賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

霊的戦い:子供が病気にかかったが、私は神様の特別な恵みを見ました(I)

2019-08-13 22:01:45 | 霊的戦い

   (あらすじ)神の新たな働きを受け入れて間もなく、サタンからの試練が相次いで彼女に降りかかりました。彼女の娘二人は共に病に罹ってしまいましたが、彼女は神の御言葉と兄弟姉妹の交流を通じてサタンの害悪と卑劣さを見抜き、祝福を得ようとしていた自分自身の動機についてもある程度理解することができました。娘たちは病に罹ってしまったものの、彼女はこの体験を通じて神の違った種類の恵みを知ったと心から感じたのです。

寄稿家:Lian Yan(アメリカ)

   「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」(ヤコブの手紙1章12節)


 


   窓の外では、夜空に明るい月がかかり、夜の静けさの中には日中の喧騒と騒音はありませんでした。それはとても平安な夜でした。私の娘はベッドの中にいました。彼女はしばらくの間、ぐっすりと眠っていました。彼女の顔に浮かぶ愛らしい笑顔を見ながら、私は彼女が病と戦った様子を相次いで思い起こしました。すると、様々な感情が心にこみ上げてきました……

 幸運にも主の再臨をお迎えできました

   2018年4月、私は幸運にも主が再臨なさるという知らせを耳にして、しばらく探求し、調査した後、喜んで終わりの日の全能神の働きを受け入れました。私は世界中の人が読んで観賞できるようにインターネット上に掲載されている神の御言葉をたくさん読み、世の終わりの日の神の働きの証言をした様々な福音映画やその他の動画を見ました。私は終わりの日の神の裁きの働きが完結に近づいていることをその時初めて知りました。私は真理をもっと理解しようと、熱心に、渇望するように神の御言葉を読み、福音映画を見て、集会に参加しました。私は心がとても安らぎ、最高の気分がしました。

   ある時の集会の場で、兄弟姉妹たちはある説教を読み上げました、「終わりの日の神の働きの中で、更なる試練が人々に降りかかります。それはどうしてでしょう?それはサタンが人類を堕落させた上に、神の経営計画を妨害するために人間たちを神からもぎ取ることを企んでいるからです。これがサタンの目的です。神は人類を救うこと、そして人間をサタンの手から取り戻し、完全にし、神に立ち返らせることを望んでおられます。このため、霊的世界の戦いはとても凄まじいものであり、人類はその焦点となっているのです。人々が神の働きを通じて試練を受けるのがごく普通なことであるのはこのためです。神は人類を救おうとされますが、サタンは断固として人類を必ず堕落させるつもりでいます。サタンは簡単には諦めません。ならば、神はこの状況の中で人々を救うために何がおできになるのでしょうか?神はサタンの試練が人々に降りかかることを許す必要があり、それを通じて神はサタンの策略を暴露し、人々がそれを見抜き、それによって神の御言葉を受け入れ、神の側に立ち、神に立ち返り、神に従えるようにすることがおできになります。これは堕落した人類が本当に救いを受けるための唯一の手段です。このようにして神は人類を救ってくださるのです。」(『いのちに入ることに関する交わりと説教 第十巻』の「御言葉『神の働き、神の性質、そして神自身 2』に関する説教(II)」より)。

   これを読んだ後、ジン・ヤン姉妹はこう話しました:「私たちが今、終わりの日の全能神の働きを受け入れることができるのは、神の特別なお引き上げと恵みのおかげです。終わりの日のキリスト、全能神は人々が救いを得ることができるように全ての真理を仰せられ、神の家を起点に裁きの働きをされました。神の御言葉による裁きと刑罰を受け入れてのみ、私たちの堕落した性質は変わり、清められることができます。これは私たちがサタンの影響を完全に脱却し、神に完全にしていただくことができる唯一の方法です。神は私たちの愛であり、救いであります。しかし、サタンは失敗を好みません。それ故に、サタンは私たちを攻撃し、試すためにありとあらゆる状況、人々、出来事、そして物事を引き起こしているのです。時には私たちの家族を通じて私たちの邪魔をし、時には牧師と長老の広める虚偽を使って私たちを困惑させ、または私たちの家庭に不幸をもたらして災いを引き起こします。これは私たちを全能神から引き離す試みであり、そうすることで私たちを続けて弄び、傷つけようとしているのです。しかし、神の知恵はサタンの策略を基に確立しています。神はサタンが私たちを試すことをお許しになり、それは神が私たちを試しているということでもあります。神はこれらを使って私たちの霊的背丈を成長させてくださると同時に人類を堕落させて飲み尽くすサタンの邪悪な性質を私たちが見抜けるようにしてくださり、そうすることで私たちが心の中でサタンに背き、神に従う私たちの信仰も更に固くなるようにしてくださるのです。これこそが、霊的戦いが神から私たちへの救いであり、愛である理由です!」

   この姉妹の交流を聞いた私は、完全に理解してはいなかったものの、強く心を動かされました。私は自分の人生の中で主の再臨を受け入れることができたこと、そして神に清めていただき、完全にしていただける機会を得ていたことがどれだけ素晴らしい恵みであるかと考えました。今後、どのような状況に直面しても、信仰を持ち続け、サタンの支配下には戻らず、神の側に立ち、神に完全にしていただくことを受け入れると、心の中で誓いました。

娘たちの発病

 

   ある日、私の次女が突然病気になりました。彼女は高熱を出して咳をしていました。最初は薬を少し飲ませておけば大丈夫だろうと思っていたのですが、意外なことに、彼女の咳は夜になる前に悪化していたのです。私はサタンの試練が自分に降りかかってきて、神からも試されていることに気が付いたので、神に不平を言うことができませんでした。しかし、それでも私は少し弱気になってしまいました。私は心配と不安に駆られながらこう考えました。「ああ、神よ!どうして私を病気にしてくださらなかったんですか?私の娘はまだ1歳です。こんな高熱が出ていたら私の娘は重篤にならないでしょうか?このような酷い咳をしていたら肺炎になってしまうのではないでしょうか?私の夫は今ここにいません。何か起こったら私はどうすれば良いのでしょうか?」心配な気持が次から次へと頭の中に押し寄せてきました。丁度その時でした、海外にいる13歳の娘から電話があり、彼女は弱々しい声でこう言ったのです:「お母さん、私病気なの。気分がすごく悪くて、泣きそうだわ……」私の娘たちは同時に病気に罹っていたのです。私は非常に弱気になってしまいました。私は心の中で格闘し続けました:「どうして娘が二人共病気なの?薬は効かないし、一体何が起こっているの?」その時、心の中で僅かに残っていた信仰が崩れ去り、私は涙しながら娘たちを守ってくださらなかったと言って神を非難してしまったのです。

   私の娘たちの状況を知ったジン・ヤン姉妹は、すぐさま私の所にやって来て、娘たちのために祈りを捧げてくれました。彼女は神の御言葉のこの節を私に読んでもくれました。「神は業を行い、人間を慈しみ、見守るが、サタンは常に神の働きの邪魔をする。神が大事にする人間を、サタンも見ていてつけ回す。神がその人間を求めると、サタンは持てる力の全てでどんなことでもして神の行うことを阻もうとし、隠された目的を達成するため、あらゆる邪悪な方法で神の業を試し、邪魔し、挫折させようとする。サタンの目的は何であろうか。サタンは神が人間を得られなくなることを求めている。サタンは神が求める人間を求め、その者を自分のものとして支配し、掌握してサタンを崇拝させ、サタンと共に邪悪なことを行わせることを求めている。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないか。」(「唯一の神自身 4」より)「神があなた方に対して行うすべての段階の背後にはサタンと神との賭けがある──その背後にはすべて戦いがある。……神とサタンが霊的領域で戦う時、あなたは神に満足してもらうためにどうすべきか、どのように固く証しに立つべきだろうか。あなたは自分に起こることのすべては大いなる試練であり、その試練の時に神があなたの証しを必要とすることを知るべきである。外面的には大したことではないように見えるかもしれないが、これらのことが起こると、あなたが神を愛しているかどうかが示される。愛していれば、あなたは神への証しに固く立つことができるが、神への愛を実践に移さなければ、これはあなたが真理を実践しない人であること、あなたには真理もなくいのちもないこと、あなたは無用の物であることが示される。人々にすべてが起こるのは、彼らが神に対する証しに固く立つことを神が必要とする時である。当面、あなたには重要なことは何も起こっていないし、あなたは重大な証しはしていないが、あなたの毎日の生活の詳細はすべて神への証しに関連している。」(「神を愛することだけが本当に神を信じることである」より)

