだめだ」

   喬茵は静かに反論しました。「パパ、わたしたちの社会がいまどのようなものかは、パパのほうがよく知ってるわ。お金持ちのボーイフレンドを見つけることが本当の幸せをもたらすと多くの人は考えているけれど、そうした関係は本当の愛がまったくない富という土台の上に築かれているだけよ。そんな愛情や結婚が人を幸せにできるかしら。離婚率はものすごい勢いで上昇しているし、交際する中でお互い誠実な人なんてもう誰もいない。みんな互いにだまし合って、多くの人が空虚でつらい人生を送っているわ。お金を持つことが幸せを意味するだなんて、パパは本気で考えていないわよね。パパは私にお金持ちと結婚してほしいの、それとも私のことを本当に想ってくれる人と結婚してほしいの」

   「わかった。おまえには自分の人生がある。わたしが何をしろとは言えない」自分にできることはないと知った父親は立ち上がってその場をあとにしました。その後、喬茵の父親は二度と彼女が祁正と一緒にいるのを止めようとしませんでした。二人の関係は最初のころと同じくらい素晴らしいものになり、彼女の顔にはいつも幸せそうな笑みが浮かんでいました。ある日、彼女は祁正と真剣に話し合いました。「以前、私は真理を理解していなくて、自分に植え付けられたサタンの考えを受け入れていたわ。背が高くてお金持ちでハンサムな人を見つけることが本当の幸せだと考えていたの。神様の御言葉はそれが馬鹿げていることを私に気づかせてくれて、本当の幸せは物とか富とかを土台にしているんじゃないとわかったわ。食べ物と着る物がある限り、私には十分なの。私たちが神様に清められるように真理と性質の変化を追い求めて、心と精神を一つにして信仰の道を歩いていれば、それだけが私の望む幸せなのよ」祁正はそれを聞いて大いに感動し、安堵の笑みを浮かべました。

   その後、二人はよく神様の御言葉を一緒に読み、自分の考えや抱えている困難について打ち明け合い、自分の奥深くにある考えを共にしました。二人は人もうらやむカップルとなり、喬茵の周囲の人たちは彼女によくこう尋ねました。「喬茵、あなたと祁正の関係がとてもうらやましいわ。いつでも彼の携帯電話を見られるし、チャットのパスワードまで教えてくれたんだから。お互いに秘密がないのね。どうしたらそこまで信じ合えるの」喬茵はそれを聞くたび、二人が神様の救いを受け入れられるようご自身の家へ連れて来てくださったことに対し、神様に感謝を捧げました。また二人が誠実に打ち明け合い、正直な人となるように導いてくださったことについても感謝しました。さらに、神様が時宜を得た導きと手助けをなさったおかげで、愛と結婚について正しい見方を得たことについても感謝しました。そして今、彼女は幸せな生活を送っています。


夫婦間の不貞が生む辛い思い出から抜け出す方法とは?

2019-04-05 23:32:42 | 婚姻・家庭

信仰ステーションの兄弟姉妹の皆さんへ:

  こんにちわ、私は結婚して20年になります。私は私と夫はお互いに愛し合っていると思っていました。しかし、残念なことに、夫は浮気をしてしまったんです。私はとても憤慨していて、これとどう向き合えば良いのかわかりません。「どうして夫婦間の愛情はこんなにはかないのか?」そして、「どうすれば、この苦しみから抜けられるのか?」というのが私からの質問です。

  どうぞ宜しくお願いします、

  モーヤン

夫婦間の不貞,生む辛い思いでから抜け出す方法とは

モーヤン姉妹へ:

  こんにちは、あなたのメッセージを拝見させていただきまして、私も以前同じ経験をしておりますので、あなたの現在のお気持が理解できます。あの暗い日々、神の御言葉の御導きがなければ、私はどうやって前進して行けば良いのか分からなかったと思います。神の御言葉の御導きのおかげで、私は夫婦間の愛情がとてもはかない理由を理解し、人間の苦しみの根源を知ることもできました。次第に、私は夫に裏切られた辛い思いでから抜け出すことができました。