   彼女はこう話しました。「神の御言葉からサタンは神の敵であり、神が働いて救おうとされる全ての人を邪魔して妨害するためにありとあらゆる策を試みるということが分かります。これはその邪悪な性質が決めていることなのです。今あなたの子供たちが病に侵されているのはサタンが私たちを試しているが故のことです。サタンは私たちが自分の子供たちに対して深い愛情を持っていることを知っているので、私たちが傷つきやすい所を攻撃してきているのです。サタンはあなたの子供たちを病気にして、私たちを妨害し、私たちが神を非難し、神への信仰を失い、神から離れ、神に背くように仕向けようとしているのです。これより、サタンがどれだけ卑劣で邪悪であるかということが分かります。姉妹、このような事態に遭遇するのは霊的戦いとの繋がりがあります。これはサタンからの試練なのです。私たちはサタンの策略を見抜いて神の証を立てなければなりません。同時に、これは神からの試練でもあり、神の御前に引き上げられる人全員が通らなければならない道でもあります。試練を通じてのみ、その人の信仰の真偽、そしてその人が太って豊かな実であるのか、それとも実のないもみがらであるのかが明らかにされます。困難な状況を強いられない限り、私たちは誰もが自分たちのことを神に最も献身的で、かつ忠実な人とみなしますが、本当の霊的背丈は試練に直面する中で明らかにされるのです。これにより、私たちは自分の短所と欠陥に気が付き、これを通じて霊的な成長を遂げます。これ故に、神はサタンが私たちを試すことをお許しになるのです。このような働きは私たちにとって非常に有意義なものなのです。姉妹、あなたの子供たちの運命は神の御手の中にあり、彼女たちの病も同じなのです。私たちは子供たちを神に託す必要があり、彼女たちの病がどういう結果になろうとも、神を非難してはならないのです。神の采配に服従してのみ、私たちはサタンを辱め、神を喜ばせることができるのです。」

   私はこう言いました。「姉妹、あなたの交流は、これがサタンによる妨害であること、そしてサタンは私の子供たちの病気を利用して私に神を疑わせ、神に背かせようとしていることに気付かせてくれました。サタンは本当に邪悪です!今日神の御言葉を読んでいなかったら、私は神を非難しながら生き、神に背き、サタンにのみ尽くされていたことでしょう。私は神の御導きに本当に感謝します!」

   ジン・ヤン姉妹は頷きながら嬉しそうにこう言いました:「神に感謝です!これによってあなたの子供たちの肉は苦しみ、私たちの心は悲しい思いをしましたが、このような状況を通じてこそ、私たちはサタンの邪悪で、卑劣な性質を見抜くことができるのです。これは実を得ているということです。姉妹、心配は無用です。あなたの子供たちは神の御手の中にあります。私たちが信仰を持ち続け、神のために前向きに証を立てようとしてさえいれば、サタンは恥じをかいて逃げて行くでしょう。」

   神の御言葉を読み、この姉妹と交流したことで、私はこの状況にどう対応すれば良いのかを理解しました。私は急いで神に祈りました:「ああ、神よ!この姉妹との交流を通じて真理をお伝えてくださり、ありがとうございます。私はサタンの邪悪さと卑劣さを知りました。ああ、神よ!真理を十分に理解していなかった私はサタンに騙されてしまい、あなたを非難する心を持つようになってしまいました。私はあなたに悔い改めます。神よ!あなたは私の子供たちの運命を握っておられます。私はあなたに2人の娘たちを託します。あなたの証を立てられるように、どうか私に力と信仰をお与えください。アーメン!」私はこう祈りを捧げた後、心が大分落ち着きました。

   その夜、急に次女の熱がまた上がりました。最初、私は軽くパニックになりましたが、神に祈って心を落ち着かせることができました。私が彼女に解熱剤をあげると、少し経った後に、彼女の熱は下がりました。その翌日、長女の熱も下がり、彼女の容態も少し改善しました。二人の容態が相次いで改善していくのを見た私は更に厚く神を信仰するようになりました。

   続く。


ネット上の話を鵜呑みにして、主のお迎えのチャンスを逃しかけた私 ネット上の話を鵜呑みにして、主のお迎えのチャンスを逃しかけた私(I)

2019-08-11 22:55:46 | 霊的戦い

   【編集者注記】今日、ネットワーク情報が発達したこの時代、多くの人々はインターネットのプラットフォームを信頼し、そこからの情報を物事の善悪を測る基準とみなしています。しかし、ウェブやプラットフォーム上の情報が本物で客観的かどうかを見分けることは滅多にありません。真の道を探究することに関して、この記事の著者はインターネット上のあらゆる報道や情報の真偽を見分けることができなかったために主をお迎えするチャンスを危うく逃しそうになりました。以下はウィリアムの体験談です。

   高校を卒業後、私は生活費を稼ぐために就職しましたが、いつも壁に突き当りました。その後、友人に騙されてネズミ講にはまり、抜けられずにいました。絶望に陥りそうだったとき、寝室の隅にある聖書が目に留まったのです。聖書を読み進めることで、目に見えない創造主の存在を信じるようになりました。そこで、天地万物の創造主に静かに祈り、「どうか苦しみから救ってください。自由に神を崇拝できる、希望に満ちた場所に導いてください」とお願いしました。まさかそれから1カ月も経たないうちに、渡米する機会を得るとは思いませんでした。神が助けてくださったのだとわかり、心からとても感謝しました。

   2016年10月、私は米国のニューヨーク市に来て、比較的良いと思った中国系の教会で洗礼を受けてキリスト教徒になりました。しかし、一年以上にわたって教会の集会に参加しても、宗教儀礼をいくつか学んだだけで、神と聖書に対する知識は文字通りの意味を超えることはなく、私の霊のいのちも全く成長しませんでした。それでも教会はキリスト教徒の家だと思っていたので、教会に通って集会に参加し、一度も欠席することはなかったのです。

   2018年3月のある日、ある姉妹の家で終わりの日の神の働きを説いた刘兄弟に出会いました。何度か彼の話に耳を傾けるうちに、これまで聖書では理解できなかった多くの真理や奥義を理解しました。たとえば聖書の創造や、受肉とは何か、救われるとはどういうことか、救いとは何か、終わりの日の主の再臨への対応の仕方、真のキリストと偽キリストの違い、神の働きと人間の働きの違いなどです。それまで聞いたことのないこのような側面の真理を聞いたおかげで、実に視野が広がり、集会からはいつも多くのことを得ました。あるとき、交流中に、リュウさんが聖書に書かれていないたくさんの言葉を読みました。私はその出所を知りたかったので、彼に尋ねると、「これらの言葉は終わりの日のキリストである全能神の発言だ」と答えました。全能神の御名を聞くなり、私は少しそわそわし始めました。それまでに聞いたことがある批判的なプロパガンダが何度も心に浮かんだためです。その集会の間は話を聞くことにほとんど集中できず、途中で「用事がある」という口実でその場を去りました。

   アパートに戻った後、私は落ち着けず何度もベッドの中で寝返りを打ちました。全能神教会の兄弟姉妹との集会の場面が心に浮かぶ一方で、牧師や長老の言葉、テレビのニュースで放送された噂も耳に鳴り響きました。ひどく狼狽し、誰が正しく、誰が間違っているのか、誰の言葉に耳を傾けるべきかわかりませんでした。

   その後、スマホを付けて、非常に信頼していたサイトであるウィキペディアで検索をしました。そこで全能神教会に関する人騒がせな記述を読んだ時、ネジみ講から抜け出せなかった失意の日々を思い出さずにいられませんでした。リュウさんと連絡を取り続ければ、騙されるかもしれないと心配になりました。そこで、真理を探究するチャンスを捨て去り、全能神教会の兄弟姉妹の連絡先を全て消す準備をしました。しかし彼らとの付き合いを全て思い起こしてみると、「彼らの品行、生き方、雄弁さはどれを取っても立派で、悪い印象を残したことはなかったな」と感じ、躊躇しました。その時期、リュウさんからたくさんのメッセージやいくつかの映画や動画が送られてきましたが、私はどれも見ませんでした。礼儀として、「リュウさん、もう何も送らないでくれませんか」というメッセージを送ると、すぐに返信が来ました、「ウィリアムさん、送ることに別に意味はありません。ただじっくり吟味してから、決断してくれるように願っているだけです。神は、神の働きを受け入れることを誰にも強制されません。私は自分の尽くすべき本分を尽くしたいだけです。そうしないと良心が落ち着きませんし、兄弟姉妹のいのちに責任を持たないことになります。」彼の言葉はとても誠実でしたが、噂に騙されていた私の心はそれでも動きませんでした。以後、二度と彼のメッセージに返信することはなく、尚も全能神教会の兄弟姉妹の連絡先を全て消す気でいました。私と共に学んでいた姉妹のエラにこの決意を伝え、彼女は私の話を聞くと、「主の再臨を迎えることは大変なことだから、真剣に受け止めるべきだわ」と、自身の考えを話してくれました。また、「結論を急いだり、簡単に諦めたりしないで、主にもっとお祈りして、神のお導きを求めるのよ」としきりに勧められましたが、彼女の言葉を聞いて、途方に暮れてしまいました。

   このような経緯で、私は跪いて神に祈り、このように求めました、「主よ!私は今、非常に当惑しています。東方閃電の道に耳を傾けた後、私は確かに多くの真理や奥義を理解し、彼らがいい人たちだと感じました。しかしどうして世界で最も権威あるウィキペディアに、東方閃電に対して批判的なプロパガンダが書かれているのでしょうか。全能神教会は神の教会ではなく人間の組織であると書かれています。ああ、神よ!間違った道を歩んでしまうのではないかと不安です。サタンの罠にかからないよう私を導き、お守りください。」お祈りをして大分心が落ち着きましたが、よくよく考えてからもまだ心配でした。そこで、昔通っていた教会の、仲が良い年長の姉妹に自分の考えを伝えました。私の話を聞いて、彼女はこのように話してくれました。「ウィリアムさん、どんなことになっても、神の御前では心を静めて、何度も祈りましょう。そうすれば聖霊があなたを啓いて、人や出来事や物事を通して語りかけ、導いてくださいます。」翌日、教会に行く途中で姉妹は次のような話を聞かせてくれました、「主の信仰者の1人が危機に遭った時、神に救いをお願いしました。神は救いのチャンスを三度与えられましたが、彼はその内どれも掴まず、毎回、『結構です。私は主に祈ってきました。主が私を救ってくださいます』と言いました。死に際になってようやく、これら三度のチャンスは神が彼を救わんとして与えられたものだったのだと悟りました。自分でチャンスを掴まなかったために、死んでしまったのです。」この話に私は深く心を動かされ、「そうだな。主がチャンスを与えてくださったときは、注意して、掴み取らないと」と思いました。教会に到着した後で再び主にお祈りし、「どうすべきか教えてください」と懇願しました。説教を聞いたとき、道中で姉妹から聞いたものと同じ話を牧師が不意に語りました。その瞬間、私は心底驚きました。「すごいな。一日に二人から同じ話を聞くなんて。主がこのような状況を通して俺にどうするべきか教えてくれているのか。」主に大変感謝いたします。私は東方閃電を求め、調べ続けることを決意しました。

   その後、ネット上でリュウさんと連絡を取り、自分の疑問を伝えました。「リュウさん、あなたがこの前話してくれたことにはある程度納得します。どこも間違っていないと思います。ただ、全能神教会に対しては中国共産党政府が非難しているだけでなく、ウィキペディアまで批判的なプロパガンダを掲載しており、趙という名前の人物が設立した人間の組織であるという記述があります。この件についてはっきりと理解できないので、この側面の真理について教えて頂ければと思います。」

 

   

   それを聞いたリュウさんから「赤の家庭教育」という映画の抜粋シーンを送られ、一緒に観ました。映画の主人公であるシャオイーはこのように語りました。「なら教えてよ、キリスト教の創始者は誰?カトリックを立ち上げたのは誰だい?創始者はパウロかな?それともペテロ?ユダヤ教はどうだろう?モーセが創ったのかな?バカバカしいと思うでしょ?…キリスト教の各派が、本当に人間の手によって創られた組織だって、そう思ってるの?そんなにバカげた話はないよ。主イエスが現れなかったら、信者や従者は存在しなかった。キリスト教も生まれなかった。それが事実でしょう?使徒たちだけで教会を創るなんて無理だ。確かに人々を率いたのは使徒のペテロやヨハネだったさ。だからって、キリスト教は使徒たちが創ったことになるの?全能神教会は全能神の出現と働きで創られた。全能神が明かされた真理から、神様の声を聞いた人たちが、集まってできた教会だよ。聖霊に用いられる人が、全能神に自ら証しされ、教会の先導者となった。恵みの時代の使徒たちや、律法の時代のモーセのように、神様に用いられたんだ。神様に選ばれた人々に水を注ぎ、彼らを導くために人の本分を尽くす。…全能神が現れなければ、全能神教会は誕生しなかったはずだ。それは紛れもない事実だよ。…全能神の信者はその名において祈りを捧げる集会で語りあうのは全能神の御言葉だよ。…教会の信者が信じるのは全能神だ。そしてその御言葉のとおり、聖霊に用いられる人に従っている。それが事実だ。」次に、主人公の妹のシャオルイが全能神の御言葉と神の国の時代に全能神が発布された行政命令を読みます。神の御言葉にはこうあります。「神が用いる人が行う働きは、キリストや聖霊の働きに協力するためのものである。この人は、人間の間にあって神により立てられ、神により選ばれた者全員を率いるために存在する。また、その人は、人間が協力して行う働きをするよう神に立てられている。…しかし、神が用いる人は神により整えられた人であり、ある種の素質を備え、人間性を持ち合わせているのである。そういう人は聖霊により前もって整えられ、完全にされており、聖霊によって全てが導かれ、特にその働きについては聖霊により指導され、命じられる─そしてその結果、神に選ばれし者らを導く道からは逸れることがない。なぜなら、神は確実に自らの働きに責任を持ち、神は常に自らの働きを行うからである。」

   「教会の仕事や事柄に関し、神に従うことは別として、すべてのことについて聖霊に用いられている人の指示に従うべきである。ほんのわずかな違反も受け入れられない。絶対的に順守するべきであり、正誤を分析してはならない。何が正しいか、間違っているかはあなたには関係がない。あなたは全面的に服従することだけを気にかけなければならない。」

   全能神の御言葉を聞き、主人公シャオイーが言ったことは正しいと思いました。神の現れと働きがなければ、私たち人間には教会を設立する術はありません。旧約の律法の時代、ユダヤの信仰者はモーセが率いていましたが、ユダヤ教がモーセによって創始されたと言える者はいません。ペテロやパウロも当時教会を指導しましたが、カトリック教やキリスト教がペテロやパウロによって創始されたと言える者はいません。今は神の国の時代です。全能神の御言葉は、聖霊に用いられる人が用意され、教会を指導すべく神によって起こされていることを明確に示しています。それはちょうど律法の時代にヤーウェが、当時のイスラエル人を導かせるためにモーセを起こしたのと同じです。全能神教会は聖霊に用いられた人によって設立されたと言う人がいれば、それは実に間違っています。


最も困難な時期に神の御手は家族を助けてくださった

2019-08-10 21:16:10 | 霊的戦い

   2015年、私の友人が全能神の御国の福音を私に説いてくれました。彼女はこう言って交流しました:「最初に人間が神に創造された時、人間は罪を犯したことがありませんでした。後に、人類はサタンに誘惑されて善悪の知識の木から実を食べてしまうと、サタンの毒を受けてサタンの支配下で生きるようになってしまったのです。次第に、彼らはサタンによって増々深く堕落させられていき、普通の人間らしさを完全に失ってしまいました。例えば、人々は利益と地位を手にするためにお互いを陥れようと画策し、妬み衝突し、名利を奪い合い、苦しみの中を生きています。サタンの邪悪な支配から私たちを救うため、神は私たちが神の御導きの下で暮らし、神の御加護と祝福を受けられるようにと、自ら肉となり、人類の中に来て真理をお話しくださりました。これが神の私たちへの愛と救いなのです。」友人の交流を聞いた私は神の働き、そして神の人間に対する愛と救いについて少しだけ知ることができました。私はとても感動し、神のことがもっと知りたくなりました。従って、この友人と何度か交流した後、私は正式に教会生活に参加するようになりました。教会で、私は兄弟姉妹たちが愛情で満ち溢れていることを知りました。誰が弱気になっていても、過ちを犯しても、彼らは全員が心優しくお互いを助け合い、支え合っていました。教会では、兄弟姉妹たちが何らかの出来事に遭遇することがあれば、彼らは神の御言葉通りに真理を求め、内省し、それぞれの欠陥を知り、それぞれの問題を解決するために真理を探究することができていたのです。全能神教会にいると、私は平安と、安全と、解放感、さらには自由を強く感じることができ、まるで別世界にいるような気分がしました。しかし、その数日後、不測の事態が降りかかってきたのです。

   ある日、私の2歳を超える娘が突然熱を出したのです。娘は数日に渡って薬を飲みましたが、全く効果がありませんでした。ついに、娘は高熱が続いたため入院を余儀なくされてしまいました。この時、私の娘は一度くしゃみをするだけで鼻血を出していました。私は医者に娘の容態について尋ねましたが、彼は病気の原因は未だに不明だと言っていました。医者の返事を聞いた私はとても不安で心配になりましたが、治療の結果を待つ以外は何もできませんでした。するとさらに不幸が続き、娘が入院した4日後に、私の夫までが病気で入院してしまったのです。医者は私の夫の容態はとても深刻だと言いました。夫は複数の血液検査以外に、骨髄検査を受ける必要もあったのです。この言葉を聞いた時、私は胸が張り裂けそうになり、とても悲しくて辛くなってこう考えました:「私は神を信仰しているのに、どうしてこんな事態に遭遇するの?どうして神は私を守ってくださらないの?どうして私の家族が相次いで入院するはめになるの?私たちには世話をしなくてはいけない子供が2人もいて、夫は家族を支えるために仕事に行く必要があるというのに。でも、夫までが重病になるなんて。もし彼が倒れてしまったら、私の家族はどうやって生きていけばいいの?」この大きな打撃は私の心を裂き、私は激しく動揺し、絶望しました。私は苦痛、困惑、そして暗闇の中を生き、方向性を失ったその時、突然神のこの御言葉を思い出したのです:「世界で起こるすべてのことの中で、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にない存在などあるだろうか。わたしの言うことはすべてその通りに進み、……」神の光のような御言葉は私の道に明かりを灯してくださり、重く沈む私の心に大きな安心感を与えてくださりました。そうだわ、この世界と万物は全て神の御手の中にあるのよ。私は神を頼りにして、神を仰ぎ見るべきだわ!