  私の夫と私は幼馴染の恋人同士で、同じ興味を沢山持ち、いつも会話が絶えませんでした。私の家族は彼との結婚を認めてくれませんでしたが、私たちは全ての障害を乗り越えて一緒にい続けました。結婚した後も、私の夫はとても思いやりがあって、私に気を使ってくれました。私たちはお互いを深く愛し合っているから、いつも幸せでいられると私は思っていました。しかし、現実は私にとって非常にショックの大きいものでした。

  私の夫は以前よりもお金を稼ぐようになり、もっと多くの人たちと触れ合うようにもなり、それは彼の近くに都合の良い時だけいるといった友人の数が増えていたことを意味していました。ある日、私は偶然彼のWeChatを開いてあるメッセージを読んでしまいました。その中で、彼は他の女性を ‘ハニー’ と呼んでいたのです。その瞬間、私は自分の目を疑いました。体中の震えが止まりませんでした。 彼は私たちの残りの人生を通して私を愛すると誓ってくれたのに、どうして他の女性にあんな甘い言葉をかけることができたんでしょう。何年も一緒にいるのに、どうして私を裏切ることができたのでしょう。私が彼に問いただしてみると、彼は実際に浮気したと認めた上に、平然とそれは大したことじゃないし彼の同僚も多数がやっていることだと私に言ったのです。
  その瞬間、私は空が崩れ落ちてきたような気分になりました。怒り、恥じ、そして絶望感が全て頭にこみ上げてきました。私は心の痛みを抑えられず、涙を流しながら泣き声をあげました。

  私の夫が裏切ったことを認めた後、私は何がどうなっても構わないと感じるようになりました。私は皆から自分を閉ざし、1週間の間一言も喋りませんでした。夫の裏切りについて考えたとたん、水門から流れ出る水のように涙が吹き出てきました。私は仕返しをするために夫のお金を全て使ってしまおうと思い、洋服と靴を買ったり、外食等をし始めました。しかし、夫のお金をいくら使っても、怒りは全く収まりませんでした。私は僅か2週間で、8.5キロも体重が減ってしまいました。

  苦しみと絶望感の中で、私は神のこの御言葉を目にしました:こうした社会動向には、それぞれに人間を継続的に退化させ、良心、人間性、理知を失わせ、人間の倫理や人格をますます低下させる邪悪な影響があり、それゆえ現在、大部分の人々に誠実さや人間性、良心、さらには理知さえ欠如している状態にまで達しているとさえ言えるほどです。それでは、そのような社会動向とは何なのでしょうか。それは裸眼では見ることが不可能です。社会動向が席巻すると、その創出者となるのはごく僅かな人たちです。その人たちは、ある種の行動を始めたり、ある種の考え方や物の見方を受け入れたりして始めます。しかし大部分の人々は、無意識のうちに、そうした社会動向に継続的に汚染され、捕らわれ、魅惑され、やがてそれを知らず知らずのうちに、無意識のうちに受け入れるようになり、それに呑み込まれて支配されるようになります。こうした社会動向で、心身の健全さが欠如し、真理とは何かを知らず、肯定的なものと否定的なものの区別が出来ない人間は、そうしたサタンに由来する社会動向や人生観、価値観を次々と進んで受け入れてしまいます。この種の人々は、どのような人生を送るべきかに関してサタンが教えることや、サタンにより「授けられた」生活の道を受け入れます。彼らには強さ、能力、またことさらに拒否する意識が欠乏しているのです。

  神の御言葉から、私たちがたくさん苦しみながら生きているのは、サタンの邪悪なトレンドを受け入れてしまっていることが原因だと理解しました。近頃、公衆のモラルは日に日に乱れ、ポルノは蔓延し、「妻をもらうが、情婦ももらう」や「人生は短い、快楽を求めて今を生きよ」といったありとあらゆる誤った考え方が押し広められています。こういった考えが人々の持つ人生観と愛の観念を歪めてしまったのです。人々はこういった邪悪なトレンドを追い求め、浮気をすることや愛人を見つけることを恥ずべきことではなく、力の表れとして見ています。多くの家族が離れ離れになり、多くの恋人たちが愛情と憎しみの間を降れ動き、そこから抜け出せないでいるのです。私の夫が私を裏切ったのも、彼がこの種の考えを受け入れてしまったことが原因でした。彼は周りの人たちが浮気をしているのを見て、自らもやってしまったのです。彼は自分が悪かったと思っていないだけでなく、これはごく普通のことだと思い込んでいるのです。サタンの思考によって堕落させられた私たちは道徳を失い、人々の間の愛情もはかないものとなってしまっているのです。

  私もまた、「命はかけがえのないもの、しかし愛はもっと価値がある」や「彼の手を握り、年老いるまで付き添いましょう」といったサタンの他の観点を受け入れてしまっていたので、愛を手にすることを幸せになる第一条件、かつ自分の人生を生きる価値のあるものにしてくれる唯一のものと見なし、優しい愛情を手にした場合に限り、人の人生は価値と意味を持つものだと思っていました。これ故に、夫に裏切られるという状況の中で、人生を捧げて大切にしてきた自分の結婚生活が崩壊するのを見た私は、落胆して一日中呆然としていたのです。私はまるで歩く死体のようでした。これはサタンの哲学を指針として生きた結果であり、さらに重要なこととして、これはサタンが私に及ぼした害なのです。このようなサタンの生き残りのルールに関する真理と見識を持たない私たち人間は苦しみの中を生き、サタンから意のままに踏みつけられることを余儀なくされているのです。

  その後、私は神のこの御言葉を目にしました、神の本質は聖なるものなので、あなたは神によってのみいのちに通じる明るい正しい道を歩むことができ、神によってのみ人生の意味を知ることができ、神によってのみ真の人生を送ることができ、真理を獲得し、知ることができ、神によってのみ真理からいのちを得ることができます。人間が悪を避けるのを助け、サタンの危害と支配から人間を救うことができるのは神だけです。神以外に、これ以上苦しまないよう、辛苦の海からあなたを救い出すことができる人や物はありません。このことは、神の本質により決まっています。

  神の御言葉より、神は真理、道、そしていのちであると私は理解しました。神だけが私たちをサタンの被害から救うことがおできになります。神は私たち1人1人が幸せに暮らし、神を礼拝し、神の御言葉に耳を傾けることを望んでおられますが、その一方では遊び半分に人々を堕落させ、苦しめるサタンは私たちが苦しみの中を生きることを望んでいるのです。私たちは真理を追い求め、それをいのちとして手にする場合に限り、サタンから欺かれるのを避け、苦しみから抜け出すことができるのです。私は、サタンが人類を堕落させるために使う手段に関して見識をもっていなかったがために、夫の裏切りが生んだ辛い思いでの中を生き、過去に捕らわれながら自らを苦しめていたという事実についてじっくりと考えました。あの当時、私の心はぼろぼろに引き裂かれました。しかし、神の御言葉による御導きの下で、私はこれら邪悪なトレンドが人々に及ぼす被害を明確に知ったと同時に、私と夫は共にサタンの引き起こす邪悪なトレンドの被害者であったことにも気が付きました。徐々に、私は夫の裏切りが生んだ辛い思いでの中から歩み出て行きました。

  その後、私は教会で積極的に自分の本分を尽くし始め、今は豊かな生活を送っています。

  モーヤン姉妹、あなたがこの苦しみから抜け出す上で私の経験がお役に立つかは分かりませんが、人類を堕落させるこのような邪悪なトレンドが引き起こす結果を神の御言葉からはっきりと理解されることを願っています。サタンの策略には絶対に騙されないようにして、神の御言葉に従って生活を送ってください。神の恵みがあなたにありますように!

敬具、

信仰ステーションより

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クリスチャン結婚導き:結婚相手を選ぶには?