   その後、教会の兄弟姉妹たちは私が生活に苦しんでいることを知りました。ある姉妹は私の息子の面倒を見るのを手伝ってくれ、またある姉妹は神の御言葉を読み、神の御心を交流して私を支え、慰めてくれました。神の御言葉にはこう記された節があります、「万物の長である全能神は、玉座から王としての権力を振るう。神は宇宙と万物を支配し、全地で私たちを導いている。私たちは頻繁に神に近づき、静まって神の前に出る。私たちは一瞬の時をも決して逃してはならない。そして、いかなる時にも学ぶべき事がある。私たちの周りの環境、人々、事柄、事物のすべては神の玉座によって許可されている。心に不平不満を持ってはならない。さもなければ、神はあなたに恵みを授けない。病を患うとき、それは神の愛によるもので、神の善意が必ずその背後にあるのだ。たとえあなたの体が苦しみに耐えている時でも、サタンによる思いを受け入れてはならない。病気の只中で神を賛美し、あなたの賛美の只中で神を楽しみなさい。病気に直面しても心を失ってはならない。求め続けなさい。決してあきらめてはならない。そうすれば、神はあなたの上に光を輝かせるだろう。ヨブはどれほど忠実だっただろうか。全能神は全能の医者である。病の中に留まれば、病気になる。しかし霊の中に留まれば、健やかになるのだ。あなたに最後の息があるかぎり、神はあなたを死なせはしない。」

   この神の御言葉より、私は、「神は全能で、英明な御方だわ。神は万物を創造され、それを支配されてもいる。皆の将来、運命、出生、老化、病、そして死は全て神の御手の中にあるのよ。今日、私がこういった出来事に遭遇するのは、神が私の神への信仰を試しておられ、私が神の証を立てられるかどうかを見ておられるんだわ」、と悟りました。神の御心を知った後、私は自分の抱える困難を全て神の御手に託し、結果がどうなろうと、神に対して文句を言ったり、神を誤解したりせず、むしろ神に祈りを捧げ、神を頼りにし、そして神の主権と采配に従う意思を持ちました。それ以降、私は頻繁に神の前に行って祈りを捧げました:「神よ、あなたは私が霊的に未熟で無知で、あなたへの真の信仰を持てていないことを知っておられます。私があなたに従いたいと思えるよう、どうか私に信念と力をお与えください。」こう祈りを捧げた後、私はとても安心し、気持が穏やかになりました。

   一度集会で、ある姉妹が神の御言葉のこの節を読んでくれました:「神は業を行い、人間を慈しみ、見守るが、サタンは常に神の働きの邪魔をする。神が大事にする人間を、サタンも見ていてつけ回す。神がその人間を求めると、サタンは持てる力の全てでどんなことでもして神の行うことを阻もうとし、隠された目的を達成するため、あらゆる邪悪な方法で神の業を試し、邪魔し、挫折させようとする。サタンの目的は何であろうか。サタンは神が人間を得られなくなることを求めている。サタンは神が求める人間を求め、その者を自分のものとして支配し、掌握してサタンを崇拝させ、サタンと共に邪悪なことを行わせることを求めている。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないか。あなたがたは、常日頃からサタンが極めて邪悪であると言うが、その邪悪さを見たことがあるであろうか。あなたがたが見ることができるのは、人間が如何に邪悪であるかのみであって、サタンが実際どの程度邪悪であるかを見たことがない。しかし、あなたがたは、このヨブに関する問題でその邪悪さを見たであろうか。(見た。)この問題では、サタンの醜悪な姿と本質が極めて明瞭となっている。サタンは神と戦い、また神をつけ回している。サタンの目的は神が行おうとする業をすべて粉砕し、神が求める人間を自分のものとして支配し、完全に消滅させることである。こうした人間が消滅しなかった場合、その人間はサタンのものとなってサタンに用いられる。これがサタンの目的である。」

   姉妹はこのように交流しました、「悪魔サタンは吠えながら歩き回るライオンのようで、ありとあらゆる誘惑を使って私たちを貪ろうとします。実際、私たちが遭遇する出来事は全てサタンが生み出す妨害であり、それは霊的世界で戦いが行われているということです。神は私たちを救うために働きをなされますが、私たちが神に立ち返るためにサタンを見捨て、サタンに反抗しようとすると、サタンは負けじまいと抵抗します。サタンは可能な手段全てを使って私たちを傷つけ、妨害し、騙そうとします。それは悪質な手段を使って私たちの家族に怪我まで負わせ、病気になるようにし、神を誤解して非難するような誘惑に私たちを陥れます。その目的は、私たちが神を拒否し、神に背き、そして神の救いを逃すように仕向け、結果的に私たちをその支配下に取り戻すことなのです。消極的になって神への信仰を失ってしまうと、私たちは確実にサタンの策略に陥ってしまいます。ふり返ってみると、ヨブが誘惑を受けた時、サタンは最も悪質な手段を使ってヨブを拷問し、苦しめました。サタンは彼の所有物の全てと子供達を彼から奪い取っただけでなく、彼の体中に腫物を引き起こし、彼を辛い苦しみに陥れました。しかし、ヨブは悲嘆しながらも神の証言をすることができました。それは彼が神を心から信仰していたがために成し得たことです。従い、このような状況が起る理由として、その1つはサタンの誘惑が降りかかってくる故であるということ、そしてもう1つは私たちが神を心から信仰できているかどうか、そして私たちが神の前に行って、神に近づき、神を頼りにできるかどうかを試すことを神が望んでおられるからであるということを私たちは覚えておくべきです。実は、私たちが自分たちの持つ観念に反する出来事に遭遇すると消極的になり、弱気になり、さらに神への信仰を失ってしまう理由は、私たちの信仰に不純な心があり、それがサタンに私たちを傷つける機会を与えているからなのです。神はこう仰りました、「ほとんどの人々が、平穏やその他の利益のために、神を信じている。あなたは、自分の利益にならなければ、神を信じず、神の恵みを受けられないのであれば不機嫌になる。これがどうしてあなたのほんとうの背丈でありえようか。家族の中で避けられない出来事(子どもが病気になる、夫が入院する、農作物が不作に見舞われる、家族の者たちからの迫害等)については、あなたは、日常生活で度々起こるこうした出来事を乗り越えることすら出来ない。このような事が起きると、あなたは当惑してどうして良いか分からなくなる── そして殆どの場合、神について不満の言葉をこぼす。神の言葉に騙された。神の業が自分を混乱させたのだと、不平を言う。あなたがたは、そのような思いを抱いたことはないだろうか。このようなことが自分に起こるのは希であると思っているだろうか。あなたがたは、こうした出来事のただ中で生活し日々過ごしている。あなたがたは、神への信仰を成功させることや、神の旨を満たす方法については、少しも考えることが無い。あなたがたの真の背丈は小さすぎる。それは、ひよこよりも小さい。……あなたの腹は不満ではち切れそうだ。また、そのために時折集会へ行かなかったり、神の言葉を食すことも飲むこともなく、長期間にわたって否定的になるのが目に見えている。」

   神の御言葉を読んだ後、姉妹はこう言いました:「神の御言葉は、私たちが神を信仰する中で、祝福を求めることについて誤った考えを持っていることを指摘しています。私たちはいつも、「神を信仰してさえいれば、神は私たちを祝福して、全てが平安で順調であることを保証してくださるはずだ」、と思っています。私たちは厄介なことに遭遇すると、すかさず神の助けと御加護を請い、神が困難や問題を解決してくれないと、神への信仰を失い、心の中で神を誤解して非難してしまいます。サタンは ‘祝福を得るためだけに主を信仰する’ という私たちの致命的な弱みを利用して私たちを攻撃し、妨害し、私たちと神との間に不和の種をまきます。サタンの策略を完全に見抜くことができなければ、私たちはサタンに捕まり滅ぼされてしまうのです。」

   姉妹の交流を聞いた後、私はすぐに心が明るくなったような気がして、私の家族に降りかかったことにはサタンの策略が盛り込まれていたこと、そしてサタンが私を妨害し、傷つけていたことを知りました。そして同時に、神は私の信仰における不純な心を清め、それを変えるために、この機会を使って神を信仰することに関する私の誤った観点を明らかにしてくださったのです。こうして、私は神に従順な心で静かに祈りを捧げました:「私の幼い娘と夫の病が治るにしろ、治らないにしろ、私は不平を言わず、神の働きを体験し、神の御計画と御采配に従うことだけを望みます。」

   私が神への信仰に対する誤った観点を捨て、神に従う意思を持った時、意外なことが起りました。その数日後、夫と娘の容態が次第に改善していき、夫は骨髄検査を受けなくてもよくなったのです。一週間入院した後、二人は回復し、退院することができました。神の素晴らしい御加護に感謝します。

   この事態を体験した後、私は私たちを苦しめ堕落させるサタンの邪悪な本質について多少の知識を得ました。同時に、私は神の私への愛と救いも知りました。神は私の神への信仰に対する誤った観点を変えるためにこのような環境をお使いになり、私が改心し、神の御計画と御采配に従う意思を持った時、私はもう一度神の素晴らしい御業を目の当たりにすることができたのです。神に感謝します!今後は、自分の観念に反するいかなる出来事に遭遇しようとも、私は神を頼りにし、真理を求め神に従い、そして神を讃え、神を尊ぶために、神の証を立てることに努力したいと思います。


クリスチャンの証言:私が体験した霊的戦いの曲折

2019-08-09 10:49:23 | 霊的戦い

   苦しみの中、私は真の神と出会いました

   2007年、私は家計の都合により韓国に出稼ぎに行きました。当時、生活が厳しかった上に、私の夫は頻繁に女友達と呑みに出かけていたので、私たちは毎日のように口論をしました。私は当時、肉体的に疲れ果て、人生は耐え難いほどに辛いと感じていました。2014年9月のある日、ある姉妹が私に終わりの日の全能神の働きを証言してくれました。そして神の御言葉を読み、兄弟姉妹たちと交流した末に、私は全能神が主イエス様の再臨であることを確認できました。

   その後、私は夫に自分が学んだことを話すと、彼はとても驚いてこう言いました。「へえ、お前はすごく特別な教会に通っているんだなあ。まだ数回しか行ってないのに、もう俺よりたくさん理解してる。俺なんかもう何年も主を信仰しているのに。」その後すぐ、私は全能神教会の姉妹に、私の自宅に来て夫のために終わりの日の全能神の働きを証言して欲しいと頼みました。彼女は全能神の名について言及しましたが、その時夫は黙っていました。しかし、彼女が帰ったとたん、彼の態度がとても否定的になりました。それ以降、霊的戦いが始まったのです。

1つ目の戦い:私は事実をもってインターネット上の噂に立ち向いました

   私の夫は私たちのコンピュータを指さしてこう言いました。「この全能神教会に関するネガティブなニュースを見てみろ。こんなものは信仰するべきじゃない。」

   私は言い返しました。「中国国内のインターネットニュースなんか信じたら駄目よ。事実がたくさん歪曲されてるのよ。こんなインターネットのレポートなんか信じられないわ。」

   私の夫は腹を立ててこう言いました。「宗教界も全能神教会なんか認めてないじゃないか。それを信仰することなんか止めろって言っているんだよ!」

 

   これにより、私の心は少し揺れ動き、私はこう考えました。「インターネットに書かれていることが真実だとしたら、私は調査を続けるべきかしら?でも、主が本当に再臨されて私のことを見ておられるとしたら、私はどうしたらいいのかしら?主の再臨は何百億年に一度のチャンスなのに!そうよ、私は自分で行って、全能神教会のことを調べなきゃいけないわ。」

   その後のある日、私は友人2人を連れて全能神教会に行きました。教会に着くと、私は兄弟姉妹たち全員の謙虚で立派な様子に気が付き、集会の最中、彼ら神に立ち返った体験、そして神の御言葉に関する知識と理解をお互いに話し合っていました。その内容は全てがとても現実的で、私はとても感動しました。その後、兄弟姉妹たちは全能神教会が製作した動画を見せてくれました。その中で、私たちは神の証言を行う彼らの働きを見て、神を褒め称えるために神の知識を求める方法、性質の変化を遂げる方法、そして真の人間らしさをもって生きる方法を学びました。私たちが目にしたのは肯定的なことばかりで、インターネット上で噂されるようなことは何1つ見られませんでした。インターネット上の噂が真実だとしたら、全能神教会が世界中の国々に福音を広げ、その調査を試みる信者を数多く惹きつけることなどできるはずがありません。全能神教会を訪れた後、私はそれまでの懸念を捨て去ることができ、終わりの日の全能神の働きを受け入れる決意をしました。しかし、私の夫は、この信仰に断固たる姿勢を取る私を見て、私たちが通う教会の牧師に私が全能神教会を訪れたことを話してしまったのです。こうして、この後すぐにもう1つの霊的戦いが始まりました。

2つ目の戦い:牧師と説教師の嫌がらせを受ける中で、神は私が堅く立てるようにしてくださりました

   ある日、私の前の教会から牧師と姉妹が私の家を訪れてきました。牧師は大きな紙を取り出して私に見せました。それには全能神教会を含む、家庭教会の長い一覧が書かれていました。

   牧師は言いました。「姉妹、あなたはこれらの家庭教会が全て中国共産党に厳しく迫害されていることを知っておくべきです。これらは全て異端扱いされており、特に全能神教会は中国政府が特に激しく非難している教会です。それに、他のいずれのキリスト教宗派も全能神教会を認めてはいません。あなたは聖書をあまり読んでいないし、霊的背丈もまだ低い、どうして全能神教会と連絡を取っていたことを言わなかったのですか?」

   私はこう答えました。「中国共産党は常に神に抵抗してきました。彼らは神の存在を認めないし、カトリック教とキリスト教の両方を非難しています。他の教会の善し悪しを判断するにあたり、中国共産党の考えを受け入れることなどできるはずがありません。それに、私たちは、様々なキリスト教宗派がどのように受けいれているかに従って、全能神が主イエス様の再臨であるかどうかを評価することもできません。様々な牧師と長老たちは聖書に精通してはいますが、だからと言って彼らが神を知っているという訳ではありません。これは、主イエス様が働きをしに来られた時、律法学者、祭司長、そしてパリサイ人たちによって十字架に磔にされた時と同じ状況です。」

   牧師は、その日は私の言い分に反論しませんでしたが、その後、私の家にやって来たり、ほぼ数日毎に電話で嫌がらせをしてきました。こんなことや牧師のしつこい働きかけを受けて、私の決意はやむを得ずくじかれてしまい、私は彼の面目を潰しているとも感じたので一週間は全能神教会に行きませんでした。しかし、その時、聖書に記されたこの節が私の頭に浮かんだのです。「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。 しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。 」(ルカによる福音書17:24-25) 全能神の顕現と働きは中国共産党と宗教界から非難されていますが、それは聖書に記されたこの節の内容を成就しています。「彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」中国共産党と宗教界による非難は全能神の働きを否定しているわけですが、それは間違っています。私はむやみに牧師の言うことを聞くわけにはいきません。従って、私はまた全能神教会に通い始めました。

   私の夫は私がまた全能神教会に行っていたのを知った時、私が行くのを止めるようにと働きかけるために他の説教師を私たちの自宅に連れてきました。

   説教師はこう言いました。「私はあなたが全能神を信じていると聞きました。あなたは聖書を良く理解していないし、霊的背丈も高くありません。私たちは、あなたのためを思って、考え直すよう説得するためにわざわざ来ているのです。全能神の働きは聖書の内容に即していませんし、聖書の内容から離れすぎるものはいずれも異端です。あなたはまず聖書をもっと読むべきです。」

   私はこう言い返しました。「主イエス様が最初に働きを開始された時、それは旧約聖書の内容とは合致していませんでした。あなたの考えによると、主イエス様の働きは非難されるべきであるということになってしまいます。」

   説教師はこう言いました。「ならば、どうしてあなたは全能神が主イエス様の再臨であると確信できるのですか?」

   私はこう言いました。「聖書にはこう記されています。『したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。』(ローマ人への手紙10:17)ユダヤの民はどうして最終的に主イエス様を信じるようになったのでしょう?それは、彼らは、主イエス様の教えの中に神の御声を認識したからで、だからこそ主に従い始めたのです。私は全能神の御言葉をたくさん読み、全能神の御言葉は全て、私を罪から引き離し、そして私が救いを受けるための探求方法を教えてくださる真理であるということも知りました。だからこそ、私は全能神が主イエス様の再臨であると確信しているのです。あなた方は全能神の御言葉を読んでいないし、全能神の働きを調べてもいないのに、そんなに軽々しく否定する権利があるのですか?」

   説教師は狼狽した声で言いました。「全能神を数日間信仰しただけで私と言い争うようになるなんて思ってもみませんでしたよ。分かりました。何を言っても全能神を信仰する気でいるみたいですから、私はもう言いません。しかし、羊を奪うために教会に戻ることは許しませんからね。」

   私はこう言い返しました。「羊は皆、神に属しており、神の羊は神の御声が仰ることに耳を傾けるのです。神に選ばれる者は他の人間の妨害を受けることはありません!」説教師は何も言い返せず、憎しみに満ちた表情で去って行きました。