2019-04-02 21:18:44 | 婚姻・家庭

信仰ステーションの兄弟姉妹の皆さんへ:

  私はもう人生のパートナーを探しても好い年齢ですし、未信者の家族たちからも彼氏を見つけるようにせき立てられています。でも、私は幸せになるためにはどのようなパートナーを探すべきなのかが分かりません。結婚相手を探す話しになると、私の未信者の友達は皆「背が高くて、裕福でハンサム」もしくは「色白で、裕福で美しい」人を選びたがるのですが、彼らの間には本当の愛情はないですし、それどころかお互いをたくさん傷つけ合っています。私たちはクリスチャンとして愛と結婚をどのように考えるべきなのか、私はそれを理解したいのです。

裕子

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裕子姉妹へ:

  あなたのメッセージを読んだ時、私の中で多くの感情がこみ上げてきました。愛と結婚に関する話は私たちの人生において最も大切な事柄の1つであると同時に重大な節目であるとも言えるでしょう。私たちが選ぶパートナーによってこの人生が苦しくなったり、楽しくなったりすることがあります。私も神の信仰を始めるまでは、周りの友人や同僚たちと一緒にこの世のトレンドを追いかけ、豪華な結婚式を挙げることを熱望し、「背が高くて、裕福でハンサム」もしくは「色白で、裕福で美しい」 を結婚相手の条件として設定していました。私は神を信仰するようになってから初めてこの原則における真理を理解しました。私は少しですが愛と結婚に関する理解を得て、愛と結婚における選択方法を学びました。

  以下は私が「背が高くて、裕福でハンサム」、という理想の条件を手にした後に私が自分の結婚生活で体験した話しです。これがあなたに助けと志を与え、あなたが愛と結婚において正しい選択をし、将来と幸せな生活に向かって素晴らしいスタートを切るきっかけになることを期待しています。

  私は婚期を迎えた時、私だけの「白馬の王子様」と出会うことを願い、友人や家族の紹介を受けて 「背が高くて、裕福でハンサム」、という理想の男性と出会いました。彼は背が高くて、ハンサムで、収入が良く、裕福な家庭の生まれでした。私の内の虚栄心はこれにとても満足し、同時に私は私たちが一緒に年を取り、残りの人生を通してお互いを愛し合っていくことも期待しました。しかし、結婚生活が始まってから5年も経たないうちに、彼は私にうんざりし始めて、全てにおいてうるさく文句を言うようになってしまいました。私が食べるものや着るものは全て彼の個人的な好みに合っていなければならず、お互いの家庭環境の不均衡が原因で、私は彼の家族と一緒にいる時は常に見下されていました。私は絶えず彼らの顔色を伺い、私が彼の気に入らないことをすると、彼は仏頂面をして、私のことを無視し、私に対してよそよそしい態度を取りました。私はこういったこと全てを我慢していましたが、彼は私の脚が短いだとか、私にもっと痩せて欲しいだとか、肌が綺麗じゃないなどと文句を言いました。私はしばらく経った後、彼にはかなり以前から裏切られていたことを知りました。

  私にとってとても辛かったのは彼が典型的な無神論者であったことで、私が神の信仰を始めると、彼は私の信仰を抑圧し、妨害してきたのです。彼は私の後を付いてまわり、私が集会に行くのを許してくれず、私に向って手を上げることすらありました。私たちは共に生活しながらも、お互いを理解し合える共通言語を既に失っていました。私たちの結婚生活は名ばかりのものだったのです。私たちはベッドを共にする他人で、私の目は涙で溢れました。あの結婚生活はこのような苦しみの中で幕を閉じました⋯⋯