   私は説教師がここまで腹を立てたのを見て少しびっくりしました。私が全能神を信仰することになったからと言って、あれほど怒る必要があったのでしょうか?私は牧師と説教師が本当に私のことを気にかけてくれていたのかと疑わずにはいられませんでした。彼らが本当に兄弟姉妹たちの霊的いのちの責任を背負って信者たちを導いているのであれば、主が再臨されたという知らせを耳にしたとたんに兄弟姉妹たちを率先してその調査をするべきなのです。しかし、その知らせを聞いて以降、彼らの態度には敵意が見られるようになっています。そして、彼らは中国共産党がインターネット上で広める噂を全てうのみにして、私たちの教会で兄弟姉妹たちが真の道を調べるのを妨げるようと故意に神の働きを非難しています。彼らの心の中には神への恐れがないのでしょうか?これには、主イエス様が最初に働きを開始された時のこと、そして律法学者、祭司長、そしてパリサイ人がそれぞれの生活を守るために無数の策略を作り出し、信者たちが主イエス様に従うのを妨げようとしたことを思い出させられました。これに関して、主イエス様はこう仰りました。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。 」(マタイによる福音書23:13) 牧師と説教師は主が来られることを聞いていたにもかかわらず、それを調査することには何の関心もなく、私が兄弟姉妹たちに福音を伝導するのを妨げようとさえしました。彼らのやり方はパリサイ人のと全く同じではないでしょうか?私がこの全てに気が付いた時、それは私が牧師と説教師の本当の動機をある程度見破ったことを意味し、それは私にとって終わりの日の全能神の働きを受け入れる更なる励みとなりました。

   その後、私を説得できないと分かった説教師は、私の夫に私を止めるべきだと言って、私と夫の間に首を突っ込み始めたのです。牧師は頻繁に私たちの自宅にもやってきて、私に嫌がらせをしました。当時、私の夫はいつも牧師と説教師の言うことに耳を傾けていたので、結果的に、私たちは毎日口論をしていました。私の生活は彼らによって滅茶苦茶にされてしまい、私は途方もない圧力をかけられてイライラしていました。霊的戦いは次の段階に突入しようとしていました。

第3の戦い:私は夫に離婚すると脅され弱気になりました

   ある日、私の夫は怒ってこう言いました。「お前はこの家族と全能神とどっちが大切なんだ?全能神を信仰し続けるならもう俺たちは離婚だ!」

   私はこう思いました。「私たちの子供はまだ幼いから、私にはお金を稼ぐことができないわ。夫に離婚されたら、この先どうやってやりくりして行けばいいの?全能神を信仰することは本当にこんなに大変である必要があるの?私の信仰が原因で夫と喧嘩し続けていたら、私たちの将来はなくなってしまうわ。」こう考えた時、私は思わず以前ほど確固とした決意を持てていないことに気が付きました。

   すると私の夫は、「お前が全能神の信仰を止めてくれたら、俺はたばこと酒を止めて、お前の言うことも聞くよ。何でもやって欲しいことするから。」と言って固く約束してくれました。

   私はこう思いました。「以前、夫は私が何を言ってもたばこと酒を止めてくれなかったけど、私が彼の言う通りにして、彼が止めてくれたら、それはそれで私たちにとってとても都合がいいことだわ。そうしたら、牧師はもう私に嫌がらせをしにやって来ないだろうし、私たちも毎日つまらないことで喧嘩しなくて済むわ。でも、これを理由に全能神への信仰を捨ててしまったら、私は良心の呵責を感じながら生きることになってしまうわ。」こう葛藤した後、私はとりあえずは全能神教会に行くのを止めて、状況がどのように展開するかを見守るという形で妥協することにしました。

   私が全能神教会に行くのを止めたことを知った夫は、私を同じ宗派内の他の諸教会に連れて行き始めました。しかし、私はそのいずれに行っても、牧師が同じ陳腐なことばかり説いているのを聞く度に全能神教会の集会で過ごした時間、そして参加する度に何らかの啓蒙を得て、心がとても穏やかになれたことを懐かしく思いました。

   私が弱く、熱意を欠いていた時、神の愛が導いてくださりました

   その後、私は教会に足を運ぶ度に酷い頭痛がするようになりました。心の中で、これは神が私にその教会を出て、すぐに神に立ち返るよう注意されているのだと分かりました。しかし、私は夫、牧師、そして説教師が絶えず私に嫌な思いをさせてくることを考えると、その決断をする自信が持てませんでした。私はただ、あともう少し待つだけだと言って自分を慰めました。

   その当時、全能神教会のある姉妹が、どうして戻ってこないのかと電話で数回聞いてきました。私は多忙過ぎると言い訳をしたり、集会場からとても離れた所に引っ越しをしたと言って姉妹に嘘までついてしまいました。少しずつ、私の心は神からどんどん離れていき、私は世間のトレンドに引き込まれ始めましたのです。私は食べて、呑んで、快楽と楽しみを求めて生きるようになり、言い表せないほどの挫折感と虚無感をしばしば感じるようになりました。私は全く幸せではありませんでした。私の夫は酒とたばこを止める約束を破って状況をさらに悪化させました。私は騙された気分になり、頭の中で全能神教会に戻る一縷の願いが芽生えました。しかし、依然として夫に離婚されてしまうことを心配した私はじっくり考えた後、教会には戻らず、自宅で夫にばれないようにしながら全能神の御言葉を読むことにしました。

   ある日、私の友人の1人の親戚から電話があり、私の友人が誰かと金銭的なことで言い合いとなり、その相手に殺害されたという連絡を受けました。その友人とは僅か数日前に会っていたばかりということもあり、私はこの知らせにショックを受けました。彼女の死はまさに突然のことで、当時私はこの事件の事を考える度に恐怖感に駆られました。この世界は間違った相手を少しでも怒らせると誰かが死ぬはめになるようなとても暗い場所のように思えました。後に、私は全能神のこの御言葉を目にしました。「地上には、あらゆる悪霊が果てしなく休みどころを求めてさまよい、いつも食べるための人間の死体を探している。わが民よ。あなたがたは、わたしの保護と世話の中にとどまりなさい。けっして自堕落なことをしてはいけない。けっして無謀なことをしてはいけない。そうではなく、わたしの家で忠誠をささげなさい。そして、忠誠によってのみ、あなたがたは悪魔の狡猾さに対抗できるのだ。……」神の御加護と御気遣いがなければ、私はいつ、どこにいても、サタンに飲み込まれてしまうということを神の御言葉は思い出させてくださりました。神のみが本当に頼りになる御方なのです!私は、肉の快楽のためだけに生き、心が神からどんどん離れていった時のこと、そして神は私を救うことを諦めず、あの姉妹に幾度となく私に電話をさせ、私の友人の死を使って私の目を覚まし、神の御側に立ち返らせてくださった時のことをふり返りました。この全てを考えた時、私は神が自分を救うために注いでくださった惜しみない努力を感じ、良心の呵責と罪悪感を感じました。従って、私は全能神教会に戻って、夫の制約から脱出する決意をしました。

真理を理解した後、私は信仰を立て直しました

   私が教会に戻ると、兄弟姉妹たちは私を温かく迎え入れて、離れていた間はどうしていたのかと聞いてきました。私はこれにとても感動しその当時私に起こっていたこと全てを率直に話しました。そして彼らは神の御言葉のこの節を読んでくれました。

   「神は働き、人を慈しみ、見守りますが、サタンは神をどの段階でもつけ回します。神が大事にする人が誰であれ、サタンも見ていてつけ回します。神がその人を求めると、サタンは持てる限りの力でどんなことでもして神を阻もうとし、隠された目的を達成するため、様々な邪悪な方法で神の業を試し、邪魔し、挫折させようとします。サタンの目的は何ですか。サタンは神に人間を誰も得て欲しくないのです。サタンは神が求めるすべての人を求め、占有して支配し、掌握してサタンを崇拝させ、サタンと共に邪悪なことを行わせたいのです。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないですか。」


   そしてある姉妹がこう話しました。「神は私たちをサタンの支配から救ってくれますが、サタンはまだ裏から全力で私たちを妨害し、邪魔しようとしてきます。表面的にはあなたの夫や牧師、または他の誰かがあなたが全能神を信仰するのを邪魔しているように見えるかもしれませんが、見えない所では霊的戦いが繰り広げられているのです。サタンは私たちが神の働きを受け入れたばかりで、真理をたくさん理解していなければ、神に関する真の認識も、神への真の信仰も持てていないことを知っているので、回りにいる人々を使って私たちを妨害してきます。サタンは私たちを踏みつけて、私たちに神の救いを受ける機会を全て失わせるために、私たちが神から遠く離れてサタンの支配下に戻ることを欲します。これこそが、サタンの邪悪な意図であり、狡猾な策略なのです。私たちはこれを見抜かなければ、いとも簡単にサタンの罠に陥ってしまうのです。」

   姉妹は神の御言葉の他の節も読んでくれました。「人間が試練を受けている時に弱くなったり、自分に否定的になったり、神の意志や自分の実践の道に明瞭性を欠くのは、普通のことである。しかしいずれにせよ、あなたは、ヨブのように、神の業を信じ、神を否定しないようにする必要がある。ヨブは弱く、自分が生まれた日を呪ったにもかかわらず、人生においては万事がヤーウェにより与えられること、そしてその全てを奪うのもまたヤーウェであることを否定しなかった。いかにして試されようとも、ヨブはこの信念を堅持した。あなたが自らの経験の中で、神の言葉からどのような精錬を受けるかを問わず、神は人間の信仰を要求する。このように、完全にされるのは、人々の信仰と志である。……ヨブがこのような状態に達した時、神がヨブの前に現れ、ヨブに対して語った。つまり、あなたの信仰の中からのみ、神を見ることが可能となり、あなたに信仰が有る時、神はあなたを完全にするのである。信仰が無ければ、神はそれを行うことが出来ない。」

   姉妹は続けて交流しました。「私たちが直面する誘惑は全て神がお認めになられているもので、神はそれで私たちを試しておられます。神はこのような状況を使って私たちの信仰を完全にしてくださります。ヨブがサタンから試練を受けた時と同じです。彼は非常に苦しい体験をしましたが、神への信仰と忠誠心があったおかげで神の証言をし、サタンを辱めることができました。そして、最終的に、彼は神からより大きな祝福を得たのです。神は私たちがヨブのようになり、サタンの前で頑固たる姿勢で神の証言することを願っておられます。私たちはサタンの試練を乗り越える時、神の御知恵と全能さを知り、神に対しより厚い信仰を持つのです。」

   全能神の御言葉と姉妹の交流を聞いた後、私は神が人々を救うためにどれだけ懸命な働きをされるかがはっきりと分かった気がしました。私は、依然として自分の霊的背丈には欠陥があり、神への真の信仰はほんの僅かも持てていなかったことも知りました。私は神の全能さと主権を認識しておらず、サタンが私たちを試すことを神がお許しになるということの意味は確実に理解できていませんでした。こうして、私はサタンがどのようにして回りの人々、出来事、そして物を使って嫌がらせをしてこようとも、断固たる姿勢で神への忠誠と信仰を貫き、神の証言をすると、その場ですぐに堅く誓いを立てました。

   私は神の証言をして、神の御業を目の当たりにしました

   私の夫は私がまた全能神教会に通い始めたことを知った時、又してもこう言って脅かしてきました。「もう一回聞くぞ。この家族と全能神への信仰、どっちが大切なんだ?全能神を信仰し続けるのなら、俺たちは離婚だぞ!」夫の脅しを聞いて私の決意は又しても弱くなり、私は慌てて神に祈りました:「ああ、神様!私はあなたに従いたいです。夫に妥協したくありません。どうかこの困難を乗り切れるよう私をお導きください。」その後、私は神の御言葉のこの節を読みました。「信仰とは一本の丸太橋のようものである。卑屈になって命にしがみつく者がそれを渡るのは困難だが、自らを進んで犠牲にする者には不安なく渡ることができる。臆病と恐怖を抱いている者はサタンに騙されているのだ。サタンは私たちが信仰の橋を渡って神の中に入ることを恐れている。」そうです!サタンは又しても私の夫の脅しを利用して、私の神への信仰を攻撃してきたのです。しかし、私はその時すでに、自分は神の創造物の1つであり、神を崇拝するべき人であることを知っていたので、以前のように信仰を欠いていた自分に逆戻りするつもりはありませんでした。私は何かを言われたからといって神に背く選択などすべきではないのです。そして、もちろん全てが神の御手の中にあるため、私の夫が私と離婚するかどうかもまた神がお決めになることなのです。とにかく、夫に離婚されたとしても、私は神を信仰し続け、最後まで神について行くつもりにしていました。

   そして、私は真剣な口調でこう言いました。「私たちが以前よく喧嘩していた時、私はいつもそれがあなたのせいだと思って、本当に離婚しようと思っていました。でも、終わりの日の全能神の働きを受け入れて以来、神の御言葉は私が自分自身の欠陥にたくさん気付けるようになったのです。私は神の御言葉を受け入れて実践しようと一生懸命に努力しています、そのおかげで私はあなたとたくさん喧嘩したり、子供に腹を立てたりしなくなったんです。私は、神の御言葉は全て私を変えることができる真理であると分かったんです、だから神に背くことはできません。離婚するなんて本気で言っているなら、離婚しましょう!」

   私の夫はしどろもどろに言いました。「これは……そうだな、お前は本当に変わったな。それはよく分かる。本当のことを言うと、離婚なんかしたくないんだ。お前を怖がらせようとしてただけなんだよ。でもお前がそう言うなら、もう何も言わない。とにかく、お前の信仰についてはもう邪魔しないから。」夫がこう言ったのを聞いた私は安堵の長い溜息をつきました。神に感謝します!神の御言葉がサタンの試練に対して勝利を得られるよう私をお導きくださったのです。

   その後、私の夫は私の全能神への信仰を邪魔するのを止め、私が教会の集会から帰ってくると、たまに食事を用意しておいてくれるようにもなりました。牧師と説教師も私の嫌がらせをしに我が家にやってくることはなくなりました。私は定期的に集会に行き始め、兄弟姉妹たちと一緒に自分の本分を尽くしました。そして、真理をもっと理解していくにつれて、私は心の中で解放感と自由を感じるようになりました。神に感謝します。全ての栄光、神にあれ!


神に頼って家族が阻む日々を乗り越えてきた(II)

2019-08-08 21:21:01 | 霊的戦い

   そして、姉妹は神の御言葉から次の二節を私に読んでくれました。「ノアの箱舟の時代を振り返って見よう。人類はひどく堕落し、神の祝福から迷い出てしまっていた。もはや神の配慮は得られず、神の約束を失ってしまっていた。闇の中を、神の光のないまま生きていた。そうして彼らの性質は放縦となり、おぞましい堕落に身を任せた。……ノアだけが神を礼拝し、悪を避けたので、神の声を聞くことができ、神の指示を聞くことができた。ノアは神の言葉の指示に従って箱舟を建て、あらゆる種類の生物を集めた。こうして一旦全ての準備が整うと、神は世界に破滅をもたらした。ノアとその家族7人だけが破滅を逃れて生き残ったが、それはノアがヤーウェを礼拝し、悪を避けたからであった。」「それでは現代に目を向けてみよう。ノアのように神を礼拝し、悪を避けることのできる正しい人はいなくなってしまった。それでもなお、神はこうした人類に対して恵み深く、この終末の時代においても人類の罪を赦す。神は神の現われを切望する人々を探し求める。神は神の言葉を聞くことができる人々、神の任務を忘れず、心と体を神に捧げる人々を探し求める。神は神の前で赤子のように従順で、神を反抗しない人々を探し求める。あなたが何ものにも妨げられずに神に献身するならば、神はあなたを好意の眼差しで見、祝福を授けるだろう。」



   姉妹はこう言いました。「おばさん、誰もが知っての通り、ノアの生きた時代は人間の悪と堕落で満ちていたため、神は洪水を使って人類を滅ぼすることにされました。しかし、人類を滅ぼす前に、神はノアに箱舟を造り、同時に人々に福音を宣べ伝えるよう命じられました。しかし、当時の人々はノアの言葉を信じず、神が洪水で世界を滅ぼされるなどなおさら信じませんでした。彼らは皆、ノアのことを気違いで愚かな者だと思いました。結果として、洪水が本当に起きた時、ノアの8人家族だけが箱舟の中に入って助かり、それ以外の者たちは全員が洪水によって滅びたのです。ノアのストーリーは現代の人々にどういった警告を促しているのでしょう?現在の人々の悪と堕落の度合いはノアが生きた時代よりも遥かに酷い状態にあります。しかし、異なる点として、終わりの日である今、神は深刻に堕落した人類を救い、人々に神の御声を聞かせ、人々が神の救いを得られるようにするために自ら受肉され、真理を表してくださっています。しかし、中国共産党による非難宣伝のせいで、多くの人々が真の道を求め、それを調べることを拒み、結果的に神の救いを受ける機会を逃してしまっています。おばさん、人間はあまりにも愚か過ぎると思いませんか?終わりの日の神の働きは、サタンの妨害とかく乱を通してありとあらゆる種の人々を暴露されました。心から神を信じ、真理を愛する人々は、全能神がすべてを支配して司る御方であると確信しています。それ故に、彼らはどのような誘惑やかく乱にさらされても、神への信仰を保ち、神から離れずにいることができます。そのような人々のみ、神が人間にお与えになる永遠の救いを授かることができるのです。にもかかわらず、真理を愛していない人々は、神への真の信仰を持っていない、もしくは臆する心を持っているが故にサタンに誘惑される中で神から離れ、神に背き、終わりの日の神の救いを失っています。最終的に、彼らはサタンの運命同様、神によって滅ぼされてしまうのです。」