  神は私を祝福してくださりました。私は神の御言葉を読んで、この側面における真理を理解し、苦しみの根源を見い出しました。私は神のこの御言葉を目にしたのです、「こうした社会動向には、それぞれに人間を継続的に退化させ、良心、人間性、理知を失わせ、人間の倫理や人格をますます低下させる邪悪な影響があり、それゆえ現在、大部分の人々に誠実さや人間性、良心、さらには理知さえ欠如している状態にまで達しているとさえ言えるほどです。それでは、そのような社会動向とは何なのでしょうか。それは裸眼では見ることが不可能です。社会動向が席巻すると、その創出者となるのはごく僅かな人たちです。その人たちは、ある種の行動を始めたり、ある種の考え方や物の見方を受け入れたりして始めます。しかし大部分の人々は、無意識のうちに、そうした社会動向に継続的に汚染され、捕らわれ、魅惑され、やがてそれを知らず知らずのうちに、無意識のうちに受け入れるようになり、それに呑み込まれて支配されるようになります。こうした社会動向で、心身の健全さが欠如し、真理とは何かを知らず、肯定的なものと否定的なものの区別が出来ない人間は、そうしたサタンに由来する社会動向や人生観、価値観を次々と進んで受け入れてしまいます。この種の人々は、どのような人生を送るべきかに関してサタンが教えることや、サタンにより『授けられた』生活の道を受け入れます。彼らには強さ、能力、またことさらに拒否する意識が欠乏しているのです」。

  私は神の御言葉から、現在の邪悪なトレンドは全てお金、力、そして地位を求めることに焦点を置いており、多くの人々に「背が高くて、裕福でハンサム」もしくは「色白で、裕福で美しい」、といった条件を結婚相手の基準として設定させているということに気が付きました。これに加え、テレビで放送されるアイドル出演のドラマや若者向けのドラマは特にこのような考えを表し、人々を惹きつけて外見や地位、そしてお金を追い求めることを重要視させています。いわゆる「愛」や「結婚」は欲の悪臭が充満しており、取引と利益の追求であふれています。こういった結婚は本質的に早い段階から腐敗しているのです。私の結婚生活は早々に終わりを迎えた理由は、私が「背が高くて、裕福でハンサム」、といった邪悪なトレンドを結婚相手に求める目標としてとらえ、富と私益を手にすることに夢中になってしまったからです。私は短期的な虚栄心を満たすことができたものの、結婚後は、価値観の違い、そして習慣、好み、求めるもの全てが大きく違ったため、仲良くするのはとても大変でした。そして、私は夫がこだわっていた「色白で、裕福で、美しい」という基準を満たしていなかったため、夫は本当に私を見下していました。これは結婚後の私たちの生活が単に不幸になるだけでなく、非常に辛いものになることを意味していました。サタンは本当にこういった邪悪なトレンドを利用して人々を傷つけ、幸せになるはずの結婚生活をありとあらゆる追加条件付きの取引と化してしまい、片方がもう片方の願望を満たせないと、二人の関係はすぐに完全に崩壊し、彼らの結婚生活は僅かな日数しか続けなくなるのです。これがサタンが人類を堕落させることによって生まれる結果なのです。

  この挫折と失敗を理由に、私は結婚におけるサタンの観点に頼るのを止め、結婚相手を探す上で 「背が高くて、裕福でハンサム」もしくは「色白で、裕福で美しい」、という条件を基準とする世のトレンドに従うのも止めました。代わりに、私は真理の原則に従ってそれを熟考し、それに取り組みました。