   神の御言葉と姉妹の交流を聞いた後、私はこの理解に至りました。「今日私がこの状況に直面した時、表面的には自分の家族が私の神への信仰を反対しているように見えました。しかし、見えない所ではサタンが神と賭けをしていたのです。サタンは私が消極的で弱気な心の中を生き、神に背き、神から離れるようにするために、私の家族からの妨害を利用しようとしたのです。しかし、神はこの状況を使って私の神への信仰を完全にしてくださり、私が神を頼り、神の御言葉通りに実践し、サタンの使う様々な罠を見抜き、ついには神の証しをできるようにしてくださります。これにより、私は神の働きの御知恵と神の義なる性質を知ったのです。神に感謝します。神の御心を理解した後、私は内にこみ上げてくる力を感じた気がして、心の中で神に祈りを捧げました。「神様、あなたのお導きに感謝します。あなたは姉妹の交流を介して私があなたの御心を理解できるようにしてくださりました。神様、私は60歳を超えているのに、まだあなたにお選びいただき、あなたの御前に来れるなんて、本当に光栄です。これはあなたの御恵みで、あなたは私を高めて下さっています。あなたは、私のあなたへの信仰を完全にするために、この状況を使うことを望んでおられるのですね。神様、私はあなたを失望させたくありません。私はサタンを辱めるために、信仰によってあなたを頼りにし、あなたの証しを立てたいと思います。」

   私は神の証しを立てる決意をしました。しかし、サタンはまだ私のことを手放さず、私の家族を介して妨害を続けてきました。ある時、私の下の息子がたくさんの中傷的な宣伝情報を私に渡してきてこう言いました。「まずこの情報を読んでみてよ。長い間神を信仰したら家族のことがどうでもよくなって、家を出てしまうようになるって書いてあるよ。」私はそれを読まずに言い返しました。「兄弟姉妹たちがどういう状況で家を後にするか、あなたは知ってるの?何の問題もないのに、誰が家を出たがるっていうの?兄弟姉妹たちが家に帰ってこれないのは、中国共産党の迫害を受けているからじゃないかしら?」彼はさらに言いたい事があったようですが、私はもう話したくありませんでした。私は彼に言いました。「いい加減にしなさい、もう何も言わないで。私は疲れてるから、休みたいの。自分の部屋に戻りなさい。」私がドアを閉じても、息子はまだ諦めませんでした。彼は中傷的な宣伝情報を一枚ずつドアの下から通して中に入れてきたのです。噂がたくさん書かれた用紙を見ていると、私は「神への信仰」という映画を思い出しました。中国本土では、中国共産党があちこちで兄弟姉妹たちを探し回っています。結果として、彼らは地元から逃げ出すことを余儀なくされ、あちこちに散在しています。彼らが安心できる場所はありません。中国共産党による迫害のせいで、無数のクリスチャンたちが逮捕され、刑務所に入れられ、中には迫害されて命を落とした人たちまでいるのです。中国共産党はその独裁体制を守り、永久的な権力を持つという野心を実現するために、真理を表して人間を救うために受肉された全能神を激しく嫌い、気が狂ったように全能神教会を迫害し、抑圧しているのです。それはまた、真理を知らない人々を騙すために様々な虚偽を捏造するので、無数のクリスチャンたちが信仰心のない親族たちの迫害を受けることになり、最終的には家族が崩壊するという結果に至っています。にもかかわらず、中国共産党は家庭が崩壊するのは神への信仰が原因だと恥じも知らずに主張しながらこの事実を曲げるのです。彼らはこれを利用して無理やり私たちに信仰を捨てさせようとしてきます。サタンは本当に欺瞞的で、悪意に満ち、卑劣なのです。こう考えると、私は心の中でかなり確信を持てるようになり、サタンの策略に関する識別力を少し得ることができました。私は家族からどのような妨害を受けても全能神について行くと、心の中で決意をしました。

   ある夜、私の夫と息子が私の部屋に来て、神を信仰するなとまた言ってきました。私は彼らを無視しました。これを見た夫はすかさず激しい口調で怒鳴りつけてきたのです。「神の信仰を続けるなら、お前とはもう離婚だ!」この瞬間、私は神のこの御言葉を思い出しました。「宇宙で起こるすべてのことの中で、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にない存在などあるだろうか。」神の御言葉は少しずつ私の不安な心を落ち着かせてくれました。そして、私は心の中で静かに神に祈りました。「神様、私の結婚生活はあなたの御手の中にあります。私と夫が離婚するかどうかは、人間ではなく、あなたがお決めになることです。私はこのすべてをあなたに委ねます。」こう祈りを捧げた後、私は落ち着いてこう言いました。「私たちが離婚するかどうかは神次第です。離婚することになっても、私は神への信仰を続けます。」私が怯えていないことを悟った夫は、獰猛な表情をむき出しにてドアの方を指さしながらこう言いました。「神への信仰を捨てないなら、お前をこの家から追い出してやる。」夫がこう言ったのを聞いて、私は思わず少し不安になりました。「本当に追い出されたら、これからどこで住めばいいの」、と思いました。その時、私は又してもサタンの策略にかかっていることに気が付きました。これ故に、私は慌てて心の中で神に助けを請いました。「神様、私が今日家から追い出されてしまうかどうかはあなたの御手にあります。何が起こっても、私はあなたを信じ、あなたに従い、サタンには絶対に譲歩いたしません。」こう祈りを捧げた後、私は突然、この家の所有権を夫と共有していることを思い出しました。なので、彼は随意に私を追い出すことができる権利など法的には持っていないのです。そして直ぐに私は言い返しました。「私だってこの家の所有権を持っているのよ。この家庭の中で、私は家事をすべてこなし、自分の仕事をしてきたわ。時間がある時に神を信仰するのは私の自由よ。それに、香港では誰にだって信仰の自由は認められているわ。どうして私の邪魔をするのよ?以前、私は家にいてすることが無い時はとても虚しい気分がして、麻雀をしたり、近所の人たちと噂話して意味の無いことばかりしていたわ。でも私は今、全能神の御言葉を読んで、真理を理解して、人生の正しい道を発見して、心の豊かさを感じているの。なのに、あなたたちはいつも私の邪魔をしてくるわ。私の決断を尊重して、私の神への信仰を邪魔するのはもう止めてください。」私が神への信仰に固執するのを見た夫は言葉を失い、向きを変えて外に出掛けようとしていました。彼は行く前に、「神を信仰することは諦めてもらうからな」、と言いました。そして、彼は腹を立てながら出て行きました。私は思いました。「あなたにどんな風に邪魔されても、私は確固たる姿勢で神について行くわ。」外面的には、夫が怒りをあらわにして出て行っただけのように見えましたが、霊的世界ではサタンが恥じをかいていたことを私は知っていました。神に感謝します。私が神の側でしっかりと立っていられるように、神は私に信仰と知恵をお与えくださったのです。私は心から神に賛美と感謝を捧げました。

   ある日、夫は憤慨した態度を一変して、落ち着いた口調でこう言ってきました。「お前はまだ神を信仰するつもりなのか?もう止めてくれないか?お前には麻雀したり、賭け事をしてもらっていた方がいいんだ。神への信仰を捨ててくれさえすれば、今すぐに1億円あげるよ。休暇を取って、お前と一緒に世界中を旅行してもいいし、俺のお金を全部あげてもいい。」彼の言葉を聞いて、私は以前集会で読んだ神のこの御言葉を思い出しました。「被造物として、あなたはもちろん神を崇拝し、意味のある生活を追求するべきである。あなたが神を崇拝せず、汚れた肉体で暮らすならば、あなたは人間の衣装を身に着けたただの獣ではないだろうか。」私はこう思いました。「そうだわ、私は創造物として神を礼拝するべきなのよ。以前、神を知らなかった時、私は肉のために生きていたわ。物質的には必要な物を全て持っていたけれど、心は虚しく、意味の無い生活を送っていたわ。でも今日、神は私を神の前にお導きくださって、私が神の御声を聞き、全能神の表す真理を読み、そして自分の人生における方向性を見つけることができるようにして下さったのよ。これはお金で購入できるものじゃないわ。それに、お金ではいのちはおろか、真理を購入することも絶対にできない。お金と肉の快楽のために神への信仰と神に従うことを諦めてしまったら、私はあり得ないほどの愚か者になってしまうわ。主イエス様もこう言っておられるわ。「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」(マタイによる福音書16:26)このように考えて、私は自分の選択を貫くことを心の中でさらに強く決意しました。私は夫にきっぱりとこう言いました。「もう私のことを説得しないでください。私は神を固く信じていますから。お金は自分のためにとっておいてください。私には必要ありません。」私がこう言ったのを聞いた夫はもう何も言いませんでした。

   神に感謝します。私は神に従う決意を心から固めた時、神の素晴らしい御業を目の当たりにしました。私が集会に行くのを家族が邪魔しなくなっただけでなく、ゆくゆくは家庭も落ち着きを取り戻したのです。今、私は規則正しく教会生活を送り、創造物としての本分を尽くしています。私がサタンの攻撃を打ち破り、神への証しを立てることができたのは、完全に神の御言葉による御導きがあったおかげです。全ての栄光、神にあれ!終わり。