  その後、私は『命の成長のための説教シリーズ』にこう書かれているのを目にしました、「ではお伺いしますが、結婚相手を探す上で最も大切なことは何だと思いますか?最も大切なことはその人がどのような道を歩み、どのような人であるかです。あなたはその人と異なる道を歩んでいたら、同じベッドの上で寝ていても、違う夢を見ながら残りの人生を過ごすことになるでしょう。それで幸せだと言えるでしょうか?共通言語を持たずして、幸せにはなれません。例えば、真理を追い求める姉妹がいて、その夫は富を追い求めているとしましょう。真理を追い求める人が富を追い求める人と共に人生を歩めると思いますか?その二人は共通言語を持っているでしょうか?夫は帰宅すると、『今日はまた金儲けをする方法を発見したぞ』、と言います。ですが姉妹は、『今日はもう少し真理が理解できたわ』、と言います。分かりますよね?二人は同じ道を歩んでいないので、こういった事を口にするとたんに、気持が離れていってしまうのです。これ故に、結婚相手を選ぶにあたって、何を最優先するべきでしょう?肝心なのは同じ理想と信仰を持つ人を選ぶということです。そうしたら、同じ理想と信仰を持つという土台に加え、その他には何を選ぶ必要があるでしょう?自分と類似の人間性を持つ人を選びましょう。あなたが善良な人間性を持っていたとしても、人間性の乏しい人を選んでしまったら、将来確実にたくさん口論をすることになり、意見の衝突を起こすでしょう。あなたの人間性がさほど善良でなかったとしても、善良な人間性を持つ人を選べば、その人はあなたにとって有益な存在となり、思いやりを持ってあなたと接してくれるでしょう。これが大切なことであり、こういった側面を全て考慮しなければなりません。その人があなたにとって最も適切な人であるかどうかを知るためには、神に祈る必要があります。しばらく祈りを捧げてみて、何にも邪魔されず、心がとても穏やかになり、祈り探求することで全てが順調に、問題なく進むのであれば、それはその結婚があなたにとって十分ふさわしいものであることを示しています。それから、兄弟姉妹たちにその結婚を承認してもらってください。全員が『あなた達は本当にお似合いです』、と言って、その結婚が適切だと感じてくれたら、それを承認してくれるでしょう。お分かりでしょうか、神は私たちの魂の内に平安、承認、そして円滑な道をお与えくださったのです。これは素晴らしいことであり、いのちの運命を決定し得ることなのです。」

  私はこの交流より、結婚相手を探す時は、自分と同じ信仰と心を持つ人を探すことだけが神の御心に則しているということを知りました。それは何故かと言うと、その二人は共通言語を持ち、同じ目標に向かっているからです。弱気で否定的になっている時は、お互いを助け支え合い、困難やジレンマに遭遇する時は、お互いを勇気づけ慰め合い、一緒に神を頼りにしながら神の証を立てることができるのです。このような相手を持つことは、私たち信者にとってはいのちに入る上で有益なことです。私の教会の友人の1人で正にこれに当てはまる人がいます。彼女と彼女の夫は共に信者であり、二人は共通言語を持ち、神のために積極的に働き、労力を費やし、福音を伝導し、神の証言を立てています。彼らは理解できない真理に遭遇すると、一緒に話し合い、お互いの弱い所を強化し合うことができます。困難に遭遇すれば、お互いを勇気づけ合い、助け合い、そして支え合うことができています。家庭内での触れ合いにおいても、彼らはお互いを助け合い、愛し合う気持ち、ならびに寛大な心と寛容さを見せ合っているのです。彼らは生活の中で主の御言葉を実践の原則としています。彼らは家庭がもたらす最高の幸せの中を生きているのです。の妻がしたことを振り返ってみましょう。ヨブが試練を受けてもだえ苦しんでいた時、彼の妻は神を頼るようにと彼を励まさなかったどころか、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」(ヨブ記2章9節)、と言って彼をあざけりました。失敗に終わった私自身の結婚生活は私にとって大きな教訓にもなりました。明らかに、同じ心を持った結婚相手を見つけることは絶対に重要なことなのです。聖書にもこう書かれています、「ふたりの者がもし約束しなかったなら、一緒に歩くだろうか」(アモス書3章3節)。 結婚相手を見つけるための1要素として、相手が共通の信仰と同じ心を持っている人であるということがあり、もう1つは、これについて神に祈り、たんさん探求するということです。しばらくの間、これについて神に祈り聖霊からの検認が得られるかどうかを確認してみてください。心の中で平安を感じるのであれば、それは聖霊の検認を得ているということです。あなたの兄弟姉妹たち全員がお似合いだと言えば、それは神の御采配によるものということです。そのような結婚のみが神に祝され、幸せな日々をもたらすことができます。

  上述した交流があなたの助けになることを願っています。神の御言葉は私たちが進むべき道を照らす光であり、幸福につながる道路標識のようなものです。神の祝福は、神の御言葉の原則に従って実践してのみ得ることができます。幸せをもたらす結婚相手を探すにあたって、あなたに神の御恵みがありますように。

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